ボクシングレヴュー

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新井田豊、突然の引退

2001年10月19日 | その他
10月19日、8月に世界タイトルを獲ったばかりのWBA世界ミニマム級
チャンピオン、新井田豊の突然の引退が発表された。

これにはボクシングファンの誰もが驚いたはずだ。世界王者が一度の
防衛戦も行わずに引退するのは、日本では初めてのことだったからだ。
そして新井田がまだ23歳と若く、同時にこれまでの日本人選手とは
比較にならないほどのセンスを持った「天才」として評価されていた
ことで、引退を惜しむ声、疑問の声が一層多く上がった。

引退の理由は「腰痛の悪化と、世界を獲ったことによる達成感から来る
気力の低下」と報じられた。しかしどうも釈然としなかった。

ボクシングは、ハードな割に身入りが少ないスポーツである。
日本チャンピオンの多くが、他の職業を持ちながら練習、試合をしている。
また世界に挑むにしても、挑戦者として手にするギャラはごくわずか。
世界を獲っただけでも駄目で、防衛戦をやってこそ初めて稼げるのだ。
つまり新井田にとって、ボクシングは「金」ではなかったということになる。

そんな厳しい中でボクサーがボクシングを続ける最大の理由は、
「ボクシングが好きだから」という思いである。しかし新井田は
日本チャンピオンになった頃、「ボクシングはあまり好きではない。
リングは嫌な感じのする場所」と語っている。つまりこれも動機にならない。

溢れんばかりの才能に恵まれたボクサーは、しばしばその才能を持て余す。
ライト・ヘビー級に上がってからというもの、力の差がありすぎる相手との
無気力な防衛戦を勝ち続けるロイ・ジョーンズ・ジュニアがいい例だ。
それでも彼がボクシングを続けるのは、刺激が欲しいからである。
自分を興奮させてくれるような強敵、自分の名をもっと上げてくれるような
ビッグ・ネームとの対戦をずっと望んでいるのだ。

ナジーム・ハメドにとっては、強烈な自己顕示欲がその動機となっている。
自分の強さをアピールし、スーパ-スターであり続けたいのだ。
フェリックス・トリニダードには、金銭、名誉に対する欲に加え、母国
プエルトリコに対する誇りがある。だが新井田にはそういう欲もなく、また
多くの日本人がそうであるように、母国への誇りも大した動機にはならない。

聞くところによると、新井田は世界チャンピオンになった数時間後には、
ジムの会長に引退の意思を伝えていたという。彼にとって世界チャンピオン
というのは最終目標であり、よって防衛戦などには興味もなかったのだ。

恐らく新井田にとって、ボクシングは自分の存在を証明するためのもの
であり、その目安が「世界チャンピオン」だったのだと思う。それは
「なりたい」ではなく、「ならなければならない」ものだったのだ。
彼はボクサーとしては珍しく、自分の過去を全く語らないので、なぜ
世界チャンピオンになろうと思ったのかは分からないが、とにかく
そうしなければ「始まらない」何かがあったのだろう。

確かに「大人たち」からすれば、新井田の引退決意は彼自身のわがまま
であり、莫大な金を出して世界戦を開催したジム関係者や、応援してくれた
ファンに対してどう責任を取るんだ、ということになる。
しかし「周りの人間に申し訳ないから」、そんな理由で続けられるほど
ボクシングの世界は甘くないのも事実だろう。

当然周囲の人間は彼を思い留まらせようと説得したが、最終的には
新井田本人の意思を尊重した。これはボクシング界の鉄則でもある。
本人の強いモチベーションがなければ、一瞬一秒が勝負のリングの上では
文字通り命取りにさえなりかねないからである。
やるもやめるも自分次第。もしかしたら新井田は、そういう所が自分に
合っていると思ってボクシングを始めたのかもしれない。

ボクシングは麻薬のようなもので、一度リングを降りてもまたいつか
やりたくなるとよく言われるが、新井田自身は「復帰は絶対にあり得ない」
とこれを強く否定している。動機が「世界チャンピオンになること」だけ
だったとすれば、確かにもう彼にボクシングを続ける理由はない。

今後は、以前から好きだったジュエリー関係の店を開くことを目標とし、
すでにそのための資金も貯めているという。ボクシングは終わったが、
新井田の人生における「戦い」は、今始まったばかりであるとも言える。
いずれにせよ、自分自身の納得の行く人生を歩んで欲しいと思う。