草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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受かる子は「解ける」

2013年08月30日 09時00分28秒 | 
 お早うございます。今日は猛暑の予報が出ております。みなさまお気をつけください。夏の指導が終わり、2日が経過しましたが、連日9月の準備に追われております。ただ夏の過密日程から解放されてようやく自由にレジュメの創作ができるようになったことがとてもうれしく、朝はもう6時に目覚めるとすぐナンプレを1題解いてから仕事に入ります。あれだけ時間のかかっていた「超難問ナンプレ」も1時間もあれば解けるようになりました。子どもたちもそれぞれにナンプレに挑戦していることでしょう。
 夏の指導が終わり、やや拍子抜けの子もいるかもしれません。
 それにしても子どもたちの勉強への緊張感、向上心を維持していくことは容易なことではありません。当然ご家族のみなさまの勉強というものに対する熱い思いというものが子どもたちの心理にはたらきかける、伝わるということのほうが子どもたちを動かすエネルギーになっていると思います。子どもたちは母親の喜ぶ顔が大好きなのではないでしょうか。
 竹の会ではすでにして勉強に情熱のなくなった子というのは早めにそのことを感知し早めに勉強から解放してやることこそ塾の良心と考えております。つまり、竹の会には勉強しない子はいてはならないのだという点だけははっきりしております。
 さらには、「受検合格のため」に竹の会に遠いところからわざわざおカネを払って来ているのであり、合格の見通しのないのに塾に来るはずもないということも当然のことと思っております。
 特に、都立中というのは、少しくらい勉強ができても、頭がそれなりによくても、おいそれと合格するところではありません。合格の見通しという基準から見ると、ハードルは高いと思っています。
 その意味では、確かに「できるようにはなったけれども」合格というメガネで見れば「それは無理でしょう」という子も出てくるわけです。それがわかっているのに親に告げないでそれどころかこれからがんばればいかにも合格の可能性があるようなことを臭わせて受検まで子どもを離さない、縛るというような巷の塾のやるあるまじき行為だけは竹の会はしない、これは決意です。そういうことはしてはならないと思っております。
 「入会試験」を実施するようになって、そういう事例はなくなりつつあります。が、100%なくなったということではありません。これからさらに入会試験の精度をあげていくことが必要でしょう。
 正直、受かる可能性のある子というのは、初見で「わかる」ようなところがあります。
 ただこれは適性検査試験に特有のことなのか、算数がかなりにできる子であっても「落ちた」事例が複数あることです。
 この点を分析してみますと、普段の指導で確かに算数はよく解けるが、適性問題は「解けてはいない」という事実が明瞭です。合格している子というのは、あとあと考えてみると、算数の能力も卓越していて、かつ適性問題を適性時間で「解いている」という事実が浮かび上がってきます。算数の能力は高いけれど適性問題だと、10分ほどで解くべき問題も1時間近く考えてようやく出したけれど不正解ということは「落ちた」子の特徴であったように思います。
 適性問題というのは、重要な情報とどうでもいい情報とが渾然とちりばめられて子どもたちを惑わすには十分な出題形式です。ここで「読み取り」能力が大きくものをいいます。合格者を見ていると、みなこの「読み取り」において卓越していました。中には国語の読解がすぐれていた子たちがいて、驚嘆させられたこともありました。ただ、国語力、作文力にすぐれている子たちもいましたが、作文はダメという子も合格者の中にはいましたから、「読み取り」というのはまた読解力ともやや違うようにも思います。
 それから例外事例もあるのですが、都立中なら模試で合格判定をとった子の合格率が高いということです。竹の会では、早稲田進学会の模試で名前を載せる子が多く、そういう子はたいてい受かっています。ただ24年の富士では、名前の載った子が落ちて、番外にいた子が合格した例がありました。これは受かった子はもともと力があり、その力を本番で発揮したのであり、落ちた子が本番で力を発揮できないなにか突発的な事件があったということでしょう。事実「適性1番」をそっくり読み間違えたようです。
 これが高校受験だとまた事情が違ってまいります。まず高校受験の難関私立では特に模試通りの結果にならないことが普通であるということです。つまり模試で偏差値が少し志望校に足りなくても難関に合格した例はいくらでもあります。
 ただ都立高に関しては、V模擬の精度はかなりに高いと思います。高校受験というのは、都立だと実質倍率も普通は2倍を超えることはありません。わたしの分析では、その都立の倍率を勘案して、V模擬「C」判定でも合格すると確信しています。ちなみに、V模擬は、Aの上にS判定もありますから、C判定というのは、なんと第4番目の判定です。
 適性検査にしても、高校受験にしても、「受かる」子というのは、普段、レジュメで課される問題をよく「解いている」ということは、真理です。
 普段に解けないで、特殊な緊張感の支配する本番の試験会場で解けるはずもないということです。本番のその日に限って受験の神様が降臨して奇跡が起きるということは絶対にないのです。ところが、多くの親子というのは、今はできなくても本番の日に限って幸運がめぐってきて合格することがあると漠然と信じ切っているのです。運がよければ、知っている問題が出ることもあり、合格できるかもしれないとなんとも都合よく判断して憚らないのが受験の親子です。
 わたしは現実しか見ません。それも心の縛りのない普段の現実です。普段の指導の実際で見せる子どもたちのレジュメのできこそがもっとも有力な合否判定材料です。
 実例を示します。
 先ほど、平成24年の富士の合格者、不合格者のことを話しましたが、実は、受検直前の1月に過去問を使って模擬テストをやっています。このときにわたしが合格する可能性ありと認定した3人のうち、この模擬テストで「答案らしい答案」を書けていたのが、この富士合格者ひとりだけだったのです。同じことがありました。平成20年に桜修館に1人が合格しています。このときも模擬テストをやっています。しかも数回です。そのときに「答案らしい答案」を書いていたのはいつもこの合格者一人だけだったのです。
 合格する子は、「解ける」子なんです。どんなに頭がよくても、優秀と言われても、「解けない」子は合格しないのです。
 勉強に熱心なだけでは合格しません。
 それから高校受験に関して言えば、確かに学校の成績、つまり内申をとるために勉強することは大切なことです。これはわたしも否定はしません。しかし、定期テストのたびに指導を中断することがもたらすのは学校の成績はいいけれど実力はそれほどでもないという現実なのです。学校の成績がいくらよくても、学校の授業をいくら大切にしても、難関突破の力はつかないということです。
 定期試験のための勉強ばかりやっていると、いつのまにか実力がほとんどついていない、いや落ちているということがよくあります。
 前に国立中の生徒がいたのですが、優等生もどきの子ばかりでレジュメに解説をつけて渡していたら、解説を見ながら答えを書いてきて、合格と言われるので優等生としてのプライドを満たしていたようです。これでは真の力はつくはずもないですから、解説をつけないようにしたところ、途端にレジュメをやらなくなり、学校の宿題ばかりをやるようになりました。すぐに退塾しましたが、わたしは私立の子や国立の子はプライドばかり高くて使いものにならない子が多いと思っています。
 受験というのは、実際の現実だけが信じられる世界です。「解ける」現実、「解けない」現実です。
 
 
今日の空
 
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