行こうと思いながら、さくらまつりにも、リンゴの花見にも行きそびれてしまった青森の話題をダイジェストで。
●スパー跡にローソン
5月3日に「ローソン弘前中野四丁目店」が開店した。
「中野」というから、西弘前(弘南鉄道大鰐線・弘前学院大前駅)周辺かと思ったら、もっと南だった。
ローソンホームページ店舗検索より
弘前大学前から富田大通り(県道127号線)を進んで、県立弘前実業高校の先で聖愛中高前駅へ右折する丁字路の角。あそこはバス停の名称などから「松原」だと思っていたが、線路と県道の間は、松原郵便局の辺りまで「中野」なんだ。
2013年5月撮影のGoogleストリートビュー
ローソンができたはずの場所には、1年前の時点では、DVD屋とカラオケ屋が入る建物がある。
というか、ここは、昔、「ホットスパー(HOT SPAR)」というコンビニがあった(店舗名は不明。少なくとも1998年まではあった)。建物自体はその頃と同じはずで、カラオケ屋はあったような気もするが、別の店で左側(スパーが右側)だった気もする…
※正式には「ホットスパー」ですが、一般に「スパー」と呼ばれていたため、以下そのように表記します。
この記事で触れたように、スパーは秋田市では1992年頃から、ヤマザキデイリーに続くコンビニチェーンとして展開を始めた。サークルKサンクスやローソンよりも少し早い。秋田では秋田県大館市のスーパー「いとく」が関わっていた。
弘前ではスパーは多くなかったが、いとくの縄張り内であるので、やはり関与していたかもしれない。
その後、弘前のスパーはいつの間にか閉店していたようで、秋田市内のスパーはローソンに転換。全国的にもホットスパーのブランドは消滅したそうだ。
実業高校~松原の辺りは、ホームセンターやスーパー(ベニーマートなど。いつの間にかユニバースもできている)はあるけれど、スパーのほかにコンビニはこれまでなかったようで、それが復活した。
幹線道路沿いで、住宅地で、高校が2つあるから、けっこういい立地じゃないだろうか。
※画像が更新されたストリートビューで、ローソンの姿が確認できる。以前の建物を解体し、新たにほぼ同じ位置にローソンを建てていた。
●亀ハウス閉店(5月12日陸奥新報より)
弘前市富野町にあったライブハウス「亀ハウス」が、4月20日で閉店した。1992年から22年間の営業。
陸奥新報は「バンド人口の裾野を広げ、弘前の音楽シーンをけん引してきた」が、「バンド人口が減少の一途をたどり、終幕を下ろすに至った。」と伝えた。
僕が弘前にいた頃は、開店間もなかったことになる。僕には縁がない分野の店ではあるが、多少の思い出はある。
まず場所。
2013年5月撮影のGoogleストリートビュー。左手前が亀ハウス、右が弘大
富田大通り沿いの弘前富田郵便局の隣。向かいは、弘前大学の総合情報処理センター(出入口は裏側)という立地だから、よく通っていた場所であり、馴染みのある風景の一部であった。
亀ハウス。手前のログハウスみたいのが特徴的
もう1つは、テレビ番組。
亀ハウス内で収録された「人間椅子倶楽部」というローカル番組があった。
Wikipediaを参考にすれば1995年7月から1999年4月放送。記述はないが、放送局は青森朝日放送(ABA)で、日曜の? 23時台辺り? の放送だったか??
弘前市出身の2人が結成した「人間椅子」というロックバンドのトークや演奏からなる番組。好んで見ていたわけではないが、たまたま見て、「弘前市『亀ハウス』からお送りしています」とか言っていたのが印象にある。
※ローカル深夜番組といえば、青森放送テレビの「スーパーギャング深夜同盟」が懐かしい。「ガフィー」の「青森の純真」とか。
【2017年6月2日追記】亀ハウス跡は、その後空き店舗だったようだが、2017年4月24日に肉料理をメインとした飲食店であるアメリカンダイナー「Cherry」がオープン(5月17日付弘前経済新聞サイトより)。
また、上のストリートビューでは、2階には美容室が入っているが、2017年春でも引き続き入居し、看板類もそのままのようだ。
●弘大学食リニューアル(3月27日陸奥新報より)
弘前大学文京町キャンパスの大学生協・文京食堂が42年ぶりにリニューアルし、「見た目にも明るい雰囲気に」なったそうだ。
「Horest(ホレスト) 」という愛称があるようだ(以前からかもしれない)。
あまり思い入れはないし、基本的にメニューは国立大学はどこも共通だけど。
●新寺構 (5月10日陸奥新報より)
弘前市桶屋町に「新寺構(しんてらまちがまえ)」という、弘前城の一部だった史跡があるそうだ。
このほど、弘前大学医学部グラウンド付近175メートルを、当時の状態に近づけて遊歩道を設けるなど整備されたとのこと。
最勝院五重塔そばの、アップダウンがあって道が狭い一帯で、避けていた場所だったが、いつか行ってみよう。
●カモシカ現る(5月3日・5日陸奥新報より)
秋田市では、住宅地などをニホンカモシカが歩いていることがたまにあり、市民もさほど驚かないし、ニュースにもならない。
※過去に、竿燈大通りでタクシーとぶつかった時と、天徳寺辺りで小学生に頭突きしてケガさせた時は報道された。
(再掲)秋田のカモシカ
秋田市は平地の近くに手形山とか金照寺山など低い山が点在するので、そこから下りてくるのだろう。千秋公園には住み着いているという話もあるが、それはどうか。
弘前では、ニュースになった。
さくらまつり期間中の5月2日午前、弘前公園そばの藤田記念庭園(この記事に少々)に体長1メートルのニホンカモシカが出没。
「市職員らが捕獲を試みた際は一時騒然となった。」。弘前市は「目撃しても騒がず、自分で捕まえようとせずに連絡してほしい」などと呼びかけたという。
その後、「同一とみられるシカが4日までに、弘前公園内の弘前城植物園で発見、捕獲されていた」そうだ。
そういえば、弘前でカモシカという話は聞いたことがなかった。(皆無ではないようだが)
たしかに弘前の街は、秋田と比べて「山」からは遠い。カモシカがやってくる余地は少ないのだろう。
陸奥新報の記事では、一部でカモシカを単に「シカ」と表記している。カモシカはウシの仲間であって、見てみればシカと姿形はけっこう違う。カモシカを「シカ」と表記するのは違和感があるし、カモシカを見慣れた人(新聞社)ならそうはしないはず。
●今年の田んぼアート
弘前市の隣、田舎館村(いなかだてむら)は、水田に稲を使って絵を描く「田んぼアート」で有名。類似のものは全国各地にあるが、ここは緻密でクオリティが高い。
5年以上前に見たきりだったが、現在は会場が2つに増え(村役場と弘南鉄道の駅も併設された道の駅)、高い所から見るのが有料化されている(以前は任意の協賛金だった)。
毎年絵柄が違うわけだが、今年は、村役場の第1会場が「富士山と羽衣伝説」。世界遺産登録のブームに乗ったのだろう。
そして道の駅いなかだての第2会場は、なんと「サザエさん」!
これは見に行かないと。
●青森でもバナナボート?
秋田のたけや製パンのロングセラー商品で、秋田県民が好む洋生菓子に「バナナボート」がある。バナナと生クリームをカステラ生地で巻いたもの。
個人的には山崎製パンの「まるごとバナナ」のほうがおいしいと思うが、多くの県民はそうではないのか、秋田県内の店ではまるごとバナナはあまり見かけない。
「バナナボート」とは、たけやの商品名かと思っていた。すなわち、たけやが展開していない秋田県外には存在しない食べ物だと思っていた。
ところが、五能線沿いのつがる市(旧・森田村)のリゾート施設「つがる地球村」では、毎年2月に「地球村冬物語」 というイベントが開催され、その目玉が「世界一長~い!バナナボート」だそう。
今年で7回目くらいだったようだが、昨年を5メートル上回る160メートルのバナナボートができた。
調べてみると、鰺ヶ沢町や五所川原市金木では、地元のお菓子屋さんでバナナボートを作っているところがあるようだ。
弘前市にはあるか分からないが、津軽地方でもそれなりに知られたお菓子なのだろうか。
また、「一般社団法人信州いいやま観光局」ホームページによれば、長野県飯山市でも、複数の菓子店が作っている。「1957年の大ヒット曲「バナナ・ボート」(歌・浜村美智子) にヒントを得て商品名にした、という説があります。 」とのこと。
●おやきとしとぎと豆しとぎ
秋田には「おやき」というお菓子がある。この記事で取り上げたように、信州のおやきとは異なり、つぶあんを米から作った餅状の皮で包み、表面を焼いたもの。
秋田市のとあるお店の「おやき」。すぐに硬くなるのが難点だが、素朴でおいしい
形状や厚さは違うが、製法や味は、三重県桑名や四日市の「安永餅」「なが餅」、そして秋田市の 「一乃穂」の「しとぎ餅」とよく似ているはず。【16日追記】福岡県太宰府の名物「梅ヶ枝餅」には、形やサイズも似ているようだ。
「しとぎ(粢)」とは、水に浸して柔らかくした生米を粉にして、それを固めた食べ物のこと。餅の原型とも言われ、供え物とされた。
辞書にも載る共通語だが、秋田では、一乃穂のしとぎ餅以外ではあまり使わないと思う。
ところが、青森の津軽地方には「しとぎ餅」が広く存在し、それはまさに秋田のおやきと同一。「津軽料理遺産」に認定されている。
2013年12月17日の陸奥新報によれば、「つがる市ではしとぎ餅が「名物」として扱われ、産直施設などで常に味わうことができる。」そうで旧木造町と旧柏村が紹介されていた。これも弘前まで来てしまうとメジャーではないのかもしれない。
五能線沿線って、秋田と共通する文化が多いのだろうか。言葉も津軽弁ながら微妙に秋田弁っぽい雰囲気があるし。
一方、青森県南部地方(八戸など県東側)では「豆しとぎ」なるものがあり、それを単に「しとぎ」と呼ぶそうだ。
豆しとぎは米のしとぎに大豆を混ぜたもので、あんこは入れずにカマボコみたいに切って(やはり焼いて)食べるようだ。駄菓子の「きなこねじり」にちょっと似た感じか。※豆しとぎについての記事
南部では、冷涼な気候のため米が貴重だったため、このような形になったのだろう。
「おやき」も「しとぎ」も所変われば品変わる。
【16日追記】
津軽のしとぎ餅は、油で焼くのが一般的のようで、そのためか表面がツルツルしているものが多いようだ。「しとぎ鍋」という専用の調理器具もあるようだ(フライパンやホットプレートで代用できる)。
秋田のおやきでもツルツルしたものがたまにあるので、同じ製法なのかもしれない。
しとぎ餅は弘前市でも作られているそうだ。
お菓子のヒロヤや茂森新町の佐藤もち店で扱っているという情報がある(最新の情報ではありません)。弘前市内には、小さなお餅屋さんがちらほらあるので、もしかしたら製造しているかもしれない。
【22日追記】いただいたコメントの通り、津軽などでは「大判焼き」のことを「おやき」と呼ぶ。(秋田では普通に「大判焼き」)
※続きはこちら
●青森鉄道管理局(4月28日陸奥新報)
今回はずいぶんと陸奥新報さんを参考にさせてもらったが、最後も。
「津軽の街と風景」という連載の2回目を弘前大学國史研究会会員・石塚雄士氏が「幻の青森鉄道管理局」として執筆。
国鉄時代の鉄道管理局も、JR東日本の支社も、青森には置かれなかった。津軽地方側を秋田が、南部地方側を盛岡が管轄。その話。
※連載では触れていないが、青函連絡船は函館の「青函鉄道管理局」の管轄。
戦前は「管理部」というのが全国に49あって、青森県内は青森管理部が管轄した。国鉄発足後の1950年に27の鉄道管理局に再編されることになり、当然青森にも設置されると予想し、決定前から「「青森鉄道管理局」の看板を用意して」いたという。
ところが、そうはならず、「現場の国鉄職員をはじめ、県民も「ただ呆然(ぼうぜん)自失」といった状況であったという。 」
「当時の新聞に、本県の政治力の貧困と油断の結果であると書かれた」そうだ。
たしかに、鉄道路線の配置や旅客の流動上、青森は重要な要衝だ。秋田や盛岡よりも。
ただし、秋田と盛岡には車両工場(盛岡工場は後に廃止。秋田は土崎工場→秋田総合車両センター)があるから、そういう事情もあったかもしれない。
連載中では「この出来事は、後々まで県内の国鉄の路線に、設備改良やサービス改善等の面から微妙に影を落とし続けることとなった。」としているが、ピンと来ない。
むしろ管理局があった秋田のほうが、恵まれていなかった気がする。
東京との行き来には青森のほうが選択肢が多かったし(東北本線と奥羽本線があるから地理的に当然だが)、485系電車など新型車両の乗り入れは青森が早かったはずだし、普通列車では秋田はJR化後の701系電車登場まで冷房はなかったが、青森の東北本線では国鉄末期の客車時代から冷房が付いていた(元は急行用だった12系だからだが)はず。
秋田なんか、国鉄総裁まで輩出しているのに…
「微妙に影」は具体的にどんなことだったのだろう。隣の芝生が青く見えていたに過ぎない気もする。
そういえば、林野庁が、1999年に全国に9つあった「営林局」を7つの「森林管理局」再編する時も、同じようなことがあった。
営林局は東北地方では青森と秋田だけにあり、それが1つにされることになったが、森林管理局をどこに(どちらに)置くかで、ひともんちゃくあって、結局、秋田に東北森林管理局が設置された。この分野では、「微妙に影」はあるだろうか。
一時期もてはやされて今は鳴りを潜めたけれど、北東北3県道州制構想というのがあった。最近は、このままでは30年後には地方の多くの自治体が成り立たなくなっているという予測も出た。これからは、青森か秋田かなんて大した問題じゃなくなっていくのだろうか。
だけど、地域ならではの個性は大事にしていきたい。
※カテゴリーは違いますが、次の記事でも青森の話題があります
●スパー跡にローソン
5月3日に「ローソン弘前中野四丁目店」が開店した。
「中野」というから、西弘前(弘南鉄道大鰐線・弘前学院大前駅)周辺かと思ったら、もっと南だった。
ローソンホームページ店舗検索より
弘前大学前から富田大通り(県道127号線)を進んで、県立弘前実業高校の先で聖愛中高前駅へ右折する丁字路の角。あそこはバス停の名称などから「松原」だと思っていたが、線路と県道の間は、松原郵便局の辺りまで「中野」なんだ。
2013年5月撮影のGoogleストリートビュー
ローソンができたはずの場所には、1年前の時点では、DVD屋とカラオケ屋が入る建物がある。
というか、ここは、昔、「ホットスパー(HOT SPAR)」というコンビニがあった(店舗名は不明。少なくとも1998年まではあった)。建物自体はその頃と同じはずで、カラオケ屋はあったような気もするが、別の店で左側(スパーが右側)だった気もする…
※正式には「ホットスパー」ですが、一般に「スパー」と呼ばれていたため、以下そのように表記します。
この記事で触れたように、スパーは秋田市では1992年頃から、ヤマザキデイリーに続くコンビニチェーンとして展開を始めた。サークルKサンクスやローソンよりも少し早い。秋田では秋田県大館市のスーパー「いとく」が関わっていた。
弘前ではスパーは多くなかったが、いとくの縄張り内であるので、やはり関与していたかもしれない。
その後、弘前のスパーはいつの間にか閉店していたようで、秋田市内のスパーはローソンに転換。全国的にもホットスパーのブランドは消滅したそうだ。
実業高校~松原の辺りは、ホームセンターやスーパー(ベニーマートなど。いつの間にかユニバースもできている)はあるけれど、スパーのほかにコンビニはこれまでなかったようで、それが復活した。
幹線道路沿いで、住宅地で、高校が2つあるから、けっこういい立地じゃないだろうか。
※画像が更新されたストリートビューで、ローソンの姿が確認できる。以前の建物を解体し、新たにほぼ同じ位置にローソンを建てていた。
●亀ハウス閉店(5月12日陸奥新報より)
弘前市富野町にあったライブハウス「亀ハウス」が、4月20日で閉店した。1992年から22年間の営業。
陸奥新報は「バンド人口の裾野を広げ、弘前の音楽シーンをけん引してきた」が、「バンド人口が減少の一途をたどり、終幕を下ろすに至った。」と伝えた。
僕が弘前にいた頃は、開店間もなかったことになる。僕には縁がない分野の店ではあるが、多少の思い出はある。
まず場所。
2013年5月撮影のGoogleストリートビュー。左手前が亀ハウス、右が弘大
富田大通り沿いの弘前富田郵便局の隣。向かいは、弘前大学の総合情報処理センター(出入口は裏側)という立地だから、よく通っていた場所であり、馴染みのある風景の一部であった。
亀ハウス。手前のログハウスみたいのが特徴的
もう1つは、テレビ番組。
亀ハウス内で収録された「人間椅子倶楽部」というローカル番組があった。
Wikipediaを参考にすれば1995年7月から1999年4月放送。記述はないが、放送局は青森朝日放送(ABA)で、日曜の? 23時台辺り? の放送だったか??
弘前市出身の2人が結成した「人間椅子」というロックバンドのトークや演奏からなる番組。好んで見ていたわけではないが、たまたま見て、「弘前市『亀ハウス』からお送りしています」とか言っていたのが印象にある。
※ローカル深夜番組といえば、青森放送テレビの「スーパーギャング深夜同盟」が懐かしい。「ガフィー」の「青森の純真」とか。
【2017年6月2日追記】亀ハウス跡は、その後空き店舗だったようだが、2017年4月24日に肉料理をメインとした飲食店であるアメリカンダイナー「Cherry」がオープン(5月17日付弘前経済新聞サイトより)。
また、上のストリートビューでは、2階には美容室が入っているが、2017年春でも引き続き入居し、看板類もそのままのようだ。
●弘大学食リニューアル(3月27日陸奥新報より)
弘前大学文京町キャンパスの大学生協・文京食堂が42年ぶりにリニューアルし、「見た目にも明るい雰囲気に」なったそうだ。
「Horest(ホレスト) 」という愛称があるようだ(以前からかもしれない)。
あまり思い入れはないし、基本的にメニューは国立大学はどこも共通だけど。
●新寺構 (5月10日陸奥新報より)
弘前市桶屋町に「新寺構(しんてらまちがまえ)」という、弘前城の一部だった史跡があるそうだ。
このほど、弘前大学医学部グラウンド付近175メートルを、当時の状態に近づけて遊歩道を設けるなど整備されたとのこと。
最勝院五重塔そばの、アップダウンがあって道が狭い一帯で、避けていた場所だったが、いつか行ってみよう。
●カモシカ現る(5月3日・5日陸奥新報より)
秋田市では、住宅地などをニホンカモシカが歩いていることがたまにあり、市民もさほど驚かないし、ニュースにもならない。
※過去に、竿燈大通りでタクシーとぶつかった時と、天徳寺辺りで小学生に頭突きしてケガさせた時は報道された。
(再掲)秋田のカモシカ
秋田市は平地の近くに手形山とか金照寺山など低い山が点在するので、そこから下りてくるのだろう。千秋公園には住み着いているという話もあるが、それはどうか。
弘前では、ニュースになった。
さくらまつり期間中の5月2日午前、弘前公園そばの藤田記念庭園(この記事に少々)に体長1メートルのニホンカモシカが出没。
「市職員らが捕獲を試みた際は一時騒然となった。」。弘前市は「目撃しても騒がず、自分で捕まえようとせずに連絡してほしい」などと呼びかけたという。
その後、「同一とみられるシカが4日までに、弘前公園内の弘前城植物園で発見、捕獲されていた」そうだ。
そういえば、弘前でカモシカという話は聞いたことがなかった。(皆無ではないようだが)
たしかに弘前の街は、秋田と比べて「山」からは遠い。カモシカがやってくる余地は少ないのだろう。
陸奥新報の記事では、一部でカモシカを単に「シカ」と表記している。カモシカはウシの仲間であって、見てみればシカと姿形はけっこう違う。カモシカを「シカ」と表記するのは違和感があるし、カモシカを見慣れた人(新聞社)ならそうはしないはず。
●今年の田んぼアート
弘前市の隣、田舎館村(いなかだてむら)は、水田に稲を使って絵を描く「田んぼアート」で有名。類似のものは全国各地にあるが、ここは緻密でクオリティが高い。
5年以上前に見たきりだったが、現在は会場が2つに増え(村役場と弘南鉄道の駅も併設された道の駅)、高い所から見るのが有料化されている(以前は任意の協賛金だった)。
毎年絵柄が違うわけだが、今年は、村役場の第1会場が「富士山と羽衣伝説」。世界遺産登録のブームに乗ったのだろう。
そして道の駅いなかだての第2会場は、なんと「サザエさん」!
これは見に行かないと。
●青森でもバナナボート?
秋田のたけや製パンのロングセラー商品で、秋田県民が好む洋生菓子に「バナナボート」がある。バナナと生クリームをカステラ生地で巻いたもの。
個人的には山崎製パンの「まるごとバナナ」のほうがおいしいと思うが、多くの県民はそうではないのか、秋田県内の店ではまるごとバナナはあまり見かけない。
「バナナボート」とは、たけやの商品名かと思っていた。すなわち、たけやが展開していない秋田県外には存在しない食べ物だと思っていた。
ところが、五能線沿いのつがる市(旧・森田村)のリゾート施設「つがる地球村」では、毎年2月に「地球村冬物語」 というイベントが開催され、その目玉が「世界一長~い!バナナボート」だそう。
今年で7回目くらいだったようだが、昨年を5メートル上回る160メートルのバナナボートができた。
調べてみると、鰺ヶ沢町や五所川原市金木では、地元のお菓子屋さんでバナナボートを作っているところがあるようだ。
弘前市にはあるか分からないが、津軽地方でもそれなりに知られたお菓子なのだろうか。
また、「一般社団法人信州いいやま観光局」ホームページによれば、長野県飯山市でも、複数の菓子店が作っている。「1957年の大ヒット曲「バナナ・ボート」(歌・浜村美智子) にヒントを得て商品名にした、という説があります。 」とのこと。
●おやきとしとぎと豆しとぎ
秋田には「おやき」というお菓子がある。この記事で取り上げたように、信州のおやきとは異なり、つぶあんを米から作った餅状の皮で包み、表面を焼いたもの。
秋田市のとあるお店の「おやき」。すぐに硬くなるのが難点だが、素朴でおいしい
形状や厚さは違うが、製法や味は、三重県桑名や四日市の「安永餅」「なが餅」、そして秋田市の 「一乃穂」の「しとぎ餅」とよく似ているはず。【16日追記】福岡県太宰府の名物「梅ヶ枝餅」には、形やサイズも似ているようだ。
「しとぎ(粢)」とは、水に浸して柔らかくした生米を粉にして、それを固めた食べ物のこと。餅の原型とも言われ、供え物とされた。
辞書にも載る共通語だが、秋田では、一乃穂のしとぎ餅以外ではあまり使わないと思う。
ところが、青森の津軽地方には「しとぎ餅」が広く存在し、それはまさに秋田のおやきと同一。「津軽料理遺産」に認定されている。
2013年12月17日の陸奥新報によれば、「つがる市ではしとぎ餅が「名物」として扱われ、産直施設などで常に味わうことができる。」そうで旧木造町と旧柏村が紹介されていた。これも弘前まで来てしまうとメジャーではないのかもしれない。
五能線沿線って、秋田と共通する文化が多いのだろうか。言葉も津軽弁ながら微妙に秋田弁っぽい雰囲気があるし。
一方、青森県南部地方(八戸など県東側)では「豆しとぎ」なるものがあり、それを単に「しとぎ」と呼ぶそうだ。
豆しとぎは米のしとぎに大豆を混ぜたもので、あんこは入れずにカマボコみたいに切って(やはり焼いて)食べるようだ。
南部では、冷涼な気候のため米が貴重だったため、このような形になったのだろう。
「おやき」も「しとぎ」も所変われば品変わる。
【16日追記】
津軽のしとぎ餅は、油で焼くのが一般的のようで、そのためか表面がツルツルしているものが多いようだ。「しとぎ鍋」という専用の調理器具もあるようだ(フライパンやホットプレートで代用できる)。
秋田のおやきでもツルツルしたものがたまにあるので、同じ製法なのかもしれない。
しとぎ餅は弘前市でも作られているそうだ。
お菓子のヒロヤや茂森新町の佐藤もち店で扱っているという情報がある(最新の情報ではありません)。弘前市内には、小さなお餅屋さんがちらほらあるので、もしかしたら製造しているかもしれない。
【22日追記】いただいたコメントの通り、津軽などでは「大判焼き」のことを「おやき」と呼ぶ。(秋田では普通に「大判焼き」)
※続きはこちら
●青森鉄道管理局(4月28日陸奥新報)
今回はずいぶんと陸奥新報さんを参考にさせてもらったが、最後も。
「津軽の街と風景」という連載の2回目を弘前大学國史研究会会員・石塚雄士氏が「幻の青森鉄道管理局」として執筆。
国鉄時代の鉄道管理局も、JR東日本の支社も、青森には置かれなかった。津軽地方側を秋田が、南部地方側を盛岡が管轄。その話。
※連載では触れていないが、青函連絡船は函館の「青函鉄道管理局」の管轄。
戦前は「管理部」というのが全国に49あって、青森県内は青森管理部が管轄した。国鉄発足後の1950年に27の鉄道管理局に再編されることになり、当然青森にも設置されると予想し、決定前から「「青森鉄道管理局」の看板を用意して」いたという。
ところが、そうはならず、「現場の国鉄職員をはじめ、県民も「ただ呆然(ぼうぜん)自失」といった状況であったという。 」
「当時の新聞に、本県の政治力の貧困と油断の結果であると書かれた」そうだ。
たしかに、鉄道路線の配置や旅客の流動上、青森は重要な要衝だ。秋田や盛岡よりも。
ただし、秋田と盛岡には車両工場(盛岡工場は後に廃止。秋田は土崎工場→秋田総合車両センター)があるから、そういう事情もあったかもしれない。
連載中では「この出来事は、後々まで県内の国鉄の路線に、設備改良やサービス改善等の面から微妙に影を落とし続けることとなった。」としているが、ピンと来ない。
むしろ管理局があった秋田のほうが、恵まれていなかった気がする。
東京との行き来には青森のほうが選択肢が多かったし(東北本線と奥羽本線があるから地理的に当然だが)、485系電車など新型車両の乗り入れは青森が早かったはずだし、普通列車では秋田はJR化後の701系電車登場まで冷房はなかったが、青森の東北本線では国鉄末期の客車時代から冷房が付いていた(元は急行用だった12系だからだが)はず。
秋田なんか、国鉄総裁まで輩出しているのに…
「微妙に影」は具体的にどんなことだったのだろう。隣の芝生が青く見えていたに過ぎない気もする。
そういえば、林野庁が、1999年に全国に9つあった「営林局」を7つの「森林管理局」再編する時も、同じようなことがあった。
営林局は東北地方では青森と秋田だけにあり、それが1つにされることになったが、森林管理局をどこに(どちらに)置くかで、ひともんちゃくあって、結局、秋田に東北森林管理局が設置された。この分野では、「微妙に影」はあるだろうか。
一時期もてはやされて今は鳴りを潜めたけれど、北東北3県道州制構想というのがあった。最近は、このままでは30年後には地方の多くの自治体が成り立たなくなっているという予測も出た。これからは、青森か秋田かなんて大した問題じゃなくなっていくのだろうか。
だけど、地域ならではの個性は大事にしていきたい。
※カテゴリーは違いますが、次の記事でも青森の話題があります