草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
※2015年10月より竹の会公式HP内にブログ移転

大手で子どもの能力摘む、矯める、完全馬鹿に仕上げる親たち

2015年10月26日 09時22分51秒 | 
 おはようございます。この「草枕」のステージももうすぐ終わりです。それより先に本日はいよいよ竹の会ホームページが閉鎖されます。竹の会を始めたのが昭和60年10月、今年の10月で満30年目になります。 見よう見まねで市販のソフトを使ってホームページを作ったのはいつだったか、とにかくホームページは手製でした。それが11月からプロの手による本格的なものに変わるのです。これまでのホームページは手製のため、グーグルやヤフーのシステム改編についていけず遂には取り残されてしまいました。そこで30年を機にさまざまな改編を試みています。ホームページ新規立ち上げもその一つです。
 30年記念事業のひとつとして、竹の会初の出版があります。まず手始めに算数の本から出すことになりました。書名はまだ未確定なのですが、「ミクロマクロ 魔法の算数」となる可能性大です。竹の会が開発したまさに魔法の算数の登場です。竹の会で学ぶ子どもたちが、特に知能の高い子どもたちが、感動を覚えたという、あの算数がいよいよ全国に公開される日が近づいています。
 竹の会では、30年記念事業として、さまざまな企画を立ち上げていますが、現在進めているのは、「草枕」をテーマごとに編集した小冊子シリーズの無料配付計画です。
 現在企画編集を進めているのは、「高校入試に失敗しないために」、「都立中合格の手順」、「竹の会喜びの声集」の3冊です。
 いずれも現在執筆・編集中ですが、11月中旬には、完成をめざしています。
 さらに、竹の会では、これまで内部生のみにしか配付してこなかったレジュメを渋谷教室Bで特別指導を実施し、秘密のレジュメを公開する計画も進行中です。


 
大手で子どもの能力摘む、矯める、完全馬鹿に仕上げる親たち

 近頃、わたしの言葉は辛辣なのでしょうか、過激なのでしょうか。まあ、わたしはどちらかというと、本来、佐高信などに負けず劣らず口の悪いほうですから、あしからずご了承ください。
 わたしがこれほどのタイトルを書くのも、正直大手に対するなんとも譲歩できない怒りを感じているからです。 莫大な宣伝費を使って生徒集めをすることはこれはかまわない、大手という金儲けが目的の企業なのですから、当然のことです。しかしです。人を集めてそれで人を伸ばしていく、ということを真摯にやっているのか、ということになるとこれは全く信用ならない。昨今は、大手偽装という言葉も違和感なく受け止められて、呆れて物も言えない、とはこのことです。三井不動産とか、旭化成のような大手が、かなり杜撰なことをやっている。大手だからと信用するということもこれからはない。
 わたしはそこまで話しを広げる気はない。当面、塾の大手のことです。 今年九段の説明会でチラシを配ったのですが、世間の親はまずほとんど大手に子どもを行かせるということを知らしめられました。
 まあ、いろいろと行きやすい、ひきつけるところがあったのでしょう。費用も安いのかもしれない。いやこの費用が安いというのも実は巧妙な罠で、入れば、さまざまな名目で小刻みに取られて、気がついてみたら毎月かなりの高額を払っているということになっている。 とにかく毎月のように、「○○ゼミ」だとか、「○○特別講座」などということで費用は半端ではないことになる。まことに商売上手としかいいようがない。わたしなどは、定額で決めた以上はとるなど考えたこともない。テキスト代なんてとらないし、施設利用料などという名目をよく考えつくと感心する。特別講座などといってからむしり取るなど考えられない。わたしはこの額で、すべてを請け負います、と言っている。それ以上に何をとろうとするのか。もしそれで時間が足りないというのであれば、それはその定額をもらっている塾の責任であろう。塾はその定額の範囲内できちんとやるべきことをやれ、ということである。
 わたしがあまりにも怒っているのは、大手に通った結果、まずほとんどの子どもたちが、本来伸ばすべき能力の芽を摘まれ、あるいは能力をねじ曲げられ、矯められ、最終的には、完全な馬鹿に仕上げられているという事実、現実に対してである。 今の時期に、わかっている親はわかっている。もちろんまるで何もわかっていない大手かぶれの親も多かろう。自分の子が、まともに計算もできないことに気づきもしない。あるいは、割合もまるでわからない、アホになっているということにも気づかない。してみれば思考力などついているはずもなく、それなのに、大手にあてがわれた適性類似の問題をなんの信仰かしらないけどありがたがって解いている。 大手に通う子どもたちがいかにアホかは、竹の会の子どもが大手で模試を受けたらすぐわかる。 2000人も生徒を集めて驚きというほかないが、竹の会の子どもがその中で試しに受けた模試で十番そこそこというのだから驚きである。 大手を大手という理由で選んだ親の見識がその程度ということも透けて見えて、わたしには最初からわかっていたことだが、改めて世の親の馬鹿ぶりを嘆くばかりである。
 竹の会のやりかたを聞いて胡散臭げにやり過ごした親の見識は、大手が偽装するものだ、ということを忘れた、信仰に近い。
 大手は決してウソをつかない、本物だ、クオリティーが高いなどというのは、紙の上の、パンフレットの中だけの、営業員のトークの中だけの絵空事にすぎない。
 竹の会はまじめに竹の会のすばらしさというものを訴えてきた。しかし、大手とちがって、最初から、信じるものはいない。
 竹の会で平成23年に小石川と桜修館に合格した。あのときは、3人が受けた。そのうち2人が受かったのである。これがどんなにすごいことかわかるだろうか。3人しかいない小6の中から2人受かるということの意味がどんなにすごいことなのかわからないであろう。大手の合格者数なんてまったく信用できない。模試に授業をセットして、それを申し込めば、それで合格すれば、その大手の合格者となる。だいたいどれくらいが通って、どれだけ落ちているのか。そちらを知りたいものだ。
 竹の会でわたしの指導を受けた子たちが、1年もすれば、早稲田進学会やその他の模試でトップクラスに名を連ねる、という、この事実だけもってしても、竹の会のやりかたを胡散臭いなどという親たちの見識は知れたものであることがわかる。
 だいたい、今年の都立戸山高校合格の過程だって、大手に通った子たちは、軒並み、最初は日比谷だ、西、戸山だと言っていたものが、最終的には、日比谷も西もいない、戸山は結局2人が受けただけで、合格したのは竹の会の中3だけだった、というのはどういうことなのか。他の生徒は、エナとか、早稲アカなどの大手にみな行っていたというのである。戸山も4人以上はいたはずのものが、結局2人受けただけで、みな下の都立に逃げてしまった、ということである。 特別のテキストかなにかしらないが、大手に通う子たちは、大手からもらったという特別のテキストを得意げにやっていたというのであるが、生徒も馬鹿なら親も馬鹿である。結局、その戸山に受かった子が、その生徒の中学校160人卒業生の中で一番上の都立だったという落ちまでついている。
 基本を疎かにして、基本もできていないのに、テキストを進めるの愚が大手の偽装のしかけである。生徒がわかっていようがいまいがかまわないのである。わからないのなら、別に家庭教師を雇ったり、さらに補習塾にでも通え、あるいは特別ゼミでも受けなさい、ということなのであろう。
 とにかく、思考形成というのは、全く望めない。竹の会で鍛えられた子たちが、大手の馬鹿小学生を全く問題にする必要はないということもわかった。
 竹の会では、できないとされている子たちでさえも、他塾ではなんとできる範疇に入るのだということもわかった。
 このような大手のシステムに子どもを預ける親の気が知れない。 

 

 
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