草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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納谷味先生 7 

2010年03月02日 12時30分17秒 | 
○来年度の都立高校入試まで1年を切る!

 昨日, 3月1日 都立一般入試の合格発表がありました。2月23日の選抜試験を受けてのものです。竹の会では, 唯一いた都立志望の生徒がすでに推薦で合格を決めています。
 都立富士クラスを推薦で合格するというのは, なかなか大変なことなのです。特に女子は男子よりも倍率は傾向的に高めです。合格確実と目されるのは, 素内申43以上です。つまり9科目中4が許されるのは2科目以内でなければならないのです。
 特に都立富士は定員が半分に減りました。附属中学ができたためです。この附属中学や都立一貫校化の影響で, 都立富士クラスの受験はかなり厳しくなることが予想されます。
 ところで, 竹の会の現中2の皆さんが, 来年度の高校入試を控えてこの時期をどのように過ごすかはかなりに重要な意味をもつと思いますので, 老婆心ながらもう一度注意を喚起しておきたいと思います。
 実は, 中1から中2の今までの来し方の勉強量が, これからの成績を大きく左右するのだということをまず知っておいてもらわねばなりません。
 つまり, 中3になって伸びるかどうかは, 中1になった4月(正確には小6の2月, 3月)から, 中2の2月までの勉強量が大きく影響するということです。
 私は常々トップ校へ合格するには中1から1日5時間以上の勉強を継続する必要があるということは説いてきました。
 ところが多くの生徒の中学生活のパターンは, 勉強するそぶりを見せるのは中1になった当初だけで, しだいに部活などを口実にほとんど勉強しなくなります。特に中2の過ごし方は致命的です。中だるみの時期ということでほとんど勉強しなくなります。さて, それで中3になっていよいよ高校受験だというので, がんばろうと思ってみてももう手遅れなのです。中2の時期に英文解釈を毎日何時間もやってきた子, ひたすら勉強してきた子たちと同じスタート地点にたって勝てるわけがないのです。それまでに勉強一筋にきた子たちはこれからもそれ以上にがんばることでしょう。それまでに培ってきた知識をさらに豊かにし相乗的に力をつけていくのです。
 それまでにほとんど勉強してこなかった子たちがこれから勉強に頑張るとしても出発地点における知識的蓄積はほとんどないに等しいはずです。全くのゼロからのスタートになる子が実は中学の多数派なのです。彼らはすでに表示圏外です。高校入試の勝敗はすでに中学入学の時点にあったということです。
 というか, 逆に, 都立の過去問を見て, 英語なり数学なりを50分という制限時間内に, 共通問題なら90%, 独自問題なら70%をとれるようになるかを, 逆算してみれば, 中3になって4月から秋のV模擬などのシーズンまでに5か月から8か月しかないのです。今の実力がどの程度かによって, これからつけられる実力もわかります。今の実力が高ければ高いほど伸びてゆくということです。逆に, 今の実力が低ければこれからついてゆく実力は知れたものであるということです。特に英語などは基礎的な力さえない生徒はこれからいくら頑張っても下がる一方です。
 ここで私が書いていることは, これから新中1になろうとする現小6の皆さんへの警告でもあります。竹の会には3名の新中1がいます。これから2年間決して手を抜かないで勉強に邁進してほしいと願っています。1日5時間を「実行」できる意志というのはその人を突き動かす何かがなければできません。勉強への強い情熱がなければできません。そういう人はだから能力の高い人が普通です。そういう意志が持ち続けられないのであれば, はやばや勉強することから退散するしかないでしょう。中2の3月になって, 表示圏外にあるか否かはすべて自らの意志が決めることです。
 竹の会では, 合格するか否かは, 「実行力」にあるということはすでに自明のことです。
 私の出す課題を「遣り残さないで」実行するのか, それとも何十枚もためるのか, です。
 合格する子は, 実行する子です。責任感の強い子です。
 怠ければ落ちます。当面の課題を回避すれば落ちます。私の出した課題レジュメが, どっさりと溜まれば落ちます。溜まるというのは性格的にまじめな子の場合で, やらないで放り出す子はどっさりと廃棄すればとなります。私の指示をスルーし続ければ, 直前にいくらがんばる体裁をとったとしても落ちます。

 私は, 現中2にすでに1日5時間の勉強量を要請しています。
 独自校の新宿・富士・青山レベルを念頭に置いて, 私はこれからの指導計画をたてるでしょう。私はこれまでに私が出した課題レジュメが何十枚も返ってこなかったという過去を決して忘れてはいません。そして私が3月までにやりあげることを求めた「新英語指導案」の取り組みが甘すぎるということを危惧しています。なかなか進まないのも問題です。また間違いがほとんど再学習されないままに同じ間違いを繰り返すという兆候も問題です。正直, これから10か月後の状態に懸念をもたざるをえないのです。
 もう本当の闘いは始まっています。あなたたちはわかっていないのです。入試合格発表の日に入試というのが, 冷徹に厳格に「やらなかった」あなたを断じるということを。「もしかしたら」という甘い気持ちは全く通じません。受験は「やったもの」のみを合格させるのです。それはなにごとをも見通す神の目のように公平です。やったものは受かり, やらなかったものは落ちる。ただそれだけのことです。
 3月という受験指導の本格的なスタートに向けて, これが私の最初で最後の忠告です。それはこれからの君たちの実行力を信頼して, その上で私のたてた計画を実行しようと考えているからです。もし1日5時間を実行しないのなら, 私の計画はもろくも崩れてしまうでしょう。5時間を実行した君たちを私は独自校への合格へと導く決意です。

◎合格したら遊ぶ?

 苦しい受験勉強をしているとき, 「合格したら遊びたい。」と思ったこともあるでしょう。事実, 合格した途端に全く勉強しなくなり, 部活や遊びにそのほとんどの生活を費やすという人もたくさんいます。
 反対に, 不合格になって, それまでの苦しい受験勉強がやはり影響して全く勉強しなくなるという子も多数います。こちらは部活に熱中するでもなく, とにかく無気力というパターンが多いと思います。特に, 大手の進学塾なんかで猛烈に勉強をやらされて失敗したという子は公立中へ入るとまず99%がこの無気力症候群を呈します。
 しかし, 竹の会ではこれは皆無です。むしろ小学時代に培った割合などの力を発揮して奮闘する子が多いように思います。
 ところで, ここで本当のことを言わなければなりません。
 中学受験で一生懸命に勉強して, 合格し, さあこれから学園生活をエンジョイしようと考える輩もたくさんいるでしょう。特に慶應などの大学附属校ではそうだと思います。これが東大進学校系列だとまた違います。
 慶應などは中学入試もとても難関です。ましてや慶應高校に至ってはできる奴ばかりが集まっています。そのはずでした。ところが, 大学に進んでその実態を見ると, 中学入試で入学した者は6年間ほとんどまともな勉強をしなかったため, 高校入試で入学した者は3年間ほとんど勉強しなかったため, 熾烈な大学受験を乗り越えて入学してきた者にまるで歯が立たないことになってしまったいるのです。つまりは, どんなに優秀でも怠ければただの凡人に陥ってしまうと言うことです。
 公立小から公立中へ, そして都立へというコースを考えてみますと, 入学後は受験勉強以上の勉強をしなければダメだということは自明の事実です。よく中学の時の秀才が高校では落ちこぼれます。これは彼らの誤解があるのです。高校は高校受験のためにあれだけ勉強したというくらい勉強して入ったわけですが, 高校入学後は, それ以上に勉強するのが当たり前なのです。これをあたりまえと思えなかったことに失敗があります。また高校は中学のように緩慢な進度ではありません。科目もいきなり専門化します。並大抵の勉強量ではとても太刀打ちできません。高校では1日7時間の勉強があたりまえです。
 あの東大にしてそうです。東大合格後, 東大合格のために勉強した以上の勉強をする人と合格したことで浮かれて, 部活やアルバイトなどに時間を費やす人とに分かれます。合格後も毎日講義が終われば図書館が閉まるまで勉強するという東大生もいます。そして国家公務員にトップテンで合格したりするわけです。
 トップ都立でも同じです。合格後勉強する子と落ちこぼれる子に分かれます。
 あの天下の開成高校や灘高校でも落ちこぼれがたくさんいるのです。ああいう名門進学校となると勉強しないのが少数派だと思うのですが, 現実は違うようです。一つには, 合格したときが頂上であったというケースが往々にしてあるということです。
 これは実はどのレベルの学校でも言えます。とにかく合格さえすればというので, ギリギリ合格させる。ところが本人はそれで能力の限界ぎりぎりでもはや余力がなというものです。
 落ちこぼれるというのは, ずるずる引きずるからです。頭の切り替えができないのです。「合格したら遊ぶ」などという受験を引きずるような頭だと結局落ちこぼれるか凡人となるのです。

◎理科・社会の勉強法

 中学受験では, 今ではたいてい4科目受験が主流だ。中学受験の場合, 算数の難解さ, 国語読解文の高度さを考えると, 理科社会の負担はかなりのものである。偏差値の高いところではかなり細かい知識が問われる。この負担に耐えられず, 2科目で受験できるところを探すことにもなる。ところが昨今は少子化で4科目に固執していると生徒が集まらないので適宜2科目受験を取り入れるところもある。
 そらにしても四谷大塚や日能研が小4期から理科社会をというのも入試の現状を考えるとやむを得ないともいえる。
 さて, 高校受験では, 英語は必須としても, 理科・社会が必須なのは主に都立や国立のみだ。私立で理科・社会を課するのは超例外で, 私立はたいてい国・数・英の3科受験だ。
 だから, 高校入試で理科・社会の話しとなると主として都立受験の場合の話しだ。
 ところで, この都立受験に際して, 理科・社会がとれない子が実に多い。学校の定期テストでは, 90点以上をとる子が, 都立の問題では直前がんばって60点から70点というパターンが定型化している。私などは, そういう事例を多数見てきたので, いつも「またか」と思ってしまうほどである。そして, この「理科社会り点数をとれない」症候群はかなりに深刻で, 治癒の方法がないくらいに不治の病化してしまうのである。
 私はこのブログでも, 理科社会を得意とし者の話しを何度かとり上げてきた。そちらのほうも是非読んでもらいたい。

 ●高校入試の理科・社会の対策

 形式的対策
  まず, 細かい方法に入る前に, 注意点がある。
  ・地理については, 地図帳を座右に置いて勉強しろ!
  ・歴史については, 重要年表をまず覚えてしまえ!
   →語呂合わせがベスト
  ・理科は, 基本テーマ(40ほど)についての計算問題をマスターしてしまえ!

 その上で, 受験勉強の方法については, 竹の会配布のテキストを「例の方法」でつぶしていきます。
 「例の方法」とは, 竹の会の会員の中2なら, わかっているはずです。私がいつも説明してますよね。

 ●中学入試の理科・社会の対策

 知識が膨大すぎて, 大手のようにやっていたのでは, 時間もありません。
 そこで, 今竹の会で進めているのが, 理科・社会を「理解する」という勉強法です。平板な知識を知識のままに「暗記する」ことは, 思考には害です。知識というものは, 覚えれば覚えるほど思考力を不活発化します。知識を思考を害しないように脳に入れるには, 思考にもその知識にかかわらせることが必要です。ただ無意味に暗記するというのは, 思考の最も嫌うことです。それは思考の存在を抹殺するものです。
 それでは, どうすればよいのか。
 よく年表などを語呂合わせで覚えますね。これは語呂合わせの内容の部分で思考がかかわっています。だから, 思考も参加しているといえます。語呂合わせを自分で「考える」と思考も十分はたらいたという意識があるでしょう。
 しかし, ここで私が思考に参加させるというのは, そういう語呂合わせのことではありません。
 ひとつひとつの知識にストーリーを盛り込め! ということです。知識のいわれ, 由縁を作れというわけです。全くの創作でもいいし, 詳しい書物を調べて知る由縁でもかまいません。とにかく思考というのは, 平板な知識に何か「いわれ」があれば満足なのです。思考の体面は保てたといえるのです。
 たとえば, サイフォン式のコーヒーでは, 最初アルコールランプで温めた水が上の容器に管を通して上がっていきます。そして火を消すとまた冷えてお湯がしたにコーヒーとなって落ちていく。これをそのまま覚えてはだめです。ここには, 密閉された中で水が沸騰して水蒸気になったときには, 体積はそれまでの約1700倍にもなるという「いわれ」が隠されているのです。だから, その水蒸気圧に圧されて, 水が上に上がってゆくのです。1700倍というのは, 身長1.7mの人なら2890mです。これならあの蒸気機関車が蒸気圧で鉄の塊である機関車を引っ張る力を出すというのも理解できるできありませんか。
 このようにある「いわれ」「ゆえん」を知識にストーリーとして固めてゆくのです。「いわれ」や「由縁」は自作のものでもいいこともあります。たとえば, 最高裁判所の判事の定年は70歳だったと思うのですが, なぜこんなおじいさんになるまでいいことにしたのかなどと考えるわけです。それで法律の仕事というのは, 年をとってもやれる, いや経験がものをいうのかななどと自分で自作の「いわれ」を考えればいいのです。ここで思考のはたらく働きどころを作ってやることなのです。ただ丸暗記で70歳など口で唱えて終わりにしてほしくないのです。
 理科でも社会でも, 思考を無視した暗記ばかりを時間をかけてやっているから, 点がとれなくなるのです。
 都立入試で理科や社会をとれないという生徒が特に学校でできる生徒に多いというのは, まじめで几帳面に暗記しようとするからかもしれません。
 理科と社会の形式的な勉強の方法は竹の会の「例の方法」でいいのですが, その前に, 思考を無視しない勉強というものを考えてみてください。





 
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