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宇沢弘文に学ぶ「社会的共通資本」という考え方

2021-01-04 17:48:07 | 環境
はじめに
 国家体制は社会主義が良いのか、資本主義が良いのかという議論があり、様々に議論されてはいる。
資本主義が持つ資本が持つ欺瞞性や、資本の論理が誘発する戦争という問題点、労働の疎外という問題などもあり、私自身はそれらの問題点は是正されなければならないと考えている。
 だが、革命もしくは革命的手法により国権を労働者の自主的管理にすべきかという意見については、留保を付けたい。なぜなら、かつて仏露中で起きた革命の後にやってきた混乱に伴う多大な人命の損失に思慮を馳せると、革命による体制革新には逡巡せざるを得ないのである。
 もちろん、革命という手段が存在し、条件によっては革命的手段で体制を変革せざるを得ない事は自明であるとして肯定する。

 中国は経済成長著しく、コロナ対策も比較的上手く行っている。中国は体制は社会主義の状態で、市場経済を導入して生産手段を拡充させている。中国の成長は金融をある程度統制して、外資の導入を調整している事も理由の一つではあろう。
 香港を金融の窓口にして、中国本土と香港は政治的にも金融的にも一国二制度を採っている。歴史的な経緯から、このような体制になったのだろうが、一つのモデルケースでもある。
 つまり、社会主義体制下においても、生産力の拡大は必要十分に行えるし、統制力の強い社会主義体制であるがゆえに帝国主義的挙動を見せる外国資本の攻撃を防御することができている。
 中国の成功の果てには米国の世界覇権移動をも視野に入っており、米英豪は対中関係上において政治的にも軍事的にも緊張状態に入りつつあり、その対立構造に日本が巻き込まれている状態に追い込まれている。

 仮に日本が将来的には社会主義体制へ移行する必要があるにせよ、兎にも角にも現下における国内の様々な格差問題是正が急務であることも論を俟たない。
 つまり、私が何が言いたいのかと言えば、資本主義体制下における社会主義的体制の再構築が現実的解答としてありえるのではないか、という事である。
 元来、1980年代までは日本は「最も成功した社会主義国家」などと言われていた。単に朝鮮戦争・ベトナム戦争特需とアメリカによる金融収奪が行われていなかった事が原因による経済繁栄であったとしても、日本は現在よりも社会主義的様相が濃い国家であり、その事が世界的な競争力を保持する生産業を支えたのである。

 かつてから、経済学者宇沢弘文氏を紹介する動画を幾つか拝見してはいたが、私が考える現実的解答として極めて近い考察を具体的に述べている事に気がついた。
 宇沢は「社会的共通資本」は市場原理を排して専門家たちによる公共的な管理を行うべきだと説いたのである。これは、論敵ミルトン・フリードマンや竹中平蔵らが説く、新自由主義思想と真っ向から対立する考えでもある。


1.宇沢弘文氏の経歴
 宇沢は東京大学理学部数学科を卒業し、数学者としての将来を嘱望されるもマルクス経済学者である河上肇のベストセラー「貧乏物語」に出会い経済学に転身する。最適経済成長理論にはじまる数理経済学分野の最先端を担い、1950年代から1960年代にかけて、経済成長に関する先駆的な研究を行い、世界的な功績を残した。
 新古典派経済学者ケネス・アローの論文の誤りを指摘すると米国へ招聘される。1963年渡米、1964年カリフォルニア大学バークレー校からシカゴ大学へ移籍。シカゴ大に全米から優秀な大学院生を招いてワークショップを主宰し、一流の経済学者を何人も育てた。ジョセフ・E・スティグリッツもその内の一人である。

 シカゴ大学は平たく言えば資本主義の総本山である。宇沢はシカゴ大学で、マルクスが提唱した「人間と自然の交換を根底におく」というマルクス経済学的な論理を用いて主流派経済学を批判し、同僚であり市場原理主義の教祖とも言われているミルトン・フリードマンと論争を戦わせた。

 巷間ではノーベル経済学賞が最高の栄誉のように語られる。しかし、新古典派経済学を源流に持つ、数理モデル分析によるマクロ・ミクロ経済学にしか、ノーベル経済学省は審査の対象にしていない。そういった枠組の外で論陣を張っている宇沢に取って「ノーベル賞に最も近かった経済学者」という呼称は迷惑でしかないだろう。

 スティグリッツによれば宇沢はベトナム戦争が激化して、アメリカの国内情勢が不穏になり、ご子息の身を案じて日本へ帰国したと述べている。しかし、関良基氏(せきよしき)によると、実際には宇沢がベトナム戦争に反対したために、シカゴ大学から追い出された、ということのようである。

 1968年帰国、国内で教授職を歴任する。
 高度経済成長のもと大気汚染や海洋汚染など公害が多発していた日本の状況に衝撃を受ける。経済学の改善を決意し、水俣病や国土開発計画(むつ小川原計画など)、成田闘争などの現場へ出向き調査を重ね、‘発言・行動する経済学者’へと変わっていった。「人間の痛みや悲しみをこれまでの経済学は無視してきた」と人間不在の経済のあり方を強く批判した。
 特筆すべきに値する点は、宇沢は数学的手法を使いこなすだけでなく、それを重要な社会的意味合いを持つ問題を解決するために応用しようとした点にある。
 環境問題や社会的公共財の管理について言及し、経済における倫理面と人間の心の回復を重視し、人々が安心して暮らすための経済学を追究し続けた。


2.市場原理主義者との闘争
 経済学の潮流を辿ると、レオン・ワルラスの一般均衡理論によって、新古典派経済学が主流となる。ちなみに、宇沢の博士論文はワルラスの分析である。
 新古典派経済学の理論においては資源の最適配分により、失業者は居なくなるはずが、1929年の世界大恐慌により非自発的失業者が大量に発生したことにより、経済学としての妥当性が失われた。

 世界恐慌の反省により、政府が市場に介入することによって経済を支えるというケインズ経済学の政策が主流となった。しかし、大きな政府により1970年代には経済停滞が発生した。
 そこで、ミルトン・フリードマンによる新自由主義「小さな政府理論」が台頭する。
 近代経済学には“個人は必ず自らの効用を最大化するよう自由に判断し行動している”ことを大前提とする「合理的選択理論」という理論があり、これが市場原理主義の基盤になっている。

 宇沢はフリードマンの理論を経済学ではなく、「一種の信念」だと指弾している。

宇沢「市場原理主義が最初にアメリカから輸出されたのはチリです。シカゴ大学には中南米からの留学生が多く、そういう学生たちを積極的に支援して、サンチャゴ・デ・チレ大学をベースにCIAが巨額の資金をつぎ込む。ピノチェのクーデターを資金的にも軍事的にもサポートする。1973年9月11日にサルバドール・アジェンデ大統領が虐殺された後、シカゴ大学で市場原理主義の洗脳を受けた「シカゴ・ボーイズ」たちが中心になって、新自由主義的な政策を強行するわけです。銅山を例外として、国営企業は全て民営化され、金融機関は原則としてアメリカの金融機関の管理下に置かれた。チリの企業は所有関係について外国人と内国人の区別をしてはいけない。労働組合は徹底的に弾圧してつぶす。その過程で、秘密警察を使って反対者たちを粛清する。ピノチェ政権の下で秘密警察によって虐殺された人は、政府の発表では数千人ですが、実際には10万人近くに上るといわれています。シカゴ大学での私の学生や友人で、そのころ行方不明になった人が何人もいます。」
「実は、1973年9月11日、私はシカゴにいました。あるパーティに出ていましたが、アジェンデ虐殺のニュースが入ったとき、フリードマンの流れをくんだ市場原理主義者たちが歓声を上げたのです。私は以後一切シカゴ大学とは関係しないと心に固く決めました。
(『始まっている未来 新しい経済学は可能か』p.15-16)」
「1964年リンドン・ジョンソンとバリー・ゴールドウォーターが大統領選を争っていたときに、ゴールドウォーターはベトナムで水素爆弾を使うべきだと主張して、「何百万もの人たちが命を失い、社会も自然も壊れてしまう」とものすごい反発にあう。そのとき、フリードマンは一人立ち上がって、ゴールドウォーターを全面的に支持したのです。そのときのフリードマンの言葉が、「One communist is too many! 自由を守るためには、共産主義者が何百万人死んでも構わない」(『始まっている未来 新しい経済学は可能か』p20-22)」

 「市場原理主義」とは言い得て妙であり、フリードマンらの理論は市場を開放しない・制度や司法を「改革」しない国家に対しては『軍事力の行使』も厭わないのである。


3.「社会的共通資本」という考え方。
 宇沢は「日本は米国に搾取されている植民地である」と公言しており、現在の日本の大苦境の原因は米国に強要され実行された「無駄な公共投資630兆円」に起因すると解説している。
 当然、主流派からは外されて、徹底的に干され、宇沢と轡を共にするものはおらず、妻によると、「宇沢は常に孤独でした」という状態に置かれる。
 ただし、内橋克人や関良基との交流を通じて数々の共著を残してはいる。

『自動車の社会的費用』
自動車によって社会生活が変化させられることによって、全体を通して負荷を負う。
数学で費用を算出した点が革新的であった。

『炭素税の提案』
京都会議に炭素税は採用されなかった。
ただし宇沢は米国の排出量設定がそもそも多すぎるので、京都会議の議定書そのものには批判的だった。

『社会的共通資本(Social Common Capital)という考え方』
「社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会装置を意味する。」
「市場から人間性を取り戻そう」
「人間性を取り戻して自然を破壊しない」
という考え方である。

社会的共通資本は「森林・大気・水道・教育・報道・公園・病院など」を指し、産業や生活にとって 必要不可欠な社会的資本と位置づけた。市場経済とは別に管理すべきと説いた。

社会的共通資本とは
①自然環境(山・森林・大気・水・河川・湖・海など)
「近代経済学では、自然環境は資本ではない。自然は自由・勝手に使って良い」
②social capital 社会資本基盤・インフラ(道路、公共交通機関、ガス、電気、上下水道など)
「social capitalの本来の意味は人と人の間の信頼感を維持し、つくりだすもの=言葉・習慣など」
③制度資本(教育、学校・医療、金融・司法・出版ジャーナリズムなど)
「社会的共通資本をコモンズ」
国の管理でもなく、個人による私有でもない→「共(コモンズ)(共同体による自治)」による(専門家達による)管理


おわりに
 録音スタジオのミキシングルームには巨大なミキサーが置いてある。数十トラックの音声信号に対して強弱を調整してミキシングを行う。これに同じく現実社会も分野毎に公的管理か私的管理かの望ましい調整や配分が存在するのであろう。理想的な社会とは、デジタル的な明確な最適解が誰にも分かりやすく存在するのではなく、微調整を繰り返しながら最適の状態を作り出す、というの現実的な解答なのだろう。
 現実社会には数理経済学では網羅しきれない、自然や無形的な要素がある。そういった幾つもの「要素」をそれぞれに見合った形で管理をするには、単に国家管理か私的管理かというデジタル的な選択肢だけが存在するわけではない。宇沢の言説は経世済民としての経済学の有り様であるのだが、私にはアナログ的な調整に基づく最適解を追求すべし、と主張しているようにも聞こえるのである。

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