ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

東海道をひたすらに

2019-10-23 12:39:06 | 旅行記
週末は、東京の実家へ。
名古屋からは東海道を。

西尾市吉良町へ。
ここは赤穂浪士では”悪役”として有名になった吉良上野介の領地
吉良家のお墓へ。




華蔵寺が菩提寺












案内表示も”吉良さん”と、親しみを込めたものもあります。








お寺の中へ。
他にも関東地方から来ている人がいましたが(車のナンバーで)、お金を払わずに障子を勝手に開けてパカパカと写真撮っている年寄りがいましたが、わが家きちんとお金を払って中へ(たった200円なのに!)
中は、昔ながらの雰囲気、そして枯山水のお庭が素敵。






今は、歴史研究も進み、吉良上野介=悪役、浅野内匠頭=善人ということもなく、むしろ吉良上野介は名君、浅野内匠頭は癇癪持ちのどちらかというと無能な殿様、松の廊下の刃傷沙汰も、浅野家の江戸の無能な役人にも起因しているとか、色々と。
また近々、この刃傷沙汰の映画も公開されるので、寄ってみました。

地元の無念さがよく表れています。

近くには日本初の南極探検をした白瀬隊長のお墓があるのでついでに。













もともとは愛知県の挙母町(ころもまち)、今の豊田市で没していますが奥さんゆかりの地の西尾市へ分骨したものだそうです。




南極観測船”しらせ”のスクリュー。
この船、もといた会社で建造した船だったかな。
あとは浜松方面へ。




新所原駅にあるうなぎ屋さんで母も好きな鰻を購入。このお店で国産の実際に焼いていて、しかも高くないです。穴場。
この新所原駅の隣の鷲津は豊田家発祥の地、今も豊田町という地名が残っています。天竜川の運ばれてきた木材を使って豊田佐吉が機織り機を作ったのが豊田自動織機、その会社の子会社としてできたのが豊田自動車。ちなみに昔は”豊田”と書いて”とよだ”と濁っていました。最初のトヨタ車もエンブレムは”TOYODA”でした。
しばらく東海道(国道1号線)を走って東名、そして新東名で東京へ。
日曜日は東名、新東名が下り線が集中工事なので東海道(1号線)を、名古屋へ。



やはり旧街道の名残も多く、松林も。
大磯あたりではサーフボードを自転車にくくりつけた年配の人達(還暦の自分にとっても先輩と思われる人達)が沢山。
そして箱根越え







芦ノ湖は林の中で見えませんでしたが箱根山を見ながら箱根峠へ。
すっかり秋、寒いくらいです。
あとはひたすら下って柿田川、湧水地へ






曇りがちの天気なので思ったほどではありませんが、富士山からの湧き水、なにか神秘的でした。
あとは清水インターまで東海道、そして新東名で名古屋へ。






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