苦節7年でようやくタイトルを掴んだ内藤が、衝撃的なKOで
初防衛に成功した。タイムは何と、1ラウンド24秒。
2001年7月、坂田健史との日本フライ級タイトルマッチでは
引き分けで涙を飲んだ。その後なぜか世界ランク入りを果たし、
敵地タイで挑んだ世界戦。試合前から「無謀」と批判されたその戦いは、
わずか34秒、フライ級の世界戦史上最短記録でのKO負けという、
これ以上ないほどの惨敗だった。
当然のごとく叩かれまくった内藤は、しかしそこで終わらなかった。
日本ランク1位まで浮上し、ついに迎えた今年4月のタイトル再挑戦。
名古屋の無敗王者・中野博に完勝し、悲願のベルトを手にしたのだった。
苦労して獲ったタイトルだから、絶対に渡したくない。そんな思いも
当然あっただろう。その思いが「気負い」につながると、体が堅くなって
しまう。だからこそ、「初防衛は苦戦する」というのがボクシング界の
定説にもなっているのだ。しかしこの試合で内藤が印象づけたもの、
それはむしろ「冷静さ」だった。
試合前にリング中央でレフェリーの注意を聞いている間、内藤は
挑戦者の「先に一発やってやる」という気負いを感じたという。
その読みが正しかったことは、試合開始直後に証明された。
打ち気にはやってガードがガラ空きになっていた小嶋に、
右ストレートがカウンターでヒットした。小嶋ダウン。
騒然とする場内。何とか立った小嶋だが、すぐに内藤の連打に
追い詰められコーナー付近で2度目のダウン。コーナーポストで
頭を打っており、危険と判断したレフェリーが試合をストップした。
まさに電光石火。内藤の喜びが爆発した。
これは日本タイトルマッチ史上、最短KOの記録となった。
世界戦では34秒、そして日本タイトルでは24秒。
自らの拳で汚名を挽回した形だ。
坂田、トラッシュ中沼、本田秀伸らフライ級のホープたちが
世界の舞台で散った。かつて「無謀」と批判された世界戦で惨敗を
喫しながら這い上がってきた内藤に、世界への期待が高まってきた。
初防衛に成功した。タイムは何と、1ラウンド24秒。
2001年7月、坂田健史との日本フライ級タイトルマッチでは
引き分けで涙を飲んだ。その後なぜか世界ランク入りを果たし、
敵地タイで挑んだ世界戦。試合前から「無謀」と批判されたその戦いは、
わずか34秒、フライ級の世界戦史上最短記録でのKO負けという、
これ以上ないほどの惨敗だった。
当然のごとく叩かれまくった内藤は、しかしそこで終わらなかった。
日本ランク1位まで浮上し、ついに迎えた今年4月のタイトル再挑戦。
名古屋の無敗王者・中野博に完勝し、悲願のベルトを手にしたのだった。
苦労して獲ったタイトルだから、絶対に渡したくない。そんな思いも
当然あっただろう。その思いが「気負い」につながると、体が堅くなって
しまう。だからこそ、「初防衛は苦戦する」というのがボクシング界の
定説にもなっているのだ。しかしこの試合で内藤が印象づけたもの、
それはむしろ「冷静さ」だった。
試合前にリング中央でレフェリーの注意を聞いている間、内藤は
挑戦者の「先に一発やってやる」という気負いを感じたという。
その読みが正しかったことは、試合開始直後に証明された。
打ち気にはやってガードがガラ空きになっていた小嶋に、
右ストレートがカウンターでヒットした。小嶋ダウン。
騒然とする場内。何とか立った小嶋だが、すぐに内藤の連打に
追い詰められコーナー付近で2度目のダウン。コーナーポストで
頭を打っており、危険と判断したレフェリーが試合をストップした。
まさに電光石火。内藤の喜びが爆発した。
これは日本タイトルマッチ史上、最短KOの記録となった。
世界戦では34秒、そして日本タイトルでは24秒。
自らの拳で汚名を挽回した形だ。
坂田、トラッシュ中沼、本田秀伸らフライ級のホープたちが
世界の舞台で散った。かつて「無謀」と批判された世界戦で惨敗を
喫しながら這い上がってきた内藤に、世界への期待が高まってきた。