草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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2015年10月27日 08時21分57秒 | 
 おはようございます。このサイトで「草枕」を書くのも後わずかとなりました。「草枕」閉鎖まで残り5日です。
 gooの「草枕」は、当分の間、このままにして、読める状態にしておきたいと思います。
 旧HPには、この「草枕」の記事へリンクしたものが多く新HPでどこまでカバーできるのか、わかりませんが、とにかく新HPはグーグルのシステムに適合したものとなります。
 あと、このブログに、
「検索」機能をつけましたので、過去記事を簡単に探せるようになりました。是非一度お試しくださればと思います。

 
○方法が行き詰まったのならその方法はあっさり捨てること

 実は、今は時間のすき間があれば、たいてい都立西や日比谷の過去問を解いています。もちろんこれは「独自問題数学第2集」を書くためです。実は土曜日に考えてどうしても糸口を見つけ出せない問題がありまして、昨日は、また図を書き直して、考えていたのですが、よくよく考えれば、わたしほどの経験を積んだものが、解こうとして解けない、壁に突き当たる、というのであれば、早々にその着眼点は捨てるべきだったと思います。角度をいろいろ操作して導こうとしたのですが、ダメ、それでその方法をあきらめて、これはないだろうとい思いながら、30°、45°という角度に引かれるように補助線を引いて、辺の比を出していったら、見つかったわけです。もしこれが本番だったら、自分のアプローチがうまくいかないとき、何か見落としているのではないか、といつまでもその方法にこだわっていたら、第一巻の終わりでした。 早々と次の手に移ることだ。 受験のテクニックというのはそういうことだ。高校入試の数学なんだから、そんなに手があるわけではない。せいぜい2つであろう。端から「これはない」と決めつけていたら、実はこっちだったということである。問題を作る方が巧妙で上だったということであろうけれどしてやられたという感じです。

 
○将来進学重点都立(日比谷・西・戸山)をめざす小学生を募集しています!

  受験・受検しない、という小学生は、塾にはたいてい行ってないのでしょうね。 わたしは都立中をめざす小学生を指導していますから、よくわかるのですが、都立中受検のために鍛えた子たちというのは、仮に都立中に行けなくとも、公立中に進むことになったとしても、すでにしてトップクラスに立つことを約束された子たちだと思っています。いや、実際に、過去都立中に失敗して区立中に行った子たちの中には学年1番、2番といった報告をしてくる子たちがたくさんいます。竹の会でも都立中に失敗した小6をそのまま指導するということがある、すると学年トップクラスには少なくともあるというのはあたりまえでした。なぜ、都立中受検のための訓練をした子たちがこんなに区立中でできるのか。ただし、これは竹の会の子たちだけに言えることです。
 まず、基本が徹底して鍛えられている、というこです。計算も神の領域にまで達した子たちが99%です。100%といえないのは、1人は例外がいるということです。
 割合についても、徹底して鍛えます。竹の会では、早くにきた子なら、1年以上は割合を鍛えている。割合を鍛えるというのは、思考枠組みを形成する過程であり、さまざまな思考の素になる核を作るということです。竹の会では、割合を単に狭い意味での割合に限定していません。「単位あたり量」の考え方だって割合です。「速さ」も単位あたり量です。算数というのは、数学のように記号で考える学問ではない。とにかく、数学は記号を使って、仮定を積み上げていくけれど、算数というのは最初から情報不足で、記号を用いて仮定を積み上げるということはできないことになっている。
 だからこそ算数というのは、思考の妙を味わえるのです。面積図の利用というのは、よくやります。これは小学生には覚えてもらいたい。
 算数というのは、結局「比の思考」なのかなと思いますが、とにかく算数を極める過程というのが、思考形成には欠かせないわけです。
 都立中のための勉強は、総合格闘技のようなところがある。算数だけではダメ。国語を読み取る、資料を読み解く、重要な情報とそうでない情報を峻別する、ある程度の理科と社会の常識が求められる、作文を書くとはどういうことかも訓練しなければならない、こういう訓練の過程というのが、子どもたちをどうしあげていくか、予想に難くないでしょ。
 受検しないというので、何もしない子たちに比べて、かれらは将来中学に行ったときの基礎となる素養を積み上げていっているのです。
 竹の会にきて、一度でも割合なりの指導を受けてみればわかることですが、世の中の小学生というのは、ほとんどダメです。使いものにならない。学校で「よくできる」という子でも、竹の会のようなところで訓練した子たちにはまるで歯が立たないでしょ。 そもそも小学校の割合で何が学べるというのか。授業で1週間かそこらやって終わりでしょ。しかも小学校の教師がどこまで教えられているかである。
 いや巷の塾の先生気取りの講師、塾長もどこまで教えられるのか、わたしは全く信用していない。 大手では8割は落ちこぼれでしょうが、そういう子たちがまず割合の本質を理解できてないということはよく知っている。なにしろ昔の竹の会にはそういう子たちがよく来たから。 
 小学生は訓練するとしないとでは月とすっぽんのちがいがある。 
 竹の会で割合の指導を受けた秀才たちは、竹の会の指導に、算数の難しいと思っていた問題が、簡単に解けるようになって、うそーと思ったということを言う。100%の子がそういう。
 ただし、凡才にはその価値がわからないようであるけれど。
 小学生で受検しないということが、勉強しないということであれば、それは中学に進んでも、底辺にいる、高校入試も底辺、そういうことである。
 少なくとも竹の会のような塾で鍛え上げられた子たちにはまず勝てないでしょ。
 勝負は小学の時にすでについていたのです。
 早くに、竹の会にくることです。竹の会と出会えるのは、ここ2、3年のことかもしれない。これからずっと竹の会があり続けることは決してない。
 竹の会はわたしの竹の会です。わたしがいなければ成り立たない。そのわたしがいつまであなたたちとの出会いを待っていられるか、そう長くはないでしょう。
 今わたしと、竹の会と出会わなければ、もう竹の会に出会うことはない。
 わたしは竹の会にきて、竹の会と出会った子たちが、そして親御さんたちが、竹の会と出会いを心から喜び、「幸運だった」といつも言っているのを知っています。
 だってわたしには嘘偽りはないのですから。 いつも子どもたちのことを考えて、必死に取り組んできたのですから。
 もう竹の会に出会える、という機会はそんなにはないでしょう。わたしの限界も近づいているからです。

 
○今日は、閉鎖となる竹の会のホームページのリンク記事をできるだけブログにコピーしておこうと思い立ちました。
  2004年から書き継いできた、わたしの「草枕」。竹の会の「草枕」。
  わたしの思いが詰まった「草枕」。 悲しいときも、悲嘆にくれたときも、そして一瞬だけの喜びもみなこの「草枕」に凝縮されていた。
  母が死んだ、2007年12月18日の「草枕」はどうなっているのだろう、母が死ぬのをわかっていながら、東京で待つ塾生のもとに帰るため大分空港にいたあの日、流れる涙が止まらずに東京まで泣き続けたあの日、あの頃の「草枕」はどうなっているのだろう。きっとあの時からわたしの「草枕」は涙色に変わったにちがいない。母のいないこの世になぜいるのか、ずっと考えてきた、そういう「草枕」であったにちがいない。もうすぐお別れです。この「草枕」を閉じます。いままでのご愛読をほんとうに感謝しております。ありがとうございます。
 
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