ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

もうすぐ春ですね。

2021-02-22 10:09:03 | スキー
ぽかぽか陽気の2月末。野沢温泉へ。
前日まで雪が降っていたので気温がら上がる土曜日の午前中がピンポイントで新雪を楽しめるかな。

北アルプスも紅く染まりはじめて。
日の出が早くなりました。1月ならば同じ時間で真っ暗闇。

いつも行く妙高山も。
そういえば、今回はサービスエリア、車で一杯でした。野沢温泉の民宿のおばさんに後でも聞いたら今回の飛び石連休は前回の飛び石連休よりも圧倒的にお客さん、多いとのこと。

風が強く長坂ゴンドラが朝は運休、日影ゴンドラにお客さんが集中。長い行列。まぁ長いといってもバブルの頃のように長坂ゴンドラと行列と日影ゴンドラの行列が途中で交差して互いに“どっちが早いですかね!”と言ったのが今は昔。
灯籠木峠から奥志賀林道経由七ヶ巻(ならまき)へのクラシックルート


ブナの原生林中、閑かな山



水尾山へはハイキング気分で



山頂には我が家だけ。
嫁さんは東京のNordさんのネックウォーマーを花粉症対策で。杉の木も多いこのルート
北西斜面、まだ暖かくなる前なのでフワフワの雪を。





これがたまりませんね。
奥志賀林道へ



ここまで来ると暑くなってきました。
後ろをふり返ると我が家だけのシュプール



そういえば、野沢温泉ではこの冬、1人でバックカントリースキーに出かけた東京の人が行方不明、昨日まで捜索していたのですが捜索打ち切りとなったとのこと。いつも寄らせていただいているコンビニ(兼酒屋)の顔なじみの叔父さんからも、いるかもしれないよ、と。あまり出会いたくないですが。



栄村へ続いている奥志賀林道から七ヶ巻への尾根へ
妙高山、火打山、鍋倉山が綺麗に見えます

確か、今日は妙高山外輪山三田原山にはTさん、Kさん達、火打山の高谷池にはIさん、鍋倉山の隣の光ケ原にはSちゃん達のツアー(ひょっとしたら関温泉かな)。
昔からのコース
案内板も読み取れないくらい錆び付いて既にブナの木の一部と化しています。歴史が自然へ戻る瞬間ですね。
ここからは尾根が三つに分かれます。真ん中の尾根へ行くのが正解です。1番左の尾根へ行くと七ヶ巻の隣の集落へ国道歩きと。今回は右側の尾根経由で七ヶ巻へ。
もう20年近く来ているのでルート間違えることは何回も。でも地形は大体分かりますのでGPSをみながら七ヶ巻へ。

ニホンカモシカも。
こちらをジッとみています。
変な奴らが来ていると思っているのかな。
このルートの最大の難関は最後の七ヶ巻集落の巨大な棚田。途中で切れていることも有り、また、大きな段差。
お昼に七ヶ巻のバス停へ。
12:30を逃すと17:00までありません。昔、一度目の前をバスが通り過ぎてタクシーを呼びましたが野沢温泉まで6,000円かかりました。バスならば一人300円。タクシーを呼ぶと一回(ひょっとしたら二回)我が家の吞み代がパーになるので是が非でもバスに間に合うように。



この路線も過疎化路線、昔は普通のバス、そのうちにミニバス、そして今はワゴン車へ。
13:00には野沢温泉着
となれば、野沢温泉”地獄“
“外湯♨️→🍻→野沢菜”









昔、仲間ときていたときには混んでいて中々入れなかったお店。
食後はぽかぽか陽気の野沢温泉街を

夜は早めに。
野沢温泉に来たら朝風呂。



気持ち良いです。
温泉卵用の場所には温泉卵を入れたネットが顔を出しています。

温泉街からは朝の妙高山
そういえば民宿のおばさんと話をしていて、草津温泉で武漢肺炎ウィルスに温泉が何らかの効果がある、とのことが出ていましたが、ここ野沢では温泉街からは全く出ていない、やっぱり温泉の効果があるのかな、と。もし、これが事実ならば、日本人の歴史的な楽しみ(大袈裟かな)で感染予防できるならば最高ですね、楽しみながら。
今日は東京の実家経由で名古屋へ。



野沢温泉で1番好きなみゆき商店さんの道祖神饅頭と添加物不使用の野沢菜を。
飯山の町へ降りると千曲川の川霧が幻想的な光景を作り出しています。





沢山のカメラマンが川霧の中の木々を撮影しています。車の運転は大変ですが。
でも、この光景、春先の暖かい時に起きるのでもう、春ですね。

高速道路へ入って横川SAで母の好きな釜飯を購入しようとしたら新作のピラフを。
陶器の容器ではなくサトウキビからの容器でエコなもの、とのこと。説明書によると陶器の容器は重い、との意見が多かったとのこと。
実家で美味しく。
食後は近くのスーパーへの買い出し。ちょっと寄り道







半世紀近く前に通っていた小学校隣の神社へ。
梅が満開
学校帰りによく暗くなるまで遊んでいました。改築されて綺麗に整備されましたが昔は鬱蒼とした森の中の子供にはちょっと怖かった神社でした。

ちょうど校庭開放日の創立145周年の小学校。子供の時には大きいと思いましたが、大人になると小さく感じますね。でも、この小学校、まもなく移転。隣の御屋敷跡の森に縮小されて移転、ここへ近くの総合病院が移転。この総合病院も付け足し付け足しで拡張されてバラバラになっています。小学校も通っていたときには1クラス50人近く、1学年6クラス、多いときには7クラスありました。今は1クラス20人くらい、そして1学年1クラス。縮小されるのも仕方ないですね。
神奈川登戸の父親のお墓参りをしてから東名川崎から名古屋へ。

人が沢山いると思われる足柄SAを避け、新東名ではなく東名高速へ。そして大好きな由比PAへ。ここからは富士山が唯一名古屋から見て右側にみることができます。東京から名古屋へは御殿場JCからではなく清水JCから新東名へ。というのも今の新東名の起点である御殿場JCではトラックも交えて新東名へ入ろうとする車、自分より前に入れさせようとしない車同士のバトルが頻発しています。そんなのに巻き込まれたくないのと、海沿いを走る東名高速のほうが景色良いです。
雪はありますが暖かくてぽかぽか。頬を撫でる海風も心地良いです。
もう、春ですね。


























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする