わんわんらっぱー

DIYやオーディオから社会問題までいろいろ書きます。

「聖の青春」が映画化された。

2016-12-31 22:16:15 | 医療
聖の青春 (角川文庫)
大崎善生
KADOKAWA/角川書店



 将棋の世界を駆け抜けて夭折した村山聖9段の生涯を描いた「聖の青春」が映画化された。過去に製作されたドキュメンタリーやドラマがYoutubeで見れる。
村山聖は幼少からネフローゼ症候群という難病を抱え、進行性膀胱癌で29歳で落命する。私は彼が広島出身ということで、原爆症ではないかと直感した。生家は地図で見ると爆心から6km程度の東方に位置する。
 Wikipediaにも書いてあるが、実母は肝臓を患っていた。小説「聖の青春」には明確に実母が入市被爆者である事が描かれている。映像作品系からは原爆に関することは一切描かれていない。映画はまだ見ていないが、避けられていると推測される。
 しかし、村山聖が被曝2世であるが故に難病と戦い命を削って将棋に臨み、やがて命を散らしていった事が、美談なのか悲劇なのかの判断は病の原因を辿るか否かが岐路となる。普通に考えれば悲劇でしかない。村山が健常者であれば、棋士になっていなかった可能性の方が高いが、少なくも現在でも生きていたはずである。限られた命を与えられ、その中で身を焼き尽くして、将棋の世界に足跡を残した事が、きれいな映像で世の中に公開されるとは幸いであるが、語られるべき事が語られていない事は日本にとっての悲劇ではある。

原発事故の危機は永続する。

2016-12-31 21:22:26 | 環境
死の同心円―長崎被爆医師の記録 (長崎文献社名著復刻シリーズ 2)
長崎文献社


 一般的には核兵器の方が原発よりも恐れられているが、一度原発サイトが過酷事故連鎖状態となり、全く管理出来ない局面となれば、人類どころか有機生命体すべてに影響を及ぼしかねない事態となる。全面熱核戦争の発生確率よりも、原発事故発生の確率の方が高い。核戦争は皮肉にも相互確証破壊により発生が抑止されるが、原発事故は天災の規模によっては不可避となる。
 燃料棒は使用前は1mSvであるが、臨界後の燃料棒はなんと、10万Svとなる。つまり1億倍の線量となる。制御棒挿入直後に燃料棒が空中に露出すれば、10万Svの線量が撒き散らされ、まさに付近の生物は即死する。東京電力記者会見では1000Svと述べていたが、それは制御棒挿入後1年後の線量である。それでも、高線量で有ることに違いはない。数百種類の核分裂物質が生成され、燃料棒に蓄積される。単に高線量なだけでなく、超短期核分裂物質などにより対人毒性も幾何級数的に跳ね上がっている。文字通りの「死の灰」である。
 福島第一原発事故では「フクシマフィフティ」などと、残留した50人を称える評論が海外で出ていたが、一説には1号機爆発、3号機爆発と度々作業員避難が発生し「フクシマフィフティ」状態が繰り返されたのではないかとも言われている。2011年3月15日早朝6時に2号機・4号機で爆発が発生し、ここでも作業員が福島第二原発へ退避している。その1時間前のは東京電力清水社長が官邸に対し、福島第一原発からの撤退を打診している。清水社長の言う撤退とは「フクシマフィフティ」どころか、重要免震棟に居残る数人、つまり「フクシマファイブ」という状態ではなかったのかと推測される。そうなれば、もはや手のうちようもない。沈む戦艦ならぬ、放射能を永遠に撒き散らす設備を漫然と見守り、現地から通信だけを行う、これ以上にない悲惨な状態となる。
 ここで、米軍が介入した。朝日新聞も読売新聞も第一報で報道している。以後、米軍介入は無かったことになっているが、どの部隊がどのような消火活動を行ったのか分からないが、米軍が介入したことだけは間違いない。16日も危機的状況は続くが、原発サイトが自体が放置される状況は脱した。
 ある意味、我々は「拾った命」で生きながらえている。本当なら福島原発連鎖崩壊で死んでいてもおかしくなかったのである。もしくはシリア難民のように流浪の民になっていたかもしれない。膨大な人員の犠牲を払い、それを回避できた。

 まさに一刻一秒を争う事態は過ぎたのだが、【食べて応援】【瓦礫を燃やして応援】などの被曝推進政策により、疾病や死者が多発している。救急車の出動回数は激増し、路上でサイレンを聞かない日はない。急病人による鉄道の遅延も慢性化しており、産業破綻が近づいている事が感じ取れる。
 良い年をお迎え下さい、と儀礼的に人々は言うが、残念ながら年を追うごとに、惨憺たる状態になって行くことは確実である。

 現代医療が被曝に対して効果がないのは、普通の人は理解しがたいと思うのだが、731部隊やABCCや放影研の流れを見れば得心が行く。結局、自分の身は自分で護るしかない。自分で情報を統合し、自分で決断を下し生きていくしかない。
 

【防災】携帯ラジオICF-R354MK

2016-12-31 11:50:45 | 地震災害
SONY FM/AM PLLシンセサイザーラジオ ICF-R354MK ICF-R354MK C
ソニー



 東日本大震災の時に役に立ったのは携帯ラジオと石油ストーブ(反射型)である。当地、埼玉県ふじみ野市は地震直後に停電になった。自宅も実家も仕事場も停電になった。但し、全部が停電になった訳ではなく、まだら(斑)に停電となった。仕事場の斜め向かいの歯医者は停電しなかったし、ギガマートも停電しなかった。上福岡郵便局も停電しなかった。公共性の高い地域と、そうでない地域を区別する手段が東京電力にはあると推測される。

○ワイドFM(FM補完放送)
 AMラジオが都市雑音やパソコン・Wifiなどの普及によって、悪影響を受けている。但し、当地ふじみ野ではAMラジオが受信しずらいということはない。
AM波は東京タワーやスカイツリーを使えば、関東一円全てをカバーできるほど遠距離まで届くが、遮蔽物に弱い。
一方、FM波は、距離が短い代わりに遮蔽物などには強い。FM波は遮蔽物があっても電波が劣化しないので、高音質が再現できる。
災害時の停電や通信インフラの途絶と考えると、インターネットの災害脆弱性は言わずもがなであり、「災害のためのラジオ」という価値が存在する。
 AMラジオ各局は、都市雑音に強く、音質も良い、FMラジオでも、同じ放送を聞こえるようにしたいと、行政などに働きかけてきた。2014年2月総務省から、「FM方式によるAMラジオ放送の補完中継局に関する制度整備(案)」が発表された。
 AMラジオ局のFM補完中継局は、周波数は90.1MHzから94.9MHzを使用する。その県に存在するFM局の最大出力を超えない。スカイツリーなら7kW、東京タワーなら10kWということになる。100wを超えるものは予め周波数を割り当てる、との規定が定められた。
東京の3局(TBS・文化・ニッポン)には、90.5MHz・91.6MHz・93.0MHzが割当との事。
ワイドFM(FM補完放送)のように「1つの放送局」が「同じ時間」に「同じ番組」を異なる媒体で放送すること「サイマル放送」と言う。
 平常時にはインターネットを利用したラジオ放送radikoがあり、こもれ「サイマル放送」である。
 アナログテレビの1chから3chが90MHzから108MHzでしたので、1chから3chの音声が聞けたラジオはワイドFM放送が聞ける可能性があるようだ。

 正直な所、古いAM携帯ラジオが一つあれば十分である。少なくともソニー製のデジタル式であれば、かなりの感度がある上に乾電池も稼働時間が長いので、災害時にも使える。イアホンは片方あれば十分である、というか、片方の方が良い。何か災害対策しながらラジオを聞けるので、片耳が空いていた方が良い。


○FMラジオ放送報知音連動型
 緊急地震速報対応FMラジオを持っている。たまに動作する。何か警報がなるわけではなく、地震に対応して電源がオンになり、登録してあるFM局の放送が流れるだけである。震源の距離によっては、事前に揺れを知ることができることは便利ではあるが、MVNOスマートフォン+「ゆれ速」でも同等の機能を得られる。

 事前に地震到来を知ることは、一定程度有用であるが、まずは寝床や通常居る可能性が高い場所に、荷物が倒れて来ないように不用品を処分することの方が先決あると思える。



* ワイドFM(FM補完放送)とは、AM(中波)放送局の放送区域において、難聴対策や災害対策のためにFM(超短波)の周波数を用いて、補完的にAM番組を放送することです。
http://www.sony.jp/radio/radio_sony/fm/
AMラジオがFMでも聞けるように・周波数割当へ
http://blog.toppy.net/?eid=1073043
AMラジオが高音質で聴けるワイドFMとは?全国の周波数まとめ
http://et-news.net/wide-fm

SONY FMステレオ/AMポケッタブルラジオ R433 シルバー SRF-R433/S
ソニー

外国為替管理法改正で国富流出を抑えよ。

2016-12-31 09:49:54 | 金融
経済敗走 (ちくま新書)
吉川元忠
筑摩書房


 リーマン・ブラザーズの経営破綻に端を発する金融危機により、米国の住宅ローン担保証券(MBS)及びそれらを組み込んだ資産担保証券(CDO)の価値基準に信用不安が発生した。国際決済銀行(BIS)統計では、金融派生商品の総額は6京3千億円規模にまで膨らんだとされる。証券化商品の基礎となるMBSの信用不安発生によって、金融機関同士の金融商品解け合い過程に入っており、仮に1998年に破綻したLTCMに準じて実損率が2.5%であったとしても、巨額損失の発生が避けられない。米連邦準備制度理事会(FRB)は大手銀行救済を主たる目的として、市中から米国債及びMBSを買い入れる量的緩和政策(QE1/QE2)を行なった。2012年9月からQE3を実施しており、米国債及びMBSを毎月850億ドル市中から購入している。年率換算で1兆ドルに相当する高い水準での量的緩和政策である。FRBはQE3を2014年終盤まで続けると宣言している。QE3の目的は失業率を下げることとされているが、実際の狙いは米国債の金利上昇を抑えることにある。
 OECD統計で2005年との比較において、通貨供給量は米国では178%、日本は117%に増加している。基準とする年や分母となる通貨供給量によって増加率は変化し、2008年比で通貨供給量増加率を米国約320%、日本約130%とする統計もある。日米比較で言えば、日本の通貨供給量は少ないと言えるが、日銀は短期・長期国債や金融商品を市中から買い入れて通貨供給政策を行なっている。
 2013年1月13日ブルームバーグは「安倍首相、バーナンキ米国連銀総裁を支援、5580億ドル(50兆円)の外債を購入の見込み」と報じた。JPモルガン証券は総額がその2倍になる可能性もあると指摘している。報道の通りだとすると、安倍政権は基金を設立して、50兆~100兆円分も外債を購入するということになる。国内資本で米国債を購入すれば、その分国内への資金供給は細り、併せて円売りドル買いによる円安が進み輸入物価高となる。内需を中心とする中小企業は物価上昇分を価格転嫁できなければ、利益を削られる事になる。
 更に2013年3月末で中小企業金融円滑化法(返済猶予制度)が終了になった。自見金融大臣(当時)国会答弁によると、この法案に基づいて貸付条件の変更等を受けた法人は30万~40万社になるとのこと。資金繰りが悪化した法人が倒産や廃業に追い込まれる事例が増加して、国内景気悪化要因となりかねない。実体経済を底上げするには銀行貸出を増やし、無形的なものを含む生産財への投資が必要である。銀行は貸し倒れを恐れて、企業への貸付に慎重になっている。信用保証協会の保証制度を拡充するなどの対策を行うことが急務であると言える。
銀行貸出の増加は信用創造により、日銀の量的緩和金融政策に頼らずとも通貨総量を増加させることができる。本来経済規模の拡大は銀行貸出によって行われるべきなのである。昨今は都市銀行のみならず地方銀行までもが、工場の海外移転を支援する融資制度を整えつつあるが、実際に行うべきは国内への工場移転支援である。国内製造拠点を失えば雇用も失われるのである。円高によって海外への転出が強まったのではあるが、それに対しては政策誘導で国外への転出を防ぐべきなのである。
 円安によって輸出が増加するという指摘があるが、既に海外生産が進んでいるので、円安が輸出企業にとって必ずしも有利とはならない。東日本大震災が起きた2011年3月から貿易収支は赤字の傾向にあり、2012年11月以後は経常収支も赤字に転落している。円安による輸入物価の値上がりは、貿易赤字の拡大をもたらし経常収支における赤字常態化を促す。経常赤字は国富を減少させ、消費と所得も減少させる。史上類例のない日銀の金融緩和は、投機資金を膨張させて一時的に資産価格の上昇をもたらすが、多くの国民には金融緩和がもたらす通貨安による輸入物価高や借入金利上昇の弊害が覆いかぶさってくる。
 それでも、日本政府が円安を望む最大の理由は、外国為替資金特別会計や年金資金運用基金が運用するドル建て外債の価格が、為替相場によって円換算で変動するからである。日本政府や日本の金融機関は近年の円高傾向によって、外債運用で巨額の損失を含んでいる。外債運用残高が巨額であるので、ドル円レートが1円動いただけで、損益も大きく変動する。
民主党政権下のことではあるが、財務省外国為替平衡操作の実施状況によると2010年9月15日に2.1兆円、東日本大震災以後の累積では14.2兆円の為替介入を行なっている。原発震災に際し未曾有の国難のある時局にありながら、他国の通貨を買い入れるとは、あまりにも国民の生活をないがしろにした所業であると言わざるを得ない。
故・吉川元忠神奈川大教授は為替介入を通じた日米間の資金融通政策を「新帝国循環」と名付けた。本来、日本政府や日本の個人・法人が所有する国富は円建てで保全されるべきであるが、日本が米国の経常赤字を埋める日米間の金融循環が存在する。この「新帝国循環」により日本側が保有させられているドル建て債権が増える程、日本側はドル価値の維持に腐心せざるを得なくなる。
 日本の官民がドル建て金融商品保有を膨らませていった背景には、金融自由化の動きがあった。1975年には国債発行が常態化して、発行規模が大きくなった。1977年には国債の市場転売が認められ、国債相場と連動していた市場金利を切り離すため、「金利の自由化」が必要となった。1983年の中曽根レーガン日米首脳会談で「日米円ドル委員会」の編成が決定され、金利自由化は加速していく。
1949年に施行された「外国為替及び外国貿易管理法」(外為法)は、国際収支の均衡と通貨の安定を図ることを目的にしていた。外国との経済取引(外貨の両替)を原則として禁止しており、許認可を受けた場合のみ例外として認められていた。貿易による利益や外債売却後は「円転」するように義務付けられていた。1980年の外為法改正でこの縛りが消え、「対外取引は原則自由化」された。1996年11月橋本内閣は「金融ビックバン構想」を打ち出し、1998年には「対外取引の完全自由化」が行われ、国内資本がドルへ兌換されて流出していくことが常態化する素地ができた。
 歴史を遡る事1932年、当時の高橋是清蔵相は金融恐慌による経済難局から脱するため通貨供給量増加政策を取った。通貨供給量を増加させれば、通貨価値の希釈化により対外為替は下落する。それを見越して資本逃避が発生する対策として、外貨証券、海外不動産等の購入制限を内容とする資本逃避防止法を1932年7月に制定した。1933年2月には公定為替相場の制定、為替取引の日銀、横浜正金銀行等への集中、貿易の広範な統制を政府に委任する内容である外国為替管理法をも制定した。近年の「失われた20年」と呼ばれる国内経済疲弊は「資本の国外流出」に起因しており、高橋財政に習い外為法の再改正により、国富流出を抑えるべきなのである。

12月30日(金)のつぶやき

2016-12-31 02:20:29 | つぶやき