◎3月
竹の会の2月と3月は, 閑散としたものというのは変わりない。受験も2月9日の発表で早々と終わった。今年は高校入試の一般受験もなかった。早々と2月2日で合格を決めてしまったからだ。
残った子たちが, 熱心に指示にしたがって, 勉強してくれているのが, うれしい。「考える」という習慣を当然のようにとる, そういう心性が私を安堵させる。
「わからない」といって, 放棄する子もいない。ただ, 「わからない」ままに, 時間が過ぎてもはや「飽きてきた」様子が, 時としてそして複数の子らに散見される。
「わからない」ときにとる態度はいろいろである。以前は, 問題を見て「わからない」と騒ぎだす子やマンガを描いたりやいたずら書きをする子, いたずらをする子, 周辺にちょっかいを出す子, やたらおしゃべりをする子, 姿勢を崩してしまりのない子, 居眠りを始める子と散々であった。
なににも増して, きびきびした態度がなく, だらりとした弛緩した態度が, 私には指導が崩れていく虚しさを感じさせた。
今でも, 時折, 「わからない」とある種のけだるさを見せる子らが時折散見される。
気をつけて見てはいる。「わからない」が20分, 30分も続くと, そろそろ危険信号が出る。
「わからない」の原因が, 自分の読解の守備範囲をはるかに超えていると, 欠伸が出る, 眠くなるという幼い子もいる。これはあわてて指示を差し替える。入会してまだ間もない時期は, まだ私のほうが能力の段階を掴みきれていないのでそういうこともままある。
「取りつく島がない」。「わからない」のひとつの現象である。割合上級者が, 暁星などの問題に「取りつく島がない」という症状を呈する。これと割合中級者が「わからない」というのとは, 事情が異なる。後者は, 原理的な問題で, 割合の原理そのものをまだ十分に生かしきれていないところから「わからない」のだ。前者は割合は完全に「わかっている」。その上で, 取り組んでいる。そして自己の思考の働かせどころが「わからない」のだ。
割合を学びたての者が「わからない」というのは, また違う。こちらは割合そのものを, 理解していないから, 「わからない」のだ。割合の概念を理解したかどうかを練習問題でチェックする。そのとき「わからない」というのは, 実は割合の概念そのものが, 脳の理解エリアにはない。この「わからない」は, 事情が異なる。
「転移」という概念
よく算数指導においては, 「転移効果」ということばが使われる。割合の基本の考え方を教える。そしてそのしくみを練習問題で練習し, 理解度を確認する。そういうときに, 他の問題に対したときに, 「転移」する子としない子に分かれる。「似たような」状況と理解して新事態にすんなり理解を転移できる子とそそういう転移が全く生じない子とがいる。これを知能の差といってしまえばそれまでだが, 算数や数学の指導においては, 「いかにして転移するか」が, 指導の際の目の付けどころであることは言うまでもない。
レジュメ指導は, 連続した転移の効果をになうように作成するのが, 難しい。そういうところを考えながら, 作成するので, なかなかに骨の折れる仕事である。
ここで割合のある側面をレジュメ化する。すると次には, その理解を前提に「いかに転移させるか」が, 次のレジュメ作成の落としどころとなる。そいうことを考えながら, 創作する。
「指導」の成否
「指導」の成否は, 素直さと実行力にかかる。特に, 実行をともなわない指導は空振りに終わる。課題をやらないままに「ためていく」子は間違いなく受験に失敗する。
実行力は, 「責任感」を前提にしてある。責任観念の希薄な者は平気で課題を「うやむや」にする。課題を「うやむや」にする子は間違いなく受験に失敗する。
責任観念というのは, 幼さからの脱却を前提とする。幼さというのは, 裏から言えば, 「甘え」に満ちているということである。課題をやらなくても平気でいられるのは根底に甘えがあるからである。甘えることで許されるという習慣があるからである。
考えるというのは, 大人になるということである。大人というのは自分の行動に責任をとれる覚悟で行動するということである。考える「主体」の確立こそ肝要ということである。
◎小説「納谷味先生の独白」(7)訂正版
「先生、角の金田に泥棒が入ったらしいですよ。」とゲンさんが、例によってひょうひょうと話し出す。
ゲンさんというのは、例によって先生のつけた呼び名で、本名は椎葉寅吉、年の頃は四十そこそこ、仕事は大工、本人によれば京都で宮大工の仕事をしていたが、仕事がなく、転々と流れてようやくこの辺りに落ち着いたということだ。先生が床の間を増築したときからこの家に出入りしている情報通だ。
ゲンさんは、皿に盛られた塩大福を1つとると、うまそうに食べながら、ほうじ茶をすする。
「いやなにね、その金田というのは、高利の金貸しをやっているとかで、あまり評判のよくねえ野郎なんですが、その日はたまたま奥さんが子供を引き連れて実家に里帰りしてたとかで、一人で二階に寝てたらしいんですよ。なかなか用心深い男らしくてしっかり戸締りしてたらしいんですが、賊は階下のガラスを壊して中に入ったようです。階下の部屋という部屋を物色した後があり、奥さんの宝石類をごっそりもっていかれたらしいですよ。きょうも警察がきてなにやら話しこんでいるようですが、結局、つかまらねんでしょうね。ふぅー。」 とゲンさんは、一気呵成に喋り終える。
「警察もそんな泥棒くらいじゃ、熱心に動いてくれないでしょうね。全く泥棒や強盗と犯罪は増えるばかりで嫌な世の中になりましたね。金田の奴は許せない奴ですが、泥棒は許せない。それにしても泥棒というのは江戸の昔からなくならないものですね。社会というものがどうしても作り出してしまうということですか。社会に内在するものということですか。」と迷羊君は、興奮を隠さない。
先生がぽつりと口を開く。
「警察も空き巣くらいだと書類は作ってもなかなか手が回らない。近頃は、犯罪もIT化して、銀行のATMからカードの暗証番号を盗聴して偽造カードを作り、そっくり金を引き出すなんて手口も巧妙化しています。警察は今のところこの手の犯罪にはお手上げの状態らしいです。被害が出ても銀行のほうは不可抗力だから責任はないとかいってとりあわないらしい。自分の都合で勝手にATM化し、機械を設置する。人件費節約して楽しているのは銀行のくせに関係ないとはよくいったもんです。そのくせ手数料だけはしっかりとっている。預けても利息はほとんどゼロときているから、まったく虫のいい話しです。機械を設置してしまえば、何があっても当方には関係がないとはいえないでしょう。第一、預金者はなにもかかわってない。むしろ機械の設置管理といった支配は銀行にある。これからこの手の訴訟が増えてくるでしょうね。それにしても犯罪者側は見事なまでにITを先行しているのに、警察は後手後手です。ITの進んだインドなんかみても日本は遅れている。犯罪者の方が警察の先をいっているということですね。」
珍しく先生が世相を切る。私もこれはチャンスとばかりに話しの火に油を注ぐ。
「先生、警察が何もしないというのは、ほんとうですよね。北朝鮮の拉致が続いていた時期、政府も警察も、拉致なんて存在しないとまるで相手にしなかったらしいですね。行方不明者があれだけ出ても家出とかで片付けて未解決の書類が平気で山積みにされていたんですよね。日本の警察は何もしなかった。政府も相手にしなかった。政党も相手にしなかった。マスコミの報道も尻切れトンボでいつも何か言って終わり。いったいマスコミは何を報道してきたんでしょう。政府の広報のみを馬鹿正直に伝える御用新聞といわれても仕方ないでしょう。だいたい営業つまりは視聴率第一のテレビは信用できない。どこまで真実を報道できる状況にあるのか疑問だらけですよね。」
「迷羊君、なかなか鋭い指摘ですね。北朝鮮という理不尽にどう対応したらいいのでしょうかね。アメリカや中国はまた見方が違ってくる。いずれも大陸の国は悠長なものです。中国にいたっては、北朝鮮を悪戯の過ぎる悪餓鬼程度にしか見ていないですね。北朝鮮もこのへんは心得ていて中国という大人には逆らわない、いたって従順なもんです。アメリカにだって本気で逆らってはいない。大陸は強いですよね。そこにくると、日本はまあ組みし易い相手なんでしょうね。なにしろ平和ボケして、スパイは何の危険もなく活動しほうだいらしいですからね。自衛隊は実戦経験もない、サラリーマン軍隊ですから、とても命をかけて戦うなんて気持ちも据わっていない。軍備は世界第二位でもイスラエルのように日々が生死の境なんてこともないしね。何かあればアメリカがなんとかしてくれると高を括くっているようなとこもある。事の是非はともあれアメリカの人たちは自国の若い兵士の血を流してきた。これに対して、日本は日本人の血を流してはいけないという暗黙の前提があり、マスコミに出てくる日本の知識層は大体この暗黙の前提で論を進めている。憲法9条を絶対とする頑迷な護憲主義者たちは、突如として他国の攻撃を受けることがかなりの程度に真実味を帯びてきた現代、自衛のための反撃は出来る、しかし自衛のためだからその反撃方法も限定されてくる、などと愚にもつかないことをいう。私は決して憲法改正論者ではないが、これでは国民は殺されほうだいで、幼稚な反撃だけが認められるといっているようなものです。戦争とは、義経や信長の桶狭間の戦いに見られるように、先制攻撃、機微を見定めた高度な戦略(駆け引き)を要することなのであり、なんとも悠長な平和ボケした自衛論には言葉もありません。私は、決して戦争が不可避だなんて言っているのではありません。いや、現代のパレスチナとイスラエルの終わりのない殺し合いを見ていると、民族主義というのはいったいなんなんだろう。人と人が殺しあうことを正当化してしまう恐ろしい原理主義のような気がしてきます。また、他国にみる宗教は殺し合いの歴史であったではないですか。日本でも島原の乱では多くのキリシタンが殺されましたし、信長は何千人もの一向宗徒を虐殺しました。西洋ではキリスト教というのは、切っても切り離せない。イスラム教にしても、いやむしろ宗教という名のもとにどれだけの人が殉教してきたことでしょうか。安寧な死を決してもたらしてくれない宗教っていったいなんなのでしょうか。世の中にはびこる様々なまやかしに私たちはどのように処してゆくべきなのでしょうか。「民族」という名の殺戮、「宗教」という名の殉教、「民主主義」という名の横暴(多数決によるダム建設, 道路建設ひいては環境破壊)、レジャーという名のゴルフ場建設による環境破壊, 「東大」「早慶」という大学ブランド化、勘違いのエリート意識で救いようのない弁護士, 医師, 社会にはびこる「いじめ」という人の心の病、親の「虐待」というなにやらの前兆、「ヨン様症候群」はミーハーのなれの果てとしても、国民の40パーセント以上が紅白を見ているという不気味さ、集団的に全体的に操作され易い国民性が怖い。精神的に病む人に満ちた鬱屈の受け皿としての「社会」。いずれも私たちの社会は脅威に溢れている。腐敗した日本の組織、官僚組織も大企業も日本津々浦々が制度の空洞化と組織の状況化が進みつつある現代を見据えて今人類に与えられた難題に無力な私たちは沈黙するしかないのです。 庭の木々に降り注ぐ太陽の光にほっとしたひとときがあります。人にこの『ほっとしたひととき』を与えてくれる社会、世界とはなんなのでしょうかね。」
そう言われると、先生は悲しそうな顔をして冷めたほうじ茶をひとくち口に含みました。私には、先生の目になにやら涙らしきものが光ったようにみえました。いやあれは確かに涙でした。先生はそれっきりもう何も言われずただ庭の植物たちを優しい眼差しでいつまでもいつまでも見入っていました。
私たちがそっと退散したのは言うまでもありません。
平成22年度入試結果(一般入試・第一志望)
●高校入試 1名
都立富士高等学校 合格(推薦)
代々木中 女子 倍率4.50倍
●公立中高一貫校入試 2名
都立両国高等学校附属中学校 合格
港区立赤坂小 6年 男子 倍率8倍
都立桜修館中等教育学校 合格
渋谷区立神宮前小 6年 男子 倍率4.60倍
●国立 1名
東京大学教育学部附属中等教育学校 合格
渋谷区立本町東小 男子 倍率5.90倍
竹の会の2月と3月は, 閑散としたものというのは変わりない。受験も2月9日の発表で早々と終わった。今年は高校入試の一般受験もなかった。早々と2月2日で合格を決めてしまったからだ。
残った子たちが, 熱心に指示にしたがって, 勉強してくれているのが, うれしい。「考える」という習慣を当然のようにとる, そういう心性が私を安堵させる。
「わからない」といって, 放棄する子もいない。ただ, 「わからない」ままに, 時間が過ぎてもはや「飽きてきた」様子が, 時としてそして複数の子らに散見される。
「わからない」ときにとる態度はいろいろである。以前は, 問題を見て「わからない」と騒ぎだす子やマンガを描いたりやいたずら書きをする子, いたずらをする子, 周辺にちょっかいを出す子, やたらおしゃべりをする子, 姿勢を崩してしまりのない子, 居眠りを始める子と散々であった。
なににも増して, きびきびした態度がなく, だらりとした弛緩した態度が, 私には指導が崩れていく虚しさを感じさせた。
今でも, 時折, 「わからない」とある種のけだるさを見せる子らが時折散見される。
気をつけて見てはいる。「わからない」が20分, 30分も続くと, そろそろ危険信号が出る。
「わからない」の原因が, 自分の読解の守備範囲をはるかに超えていると, 欠伸が出る, 眠くなるという幼い子もいる。これはあわてて指示を差し替える。入会してまだ間もない時期は, まだ私のほうが能力の段階を掴みきれていないのでそういうこともままある。
「取りつく島がない」。「わからない」のひとつの現象である。割合上級者が, 暁星などの問題に「取りつく島がない」という症状を呈する。これと割合中級者が「わからない」というのとは, 事情が異なる。後者は, 原理的な問題で, 割合の原理そのものをまだ十分に生かしきれていないところから「わからない」のだ。前者は割合は完全に「わかっている」。その上で, 取り組んでいる。そして自己の思考の働かせどころが「わからない」のだ。
割合を学びたての者が「わからない」というのは, また違う。こちらは割合そのものを, 理解していないから, 「わからない」のだ。割合の概念を理解したかどうかを練習問題でチェックする。そのとき「わからない」というのは, 実は割合の概念そのものが, 脳の理解エリアにはない。この「わからない」は, 事情が異なる。
「転移」という概念
よく算数指導においては, 「転移効果」ということばが使われる。割合の基本の考え方を教える。そしてそのしくみを練習問題で練習し, 理解度を確認する。そういうときに, 他の問題に対したときに, 「転移」する子としない子に分かれる。「似たような」状況と理解して新事態にすんなり理解を転移できる子とそそういう転移が全く生じない子とがいる。これを知能の差といってしまえばそれまでだが, 算数や数学の指導においては, 「いかにして転移するか」が, 指導の際の目の付けどころであることは言うまでもない。
レジュメ指導は, 連続した転移の効果をになうように作成するのが, 難しい。そういうところを考えながら, 作成するので, なかなかに骨の折れる仕事である。
ここで割合のある側面をレジュメ化する。すると次には, その理解を前提に「いかに転移させるか」が, 次のレジュメ作成の落としどころとなる。そいうことを考えながら, 創作する。
「指導」の成否
「指導」の成否は, 素直さと実行力にかかる。特に, 実行をともなわない指導は空振りに終わる。課題をやらないままに「ためていく」子は間違いなく受験に失敗する。
実行力は, 「責任感」を前提にしてある。責任観念の希薄な者は平気で課題を「うやむや」にする。課題を「うやむや」にする子は間違いなく受験に失敗する。
責任観念というのは, 幼さからの脱却を前提とする。幼さというのは, 裏から言えば, 「甘え」に満ちているということである。課題をやらなくても平気でいられるのは根底に甘えがあるからである。甘えることで許されるという習慣があるからである。
考えるというのは, 大人になるということである。大人というのは自分の行動に責任をとれる覚悟で行動するということである。考える「主体」の確立こそ肝要ということである。
◎小説「納谷味先生の独白」(7)訂正版
「先生、角の金田に泥棒が入ったらしいですよ。」とゲンさんが、例によってひょうひょうと話し出す。
ゲンさんというのは、例によって先生のつけた呼び名で、本名は椎葉寅吉、年の頃は四十そこそこ、仕事は大工、本人によれば京都で宮大工の仕事をしていたが、仕事がなく、転々と流れてようやくこの辺りに落ち着いたということだ。先生が床の間を増築したときからこの家に出入りしている情報通だ。
ゲンさんは、皿に盛られた塩大福を1つとると、うまそうに食べながら、ほうじ茶をすする。
「いやなにね、その金田というのは、高利の金貸しをやっているとかで、あまり評判のよくねえ野郎なんですが、その日はたまたま奥さんが子供を引き連れて実家に里帰りしてたとかで、一人で二階に寝てたらしいんですよ。なかなか用心深い男らしくてしっかり戸締りしてたらしいんですが、賊は階下のガラスを壊して中に入ったようです。階下の部屋という部屋を物色した後があり、奥さんの宝石類をごっそりもっていかれたらしいですよ。きょうも警察がきてなにやら話しこんでいるようですが、結局、つかまらねんでしょうね。ふぅー。」 とゲンさんは、一気呵成に喋り終える。
「警察もそんな泥棒くらいじゃ、熱心に動いてくれないでしょうね。全く泥棒や強盗と犯罪は増えるばかりで嫌な世の中になりましたね。金田の奴は許せない奴ですが、泥棒は許せない。それにしても泥棒というのは江戸の昔からなくならないものですね。社会というものがどうしても作り出してしまうということですか。社会に内在するものということですか。」と迷羊君は、興奮を隠さない。
先生がぽつりと口を開く。
「警察も空き巣くらいだと書類は作ってもなかなか手が回らない。近頃は、犯罪もIT化して、銀行のATMからカードの暗証番号を盗聴して偽造カードを作り、そっくり金を引き出すなんて手口も巧妙化しています。警察は今のところこの手の犯罪にはお手上げの状態らしいです。被害が出ても銀行のほうは不可抗力だから責任はないとかいってとりあわないらしい。自分の都合で勝手にATM化し、機械を設置する。人件費節約して楽しているのは銀行のくせに関係ないとはよくいったもんです。そのくせ手数料だけはしっかりとっている。預けても利息はほとんどゼロときているから、まったく虫のいい話しです。機械を設置してしまえば、何があっても当方には関係がないとはいえないでしょう。第一、預金者はなにもかかわってない。むしろ機械の設置管理といった支配は銀行にある。これからこの手の訴訟が増えてくるでしょうね。それにしても犯罪者側は見事なまでにITを先行しているのに、警察は後手後手です。ITの進んだインドなんかみても日本は遅れている。犯罪者の方が警察の先をいっているということですね。」
珍しく先生が世相を切る。私もこれはチャンスとばかりに話しの火に油を注ぐ。
「先生、警察が何もしないというのは、ほんとうですよね。北朝鮮の拉致が続いていた時期、政府も警察も、拉致なんて存在しないとまるで相手にしなかったらしいですね。行方不明者があれだけ出ても家出とかで片付けて未解決の書類が平気で山積みにされていたんですよね。日本の警察は何もしなかった。政府も相手にしなかった。政党も相手にしなかった。マスコミの報道も尻切れトンボでいつも何か言って終わり。いったいマスコミは何を報道してきたんでしょう。政府の広報のみを馬鹿正直に伝える御用新聞といわれても仕方ないでしょう。だいたい営業つまりは視聴率第一のテレビは信用できない。どこまで真実を報道できる状況にあるのか疑問だらけですよね。」
「迷羊君、なかなか鋭い指摘ですね。北朝鮮という理不尽にどう対応したらいいのでしょうかね。アメリカや中国はまた見方が違ってくる。いずれも大陸の国は悠長なものです。中国にいたっては、北朝鮮を悪戯の過ぎる悪餓鬼程度にしか見ていないですね。北朝鮮もこのへんは心得ていて中国という大人には逆らわない、いたって従順なもんです。アメリカにだって本気で逆らってはいない。大陸は強いですよね。そこにくると、日本はまあ組みし易い相手なんでしょうね。なにしろ平和ボケして、スパイは何の危険もなく活動しほうだいらしいですからね。自衛隊は実戦経験もない、サラリーマン軍隊ですから、とても命をかけて戦うなんて気持ちも据わっていない。軍備は世界第二位でもイスラエルのように日々が生死の境なんてこともないしね。何かあればアメリカがなんとかしてくれると高を括くっているようなとこもある。事の是非はともあれアメリカの人たちは自国の若い兵士の血を流してきた。これに対して、日本は日本人の血を流してはいけないという暗黙の前提があり、マスコミに出てくる日本の知識層は大体この暗黙の前提で論を進めている。憲法9条を絶対とする頑迷な護憲主義者たちは、突如として他国の攻撃を受けることがかなりの程度に真実味を帯びてきた現代、自衛のための反撃は出来る、しかし自衛のためだからその反撃方法も限定されてくる、などと愚にもつかないことをいう。私は決して憲法改正論者ではないが、これでは国民は殺されほうだいで、幼稚な反撃だけが認められるといっているようなものです。戦争とは、義経や信長の桶狭間の戦いに見られるように、先制攻撃、機微を見定めた高度な戦略(駆け引き)を要することなのであり、なんとも悠長な平和ボケした自衛論には言葉もありません。私は、決して戦争が不可避だなんて言っているのではありません。いや、現代のパレスチナとイスラエルの終わりのない殺し合いを見ていると、民族主義というのはいったいなんなんだろう。人と人が殺しあうことを正当化してしまう恐ろしい原理主義のような気がしてきます。また、他国にみる宗教は殺し合いの歴史であったではないですか。日本でも島原の乱では多くのキリシタンが殺されましたし、信長は何千人もの一向宗徒を虐殺しました。西洋ではキリスト教というのは、切っても切り離せない。イスラム教にしても、いやむしろ宗教という名のもとにどれだけの人が殉教してきたことでしょうか。安寧な死を決してもたらしてくれない宗教っていったいなんなのでしょうか。世の中にはびこる様々なまやかしに私たちはどのように処してゆくべきなのでしょうか。「民族」という名の殺戮、「宗教」という名の殉教、「民主主義」という名の横暴(多数決によるダム建設, 道路建設ひいては環境破壊)、レジャーという名のゴルフ場建設による環境破壊, 「東大」「早慶」という大学ブランド化、勘違いのエリート意識で救いようのない弁護士, 医師, 社会にはびこる「いじめ」という人の心の病、親の「虐待」というなにやらの前兆、「ヨン様症候群」はミーハーのなれの果てとしても、国民の40パーセント以上が紅白を見ているという不気味さ、集団的に全体的に操作され易い国民性が怖い。精神的に病む人に満ちた鬱屈の受け皿としての「社会」。いずれも私たちの社会は脅威に溢れている。腐敗した日本の組織、官僚組織も大企業も日本津々浦々が制度の空洞化と組織の状況化が進みつつある現代を見据えて今人類に与えられた難題に無力な私たちは沈黙するしかないのです。 庭の木々に降り注ぐ太陽の光にほっとしたひとときがあります。人にこの『ほっとしたひととき』を与えてくれる社会、世界とはなんなのでしょうかね。」
そう言われると、先生は悲しそうな顔をして冷めたほうじ茶をひとくち口に含みました。私には、先生の目になにやら涙らしきものが光ったようにみえました。いやあれは確かに涙でした。先生はそれっきりもう何も言われずただ庭の植物たちを優しい眼差しでいつまでもいつまでも見入っていました。
私たちがそっと退散したのは言うまでもありません。
平成22年度入試結果(一般入試・第一志望)
●高校入試 1名
都立富士高等学校 合格(推薦)
代々木中 女子 倍率4.50倍
●公立中高一貫校入試 2名
都立両国高等学校附属中学校 合格
港区立赤坂小 6年 男子 倍率8倍
都立桜修館中等教育学校 合格
渋谷区立神宮前小 6年 男子 倍率4.60倍
●国立 1名
東京大学教育学部附属中等教育学校 合格
渋谷区立本町東小 男子 倍率5.90倍