広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

いいともの思い出

2014-05-11 23:35:01 | 昔のこと
遅くなりましたが「はなまるマーケット」に続いて、「森田一義アワー 笑っていいとも!」の思い出。(以下、「笑っていいとも」「いいとも」とします)

※以下、後々見ても分かるように番組の説明なども記述するので、2014年時点で読めば回りくどいかと思います。(当ブログはいつもそうか)
※記憶に基づく記述も多いので、事実と異なる可能性があります。また、あくまでも個人の感想です。
※敬称の有無に他意はありません。
※(他の記事でもそうですが)後から思い出して追記する可能性があります。

「笑っていいとも」は、フジテレビが平日正午から1時間放送していたバラエティ番組。1982年10月4日に始まり、2014年3月31日まで32年半・8054回放送。
フジテレビ本社ではなく、新宿の「スタジオアルタ」(以前は「新宿情報ビル・スタジオアルタ 」)に観客を入れて生放送。【9月23日追記】観客は18歳以上(高校生除く)を条件に公募されていた。
※現在も放送中の13時からの「ライオンのごきげんよう」の前身である「ライオンのいただきます」(1984~1989年)も、いいともに続いてアルタから生放送していた。ごきげんようについてはこちら

タモリ(森田一義)が司会で、曜日ごとに5人前後のレギュラーが出演し、トーク、ゲーム、クイズなどを繰り広げる。他にもゲスト扱いの芸能人・文化人や「そっくりさんコンテスト」などで一般人が出演することも多かった。【2015年5月16日追記】キーボードを弾きながらデタラメに聞こえる歌を歌い、それを逆再生するとちゃんとした曲に聞こえるという特技を持つ女性は複数回出たかもしれない。2015年頃には後継番組「バイキング」にも出た。
毎日放送されたコーナーが「テレフォンショッキング」。タモリとゲストが1対1でトーク。その日のゲストの「友達」を翌日のゲストとして紹介し、(演出上は)電話で出演の約束を取り付けるスタイル。ただし、末期(2012年春以降)は番組側が翌日のゲストを紹介し、電話はさらに形式的なものになった。

ほかに日曜日の10時から11時45分までは「笑っていいとも!増刊号」が放送された。1週間の総集編や、テレフォンショッキングのCM中の会話、放送終了後にゲストと観客が残って繰り広げられるトーク(いわゆる「後説」)などを「放送終了後のお楽しみ」として放送していた。
東北地方では「増刊号」は当初、放送時間が異なっていた。日曜朝に、東北エリアのローカル番組があったため。
秋田テレビでは、土曜日の午後(13時とか14時だったか?)に放送していたので、6日遅れ。1つ前の週のダイジェストを見ていたことになる。1997年頃から遅れなしの同時ネットになったようだ。(Wikipediaには1987年とあるが、間違い)

年末やクリスマスなどの夜には、数時間に及ぶ「笑っていいとも!特大号」も放送された。レギュラー総出演で「ものまね紅白歌合戦」などがあった。
2012年7月には「27時間テレビ」の中核となる番組がいいともになり、サザエさんの特番でタモリさんたちがアニメ化された。(それ以外の年でも、増刊号が27時間に内包されていたため、関わりはあった)
最終回後の2014年3月31日20時から23時14分までは、「笑っていいとも!グランドフィナーレ感謝の超特大号」が放送されて、32年半を締めくくった。


以下、いろいろ。
●「ウキウキWatching」
番組の主題歌。作詞:小泉長一郎、作曲:伊藤銀次、編曲:鷺巣詩郎。(2011~2012年にかけては小西康陽による別アレンジ)
12時ちょうどにアルタ前の中継映像とともに「いいとも青年隊」が歌う「♪お昼休みはウキウキWatching」が流れ、アルタ内にタモリさんやレギュラーが登場するのは、お昼の光景として定着していた。

「いいとも青年隊」は若手芸能人など2~3名(昔は4名の時もあったらしい)による、アシスタント的存在で数年ごとに交代していた。メンバーによって少女隊、スタッフ隊という呼称の時もあった。【24日追記】青年隊は16代に及んだ。番組内で愛称がつけられていたが、「あさりど」のように既存のコンビを採用した(既にコンビ名が付いていた)こともあった。

オープニングで歌われたのは、後期は「ウキウキWatching」の冒頭の一部(青年隊が歌う部分)だけだったが、2000年4月までは、続いてタモリさんが1番を全部歌った後で、レギュラーが登場していた。オープニングを毎日、生で歌っていたのだ。(最終回で再現された)
【8月17日追記】番組中、コマーシャルに入る前の音楽(ジングル)は、ウキウキWatchingの最後「♪いいとも いいとも いいトモロー」の歌詞に相当する部分が最終回まで使われた。2000年以降のオープニングでは歌われることがなかった部分なわけだから、2000年以降にいいともを見るようになった人は、何のメロディか分からなかったことだろう。(以上追記)

タモリさんは「司会者が歌って始まる番組なんておかしい」という発言を何度かしていたが、個人的にはそれが好きだった。
「ごきげんななめはまっすぐに」「きっとあしたは いいトモロー」という掛詞というかダジャレを理解できたのは、中学生になってからだっただろうか。(「蛍の光」の「いつしか年も杉の戸を」だってダジャレと大して違わない)【下の5月19日付追記参照。僕が小学生の頃は違う歌詞が歌われていたようなので、その歌詞そのものを知らなかったのかもしれない】

毎日歌われていたのは1番で、特番などでその「替え歌」が歌われることもあったが、正式な歌詞としては2番も存在する。
以前(2000年以降か?)、いいとも内で、有名な歌ながら知られていない後半の歌詞を検証するコーナーがあり、ウキウキWatchingの2番が取り上げられた。
「電話ボックスが突然鳴り出す“Hello Hello”」という歌詞があり、タモリさんが「『電話(機)』じゃなく『電話ボックス』が、しかも『ハロー』と『鳴る』なんて」とあきれていた。

【19日追記】昭和時代は、オープニングで1番以外が歌われていたこともあったようだ。
1985年近辺(2代目~4代目青年隊?)は、1・2番ではない「♪抜き差しならないこの時間」「♪隠しちゃおけない男伊達 正論正論」「♪正しいお昼の過ごし方を 教えてあげる You can do」「♪今日のメニューは どうゆうの(=Do you know?) 後の続きはどうゆうの どうゆうどうゆう お楽しみ」といったもの。
1987年から1989年の5代目青年隊は磯野貴理子など女性3人の”少女隊”「チャイルズ」。この頃は2番の歌詞を歌っていたが、上記の通り、後にタモリさんが疑問視することとなる「♪電話ボックスが突然鳴り出す」の部分は「♪電話はいかが? 突然鳴り出す」に変えていた。
【24日追記】8代目青年隊「工藤兄弟」以降は、青年隊の歌う部分がパートに分かれてハモるようになった。
【2015年4月21日追記】ごく初期の1983年には、末期と同じ1番の歌詞で歌われていたようだ。

また、タモリさんの歌は、タモリさんらしくテキトーなこともあり、1番では「♪楽しませすぎ『ても』 ごめんなさい」と歌っていたことが多かったが、正しい歌詞は「楽しませすぎ『たら』」。(2番の対応する部分が「冷たくされても」なので、そことごっちゃになっていたのだろう。)
やる気なさそうに歌ったり、自分で合いの手(?)のようなひとりごとを入れたり、さらに過去にはいろいろあったようだ。(以上追記)


タモリさんが歌っていた頃は、そのカメラ割りが曜日ごとに固定されていた。(少なくとも1990年台後半)
「昨日までのガラクタを(チャッチャッ)」のチャッチャッの部分で、カメラをタモリさんに向かって小刻みにズームアップしたり(水曜日?)、最後の「いいともいいとも」の部分で「タモリ→天井(ここでカメラ切り替え)天井→タモリ」と左右のカメラを振りながら切り替えたり(金曜日?)といったように。
当時は増刊号のオープニングで、その週のどれか1つの曜日の歌と映像がランダムで使われていたが、カメラ割りから何曜日のものか区別できたものだ。
【19日追記】最終回では昼も夜のグランドフィナーレでも歌われた。「昨日までのガラクタを(チャッチャッ)」のカメラは、昼は1990年台後半の水曜と同じく正面からの“2段ズーム”。夜は、昔は1990年代後半は見られなかった、ステージに向かって右のアングルからの2段ズームだった。【←23日追記・右側からの2段ズームは、第1回放送ではやっていたので、初期は行われていたのだろう】
ただ、2度とも2段ズームが使われたということは、スタッフにとっても思い入れのあるカメラワークだったということだろう。(以上追記)

そういえば、NHKで1985年から1989年まで、タモリさん司会の「ウオッチング」という番組が放送されていた。その番組名は、ウキウキWatchingに掛けていたのだろうか。
※「ウオッチング」は「生きもの地球紀行」とか「ダーウィンが来た!」の前身に当たる番組。放送時間が30分と短く、テンポが良くて好きだった。エンディング(?)曲の「てれぱしいください」や、独特の音楽・映像とタモリさんによるタイトルコールも印象深い。

【19日追記】
●ネット局紹介
オープニングでタモリさんが歌い始めた辺りで、
「新宿情報ビルアルタより生放送 この放送は・・・・・・北海道文化放送/青森テレビ・岩手めんこいテレビ/秋田テレビ・(局名は上下2段表示、両端揃え)(略)・・・・・・以上31局ネットでお送りします」
というテロップがスクロール表示されていた。放送初期はたしか角ゴシック体、後述の1995年のテロップ変更時には明朝体系の「JTCウィンM」。
いつの間にか(タモリさんが歌わなくなった時か?)表示されなくなったが、当時はワイドショーなどでも同様の表示がよく行われていた。
【24日追記】ネット局テロップは、初期は角ゴシック→1993年10月から丸ゴシック→1995年10月からJTCウィンMと変遷したようだ。
(以上追記)


●定番フレーズ・アイテム
・「いいとも!」
タモリさんがオープニングで「今日も最後まで見てくれるかな?」、テレフォンショッキングの翌日ゲストに「明日来てくれるかな?」、エンディングで「明日も見てくれるかな?」と問いかけ、「いいとも!」と答えるのは、この番組に欠かせないものだった。(最終回でも「明日もまた~」だった)

2013年10月23日のnikkansports.com「「3カ月でやめる」故横沢氏いいとも秘話」では、元フジテレビプロデューサー横沢彪氏(故人)の21年前の話として、次のように紹介している。
横沢氏が居合わせた飲み屋で、品切れになっていた焼きそばを注文した客に、ママが「「(略)焼きうどんならあるけど、焼きうどんでいい?」と言われ、客は店中に響く声で「いいとも!」と言った。 」ことが「横沢さんの頭の中に強く印象に残り番組名になった。 」そうだ。

放送開始後しばらくすると、「~してくれるかな?」「いいとも!」は幅広い世代に流行語となった。
1987年3月かと思うが、僕が通っていた小学校の離任式でのこと。定年退職される男性の先生が、あいさつの最後に「~してくれるかな?」と児童たちに声を掛けた。(「~」の部分は忘れてしまったが、「これからも元気でいてくれるかな?」とか「先生のことを忘れないでいてくれるかな?」とかだったろうか)
子どもたちのほうは面食らってしまって声が出ず、先生が「『いいとも!』って言わなきゃ!」ともう1度やり直して「いいとも!」となったのだが、昭和2年生まれの人でも、小学校という教育現場でも、「いいとも!」は一定の認知や評価はされていたと考えられよう。

【16日追記】テレフォンショッキングでの「明日来てくれるかな?」は、紹介制でなくなった2012年春以降には、基本的には聞かれなくなり、「それでは明日よろしくお願いします」などとタモリさんが電話を締めくくるようになった。
その結果、相手の翌日ゲストが相槌に窮し、電話が中途半端に終わってしまうケースがよくあった。一方で、聞かれてもいないのに「いいとも!」と答える翌日ゲストも多かった。
多くのゲストはタモリさんよりも若く・芸能界の後輩であるから、聞かれていないのに「いいとも!」なんてフランクな返答(聞かれていないから「返答」ですらないか)をするのは、考えてみればタモリさんに対して失礼かもしれない。そう思って「いいとも」と言わなかったのかもしれない。

なお、紹介制に変わった直後はしばらくの間言っていたし、翌日のゲスト側から「聞いてもらえますか」と頼まれて言うことはあった。2014年3月20日に、翌日のゲストであるアベ総理の代理として電話に出た秘書官に対しては、「代理で『いいとも』言っていただけますか?」と前置きして「明日来てくれるかな?」があった。(以上追記)



他にも、いくつかの言葉やアイテムなどがいいともから広まった。タモリさんが単独で出演し、最初から最後まで放送されていたテレフォンショッキング発祥のものが多い。
・「友達の友達はみな友達だ、世界に広げよう友達の輪、輪っ! 」
1987年頃まで、テレフォンショッキングのゲストが声を発し、タモリと観客が続けて「輪っ!」とやっていたそうだ。僕はなんとなく記憶にある程度。

上記日刊スポーツの横沢氏のインタビューによれば、これは坂本龍一氏が出演した際、日本航空の鶴のマーク(鶴丸)は、「あれは『世界に広げよう、友達の輪』という意味なんだ」と話したのにタモリがのって、始まったそうだ。

・テレフォンショッキングの流れ
ここで、テレフォンショッキングのコーナー内の流れを簡単に(時期によって差があるが、1990~2000年代を基準)。
CM明け→テーマ曲→タモリの雑談→テレフォンアナウンサー紹介→ゲスト登場→花・電報紹介→ゲストの告知→トーク→CM→友達紹介→CM
トークをするテーブルは、長らくセットに向かって右寄りに置かれ、中央は空いていた。末期は中央に移されたが、タモリさんは「なんで今まで隅っこでやってたんだ?」と疑問を呈していた。

・タモリの雑談と観客の相槌
1990年代前半には確立されていたはずで、末期にはなくなっていた。
タモリは「こんにちは」「今日はいい天気ですね」とか「今日はこどもの日ですね」とか当たり障りないことを話し、観客が「そうですね」と声を揃えて返す。
話は「明日はだいぶ暑くなるみたいですよ」「そうですね」「東京は30度超えるらしいですよ」「そうですね」と続き、「あ、一人『えーっ!』って言った」とか「ウソだよ!」といった感じで終わる。

・テレフォンアナウンサー紹介
1987年以降はフジテレビのアナウンサーが原則曜日ごとに出演し、電話の取り次ぎを行う。(それ以前はスタッフが行っていた)
「今日のアナウンサーは山中くんでーす」とタモリが紹介する。後期は男性はくん付け、女性は呼び捨て。

・花・電報
ゲストへ生花が届いて並べられるのは最後まであったが、昔は電報も届き、一部をタモリが読み上げていた。
後期には、押し花とかメロディ付きとかキャラクターのぬいぐるみ付き電報がよく届き、電電公社→NTTにはいい宣伝になったことだろう。

生花には、「○○さん江 ○○より」といった札が付く。最後のほうまで、タモリさんは「贈った側(○○より)の文字が大きすぎる。特にジャニーズ系」「贈った側の名前の表記などいらない」といった趣旨の発言を繰り返していた。
しかし、ある日(ここ1年くらいか?)、「今まで言っていたのは間違いでありました。贈り主の名前を書くものだそうです」といった訂正をした。
たしかに、お葬式の花なんか贈り主の名前しか書かないから、それと同じ考え方か。

・「髪切った?」
登場したゲストに対し、タモリが「髪切った?」と聞くというのは、コージー冨田のものまねで広がったそう。【2016年1月2日追記】「さんまのまんま」での明石家さんまの発言によれば、明石家さんまが髪を切った時、番組内でタモリが言ったとか。
【16日追記】否定表現である「んなこたぁーない」も同様か。

・「これ張っといて」
ゲストが発売するCDとか出演する作品などのポスターを持参することがある。
タモリはポスターを受け取り、「おーい。これ張っといて(ちょうだい)」と青年隊に渡し、直ちにボードに掲出される。2013年まで行われていたそうだ。

【7月1日追記】
・トークの内容
トーク本体の内容は、ゲストやタモリさんの興味によってさまざま。
いいとも終了が分かった翌日・太川陽介がゲストの時は、路線バスの旅の話で盛り上がって、それだけで終わってしまった。
タモリさんと親しい井上陽水の時(2013年3月25日?)は、地名の音の響きの話題になり「川崎市高津区」の「タカツク」が好きだという話題。他のゲストの時も、タモリさんの地理的な話題で盛り上がることが多々あった。
タモリさんはミュージカルが嫌いなのは有名で、ミュージカルに出演するゲストは気まずそうな時も。
【9月6日追記】
双子のマナカナが出た時は、「目の下にほくろがあるのが、カナ」という話になり、タモリさんが「だったら『ほくろかな』で2人の見分け方を覚えられる」と提案。以後、本人たちも他の場面で見分け方として紹介しているようだ。
【9月23日追記】
作家の阿川佐和子が出た時は、東海道新幹線の3つ目の列車の愛称が「希望」を覆して「のぞみ」に決まったのは、決定委員をしていた阿川の発言(父の阿川弘之の「日本の列車名には大和言葉が使われてきた」)によるものであるという話が出た。
別の人の時は、地名「保土ヶ谷」の由来とか、いろいろ勉強になったものだ。
(以上追記)

・「えーっ」
トーク終盤。タモリが「そろそろ(次回出演の)お友達を…」と水を向け、ゲストが友達の名を述べる。
青年隊が顔写真を表示するディスプレイ(後期はマッキントッシュで、青年隊が操作して表示させていた)を運び、アナウンサーは電話をかける。

最後の何年かはなかったのだが、「そろそろお友達を」の時、観客は「えーっ!」と声を上げることが多かった。「もう終わってしまうの」という意味。
しかし、そのタイミングが遅れると、ゲストが友達の名前を述べたのと重なってしまい、「そんな人が友達なの!」「そんな人が明日のゲストなの!」という意味に取れてしまいそうな時もあった。(たまにタモリさんが指摘していた)

・拍手の止め方
拍手の最後を、チャッ、チャッチャッチャッと止めるのも、いいともでタモリさんが始めたのではないだろうか。
平成初期・1991年頃には既に存在したはず。

・「福井さーん」
タモリさんは、(テレフォンショッキング以外の)コーナー中、効果音の真似(尺八とか特定の音色)をしたり、メロディに「毛毛毛毛 カツラ」などテキトーな歌詞を付けたり、ゲストや一般人にテキトーに「アテレコ」したりして“遊んで”いた。ちょっとしたものまねも。
1993年から1999年まで放送されていた「料理の鉄人」において、太田真一郎レポーターが福井謙二アナウンサーを呼ぶ時の「福井さーん。フクイサフクイサフクイサーン」の真似が好きだった。
【8月7日追記】タモリさんは放送中はほぼずっとハンドマイクを持っていたはずだが、1990年台中盤以降はピンマイクもつけていた。上記のようなアテレコをする時は、ピンマイクを服ごと口元へ持ってきて、それに向かってしゃべることがほとんどだった。

【2016年6月4日項目追加】
・「ナカイクン」
「福井さん」と同様のものまね(?)。
最後は火曜レギュラーだった(1994年から出演。曜日は何度か変遷)SMAP中居正広が登場した時に、観客が呼ぶ「中居くーん」がモチーフ。
「ナカイクンナカイクンナカイクン」で始まり、「ナ」が省略されて「カイクンカイクンカイクン…」と続く。


●出演者とコーナー
上記の通り、出演者は幅広く、コーナーもさまざまだった。1回限りで終わってしまったコーナーもあり、全貌は誰も把握できないだろう。
曜日ごとに全体的な傾向というか性格が違うような気もしたし、お笑い業界の変遷に伴うその時期(年代)による違いも当然あるだろう。

初期に所ジョージがレギュラーだった頃「永久自然渋滞」という話があったそうで、よく分からないが高尚な感じ。
「トータライザー」というスイッチを持った観客100人に質問をして、その人数を当てるようなコーナーは形を変えて何度も存在した【2023年11月12日補足・テレフォンショッキングの一部(100人中1人、もしくは指定した人数と一致すれば、ストラップがもらえる)として行われたほか、曜日コーナーだった2000年前後には女刑事とかノーパンだとかの人数を尋ねて、盛り上がった)】。
他の番組でやったことを二番煎じしたようなものもなくもなかった。(1990年代後半の田原俊彦の「ニクタイ」というコーナーで、針金ハンガーをかぶると、勝手に首が動くというのがあったが、それは「探偵ナイトスクープ」が先だ)

主に末期に多かったが、注目されつつある人を、レギュラーではないものの、レギュラー並みに出演させたこともあった。
渡部陽一(戦場カメラマン)、スギちゃん、林修(予備校講師)、ふなっしーなど。
【7月1日追記】2012年から終了まで水曜レギュラーだった栗原類が「ネガティブなイケメンモデル」として人気になったのも、この番組の影響。(当初はコーナーのゲストだったはず)【7月20日追記】同じく2012年から月曜レギュラーだったスポーツ系タレント(?)武井壮も同様。

2000年前後には、バラエティ番組には場違いかのような年齢の高い文化人も出演(こちらはちゃんとしたレギュラー扱い)し、それはそれでけっこうおもしろかった。以下、カッコ内は出演期間。
志茂田景樹(1992~1994。奇抜な衣装の作家。出演により音痴なことが判明)、福井敏雄(1995~1996。「寒冷じぇんしぇんがぁー」で知られる気象キャスター。晩年は探偵ナイトスクープ顧問)、野村沙知代(1996)、松岡憲治(1996~2000。TBS定年退職直後)、橋田壽賀子(1998~2001)、ピーコ(2000~2011)、おすぎ(2002~2011)、浜田幸一(2002)など。

いいともが、こうした人の人気上昇に大きな役割を果たしたと言えよう。


●1990年代後半
個人的に、いいともをいちばんよく見て、いちばんおもしろかったと思うのが、大学生だった1990年代後半。
1998年5月11日に放送4000回を迎えていて、32年の折り返しだった頃となる。
また、1995年10月にはプロデューサーが交代して、リニューアルがあったそうだ。この時から、テロップ(青文字の)が丸ゴシックから太い明朝体に変わっており、いいともの特徴の1つとして印象に残っている。(ずっと「平成明朝体」だと思っていたが、それは2011年からで、それ以前は「JTCウィンM」というフォントだったらしい)
【24日追記】テロップは、最初は手書き(上記系列局表示は角ゴシック)→1993年10月から丸ゴシック→1995年10月からJTCウィンM→2011年から平成明朝と変遷したようだ。丸ゴシックは期間が短かったが、大きくてやや文字間隔が広めで、好きだった。

当時のレギュラーは、明石家さんまが1995年秋で降板し、初期からの今や大御所となった芸人はほとんどいなかった。
代わりにSMAPの3人、東野幸治、勝俣州和などが入り、ほかには加藤紀子、リサ・ステッグマイヤー、田原俊彦、鈴木紗理奈、千秋、つぶやきシロー、ふかわりょう、ユースケ・サンタマリア、シャ乱Q、ゴスペラーズなどが印象にある。
上記、天気予報の福井さんはなぜか記憶にない。

あとはレギュラー扱いではないが「ミスターマッスル」。1997年に金曜日のオープニングコーナーに登場し、曜日を変えて1999年まで出演。
健康器具の通販番組をモチーフにしたコーナーで、筋肉質の外国人が出てきて、日本語吹き替えのように声優(幸野善之)がアテレコする。「夜空ノムコウ」を歌ったり【2022年8月29日追記・T.M.Revolution「HOT LIMIT」も】、タモリさんに「うるさいぞタモリ!」など横柄な言動をする一方、上記のようにタモリさんにテキトーにアテレコされたりしていた。
正体はイラン人のタレントで、現在は「ランディ・マッスル」として活躍中。2008年に爆発火災現場からけが人を救出し、ニュースのインタビューに答えていた(ちゃんと日本語で)。いいとも最終回にも出たそうだ。
【2015年6月11日追記】2015年5月頃放送の「モヤモヤさまぁ~ず2」の田園調布の回で、マッスルが経営するエステショップが取り上げられた。オーナーであるマッスルがたまたま居合わせ、さまぁ~ずと往年の吹き替えを再現したり、松やにパックを施したりした。

あとは水曜日に安斎勝洋先生(【19日追記】「開運アドバイザー」の肩書きで)が出て、「ガッと来ますよ」と姓名判断や家相判断をするコーナーがあって、そこに爆笑問題がいたような記憶があった。
しかし、Wikipediaによれば、安斎先生は1999年3月まで、爆笑問題は2000年4月からだそうで、重なっていない。誰かと勘違いしているのだろうが、記憶っていい加減なもんだ。【19日追記】安斎先生のアドバイスの前に、爆笑問題の太田さんがふざけていた(ゲストの似顔絵をかいたり、いい加減なアドバイスをするなど)気がしていたが、タモリさんがやっていたのかもしれない。
それにしても、この頃のいいともをDVDにして発売されたりしないだろうか…

【2015年1月5日追記】いいともの中で安斎先生が「財布に紙幣を入れる時は、向きを揃えて上下を逆にして入れると、お金が逃げていかない」と話したのを聞いて以来、僕はずっと実践している。逃げていかないかどうかはともかく、向きが揃っていると気持ちいいし分かりやすくて、やめるつもりはない。

【2019年4月17日追記】安斎勝洋氏は2018年9月15日に73歳で亡くなった。訃報はテレビでは伝えられなかったと思うが、新聞には小さく載り、いいとも出演に触れたものもあった。(以上追記)


●5時間遅れのウキウキWatching
大学生当時だから、青森で見ていた。
フジテレビ系列局がない青森県では、TBS系列の青森テレビ(ATV)が、夕方に遅れて放送していた。
※青森県の一部地域では、越境電波やケーブルテレビ経由で、隣接地域のフジテレビ系列局を視聴できるが、弘前ではいずれも不可能。

オープニングのタモリさんが現れる辺りで、画面上部に「この番組は今日正午から収録したものです」とかいうテロップが表示され(【19日追記】上記の「アルタから生放送」のテロップと同時に表示されていたはずだから、ややこしい)、さらに夕方なのに「お昼休みはウキウキWatching」が始まると揶揄されることもあったが、ある意味、お昼より見やすい時間かもしれない。ただし、JNNの報道特番が入った場合は、放送休止されてしまうことがあった。

以前は、フジテレビ系列局がない、もしくは他系列と掛け持ち(クロスネット)の地域が多かったため、このように遅れてネットされていた所が他にもいくつかあった。しかし、晩年には青森テレビだけになっていたという。

青森テレビでの放送が始まったのは、いいとも開始後1年経った1983年10月3日で、当初は16時00分からだったそうだ。
また、当初は「笑っていいとも!増刊号」も日曜の午後に放送していたそうだ。

僕が青森にいた1990年代後半では、平日は17時00分開始で、増刊号の放送はなかった。
その後、18時台のニュース番組の前倒しスタートに伴い、16時55分、最終的には16時45分始まりになっていた。
青森テレビホームページより
若干おかしな番組表で、「森田一義」の日(月木)と「タモリ」の日がある。さらに2013年3月でレギュラーを降板した三ツ矢雄二さん(隔週水曜)が、最後まで出演していたことになっている。

ちなみに3月31日の最終回は、TBSの番組編成上、1時間早い15時45分から放送された。

グランドフィナーレ特大号は青森では放送されず、青森テレビで見ていた人には消化不良に終わってしまったかもしれない。

フジ系列局がない青森にいながら、フジテレビのアナウンサーや番組告知を見るのは、不思議なようなもどかしいような気持ちがしたものだが、楽しみだった。
地井武男さんがテレフォンショッキングに出た時は、当時CMキャラクターを務めていたみちのく銀行から花が贈られ、地井さんがその旨説明していた。

直接関係ないが、青森でのいいともでは、ローカルのスポンサーが多く付いていた。(秋田でも「エスエム自動車商会」とかあった)
以下、うろ覚えだけど、こんなもの。
・地井さんの「便利なみちのくミニバンク(ヘイ!)」
・「ひろさぎからも、はぢのへからも来るんだよぉー」「修理もやっでらおん」の青森市の家電店「ザ・ビデオ屋」
・「あずましいバスだのぉー」の観光バス会社
・黒石八郎さんの「湯っこでも水っこでも2~3分」の「おさきんのナット昆布」
・小泉八雲をイメージしたかのような「湯瀬ハ トッテモ イイ所デス」の湯瀬ホテル

いいとも終了後は、TBSのニュース番組「Nスタ」を17時台からネットするようになった。


●終了決定
いいとも終了が明らかになった経緯。
2013年10月22日火曜日のエンディングで、木曜レギュラーの笑福亭鶴瓶が“乱入”。「(終了するという話を聞いて)確かめに来た」と尋ね、それをタモリが肯定する形で、いいとも終了が告知された。
タモリは、フジテレビ、出演者、国民への感謝を述べ、30歳でこの世界に入って6年目で始まったこの番組で、初めて芸能人として認められた。などと話した。
「いいともが終わる」という話は、この数年前からネット上などで散見されたが、サザエさんやドラえもんと同じような都市伝説的なものかと思っていたが、唐突に現実の話になった。驚いたものの「やっぱり」という感想も持った。「いいともは継続するが司会者が交代する」という噂もあったが、それは否定されたことになる。
【19日追記】2013年7月から2014年1月にかけては、曜日別コーナーのうち1つ以外にはタモリさんが一切出演しない事態になった。
表向きはリニューアルの一環ということだったようだが、体調不良説やタモリさんと制作側の間で何かあったのではないかと、ネット上などで話題になったが、番組終了と関係があったのかどうか…(以上追記)

残り半年は、テレフォンショッキングのゲストに大物が出たり、終了を前提にした内容も多かった。
1月13日の宮根誠司との会話では、開始当時のタモリは昼の番組にはふさわしくない人選であり「今で言えば江頭2:50を起用するようなもの」だとした。
ほかには(別の日)、タモリの服装は、月曜から金曜に向かってフォーマルからカジュアルという、1週間の中で方向性を持って選んでいたことも明らかにした。
3月21日金曜日(春分の日)には、アベ総理大臣が出演してしまった。


●最後のEPG
最後に、最終回の電子番組表(EPG)を記録しておく。
 3月30日・増刊号の最終回
出演者の表記が「○曜レギュラー ほか」で大雑把

31日お昼の最終回。
これは数日前の詳細が記載されないバージョン。「番組概要」に出演者が表示されている
全国的なのか知らないが、秋田では他の番組・局でも、雑な番組説明が多い気がする。
 直前のバージョン。感謝の言葉が入った



いいともが始まった1982年は、東北・上越新幹線の大宮暫定開業(JRでなく国鉄)、500円硬貨やテレホンカード(NTTでなく電電公社)の登場、コンパクトディスクの本格的生産開始、青春18きっぷ(の前身「青春18のびのびきっぷ」)の発売開始などがあった。
その後、バブルとその崩壊、昭和から平成へ、インターネットの登場、テレビのデジタル化等々、さまざまな変化の中、いいともは放送されてきた。

僕は放送開始時は幼稚園児だったのが、今は放送開始当時のタモリさんの年齢とほぼ同じ。タモリさんはそこから還暦過ぎまでやったのだから、気が遠くなる。


笑っていいともを第1回から最終回まで欠かさず見たという人はきわめて少ないだろう。見ていたとしても、昼休みや昼食中のながら視聴が多く、記憶に残らないことも多いことだろう(僕も1990年代後半を振り返ってそう感じた)。
しかし、長きにわたって日本の昼を象徴するテレビ番組として存在し、多くの人に親しまれた番組だった。

32年の間に時代が変化し、テレビというメディアも変化した。
最近は食べ物や買い物、芸能人の家を訪問するような似通った番組が多かったり、「芸人」なのに芸をせずに内輪のことをしゃべっているだけのバラエティ番組が少なくない。笑っていいとものような番組は、この先は成立しないだろう。


※この記事ではいいとものタモリさんのことを「司会(者)」と表記した。
しかし、今は司会者のことを「MC(master of ceremoniesの略)」と呼ぶのが主流のようで、近年はいいとものタモリさんも「MC」と呼ばれていた。
一般人でも相当認知されてきた(使うことは少ないが、意味が分かるということ)が、元々は業界用語的なもので、それを番組内で出演者が使うようになったのが広まったのだと思う。
個人的には、番組=「ceremonies」には違和感があるし、「エムシー」より「シカイ」のほうが短くて言いやすい。あえてMCと呼ばなくてもいいと思うのだが。「結婚式のMC」とか「葬式のMC」とは言わないし…

【12日追記】昨年流行ったNHKの朝ドラ「あまちゃん」が終わって、喪失感を覚えることは「あまロス」と呼ばれた。
それに引っ掛けて、笑っていいとも終了による喪失感を「タモロス」と呼ぶのだとか。「いいロス」ならともかく、「タモロス」ならばタモリさんがいなくなった(引退したとか亡くなった)ように感じられてしまい、不適切だ。
ミュージックステーションやタモリ倶楽部で、タモリさんには引き続きお会いできるのだから。

【15日追記】最後の半年間で、おもしろく見たコーナーが2つあった。
1つは金曜日の「劇団ひとり企画負けず嫌いマッチ」。劇団ひとりが発案したもので、例えば「2人が即興芝居をし、その流れの中で相手を殴れば勝ち」といった、メチャクチャな内容。(しかも対戦する2人でないタモリさんが割り込んできてちょっかいを出し、結局タモリさんが殴られてしまっていた)【7月1日補足・「譲り合う椅子取りゲーム」、劇団ひとりが卑怯な手段を駆使する「メンタリスト省吾」などもあった】
もう1つは木曜日の「なりすましタモリを探し出せ! タモレオン!」。ある職業(「船長」とか「料理人」とか)のホンモノ2人とそれになりすましたタモリの中から、レギュラーが質問をしてタモリを当てるもの。(ボイスチェンジャーを通した声だけで推理する)
こういうのがほんとうのバラエティ番組だと思う。

【31日追記】
1983年末公開の映画「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」でこんなシーンがあった。
久しぶりにとらやへ帰った寅次郎が、店先でおばちゃんに向かって「頭を整理したいから、ちょっと2階で休んでいいかな」と尋ね、おばちゃんは「いいともいいとも」と答えていた。
もちろん手振りはなく、ごく普通のセリフの一部ではあったが、時期を考えると、「笑っていいとも」を意識したセリフだったかもしれない。

【2015年1月2日追記】
いいとも終了後しばらくの間(2013年夏か秋頃まで?)、サントリーフーズの缶コーヒー「BOSS」のテレビCMで2006年から続く「宇宙人ジョーンズの地球調査シリーズ(主演:トミー・リー・ジョーンズ)」で、タモリが出演して、いいとも風のバラエティ番組が舞台となったものが数パターン放映された。
ジョーンズがテレフォンショッキング風のコーナーに出演するもので、いいともを知る人なら誰もが、いいともを連想するような雰囲気のセット。
タモリは「スペシャルゲストです」とジョーンズを紹介し、テロップや名札は「宇宙人 ジョーンズ」。
「髪切った? 宇宙人って髪伸びるのかね?」というセリフや、翌日のゲストを紹介する段で観客が「えーっ」と言うのが“再現”された。
次の日のゲストは「宇宙人 ダダ」。
ジョーンズの「この惑星のテレビは、タモリがいないと寂しい」のナレーションで締めるバージョンもあった。

【2016年3月3日追記】
2016年3月31日をもって、スタジオアルタのスタジオとしての営業が休止されることになった。スタジオは1980年4月から36年間続いた。
ファッションビルとしては「新宿アルタ(新宿ダイビル)」だそうで、営業継続。スタジオは7階にあった。

【2019年11月15日追記】思い出したこと2つ。「スガシカオ」と「バンズ」を初めて知ったのが、いいともであった。
・おそらく弘前で見た1990年代後半。上から読んでも下から読んでも同じ「回文」の(視聴者投稿?)コーナーがあった。
(鑑定団のアシスタントを長く務めた)吉田真由子がゲストで来た回で、彼女自身が読み上げて紹介。
「お菓子が好き好きスガシカオ」
僕だけでなく、吉田さん自身がスガシカオを知らなかったようで「清し顔」みたいなイントネーションでやや戸惑いながら読み、観客の反応も微妙だった気がする。スガシカオの説明はなく、そのまま進行。
スガさんは1995年デビュー、1998年「夜空ノムコウ」の作詞で注目されるようになったらしい。ヒットチャート10位に入るのは2002年以降。

・2010年前後のテレフォンショッキング。ゲストの友近が「最近はハンバーガーのパンのことを『バンズ』って言うんですね」と発言(最近気になること的な話題か?)。
タモリさんも知らず、「んなこたぁない」みたいなリアクションだった。
本来は、ハンバーガーのみならず丸いパンのことを指すらしいが、その後何年か経って(2010年代中頃?)、ハンバーガーのパンのことをそう呼ぶのが、若干、広まった。いいともと友近さんの観察力のおかげで、いち早く知ることができた。

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4 コメント

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タオル花輪の斎藤寝具店、湯沢ナメカワ (FMEN)
2014-05-12 20:42:50
いいとも、自分ももちろん思い出深いです。
県外出た時もCMとか印象あります。
土曜時代はさんまの話した内容が学校で話題になったりしてました。
増刊号は爆笑が裏に出るために特定曜日の内容に偏りを出したのがまずかったでしょう。
好きなタレントがテレフォン出た時は録画してました。

タオル花輪の斎藤寝具店、湯沢ナメカワ、まるぜん葬祭、富士薬品。
増刊号後のニュースのOPが1984年から変わってないのも驚き。
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それぞれの思い出 (taic02)
2014-05-13 00:36:29
僕はさんま師匠はあまり印象にないんですよね…なぜか。
増刊号の裏でTBS「サンデー・ジャポン」をやっているから、爆笑問題は11時30分以降しか出られないんですよね。さらに後期は2人で曜日が分かれていたから、編集の制約は大きかったでしょう。
僕は、全般に水曜日が好きで、わりと録画して見ていました。

ニュースはフジテレビでは「FNN産経テレニュース」という番組名ですね。たかしまあきひこ作曲の名曲だと思います。昔は他の曜日でも流れていたはずですが、なぜか日曜の朝と昼だけ残ったという。
秋田テレビでは、系列である魁への配慮か「FNN・AKTニュース」に改題しています。系列局によっては、音楽も別のものに差し替えられています。
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何故か縁が無く・・ (あんなか)
2014-05-13 07:42:37
いいともは何故か縁が無かったです。
始まったのが高校時代で学校に通っているときは見られなく
夏休みの時も家ではNHKをだらだら流すタイプだったので見て無くて。
不思議に録画してまで見たいと思わなかったのが不思議です。
首都圏時代は見られるTV局が多すぎてむしろTVKテレビ神奈川のゆるい生ワイドを見ていました。
就職したら会社は家と同じ昼休みはNHKのテレビ小説を。
おまけに転職した先も。実家に帰って就職した会社まで。
気が付けばあれだけ長い期間やっていた番組なのに
まともに見たことが無かったことに気が付きました。
むしる秋田ではネットしていなかった「8時だヨ全員集合」の方が
白黒テレビでIBCを見ていたので
荒井注の「ディスイズアペン」や「ハゲ注」、加藤茶の居ないドリフで仲本工事が頑張ったり、ドリフの幼稚園児コントが
思い出にあります。
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テレビ番組も縁 (taic02)
2014-05-14 00:29:40
テレビ番組も縁ですね。その時々の環境や心境次第でしょう。
我が家もNHKの「ひるのプレゼント」を見ていた記憶もありますが、いいとももわりと見ていました。さらに夏は日テレの「あなたの知らない世界」に浮気したりして。
やっぱり、環境としても心情としても思い出深いのが、大学生時代のいいともですね。
17時のウキウキWatchingに間に合うように急いで帰ったこともあります。縁遠くなっていたフジテレビとの数少ないつながりを求めていたのかもしれません。
ほかには深夜や土日午後にやっていた「ボキャブラ天国」や「古畑任三郎」を好んで見ていました。ネットしていなかった「なるほど・ザ・ワールド」がいつの間には終わってしまっていたのは、残念でした。
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