わんわんらっぱー

DIYやオーディオから社会問題までいろいろ書きます。

世界的な電力不足、日本でも停電危機迫る。

2021-01-12 20:58:28 | 環境
○関電電力使用率が99%
 「関電の電力使用率99%に、無理ない範囲での節電呼びかけ」
などと出ているが、いやいや、無理ある範囲で節電しないと、停電してしまうがな。

「天候不良で太陽光発電からの発電量が見込めず、火力発電所の燃料となるLNG(液化天然ガス)の在庫が少なくなるリスクが高まっている」
LNGは極冷保存なので、1月から2月ぐらいしか保管できないとのこと。
つまり、長期備蓄を考慮するなら石炭火力発電所を増強しなくてはならない?


○自然電気利用者電気料金暴騰。一般家庭でも1月10万円超えの可能性。

日本卸電力取引所(JEPX)電力取引価格高騰に関する重要なお知らせ
https://www.shizenenergy.net/2021/01/07/jepx_infomation/
「昨年末2020年12月26日から今月2021年1月にかけて連日、日本卸電力取引所(以下「JEPX」)での電力価格(以下「市場価格」)の「急激な高騰」が続いております。」

【悲報】「自然電気」を選択した家庭、電力不足で電気代が高騰!「月10万円コース」の人も
https://matomame.jp/user/yonepo665/678f26fb1a98e1b64fef?page=2

転載開始

【新電力卸売210円/KWhまで高騰】

太陽光発電の電気がジャブジャブで電気の市場価値が0.1円/kWhの状態が頻発する

JEPX依存の高い一部の小売電気事業者が市場連動型の料金リリースが相次ぐ

夏の安い市場価格でエンジョイしてウハウハする

火力発電所は燃料代を回収できないから運転停止や廃業する

今冬の燃料調達や運転計画もコロナ禍の需要減を考慮して渋くなる

オーストラリアが対中姿勢を強める

中国逆ギレでオーストラリア産石炭を輸入制限

中国国内の電力が不足し、LNG輸入を急増させる

LNG需給の制約により大手電力各社の在庫が減少

強烈な寒波の襲来

新電力市場のスポット取引価格が急騰中 ← イマココ
https://twitter.com/Canary_Kun/status/1348486658946056198

転載終わり

一時的に230円kw/hに達した模様。
一人暮らしでも1月の電気代が10万円超え。
ブレーカー落としてビジネスホテルに避難した方が良い、との意見も。

【電力危機】今、日本が危ない!! 死と隣り合わせの電力業界
https://www.youtube.com/watch?v=ulU86uhtS0M&feature=youtu.be&ab_channel=WattsTV%E3%80%90%E7%92%B0%E5%A2%83%E7%B3%BBYouTuber%E3%80%91


・世界中のLNGプラントでトラブル続発(オーストリア・ノルウェー)
・米国からの輸入船がパナマ運河で足止め
・コロナ禍からの経済復活
・冬場でソーラー発電量が減少
複数の要因が重なって今回の高騰を招いている。



○電力偏重は危険
 私が電気自動車に懐疑的なのは、発電-送電-蓄電-使用の損耗が大きすぎるのもあるが、総発電量に限界がある、というのもある。
 仕事でフォークリフトを使っているが、荷受けにしか使わないで、出庫は全部手積みに切り替えた。
 節電というのもあるのだが、ラッピングとかのラップ代や手間を考えたら、ダンボールごとにバラ積みした方が安いし、簡便なのである。
 ただし、体力は使うがw

 暖房を石油ストーブにしないと、本当に停電が発生しかねない。
石油ファンヒーターですら、殆ど使わない。
反射型石油ストーブは自燃するので、電気を使わない。
 エアコンは夏場の冷房にしか使わない。
節電もあるが、エアコン自体の寿命を伸ばすためでもあるw

 停電危機もさることながら、コロナ禍なので、あまりエネルギーを使わないように心がけなくてはならない。

 ダマスコミが二酸化炭素がどうのというので、ストーブを使わない人も多いかもしれないが、エアコンの方が結果的に二酸化炭素の排出が大きいんだけどwww

宇沢弘文に学ぶ「社会的共通資本」という考え方

2021-01-04 17:48:07 | 環境
はじめに
 国家体制は社会主義が良いのか、資本主義が良いのかという議論があり、様々に議論されてはいる。
資本主義が持つ資本が持つ欺瞞性や、資本の論理が誘発する戦争という問題点、労働の疎外という問題などもあり、私自身はそれらの問題点は是正されなければならないと考えている。
 だが、革命もしくは革命的手法により国権を労働者の自主的管理にすべきかという意見については、留保を付けたい。なぜなら、かつて仏露中で起きた革命の後にやってきた混乱に伴う多大な人命の損失に思慮を馳せると、革命による体制革新には逡巡せざるを得ないのである。
 もちろん、革命という手段が存在し、条件によっては革命的手段で体制を変革せざるを得ない事は自明であるとして肯定する。

 中国は経済成長著しく、コロナ対策も比較的上手く行っている。中国は体制は社会主義の状態で、市場経済を導入して生産手段を拡充させている。中国の成長は金融をある程度統制して、外資の導入を調整している事も理由の一つではあろう。
 香港を金融の窓口にして、中国本土と香港は政治的にも金融的にも一国二制度を採っている。歴史的な経緯から、このような体制になったのだろうが、一つのモデルケースでもある。
 つまり、社会主義体制下においても、生産力の拡大は必要十分に行えるし、統制力の強い社会主義体制であるがゆえに帝国主義的挙動を見せる外国資本の攻撃を防御することができている。
 中国の成功の果てには米国の世界覇権移動をも視野に入っており、米英豪は対中関係上において政治的にも軍事的にも緊張状態に入りつつあり、その対立構造に日本が巻き込まれている状態に追い込まれている。

 仮に日本が将来的には社会主義体制へ移行する必要があるにせよ、兎にも角にも現下における国内の様々な格差問題是正が急務であることも論を俟たない。
 つまり、私が何が言いたいのかと言えば、資本主義体制下における社会主義的体制の再構築が現実的解答としてありえるのではないか、という事である。
 元来、1980年代までは日本は「最も成功した社会主義国家」などと言われていた。単に朝鮮戦争・ベトナム戦争特需とアメリカによる金融収奪が行われていなかった事が原因による経済繁栄であったとしても、日本は現在よりも社会主義的様相が濃い国家であり、その事が世界的な競争力を保持する生産業を支えたのである。

 かつてから、経済学者宇沢弘文氏を紹介する動画を幾つか拝見してはいたが、私が考える現実的解答として極めて近い考察を具体的に述べている事に気がついた。
 宇沢は「社会的共通資本」は市場原理を排して専門家たちによる公共的な管理を行うべきだと説いたのである。これは、論敵ミルトン・フリードマンや竹中平蔵らが説く、新自由主義思想と真っ向から対立する考えでもある。


1.宇沢弘文氏の経歴
 宇沢は東京大学理学部数学科を卒業し、数学者としての将来を嘱望されるもマルクス経済学者である河上肇のベストセラー「貧乏物語」に出会い経済学に転身する。最適経済成長理論にはじまる数理経済学分野の最先端を担い、1950年代から1960年代にかけて、経済成長に関する先駆的な研究を行い、世界的な功績を残した。
 新古典派経済学者ケネス・アローの論文の誤りを指摘すると米国へ招聘される。1963年渡米、1964年カリフォルニア大学バークレー校からシカゴ大学へ移籍。シカゴ大に全米から優秀な大学院生を招いてワークショップを主宰し、一流の経済学者を何人も育てた。ジョセフ・E・スティグリッツもその内の一人である。

 シカゴ大学は平たく言えば資本主義の総本山である。宇沢はシカゴ大学で、マルクスが提唱した「人間と自然の交換を根底におく」というマルクス経済学的な論理を用いて主流派経済学を批判し、同僚であり市場原理主義の教祖とも言われているミルトン・フリードマンと論争を戦わせた。

 巷間ではノーベル経済学賞が最高の栄誉のように語られる。しかし、新古典派経済学を源流に持つ、数理モデル分析によるマクロ・ミクロ経済学にしか、ノーベル経済学省は審査の対象にしていない。そういった枠組の外で論陣を張っている宇沢に取って「ノーベル賞に最も近かった経済学者」という呼称は迷惑でしかないだろう。

 スティグリッツによれば宇沢はベトナム戦争が激化して、アメリカの国内情勢が不穏になり、ご子息の身を案じて日本へ帰国したと述べている。しかし、関良基氏(せきよしき)によると、実際には宇沢がベトナム戦争に反対したために、シカゴ大学から追い出された、ということのようである。

 1968年帰国、国内で教授職を歴任する。
 高度経済成長のもと大気汚染や海洋汚染など公害が多発していた日本の状況に衝撃を受ける。経済学の改善を決意し、水俣病や国土開発計画(むつ小川原計画など)、成田闘争などの現場へ出向き調査を重ね、‘発言・行動する経済学者’へと変わっていった。「人間の痛みや悲しみをこれまでの経済学は無視してきた」と人間不在の経済のあり方を強く批判した。
 特筆すべきに値する点は、宇沢は数学的手法を使いこなすだけでなく、それを重要な社会的意味合いを持つ問題を解決するために応用しようとした点にある。
 環境問題や社会的公共財の管理について言及し、経済における倫理面と人間の心の回復を重視し、人々が安心して暮らすための経済学を追究し続けた。


2.市場原理主義者との闘争
 経済学の潮流を辿ると、レオン・ワルラスの一般均衡理論によって、新古典派経済学が主流となる。ちなみに、宇沢の博士論文はワルラスの分析である。
 新古典派経済学の理論においては資源の最適配分により、失業者は居なくなるはずが、1929年の世界大恐慌により非自発的失業者が大量に発生したことにより、経済学としての妥当性が失われた。

 世界恐慌の反省により、政府が市場に介入することによって経済を支えるというケインズ経済学の政策が主流となった。しかし、大きな政府により1970年代には経済停滞が発生した。
 そこで、ミルトン・フリードマンによる新自由主義「小さな政府理論」が台頭する。
 近代経済学には“個人は必ず自らの効用を最大化するよう自由に判断し行動している”ことを大前提とする「合理的選択理論」という理論があり、これが市場原理主義の基盤になっている。

 宇沢はフリードマンの理論を経済学ではなく、「一種の信念」だと指弾している。

宇沢「市場原理主義が最初にアメリカから輸出されたのはチリです。シカゴ大学には中南米からの留学生が多く、そういう学生たちを積極的に支援して、サンチャゴ・デ・チレ大学をベースにCIAが巨額の資金をつぎ込む。ピノチェのクーデターを資金的にも軍事的にもサポートする。1973年9月11日にサルバドール・アジェンデ大統領が虐殺された後、シカゴ大学で市場原理主義の洗脳を受けた「シカゴ・ボーイズ」たちが中心になって、新自由主義的な政策を強行するわけです。銅山を例外として、国営企業は全て民営化され、金融機関は原則としてアメリカの金融機関の管理下に置かれた。チリの企業は所有関係について外国人と内国人の区別をしてはいけない。労働組合は徹底的に弾圧してつぶす。その過程で、秘密警察を使って反対者たちを粛清する。ピノチェ政権の下で秘密警察によって虐殺された人は、政府の発表では数千人ですが、実際には10万人近くに上るといわれています。シカゴ大学での私の学生や友人で、そのころ行方不明になった人が何人もいます。」
「実は、1973年9月11日、私はシカゴにいました。あるパーティに出ていましたが、アジェンデ虐殺のニュースが入ったとき、フリードマンの流れをくんだ市場原理主義者たちが歓声を上げたのです。私は以後一切シカゴ大学とは関係しないと心に固く決めました。
(『始まっている未来 新しい経済学は可能か』p.15-16)」
「1964年リンドン・ジョンソンとバリー・ゴールドウォーターが大統領選を争っていたときに、ゴールドウォーターはベトナムで水素爆弾を使うべきだと主張して、「何百万もの人たちが命を失い、社会も自然も壊れてしまう」とものすごい反発にあう。そのとき、フリードマンは一人立ち上がって、ゴールドウォーターを全面的に支持したのです。そのときのフリードマンの言葉が、「One communist is too many! 自由を守るためには、共産主義者が何百万人死んでも構わない」(『始まっている未来 新しい経済学は可能か』p20-22)」

 「市場原理主義」とは言い得て妙であり、フリードマンらの理論は市場を開放しない・制度や司法を「改革」しない国家に対しては『軍事力の行使』も厭わないのである。


3.「社会的共通資本」という考え方。
 宇沢は「日本は米国に搾取されている植民地である」と公言しており、現在の日本の大苦境の原因は米国に強要され実行された「無駄な公共投資630兆円」に起因すると解説している。
 当然、主流派からは外されて、徹底的に干され、宇沢と轡を共にするものはおらず、妻によると、「宇沢は常に孤独でした」という状態に置かれる。
 ただし、内橋克人や関良基との交流を通じて数々の共著を残してはいる。

『自動車の社会的費用』
自動車によって社会生活が変化させられることによって、全体を通して負荷を負う。
数学で費用を算出した点が革新的であった。

『炭素税の提案』
京都会議に炭素税は採用されなかった。
ただし宇沢は米国の排出量設定がそもそも多すぎるので、京都会議の議定書そのものには批判的だった。

『社会的共通資本(Social Common Capital)という考え方』
「社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会装置を意味する。」
「市場から人間性を取り戻そう」
「人間性を取り戻して自然を破壊しない」
という考え方である。

社会的共通資本は「森林・大気・水道・教育・報道・公園・病院など」を指し、産業や生活にとって 必要不可欠な社会的資本と位置づけた。市場経済とは別に管理すべきと説いた。

社会的共通資本とは
①自然環境(山・森林・大気・水・河川・湖・海など)
「近代経済学では、自然環境は資本ではない。自然は自由・勝手に使って良い」
②social capital 社会資本基盤・インフラ(道路、公共交通機関、ガス、電気、上下水道など)
「social capitalの本来の意味は人と人の間の信頼感を維持し、つくりだすもの=言葉・習慣など」
③制度資本(教育、学校・医療、金融・司法・出版ジャーナリズムなど)
「社会的共通資本をコモンズ」
国の管理でもなく、個人による私有でもない→「共(コモンズ)(共同体による自治)」による(専門家達による)管理


おわりに
 録音スタジオのミキシングルームには巨大なミキサーが置いてある。数十トラックの音声信号に対して強弱を調整してミキシングを行う。これに同じく現実社会も分野毎に公的管理か私的管理かの望ましい調整や配分が存在するのであろう。理想的な社会とは、デジタル的な明確な最適解が誰にも分かりやすく存在するのではなく、微調整を繰り返しながら最適の状態を作り出す、というの現実的な解答なのだろう。
 現実社会には数理経済学では網羅しきれない、自然や無形的な要素がある。そういった幾つもの「要素」をそれぞれに見合った形で管理をするには、単に国家管理か私的管理かというデジタル的な選択肢だけが存在するわけではない。宇沢の言説は経世済民としての経済学の有り様であるのだが、私にはアナログ的な調整に基づく最適解を追求すべし、と主張しているようにも聞こえるのである。

人はうんこを流すために生きている。

2018-11-15 21:19:12 | 環境
○うんこが溜まって遷都
 奈良時代とか頻繁に遷都している。「せんとくん」なんてゆるきゃらまでいる。
で、その理由にうんこが溜まったから、という理由を挙げているブログがあった。
実際にはうんこが溜まって疫病が蔓延したから、というのが理由だろう。
確かに疫病の蔓延と遷都って因果関係があるような気がする(要検証)。

 なんとなく分かる。農家の人に聞いたら、終戦後は垂れ流しにしていた尿によってジブテリアに感染して死ぬ子供が多かったなんて話を聞いた。
 要は浄化槽か、下水道を整備がされるまで、ある程度、そこら辺に糞尿を垂れ流しにしていて、それが原因で感染症を発生させた。

 先日話題になった、日本住血吸虫症も原因は人や家畜の糞である。
仮に田畑に撒くにしても2週間は肥溜めで発酵させる必要があるのだが、厳格に守れていなかった。また、家畜は勝手に糞をするので、一処に貯めるのすら大変だった。
盆地だから糞尿が流れにくかったので、寄生虫を媒介する貝が豊富に居たのだろう。
結局、機械化で家畜が減って野糞も減ったのと、合成洗剤の排水などで、媒介とする貝が駆除された。

○メソポタミアでも水洗トイレ
 結局、ドイツのコッホ→北里柴三郎の流れで細菌感染について原因究明されるまで、コレラやペストの原因はよく分からなかった。ネズミが媒介するので猫で駆除したというのもあるが、糞尿の扱いを厳重にしたから、感染症が減少した。

 古くはメソポタミアの時代から水洗トイレがあったそうだ。しかし、激しい異民族と戦いなどで、文明が崩壊する歴史を歩んできた。

 ローマ時代でも水洗トイレはあった、そんなに古くから水洗トイレがあったのに、なぜ18世紀のパリではトイレが無かったのか?
 技術は失われることもある。人の生活に必要な技術ですら失われることがあるのだ。

○うんこ戦争
 戦国時代は矢にうんこを塗って弓を射っていた。元寇でも牛の死骸やうんこを敵の船に投げ込んだ。戦国時代の主力兵器は弓矢だった。コストが安く、近接戦ではないので、農民でも訓練次第で戦力になった。
 近接戦ももっぱら槍が主力で、刀はクビを跳ねる時ぐらいにしか使わなかったという説がある。
 籠城戦でもうんこは役に立った。うんこを城壁に流して敵兵の侵入を阻止するのである。

○上下水道の維持に膨大な労力とエネルギーが使われている。
 江戸時代にはうんこを肥料にするリサイクル社会だった。これが徳川治世を支えたという。
 現代に上下水道はかかせない。上下水道が止まった時点で、日本社会はうんこだらけになって崩壊する。
 人はうんこを流すために生きているという。厳密にはうんこを流して清潔な環境を維持するために生きている。
 エネルギーは人がより良い生活をするために使うべきであって、無駄使いは慎むべきである。

うんこの歴史①~18世紀フランスのうんこ~

うんこの歴史②~江戸時代のうんこ~

うんこの歴史③~戦国時代のうんこ~

うんこの歴史④~古代のうんこ~

太陽光パネルが風水害の被害を拡大する。

2018-07-08 14:42:38 | 環境
○山肌を切り崩し太陽光パネルを設置
 山陽新幹線脇の太陽光パネルが地すべりで崩落する恐れがあるとして、新幹線が一時的にストップしてしまった。山肌を切り開いて設置していると、土台ごと崩落する危険性が高まる。

○各地で浸水、太陽光パネルによる感電被害を懸念
 浸水し太陽光パネルが冠水すると、高圧故に感電死の可能性がある。
これはハイブリッド車やEV車にも言える。
 屋根にソーラーパネルが設置してある家屋で、洪水で屋根に避難すると、浸水により感電死する可能性がある。

台風8号が接近しているので、台風による太陽光パネル被害も懸念される。太陽光パネルの薄型・軽量化が進んでいるので、風に対して脆弱となっている。

○反射光で室内温度が50度
 住宅近くに太陽光パネルが設置されて「テレビが見れない」とか「反射光で室内温度が50度超えた」とかいう報告があがっている。体調不良で移住したブログまである。
 太陽光パネルによる平時における直接的環境破壊も留意しなくてはならない。

○ポルトガルでは、ダム湖に、太陽光発電パネルを設置。
 ポルトガルの事例では、山林を切り開くでもなく、田畑を潰すでもなく、ダム湖に太陽光パネルを設置して、ダムの放水を利用して発電量を調節している。
 ただし、これとても環境負荷が無いわけでもない。湖に差し込む日光の照射量が減るので、水質汚濁の原因となる。ダム湖の面積や深さによって、影響の度合いが違うとは思われる。
 日本の場合、台風があるので、風害による影響がどの程度あるのか考えなければならない。








































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炭酸ソーダ(ソーダ灰)の積極活用

2018-06-08 10:20:51 | 環境
炭酸ソーダ(ソーダ灰)の使用範囲を広げた。

炭酸ソーダの通称はソーダ灰というのだそうが、たぶん形状が「灰」のような感じだからだろう。重曹と違い、ソーダ灰は灰のようにふわふわした感じである。

洗濯はソーダ灰のみにして、合成洗剤は使わなくした。
十分に油脂の汚れは落ちる。
シャツの襟の汚れも綺麗に落ちる。
合成洗剤を使うのは石油系油汚れのみ。
だが、油性の塗料は殆ど使わないし、せいぜい、車のエンジンオイル交換のときに少し汚れる程度で、殆ど石油系油汚れは発生しないので、合成洗剤の出番はない。
合成洗剤は残留して、人体に悪影響を与えるだけなく、繊維を痛めるので、早く衣服がだめになってしまう。
ソーダ灰なら衣服の油脂も綺麗に落ちるうえに、衣服が長持ちする。

洗髪もソーダ灰にした。
元から、シャンプーもリンスも劇薬なので使っていない。
オリーブ石鹸で洗髪していたが、2度洗いしなくてはならない。
ソーダ灰で洗髪したら、一発で油脂が抜ける。
髪の油脂が抜けすぎて髪がふわふわする。
しかし、短時間で水も少なくて洗髪できるし、費用も安いのでソーダ灰のみにする。

入浴時の洗顔もソーダ灰にした。

重曹は歯磨きだけとなってしまい。殆ど出番がない。

炭酸ソーダで足や脇下を洗って雑菌を一掃すると、体臭が抑えられる。


洗濯、入浴、清掃などはソーダ灰で行える。

ソーダ灰 25kg(箱に入れての発送) 【炭酸ナトリウム、炭酸ソーダ、炭酸塩】食品添加物 こんにゃく凝固剤、洗濯に [02] NICHIGA(ニチガ)
日本ガーリック