ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

駆け足で近づいてきてきる春

2022-03-14 10:04:03 | スキー
今週末も野沢温泉へ。
名古屋からの北上途中夜明け前の南アルプス
日が昇るのが段々早くなってきていることに春の訪れを感じます
梓川SAではオレンジ色に輝く北アルプス
高速道路を降りて飯山市の千曲川沿いの国道の雪の壁も先週に較べると遙かに少なくなっています
宿に着くと、野沢菜とお茶
不思議なくらいに空いている野沢温泉スキー場
ゴンドラから妙高山方面をみると春霞でもやっています。


灯籠木峠から水尾山へは動物の足跡以外は無し。
微かに先週の我が家のトレースの跡を
鬱蒼としたブナ林


春、ですね。

水尾山で。
水尾山から奥志賀林道へ。先週よりもスギの花が多くなっています。


埋もれたツアーコースの看板が歴史を感じさせます。
ブナ林の間を




我が家以外は誰もいない自然
昔あった七ケ巻スキー場跡
七ケ巻の集落に着いてポカポカ陽気のもとビールで🍻。今年も無事にツアーを楽しめた事に感謝
千曲川の方から踏み切りの音。静かな谷あいに響きます。よく見ると飯山線の車両が1両。ディーゼルエンジンの音が山あいに。


長閑な冬と春の境目の季節
野沢温泉の温泉街のマンホールは野沢温泉の郷土玩具の鳩車がモチーフですが、ここ七ケ巻は異なるデザイン
七ケ巻。バス停は最後まで“ならまき”という本来の名前でしたが、数年前から”なながまき“と。

いつもの記念撮影
お昼過ぎに野沢温泉へ
そして昔からの街中華の“王龍飯店”さんへ
スマホの写真アプリの調整ミスで文字が逆に。
昔ながらのお店
先週は長野県にマンボーが出ていたのでビール無し。解除された今週は餃子と🍻という悪魔の囁きに身を委ねました!


お昼の後は近くの松葉の湯へ。
民宿街にあるこじんまりとした外湯なので時間によってはこみますが、昼過ぎなので空いています。地元の方もいましたが、今日帰るという神奈川のお兄さんとお話しも。
外には温泉卵用の温泉
夜は早めに。
日曜日は滑らずに東京経由で帰るので朝食前に朝から外湯へ。

十王堂。天候によって温泉の色が変わります。この日は白濁していました。因みに先週は緑色
ここにも温泉卵。朝なので沢山ありました
温泉饅頭は色々とありますが、我が家はみゆき商店さんの”道祖神饅頭“チーズ入りのとても美味しい温泉饅頭




雪の壁も低くなって遠くの木島平スキー場も見えます。春、を感じます。

飯山の街を

ジャンプ台の近くにある“正受庵”へ。
ここは樋口可南子さん等が出演された映画”阿弥陀堂だより“のモデルと。実際のロケは飯山市の別の場所で撮影されたそうですが。
今年は雪が多いです



ここの方がスコップで除雪されていました。
“今年は多すぎますね”と呆れた、そして疲れたご様子。ご苦労様です
東京へ向かう途中、必ず寄る横川SA。そしておぎのやさんの釜飯。ここには釜飯の釜のリサイクルボックスも。我が家も前回の釜を。
そして冬の名産、下仁田ネギ。毎回来るたびに、もうお終いですね、と言い続けて今回も購入。お店の方と、”今年は雪が多くて、寒かったのでまだでていますね“と。
東京経由名古屋へ。
お気に入りの東名高速油比PAで。天気悪くて富士山は今日は一度も見えず雲の中
天気良ければ富士山、愛鷹山、伊豆半島が綺麗に
海を見ながらおぎのやさんのマーボー丼
釜飯をいつも買いますがたまには趣向を変えて釜飯以外を。おぎのやさんも釜飯だけではなく色々と。


名古屋→野沢温泉→東京→名古屋と900Km。

去りゆく冬と、かけ向かって来る春を感じた週末








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本来の名前が消えてしまった集落へのクラシカルツアー

2022-03-08 10:32:12 | スキー
天気良いので野沢温泉から隣の七ケ巻(ならまき)へ。
灯籠木峠から水尾山へ
誰もいない、自然本来の森。スキー場のスピーカーの音が微かに
別天地。
水尾山からは北西方面へ。
誰もいない我が家だけのシュプール。新雪を
滑り降りると奥志賀林道へ。
誰もいない、そして動物達の足跡🐾の他には何もない白い奥志賀林道。
林道沿いを見ると
真っ赤なスギの花。見ているだけで鼻がムズムズしそう。
鍋倉山。天気良ければ鍋倉山の奥に妙高山が見える絶景地。今日は天気悪くて妙高山は雲の中
七ケ巻への尾根を
動物達の天国!
春の訪れを感じさせる陽光
このツアーコース。今から20年くらい前までの山スキーのツアーコースガイドには必ず紹介されていました。野沢温泉でも宿のご主人たちがお客さんを連れてよく訪れたそうです。
今はもう滑る人も少なく、ツアーコースの看板も
自然と一体化。このコースはかれこれ20年くらい毎年通っています。最初の頃はまだ、看板にもうっすらと文字が残っていました。
木々もこの20年の間に大きくなって、昔は木々の存在は関係なく滑ることが出来ました。今は大きくなった木々の間を









七ケ巻には昔、小さなスキー場がありま
した。かなり昔にやめて、暫くは食堂らしきものもありましたがついに崩れて雪の中に
リフト乗り場の跡
下からスキー場跡を見上げると大きな段々畑。
今年は雪が多いから気が付きませんが、大きな段々畑で隣の同士は見上げるように大きな段差。
降りて来ると一日数本のバスのバス停
ここは”七ケ巻“
本当は“ならまき”と昔から呼ばれていた場所
でも、いつの間にか”なながまき“と。
最初は道路の案内で呼び名変更、暫くはバス停は昔の“ならまき”。でも数年前からバス停も”なながまき“に。
“ならまき”という地名は何かしらかの宛て字だったのかもしれません。ただこうやって昔からの名前、地名が消えていくのですね。


バス停は小さな倉庫のまえに。その倉庫には、懐かしい”ケンメリスカイライン“と“若き岩城滉一さん”
昼過ぎにはバスに乗って野沢温泉へ。一度、バスに間に合わずタクシーを呼びました。バスは二人で600円、タクシーは6,000円でした。
先ずは外湯で。
1番奥の滝之湯へ。14ある外湯の中では1番高いところにあってここへ行くまでに野沢温泉はもちろん、鍋倉山、斑尾山、妙高山を見ながら行くことが出来るので我が家のお気に入り
戻ってくるときにはこんな看板も。若い頃にはよく雪山があると仲間たちと誰かを雪山に放り込んでいたな!と懐かしく。若さ故の無謀さも特権かな。
昨年掛け替えられる前の長坂ゴンドラ。1990年に立ち乗りゴンドラ。中には電車のつり革みたいなのがありました。野沢温泉スキー場がスキー客で溢れかえっていた懐かしい時代
温泉のあとにビール飲もうとお店に入ったら、マンボーの影響でお酒の提供は出来ないとのことで宿でビール。

夜は宿の窓からゲレンデで打ち上げられた花火










翌日日曜日は冬型に戻ってあさから吹雪とガス


樹氷は綺麗ですが、視界も悪いのでスキーは中断
そして野沢温泉スキー場のスキー博物館へ。
いつも冬の間には色々と企画展を開催しているので毎年来ても飽きません













自分のテレマークスキーの3ピンメーカーの約100年前の金具。よく見ると3ピンではなく4ピン
これが当時の”格好よい“テレマークターンなのですね。疲れそうですが





100年近くのヨーロッパのスキーのポスター
ファッショナブル、そしていかにも上陸階級の遊びだったスキー





野沢温泉スキー場と言えば毎年、素敵なポスターを作っていて、それも楽しみ。そして野沢温泉スキー場と言えば岡本太郎さん。今は運休中の真湯連絡リフトからは砂防堤防に描かれた岡本太郎さんの作品を見ることが出来ました!


少し天気良くなったので上のゲレンデへ。
とりあえず、ゲレ食。
野沢温泉スキー場と言えば“カツカレー”
美味しいです。
お昼を食べ終わると、下から巻き上げる強風とガスで滑り降りるのにもストック使うくらい進みません。こんな時はさっさと温泉へ
真湯へ
そして川原湯とハシゴ
宿に戻ってのんびりと。
翌日月曜日は休みをとってスキー。でも天気の回復が遅れて相変わらずの天気。
あちらこちらふらふらしながらお昼は昨日とは別のお店でカツカレー

ところで、月曜日はウィークデーなので空いていますが、このご時世、コロナ対策と言うことでゴンドラはグループ、それ以外は一人ずつの乗車。つまり4人乗り、12人乗りもたった一人で乗車。さらに、週末ではないので、ゴンドラは間引き運転。電力消費を抑える為とはいえ、行列がながくなるのに拍車をかけています。そして週末は稼働していたゴンドラに並行して上ることができるリフトも運休。
意外と移動に時間かかります。こうなるとゴンドラは効率悪いですね。
降りてきて、宿近くの外湯、そしてお気に入りの”みゆき商店“さんの温泉饅頭、“道祖神饅頭”を。チーズ入りで美味しいです。
あとはバナナ一本入ったバナナボートを。

温泉でポカポカした体で名古屋へ









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