大同市林業局の技術者によって、「ここはダメ!」と折り紙(?)をつけられたにもかかわらず、采涼山プロジェクトは成功しました。いくつもの理由がありますが、なかでも欠かせないのは、中国側の2人の人物の貢献です。
その1人が侯喜さん。大同市林業局で40年働いたベテラン技術者ですが、定年退職後に緑色地球網絡大同事務所の技術顧問として活躍してくれました。この隣接地の実験林場「カササギの森」の建設にあたっては . . . 本文を読む
ノウサギの害が止まらないのは、ノウサギが事実上、食物連鎖のトップにいるからです。もとはこの地方にオオカミがたくさんいたそうです。新栄区の農村出身の魏生学さんはその思い出を語りますが、彼はまだ50歳前ですので、そんな昔の話ではありません。戦争中にこのあたりにきた日本人から、周囲の山からオオカミの遠吠えがよく聞こえた、という話をきいたこともあります。
カササギの森でオオカミの子がつかまったことがあり . . . 本文を読む
もとのペースに戻りますね。植えて2年ほどたつと、こんな状態になってきました。マツの姿はまだ目立ちませんが、草が繁ってきました。といっても、日本の山とは比べ物になりませんけど。このシリーズの最初、整地作業の写真と比べると、変化がわかると思います。
原因は2つあります。1つは植林がなされたことによって、ヒツジなどの放牧が禁止されたことです。もう1つはあのような整地がなされたことにより、降った雨がその . . . 本文を読む
マツは小さな苗を植えたのですけど、最初のうちはなかなか伸びてくれません。そのようすを順々に紹介しようと思っていたのですが、それだと、みなさん飽きてしまって、読み続けてもらえそうにありません。それでは困るので、2000年春に植えたところの2013年8月のようすをみていただきましょう。14回の成長期が過ぎたところです。
いつも同じ場所で定点観測をしていたんですね。たいていは大同事務所の武春珍所長と王 . . . 本文を読む
植えたのは小さな苗です。2003年春までは、アブラマツ(油松)は2年生、モンゴリマツ(樟子松)は3年生の小苗を植えていました。日本からの参加者から「草のように小さな、頼りない苗で大丈夫なんですか?」と疑問がでたほどです。
植えて1年がたっても、こんなものです。モンゴリマツは初期の生育がとても遅いので、植える人間としてはイライラします。かといって、苗を引っ張ったのでは逆効果。
モンゴリマツはユー . . . 本文を読む
ワーキングツアーのメンバーも参加して、マツの苗を植えます。ここは主としてモンゴリマツ(樟子松)。整地作業のところで、3m間隔に溝と土手をつくると書いたのですが、この写真でその意味がわかると思います。マツの苗は溝の底に、溝と土手とがつくる壁に寄せて植えます。
苗の間隔は1mです。これで、1haあたりの本数は3300本になります。
乾燥地では、樹木が育ち、森林が成立するのは、たいてい北向きの日陰斜 . . . 本文を読む
1999年4月に采涼山プロジェクトの起工式をもちました。参加したのはサントリー労働組合のツアーで、「苗には水を、人には酒を」というような人たちです。ある年のツアーは、18人のメンバーで、ビール96本、パイチュー7本を空けたことがあります。でも、彼らがかかわってくれると、なぜか、あとの成果に結びつくのです。
前回も書いたように、このプロジェクトが武春珍の初仕事でした。それまで緑化にはまったく関係が . . . 本文を読む
大同における緑化協力で最初に取り組んだのは黄土丘陵にマツを植えるプロジェクトでした。初期は失敗することが多かったのですが、大同県、陽高県、霊丘県などで成功するプロジェクトがでてきました。典型的な1つが大同県聚楽郷の采涼山プロジェクトです。実験林場「カササギの森」の入口にあたるため、毎回のツアーがここを訪れています。
武春珍さんが緑色地球網絡大同事務所に入って、最初に取り組んだのがこのプロジェクト . . . 本文を読む