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福島原発事故に至る道筋

2016-12-24 07:53:07 | 地震災害
大地動乱の時代―地震学者は警告する (岩波新書)
石橋克彦
岩波書店



 東日本大震災により、石橋克彦名誉教授の想定した大地震と原発事故の連鎖による災害甚大化が具現した。岩波書店『科学』1997年石橋克彦論文「原発震災~破滅を避けるために」によれば、「最大の水位上昇がおこっても敷地の地盤高(海抜6m以上)を越えることはないというが、1605年東海・南海巨大津波地震のような断層運動が併発すれば、それを越える大津波もありうる」「外部電源が止まり、ディーゼル発電機が動かず、バッテリーも機能しないというような事態がおこりかねない」「炉心溶融が生ずる恐れは強い。そうなると、さらに水蒸気爆発や水素爆発がおこって格納容器や原子炉建屋が破壊される」「4基すべてが同時に事故をおこすこともありうるし、爆発事故が使用済み燃料貯蔵プールに波及すれば、ジルコニウム火災などを通じて放出放射能がいっそう莫大になるという推測もある」とされる。
 福島第一原発事故の14年も前に原発過酷事故を正確に想定しており、2005年には衆議院の公聴会でも「地震の場合は複数の要因の故障といって、いろんなところが振動でやられるわけですから、それらが複合して、多重防護システムが働かなくなるとか、安全装置が働かなくなるとかで、それが最悪の場合にはいわゆるシビアアクシデント、過酷事故という炉心溶融とか核暴走とかいうことにつながりかねない」「日本列島のほぼ全域が大地震の静穏期を終えて活動期に入りつつあり、西日本でも今世紀半ばまでに大津波を伴う巨大地震がほぼ確実に起こる」と述べている。
 石橋氏自身は1995年に阪神淡路大震災に被災したのをきっかけにして、地震と原発の複合災害について研究を始めたとされ、その警句の正確さに驚くものがある。一方では石橋氏の提言が福島第一原発には生かされておらず、過酷事故が絶対に許されないはずの原発で、必要な予備の非常用電源や外部電源系統の耐震強化や防潮堤のかさあげなどが行われなかった。
 1966年12月8日東電は沸騰水型原子炉福島第一原発1号機を米国最大の重電機メーカーであるゼネラル・エレクトリック社と開発や着工から運転開始までGE側に全責任を負わせる「ターンキー方式」で契約した。故に海水を汲み上げるポンプの設計変更は認められず、東電はGEの規格どおりに建設できるよう、海抜30m程度あった高台を10m程度まで削り取って建屋を設置した。GEマークⅠは原子力潜水艦の原子炉を大型化したに過ぎず、元GE技術者ブライデンバウが「格納容器が小さすぎる欠陥炉」と告発を行っていた。国会事故調査報告書ではGE社の設計には日本側の当時の耐震設計の仕様が正しく組み込まれておらず、建設中にその場しのぎで補強したことが示唆されている。狭いGEマークⅠ型格納容器の中に多くの補強剤を入れたため、空間の余裕がなくなり、運転開始後の作業に困難を生じ、無駄な時間と余計な被ばくが増大することになった。
 マークⅠ型の耐震性の低さは米原子力規制委員会も指摘していたが、翻訳の過程で意訳され正しく日本側に伝達されていなかった。初期型のマークⅠ型は圧力容器真下にスカート内部室があり、2~3cmの鉄製スカートの壁で上部の数千トンに及ぶ圧力容器とその内容物の重量を支えている。地震でスカートを貫通する給排水管が断裂したとの推測がある。後の改良型ではスカート部の構造材が増強された。
 商業用原子炉は経済性を優先するため大型化が避けられない。原子力潜水艦や原子力空母の原子炉燃料よりも、原発で使用される核燃料はウラン235濃度が低いとはされているが、より一層大量の核燃料を一箇所に集めているため制御が難しくなり危険が伴う。経済性と安全性とは相容れない。原発は定期点検や事故で停止期間が長い。長い停止期間を補うために次々と原子炉を併設していく。事故が発生した時に隣接する原子炉にも事故が連鎖する可能性が指摘されており、実際に福島第一原発では1~4号機が連鎖的に甚大事故に至っている。
 米国では竜巻の被害が多く、非常用発電機は地下に置かれる設計となっている。日本では竜巻被害は少なく、津波被害を優先的に想定すべきであった。1-4号機共に2機の非常用デーゼル発電機が地下におかれ、空気取り入れ口も同じ高さに置いた為、津波の浸水を受けて空冷式で建物屋上にあった6号機の1機の緊急発電機を除き、すべて機能停止した。これにより交流電源を失い、バッテリー蓄電池を使い切ったところで直流電源も失う事となる。GE社は非常用発電機を上層階へ設置する図面を東電側に提出していたが、東電側が火力発電単価よりも安く抑えるため建設費増加を嫌い地下に戻した経緯がある。電力会社は供給原価に基づき電気料金を決定する「総括原価方式」が認められている。安全対策には最大限の支出が行われてしかるべきだが、「原子力は安い発電方法」という神話を押し通すために安全性を犠牲にした設計や運用が行われて来ており、これが過酷事故に繋がった。
 2003年10月小泉内閣により香川県多度津に310億円を投じて造った多度津工学試験所の解体が決定された。実物原発と同規模の世界最大級原発耐震テスト設備であった大型振動台が実験所の建物と敷地ごと2億7700万円で今治造船に引き渡され、解体撤去されて屑鉄として処分された。実機による試験をする研究施設がなくなり、耐震信頼性のコンピュータ試験を行う際に使用するプログラムの数値を変更すれば、どんな原子炉でも安全性は確保される事になる。実際に建築後の原発における耐震性能は配管に振れ止めを付ける程度のことしか出来ず、パラメーター変更で耐震性能を変更してきた。
 福島第一原発は「基準地震動Ss」(想定限界地震動)550ガルを想定していた。国会事故調は「2号機、3号機、5号機の最大化速度値が最大応答加速値をそれぞれ25%、15%、21%上回っている」としている。最大応答加速度とは基準地震動Ssの地震が原発を襲った場合、原発施設の部位がそれぞれ最大でどれほど揺れるかを計算値で求めた値である。
 1995年阪神大震災で818ガル(ガル=最大加速度)、2003年宮城県北部地震2037ガル、2004年新潟県中越地震で新潟県川口町で2515ガル、2007年中越沖地震では基準地震動最大値2058ガル、新潟県柏崎市西山町で1019ガル、柏崎刈羽原発1号機岩盤で1699ガル、2号機が305ガル(上下方向)、3号機タービン建屋1階で2058ガル、2008年岩手内陸地震では観測史上最大・世界記録の加速度4022ガルの地震動が測定されている。2011年東日本大震災では最大2933ガル、福島第一原発2号機は550ガル、3号機は507ガル、5号機は548ガルが測定された。2016年熊本地震で最大加速度1580ガルを記録している。歴代の地震観測から見て、東日本大震災で福島第一原発を襲った地震の最大加速度は最大級のものではない上に震央は180Kmも遠方であった。原発の耐震ストレステストは700ガルを想定して行われており、近年の地震に対し、あまりにも過小な基準と言える。
 2001年11月浜岡原発1号機で蒸気凝縮系で水素が発生し爆発、配管が破断し原子炉が停止する事故が発生した。中部電力は配管内に水素がたまらないよう遮断弁を設置して対応していたが、2002年に蒸気凝縮系を取り外している。中電の説明では遮断弁の保守管理に手間がかかるためとしている。逆U字管に水素逃し弁を設置すれば水素爆発は起きないのだが、電力会社は設置費用負担を避けて蒸気凝縮系撤去に動いた。2003年に東電社長勝俣恒久が原子力安全委員会に上申し小泉内閣の認可する決定によって福島第一原発2-6号機の「蒸気凝縮系機能」が、10億円をかけて外された。東電会見での説明では現実問題としてこれまで一度も使ったことがなく水位の制御が極めて難しく、浜岡原発で水素ガスが爆発した事故もあり撤去したとの事だ。東海第二原発や女川原発でも蒸気凝縮系は取り外されている。
 外部電源を失っても動作する冷却系として「非常用復水器」(非常用炉心冷却装置・IC・福一1号機)・高圧注水系(HPCI)(福一1-6号機)・「蒸気タービン駆動の非常用炉心冷却装置」(隔離時冷却系・RCIC系・福一2-6号機)「蒸気凝縮系機能冷却システム」(RCIC系)(福一2-6号機)があった訳だが、前述の通り蒸気凝縮系は撤去されて存在していなかった。高圧注水系のポンプ流量は隔離時冷却系の10倍程度あるが、原子炉水位の上昇が早いため作動と停止の繰り返す頻度が高くなりバッテリーの電力消費が多い。
 隔離時冷却系は電源が無くなっても開状態が維持されるが、圧力容器と格納容器内の圧力差を利用するものであり、圧力が同一になれば動作しなくなる。撤去されていた蒸気凝縮系は原子炉の上下の温度差を利用する崩壊熱除去の仕組みであり、電源が絶たれても長時間機能するはずであった。
 1993年北海道南西沖地震による北海道奥尻島での津波被害発生により、1997年に4省庁が津波防災対策報告書を取りまとめている。福島県大熊町は6.4m、双葉町6.8mの予測値である。2002年7月地震調査研究推進本部の「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」策定では、「三陸沖北部から房総沖の日本海溝寄り」の海域でM8.2規模の地震発生を予想している。同年、土木学会の「原子力発電所の津波評価技術」を受けて、東電は6号機の非常用海水ポンプ電動機を20㎝かさ上げし、また建屋貫通部の浸水防止対策と手順書の整備を行った。
 2008年6月原子力設備管理部長吉田昌郎は明治三陸地震(1896年M8.6)と同程度の地震が起きた場合、福島第一原発に「福島第一原発に15.7mの津波が来て、4号機の原子炉建屋は2.6m浸水する」という計算報告を受けていた。上司の原子力立地本部副本部長武藤栄は「このような高い津波は実際には来ない」と考えて、抜本的な対策を講じなかった。
 3月11日14:46発震後、1-3号機は緊急スクラム。14:47非常用ディーゼル発電機が自動起動した。包括的核実験禁止条約(CTBT)に基づき群馬県高崎に設置されている放射性核種探知観測所放射性核種探知によって、15:00にはキセノン133を大量検出している。15:29には1号機から約1.5 km 離れたモニタリング・ポストMP3 で高いレベル (Hi-Hiと表記) の放射線量を知らせる警報が鳴った。15:27に津波第一波到来を受けて冠水。1号機非常用復水器の開閉バブルが地下室にあり、東電職員の二人が危険を顧みずにバルブ操作のため地下室へ行き、津波で亡くなった。15:42までに津波被害を受けなかった6号機の1台以外のすべての非常用ディーゼル発電機が停止した。17:19には建屋内で高レベル放射線を計測している。17:50には建屋内放射線モニタ指示値も上昇した。
 1号機内部で作業していた作業員の証言によると「老朽化が進んでいた無数の配管やトレーが天井からばさばさと落ちてきた」とのことである。4階付近では「水が大量にゴーッっと襲ってきた」との証言もある。経済産業省原子力安全・保安院が、東京電力福島第一原発1号機の原子炉系配管に事故時、地震の揺れによって0.3平方cmの亀裂が入った可能性のあることを示す解析結果を発表している。非常用復水器(IC)系の配管が格納容器外で破損したと推定される。定期点検で交換するのは重要器具だけで、周辺の装置はそのままなのである。稼働後39年に達していた1号機は地震による主蒸気漏洩が発生しやすい状態にあった。元来、元原発技術者・平井憲夫の証言によると、原発耐用年数は原子炉圧力容器鋼材の中性子照射脆化により10年程度で廃炉、解体する予定でいた。一般的なボイラー機の寿命は30年であるが、老朽化した原発には脆性劣化という弱点があり、炉心周辺機器はことさら脆性劣化が著しく進む。鋼材の脆性遷移温度が中性線の照射により上昇し、緊急水冷時に圧力容器が破壊される危険がある。それを30年と設定し、後に40年と延長し、現在原子力規制委は選択制としてはいるが耐用年数を60年への再延長を許可している。
 朝日新聞特集「プロメテウスの罠」で、福島の女性塾教師が午後2時46分の地震の後、3時30分頃スーパーで元塾生の原発作業員から「先生!逃げろ!原発の配管がメチャクチャだ!」と聞かされたとの記載がある。津波到来前の時刻である。地震直後から作業員は逃げ始めていた。他の作業員証言からも地震直後から大勢の作業員退去が始まっていた事が伺える。
 関西電力大飯原発3・4号機運転差し止め訴訟福井地裁判決では「(福島第一原発)国会事故調査委員会は津波の到来の前に外部電源の他にも地震によって事故と直結する損傷が生じていた疑いがある旨、指摘しているものの 地震がいかなる個所にどのような損傷をもたらしたかの確定については至っていないその原因を将来確定できるという保障はない。」大飯原発再稼働を認めていない。
 2010年5月に福島第一原発に重要免震棟が完成する。2007年中越沖地震で柏崎刈羽原発の事務本館が被災してドアが開かない状態となった為、新潟県知事泉田裕彦が重要免震棟の設置を東電に強く要請し、福島第一原発にも必要であるとして設置されたものである。首相補佐官寺田学の手記によると3月12日にベント要請で菅総理と福島第一原発に赴いた際、免震重要棟内部は人でごった返しており、「階段の壁には、びっしり人が立っていた。休むところがなく、壁にもたれて休んでいる様子。」と記している。免震重要棟がなければ間違いなく福島第一原発が放棄された事は確実である。
 浜岡原発1・2号機は反原発運動が功を奏して廃炉過程に入っていた。福島第一原発も1号機だけでも廃炉もしくは休止に追い込んで入ればその後の状況は全く変わった展開になっていただろう。稼働中の1号機が地震で内部配管が損壊した時点で命運は決していた。また、津波に対する必要な対策がなされていなかった。例えば別途高台などに非乗用ディーゼル発電機を設置する費用は8億円、1-4号機と5・6号機への非常用電源ルート設置には80億円と推測されており、複数の電源回りの確保だけでも行うべきであった。結局、津波により受電盤が冠水し、電源復旧に8日も費やす事となった。福島第一原発過酷事故を避けるには「1号機の廃炉」「津波対策」の2点が必要であった。



原発を終わらせる (岩波新書)
石橋克彦
岩波書店

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