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今後はhttps://taic02.hatenablog.jp/で更新します

湯瀬はとっても…

2016-02-29 20:06:45 | 旅行記
八戸への道中。大館まで来た続き。
JR花輪線は、秋田県の大館駅と岩手県盛岡市(旧・玉山村)の好摩(こうま)駅を結ぶ106.9キロの路線。
列車は好摩から先は、かつての東北本線で、東北新幹線八戸延伸時に第3セクター化された「IGRいわて銀河鉄道」に乗り入れて盛岡駅まで通して運行される。大館-盛岡では128.2キロ。
運行されるのは各駅停車だけで、大館-盛岡を乗り通すと3時間かかる。(2015年春まであった快速「八幡平」では2時間半ほど)

地図上の位置関係のほか、大館までの移動や列車本数も踏まえると、秋田市に住む者が乗るには、花輪線はなかなか敷居が高い路線であるが、僕はこれまでけっこう乗っている。全区間通して(途中下車しながら)乗ったのが3回、秋田県内で折り返して乗ったのが2回あったと思う。
僕は、花輪線の車窓風景が好き。
大館から乗ると、まずは米代川をさかのぼって進むので、大河から渓流への変化を楽しめる。岩手県に入り、八幡平の急勾配を越えて、安比高原の風景(うまく説明できないけど、秋田の山とは違う)が広がる。やがて線路状態がいい東北本線に入って、猛然とラストスパートして、大都市盛岡へ着く。
ちょっと長く、クライマックスになるような絶景はないけれど、変化に富んだ路線だと思う。

最近は花輪線にはご無沙汰で、最後に乗ったのは、キハ110系気動車が投入された(2008年)直後だったから、7~8年ぶり。冬に乗るのは今回が初めて。
キハ110系の車内は、ロングシートとボックスシートを組み合わせたセミクロスシート。特徴的なのは、ボックスシートが片側は一般的な4人掛けで、その反対は2人掛け(1人ずつ向きって座る)であること。
今回乗ったキハ111形では、大館で左側である米代川側が4人掛けだった。

乗った時点で、4人掛けはほぼ埋まっていたので、2人掛けへ。
さらに、吹雪、列車が巻き上げた雪、車内の結露で窓ガラスが曇ってしまい、どっちみち米代川を眺めることはできなかった。
かろうじて見えても、地吹雪なのか吹雪なのか、真っ白の車窓
きびきびと力強い加速、ディーゼルにしては静かで穏やかな乗り心地、明るい車内。キハ110系という車両も、好き。
時折晴れ間
鹿角市へ入って、十和田南駅で列車の進行方向が変わる。
平地なのにスイッチバック構造なのは、大昔に、鉄道を延伸する計画(十和田湖を経て青森県三沢まで?)があった名残だそう。
かつては、駅前から十和田湖休屋行きの国鉄バスが運行されており、30年ほど前に利用したことがあった。今は、秋田県側から十和田湖へ行く路線バスはすべてなくなってしまった。おこわの駅弁も売られていたが、やめてしまった。

鹿角市の中心・鹿角花輪駅で、ほとんどの客が降りて、車内はガラガラ。ここまで大館から50分。
かつては秋田まで直通の急行「よねしろ」→無名快速が運行されていたが、今はなくなり、秋田へは高速バスすらない。
秋田市民としては、鹿角も秋田県であることは重々承知しているが、遠い街に感じられてしまう。25年くらい前には、県による「秋田県内の各市を90分以内で移動できるようにする」構想があったと記憶しているが…


鹿角花輪からさらに12分、秋田県最後の駅が今日の目的地、かつ、永年来たかった土地。
米代川は車窓右に移り、高速道路が見える
「湯瀬(ゆぜ)温泉」である。
駅に到着して列車を降りると、内陸部とは思えない強い風。建物に雪が吹き付けられて壁にべったり付いている。
車掌さんも帽子を飛ばされそう(女性用制帽ってヒモがないの?)
上の車両は、大館時点では先頭だった車両なので、前回記事最後の写真と同じ車。
ホームも線路も1本。右は桜並木?
花輪線の駅は、駅舎と待合室が一体化した、風除室のような建物がホーム上にある所がある。上の写真左の建物がそれ。中にもう1つ扉があって、いちおうそっちが改札口。
我々のほか、地元の人が2~3人降りる。
湯瀬温泉駅は、地元の人(温泉関係の組織?)にきっぷ販売を委託する簡易委託駅【下の追記参照】で、降りた客のきっぷを回収する集札業務も行っている。簡易委託駅では、車掌が回収するのが本来のはずだが、東北地方ではこういうケースも多い。
なお、湯瀬温泉駅の駅名は、1995年までは「湯瀬」だった。
【2022年1月7日追記】湯瀬温泉駅は2021年11月で委託が解除され、12月から無人駅になったとのこと。それまでの業務は、鹿角市が受託し、さらに地元の「湯瀬自治会」へ委託していたとのこと。


さて、「湯瀬温泉」について。
秘湯ブームの昨今、秋田では乳頭温泉郷が全国的な知名度が高く人気。

30年くらい前までは、少なくとも秋田県内では湯瀬のほうが知られていたかもしれない。距離的に近い弘前など青森でも認知度があり、訪れたことがある人も少なくないようだ。
「湯瀬」といういかにも温泉らしい地名、紅葉が美しい「湯瀬渓谷」、泉質にちなむ「美肌の湯」のキャッチフレーズ、「ユゼ石鹸」という温泉にちなむ商品、2軒ある大きなホテルによる宣伝などの影響だろう。

個人的に、湯瀬温泉のインパクトを決定づけられたのが、弘前にいた頃に流れていたテレビコマーシャル。以前も少し書いたけれど、青森テレビで17時から遅れて放送されていた「笑っていいとも」の最初のほう(オープニングとテレフォンショッキングの間辺り)でよく放映されていた。

外国人男性のナレーション「湯瀬ハ トッテモ イイ トコロ デス」。
映像は、緑の湯瀬渓谷だっただろうか。宿の一室からそれを眺めつつ、手紙を書く男性の後ろ姿(和服姿?)も映った気がする。
「今度ハ アナタト 来タイ」「YUZE HOTEL」。

こんな感じ。小泉八雲のような外国人が、妻か恋人に宛てた手紙を湯瀬でしたためているシチュエーションだと理解していた。湯瀬温泉で最大手であろう宿泊施設「湯瀬ホテル」のCMであった。
秋田では視聴した記憶がないから、距離的に近い青森からの誘客を狙っていたのだろうか。

このCMによって「湯瀬はとってもいい所」なのだと刷り込まれた。
その後、2001年には、紅葉のごく初めの時期に、日帰りで湯瀬渓谷を歩いたことはあった。湯瀬ホテルの前で「これがあのCMのホテルか」とか思ったが、当時は、温泉への興味がほとんどなく、日帰り専門の「湯瀬ふれあいセンター」もあったのに、素通りした。
その後、温泉への興味も出てきて、湯瀬温泉へのあこがれが募ったという次第。
そこへ、半額相当の宿泊券「アキタノ旅クーポン」ができたので、これをチャンスに行くことにした。


湯瀬温泉には5件の宿があるそうだが、うち2件がとても大きい。
「姫の湯ホテル」と「湯瀬ホテル」である。秋田市民でも「湯瀬温泉」と言われれば、ストレートにこの2つを挙げられる人が多いかも。(年齢や経験にもによるけど)
現在は、それぞれ「和心の宿 姫の湯」「四季彩り秋田づくし 湯瀬ホテル」という長ったらしい枕詞を付けて、宿泊サイト等に登録している。
【2017年11月3日追記】十和田八幡平観光物産協会ホームページによれば、客室収容人数は湯瀬ホテル753名、姫の湯606名。やはり湯瀬ホテルのほうが湯瀬最大の宿。

調べたところ、料金は両者ほぼ互角。夕食は、姫の湯はお膳など個別方式、湯瀬ホテルはバイキング方式(その日の予約状況により個別)といった違いがありそう。
テレビCMの縁もあることだし、湯瀬ホテルに泊まることにした。
紅葉シーズンはかなり値上がりしていたが、オフシーズンは2食付きで1人8000円ほど。

湯瀬ホテルは、近くの(といっても近くもない)仙北市の「玉川温泉」と同経営だった。
2012年の玉川温泉での雪崩事故の後、湯瀬ホテルは玉川温泉の手を離れて別経営になったと聞いていた。
「ユゼ石鹸」の企業も玉川温泉系列だそうで、現在でも、湯瀬ホテルの売店で販売されていた。

湯瀬温泉駅前。ポストが雪で真っ白

湯瀬(鹿角市八幡平字湯瀬)は、山に囲まれた集落。
米代川、花輪線、東北自動車道、県道282号線が通る。
東北道には湯瀬パーキングエリアがあり、高速バスのバス停(大館-盛岡便はどちら方向の便も乗降とも可能。弘前-大館等他路線は通過)はあるものの、PAだから車の出入りはできない。
なお、花輪線は1日7往復なのに対し、大館-盛岡の高速バスは毎時1本と多く、バス停まで送迎してくれる宿もある(徒歩でも遠くはないはず)。

花輪線・高速バス以外に、地元の路線バスなどの公共交通はなく、小学校もコンビニもなく、なんでも屋さんのような店もなさそう(昔はあったのだろう)。あるのは郵便局くらい。
田んぼさえあまりなさそうだけど、意外に民家は多い。自家用車で用は足せるのだろうけど、生活するのは楽ではないかもしれない。
いわゆる秘湯ではないけれど、「温泉しかない」という意味ではある意味、秘湯と呼べる温泉かもしれない。


湯瀬温泉駅を出て左に進み、踏切を渡ると温泉街。
温泉“街”といっても、それにふさわしい店などはなく、人がいるのかいないのか、ひっそりとした建物が目に付く。猛吹雪のせいだけではないだろう。
硫黄分を含まない温泉なので、においは特にしない。

姫の湯ホテルは、踏切のすぐ先にある。湯瀬ホテルは、さらに進んだ湯瀬渓谷の入口にある。
公式には、踏切の先をすぐ右折し、民家が並ぶ線路と並行する道を進み、次の踏切の所で左折した坂を下るルートが、湯瀬渓谷(と湯瀬ホテル)へのアクセスらしい。

もう1つのルートは、踏切の先を直進。宿の裏をかすめるような曲がりくねった坂道を下る。
右に巨大なつらら
土産物屋の看板を出す店が何件かあり、温泉街としてはこっちがメインのよう。でも、営業しているのかな。

すぐに、車窓から見え隠れしていた、米代川の湯瀬渓谷の入口に着く。この辺からお湯が湧いたので「湯瀬」となったとか。
車窓や駅から少し見えていたけれど、明るい茶色の巨大な2つの建物が湯瀬ホテル。予約すれば駅から送迎してくれるが、楽に歩ける距離。川の両岸に建物が1つずつあるが、対岸のほうからしか出入りできない。
左奥が駅から来た道。奥が川の上流、背後が湯瀬渓谷のメイン部分
対岸(上の写真右)が「吉祥殿」、左が「瑞祥殿」。るるぶトラベルによれば、それぞれ1987年と1996年築。本館と新館に相当し、橋(渡り廊下)で結ばれている。
瑞祥殿の上が顔みたいになっているのは、フクロウをモチーフにしている。


チェックインすると瑞祥殿のほうに通された。食事は、朝夕ともバイキングではないとのこと。
風呂は瑞祥殿の下のフロア。吉祥殿の11階にもあるそうだが、春まで改装工事中【2017年11月20日追記・この風呂は繁忙期など期間限定で開放されるそうだ】【2021年10月20日追記・11階の展望大浴場は廃止され、2021年11月に、露天風呂付き客室に改装。安い部屋の客はもう入浴できなくなってしまったようだ】。
宿泊客は少なそうで、だからバイキングでなく、そして風呂に近い瑞祥殿のほうを優先的に使っているのだろう。
米代川を渡る渡り廊下の内部

渡り廊下から上流方向の眺め
部屋からは、川越しに上の写真右の山の斜面を間近に見られる。近すぎてうまく写真に撮れないが、テレビCMそのものの眺め。紅葉シーズンはさぞきれいだろう。
冷たそうな流れの中を、秋田市の旭川でも見かける水鳥のカワアイサが1羽だけ、泳いでいた。

風呂は、同じ位置の上下2フロアにあるので、男女での入れ替わりはなし。
内風呂はプールのように細長く、中央部は少々深め。露天風呂は2種類あり、どちらも川と山を眺められる(上の写真左の建物の奥に当たる)。片方は階段(屋根・壁あり)を上ってけっこう歩く。吹雪の中の「雪見風呂」が経験できた。

アルカリ性単純温泉で美肌の湯と言われる湯瀬温泉。透明であっさりとしたお湯だけど、入ると肌がつるつるする。ごく微細な湯の花が漂っていた。具体的な成分は別として、感覚としては大鰐温泉に似たお湯。こういうのがほんとうの名湯なのかもしれない。
塩分がないせいか、出た後に体がほてりにくく、夏場にも良さそうなお湯。


食事もたいへん結構。※個人の感想です。写真はありません。
バイキングでないと聞いてがっかりしていたが、上品な料理がいろいろで大満足。八幡平ポークの蒸したのとか、和牛の陶板焼きとか、意外な焼き魚もおいしかった。この値段であれなら、ものすごくコストパフォーマンスがいい。

鹿角といえばきりたんぽ“発祥の地”(対して大館は“本場”としている)。
夕食のコースの最後に蕎麦が出ることがあるけれど、その代わりのようにきりたんぽ(きりたんぽ鍋)が出された。鍋ではなく盛りつけて出されたので、量的には少なめ。きりたんぽは1本分だったか。もうちょっとほしいところ。(バイキングなら取り放題だった?【末尾追記参照】)

大館にしろ鹿角にしろ県北でのきりたんぽも、プロが作ったきりたんぽも、食べるのはどちらもおそらく2度目。以前は、鹿角のマインランド尾去沢で食べた。
最近は、きりたんぽ用スープの素が市販されているから、秋田市辺りの民家やなべっこ遠足で食べられるきりたんぽも、発祥地・本場と味はそう違わないはずだけど。
やはり、発祥の地のきりたんぽも、うちで食べるのとあまり違わなかった。
思ったより味が濃いめで、脂分も多かった。これが本来のものなんだろうか。西の方から来た人には、もうちょっと薄味がいいかも。
マイタケのほかもう1種のキノコも入っていて、「ナラタケ」とのこと。

朝食も、同じように品が良い献立。
ロビーのフリードリンクコーナーと朝食会場のコーヒーが、なかなかおいしかった。


部屋は二重窓で、川の音も聞こえず静か。
接客も良く、泊まって良かった宿だった。しかもこのお値段で!

シーズンによるのかもしれないが、目立った団体客や外国人客はいなくて、ゆっくりできた。
スキーの大会に向けて合宿している大学生のような一団はいたけれど、おとなしくて気にならなかったし。
スキー大会期間中や紅葉シーズンは混雑するだろうし、立地的に花見や夏祭り期間はツアー客が増えそうだけど、それ以外なら穴場だと思う。

部屋のタオル掛けの棒が色分けされているのは、複数人で泊まった時に取り違えないための配慮でしょう。※以前の記事

テレビCMにたがわず、湯瀬はとってもいい所でした。また訪れたい。
湯瀬や花輪線の風景など、続きます

【2017年11月20日追記】2017年の紅葉が終わった時期に再訪できた。
今度は吉祥殿だったが、しっかり手入れされており古さは感じなかった。他の宿泊客は団体などやや多く、朝夕ともバイキングだったが、やっぱりおいしかった。きりたんぽはスタッフが取り分けてくれる方式で、取り放題というわけでもなかった。きりたんぽは3切れずつ、麺類の湯切り用ザルに入れて煮ていた。前回よりも油っぽさ・塩分は控えめになった気がした。ともかく、やっぱり良かった。

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583系さくらまつり号

2015-05-04 19:47:44 | 旅行記
JR東日本秋田支社では、弘前さくらまつりの観光客向けの臨時列車を、毎年いくつか運行する。
固定されているさくらまつりの開催日に合わせて運転が設定される。今年のような早咲きあるいは遅咲きの年は、まつりは「準まつり体制」を前後に取るが、臨時列車は対応しきれない。
JRとしてはどの程度儲かっているのか知らないけれど、毎年続いているからには、それなりなんだろう。

ラインナップは毎年決まっていて、
・秋田内陸縦貫鉄道に乗り入れて2つの桜の名所、角館と弘前を結ぶ快速列車「角館武家屋敷とさくら号(上り)」、「弘前お城とさくら号(下り)」。
・2011年に運転が始まり、秋田から日帰りで夜桜を見られる、クルージングトレイン(元リゾートしらかみ初代青池編成)を使用した全席指定の快速「弘前夜桜観賞号」。※“鑑”賞ではない
他に、昔は特急車両を使った快速列車が青森-弘前で運転されていたが、東北新幹線の八戸だったか新青森開業以降は設定されていない。

そして、イベント名称をそのまま名乗る、快速「弘前さくらまつり号」である。
秋田からの日帰りに対応したダイヤ。所要時間は各駅停車と特急の中間くらいの2時間半ほど。往復とも利用すれば弘前に4時間半滞在できる。自由席と指定席があり、この列車を利用した団体旅行やパック旅行もある。

「弘前さくらまつり号」は歴史も長く、僕が記憶している限りでは、1995年頃にはほぼ同じダイヤで特急として運行されていた。列車名は「弘前さくら」号だったかもしれない。
その後、いつの間にか快速列車化された。

使用車両は特急用電車。「たざわ」→「かもしか」用の485系電車がよく使われた。
当初は5両編成だったかもしれないが、末期は3両編成なので、特に見頃にドンピシャの土日などの自由席は混雑が激しい場合もあったと聞いた。

年によっては485系ではなく583系電車が使われることもあった。
近年は「かもしか」廃止後は秋田の485系が廃車されたため、583系がレギュラー。


ここで583系電車について。
1967年から国鉄が製造した特急用電車。※当初は581系として登場。
最大の特徴は同じ車両を座席と寝台の両方で使用できる(昼夜兼用)こと。加えて、機関車にひかれる「客車」ではなく、モーターを搭載し自走する「電車」の寝台車であることも特徴。いずれも日本初(世界初?)であった。
国鉄としては車両の有効活用を意図していたようだが、昼夜それぞれ専用車のほうが評判が良く、後継車両は造られなかった。

東日本方面では、昼の「はつかり」夜の「ゆうづる」「はくつる」など東北本線や常磐線経由で上野と青森を結ぶ列車を中心に使われた。(定期列車としては1993年まで)
秋田など日本海側では定期列車としては、1990年代に急行「津軽」として使われた程度。あとは臨時の「あけぼの」や修学旅行の「集約臨時列車」、TDLツアー「わくわくドリーム号」といった団体専用列車を中心に走った。

長らく青森の車両基地に配置されていたが、最後まで残った2本が東北新幹線八戸開業(2002年)を機に、仙台と秋田へ1本ずつ移籍。
その後、秋田の編成のほうが老朽化していたため廃車。代わりに2011年に仙台の編成が秋田へ異動して現在に至っている。

JR西日本で急行「きたぐに」に使っていた583系も、同列車の廃止に伴って廃車(1両は博物館展示用として車籍保有)。
したがって、今回「弘前さくらまつり号」に使われた、秋田車両センターの583系電車が、唯一の現役の583系電車ということになる。

そんなわけで、583系は今となっては貴重な車両である上、現在は団体専用で使われることが多い中、乗車券だけで乗れる快速「弘前さくらまつり号」は、鉄道愛好者にとっても絶好の列車でもあるのだ。



ところで今年は、NRE(日本レストランエンタプライズ。旧・日本食堂)秋田列車営業支店が、「弘前さくらまつり号運転記念プレート」なるものを発売した。300枚を秋田駅在来線改札内のNRE弁当売店(秋田杉の謎の窓口ができた所)で限定販売。
244ミリ×144ミリのアクリル板に、583系の精巧なイラストや3号車ドア横の表示を描き、1600円。(個人的にはかなり高いと感じるけれど、それなりに売れているようだ。)
ただし、売店の営業は17時まで。上りさくらまつり号の秋田着は18時35分なので、帰りに買うことはできないというのは、商売下手。

最近は、SLとかリバイバル列車ではこの手の乗車記念品をよく売っているけれど、さくらまつり号で売るのが唐突で意外だった。
最近はマメにグッズ販売を発表するJR東日本秋田支社のホームページには告知がなく、コンビニのNEWDAYSでは売らないので、NRE秋田の独断で企画した商品なんだろうが、そういうやり方が変わっている。(NEWDAYSと協力すれば、上りの客が買う機会もあるのに)


583系電車はかなりの高齢だから、いつ引退しても不思議ではないと思う。
1年後には北海道新幹線が函館まで開業するから、青森に配置されている485系電車に余剰が生じると考えられる。485系は583系よりは新しいから、来年のさくらまつり号は485系に再度交代ということもなくはないかもしれない。
唐突に記念グッズが発売されたことも合わせるとそんな気がしてきて、今回、1泊の弘前への行きも帰りも583系の「さくらまつり号」を利用してみた。


昔はさくらまつり期間中は毎日運転されていたはずだけど、近年は期間中の土日祝日を中心に運行。
今年は4月25日~29日、5月2日~6日の10日の運行。水曜日の祝日である29日の前の平日は運転するのに、後の平日30・1日は運転なしなのが不思議だけど、例年こんな感じ。

自由席2両、指定席4両。乗るのは平日だし、ソメイヨシノの見頃は過ぎているし、自由席でも良さそうだけど、583系を運行してくれるJR東日本への一助になればと思って、指定席(1回510円)を利用。

ポイントが欲しいからJR東日本のネット予約「えきねっと」で予約。
えきねっとでは、シートマップ(座席配置)を見ながらピンポイントで予約できる列車がほとんど。クルージングトレインの夜桜観賞号でも対応していた。
だけど、弘前さくらまつり号は非対応。
その理由は、583系の座席が2人ずつ向かい合うボックスシートだからだろう。1列ごとにABCDが振られるのではなく、1ボックス単位で同じ数字でボックス内でABCDが振られるから、勝手が違うのでしょう。
調べてみると、6号車以外は上りはA席、下りはD席が進行方向向きの窓側になるそうだ。6号車では逆になるが、自由席。
えきねっとでは、ABCDを指定して予約することはできたものの、3人が埋まっているボックスに押し込められて割り当てられてもイヤだから、「窓側」だけの指定で申し込んでみた。空いているボックスの進行方向向きを割り当ててくれると期待して。

きっぷを受け取ると、行きは順当に「A席」。
帰りは逆向きの窓側の「A席」。混んでいてD席が全部埋まっている、わけはないだろうなと思ったが、案の定、空いていた。周りを見渡せば、他のお客さんも逆向きに座っている人が多い。
えきねっとではなく、窓口や券売機で購入した人もいると思われるから、システム全体の誤設定か何かで、下りでもA席から優先して発売してしまったのだろう。
実際には、みなさんそれぞれで1ボックス独占状態だったから、問題はなかった。



上記の通り、秋田では583系の乗車機会が多くないため、個人的にはさほど思い出や思い入れのある車両ではない。
でも、国鉄型車両の中でも特異な存在であり意識はしていたし、何度か乗った経験はあり好印象だった。
これまで乗ったのは、座席仕様で中学校の修学旅行で秋田→青森と中越地震による不通で運休になった「あけぼの」の代走「かもしか」で秋田→弘前の2回。寝台仕様で急行「きたぐに」に3回(いずれも下段)。以上、計5回のはず。けっこう乗っているほうかも…(だけど485系には優に100回以上乗ってるから、それと比べれば少ない)

秋田車両センターの公開で、座席・寝台半分ずつの車内(最近の秋田のツアーの定番)を見学したこともあった。


では、行きと帰りをおりまぜた乗車記です。
改札口やホームのLED式発車標では、「弘前さくらまつり」は文字数が多くて、表示に苦労している。
秋田駅では、
恒例のこの表示
「さくらまつり」を1文字分に組み込んだ、手作り感あふれる文字。英字表記もあり。(昨年の記事参照)


弘前駅では、
文字は小さいながら、ちゃんとした文字データっぽい
ちなみに2010年の弘前駅では、違う表示だった。
(再掲)2010年の弘前駅。手作りっぽい?
※上の路線・方面の表示も英字が添えられるなど変わっていた。表示器自体は同じはず。

途中の東能代駅ホームの新しめの発車標では、文字データで「弘前さくら」と表示されていた。


583系「弘前さくらまつり号」
見慣れた485系電車の色違いのようなスタイル。
かつての特急は鼻先が長いボンネット型で(485系も初期型はそうだった)、初めて平らな形状になったのが583系だったそうだ。当初は「電気釜」などと揶揄されて好みが別れたそうだが、個人的にはこれこそ国鉄の特急。
なお、583系は寝台車としても使うための車内構造の違いから、485系よりやや大柄な車体。

愛称表示(ヘッドマーク)・行き先表示が「臨時」なのも、毎年のこと。NREのプレートでも忠実に「臨時」とされてしまっている。
味気ないし毎年使うのだから、桜のイラスト入りマークでもセットしたらという意見を時々目にする。
ドア横の表示も「臨時」
485系などでは横長の側面表示が、583系では正方形なのが特徴。ドアが引き戸でなく折り戸(ゴロゴロという開閉音の防止)だったり、電車3段式寝台を示す「★★」マークがあるのが、寝台車ならでは。
ホームに乗車位置表示はある
発車標や乗車位置表示があったとしても、列車自体には「臨時」としか表示がないから、戸惑う人もいる。特に日本語が分からない人には。
この時もホームで、通りかかった他列車の乗務員に指定券を示し、この列車に乗っていいのか尋ねる外国人旅行客がいた。言葉は英語を使っていたが中国系の人に見えたから、「弘前」の文字が車体にあれば理解できただろう。(「臨時」だと、伝わったとしても「臨時」しか分からないし。それは日本人でも同じか)
やはり車両自体に表示が必要だと感じた。
【22時30分追記】あと、車内に自由席か指定席かの区別を示す表示がなかったのも、少々不親切(外のドア横にはある)。かつての表示板は蛍光色の「禁煙」表示に替わったようだ。


車内へ。
583系・座席仕様の車内
JR化後に座席の布地が色・柄入りのものに交換されていたが、この車は仙台時代に国鉄当時に極力近いものに再度改装されており、懐かしい青色。
座席
4人掛けボックスシート。当然ながらリクライニングなどせず、半数の人は後ろ向きで旅する。
普通列車のボックスシートよりも間隔が広く、掛け心地も柔らかい。窓側の凹みは肘掛け。通路側の肘掛けには小テーブルが収納されている。
現在は窓に横引きプリーツカーテンが付いているが、製造当初は二重窓で間にハンドルを回して開閉するブラインドが入っていた。(中学校の修学旅行の時はそれだった)
【11日追記】当初は壁のテーブルの底面に栓抜き、その下に灰皿が装備されていたがなくなっている。ほぼ同じ構造で2段式である客車の開放(=個室でない)A寝台では、壁側の肘掛けはなく(そこに灰皿)、テーブルはもっと大きな折りたたみ式のものがあったようだ。

今の感覚では信じられないけれど、昔はこの座席に対して特急料金を払っていたのだし、上野-青森間を8時間以上もこの座席に座って移動していたのだ。

改めて583系の座席に座ってみると、座り心地はいい。
背もたれの下のほうの角度が絶妙(普通列車より大きい)なのか、背中の辺りがフィットして姿勢を正して座っても疲れない(逆にだらしなく座りづらい構造かも)。靴を脱いで前の席に足を投げ出すには、間隔がちょっと広すぎた。
背もたれは低めで、僕の座高では枕カバーが頭より下になってしまうものの、前後の席との隔絶感はある。
座ると天井の高さが分かる


583系は寝台車にもなるわけだが、その構造には感心させられる。
僕は座席仕様も寝台仕様も知っているけれど、同じ車両だとは信じがたい。あの変わりようを考え出した国鉄はすごい。
(再掲)秋田車両センター公開時の座席・寝台半分ずつ仕様
昼間仕様を基準にすれば、座席の背もたれ上辺が中段寝台、荷棚が上段寝台のそれぞれ底で、昼はそれぞれ壁面に収納されている。
荷棚が少し高い位置にあったり、天井際の壁が重々しい装備なのは、そういう事情なのだ。
どこかをガチャンとやればベッドが下りてくるのでしょう(やったら怒られます)


下段寝台を作るのは比較的簡単。※やったら怒られるし、できないように固定されている場合もあるかもしれません。【8日補足】空いている時などは、大目に見てくれる車掌もいるようだ。
座席の座布団部分を前方に引っ張れば、背もたれの下の部分とともにスライドして、平面のベッドになるのだ。(リゾートしらかみのボックス席と同じ発想)凹凸があるので寝台運行時は布団が敷かれる。
秋田の中学校の修学旅行の集約臨時列車では、先輩や兄姉から“伝授”されたのか、偶然“発見”したのか、毎年のように誰かがこれを実行していたようだ。僕たちの時もやった子がいて、先生に怒られることはなかったが、真似する生徒が続出する事態にもならなかった。
それと、座席の中にいたままでこの作業を実施すると、最終的にはスライドした両方の座席で脚を挟まれることになり、修学旅行出発早々に弁慶の泣き所を強打する生徒もいた(けっこう痛いらしい)。

実は今回も、途中駅から乗りこんできた鉄道マニアであろう男が、片側の座席だけ寝台構造にして寝転んでいたが、30分もしないうちに元に戻していた。あまり居住性は良くないのかもしれない。(正当な使い方でないから当然か)

枕カバーをめくると…
背もたれの途中に「体操用マットの耳」状のものが付いている
寝台から座席へ戻すときは、これを引っ張るのだろう。

壁にフックが2つ。1つは上下逆?
座席仕様では使えない向きのフックがあるが、これは寝台にした時は上から下りてくる中段部分の裏側。つまり下段寝台の人が使うフック(ハンガー掛け?)なのでしょう。


583系は3段式寝台なので、特に中段・上段は天地方向がとても狭い。
その中で、通が指定して買うという位置があった。「パン下」ことパンタグラフの下の中段である。

電車だから集電装置のパンタグラフが屋根にある。大柄な車体である583系では、パンタグラフを設置する部分の屋根を車内側に下げて天井を低くしている。
そのため、そこには3段分の寝台を設けられず、上段がない2段になっている。そこの中段は天地が広くて好まれたという。
パン下は先頭・最後尾を除き、2両に1両の割合で8区画ずつある。
 天井や照明が下がっている部分がパン下
パン下では、荷棚の構造(伸び縮みしそう)や収納された中段部分の角度が異なっていた。いっそう複雑な造り。


ところで、首都圏でこんな列車が運転されたら、鉄道マニア(という言い方は好きではないけど、あえて使います)が殺到するだろう。乗ったり撮ったり。
「弘前さくらまつり号」でも、(僕自身も含めて)けっこう来ていたが、首都圏に比べるとかなり少ない。指定席では愛好者とそうでない観光客が半々くらい。
発車前は写真を撮る人が(僕自身も含めて)うろうろしていたものの、走行中はみなさん静かに旅を楽しんでいたようだ。
観光客は秋田から日帰りで花見に来た家族連れ(年配の夫婦とか母娘とか)が多いのは恒例。さらに行きは中国または台湾系の外国人が多かった。2~3人の小グループが複数組で、静かに乗っておられた。

沿線では、撮影するいわゆる「撮り鉄」がいた。これも首都圏や引退間近の列車ならものすごい人数だったり、違法行為(車での道交法違反、禁止場所への立ち入り等)をする人が出てしまいそうだが、今回はそこまでではなさそうだった。ただし、一歩間違えば本人がケガしそうな場所(列車に対しての危険はなさそう)で撮影していた人を見た。無茶はしないでね。
【5日追記】某途中停車駅裏にある某社本社から、社員と思しき人が飛び出してきたと思ったら、柵越しに583系の写真を撮って、そそくさと戻っていったというほほえましい光景も目撃。



今年の「弘前さくらまつり号」のダイヤは、下りが秋田2番線8時23分→弘前1番線11時42分、上りが弘前2番線16時07分→秋田3番線18時35分。
停車駅は上下とも土崎、追分、八郎潟、鹿渡、森岳、東能代、二ツ井、鷹ノ巣、早口、大館、碇ケ関、大鰐温泉。
特急+土崎、追分、鹿渡で、昔の急行並みか。大久保に停まらないのが珍しいかも。
各駅の停車時間は長くても3分ほど。
反対列車との行き違いの運転停車は、下りはなく、上りは鯉川で「つがる」と交換のため4分停まっただけ。

非常に“きれいな”ダイヤで気持ちよく移動できた。欲を言えば大館で少し長く停まってくれたら、コンビニでお土産でも買えたか…
3分停車の下りの追分駅で、跨線橋を渡って1番線に行って写真を撮っていた人がいたけれど、よくやるなぁ。


例年同様、車掌は秋田運輸区が往復とも通しで担当。
今回は行きは1名、翌日の帰りは2名乗務だった。指定席の検札は、行きはなく、帰りはあった。
車内放送のメロディは、本来は「鉄道唱歌」のオルゴールが搭載されていたが、JR東日本の改造車両でよく搭載されているクラシック音楽の電子チャイムに更新。
行きの車掌は「春の歌(メンデルスゾーン無言歌集)」、帰りは「春の歌」と「春(ヴィヴァルディ四季)」が流れた。「さくらまつり号」にふさわしい選曲? 本当の理由は演奏時間の長短かもしれない。「春の歌」が短いので好んで流す車掌が多い感じ。長い「美しき青きドナウ」や「主よ、人の望みの喜びよ」はあまりかからない。

行きでは、発車して間もなく「本日は1号車と2号車で車内放送が聞こえにくく、3号車でも音量が低くなっております」と放送が流れた。当該車両では聞こえないわけですが。
帰りはその2号車に乗って、ちゃんと聞こえていたので直っていた。

【5日追記】行き帰りとも、車掌が客室に出入りする時の一礼(以前の記事)はなし。どうでもいいけど、新幹線・特急や急行じゃないからか。反対に普通列車ではあまり行わない、始発駅発車後の放送での車掌の「秋田運輸区○○が終点までご案内いたします」といった自己紹介はあった。

【19日追記】583系は1両につきドアが1つで、上記の通り6号車だけ向きが逆転している。そのため、5号車と6号車の間にはドアがないことになるので、その旨を放送した車掌もいた。

横長の窓。485系よりは小さいけど充分
「窓かまち」と呼ばれる窓下の出っ張りは、材質も形状も485系のものにそっくりだが、幅は少し狭い。
上記の通り、製造当初は二重窓で窓かまちはなかった(内側のガラスと壁が同じ面だったはず)から、後付けか。

行きも帰りも、指定席のお客はほぼ全員が秋田-弘前を乗り通した。
自由席のほうは入れ替わりがあったと推察されるが、この手の臨時列車は、地元の通学や用務で利用する客も当然利用できる。
上りは大館発秋田行き各駅停車が直前を走るためか、そういう客はいなかったようだ。下りは特急と各駅停車大館行きの間であるため多少はいたようだが、思ったほど多くなかった。乗り得なのに。
【22時30分追記】上りでは、弘前から碇ケ関止まりの普通列車に15分先行するので、駅員に確認して乗り込む人がちらほら見られた。


弘前まで車窓をじっくり眺めながら行くのは、気分的には久しぶり。
八郎潟駅前に「八郎潟町えきまえ交流館・はちパル」(今年5月1日オープン)、鹿渡駅前に「琴丘地域拠点センター・じょもん」(2013年)がそれぞれできていた。
【6日追記】追分-大久保間の「大清水信号場」が2013年で廃止され、近くの鉄道林跡にJR東日本によるメガソーラーができていた。
この区間を利用するようになって20年になるが、ずっと変わらないものもある。
上の山腹に
早口駅から見える常緑樹による「田代」の文字は、田代町の大館市への編入から10年経っても健在。

青森県に入って、碇ケ関-長峰間の大鰐町の川沿いに、
「陽気ドライブイン」
国道7号線に面していて、線路からは裏側しか見えない。
高速道路や道の駅ができてドライブインは落ち目だから、ここも名前とは裏腹の状態ではないかと、見る度に失礼ながら想像していた。ネットで調べると、定食やラーメンがおいしいそうだ。


行きでは、大館駅発車後の走りが特急並み。7号線の車を抜きながらぐんぐん進む。
県境には、長さ3180メートルの矢立トンネルがある。この区間の許容最高速度95km/hだと、2分ジャストで抜けられる計算になるが、トンネル前後に駅(陣場、津軽湯の沢)があるため、普通列車では2分半~3分かかり、「つがる」など電車特急でも2分20秒前後かかることが多い。かつての「白鳥」は、いつも2分ジャストで抜けていた。
今回の「弘前さくらまつり号」の下りは2分ジャスト! 上りも2分15秒ほどであり、臨時の快速列車、かつ古くて重い583系としては上出来。
ダイヤでは陣場と津軽湯の沢の通過時分も厳密に決められているから、飛ばし屋の運転士だったわけではなく、そういうダイヤを組んであるんだろう。


583系の(座り心地ではなく)乗り心地の良さも実感できた。
昨今の車両の軽くて滑らかな乗り心地の良さとは違う良さで、国鉄車両らしいどっしりとした乗り心地。重量や重心の違いなのか485系よりもさらに重厚な感じ。
寝台車でもあることから静粛性にも配慮され、ドアの開閉音はしないし、二重ドアでモーターのうなりやホームや外の音もほとんど聞こえない。2両目くらいだと先頭車の警笛は「ひーん」と少し控えめに聞こえた。
485系同様、発車時にガクガクと加速するのは、旧式の制御装置の宿命。


弘前駅ではこんなに乗っていたのかというくらい多くが降りた。エスカレーターの下などで駅員が人数をカウントしていたので、その結果で来年以降の運行が決まるのでしょう。
今回は青森市に宿泊したので、きっぷは秋田-碇ケ関の乗車券と碇ケ関以遠(と弘南バス・弘南鉄道)は「津軽フリーパス」という組み合わせで節約。
津軽フリーパスは自動改札を通れないので、弘前駅では有人通路へ。他のお客さんはほぼ全員が自動改札を通っていた。


ロングシートの普通列車はもちろん、新型の特急でも味わえない、素晴らしい「弘前さくらまつり号」の旅だった。再び味わえる機会はあるだろうか。
【21時50分追記】車齢を踏まえれば、車内外ともくたびれたり汚れたりは感じない美しい状態で整備されていたのも良かった。JR東日本秋田支社、秋田車両センター、秋田総合車両センターなどの技術力と努力のたまものでしょう。


※弘前公園さくらまつりについては、こちら
※翌2016年は、583系電車は残っているもののさくらまつり臨時列車には使用されなかった。特急「つがる」用のE751系電車を用いた、同名の特急列車として運行。本文でも触れた、以前の運行形態に戻ることになる。
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秋田の北陸新幹線効果は?

2015-04-15 23:57:43 | 旅行記
先月ざっと紹介した2015年3月のダイヤ改正で、北陸新幹線が金沢まで延伸された。
マスコミや旅行業界が騒ぎ立てるように、たしかに首都圏から北陸は“近く”なった。

このように、これまでもこれからも、東京と各地を結ぶ新幹線は整備されている。東京一極集中が加速するばかり。
その裏返しで、地方対地方もしくは同一地方内での移動は、相対的にも絶対的にもしづらくなっている。新幹線開業により、都市間の在来線特急が廃止されるのはまだしも、並行在来線がJRの経営から分離されて運賃が高い第3セクター鉄道に移管され、日常の移動でさえ負担が増えるケースも少なくない。これならば、JR経営のままのミニ新幹線方式のほうがマシにも思えてしまう。


さて、今回の北陸新幹線開業を、同じ日本海側でありながら直接新幹線でつながっていない秋田からの視点で考えると、その効果や恩恵どんなものだろうか。
JR東日本の秋田エリア発北陸方面の「びゅう」旅行商品では、秋田新幹線や東北新幹線で大宮まで行って北陸新幹線に乗り換える行程のツアーやパックがすべてのようだ。
びゅうパンフレットより抜粋・合成
時間的には早そうな気はするが、いったん太平洋側まで行って日本海側へ戻る行程は料金が高そう(パックだから変えられないけど)だし、そもそも気分的にイヤだ。

かつては、東北から北陸・関西まで日本海側を走り通す特急「白鳥」、寝台特急「日本海」を使って、本数は多くないものの乗り換えなしで行き来できていたのは記憶に新しいし、国鉄時代までさかのぼれば、急行「しらゆき」(後述)、夜行急行「きたぐに」(最近まで大阪-新潟が残っていたが、かつては青森まで走っていた)などもあった。
「日本海」廃止後、北陸新幹線開業前でも、特急「いなほ」と「北越」を新潟で1度乗り換えれば、富山や金沢には行くことができた。

北陸新幹線開業により、新潟-金沢の特急「北越」が廃止。北陸本線のうち直江津以西が第3セクター鉄道「えちごトキめき鉄道」と「あいの風とやま鉄道」に寸断・移管された。
それにより、新潟から先は普通列車を延々と乗り継がなければいけないかと思ったが、そうでもなかった。
「北越」の代替として、直江津から内陸側の旧・信越本線(こちらもえちごトキめき鉄道に移管)に入る特急「しらゆき」が新設され、新潟方面から来て上越妙高駅で北陸新幹線に乗り継ぎできる
したがって、新潟と上越妙高で2度乗り換えれば、引き続き秋田から日本海伝いで富山や金沢には行くことができる。第3セクター区間はわずか(直江津-上越妙高10.4キロ。前後のJR区間は通算できる)だし、新幹線との乗継割引制度も設けられるので、費用的負担はさほどでもないかもしれない。

どうなるかと、試算してみた。
※いずれも秋田駅からの運賃・料金・所要時間。運賃料金は「乗車券+特急券等料金=合計」で表記。所要時間は時刻表でぱっと目に留まったものを中心に乗り換え待ち時間も含めて計算しているので、もっと早かったり遅かったりする可能性あり。
※料金は通常期の指定席料金。乗継割引は1度だけ適用。(企画乗車券、自由席または快速の使用や、裏ワザ的に新幹線を途中で区切って乗継割引を複数回使えば、安くなる)
※間違っているかもしれません。検討・利用の際は、各自改めて確認願います。
赤が大雑把な開業区間
●富山・金沢
金沢-富山は60キロほどしかなく、どちらも北陸新幹線上なので、条件はほぼ同一なのでまとめて。(だからこそ、マスコミが金沢ばかり取り上げるのは不公平だと思う。富山をもっと取り上げてやればいいのに…)
【日本海側ルート】
開業前 いなほ~北越 新潟乗り換え
2つの特急を乗り継いで、在来線をたどる。富山まで527.1キロ、金沢まで586.5キロ。
新潟での接続が良く、ほとんど待たずに乗り継ぎでき、富山まで7時間、金沢まで7時間30分ほど。
富山まで8420+5360=13780円、金沢まで9290+5570=14860円


開業後 いなほ~しらゆき~北陸新幹線 新潟・上越妙高乗り換え
北越もいなほと同型の新しい車両に更新されたので(時間は変わらないが)少し快適になった。
富山まで529.7キロ、金沢まで588.3キロ。直江津から内陸に入る分遠回りになりそうだが、北陸新幹線は在来線時代の北陸本線とは別に短い営業キロを設定しているので、相殺されてさほど距離は増えていない。
新潟での待ち時間が増えて(30分ほど)しまい、富山まで7時間、金沢まで7時間30分で開業前とほぼ同じ。
富山まで8450+6950=15400円、金沢まで9200+6950=16150円。値上がり幅はちょっと大きい。

※2016年3月の改正では、新潟での接続が改善(短縮)され、金沢までスムーズにつながるようになり、上記より約30分短縮された。この記事後半参照。一方で、いなほが新潟に着く直前にしらゆきが発車するものが2本ある。

【秋田新幹線・大宮乗り換え】
開業前 こまち~上越新幹線~北越急行 大宮・越後湯沢乗り換え
大宮まで出て、あとは開業前の北陸対首都圏の主要ルートだった上越新幹線・北越急行(在来線時代の「はくたか」)回り。富山まで1003.2キロ、金沢まで1062.6キロ。
なんとなく早そうな気がしていたが、意外にも所要時間は富山まで7時間30分、金沢まで8時間と日本海側ルートよりはややかかる。
富山まで12960+12220=25180円、金沢まで13610+12500=26110円

なお、こまちでなくいなほで新潟まで行って、上越新幹線~北越急行と経由する場合も時間はほぼ同じ。運賃料金は18000円程度。

開業後 こまち~北陸新幹線 大宮乗り換え
JR東日本推奨ルート。富山まで993.9キロ、金沢まで1052.5キロ。
大宮での接続があまり良くなく、1時間弱待つことが多いようだ。その結果、富山まで6時間強~7時間弱、金沢まで7時間
富山まで12640+13470=26110円、金沢まで12960+14000=26960円

北陸新幹線の開業で、東京-富山は約1時間、東京-金沢は1時間20分ほど短縮されたそうだが、秋田からでは、大宮の待ち時間で相殺されてしまった。
料金は1000円弱しか値上がりしていないから、そのまま時間短縮の恩恵を受けられれば、秋田からでも開業効果を享受できたのに。

日本海側ルートと比べて、この程度の所要時間差、乗り換えが1回多いだけで、値段が1万円も違うのだから、個人的にはこのルートはやっぱり使いたくない。


●長野
日本海側から北陸新幹線の新規開業区間を上り方向へ進めば、長野へ行くこともできる。
マスコミはもちろん、JR東日本も宣伝していないけれど、こちらはどうだろう。

18年前の長野新幹線(北陸新幹線の一部だけど)開業より以前からそうだったはず(国鉄全盛期は違ったかも)だけど、秋田-長野の移動は大宮まで出て信越本線(長野新幹線)に乗り換えるのがわりと一般的だったかもしれない。
こまち~北陸新幹線利用の秋田-大宮-長野で824.4キロ、5時間弱、11120+10540=21660円(新規開業区間は通らないので変更なし)。


しかし、距離的にいちばん近いのは、日本海側を直江津まで行って、そこから信越本線上り方向で内陸に入るルート。開業前は新潟と直江津で乗り換え。
前から乗ってみたかったのだが、開業前は、直江津-長野が各駅停車しかなく、気後れして実現できずに終わってしまった。
484.3キロ、7時間30分ほど、7880+4810=12690円だった。

開業後、上記の富山・金沢まで日本海側をたどるルートの途中の上越妙高駅まで行って、反対の上り新幹線に乗って2駅で長野。
479.2キロ、上記の新潟のほか上越妙高でも30分ほど待たされるので7時間強、7800+6200=14000円

また、このルートで上越妙高と長野の間にある駅が飯山。
従来は飯山線で長野から1時間近くかかっていたのが、新幹線によってわずか11分(上越妙高からは12分)。金沢や富山以上に、新幹線の恩恵を受けている土地ではないだろうか。
上越妙高と飯山両方に停まる列車は多くない(2時間に1本くらい?)けれど、飯山周辺の温泉旅行もいいかも。



【16日まとめ】総合的に秋田からでは開業前後で劇的な変化はなし。秋田新幹線で太平洋側(大宮)へ出ても時間はほとんど変わらず、値段が高くなるだけ。
以上、秋田からの北陸新幹線金沢開業の効果・恩恵は、やっぱりごく限られたもののようだ。
でも、接続を改善してもらったり、割引きっぷ類を充実させてもらったりすれば、また違うものになるだろう。
前から述べているように、日本海側を行く場合、冬期の悪天候による運休が不安なのでその改善もしてほしい。太平洋側の災害や長期不通に備えた迂回ルートとして、日本海側回りの交通網も日頃から充実させて維持することも必要だと思う。新幹線を作れとは言わないが、災害対策や利用しやすい列車本数の確保ぐらいは官民挙げてやるべきではないだろうか。

個人的には、東京なんかより北陸や信州のほうが魅力的な旅先。直通列車がなくても、地方から地方へ便利に移動できるようになってほしい。


●しらゆき
ところで、上で新潟-上越妙高に新設された特急「しらゆき」の名が何度か出た。「しらゆき」という列車名に聞き覚えがある方も少なくないのではないだろうか。
今回登場した「しらゆき」は、実は“3代目”。

初代と2代目も日本海側の列車名として使われ、いずれも秋田県内を走っていたのだ。
初代は国鉄時代の急行列車。
1963(昭和38)年
に金沢-秋田・青森の急行として運行開始。
全線が電化されても、キハ58系気動車(ディーゼルカー)で運転された。これは、途中で電源が3種類変わる(直流・交流50ヘルツ・60ヘルツ)のに対応できる車両がないためだったのだが、「全区間架線下を行く気動車急行」として有名だったらしい。

初代は1982(昭和57)年11月の上越新幹線開業時に特急に格上げされて、名前が消えた。
特急としては「白鳥」に編入・増発されて、福井-青森で1往復運転。しかし、1985年春に福井-新潟に短縮されて「北越」に編入。「白鳥」は大阪-青森の1往復に戻った。
したがって、この2年少しの間だけ、1~4号の号数付きの「白鳥」が存在した。

2代目は1997(平成9)年なのだが、少しさかのぼる。
秋田地区の普通列車に701系電車が本格導入された1993年。各地を結ぶ愛称付き快速列車が設定され、秋田-大館は同年に世界遺産に登録された白神山地にちなんで「しらかみ」となった。
秋田-青森で運行されていたとする情報もあるが、快速運転は秋田-大館だけで大館以北は各駅停車だったはず。

その後、1997年の秋田新幹線開業時に観光快速列車「リゾートしらかみ」が誕生。
おそらく混同を避ける意味で「しらかみ」は「しらゆき」に改称されて、2度目の登場。
しかし、JR東日本秋田支社の方針で、快速列車の減少(各駅停車化)が進み、わずかに残った快速は愛称をやめて無名の快速に。2002年に「しらゆき」は消滅した。
現在、秋田-大館には上り2本、下り1本だけ快速が残っているが、1往復はかつての急行「よねしろ」の末裔。「しらゆき」の流れを汲むと言えるのは、朝イチの大館発だけ。

ちなみに、しらかみ→しらゆきには、弘前にいた頃、秋田に帰省して夜に弘前へ帰る時によくお世話になった。
当時の停車駅は八郎潟、森岳、東能代、二ツ井、鷹ノ巣だけで、土崎も特急が停まる早口さえ通過し、所要時間は特急並みの俊足ぶり。鹿渡駅のポイントを高速(75km/h?)で通過する時の揺れがたまらなかった。
なお、大館から先は、車両運用の都合で花輪線のキハ58またはキハ52を用いた弘前行き普通列車。大館-弘前は701系より10分ほど余計に時間がかかり、一転してのんびりとした夜汽車の趣きだった。


そして、2015年、晴れて特急になって3度目の登場
雪国にふさわしい、柔らかで美しい愛称だと思う。末永く活躍してほしい。


そう言えば、「しらゆき」というカップ入りかき氷もあった。
昔は雪印が発売していて、後に雪印のアイス部門の移譲先であるロッテから発売されたそうだが、今もあるだろうか。容器は昔は円形で、ロッテでは四角かったそうだ。
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ゆっくりと新幹線

2015-03-08 00:10:15 | 旅行記
名古屋(前回の記事)を後に新幹線を乗り継いで秋田への道中。
行きは、あまり良くない天候の中を、E6系こまち・N700系ひかりと乗り継いだ。
帰りはその逆ルートだが、天候と乗った車両・列車は違った。

まず、天候は良好。先日アップした通り富士山が良く見えた。
行きは鉛色だった浜名湖も、
いい天気
駅弁について

以下、行程や車両について。
名古屋から在来線で豊橋まで行って、そこから各駅停車の「こだま」号でのんびりと。
なお、同行者にこの行程を強いるのは申し訳ないので、午前中に名古屋でいったん解散、夜に仙台で再度合流することにして、自由行動とさせてもらった。

以前も触れた通り、「こだま」の自由席である最後尾1号車はガラガラ。
車内
少々地味なような落ち着いたような車内。
これは、JR西日本所有の700系だから。
在来線の車両でも同じ傾向だけど、JR西日本の内装は地味なものが多い。
東海道新幹線~山陽新幹線を走る車両は、JR東海とJR西日本が同じ形式を保有し、基本的に区別なく混ざって運用される。乗り入れ分の運賃・料金精算を省くため、車両で按分して相殺する意図だろう。
700系16両編成の場合、3分の1ほどがJR西日本所属。

700系普通車の座席は、JR東海車ではグレーがかった水色(実際には色の違うダイヤ形を組み合わせた鱗のような柄)。
JR西日本車は、このようなネイビーブルーというか紺色に近い青色で、細かい格子状の線と濃淡がある。
テーブルの裏側も紺色(JR東海車ではグレー)。表面(物を載せる側)はベージュ色
JR東日本などでは、まずやらないであろう色づかいで、国鉄時代の特急をも連想させる。落ち着いていて嫌いじゃない。

他にも、床の色・柄も違うかな?
また、車内放送のチャイムが東海車は「AMBITIOUS JAPAN!」、西日本車は「いい日旅立ち・西へ」。
さらに、西日本車では先頭車側面に、
「JR700」と表記

向こうの700系は東海所属らしく「JR700」表示がない


順調に東海道を東へ進み、間もなく品川。
日本語に続き、「Ladies and gentlemen, …」と英語の自動放送が入りかけた時、それが突然中断され、車掌が肉声で「ご案内の途中ですが、ただいま列車内の…」と放送。
今まで経験がないことで、何事かと身構える。

「ただいま、列車内の一部の車両において、停電が発生しております。お手洗いなど水回りも使用できない車両があり、ご迷惑をおかけしております。復旧までしばらくお待ちください」と続いた。
列車は通常通り品川に停まりそうな走り方で、走行不能になって急減速するとか緊急停車するような雰囲気ではない。我が1号車では何の異常も見られないし、熱海などから乗ってきて少し増えた他の客も落ち着いている。

放送の状況からすれば、編成内の一部の補助電源装置が故障したのだろうか。
こんな事態に遭遇するのは初めて。(真冬に暖房が使えなくなったキハ58とか、冷房吹き出し口から雫が落ちる485系には乗ったことがあるけど…)
昼間で明るく、終点が目前だけど、薄暗い客室で水が使えない車両があるままで走り続けるのだろうか。遅れが出たら乗り継ぎに支障が出ないか、少し不安になる。
そのまま品川を停車・発車。
東京到着前に、改めて車掌から説明とおわびがあった。結局復旧しなかったようで、停電したのは10号車から12号車だったとのこと。グリーン車と普通車指定席になっている車両。(ちなみに「B13編成」でした)
その分、東京駅の乗り換え案内はカットされてしまった。おわびを放送した車掌も、途中駅で乗り換え案内を入れていたのとは別の人だった。
当該車両の乗客や車掌さんたちは大変だったのかもしれないが、他の車両の我々は何事もなく東京駅に到着。


後は乗り換えて秋田へ向かうだけだけど、ここでもストレートには行かないことにした。
次の秋田行きは東京17時20分発の「(はやぶさ・)こまち29号」。
その前に盛岡行きの16時56分発「はやて113号」があり、こだまから乗り継ぎ可能。

仙台までの停車駅は、はやてもこまちも同じ。
速度は先発の「はやて」のほうがやや遅いので差は詰められるが、仙台にははやてが18時37分着、こまちが18時54分発なので、仙台で充分乗り継げる。(はやて113号は仙台から各駅停車になり、一ノ関で抜かれて盛岡には後に到着するため、盛岡では乗り継げない)

そこで、東京→仙台をはやて113号、仙台→秋田をこまち29号に乗車することにした。
新幹線は改札を出なければ通しの特急料金で計算されるし、「えきねっと」予約のポイントは1列車ごとに付与されるので倍(+50円相当※2月からは変更)になる。

さらに、今回のケースでは、全区間「こまち」に乗った場合と比べて、特急料金が300円安くなった。なぜなら…
以前から何度か書いたように、「はやぶさ」やE6系化後の「こまち」の盛岡以南では、“速い分の加算料金”込みの高い特急料金が適用されている。
秋田(正確には盛岡)-仙台では210円、秋田(同)-大宮~東京では510円が加算される。
盛岡以南から乗る場合は列車が選べるからいいとしても、秋田・青森など盛岡以北から通して乗る場合は、選択の余地なく高い料金を払わされるのが、いまいち納得いかないでいた。

乗車区間のうち一部区間だけ割増料金適用の列車に乗る場合は、その区間分だけ割増料金が適用される。(当然ですが)
今回の乗り方では、仙台から先(仙台-盛岡)だけに加算されるから210円の加算で済んだ。
使用した特急券。金額の上に注目
特急券の券面には「HS:仙台→盛岡」とある。これが加算料金の適用区間を意味するのだろう。「High Speed」の略かな?


はやて113号は今や懐かしい気持ちになってしまう、E2系電車。
お客はけっこう乗っていて、今回の旅行で乗った列車の中でいちばんの乗車率。運良く2人掛けの隣には人が来なかった。
仙台までなら、「はやぶさ」とほとんど同じ所要時間で、310円(大宮以南-仙台の加算額)安く乗れることを知ってか知らずか、仙台で降りる人も多かった。
仙台到着前の連絡列車の案内では、僕が乗り継ぐはやぶさ・こまち29号の案内もされたけれど、同じように乗り継ぐ客はいただろうか。
仙台では「はやて」の15分後に「はやぶさ(とこまち)」。この先、一ノ関ではやぶさが追い越し、盛岡に17分先着するダイヤ
今回は上手く利用させてもらった形だが、このようにわずかな時間差で同じ停車駅なのに、加算料金が発生しない列車と発生する列車を続行させるというダイヤ設定も、いまいち理解できない。
一方で、時間帯によっては、盛岡-仙台間で各駅停車かそれに近い停車パターンの「はやぶさ」も運行されていて、それに乗っても加算額を取られることになる。
多くの乗客は数百円の加算料金など気にしていないのかもしれないし、宿泊込みのパックや割引きっぷなどトータルで考えればほとんど差はないのかもしれないが、僕はしっくりこない。

というか、10年ほど前の八戸開業の頃は、最速達列車として1時間に1本運行されていた「はやて」だが、現在は1日に3.5往復(東京-盛岡)しか運行されなくなっていたのに驚いた。1年前のダイヤ改正で、「はやぶさ」に取って代わられてしまっていた。
「はやて」は、最速達列車「はやぶさ」と停車駅が多い「なすの」「やまびこ」の中間の位置付けの列車だから、東海道新幹線で言えば「ひかり」に相当しそうだが、東北新幹線の輸送量や需要では必要がないのかもしれない。
なお、1年後の北海道新幹線の函館開業時には、盛岡・新青森-函館の列車名が「はやて」になることが決まっている。ということは、今回乗った東京発着の「はやて」はなくなるのだろうか。(来週のダイヤ改正では、そのまま残る)



朝に発生した停電の影響(による車両運用の乱れ)を引きずったらしく、やや遅れて仙台に到着した「こまち29号」は、降りる人はあまりおらず(はやぶさ側は不明)、車内もガラガラ。無事に同行者と合流できた。
あとは夜の東北新幹線・田沢湖線・奥羽本線を走って、
細かい雪が降りしきる秋田駅に到着(E6系に初乗車した時の「Z4」編成だった)

秋田-名古屋間を早い列車を乗り継いだ行きは6時間かかった。
ゆっくりと移動した帰りでも、8時間。特急料金は、豊橋から乗ったので760円、はやて利用で300円、それぞれ安くついた。


新幹線に関して、細々としたこといろいろ。
●1世代前と比較
行きに乗った、東海道新幹線N700系。内装は700系と違って、保有会社による差はほとんどないようだ。
窓の小ささと座席の明るい青が印象的
E6系と比べると、座席の背もたれがやや低く(開放的に感じて悪くはない)、PETボトルホルダーがないといった違い。

最新型であるこまちのE6系とN700系に乗って、乗り心地は共通するものがあると感じた。
その時はよく分からなかったが、帰りに1世代前の700系やE2系に乗ってみると、E6系とN700系の乗り心地が良いことを実感した。

1世代前の車両も悪くはないが、カタカタという小刻みな振動や、「ゴリゴリ」「しゅーん」というちょっとした音が発生していた。最新型の車両では、それらはほとんど感じなかった。


●車内放送
車掌が肉声で放送する内容は、会社や車掌区によってけっこう違う。今回耳にしたもの。
・東海道新幹線で「座席前のテーブルに、ノートパソコンなど高さのあるものを置く時は、前の客がリクライニングしてきてぶつかることがあるから注意するように」というのがあった。初めて聞いたけれど、たしかにそうだ。

・東海道新幹線では、名古屋など降車客の多い途中駅の到着前に「降りる時は、次の客のために使ったリクライニングを元に戻すようご協力を」という放送を以前からよく耳にしていた。
今回は、東北新幹線(はやて)でも仙台到着前に言っていた。前にも聞いたことはあったが、東日本ではあまり聞かない内容ではないだろうか。

・東海道新幹線「こだま」は、ひかりやのぞみに追い抜かれるため、ほとんどの途中駅で5分前後停車する。(熱海など構造上追い抜きできない駅はすぐ発車。名古屋、新横浜など主要駅も短め)
そういう駅の到着前の放送では、乗り継ぎ列車の案内の後「○○駅の発車時刻はx時xx分です」と言うことが多い。(「何分間停車する」という表現は使わないようだ)これがあれば、次の駅でホームに出て弁当でも買おうかという目安になり、助かる。

ただ、長く停まる駅でも、言わない場合もあった。
今回は、静岡では言わなかった。時刻表(分単位)上、静岡は4分停車。他の時刻の案内があった駅では5~6分停まっている。ということは、5分以上停車する時は発車時刻を案内することになっているのだろうか? むやみに客に途中駅のホームに降りられると、乗り遅れや置き引きを誘発させる恐れがあって、積極的に案内したがらないのかもしれない。
(そんなに降りたいのなら、自分で事前に調べるなり車掌に直接尋ねるなりすれば済む話ではある。下車時は貴重品は身に付けて)

・行きの旅行記の通り、東海道新幹線下り(ひかり・のぞみ)では、三河安城駅通過時に「定刻で運転中で、あと10分で名古屋に到着する」という放送が定番。
帰りのはやぶさ・こまちでは、「新花巻駅を4分遅れで通過しました。あと6分で盛岡に到着します」という放送が珍しく入った(はやぶさ側車掌による、こまち側も含めた一括放送)。遅れていたからか。


●文字情報
客室内通路ドアの上の文字情報について。
・ニュースの内容は、東海道新幹線と東北新幹線で、まったく同一の文面だった。提供元の新聞社が同じで、タイミングが同じならば当然だけど。

・駅を通過する時、駅名が表示される。
東海道新幹線では「ただいま 静岡駅を通過。」、東日本の新幹線では「ただ今 雫石 付近を走行中です。」という文面。(スペースは東海道は全角、東日本は半角)
表示されるタイミングも、東海道のほうが早く、駅のホーム端に入った時には既に表示されていて、東日本では、ホームの中央付近から通過後にかけて表示される感じだろうか。

・フォント
表示装置の書体。
E2系などJR東日本の古い車両は、ドット数が少ない粗い文字。E6系でも2行表示になるとその文字。

700系やそれ以前の東海道新幹線では、
この書体
シャープのワープロ「書院」の初期の24ドット印字の機種で使われていたフォントだ。「jiskan24」だろうか。
昔は広い分野で使われていたようだが、僕はこの書体を見ると、初期書院と東海道新幹線を連想させられる。

(再掲)E6系の文字
大型フルカラー表示である、E6系(E5・H5系やE7・W7系も同じなんでしょう)とN700系は同じ書体。東海道山陽と東日本で書体が揃った。
平成書体になる前のNEC「文豪」のフォント?【2018年11月4日補足】そうじゃなくて、このフォントこそ平成明朝体?【2022年10月19日訂正・やはり、平成明朝体になる前のNECワープロの文字だと思う。】


●桃と赤
仙台駅ホーム床面の乗車位置案内。
E3系とE6系が並ぶ
左下に「桃」と「赤」と背景色名が、なぜか表示されている。※2022年の福島駅にも同じものがあった。
元「こまち」のE3系の一部は今も東北新幹線内(盛岡以南)限定で「やまびこ」「なすの」として運用されている。ダイヤ改正後はどうなるだろうか。
また、一部が上越新幹線の観光列車「GENBI SHINKANSEN」に改造されることが明らかになった。

※旅行記の続き(お土産編)はこちら

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名古屋市営バス

2015-03-04 22:56:34 | 旅行記
名古屋の続き。
今回名古屋で初体験したのが、名古屋市営バスの乗車。
名古屋市交通局の地下鉄には何度か乗ったことがあったものの、市営バスには縁がなかった。
丸に「八」の名古屋市章をひし形(?)の中に入れたマーク(交通局章?)を正面に付けた、青いラインのバスは、名古屋の街で良く見かけてはいた。
夜の栄で待機する名古屋市営バス
しかし、上の写真のような違う塗装の車もけっこう見た。
上のクリーム色にエンジ色ラインの車両は、「基幹バス」というバス専用レーンを走行する路線の専用車両だそうだ。

分かりにくいけど左の車両が一般塗装(側面はラッピング広告?)

名古屋市営バスでは全メーカーの車両を導入しているそうだが、中心部で見た感じではいすゞが多かった。
名古屋の民営事業者・名鉄バスは、三菱と関係があったため三菱ふそう製を中心に導入しているのと対照的。
ちなみに、かつては三菱のバスの工場が名古屋にあった。

大都市の路線バスらしく、ほとんどが大型のノンステップバス。
Wikipediaによれば、2013年度現在小中大型合わせて1012両あり、うち大型は811両、ノンステップバスは996両。


初めて乗った名古屋市営バスは、伏見から栄まで。地下鉄なら1駅200円であるが、その真上の道路を走るバス路線があるという。
地下鉄駅の階段の上り下りがなく、バス停間隔も短くて歩く距離が少なく済みそうだし、地下鉄のような構内・車内の混雑もないだろうと、利用してみた。

「栄758系統 都心ループ」という路線で、名古屋駅方面(那古野町)から来て、伏見~栄を経て矢場町で折り返して同じ道を戻るという、名古屋市のど真ん中を走る棒状の循環ルートのようだ。9時台から18時台まで10分間隔。運賃は210円均一(他路線と同額)。
系統番号の「栄758」は「なごや」。

運行時間が昼間中心というのは、多くの都市の中心部の循環バスで見られるパターン。都市の規模は違うけれど弘前市の土手町循環や秋田市のぐるるように。


時刻表より数分遅れて到着。
前乗り・先払いなので、Suicaをタッチ。前払い・均一制のバスでIC乗車券を使うのも初体験だった。

都心ループバス。また別の専用塗装(交通局によれば「赤・白・グレーの3色を縦の色面分割」したデザイン)
車両は大型ではなく、中型ノンステップバス・いすゞエルガミオだった。都心ループ用の車両は、2010年に導入された8台のエルガミオが浄心営業所に配置されているそうだ。【5日追記】他に同設計の日野レインボー2が2台あり、計10台で都心ループの運用をまなかっているそうだ。現在の中型バスは2世代目で、1998年の運行開始時の初代車両は三菱製の小型バスだった。
乗った車両には、運転席付近のダッシュボードから外向きに「TS-4」と表示があり、これが交通局内での車両の個別番号(局番)。「都心ループ用のいすゞの4台目」という意味だそう。

車内の作りは標準的。ほぼ席が埋まっていた。客層は仕事の途中で乗ったような人や高齢者など地元の人から、我々旅行客までさまざま。ほとんどのバス停で乗り降りする人がいて、入れ替わりがやや激しい。


仙台市や青森市の市営バスと同じように、名古屋市営バスでも、一部営業所の業務(運行や車両管理)を民間事業者に外部委託しているそうだ。
浄心営業所は、三重交通に委託しているらしいので、ということはこの時の運転士は三重交通の社員だったのだろうか。

ぼーっと乗っていて気付いたのが、走行音。発進直後の連続的な音が特徴的。
オートマだ!
運転席を見れば、たしかにシフトレバーはATのもの。
大型バスのエルガでは押しボタンでレンジを選択するものが標準だが、エルガミオでは普通乗用車と同様のT型レバー。

我が秋田市交通局では、1992年度から1996年度にかけて、中型バスにAT車を導入した。(中央交通に譲渡されて93、95、96年度の車は今も現役)
秋田市営バスでも4メーカーを入れていたが、この時期はいすゞは大型や貸切ばかりに偏り、中型バスはいすゞ以外の3メーカー。
秋田市交通局側に何らかの意図があったのか、たまたまそうなったのかは知らないが、ともかく「いすゞのオートマ車」は秋田市営バスには存在せず、乗ったことも見たこともなかったが、名古屋でそれに遭遇できた。年式としては15年違うけれど。

秋田の中央交通にある小型バス日野リエッセのAT車(2001年式)は、変速のタイミングがおかしく、衝撃を感じることがある。
秋田市営バスの中型AT車は、普通自動車と変わらない乗り心地ではあるが、整備状況によるのか変速ショックが出ることもある。

エルガミオのAT車は、まったくショックがなく非常に滑らかな走り。
走りだして最初の変速時は、秋田のリエッセのAT車にどことなく似たような「ぎゅーん ギュン!」という音はするが、衝撃はなかった。
外から音を聞くと、秋田の日産ディーゼルのAT車にどことなく似た「ぐーー」というおとなしめの走行音。
バス用オートマチックトランスミッションの技術も進歩したということなんだろう。
そして栄周辺では、路上駐車を交わしつつ交通量の多い道を進むことが多く、オートマの威力を発揮していたように見受けられた。

名古屋市営バスではオートマ車が多く、Wikipediaによれば2013年度現在、1012両中536両がオートマ。走る市営バスに耳をすませば、オートマの走行音を出しているものが多かった。
三菱の中型バス(行き先表示が幕)は、秋田のとほぼ同じ「ぐぉー」と「ぶぉー」を合わせたような重低音を響かせていた。



今回は、この1回しか名古屋市営バスに乗車できなかったが、路線網を把握して、地下鉄や名鉄と組み合わせて活用すれば名古屋のディープな部分を見に行くことができそう。
上記の通り、バスなら地下鉄よりも乗り降りが楽で目的地近くまで行けるし、景色を眺められて楽しいものである。

名古屋市交通局では各種フリー乗車券を発売しているが、中でも「ドニチエコきっぷ」はおトク。
土日祝日と「環境保全の日」である毎月8日しか使えないが、600円でバスと地下鉄が終日乗り放題。3回乗ればモトが取れる。(東山動植物園などの割引もある)
発売は地下鉄駅券売機、バス車内など。事前に利用日を指定せずに買っておいて、初回乗車時に改札機または運賃箱に通すと日付が印字される方式(バスで2度目以降の乗車は提示するだけで投入は不要)。Suicaで購入することはできない。

※旅行記の次の記事
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名古屋を少々

2015-03-03 23:51:48 | 旅行記
伊勢の帰りに立ち寄った、名古屋市について少々。※旅行記の前回の記事
日程の都合上一泊する程度でほとんど観光はしなかったけれど、名古屋は約4年ぶり。
中区栄の名古屋テレビ塔
テレビ塔の下周辺(久屋大通公園)には、イルミネーション。多くの街で見られるものだけど、「ノーベル賞受賞記念」とか書いてある。青色LEDの開発は名古屋大学が関わっていたからだと納得。

久屋大通公園のすぐ隣は、東区東桜となる。そこにあるのが、
円盤?
2002年にできた「オアシス21」という、商業施設、バスターミナル、公園を併せた公共施設。
円盤状のものは「水の宇宙船」と呼ばれ、商業施設がある地下から続く吹き抜けの大屋根。
屋根の上には、水が張ってあり、自由に上ってその周囲を歩いたり休んだりすることができる。写真の通り、夜はライトアップされる(色のパターンは複数あり)。
屋根の上からテレビ塔を眺める
通路部分は半透明になっていて、ライトアップの光が下から透ける。水が張ってある所は透明なので、
水を通して吹き抜けの下が見える
この時は、下の「銀河の広場」が「トヨタホームリンク」としてスケートリンク(氷を使わない方式らしい)になっていた。
【9月26日追記】この年の9月、ダイハツが「CAST」という車種を新しく発売することになり、そのCMのメインとしてオアシス21が登場(舞台)している。「このまるい感じなんかいいよね。」とのセリフがあり、車のデザインとの共通性で選ばれたのかと思われるが、新しくもない施設が選ばれたのがおもしろい。なお、ダイハツはトヨタ系列だが、本社は大阪。


「名駅」という地名である名古屋駅周辺。
52階建ての駅ビル「セントラルタワーズ」の15階「スカイストリート」
既に高層ビルがたくさんあるが、その新陳代謝も進んでいた。駅の真向かいには、1965年にできた12階建て「大名古屋ビルヂング」があったが、2012年に解体。今年後半から来年にかけてのオープンを目指して、34階建ての2代目ビルが建設中。
下と上は鉄骨で、真ん中だけガラスがある
他にも、JRや日本郵政が、超高層ビルを建設中とのこと。


さて、名古屋滞在中に衣料品を購入する必要が生じた。
駅ビルでもコンビニでも、適当なスーパーでも買えるけれど、ダイエーがあったのを思い出し、ホテルから地下鉄で遠くないので行ってみることにした。

今はなきダイエー秋田店に慣れ親しんだ者としては、「ダイエー」の名を聞くと懐かしくなるが、今はロゴマークも変わり、イオン傘下入り。ダイエー自体、入店するのは5年ぶりくらいなので、どう変わっているか・変わっていないか、興味があった。

名古屋市内は比較的ダイエーの店舗が残っているが、その1つ「金山(かなやま)店」へ。10年近く前に1度訪れている。
多くの鉄道路線が乗り入れて「総合駅」と呼ばれる金山駅を出て、ショッピングモール(?)「アスナル金山」を抜けて、交差点の向かいという道順は、歩いているうちに記憶がよみがえった。目の前に現れたのが、
ダイエー金山店
あれ? こんな建物だったっけ?
ダイエーには間違いないので入店したけれど、中は妙にきれい。

帰ってから調べると、ダイエー金山店は、同じ場所で建て直されて、昨年夏に開店したばかりだった。
先代は6階建てで2012年9月閉店。現店舗は3階建てで2014年7月開店。

衣料品はちょうどいいものが安く手に入り、ついでに食品売り場を見学。
ユニークなのは、食品売り場が地下1階と地上1階の2フロアからなること。1階は惣菜などがメインで、多くの客が来ていた。
レジは両方のフロアにあるが、2フロア分をまとめて地上1階のレジで精算することも可能。未精算のカゴを持ったままエスカレーターに乗るという、珍しい経験ができる。

食品や日用品が2フロアに分散している総合スーパーは、古い建物では、仙台のダイエーとか松本駅前のヨーカドー(当時は「エスパ」ブランドの店舗)で遭遇したことがあるが、新しい店舗でもその方式が採用されているのが意外だった。
面積の都合やダイエーが力を入れている「中食」の都合なんだろうけど、慣れない客としては、戸惑った。

なお、イオン銀行ATMは地下1階のレジの脇の目立たない場所にあった。


かつてのダイエーはプラベートブランド商品「キャプテンクック」や「セービング」がたくさん並んでいたもの(過去の記事)だが、トップバリュに統合された今は、イオンの店と違わない。
そんな中、1つだけ懐かしい商品を見つけた。
(再掲)秋田店で買ったキャプテンクックの牛乳(1000ml)
秋田店があった頃はよく飲んでいた、青に白い格子が入ったパッケージの牛乳が1種類(500ml116円)だけ売られていた!
プラベートブランドでは、モノは同じでもパッケージデザインが変わることはあるのに、10年以上変わらないとは。
ただし、「キャプテンクック」ではなくなっていて、その部分に「大自然の恵み」と書かれており、そういうブランド名に変更されたのだろう。
トップバリュにも500ml牛乳はあるのに、残ったのが不思議。残すのなら1000mlも残せばいいのに。【4日追記】店舗によっては青格子の1000mlを今も発売している。


ダイエーでも、昨年からやっとWAONが使えるようになった。
衣料品売り場のレジでは「OMCカードはお持ちですか?」と尋ねられた(後述のセルフレジの画面でも尋ねられたかも)ので、OMCとWAON両方のポイントを貯めることが可能なんだろう。
WAONの読み取り装置は、白いPanasonic製で、ピンパッド(選択ボタン)と一体化した液晶画面にタッチするタイプ。すなわち、昨秋開店のマックスバリュ東北の秋田市の泉店で使われているのと同タイプ。
今現在も、パナソニックのホームページには出ていない、最新型だと思われるが、金山店がオープンした昨年夏には製品化されていたようだ。
【2015年3月20日追記】マックスバリュ泉店で、Panasonicロゴの下の型番を確認したら「JT-R700CR」だった。やはりパナソニックのサイトには記載がないが、「パナソニック システムネットワークス」の製品で2013年11月に「技術基準適合証明等」を受け、2014年7月に「リーダライタRF性能検定合格製品」に登録されている。

イオンの店舗では、電子マネーで支払う時は、客がピンパッドのボタンを押して使う電子マネーの種類を選んでからタッチする。マックスバリュ泉店の新型でも同じ。
ダイエーでは選択せずにタッチするだけでよかった。交通系電子マネーも使えるはずだけど、レジ側で切り替えるのだろうか?
【4日追記】コメント欄のやり取りのように、現時点では、ダイエー全体としてはWAON以外の電子マネー(交通系など)は使用できないような雰囲気。しかし、金山店オープン時のリリースには、「「WAON」をはじめ、交通系電子マネー「manaca(マナカ)」などでの決済が可能です。」と明記されている。
3階の衣料品売り場のレジのピンパッドの選択ボタンには「WAON」のシールだけが貼ってあって、それ以外は使えないようにも受け取れた。リリースが誤りなのか、売り場によっては交通系が使えるのか、よく分からない。(以上追記)

1階には、セルフレジもあった。
通常のレジが空いているのに、セルフレジをあえて選ぶ人もいるようで、秋田のマックスバリュとは逆だ。僕も好奇心で使ってみた。
秋田のイオンリテール御所野店のものとも、マックスバリュ東北のものともまったく違うタイプのセルフレジ。
なんか金属のパイプに各装置を取り付けて自作したような雰囲気のセルフレジだった。電子マネーリーダーはこちらもPanasonicの新タイプ(マックスバリュ東北のセルフレジは従来型)。
「商品を1つ取って、バーコードを白く光っている所にかざしてください」「商品を袋に入れてください」などと、手順を1つ1つ丁寧にしゃべってくれるのが、おせっかいなような親切なような…
【11月8日追記】マックスバリュ東北のセルフレジでは「商品をスキャンしてください」「商品をマイバッグに入れてください」という言い回しで、しゃべる回数が少なくタイミングが遅い感じ。そんな点ではダイエーのほうが「おせっかい」または「親切」に感じた。
【3月5日追記】画面の表示内容・レイアウトもマックスバリュ東北のとはまったく別。操作方法を詳しく表示したり、文字が大きめだったりして、全体的に分かりやすかった。

イオンの店では、セルフレジは4台か6台1組で、「ロ」の字の内側に客が入って操作するのを、専任の係員が見守る(監視する)形式。
ダイエー金山店では6台あったが、2台×3列で、全部同じ方向を向く配置。監視役はその背後のサービスカウンターにいる。(カウンター内には2人いた)
だから、客の背中側から見る形であり、位置によっては距離が遠く、客と係員が目を合わせたり会話したりして意思疎通がしにくい構造だ。
また、レジ袋が有料のようだが、購入する客に対してはその都度、サービスカウンターから持って行って手渡ししていて、その時に別の客が酒を買って年齢確認が必要になるとそっちにも駆けつけて(カウンターからでも対応できるはずだが、戻るよりは当該レジに直接行ったほうが早いので)と、店員さんは忙しそうだった。
セルフレジのレシートの一部 ※買ったものの一部は、この記事後半で紹介しています
レシートの印字は、通常レジと同一の書体(数字は違う)なので、同じメーカーのプリンターのようだ。(イオンではセルフレジは文字が違う)
ダイエーのレシートの書体は、昔は別だったはず(ローソンと同じもの?=ダイエーと元は同じ企業)だけど、今はイオンと同じものに変わっていた。
ただし、フォーマットは昔のダイエーに近いもので、今なおイオンとは一線を画している。
商品名の頭に3桁の分類番号(?)が入ったり、冒頭に長々と宣伝文句が入ったりするのが、ダイエーらしい。昔は店長名まで記載されていた。【4日追記】このレシートの宣伝文には、ダイエー独自のOMC優待デーとイオン側のお客さま感謝デーの告知が共存している。ダイエーがイオンに吸収されつつある過渡期を象徴するものと言えそう。
WAONの残高などの表示は、すっきりまとまっていてイオンのものより見やすくて分かりやすいかも。


近い将来、ダイエーの名前自体がなくなってしまうそうだけど、その時、まだ新しい金山店はどうなって、その個性をどうやって活かしていくのだろう。
【2015年10月29日追記】その後、段階的にエリアごとにダイエー店舗のイオン系列他社への移管・ブランド変更が実施された。名古屋では2015年9月1日付で5店舗がイオンリテールへ移管、10月1日から「イオン」としてオープン。ダイエー金山店も「イオン金山店」になった。

※旅行記の続きはこちら
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新幹線からの富士山3景

2015-02-24 21:06:45 | 旅行記
2月23日は「223(ふじさん)」で「富士山の日」なのは知っていた(以前の記事)けど忘れていたので、1日遅れで伊勢旅行記の帰りに新幹線の車窓から見た富士山をアップします。※旅行記の前回の記事

名古屋から秋田まで帰る日は、東海地方を始めとする太平洋側は快晴。東海道新幹線の車窓に富士山を楽しめるに違いないと期待した。
富士山の下をノンストップで突っ走っる「のぞみ」(は乗るつもりが元からなかったけど)や「ひかり」で素通りするにはもったいない。静岡で途中下車してじっくり見たいところだけど、そこまでの時間的余裕はない。そこで、各駅停車の「こだま」に乗ることにした。

●反対側の富士山
東海道新幹線で富士山が見えるのは、新富士駅近辺なのは有名。
静岡市の東側は市街地のビルや低い山にさえぎられるし、三島から東も山が多くなるので、思ったほどは見えない。
東海道新幹線は富士山と太平洋の間を東西方向に走っているわけだから、北側、すなわち上り列車では左側の車窓に富士山が見える。
ところで、旧東海道でも同じ位置関係になるが、道の形状のせいで、逆側に富士山が見える箇所が存在した。江戸から下る旅人の左手に見えるので「左富士」と呼ばれ、富士市のものは今も地名(の通称?)として残っている。

東海道新幹線でも「左富士」となる区間が存在するということを、何年か前に知った。※今回は上りなので「右富士」になりますが。
場所は、上り列車で静岡駅の手前、安倍川を渡る直前だという。
線路が南北方向に延びる区間であり、並走する在来線でいえば、用宗駅を出てカーブして東名高速と交差した、安倍川駅の前後に相当する。見える区間は距離にして2キロほどだろうか。富士山山頂からの距離は55~59キロほど。
まずは、この反対側の富士山を狙った。

乗車したのは最後尾の自由席1号車。こだま号のこの位置は、いつものようにお客が3人くらいでガラガラ。
静岡手前で右側である3人掛け座席に陣取る。
日本坂トンネルと短いトンネルを抜け、左にカーブすると、静岡到着を告げる放送のチャイムが鳴った。(静岡到着時刻の約5分前)
この時は、少数派のJR西日本所属の編成だったので「いい日旅立ち」。(JR東海車では「AMBITIOUS JAPAN!」)

その時、
右前方に富士山!(静岡市駿河区用宗巴町付近らしい)
静岡市街地から見るのと同じ見え方。
手前に見えている線路は、下り線です
やがて右にカーブして富士山は見えなくなり、安倍川を渡って静岡駅に着く。

けっこう大きく見えるので、くっきりと見えている日なら、車窓を眺めていれば見落とす人はいないだろう。
でも、建物が並び防音壁がある箇所もあるので、じっくりと眺めることはできないし、減速しているこだま号でも数十秒程度で終わってしまうから、一瞬だけの逆側の富士山である。

下り列車だと、静岡駅通過→安倍川→カーブという順番なので、意識していればのぞみ号でも見やすいかもしれない。でも、進行方向後方を少し振り返って見ることになる。

※山梨県側・中央本線でも、富士山が反対側の車窓に見える場所があった(新府駅。この記事参照)が、あまり知られてはいないようだ。


●定番の富士山
静岡駅を出て10分ちょっと。今度は2人掛け席である左側に、(ガラガラだから席移り放題)
定番の富士川と富士山
新富士到着4分前で減速しているのでじっくり見られる。
新富士停車中にズームイン。雪の具合も、光も順光で美しい
工場と大きな富士山という、富士市ならではの風景が続く。


岳南富士地方卸売市場「ようこそ! 紙のまち富士市へ」とある
やがて、
郊外の趣き
新富士を出て4分(三島着約5分前)ほどで、
茶畑や竹林がある低い山に富士山が隠れていく
以後も、ちらちらと見えるものの、大きくすそ野まで見渡すことはできない。
静岡や富士川では、カーブして突然でーんと富士山が見えたが、最後は名残惜しいような別れだ。(下りでは逆になるわけですが)
しかし、富士山とはここでお別れではなかった。


●100キロの富士山
東京で東北新幹線に乗り換えた。
上野を出て8分ほどで、東京都と埼玉県の境である荒川を渡る。
きれいな夕焼けの荒川
夕焼けの中に、
再び富士山!
タワー状のものは「板橋清掃工場」。その周りが板橋区高島平。

東海道新幹線の富士山に比べれば控えめだけど、このように東北・上越・北陸新幹線からも、富士山が見える。前にも1度見たことがあったけれど、夕焼けの中で見られるとは、それだけ空気が澄んでいたのだろう。
山頂からの距離は、ちょうど100キロ。
もちろん進行方向左側の車窓だけど、ほぼ真横に見えた。もっと後ろのほうに見えると思っていたので、最初は違う山かと思ってしまったが、ここは線路が南北方向でないためらしい。
高い建物も山も少なく、けっこうな時間・距離に渡って見えた。荒川を渡る手前から、なんと大宮駅を過ぎて(東北新幹線単独区間)もしばらくは見えていた。

※旅行記の続きは、戻って名古屋の話題
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近鉄いろいろ

2015-02-18 23:59:08 | 旅行記
伊勢関係のちょっとした話題いろいろ。※旅行記の前回の記事

鳥羽駅前の海との間には、交通量の多い国道42号線が通っている。
その交差点の路面標示
車線別に、その先の方面を書いている。積雪地のせいか秋田では見かけない方式。(通学路とか横断歩道注意とか決まり文句の標示はある)
この文字は、書く時の技術的な面や走行する車からの視認性を考慮して、手書きや一般的な活字の文字とは違うようだ。
「伊勢・二見」
「勢」がすごい形、区切りの「・」は横長で次の「二」と一体化して見える。「見」は「貝」っぽい。


以下は、近畿日本鉄道(近鉄)のこと。
行き帰りに乗った近鉄特急は、運悪く(?)古い形式ばかりだった。
新しいのは見ただけ。

2010年にデビューした「ACE」こと22600系電車。
行きに乗りそこねた22000系(1992年登場。これも「ACE」)とよく似ているけれど、別形式。なじみが浅い鉄道会社の車両は奥が深い。
(再掲)22000系

話題の豪華列車で、2014年ブルーリボン賞(こまちがローレル賞)を受賞した、
50000系「しまかぜ」

何度か乗った普通列車
「1331」と表示があるけれど「1230系」だそうだ。1987年から製造され、4つドア、アルミ車体でインバーター制御。
鳥羽・志摩方面はワンマン運転が行われているので、2両編成。車内はロングシートでトイレなし。車両自体は、他の編成と連結して名古屋方面の本線や場合によっては大阪方面など広範囲で運用されるようだ。

ワンマン運転の方式は、JR東日本などの地方路線のワンマン車両と大きな違いはない。
車内の運賃表示器は、バスでも鉄道でもLED式からの更新用として普及している、レシップ製のグレーの枠に液晶ディスプレイを横に2枚つなげた製品。
ちょっと珍しかったのが、後部になるほうの運賃表示器の扱い。JR東日本では、前側の表示器だけが作動し、後部は消灯する。近鉄では、後部に「(正方形の枠の中に)近鉄」のロゴが1画面に1つずつ(つまり2つ並んで)表示されていた。
意味がないし、もったいない。
どうせ表示するなら、後部にも運賃を表示するとか、この表示器は賢い(Windowsが入っているらしい)から「次の○○駅は無人駅です。お降りのお客さまは前の車両へお進みください」とか表示すれば親切なのに(近鉄以外も含む全鉄道会社に対しての意見です)。

ワンマンでない車掌が乗る列車(JR東日本では前後とも消灯)ではどうなるんだろう?


駅の設備。
途中の伊勢中川駅だったかのホームに「のりば案内はテレビをご覧ください」という表示を見かけた。
JRでいう発車標に相当する、何時何分発どこ行きは何番線というのを、テレビ画面に表示しているという意味らしい。
近鉄では古くからやっている方式だそうで、当然昔はブラウン管ディスプレイに表示していたそうだ。

今であれば、JRはもちろん、街中の公共施設などでも、液晶ディスプレイ(というか液晶テレビ)にパソコンで作成した案内を表示するのは当たり前になった。これは専用の表示装置を導入するよりも安上がりで、パソコン操作ができれば素人でもデータ更新が容易にできるからだろう。
近鉄は時代を先取りしていたことになるが、昔はデータ作成・変更は素人(駅員)では難しかっただろうし、ブラウン管だと画面焼けを起こしそう。

鳥羽駅ホーム
ホームの特急乗車位置の案内は、
数字の部分は懐かしいパタパタ(ソラリー式)
ボディは近鉄特急の車体の色。


宇治山田駅ホーム
停まっている普通列車は「1537」。1422系の一族の1430系らしい(複雑!)。
上の写真で天井からぶら下がっている左側は、液晶画面を2つ並べた発車案内。昔はこれが「テレビ」だったのだろうか。
右側の時計に注目。

ホームの時計は、JRグループや一部私鉄では、枠が四角く、1から12まですべての数字が入り、やや横長のアナログで、黒地に蛍光色(緑とかオレンジ色)の文字盤、もしくは蛍光色地に黒い文字盤のものが多い。
セイコータイムシステム製の「セイコーファインクロック(駅用)」という製品のようだ。(まれに「SEIKO」ロゴがあるものもある【2017年12月13日補足】テレビで見た塩尻駅・駅舎外の屋根下のファインクロックには、JR東日本とSEIKO両方のロゴがあり、珍しいと感じた。セイコーの地元であるための配慮だろうか。)
JR東日本長岡駅新幹線改札内の発車標の間の小さめの時計。ご丁寧に「とけい」の説明付き
※その後、2016年5月でも「とけい」表示はそのまま。

近鉄では、別の時計が採用されていた。2種類見かけた。
 円形と四角い枠
数字は12・3・6・9だけ。円形の時計では、目盛り部分に色が付いていて、写真の紫のほかにピンク色もあったはず。
12の下に「HOSHIMITSU」
大阪の「株式会社星光」というメーカーの製品。
元々は駅用の時計メーカーとして創業し、後に各種表示器も扱うようになった、いわば“駅用案内装置の専門メーカー”。近鉄のパタパタや「テレビ」なんかも、同社製なのかもしれない。
湘南モノレール、京阪、南海などとも取引があるそうだ。

日本の鉄道会社と言っても、土地によって会社によって、いろいろ違うものだと感じた。
伊勢の帰りに名古屋にも寄ったので、そうした話題が続きます。※旅行記の次の記事

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三重の電気バス

2015-02-16 20:41:55 | 旅行記
間が空きましたが、伊勢旅行の続き。※前回の記事
内宮参拝を終えた帰り。乗りたかったバスがあって、時間を調整していた。

以前述べた通り、伊勢市街・外宮-伊勢神宮内宮を結ぶ路線バスは、一般路線バスだけでも昼間はおおむね10分間隔で運行されている。
それとは別枠で、1日4往復(2時間に1本程度の間隔)ほどこんなバスが走っている。
黄色いいすゞエルガ
時刻表では「電気バス」と表示されている通り、充電した電気でモーターを回して走行する電気バス(EVバス)である。

「三重交通グループ70周年記念事業」として、国土交通省(地域交通グリーン化事業)、三重県、伊勢市などの低炭素社会を実現する事業の支援を受けて、ディーゼルエンジンのバスを改造して電動にしたもので、2014年3月31日から営業運行されている。
三重交通の発表によれば電気バスの運行は東海地方では初、「国産大型バス改造の電気バス(11mクラス)が通年営業するのは国内で初めての事例」。

車体の外観は、黄色地に「ポケットモンスター」のキャラクター「ピカチュウ」がちりばめられている。ピカチュウは電気を発する設定なので、電気バスにふさわしいとして起用されたようだが、ポケットモンスターのキャラクター管理をする企業「株式会社ポケモン」の社長が伊勢出身(鳥羽市生まれ伊勢高校卒)という縁もあるのだろう。
株式会社ポケモンが経営するグッズ販売店「ポケモンセンターナゴヤ」の広告や伊勢のキャッチフレーズもわずかに掲出されている。

僕はポケモンの世界観は全然知らないが、ピカチュウというのは1匹(特定の個体の名前)ではなく、何匹もいる(種名みたいなもの)のか。だから車体にたくさん描かれていても、おかしくはない。

ナンバープレート並びに三重交通で用いる車両管理用の社番は、ともに「1000」。同社の社番の法則として、千の位「1」はいすゞ製を示すので合っているが、百の位以下は法則を無視しているようだ。


内宮のバス乗り場は、一般路線バスと同じ。運賃も同額。
内宮前の伊勢市街方面時刻表。下段が電気バス
一般路線バスが10分間隔である間に電気バスが入るダイヤなので、ここだけ5分間隔となる。(実際には増発の臨時便もあるので、さらに間隔が詰まる場合も多い)
そんなわけで、黙って列に並んでいると、普通のバスに乗ることになってしまいそう。

【18日追記】内宮前発の一般路線バスは、宇治山田駅→伊勢市駅→外宮(終点)の順で運行するのに対し、電気バスは外宮→伊勢市駅→宇治山田駅(終点)と末端部で逆回りになるようだ。そう言えば、案内の社員も宇治山田駅へ急ぐ客は電気バスではなく一般路線バスのほうが少し早い旨を案内していた。(実際にはほとんど同着だったが)

タイミングを見計らって列につき、電気バスに乗車でき、運良く座ることもできた。
乗り場にいるバス会社社員は、「次の宇治山田駅行きは電気バスでーす」と、電気バスであることを少々案内してくれるが、それを分かっている人、僕以外に狙って乗り込む人はどれほどいただろうか。
小さな子どもが「ピカチュウだ!」と喜んだり、カメラを向ける人はいた。(内宮の乗り場はやや狭いので撮影しづらいかも)
ポケモンの大ブームから20年近く経ち、今は妖怪ばかりかと思ったら、そうでもないようだ。

ルームミラーにピカチュウがぶら下がる
正面の行き先表示は、差込プラグのイラストに「EV」が反転して抜かれている(後部は反転表示だがプラグの絵ではない)。一般路線ではある英字表記は省略。
【17日追記】逆方向では「直通 内宮前 Naiku」と英字も表記されるようだ。

側面の行き先表示は「宇治山田駅前←伊勢市駅前←外宮前←内宮前」とあり、上段に「途中は停まりません」と表示。
だったら、外宮前や伊勢市駅前は停まらないのかと思ったが、そうではなく、表示されている各バス停だけは停車し、その途中の表示されていないバス停(五十鈴川駅前や猿田彦神社前など)は通過するということだった。
なお、宇治山田駅発の側面は「内宮前←(直通)←外宮前←伊勢市駅前」と表示されるようだ。だったら、内宮発も「内宮前」は不要では?

正面・後部には「直通」とあるが、これもヘン。一般路線バスだって乗り換えずに行けるのだから「直通」だろう。
「急行」とかのほうが適切な気がした。


電気バスは往復で経路が異なり、宇治山田駅発が「御幸道路」経由、内宮前発が「御木本道路」経由。一般路線バスの「徴古館経由」と「庁舎前経由」とほぼ同じ道のようだ。(バス停通過順は往復とも同じで、途中乗降できないのだから、景色が違う以外にはあまり意味はない)
僕は行きは一般路線バスの庁舎前経由に乗ったから、行き帰りとも同じ経路に乗ったことになる。

通路に人が立つ状態で発車。
人が多くてあまり観察できないが、車内は改造前のディーゼル車とほとんど同一。座席の配置や柄も、三重交通の一般路線バスのものと同じようだ。
ただし、車外から見ると黒いガラスに見えるリアウインドウは、車内側は全面が塞がれている
確認できなかったが、災害による停電時などに電気を外部へ提供できるように、交流100ボルトの家庭用コンセントが車内に備えられているそうだ。

三重交通の一般路線バスと同じ、かつて秋田市営バスの放送も担当していた人による、音声合成式自動放送が使われるが、最初に途中停車しないことと「このバスは環境にやさしい電気バスです」といった説明が流れた。

電気バスの乗り心地。
発進→加速、減速→停止は、極めてスムーズかつ快適で、車内は静粛。
後方の席に座っていたが、小さく「ウィーーーン」と音がするばかり。速度が上がると「クンクンクン」という小刻みな音も聞こえたが、それに伴う振動などは感じられなかった。

加減速はアクセルとブレーキのペダルのみで操作していたようだ。
一般的なバスにおいてシフトレバーが設置される運転席左側には、細長い箱があって、赤くて丸いボタン1つと白くて丸いボタンが縦に3つ。白いボタンは上から「N」「D」「R」の順で表示されていた(はず)。赤はシフトロック解除用?

改造前のこの車は「QPG-LV234N3」という型式だそうで、「QPG」は6速マニュアルトランスミッションのようだ。電気バスに改造されて、オートマのような操作盤になったのだろう。
いすゞエルガにはオートマ仕様もあり、現行車種ではレバーでなくボタンでレンジを選択する、「アリソントランスミッション」社製の装置を搭載している。
この電気バスのボタンはそれを意識しているようには感じたが、デザインやボタンの配置は違う(アリソンは上からR・N・D)。手作りっぽい操作盤だった。


車内前方、運転席の背後(よく広告が掲出されるスペース)には、液晶ディスプレイが設置され、円形のメーターとデジタル数字が3つ表示されて、バスの動きに従って針(の画像)と数値が動く。
モーター回転数、バッテリー残量、モータートルクを示しているそうで、よく分からないけれど、走行中は回転数は335付近、バッテリは-200~+100で頻繁に増減、トルクは25付近をよく示していた。


乗り合わせた乗客は、伊勢市駅と宇治山田駅で半分ずつぐらい降車した。
宇治山田駅には、先に出た経由の違う一般路線バスとほぼ同着。“直通”便だからと言っても、所要時間短縮はごくわずかのようだ。【18日追記】上記の通り、電気バスと一般路線バスでは末端の道順が異なることも考慮しないといけないが、実際にはほとんど差がない。


ちなみに、充電器は車庫である三重交通伊勢営業所にあり、このバスの1回の充電での走行可能距離は53キロ。
宇治山田駅-内宮前を1往復すると10キロ強になり、それが4往復だから、車庫の往復を入れるとギリギリ持つかどうか。2往復を終えた昼過ぎにダイヤが2時間近く空くので、そこで車庫へ戻って充電しているそうだ。また、冷房などを使うと、走行可能距離は約30キロになる。(伊勢志摩経済新聞より)
【17日追記】乗車した日は、伊勢としては寒い日だったのだろうが、適度に暖房は作動していたのか車内で寒さは感じなかった。


環境にやさしい電気バスと言っても、実際には火力発電で作られた電気で充電しているかもしれないから、どんどん導入しろとは言い切れない。1台だけで、よそから来る人が多い路線での運用なので、地元での認知に難があるという話もあるようだ(伊勢市の資料より)。
ただ、静かさや排気ガスがなくて車体周辺のクリーンさは大きなメリットだし、ディーゼルエンジン車並みかそれ以上に乗り心地が良かった。
他の大型バスとともに、伊勢神宮参拝客の輸送に存分に威力を発揮しているように見受けられた。
※明日17日から19日は、車検のため運休するとのこと(代走はないのかな?)。

【17日追記】車体の外装について。「電気バス」などと表示はあるものの、ピカチュウに負けてしまっている。予備知識のない人には単なるピカチュウのラッピングバスに見られてしまう可能性が高い。電気バスとして周知させるには、もう一工夫必要だとは思った。



さて、電気バスと言えば、秋田の「ELEMO-AKITA」である。
僕は三重と秋田の電気バス両方に乗ることができたわけである。
三重と秋田では、その実施主体も運行目的も異なるので一概に比較はできないが、公共交通機関に投入するからには「不特定多数の客を乗せて走るのに相応の安全性・快適性」が求められ、目新しいものを通常より割高であろう費用をかけて導入するのだから「多くの人の注目を集めさせる」必要があるのは、どちらも同じだと思う。【17日この段落の表現を一部改訂】
それを踏まえると、平日のみマイナー路線を1日1往復(突発的運休あり)、なぜかギアチェンジが必要でその度にガックンガックンする秋田の電気バスは、三重と比べると…と悲しくなってしまった。
【17日追記】秋田の電気バスは、大型よりやや小さい中型バス。EVへの改造は、三重のは神奈川、秋田のは東京の企業が行っている。

【17日追記】2014年04月09日の伊勢志摩経済新聞によれば、
・「車両価格約1億900万円(車両約1億100万円、充電器約500万円ほか)」
・国交省から5,100万円、県と市から1,250万円ずつ補助金を受けている。

※旅行記の次の記事はこちら

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三重交通2015

2015-02-03 23:19:38 | 旅行記
ここで、三重交通のバスについてまとめて。※旅行記の前回の記事
5年前に四日市や津で乗って以来。
今回、伊勢で乗った三重交通のバスは、時間が経ったためか、営業所が異なるためか、その時とは少し違っていたこともあった。

四日市などでは盛んだった、発車後の運転士のあいさつは簡潔だったりなかったり、「信号よし」「横断歩道よし」の確認はしていないようだ。
ただ、関西風のイントネーション(微妙に違うのだろうが、東北人には区別できない)で、この先の経路とか運賃とか丁寧にアナウンスしてくれて、相変わらず丁寧な接客に感じた。
アイドリングストップ中の音楽は、アイドリングストップに遭遇しなかったので不明。
音声合成式自動放送の声は、以前と同じ、かつて秋田市営バスのテープ放送(のうちの1人)と同じ声だった。要所では、英語アナウンス(声は別人)も流れた。【2020年10月12日追記・「ローカル路線バス乗り継ぎ旅Z」で見た、2019年末の三重交通でも、秋田市営と同じ声だった。】

行先表示器はおそらくレシップ製で、正面はカッコ書きで英語併記。
「Geku」「Naiku」と言われても、ネイティブの方が分かるかは不明。
回送の時などは「三重交通 SANCO」と表示されていた。
三重交通は営業所で行先表示器が異なるようで、四日市はレシップの英字なし、津は別メーカーで英語ありだった。


以下は車両について。
三重交通は、国内4メーカーすべてと取り引きがあるが、いすゞのディーラー「三重いすゞ」が系列企業であるためか、いすゞ製がだいぶ多い。
伊勢ではそれが顕著で、伊勢神宮方面の路線バス用大型車はエルガのノンステップバスばかり。同形異メーカーである日野レインボー2すら1台も見なかった。
先日も書いたけれど、三重交通きってのドル箱路線に新しい車を入れるとともに、いすゞ自動車の社名の由来である五十鈴川の近くを通る路線をいすゞの車で固めたのかもしれない。
エルガの2人掛け座席。背もたれ上部はレザー風のカバーがついている
座席の布地は、2人掛けは1人分ずつ色が違えてある。上の写真では、右側が標準柄の1つ「キサラブルー」(関連記事)、左側がカタログには出ていない、キサラブルーの色違いの水色系。秋田の中央交通の小田急中古の車でたまに使われているのと同じかな?
その1つ前の席では、左右が逆になっている。

いすゞばかりの内宮前バス停で、異彩を放っていた車両が、
三菱エアロスター!
増発の臨時便で来ていて、上の写真では中ドアからも客を降ろしている。(乗車時に全員精算済みだったのか)
臨時便でも、いすゞエルガの場合は「臨時 内宮前(Naiku)」などとLEDに表示していたのに、エアロスターは「三重交通」(「SANCO」は表示せず)固定表示で、紙で「内宮ゆき」と出していた。
フロントガラス中央上部に「中」という表記がある。
調べてみると、この車は津市の「中勢営業所」所属のようで、その「中」か。1997年製でツーステップらしい。
したがって、応援用としてはるばる津から出張もしくは貸し出しされていたのだろう。


大型路線以外では、他メーカーも多く見かけた。
日野リエッセ
五十鈴川河口の「今一色(いまいしき)」行き。「~一色」という地名は荘園制がルーツだそうで、静岡とか愛知とか東海地方に多い気がする。
三重交通のリエッセは、観光地とあまり関係のない伊勢市や鳥羽市のローカル路線用として、けっこう走っていた。

リエッセは製造中止になってしまい、後継車種のポンチョは、取り回しや価格の面で敬遠するバス会社も多いとか。小型路線バスの需要はあるのだから、それに応える車を作れないものだろうか。


日野セレガ
一般路線バスに似ているが微妙に違う塗り分けで「EXPRESS」とある。高速バスに使われていた。
このような貸切車両ベースで近・中距離程度の高速バス用の車両を、三重交通では「A特急車」と呼ぶそうだ。路線車ベースで同じ塗装は「B特急車」。

この車、ナンバープレートが「778」。スリーセブン+1で惜しい!
秋田には、末広がり3つ-1の「887」があります。


三菱エアロエース
同じ塗装のセレガだかガーラも見かけたけれど、これが現行の貸切塗装ということだろうか。
白がベースで部分的に淡い色合いのブロックが散りばめられたデザインは、どことなく静岡の「しずてつジャストライン」の路線バスに似ている。

側面のへなっとした文字(?)の「Mie Kotsu」の後に「super grand2(2はギリシャ数字)」とある。
よく分からないが、三重交通の貸切車では、サロンやトイレの有無など設備の違いで愛称が付いているらしい。「super grand」は1と3もあるようだ。(上の写真を見る限り、トイレは付いていそう)
今はあるのか知らないが、昔は「MAXY」「SHARP55」なども存在したようだ。

この時は、同型車2台の貸切ツアーで、先頭が2号車。
関西方面のバス会社では、数字が大きい号車が先頭になることが多い。(秋田市営バスの貸切でもそうだった)


そして、今回乗りたかったバスが、
右の黄色いバス
続きます

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おはらい町

2015-01-29 19:25:35 | 旅行記
伊勢神宮内宮参拝を終え、境内の外へ。
内宮前までバスで来た道は、五十鈴川と並行する国道23号線(三重県道12号線と重複)。その国道と五十鈴川の間にも1本の道があって、「おはらい町」と呼ばれる一帯。
国道の旧道である長さ800メートルほどの道路沿いに、昔ながらの趣きの店が軒を連ね、伊勢の一大観光ゾーンとなっている。

おはらい町は江戸時代から鳥居前町として多くの参拝客が来ていたが、1970年代になると国道を通ってバスで訪れ、おはらい町を素通りする参拝客が増えて衰退。
そこから立ち直るべく、地元の人たちが町並みの再生を決意。「切妻・入母屋・妻入り様式」の建物で統一し、行政も石畳や電線地中化をして、かつての光景を復元。再び多くの人が訪れるようになった。
※したがって、見かけは古めかしくても新しい建物も多いようだ。

おはらい町には、彼の「赤福」の本店があり、同社がおはらい町の復興に貢献したようだ。
1993年の式年遷宮の際には、おはらい町の一角に「おかげ横丁」も誕生。赤福が運営する、ある意味“商業施設“(だから各店舗はテナントなのかな?)だが、入場料とか明確なゲートなどはなく、建物の見た目も似ているので、おはらい町と一体化しているも同然。おはらい町とおかげ横丁は混同されることもある。

そんなわけで現在では、参拝を終えた人たちが、おはらい町並びにその中のおかげ横丁をぶらぶらして、土産物を買って飲食するというスタイルがすっかり定着しているそうで、我々もそれにならうことにした。
内宮を出てすぐのおはらい町の入口へ。
えっ!!
ものすごい人波だ。浅草の浅草寺の仲見世なんかに匹敵しそうな。
境内はそれほど人が多くなかったのに、どこから湧いてきたのかと思いつつ、他に道がないので人混みの中へ。
しばらく進むと、
あれれ?
地方都市としては多いほうかもしれないが、ぐっと人が減った。
団体客でもいたのか、入口付近だけたまたま人があふれていたようだ。(バス停や駐車場の位置からして、内宮寄りのほうが人が多い傾向)

タイムスリップしたかのような、統一された落ち着いた街並み。
道路中央を歩く人が多く、というか(狭い道に人が多くて)歩かざるを得ないものの、ここは歩行者天国ではない時間帯も多い
土日休日の10時から16時までが歩行者専用道路で、それ以外は車も通れることになっている。伊勢市長名の「歩行者天国ではありません」という立て札もあったが、小さい木製なので気づきにくい。
この時は車両も通れる日時で、実際、各店舗の納品や宅配業者の車がたまに通った。いずれも、歩行者優先で慎重に運転していたが、ボケッとしている歩行者もいるし、万が一ということがある。もう少し、何か対策がありそうに感じた。

沿道のお店は、赤福以外にも古くからの菓子店が複数、真珠、伊勢茶、工芸品類、その他土産物、飲食店などさまざま。ここだけで、伊勢のお土産は揃うだろう。
ジャスコ発祥地の三重県だからなのか、WAONで決済できる(ポイントも付与)店も複数あった。
そんな店ばかりでなく、
左はお香の店、中央は理髪店
床屋さんがあるのは、ここで生活する人がいる証。

上記の通り、すべての建物に対して外観の基準があるので、
右手前の建物
「五十鈴川郵便局」も同じ外観。
郵便局の前には屋根付きの黒い箱
「書状集箱(しょじょうあつめばこ)」すなわち明治4年の郵便事業開始時のポストを模したもの。広島の宮島郵便局などにも同様のものがあるらしい。

郵便局だけでなく、百五銀行やファミリマートも同様の建物。
ファミマは「伊勢神宮内宮前店」。間口が狭く、看板も控え目で目立たないが、ちゃんと24時間営業。
おはらい町は夜が早く19時には軒並み閉まるそうで、夜間は唯一の明るい店かもしれない。ここが内宮最寄りかつおはらい町唯一のコンビニ。(おはらい町の先の県道沿いにはサークルKがある)


おはらい町の狭い道路は全部伊勢市道だと思っていたら、一部は三重県道715号線。やはり伊勢神宮の重要さを物語っている。
県道なのは、内宮側から300メートルほどの地点(おかげ横丁・赤福本店前)まで。県道としては内宮から見て右に折れて、五十鈴川を「新橋」で渡る。
新橋を背に。左方向が内宮・県道、正面に「これよりおかげ横丁」の立て札、右の行列が赤福本店

新橋の上からおはらい町の裏側が見える(川沿いにも歩道がある)

内宮側から450メートルほどの地点が五十鈴川郵便局。その先も店は続くが、ややまばらになり、通る人もだいぶ減る。
やがて国道23号線と再び合流し、おはらい町が終わる。斜め向かいには猿田彦神社があり、この辺りから伊勢市内行きのバスに乗ることもできる。


赤福本店(の別棟?)の屋根瓦
本店と向かいに別棟がある赤福の店内は混雑してはおらず、10月~4月限定の「赤福ぜんざい」が食べられるのだが、つぶあんだからパス。
折詰め赤福餅も買わなかった。名古屋とか物産展とか、伊勢まで来なくても買える機会があるから。
なお、よく似た競合商品に「御福餅(おふくもち)」というのもあるが、こちらは二見浦に本店があるそうで、おはらい町では購入できないかもしれない。(昨年、秋田のイオンで売っていたのを食べたけど、おいしかった【6月22日追記】2015年6月20日頃にもイオン秋田中央店で販売。8個入り税込み740円で赤福より20円高い。消費期限当日の見切り品を660円で購入。赤福より若干大きく、あんこがあっさりしているような気がした。嫌いじゃない)

「虎屋」という店では「ういろ」が名物。名古屋のういろうと違って「生」なので、1日しか日持ちしないそうで、購入は断念。


昼食をおはらい町で済ませる。
鳥羽の海産物とか松阪牛、洋食などもあったが、伊勢神宮周辺の名物を2つセットで。
左下の「手こね寿司」と右上の「伊勢うどん」
手こね寿司は、マグロの漬け丼みたいなもの。元は志摩地方発祥。
伊勢うどんは、伊勢市で昔から食べられるうどん。麺が極太でもっちりと柔らかく、たまり醤油などからなるタレをかけて食べる。その独特さから好みが分かれるとか。
どっちもおいしかった。
伊勢うどんはこういううどんもアリ。猫舌でも食べやすい。あと、邪道と言われそうだけど、冷やして黒蜜をかけたらくずきりみたいでいいかも?!

付け合わせは、ひじきの煮物と、あおさのお吸い物。どちらの海藻も伊勢志摩の特産。
ヒジキは伊勢独特の加工法があるそうで、そのせいなのかは分からないが、秋田のヒジキより太くて少々固い。


そろそろ、宇治山田駅へ戻って、伊勢を後にする。
10分以下の間隔でバスが運行されているから、バス停に行けばすぐ乗れるけれど、狙って乗りたいバスがあったので、わがままを言って時間調整。続きはこちら

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伊勢神宮内宮

2015-01-22 20:49:14 | 旅行記
伊勢神宮内宮(ないくう)前へ到着。※内宮は正式には「皇大神宮」。
長さ101.8メートル、幅8.42メートルの「宇治橋」で五十鈴川を渡って境内へ。

宇治橋は、第二次大戦後は式年遷宮の4年前に架け替えることになっている。今の橋は既に5年ほど経過しており、新しさは感じない。
隣の土地に新造してから遷宮・解体するお社と違い、宇治橋は同じ位置で架け直す。架け替え工事中は下流側に仮橋を設置するようだ。
五十鈴川上流方向。左側の岸が境内。右奥の日の丸が立っている周辺が駐車場
宇治橋の上流側の川の中には、流木が橋本体に衝突するのを防ぐ「木除杭(きよけぐい)」が並ぶ。

橋の両岸側に鳥居がある。(写真はこの記事最後にて)
鳥居は2014年10月に新しくされたばかりで、ピカピカ。
遷宮から1年遅れるのは、お社の遷宮で発生した廃材(内宮と外宮の両正宮から)を再利用するためだそう。20年前の材木になのにピカピカなのは磨いたりした後で鳥居にするのだろうか?

宇治橋を渡ると右に曲がって、「神苑」へ進む。
外宮では左側通行で、行き来とも同じ道だった(出入口・参道は2つ)。
一方、内宮では宇治橋から神苑付近は右側通行で、あとは行きと帰りで別ルート。時計回りで1周する形。【2024年7月13日追記・外宮と内宮で、通行の左右が違うのは、それぞれで御手洗場の位置と動線を考慮したことが、理由の1つとのこと。理にかなっていて納得できる。】
神苑。左右が大正天皇御手植えの松かな

神苑の先にトイレ。ここより先にはもうない。
さらに先に手水舎があり、昨日の外宮と違って多くの人が浄めていた。
だが、我々は素通り。
そのすぐ先が、五十鈴川の川原へ下りていける「五十鈴川御手洗場(いすずがわみたらし)」。そちらで五十鈴川の水を使って浄めるのだ。多くの神社において、手水舎ができる以前は、これが本来の御手洗の姿だったのだろう。
「五十鈴川御手洗場」
石が敷かれた数段の段差がある緩い坂。幅はかなり広い。ひしゃくなどはない。
上流方向 下流方向
川の水は汚くはないが別段きれいでもない。さほど冷たくもなかった気がする。
以前来たことがある同行者は、「昔はもっときれいで感動したはずだけど…」と言っていた。

五十鈴川の底には、
小銭が落ちてる
ここに賽銭を投げ入れる人がいるようだ。少々目立ちにくいが「五十鈴川に投銭しないでください」という立て札があるのだが。(そもそも単なる手洗い場に対して賽銭すると何かいいことがあるのだろうか? トレビの泉とかの影響?)

外宮同様、周りの樹木は常緑樹が多いが、対岸の川原には葉を落とした落葉樹が目についた。
秋田では当たり前の落葉樹が、ここでは異質に見えてしまう。

宇治橋を渡ってからここまで300メートルほど。
ここで参道は(川原に下りないルートから見て)左に曲がる。この角の前後に鳥居が2つ。
祈祷やお守り授与をする「神楽殿」、別宮への分岐などを過ぎて、幅広い参道が続く。この辺りで行き帰りのルートが再び重なる。
神楽殿では外宮同様、破魔矢を求める人が多く、おみくじはない。
おみくじがないのは、「伊勢神宮に訪れた日は、誰もが吉日だから」という理由と、「伊勢神宮で個人的な吉凶を占うのははばかられるから」という理由があるらしいが、どちらも当たっているように感じられる雰囲気だ。(ただし神楽殿周辺は一般的な神社と同様の光景で、おみくじがあってもおかしくはない雰囲気でもある)
参道を進む
外宮同様、大木を含む木々に覆われた山の中の道。
参道の外は林
上の写真で手前の木に注目。
果実がなっている!
ミカンほどの大きさの黄色い果実が何個か実っていた。
カンキツ類なのは間違いないけれど、野生ってことはなさそうだから、誰かが植えたのか??
この1本しか見つけられなかった。

宇治橋を渡ってから650メートルほど、のんびり歩いて20分ほどで参道は突き当り、その左手に正宮がある。
左の階段は参拝後の出口。入口は奥
外宮とは参道から見て左右が逆だが、似たような位置関係。今までテレビや写真で見ると、外宮も内宮も参道を歩いてくると正面に正宮があるかと思っていたが、横にあるとは少々意外だった。
また、遷宮前の正宮があった「古殿地」は、外宮とは逆に奥側。外宮と違って、間に木立があってあまり見えないようになっていた。
よく見るアングル。左から来て、右が行き止まり・古殿地
撮影できるのはこの石段の下まで。
※正宮は階段の上にあるため、右隣の古殿地側にも同様の階段があるということらしいが、間に木があって見えない。

人出は写真の通り。昨日の外宮よりは多い。
混雑時は、この階段が人でびっしりでかなり待たされたり、鳥居の脇から入れる急ぐ人向けコースが設けられたりするらしいが、この時は極めてスムーズ。
すぐに上がれて、待たずに(正確には1分くらいは待った)参拝できた。


外宮同様、内宮の敷地内にも、別の神様をおまつりした「別宮」があるので、参拝。やはり階段と坂で上り下りする位置にある。
途中には、
高床式倉庫のようなもの?
「御稲御倉(みしねのみくら)」という、これも御稲御倉神という神様をおまつりする神社なんだそうだが、特に参拝できるような設備・構造ではない。(別宮は立派なお社の造りになっている)
なんでこんなに小さいのか、参拝できる構造でないのか、とかいまいち分からない。勉強不足です。

すぐ近くに、そっくりな建物があり、そちらは「外幣殿(げへいでん)」という、お宝を収める所。こっちは倉庫的なもののようだ。
左奥が御稲御倉、右手前が外幣殿
どちらも遷宮に合わせて新しくされたようだ。


神楽殿の近くまで戻り、ちょっと離れた所にある「風日祈宮(かざひのみのみや)」という別宮へ。
距離としてはそんなにないが、参道から別れた道を進み、橋で川を渡った所にある。
橋は宇治橋を小さくしたような(長さ45.6メートル、幅4.6メートル)「風日祈宮橋」で、渡る川は「島路川」。

島路川は、この橋の下流=五十鈴川御手洗場のすぐ上流部で、五十鈴川に合流するのだが、直角に近い角度で合流するため、橋や御手洗場から見ても合流点であることが分かりにくいようだ。
橋を渡って、右に曲がった右側に風日祈宮がある。やはり道は行き止まり。
真新しい風日祈宮。裏手が島路川、左のほうに五十鈴川
ここで貴重な光景を見られた。遷宮間もないため、以前の風日祈宮がそのまま残っていたのだ。
新旧風日祈宮。色がぜんぜん違う
古いほうでも20年前のものだから、そんなに古く見えないと思っていたが、実際にはだいぶ風格が出ている。
むき出しの木材だとこんなに違ってくるのか
ちょうど以前の風日祈宮の中から、巡回中の警備の衛士が出てきた。神様はいらっしゃらない“空き家”ということなんだろうが、出る時には一礼をしていた。

正宮の人出と比較すれば、風日祈宮まで参拝に来る人はちらほら程度で少ない。
距離は大したことないのに、道をそれて来ようとは思わないのだろうか。せっかくなんだから来ればいいのに。


あとは、行きの参道の1本山側の道で宇治橋へ戻る。
途中、ちょっとした人だかりが。
白馬!
神様が乗る「神馬(しんめ)」がいる「御厩(みうまや)」。※掲示では神馬でなく「御料御馬」となっていた。
外宮、内宮とも皇室から贈られた神馬が2頭ずついて、このようにタイミングによっては参拝者が見られる所に出ている。(外宮の御厩は、我々が通らなかった場所にあった。)月3回ほど、朝に正宮へ参拝する姿も見られる。

この時いらしたのは「空勇(そらいさむ)号」。
アングロアラブ種で、1993年宮内庁御料牧場生まれ、2011年に内宮へ寄進された。
馬自体、近くで見た経験は少ないけれど、白馬は初めて見たかもしれない。

若干せわしなさそうにも見えたが、参拝者に見られたりカメラを向けられても、逆にこちらを眺めるなどまんざらでもなさそうなお顔。

ただし、掲示では投銭、フラッシュ撮影、食べ物を与えるのはしないようにとしているのに、フラッシュをたく参拝者がいたのはいかがなものか。数分の間で2~3回は見かけた。近くに複数の神社関係者(警備担当ではないが)がいたが、特に注意はしない。
五十鈴川の投銭にしてもそうだし、正宮の撮影についても若干感じたが、ここは掲示が小さくて少なくて、気づかない人は気づかないこともありそう。
おおらかでいいのかもしれないが、川や動物相手のことだし、外国人旅行客だっている。もう少し、はっきりと言ったほうがいいのかもしれない。
と、恐れ多くも苦言を呈します。
(でも考えてみれば1300年前から続く伊勢神宮の注意書きに「フラッシュ撮影」なんて言葉が入ること自体、ある意味画期的かも)

境内では、神の使いであるニワトリ(神鶏)も放し飼いにされている。チャボや尾長鶏もいるらしいが、馬の近くを歩いていたのは、
白い鶏(白色レグホンとか?)


ちょうど1時間で、宇治橋へ戻った。歩行距離としては2キロ程度だろうか。やはり外宮より広い。アップダウンや林の様子は、両宮でそんなに違わない。
新しい鳥居がきれい
天気が良くなってきて、晴れ間と青空が出た。
昼近くなり、人出が増えてきたようだ。やはり、できるだけ早い時間がじっくり参拝できるようだ。


外宮同様、そんなに肩肘張って格式張った雰囲気ではないが、何か清々しく落ち着いた気持ちになる場所だった。
伊勢神宮を参拝して、この国に生まれて生きていることに縁や感謝を感じ、我が国の長い歴史の中で、世の中は変わっても変わらずに受け継がれているものがあることを実感した。
神宮におみくじがない理由2つを上で述べたが、たしかにそんな個人的なことは置いておいて、もっと大きなものに触れられたような気がした。
【23日追記】「伊勢参りに行ったから、いいことがありそう」などではなく、「伊勢参りに行けたこと自体が、いいことだった」というような、感謝の気持ちが強かったかもしれない。


この旅行の大きな目的は、これにて達成。(本来なら、周辺に多数ある別宮を始めとする神社にもお参りするべきですが、割愛させていただきました)
あとは、お腹を満たして、お土産を買って、やっぱり鉄道・バスとか街中のささいな風景とかも…ということで続きます

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宇治山田から内宮へ

2015-01-20 23:41:49 | 旅行記
外宮(げくう)参拝の翌朝、伊勢神宮内宮(ないくう)へ。
※この記事では内宮への行き方を紹介します。内宮の中は後日別記事にて。

内宮は徒歩だけで訪れるには遠い。
公共交通機関のアクセスとしては次の2つが挙げられる。
※いずれも2015年1月時点の情報です。変更になる場合があるので、各自、都度ご確認願います。また、混雑期は道路渋滞も考えられ、どうなっているか分かりません。
・近鉄「五十鈴川(いすずがわ)」駅下車
五十鈴川駅は宇治山田から1つ鳥羽寄り。伊勢インターチェンジやイオン伊勢店の近くにあり、内宮までは2キロほど。
三重県道12号線(一部国道23号線と重複)を道なりに進めばよく、ちゃんとした歩道があるようなので、天気が良ければ歩いても問題なさそう。
駅前から内宮前へ向かう路線バスも昼間は毎時2~4本あるが、後述の宇治山田・伊勢市駅方面発着のバスを途中乗降する形なので、車内が混雑していれば乗り降りが大変そう。
五十鈴川駅近くに「月讀宮(つきよみのみや)」という、内宮の敷地外にある別宮があるので、そちらにお参りする時は、便利。【21日追記】伊勢神宮と直接の関係はないようだが、内宮近くには「猿田彦(さるたひこ)神社」もある。こちらは内宮から徒歩で来られるし、バス停もある。
五十鈴川駅近くにはイオンがあるので、内宮には行かないイオン経由のバスを使ったり、空き時間に買い物したりという使い方も考えられるかもしれない。

・JR・近鉄「伊勢市」駅または近鉄「宇治山田」駅または外宮前から三重交通の路線バス
宇治山田-伊勢市-外宮-内宮を結ぶ路線バスが多数運行されている。
経由地は上記五十鈴川駅前を通る「徴古館経由」が毎時3~4本と、通らない「庁舎経由」が毎時2本、ほかに途中停車しない直行便(黄色い「EVバス」)などもあるが、単に伊勢市中心部から内宮へ行き来するだけなら、どれに乗っても料金は同じ430円(フリーきっぷ対象エリア内)で所要時間もほぼ変わらないようだ。
また、鳥羽方面をも結ぶ「CANばす」という青い車体のバスも利用できるが、行き先に注意。(不安なら乗らずに一般路線を使うのが無難)
ただし、路面電車っぽいデザインの「神都バス」が利用できるとしている情報もあるが、現在は路線バスではなく、事前予約の観光バス扱いに変更されている(2014年10月から)ので注意。

合計すれば伊勢市内-内宮は、昼間は時刻表ではおおむね10分間隔の運行だが、状況により増発便(「臨時」とされていた)を臨機応変に出していたので、ほとんど待たずに乗れた。
宇治山田駅、伊勢市駅、外宮前、内宮前の各乗り場には、バス会社の案内員が出ているし、あまり心配しなくてもいい。だから、事前に時刻表を調べなくても大丈夫だろう。
※朝や夜は本数が少なく、案内員がいないかもしれません。また混雑時はバスが足りなくなるかもしれないし、道路が渋滞して遅延するかもしれません。

ということで、通常時の内宮参拝は、バス利用がベストだと思う。
近鉄のフリーきっぷを使用すれば、鉄道もバスも乗り降り自由。状況や気分で選べるし、小銭の準備もいらないので使うべきです。(三重交通バス単独のフリーきっぷもあるが、名古屋などから往復するのなら、近鉄のフリーきっぷのほうが割安)


宿を後に、鳥羽から近鉄の普通電車で伊勢市へ。
バスで内宮へ向かうには、宇治山田駅で降りても伊勢市駅で降りても違わない。
宇治山田駅のほうがコインロッカーが多そうだし、路線バスも先に通るので座れるのではないかと踏んで、宇治山田駅で下車。時刻は10時前。

ここで、宇治山田駅の駅舎について。
前回も触れたように、「宇治山田」とは外宮と内宮の所在地のかつての町名(および合併直後の市名)にちなむものであり、京都の宇治とは関係ない。
1931(昭和6)年の開業時からの、鉄筋コンクリート3階建て、幅120メートルの堂々たる駅舎。登録有形文化財。
もうちょっと離れて撮影するべきでした…
クリーム色のテラコッタ・タイルが印象的で、細部の装飾が凝っている。

前回の伊勢市駅に続き、ここにも関西式門松
伊勢市駅JR側よりも立派な門松が置かれていたが、タクシー乗り場に面しており、正面からは見られなかった。

正面の避雷針も凝っている。後方の「近鉄」の塔屋(元は火の見櫓として使われたらしい)にも避雷針

1階には、コンコースや土産物・飲食店やファミリーマートなどからなるちょっとしたショッピングゾーンがある。
モダンレトロな広いコンコース。駅窓口はこの右側(駅に入って正面)
広いコンコースは修学旅行などの団体客の利用を想定しているのかもしれない。
貴賓室があり、皇族や要人が伊勢に来る時は、伊勢市でなく宇治山田駅を利用するそうだ。

あとは、建物の大きさのわりには客が立ち入れるスペースは少ない。待合室とかベンチの類も、多くなかった気がする。
ホームは高架で、上の写真正面奥の階段を上がると改札口。(その階段の裏が店舗)
改札内から改札口。奥の階段を降りるとコンコース
通常使う改札口は1か所だけ。天井は低く、外観とは違った印象を受ける。


宇治山田駅を出てすぐにあるバス乗り場に行くと、ちょうどバスが入って10人ほどが乗り込むところ。
「庁舎前」経由内宮前行きの定期便で、大型ノンステップのいすゞエルガ。
案内員が「内宮行きはこちらです。間もなく発車しますので、整理券を取ってご乗車ください」などと案内している。

どうも、発車まで時間がある時は、乗り場の案内員に対して運賃を支払う(=乗車券を買う?)ようで、発車間際は一般的な整理券方式の車内精算になるようだ。
そのバスの全員が車内精算済みの直行便なら、到着時は中ドアからも下車させるようだ。(詳細不明)
反対に、バス1台の乗客全員まるまる乗り場で精算できないこともあり、案内員が運転士に「皆さん精算がまだですので(車内精算を)よろしくお願いします」と伝達する場合もあった。

次の伊勢市駅前でもぞろぞろ乗ってきて、さらに次の外宮前で数人乗車。通路に人がちらほら立つ状態になって内宮へ向かう。
一般路線バスなので、途中で地元の人が2人くらい下車。
片側2車線の県道32号線を快調に進み、国道23号線に曲がってあっと言う間に内宮到着。宇治山田駅から15分ほど。
内宮前バス乗り場
内宮前のバス乗り場はバスの待機場を兼ねていて、常に2~3台が停まっていた。

内宮に来ていた三重交通の路線バスは、いすゞエルガのノンステップばかり。四日市などでは見かけた同型・異メーカーである日野ブルーリボン2さえ見かけなかった。(1台だけ臨時便で三菱エアロスターが来ていた)
輸送力からすれば大型車が必要だし、ドル箱路線だから新車を積極的に入れるのは分かるが、いすゞばかりなのは、三重いすゞが三重交通の系列ということもあるだろうし、ひょっとしたらいすゞ自動車の社名の由来である、内宮前を流れる五十鈴川へ敬意を表してだろうか。

自動放送の車内アナウンスは、かつての秋田市営バスのテープ式放送と同じ人、アイドリングストップ時の音楽はかからなかった気がする。【21日補足・訂正】要所では英語の車内放送もあった(日本語とは別の声)。アイドリングストップの音楽は、アイドリングストップをする機会がなかったので不明。
※三重交通についての以前の記事
※三重交通のバスについては、後日別記事にて

「お伊勢参りは外宮から内宮へ」
参拝のならわしを記したラッピングバスがあった。

車体に広告主名は表記されていないが、伊勢商工会議所のホームページによれば、伊勢商工会議所と伊勢市が「外宮誘客事業」として2009年から2台に広告しているそうだ。
伊勢市街地である外宮への観光客誘導が目的なのか。でも、「外宮から内宮へ」だと外宮に先に来てもらわないといけないから、内宮行きのバスにラッピングしてもあまり意味がないような気がしなくもない。むしろ、三重交通さんのいい宣伝になっていそう。

三重交通独特の後部屋根上の広告パネル(上記以前の記事参照)は、この車では枠が撤去されて、棒状の台座だけが残っている。


バス停の先で、
国道23号線の終点
愛知県豊橋市から続く、177.0キロの国道23号線がここで終わっていた。
交差点ではなく、神社の前で国道が終わるというのが、伊勢神宮が重要な場所であることを物語っている。外宮のそばには三重県道が何本もあったのと同じように。

国道が終わった先は、内宮の駐車場への通路かのように見えるがそうではなく、県道12号として五十鈴川沿いに奥まで続き、かなり狭い山間の道になっている。


バス停を降りて左側が、参拝客目当ての店が軒を連ね、一大観光ゾーンとなった「おはらい町」(これも一部は県道)。
そしてほぼ正面が、
伊勢神宮内宮
五十鈴川に架かる「宇治橋」を渡って伊勢神宮内宮へ進む

ならわし通りに外宮を参拝してきたのかは知らないけれど、観光バスがたくさん出入りしている。昨日夕方の外宮よりは、人出が多いようだ。内陸のためか鳥羽よりは風が強くなく、気にならない程度。
続きます

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伊勢神宮外宮

2015-01-18 10:23:10 | 旅行記
伊勢市に到着。さっそく伊勢神宮外宮を参拝する。
※基本的に日が落ちた後の時間帯は参拝できないが、正月は延長される。参拝時は事前に確認を。

伊勢神宮は、おまつりする神様が異なる「外宮(げくう)」と「内宮(ないくう)」の2つからなり、外宮→内宮の順に両方を参拝するのがしきたり。※正式には外宮は「豊受大神宮」、内宮は「皇大神宮」
本来なら、二見浦(ふたみがうら)でみそぎをしてから参拝がルートなんだろうけど、そこは勝手ながら省略させてもらう。(みそぎは別として二見浦にも行ってみたかったのだけど、交通機関や一人旅ではないので制約もあって…)
外宮と内宮は直線で4キロ弱離れていて、公共交通機関利用者は内宮へはバス(またはかなりの徒歩)でないと行かれないが、外宮は駅からすぐ。

外宮の辺りは「山田」地区と呼ばれ、内宮は「宇治」地区。かつては山田町と宇治町だったのが合併して「宇治山田市」になり、1955年に伊勢市に改称された。近鉄の駅に「宇治山田」があり、京都の宇治を連想してしまうが、別の宇治だったのだ。

※以下、我々のような訪問者のことは「観光客」とすべきなのかもしれませんが、目的は伊勢参りであるはずなので「参拝客」と表記します。


近鉄とJR東海が共用する伊勢市駅の南側改札口(JR管理だが近鉄利用者も同じ改札口を利用)を出る。
駅にはコインロッカーや手荷物預かりもある。コインロッカーは分散していて、気づきにくい場所にまとまってあったので、よく探しましょう。
伊勢市駅(南側)。駅舎は2013年に新しくなったようだ
駅正面には門松が立てられていた。
伊勢だからというわけではなく、日本の西側(過去には静岡や九州で見た)では、駅の出入口にも門松が置かれる。役所などでも正月飾りをする所もある(テレビで鹿児島市役所を見た)そうだ。
一方、秋田など東日本方面では、民間のオフィスでは設置する所が多いが、駅とか役所では正月飾りはあまり見かけない気がする。秋田駅ではみどりの窓口やびゅうプラザ前に、やや控え目に設置される。橋上駅という構造や雪対策なのか、地域性なのか。

地域性と言えば、門松の細部も違う。
伊勢市駅の門松
背後の松が大ぶりで、根元にハボタン、鉢の周囲を竹で囲むという、関西式の門松。
3本の竹の切り口に節が入って笑顔のように見えるのも、秋田ではあまり見ない(皆無ではない)はずで、西に多い気がする。
3本の長さ(高さ)が全部違うのも、どちらかと言えば西寄りだろうか。(後ろの1本だけ高くて、手前の2本が同じ長さで揃うのが東タイプ?)

正月飾りを撤去する日(「松の内」の解釈)も地域差があり、7日と15日で分かれるが、伊勢では7日に撤去していた地元企業を見かけた。関西方面は15日までが多いと聞いていたが、伊勢は7日なんだろうか。
ちなみに、伊勢ならではの風習として、しめ飾りは通年掛けておくという。

駅の正面に鳥居があって、くぐってまっすぐ450メートルほど進めば、外宮の正面に着く。
ここをまっすぐ

振り返って伊勢市駅

伊勢市駅周辺には、1990年代まではジャスコ(三重はジャスコ発祥地ではあるが、伊勢周辺は元々の地盤ではないようだ)や三重交通系列の百貨店、それに商店街があって、地元の買い物客でもにぎわったと言う。現在は、他の地方都市同様、市街地衰退・郊外移転が進んでしまった。
ただし、市役所などもこの近くだし、何より伊勢神宮参拝客が訪れ、今もけっこうにぎわっているように見えた。

駅前広場に既にのぼり旗が立っているが、伊勢市駅と外宮を結ぶ道は「外宮参道」と呼ばれる。
土産物、真珠の店、飲食店、宿など参拝客目当ての店も並ぶ、いわゆる門前町(神社の場合「鳥居前町」を用いるらしい)の商店街的な一帯。
レトロでモダン建物も
「赤福」の飲食もできる店舗もあるが、まだ新しそう(2012年開店)な「特設店」というもの。本店は内宮のほうにある。(提供される品は同じようだ)
伊勢神宮の鳥居前町の商店街としては、内宮の「おはらい町」が有名。そちらのほうがより参拝客向けに特化し、雰囲気が和風という違いがある。

「外宮参道」がそう呼ばれるようになったのは、2006年と最近。(それ以前はどう呼んでたんだ? ただの「参道」?)
道路管理者は伊勢市でなく三重県で、参道のみからなる延長391メートルの三重県道21号線に指定されている。
このすぐ西隣は、車が多く走る車線の多い道路で、そちらは松阪から鳥羽へ至る県道37号線の一部。

外宮参道は、元日などは参拝客であふれるのだろうが、この時はちらほら。
平日の夕方とは言え、新年早々にこの程度だとは予想外で、混雑を覚悟していたから少々拍子抜けした。

外宮参道には、銀行など地元の人向けの店も多い。
また、一見すると歩行者天国っぽいが、一般車両も通行できる(外宮から駅への一方通行)。
さらに、歩道と車道の境が目立ちにくく(ブロックの色が違うだけで、白線も縁石もない)、そこに路上駐車する車もいて、歩行者がそれを避けて車道部分へ出ざるを得ない場面もあった。
「コミュニティ道路」であり、歩行者天国とすることも想定した設計のようだが、少なくとも通常時はこれではかえって危険だ。
秋田市の仲小路も同じような状況だが、外宮参道は道幅がより広くほぼ直線なだけに、さらに危険なようにも感じられた。
※場所や期間によっては、車両が入れない部分もある。また、途中に信号機も複数あり、歩車分離だったり押しボタン式だったりするので、横断時はよく確認を!

さらに拍車をかけたのが、
「交通規制」
伊勢警察署長名義の「交通規制」の大きな立て看板。
最初、遠くから見た時、「自転車及び歩行者専用」の道路標識の巨大な図柄が目に入り、「この通りは歩行者天国なんだな」と思って歩くと、前方から車が走ってくるし、路上駐車もしていて驚いた。
改めて看板の下の文字を読んでみると、規制の日程と時間が表示されていた。それによれば、この規制は1月3日の17時ですべて終了している。それ以降は、終日車両が通行できることになる。

ところが、この時は1月6日。規制終了から3日も過ぎている。
3日前に終わった規制が、まだ有効かのように誤認しかねない看板を立てておくのは、あまりにのんびりしすぎている。
日本語を読めない外国人だって通るだろう。標識の図柄だけ認識して、歩行者天国と勘違いして真ん中を歩いて事故にでもなったら、どうするんだ。

看板の撤去が直ちにできないのなら、シートをかけるとか、横向きにして見えないようにすることぐらいできるはずだ。
秋田県警でさえ、花見や竿燈まつりの交通規制の看板(もっと小さいけど)は、規制時間外は隅に寄せて見えないようにしている。
はっきり言って、三重県警の怠慢だ。(余談だが、この時ローカルニュースにおいて、暴走族対策で高速道のサービスエリアを予告なしに閉鎖したとして、三重県警と中日本高速道路会社が批判されていた)

警察がやれない・やらないのなら、道路管理者である県、観光やまちづくりに関わる市、毎日目にするであろう近隣住民などが気付いて警察を動かすこともできるはず。伊勢に限らず全国どこでも、特に警察に対して萎縮するのか関わりたくないのか、このようなケースがままあるのだが…
今回はとてもいい旅ができたけれど、これだけは引っかかったので、苦言を呈させていただく。(関係各所へは伝達済み)


外宮参道を抜けて、幅の広い道路(これは県道32号線。外宮一帯は県道が多く、それだけ重要な場所ということか)を横断すれば、外宮の敷地。信号は押しボタン式。内宮への路線バス乗り場も、この付近にある。
夕日の中の外宮

雨が上がって、外宮の向こうに夕日が沈み始めた頃。
雨は多く降ったらしく、水蒸気が上がってもやのようになって幻想的で神々しい。

すぐに境内だが、その手前の駐車場のところにトイレがあり、「これより先にはトイレがない」とのこと。
橋を渡って境内へ。ここは左側通行(内宮は右側通行)。

左手に「勾玉池」という大きくてきれいな池。舞楽の舞台があり、初夏はハナショウブが咲くそうだ。
そのほとりに、資料館や休憩所である「せんぐう館」が2012年に開館した。池がきれいに見えるに違いなかったが、最終入場時間(16時?)を過ぎていて入れなかった。

自家用車や観光バスで来た人なんだろうか、駅~外宮参道よりは人が多くなったが、それでも予想より少なく、「まばら」と表現できるほど。
道はうっそうとした林の中で曲がっていて、タイミングによっては周りに誰もいなくなる。

橋から200メートルほどで、裏手の出入口からの道(北御門参道)も合流。(今まで進んだのが表参道)
そこに「神楽殿」という社務所みたいな建物があり、祈祷やお守りなどの頒布をしている。正月だから破魔矢を買い求める人が多い。おみくじはないのかな?【20日追記】お神酒の授与所もあった。
帰ってから案内図を見て気づいたが、神楽殿の裏手・北御門参道側を少し戻ればトイレがあるようだ。

その先で参道は突き当り、右手に豊受大御神をまつる「正宮」に到着。


 
正宮の前は広いスペースがあり、周りを針葉樹を中心とする巨木が囲む。左側には、勾玉池の上流に当たるであろう池。
混雑時は、参拝前にここで何十分も待たされるのだろう。

正宮内は写真撮影禁止。もっとも、板垣で囲われていて、直接正宮本体の建物やご神体を見ることはできない。
相変わらず拍子抜けするほどの人の少なさで、すぐに参拝できた。
一般的な神社のような鈴はない。賽銭箱もないとのことだが、それに相当するスペースはあった。
そんなわけで、皆さんじっくりと祈っていた。少ないとはいえひっきりなしに参拝者がいるから、神様にしてみれば聞くのは大変だったかも…

混雑対策なのか、正宮の入口と出口は分離されていた。「出入りする時は鳥居で一礼」というのが作法だが、出口側には鳥居がないので、戸惑った。

正宮の手前(正宮に向かって右隣)に、しめ縄で囲われた空き地があった。
左奥が正宮
ここは式年遷宮の前に、(先代の)正宮があった場所。
遷宮のたびに交互に建て替えるので、次の遷宮で正宮が建つ場所でもある。「御敷地」「古殿地」と呼ばれる。


伊勢神宮敷地内や周辺には「別宮」といって、ほかの神様をまつるお宮がある。外宮敷地内には別宮3宮とさらに別に神社1つがあるので、こちらも参拝。
別宮は式年遷宮後、順次新しくなっている。
正宮からは池を渡って山の上に登るような位置にある。石段になっていて、雨上がりでもさほど汚れたり滑ったりはしないものの、体力や靴にはそれなりに配慮が必要。
あと、お賽銭の準備も。両替機などはないので…

橋代わりに緑色の大きな岩?【19日追記】これは「亀石」と呼ばれる由緒正しい岩だそうだ
木も立派だけど、立派な石も多い。石段の石さえ美しい。
【19日追記】上の写真の「亀石」は踏んづけられているけど、もっと小さな石でしめ縄で囲まれたも「三つ石」もあった。“パワースポット”とされて、手をかざす人もいる
階段の外側は、谷になっていて、うっそうと木々が茂る。暖地らしく常緑の照葉樹が多い。

来た道を戻る。帰り道は団体さんと一緒になった。
団体さんが来ると、一時的に参拝は滞るようだ。

最近のパワースポットブームの影響か、以前よりも神社参拝の作法は一般に浸透している。
今回も、鳥居をくぐるたびに一礼していた人がいたし、正宮では誰もが二礼二拍手一礼をしていた。
伊勢のガイドブック類では、伊勢では特に身なりや作法をしっかりするようにとあるものもあって身構えていたが、実際にはそれほどでもないようだ。
我々がせんぐう館近くの手水舎で浄めていた時、他の参拝客は素通りだったし、「神社庁支部」とかいう腕章を付けたおっさん数人組など、おしゃべりしながら頭も下げずに鳥居をくぐっていたし…
要は気持ち次第でしょうか。


外宮内に30分ほどの滞在でひととおり周ることができた。
うっそうとした木々の中、要所要所に警備員を立派にしたいでたちの神社職員が立っているなど荘厳で神聖な場所であることも感じたが、一方で落ち着いた気持ちにもなれた。
さらに雨上がりの清々しい自然の中で、気持ちも清々しくなった。

外宮は伊勢市街地にあると聞いていたので、各地の城跡の公園(秋田市の千秋公園とか)のような広大だけど平坦な場所かと思っていたが、けっこう山深いのに驚いた。「高倉山」という標高117メートルの山だそう。
敷地の面積としては内宮の10分の1ほどだという。参拝者が立ち入れる面積は、そのごく一部なのだけど。

神社どうしを比較するのはナンセンスで失礼かもしれないけれど、出雲大社はお社(やしろ)そのものが大きくて立派で、伊勢神宮(この段階では外宮だけ)は建物のみならず敷地全体に存在感があり威厳を示しているように感じた。
宮島の厳島神社も、海という自然と一体化した島全体が神聖な場所という印象を受けたが、伊勢神宮はそれをさらに上回るような。


この後は、近鉄で鳥羽まで行って宿泊。
伊勢市周辺にも宿はあるが、温泉は少ないし、価格や食事などの選択肢は狭い。二見浦や鳥羽まで行けば、いろいろ選べるし、フリーきっぷで足代もかからないので、鳥羽を選んだ。
近鉄ホームから伊勢市駅北側の駅前
伊勢市から鳥羽方面へは、特急と別に普通列車が毎時2本程度運行されている。2両編成のワンマン運転で、所要時間は15分ほど。
途中は山あいの風情の無人駅もあり、駅前で温室の中で灯り点いているのが見えた。電照菊だろうか。
急に海沿いに出て、鳥羽到着。

日程上、鳥羽には泊まっただけも同然だったので、割愛します。いつかじっくり訪れてみたい。
温泉は場所によって泉質が異なるようだが、泊まった宿は、海沿いには珍しい、ほぼ無色透明無味無臭のアルカリ泉。青森の大鰐温泉に似たような、いいお湯だった。

天気は回復傾向なものの、夜から風が強くなって、海面を細かい波が走る。ひっきりなしに北風が吹き、秋田の吹雪とはまた違うが、体感では思っていた以上に寒い。
翌朝に内宮を参拝する



ネット等で拾った情報も含めて外宮参拝の注意事項などをまとめておく。
・伊勢市駅のJR側・南の改札口を出る。(近鉄ホームからはやや遠い)
・近鉄の宇治山田駅から外宮も遠くはないが、道が分かりづらい。
・伊勢市駅のコインロッカーは分散設置。よく探しましょう。(ただし混雑時は埋まりそう)
・参拝は朝や夕方が空いていて狙い目。参拝できる時間は事前に確認。
・外宮参道では車に注意。
・賽銭用の小銭は多めに。
・ある程度歩くので靴や体調に注意。(正宮だけを参拝するのなら段差はほとんどない)

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秋田から伊勢へ

2015-01-12 18:14:32 | 旅行記
そんなわけで、伊勢へ出発。
天気予報では、初日は全国的に雨がち、2・3日目は西高東低の冬型なので向こうは雨の心配なし。
旅立ちの朝の秋田は曇っていて暖かい(プラス2度ほど)。時系列予報によれば向こうでも雨に当たらなそうと好意的に予測して、傘は持たずに出発。
駅までは始発の路線バス。6時台だから朝の渋滞前だし、この日は路面の雪や氷もないから、定刻で来るかと思ったら、5分も遅れて来た。
積雪時のラッシュ時ならば遅れるのも雪国の宿命だと理解というかあきらめなければならないが、この状態でこんなに遅れるとは、やっぱり抜本的なダイヤ見直しが必要なのではないだろうか…
時刻表上は次のバスでも間に合うのでそっちに乗ろうかと思っていたが、この調子では危ないところだった。早いバスにして良かった。

秋田駅12番線の毎度定番のアングル
こまちの2番列車で秋田から東京まで4時間弱。
いつもなら大宮か上野で新幹線を降りて在来線へ乗り換えて、特急料金を浮かせるけれど、今回は同行者がいるためそうもいかず、久々に東京まで乗り通す。

内陸部の大曲に来ると、雪が多い。毎年そう感じてしまうので、例年との比較ではなく見た実感としての多さだ。
岩手県に入ってすぐ辺り?
岩手県に入っても、やや減るが雪は積もっていて、盛岡市も秋田市並みの積雪量のようだ。
仙台の手前で雪はなくなった。

この日は、帰省の戻りは一段落し、向こうの学校の冬休み最終日、かつ仕事始め直後というためか、車内の客は少ない。1番列車は通過するため朝イチのこまちとなる角館、田沢湖、雫石からもあまり乗ってこなかった。
小さな子ども連れは何組か乗っていたけれど、みんなかなりおとなしい。朝早いからか、最近の子はそうなのか。
E6系の乗り心地・座り心地も良好(最初は印象が悪かったのに…)で、気がつけば東京。快適な旅の始まりとなった。


今回は(今回も?)東京は素通りして、30分ほどの待ち時間で早々に東海道新幹線へ。
新幹線改札を出て駅弁屋「祭」で昼食を買ったけれど、昼前だからか店内はてんやわんや。恐れをなして適当に選んでしまい、やや失敗。

名古屋まで行くわけだが、以前も触れたように「のぞみ」は車内の雰囲気が殺伐としている上に指定席料金が高く、自由席は3両で混雑する。さすがに「こだま」は時間かかるので、間を取って(?)「ひかり」の自由席。
名古屋までなら所要時間は「のぞみ」とほぼ同じで、「ひかり」は自由席が5両あるので、始発駅の東京なら確実に着席できる。

この日も、「のぞみ」の自由席は長い列(でも全員座れる程度)なのに、3分後の「ひかり」は各車両10人くらい。
しかも車両は最新(2007年登場)の「N700系」。
E6系よりは不格好? これは真っ白だけど鼻先が黒くなっていた車両もあった
初乗車のN700系はE6系と類似する点も多く、快適。(新幹線の旅については後日別記事にて

この「ひかり」は新大阪行きで、停車駅は品川、新横浜、小田原と名古屋から各駅。
すなわち、名古屋までなら「のぞみ」との違いは小田原に停まるだけ。東京で3分先行する博多行き「のぞみ」より、5分遅く名古屋に到着するだけ。ちなみに新大阪には20分違いで到着。
こちらの車内では、子ども連れが数組。空いている「ひかり」をあえて狙っている人もいそう。こちらの子どもたちも、比較的おとなしい。ゲーム機をいじっていたからか。
「のぞみ」が停まらず、「ひかり」が2時間に1本の速達列車である小田原からも、乗ってきた人はそんなに多くない。

「ひかり」乗車は久しぶりだったけれど、楽しみにしていたことがあった。
たまに乗る「こだま」では廃止された、車内販売のスジャータのアイスクリームである。
JR東日本エリア(NRE。在来線でも売っている場合あり)では「青森県産りんごアイス」を限定販売しているように、東海道新幹線(ジェイアール東海パッセンジャーズ)限定のアイスもあるという。
「愛知・静岡県産メロンアイス」と「神奈川・静岡県産みかんアイス」。(メロンは9月から10月くらいしかないらしい)

車内販売のアイスは、東日本では昔は保冷箱とかカゴに入れて単独で売りに来ていたものだが、最近はワゴンに小さい保冷箱をくっつけていっしょに売っている。(ただし、頼んだら積んでいなくて、取りに戻ってくれたこともあった)
東海道ではどうかと様子見。1度ワゴンが回ってきたものの、保冷箱は積んでいなさそう。次来たら聞いてみようと思ったのに、いつまで経っても来ない。
やっと来たのが三河安城駅通過中。名古屋到着の10分前である。ガチガチの車内販売アイスを食べるのは無理なので断念。帰りは「こだま」に乗ったので、限定アイスはまたの機会に持ち越しとなった。

その頃、車掌によるこんな放送が入った。
「先ほど、三河安城駅を時間通りに通過いたしました。あと9分で名古屋到着です。お降りのお客さまは…」
そうそう。のぞみやひかりでは、こういう案内が入るのだった。(タモリさんが言っていたんだっけ?)

東京から名古屋までは、時折窓に雨粒が付き、ほとんどどんよりと暗い曇り空の中だった。
浜名湖
富士山は見えるはずもなく、茶畑やミカンの木は雨に霞み、浜名湖は空と同化した暗い色。

印象的だったのは、東京駅を出てすぐ「ドクターイエロー」とすれ違ったことと、小田原の手前(平塚市付近?)で
虹が出ていた!
だいぶ太く、両端まで良く見える虹だった。

秋田を出てから6時間と3分で名古屋まで到達。個人的にはけっこう早く感じられた。


ここで近鉄に乗り換え。名古屋も素通りして伊勢へ急ぎたいところだが、きっぷを買わないといけない。
JRの名古屋駅と近鉄の「近鉄名古屋」駅は隣り合っていてつながっている(名鉄や地下鉄も)が、きっぷ購入のためいったん外へ。
以前通ったことがあったので、近鉄百貨店の下である駅の場所は分かっているが、入るのは初めて。

事前の調べでは、百貨店の1階が正面改札で、地階にも大きな改札があり、どちらでもきっぷは購入できる。
道案内もあって分かりやすいが、行きも帰りもどうがんばっても地階の改札にしかたどりつけなかった。
ホーム自体が地階にある行き止まり構造の地下駅なので、改札と列車がすぐそばなのは便利ではあるが、上の中央改札も見てみたかった。
外側から地下改札。左が窓口、右が改札口ですぐにホーム
窓口が混雑していたら乗り遅れるかと心配していたが、待たずに買えた。
連休などは混むのかもしれないが、すぐ近くに近畿日本ツーリストもあるので、そっちで裏ワザ的に待たずに買えたりするのかな?

近鉄ではネット予約の特急券以外は、クレジットカード決済できない。
自動券売機では「PiTaPa」以外のIC乗車券も使用できず、よそ者は現金決済オンリー。

「伊勢・鳥羽2dayフリーきっぷ」を購入。
JRのよりやや大きい、横長で裏が白いきっぷ3枚と観光施設割引券と案内を兼ねた厚手の紙が渡された。JRの企画乗車券のように「ご案内」とか「アンケート」が何枚も出てこなくてすっきりしている。
横長裏白だから自動改札は利用できない。
 
3枚の切符の内訳は、「名古屋→フリー区間最初の下車駅(行き)」「フリー区間内の鉄道 兼 フリー区間→名古屋(フリーパス&帰り)」「バス用フリーパス」の構成。
名古屋からの券は最初に降りる時に渡してしまうこと、フリーエリア内と帰りが同じ券なので紛失しないこと(他社でもよくある方式)、フリーエリア内でも鉄道用とバス用は違う券なので間違えて提示しないことに注意。

特急券はもちろん窓口でも買えるけれど、じっくり席を選びたかったので、自動券売機で購入。
JRグループと同型のタッチパネル式(いわゆる「MV」端末)でシートマップ(座席表)を見ながら自由に席を選べる。
昔からの壁にムリヤリ新型券売機を埋め込んだらしく、設置位置が高すぎるところに、画面が上向きに傾斜しているから、液晶の視野角の外から見上げるような形で操作しなければならず、扱いづらかったのはなんとかしてほしい。
直近の列車で、空席が多そうな号車の海側を伊勢市駅まで確保した。

ここまで、新幹線を降りてから20分弱で完了した。特急発車まであと15分ほど。
余裕を持って段取りできて、あとは乗るだけなのでひと安心。


さて、僕が近鉄に乗車するのは今回で4度目のはず。
最初は高校の修学旅行で京都から奈良まで特急、あとは名古屋~津付近の2度の旅行で普通列車。【2月19日追記】忘れていたけれど、そのうち2010年には線路の幅がとても狭い「ナローゲージ」である四日市の内部・八王子線に乗った。同路線は、2015年4月から近鉄から離れて、公有民営方式による「四日市あすなろう鉄道」となる。(以上追記)
秋田にいては縁のない近鉄だけど、子どもの頃「特急ものしり百科」の類で読んだ、2階建てでオレンジ色に紺(ネイビーブルー)のラインが走る「ビスタカー」は、国鉄とは違う個性的な特急として印象づけられていた。
高校の修学旅行では賢島行きビスタカーの2階席だったけど、夜で何も見えず…
したがって、意識して近鉄特急に乗るのは、今回が初めて。

近鉄の特急について。JRなどとの大きな違いは「こまちx号」といった、愛称や号数(列車名)が付与されないこと。「○時○分発で○○まで」と予約する。
列車名を意識しなくても済むほど特急が系統立てて多数運行されているということであり、考えてみれば別に列車名などなくてもいいけど、JR方式に慣れた者にはちょっとしたカルチャーショック。
なお、「ビスタカー」とか「アーバンライナー」とかは、列車(ダイヤ)に対する愛称ではなく、車両に対する愛称。「しまかぜ」のように、実質的には列車名と同等に扱われている場合もある。

名古屋から伊勢方面へは、昼間は毎時2本の特急が運行されている。「名伊特急」と称されるようだ。
原則として名古屋毎時10分発の賢島行きと50分発の鳥羽(賢島より手前止まり)行き。

使われる車両タイプはいろいろある。一部時刻表や公式サイトの空席案内では識別できるのだが、列車名がなく、所要時間は同じなので、最初はこの違いがよく理解できなかった。
まとめると、伊勢方面では、現在次のタイプが走っている。
・しまかぜ
全席がグリーン車に相当する「デラックスシート」かそれ以上という、話題の豪華列車。1日1本で他の特急とは別のダイヤ。
・アーバンライナー、伊勢志摩ライナー
グリーン車相当の「デラックスカー」と普通車「レギュラーカー」がある、比較的新しい車両。
アーバンライナーと伊勢志摩ライナーで外観や内装は異なるが、結局はそんなに違わなさそう。
・ビスタカー
かつての近鉄のフラッグシップ車両。デラックスカーはないが2階建て席がある。
・無名
平屋のレギュラーカーのみの車両。
運転本数としては無名が最多で、それ以外が1時間に1本あるかないの頻度。

ホームに入る。あまり新しい雰囲気ではない。お菓子などの専門売店がいくつかあり、キオスク的存在の小型のファミリーマートがある。
発車10分前、車内整備が済んだ状態で列車が入線
今回乗る車両は無名の一般タイプ。印象にあるビスタカーと同じ顔だが、2階建て車両はない。
形式表示など見ないでしまったが、1970年台後半に登場した「12400系」の一族らしい。
子どもの頃本で見て修学旅行で乗ったビスタカーの30000系(今も現役)と同時期の設計・製造で、共通点が多いようだ。車内は太陽のような明るいイメージで「サニーカラー」でまとめられたことから、「サニーカー」とも呼ばれたそうだ。(現在の車内はリニューアル済み)
車内
時代を感じさせる車内。
国鉄特急を知る者としては、それと通ずるものもあり、初めて乗ったけど懐かしい気分になった。

15分前の購入時はガラガラだったはずなのに、ビジネスマンなどがけっこう乗り込んできた。直前の予約が多いようだ。

席に荷物を置いて、発車まで時間があるので先頭に行ってみると…
むむっ?!
後ろ4両はビスタカー顔の12400系で、その前2両だけは塗装は同じだけど丸っこくて屋根が高い、新しめの車両が連結されていた。

1992年登場の22000系、愛称「ACE」。(元々は「エーシーエー」らしいが、「エース」も公式に使われる)
アーバンライナーと同時期の製造で、その汎用版という位置付けらしい。

近鉄の無名の特急は、編成を組み替えて臨機応変な車両運用をしており、今回のように旧型と新型が混結することもあるのだった。新型のみのものも目撃した。
外から見ると、ACEのほうが車内もきれいそうだし、空席も多い。改札口から遠くて敬遠されたのだろうが、こっちにしておけば良かった!(帰りも、照明や荷棚はリニューアルされていたが、古い車両でした…)

近鉄はレール幅は新幹線と同じ標準軌だけど、車体幅は狭軌並み。ミニ新幹線みたいな感じか。天井は高い気がした。
座席は、今どきでは珍しくなった、リクライニングさせなくても違和感のない背もたれの座席(今の座席は、各自少し倒して座る前提で前のめり気味がデフォルトのものが多い)。リクライニングは途中でも止まる(フリーストップ)けど、座面が連動して前に出る。
肘掛けには布が張られ、座席間にはなし。テーブルは肘掛けに小さいものが収納されており、前方の背もたれには網袋のみ。
2列連続の窓の構造や位置関係とか座席の座り心地は、485系など国鉄特急に似ている。
最高速度120km/hの走りも、北陸本線や常磐線を485系電車で走っているのを連想させられるような、力強く懐かしいものだった。
車内に独特の「ニオイ」が漂っていた。イヤな臭いじゃないけど、好んで嗅ぎたくもないような、どこか懐かしいような。「近鉄臭」?(帰りの同型車ではしなかった)

車内販売は土休日の一部列車のみで実施。この車両は自販機もない。
車掌はJR東日本と同様の発券状況が分かる端末を持って巡回するので、(正しい席に座っていれば)車内検札はなし。

名古屋駅ホームでは、発車前にウエストミンスターチャイムと「ドナウ川のさざ波」というメロディが流れる。
名古屋を出て10分。
三重県境の木曽川を渡る
以前訪れた国道1号線尾張大橋がすぐ下流側を並走。
さらに2分ほどで、
長良川と揖斐川を渡る(以上が「木曽三川」)
同じく以前訪れた伊勢大橋は約1.4キロ、長良川河口堰は約1.8キロ下流に位置するが、雨に煙っていた。すぐに桑名着。

近鉄特急では、方面によっては途中の停車駅パターンを「甲」「乙」2タイプ用意し、「名伊甲特急」などと呼ぶ(一般人にどの程度認知されているかは知らない)。
今回乗ったのは、停車駅が多い乙特急で、伊勢市までは、桑名、近鉄四日市、白子、津、松坂、伊勢中川に停車。(甲特急では津だけ)
「白子(しろこ)」は初耳の地名だが、鈴鹿市。市役所などへは近鉄の別路線に乗り換え。

桑名や四日市で降りる人は少なく(JRの快速を使うのか)、白子、津、松阪でだいぶ降りて、乗り込む人は少なく、車内は空いた。
これは確実にタモリさんが言っていた(テレフォンショッキング内)が、以前、津へのアクセスの主流が近鉄であることを知らずにJRで向かったら、津駅で降りたのはタモリさん1人だけだったとか。(南紀方面への特急を使ったのかな。快速だったらさすがにそれはない)
【13日追記】そう言えば、以前津市を訪れた時、街中の観光案内が足りなく、観光地である伊勢を控えているのにいかがなものかと苦言を呈した。でも、鉄道で伊勢・鳥羽方面を訪れるとすれば、距離や宿泊施設の分布からすれば津で降りる必要はなく、基本的には素通りする街なのだった。

津から先は、初めて足を踏み入れる土地となる。
木曽三川や四日市の工業地帯を過ぎれば、あとは特に目を引く車窓風景はなかった。海側の席でも海は見えないようだ。
極端な田舎でも極端な都会でもない、住宅地と田畑が繰り返されるどこにでもありそうなものだが、初めて来たこの町でも、誰かが毎日の暮らしを送っていると思うと、旅情がかき立てられる。

松阪市の「伊勢中川」駅は、名古屋、大阪、宇治山田(鳥羽・賢島)方面の3路線が分岐する、近鉄の要衝。特急列車どうしの接続が取られ、乗務員が交代する。
びっくりするのが、左右両側のドアが開き、どちらからも乗り降りできること。(階段を使わないで乗り換えられるのは、どちら側ですという案内はある)行き帰りとも、右側のドアが先に開くとの案内があった。
JR以外の私鉄の一部では、ホームの構造上両側のドアが開く場合はあるが、乗車用と降車用で左右を分離するのが多いはず。そうでないのは初めて経験した。

伊勢中川の手前では、
本日2度目の虹
東海道の虹よりは細いけれど、青空に高くアーチを描いていた。

名古屋から1時間20分、秋田を発ってから7時間56分で伊勢市駅に到着。短くはなかったが、疲れはない。(大昔に秋田から歩いて伊勢参りしていたのに比べれば、ものすごく高速でラクだとも言える)
天気は良くなかったけれど2度も虹を見られたし、伊勢の街は雨上がりで日が差して、何やら幸先が良さそう?!(少なくとも傘を持ってこなくてギリギリ正解だったのにほっとした)

伊勢市駅のホームに降りると、すぐに改札口があるが、伊勢神宮へ行く場合はここを出てはいけない。
長い跨線橋を渡って、反対のJR側(南側)の改札口を出たほうが近いから。改札口も共用なので、JR東海の駅員に近鉄のきっぷを渡して出場。
このアングルではJR専用の改札口っぽいが、近鉄もここから出入りする。近鉄の券売機などは後方に控え目にある
今日のうちに外宮参拝をしておく

※近鉄のついてはこの記事も参照
コメント (4)
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