ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

アイサイト

2017-07-13 08:34:45 | 
東京の実家と名古屋を往復する機会、増えてスバルのアイサイトがとても重宝

新東名高速経由で実家まで、燃費は
15Km/l以上、途中の最高平均燃費はさらに↑

流石にHV車に比べれば、燃費悪いですが、2500CC、四駆であることを考えると、素晴らしい燃費。アイサイトのACC(Auto cruese control)を使って極力アクセルを踏まずに。
因みにJC08でのカタログ値は14.6Km/lです。
しかも、レギュラーガソリン。
東京でガソリン入れると2500円強。
良い車です。

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隠れた宝物

2017-07-08 14:03:10 | アウトドア

色々あって名古屋と東京をバタバタと。
久しぶりに妙高へ。

環境省パークボランティア活動の前にいつもの雪山賛歌の碑でモーニングコーヒー☕
蒸し蒸しした名古屋からは別世界!
パークボランティア活動で、笹ヶ峰遊歩道の整備と外来植物の駆除


梅雨の晴れ間、初夏の笹ヶ峰、緑が眩しいです。






緑色、陽光で色々な緑色に

木々も、長く厳しい冬からの開放感、生命の清々しさを。

足元を見ると花々











そして、枯れた木も

午前中に作業終了。
いつもの明星荘さんへ。

そして、なんといってもこの時期のお宝

100%、妙高、笹ヶ峰原産の蜂蜜。
妙高・笹ヶ峰の隠れたお宝
この蜂蜜に触れると、他の蜂蜜は、もうダメ

そしていつも、非売品の精製していない蜂蜜そのものを。
実は数年前に父親も連れてきたこともあり、おばさんと父親が亡くなった話をしたところ、父親の霊前に、と小瓶に入れた蜂蜜をいただきました。

ありがとうございます。

東京の母用に一つ、購入。

今度、東京へ行くときに!

コメント (2)
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名古屋と東京を往復しながら感じたこと

2017-07-03 14:28:14 | 身の回り
父親が亡くなり、名古屋と東京を車で往復しながら感じたこと、色々と
①東名、新東名の夜のトラックの凄まじさ
危篤の連絡を受けて夜0800に名古屋を車で出ると、新東名の異常な光景を。なんと、東京へ向かうトラックの車列が走行車線のみならず追い越し車線にも。それも走行車線を時速70Kmで、それを追い抜く追い越し車線で80Kmの走行。これでは最高速度を上げても全く役に立たないです。そして東京近くの出口では夜間割引を待つトラックの列(路肩)。パトカーが来てもアナウンスするだけ。
②実家は杉並区。駅から歩いて7~8分の閑静な昔ながらの住宅街。確かに健康なときには住環境素晴らしいですが、高齢になると大変。杉並区でも商店街が少なくなり、駅近くだけ賑やか。大きな道路も、少なくタクシーを探しに行くのも大変。確かに帰ると高齢者の方達がゆっくりと、休みながら歩いています。
③移動の時間が大変。若い人ならば、電車に乗っての移動、便利ですが、高齢者になると、電車よりもバス。というのもバスを選べば乗り換え少なくなります。でも、バス(車)の移動にも時間が。実家から都立広尾病院まで距離にして12Km。それに1時間以上、車ではかかります(名古屋ならば都心部でも30分)。東京は、情報のスピードは、速いですが物理的な移動にはもの凄く時間が。
④そして何よりも病院に入れない。救急車を呼んでも、受け入れを容認する病院を見つけるまでが大変。父親の場合、都立広尾病院へかかりつけであったのですぐに受け入れてもらえましたが、そう出ないと大変(父親も、最初は心臓発作で1時間たらい回し)。
⑤結局、若いうちはよいが、高齢になると、都会の駅近くにしか住めない、でも、そのようなところは高額。

色々と、考えさせられます。
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怒濤の1週間

2017-07-03 12:11:00 | 身の回り

個人的なことですが先週、突然父危篤、そのまま亡くなりました。
買い物へ行き、戻るときに倒れて救急車、そして行きつけの都立広尾病院へ、昏睡状態で静に亡くなりました。
元々、17年前に心臓発作で倒れて、なんと東京中を約1時間たらい回しになり、都立広尾病院へ搬送。

当時、広尾病院は色々とあり大変でしたが、入院などしたことのない父、母親も、気が動転していました。ところが、広尾病院の救急課の婦長さん、今で言う士長さんは、なんと、髙谷池ヒュッテの常連客、よく存じ上げていたNさんでした。当時”婦長さん“の愛称で皆さん、呼んでいました。
母親に、この婦長さん、訪ねてみたら?、と言ったところ、”あ~いつも夫婦で登っているお二人のお父さんなんだ。大丈夫ダヨ!“と言われて安心したのか、母親は一人で旅行に出かけました(入院している父親をそのままにして)。というのも婦長のNさん曰く”こんなときじゃないとゆっくりできないから思い切って旅行に行ったら?父親の面倒はちゃんと看ておくから“
そして無事に帰宅してから17年間、何かあれば広尾病院に通っていました。
この時のN婦長さんは、早めに退職されていますが、父親の最後を看取ってくれた今の士長さん、そして看護師さんは、皆さんN婦長さんのことをご存じ、そして看護師さんに至っては17年前にに父親が入院したときの担当看護師さんでした。
最後、病院の霊安室から出るときには士長さん他、なじみの先生達も見送りに来てくれました。
色々とありましたが、色々とやることがあり、大変。でも、人として生きている限り、必ず、経験することですからなんとか。
昔とは異なり、また、地方とは異なり東京のど真ん中、物事は非常にシステマチックに進み、人の心が追いついていかない、そんな現代的な状況。

どんどん、無機的に、事務処理的に。

コメント (2)
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