社長の卓球日記

卓球の遠征記、その他日々感じたことを

昨日から中総体地区予選!

2010-06-20 06:03:02 | Weblog
「いわて卓球フェスティバルin大船渡」の興奮も覚めやらぬ昨日・今日と県内各地では県中総体の地区予選が開催されている。
 気仙地区でも同様に行なわれており、少しの時間だけであったが覗いてきた。
会場の米崎中学校体育館は満杯であり父母やギャラリーの多さに驚いた、大げさに言うと選手一人に応援団一人といった感じである。
 試合は団体戦が行なわれており、中学生の元気一杯のプレーと元気の応援が繰り広げられていた。

「いわて卓球フェスティバルin大船渡」大成功!⑥裏話その2

2010-06-19 07:59:04 | Weblog
 今日も、イベントの裏側第2弾を書いてみる。
 13日午前中は、技術講習会だったが前日の車中での松下氏との打ち合わせで、人数が多く時間が足りない旨を伝えたが、松下氏はこちらからお願いするまでもなく「参加者が選手達と数多く触れ合う機会を作りましょう!」と積極的に話され、選手との1本ラリーやサイン会が実現したのである。これは実に好評で多くの方から喜んで頂いたのである。
 参加者に対しての気配りや、卓球を発展させようとする強い気持ちが選手の皆さんから伝わってきたのである。
 控え室には飲物やクッキーなどの甘いもの、そして大船渡の名物になりつつあるTさんが作る「かま餅」を置いてあったのだが、選手達はそれらを残さず食べてしまったのである。吉田海偉選手がかま餅を手に取ったので、「蜜が出るから気をつけてください」と話したら、親指を立てて「大丈夫!」と言って上手に食べていたのが印象的であった。
 選手達のお昼は甘竹名誉会長のご案内でI寿司屋さんで「新鮮なにぎり」を堪能していただいた。
 午後の市民会館リアスホールには約1,200名を超える観客の皆さんがお出でいただいた。松下氏によると選手達もこのような場所で、こんなにも多くの観客に囲まれて卓球をするのは初めてだろうと話されていた。選手達にとっても嬉しい体験になったと思っている。
 Q&Aのタイミングでは、選手自らがベンチからイスを持ってステージの中央に集まってくれた。実を言うと、そのイスを誰が運ぶのかを決めていなかったのである。選手達の機転に私は助けられたのである。
この後の選手達のトークも素晴らしく、観客と一体になっていったのである。選手たちは一様に「今日の観客の方はノリが良かったと嬉しそうに話してくれた。」
模範試合が終わり、フィナーレのナレーションでは「これで終わるんだなぁー」という安心感や観客の皆さんへの感謝が寂しさと共にこみ上げてきて、おわりのことばをかんでしまったのである。恥ずかしい限りである。
 試合とQ&A以外は私の全くのアドリブであったが、私も選手の気持ちと同じで観客の皆様のノリ(協力)によって支えていただき感謝している次第である。
 帰りの車中、選手達はみんな疲れていたのか終始眠っていた。
 帰りの水沢江刺駅で選手たちはまた、そばやうどんなどをほお張っていた。とにかく食欲旺盛である。改札で握手をして分かれたが、選手のみなさんは顔が見えなくなるまで何度もこちらに向かってお礼の首を下げていた。なんて礼儀の正しい選手達だろうと、また最後に感心させられたのである。
 「お礼を言うのはこちらの方なのに」と、ますます彼らのファンになった。
これからもこの選手達の活躍を願って、皆さんと共に応援して行こうと思っている!
photo:地元紙東海新報より

「いわて卓球フェスティバルin大船渡」大成功!⑤裏話その1

2010-06-18 08:20:42 | Weblog
今日は、イベントの裏側を書いてみたい。
まず1年前にこの話を聞かされたときは、まさか市民会館(リアスホール)ステージで卓球の試合をすること、ましてや今を時めくこの4人が揃って大船渡に来るなど誰もが信じられない気持ちであった。この選手達は主に海外で活動している日本代表4人が全日本選手権以外で集結するなんて普通では考えられないことだからである。
 現に岸川選手は2,3日前に松下氏に至っては前日に日本に帰国して直ぐ翌日出発、また、水谷選手はこの期間には中国リーグ参戦が決まっていたのであり、前述したが吉田選手は13日に岩手から東京に戻り、翌朝は一路中国に向かったのである。松下氏は花巻空港から大阪にその日のうちに直接戻ったのである。
このように過密なスケジュールにもかかわらずこのイベントに来て頂いて、皆さんが感じたとおりの凄すぎるパフォーマンスや笑顔でサインに応えてくれ、今更ながらに素晴らしい選手団であったのである。
 前述の中に「後にも先にも最後かもしれない」と書いた訳である。
 ところで、12日(土)の夜は歓迎レセプションの中で、サプライズとしてイベント直前の6月9日に21歳の誕生日を迎えた水谷選手に、実行委員会からケーキを贈り参加者全員でハッピーバースデーを合唱、ローソクの炎を消してもらってみんなで祝福させていただいた。突然のことだったので本人は初め驚いていたがとても嬉しそうであった。
 また、吉田海偉選手が小西 杏選手と結婚したことも明かされたのである。
 レセプションが終了し、若い選手達はそれぞれ部屋に戻ったようだが松下氏と木村氏は、私がご案内をして大船渡市卓球協会のオアシス「大黒家」で懇親を深めることになったのである。新鮮なお魚をほお張りながらいろいろな話を松下氏から伺った。
 何かのよもや話の中から、じつは先月の13日に松下氏の第一子「桃花(ももか)ちゃん」が誕生したこともこのとき初めて知らされ、みんなで祝杯を挙げた。 
 松下氏は卓球に対する熱い気持ちや、日本卓球界の将来についてなど熱心に話され、私もついつい時間の経つのも忘れ聞きほれていた。大黒家の女将、市卓協のTさんが作る自慢のラーメンを食べ、同席した皆さんと記念写真を撮って散会となったのはもう12時をまわっていた。 
 写真は、地元紙東海新報より抜粋したものである。 明日もつづいて裏話を紹介したい。

「いわて卓球フェスティバルin大船渡」大成功!④模範試合

2010-06-17 06:37:44 | Weblog
13日(日)午後は「いわて卓球フェスティバルin大船渡」の模範試合が大船渡市民会館(リアスホール)に約1,200名のというホール始まって以来の多数の観客が入り13時30分から16時30分まで約3時間に渡り盛大に開催された。
 初めにこの大イベントの仕掛け人、立役者である甘竹秀雄実行委員長ならびに岩手県卓球協会名誉会長が開催までの経緯やこのイベントに対する思いを話された。まさにこの方なくして今回のイベントは有り得なかったのである。
 次に甘竹勝郎市長が歓迎の挨拶と次回の世界大会での活躍を期して観客の皆さんと共に約30秒にも及ぶ拍手で声援を送った。
 その後、選手団の紹介をして2台に分かれて練習が開始され、観客からは縦に台が2台並んでいる状態でフットワーク、ボールの勢い、曲がりの鋭さなどを見ていただいた。水谷選手はロビングで階段を下りながら客席での返球を披露した。
解説は松下氏お願いをして卓球ならではの動きなどを説明していただいた。
 いよいよ模範試合の開始である。(全て3セットマッチで行なわれた。)
 第1試合シングルスは、吉田海偉選手対松平健太選手であった。吉田選手が2-0で勝利したがフットワークやボールの威力は間近で見ていると凄い迫力を感じた。松平選手は得意のしゃがみ込サーブを自在に操っていた。
 次にダブルスが行なわれ、昨年の世界選手権横浜大会、男子ダブルス銅メダルの水谷・岸川組に対して今まで一度も組んだことないという吉田・松平組であったが健闘1セットを奪ったが、最後はしっかり銅メダルペアにかわされてしまった。サーブレシーブは絶対にミスをしない、打球していない時にはしっかり次のポジションを取っていて、さすがという他に言葉は見つからない。
 ここで15分の休憩を入れたが、ここでも選手達はファンサービスを忘れず楽屋に戻らないでずっと卓球を披露してくれた。この時間は選手達が本当に卓球を好きなんだなと、思わずこちらまで楽しくこの瞬間を味わっていた。利き腕でない方でプレーをしたりしていたが、非常にバランスよく上手にこなしていて感覚の良さが伺い知れた。岩手日報に載っていた写真はこのときのものである。(松平選手がペンのグリップをしていた。)
 休憩が終わって、サプライズゲームとして水谷選手と松下氏のシングルスをしていただいた。松下氏の鋭いカットに水谷選手も初めたじたじであったが、二人ともボンミスのない素晴らしいカット打ちであった。2セット目松下氏は練習不足のせいかきつそうであったが私がタイムアウトを取らせて頂き最後までプレーしてくれた。
 この後、4選手にQ&A方式で観客の5名から質問を受け、その方たちにはそれぞれステージに上がって選手からサイン入り色紙をプレゼントされ、そして選手全員と握手をさせていただいた。どなたも感動であったに違いない。
 そのうちの一人の女の子に「どの選手から色紙を受け取りたいですか?」という質問を登壇した時に司会の私から誰にも聞こえないように小声で聞いて、それを観客の皆さんに問いかけ拍手の多さで表現していただいた。4選手の内拍手が一番多かったのは松平選手であったが、これを女の子本人からマイクで発表してもらったら、実は水谷選手からもらいたのかったのである。
これを聞いた水谷選手は飛び上がり、ガッツポーズをして喜びを表したのである。水谷選手にマイクを向けてみたら「このことで健太に勝ったのは、試合に勝ったのより嬉しい」とはしゃいでいた。
 そしていよいよ、最後の試合は水谷選手と岸川選手の戦いである。もの凄いドライブの見ごたえのあるラリーの応酬で、最後は世界選手権後行なわれた、このフェスティバル直前のヨーロッパチャンピオンズリーグを制したチームで、優勝に大きな貢献をした岸川選手が水谷選手を抑えて勝利した。
 
これであっという間の模範試合の時間が終了し、閉会セレモニーではこのフェスティバルに合わせて実施した県小学生強化合宿のメンバーと地元の女子小中学生の代表がお礼の花束を贈り、実行委員会からは記念品をお渡しして「いわて卓球フェスティバルin大船渡」の一切を終了した。
 観客の皆さんは一様に感動と夢の中に包まれていた。
 この後、松下氏は一路花巻空港に向かい大阪に戻り、後の選手達は水沢江刺駅から19時12分発の新幹線で東京へ向かった。聞くところによると吉田海偉選手は次の日の朝8時30分発で中国に向かうと聞いた。なんともハードスケジュールの選手ばかりで、今更ながらに「よく大船渡に来て頂いたな」と未だ信じられない気持ちである。
 見送りが終わり、家に着いたのは20時30分であった。
 夢のような2日間であり、素晴らしい選手達と過ごせた時間は私にとって財産であり、実にラッキーなことであった。
 大船渡にわざわざ来られた方々やスタッフの皆さんに感謝あるのみである。
 明日は、今イベントの裏話などを紹介していきたいと思っている。

「いわて卓球フェスティバルin大船渡」大成功!③技術講習会

2010-06-16 06:27:13 | Weblog
 13日(日)午前中は「いわて卓球フェスティバルin大船渡」技術講習会が大船渡市民体育館に約900名の受講者や観客が参加し開催された。
 開会セレモニーでは、県卓球協会の小野会長から挨拶があり、続いて選手紹介がされたあと技術講習会に入り、ゲストの松下氏に進行をしていただいた。
 初めに、招待選手同士のところで基本的な技術を見せていただき、それを松下氏が解説するパターンで行なわれ、1つの台を受講者全員で囲み直ぐ間近で世界一流のプレーを見ることが出来、受講者は一様に驚きの声を上げていた。
 次に、6つのパート(6台)に分かれて一人一人がボールを打ってもらったのだが、何しろ受講者が多いので1コート120~130人ぐらいになるのである。
一定の選手とであれば不公平なところが出てくるので、そこはあらかじめ受講者を6つのリボンで分けていて、招待選手6人に箱の中に入っているこの6つの色を引いていただいて、そのコートを決める方式をとらせていただいた。
 招待選手たちは、それぞれ受講者に丁寧にボールを返し続くように努力していた。特に水谷選手のボールタッチはとても柔らかく、どこに来ても相手の一番打ちやすい場所に返していて、相手に対する心配りとその技術の高さに改めて感心させられた。
 それぞれのパートが全員終わったところで、15分間の休憩に入ったが選手達はその間もマスコミの共同インタビューを受けたりと、休む暇もトイレに行く暇もないほどであった。
 あっという間の休憩時間が終わり、後半の初めは各コートからそれぞれ5人の代表受講者と選手との1セットマッチのミニゲームを行なった。このときの選手もまた、前と同じ方法でで決めさせていただいた。水谷選手は一般とも当たり、かつての国体選手、小林みちる・村上英宏さんなどが真剣に挑戦していた。
 その挑戦した30人の中で唯一選手に勝ったのが、吉田海偉選手に勝利した宮城県中新田卓球クラブから来た中学生佐藤君、もちろんたった一人だけの勝利者だったので会場の皆さんに紹介し選手全員の祈念色紙をプレゼントさせていただき選手全員と握手もさせていただいた。照れくさそうな顔をしていたがすごく嬉しそうであった。
 ちなみに、佐藤君のお母さんは地元大船渡市立根町出身で、全国大会の出場経験もある方で特に私自身も懐かしく、自分の子供のことのように嬉しく思った次第である。
 このあとQ&A方式でさまざまな質問があり、その都度選手達は丁寧に答えていた。
つづいてサイン会が行なわれたが、これもまた選手達にリボンの色を引いていただき6つに分かれて頂き、一人一人に笑顔で丁寧に応じていた。卓球を愛する心、そして卓球を発展させるのだという強い使命感を垣間見た気がしている。
 選手達の卓球が強いだけではなく、その素晴らしい人間性にも触れることが出来たのである。感謝と賞賛である。

「いわて卓球フェスティバルin大船渡」大成功!②出迎え・レセプション

2010-06-15 06:12:01 | Weblog
 12日(土)選手の皆さんは東京駅に集合し12時40分発の東北新幹線「やまびこ号」で出発15時24分に水沢駅に到着。駅には到着する選手達を一目見ようと約40名の卓球ファンが出迎えた。地元奥州市卓球協会の柏山会長さんを初め高校生、そして一般の方もサイン用のラケットなどを手に集まっていただいた。
大船渡からは、鈴木会長と体協のS君と私が歓迎の横断幕を持参して駅に向かった。
選手達が水沢江刺駅に降り立ってからは、歓迎に出た人たちに選手達は笑顔をでサインや握手に応じていた。
 ここでまず初めに選手達の対応に驚かされたのである。
 高校生の皆さんと記念写真を撮り一路大船渡に向かった。松下さんと細部の打ち合わせをしながらの車中であったが松下さんは前日にベトナムから、岸川選手はフランスから日本についたばかりと聞かされ、そのハードなスケジュールには驚かされた。吉田海偉選手は13日東京に戻って、次の14日朝8時30分には中国に出発するなど平常の人間であれば出来ないようなことをこなしているのある。
 ホテルに着き、いよいよ6時30分からは歓迎レセプションである。
 山形県天童市や宮城県気仙沼市、そして県内各地から約110名の参加者で開催された。
大船渡市長の「さんりく大船渡」の熱唱などで選手皆さんの歓迎を2時間ほどであったが楽しくやらせていただいた。選手の皆さんは食べる暇もなくここでも笑顔でサインや写真撮影に応じていた。