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今後はhttps://taic02.hatenablog.jp/で更新します

夕暮れの下社秋宮

2016-07-12 21:13:58 | 旅行記
諏訪訪問の続き。

上諏訪のホテルにチェックインして、せっかくだから一風呂浴びて汗を流す。
古くからのいい温泉ならではの、クセがないさらりとしたお湯。
そんな温泉を楽しんでいたら、日暮れが近くなってしまった。

諏訪に来たからには、諏訪大社へ参拝しておきたい。
前回述べたように、諏訪大社は上社、下社がそれぞれ2つのお宮を持つため、4か所に分散している。
伊勢神宮では、外宮→内宮の順に参拝するべきとされていたが、諏訪大社では、特に作法はないとされているらしい。上社と下社で格が違うわけでもない。

そこで、勝手ながら、いちばんアクセスが手軽な所へお参りすることにした。
下諏訪駅から歩いて700メートルほどにある「下社秋宮」。

上諏訪から下諏訪駅へ行くには、湖畔を走るコミュニティバス「スワンバス」かJR中央本線。
バスは150円だけど、所要時間20分弱で、1~2時間に1本程度。
JRは、紙のきっぷで190円・IC乗車券で185円、所要4分、1時間に2本。
Suicaで下り普通電車に乗って、下諏訪へ。
下諏訪駅。左右に御柱が立つ
上諏訪駅よりは小規模だけど、立派な駅舎。駅舎後方、線路を越えて900メートルほどが諏訪湖畔。

正面の道を200メートル直進。最初の交差点で国道20号線へ右折、途中から国道142号線になる。
国道は旧中仙道で、それにふさわしく、きれいに整備されている。歩道もしっかりしていて、上諏訪駅前よりは観光地っぽくて歩きやすい。夕暮れ時でひっそりしているけど。
緩い上り坂になっていて、思ったより遠く感じた頃、突き当りに秋宮が。(国道は脇にそれて幅が狭くなる)
駅方向を振り返る

諏訪大社下社秋宮
この日は、御柱祭の一連の祭事の1つ「下社里曳き」の直前であったため、準備が行われていた。
 
夕暮れの中、うっそうと木が茂り、荘厳な趣き。

狛犬さんが大きい
上の建物は神楽殿。大注連縄は重さ約1トンで、御柱祭ごとに新しくされるそう。この時は新しくなっていたのかな。
その後ろが幣拝殿
どちらも1800年前後に建てられたもので、重要文化財。
暗くなってきたけれど、参拝者はほかにも数組。灯りが灯って厳粛な雰囲気。

参拝して満足して帰路に就いたけれど、暗かったせいか、現地では気づかないでしまったことがあった。
2本しか見なかった柱は、幣拝殿の周りに全部で4本立っているそう。御柱祭の関係で囲いがされていたものもあったから、一時的になくなっていたのか?
それと、手水舎とは別に「温泉手水」があるのを見逃した。手水舎は冷たい水だったが、そちらは温泉だそう。【2022年の再訪時に見ることができた。↓下のリンク先参照】

秋宮の周りには、温泉街(上諏訪温泉とは別源泉)や中山道と甲州街道の合流地点がある。
高札場(復元)
下社のもう1つの春宮には、秋宮からも下諏訪駅からも1キロほどだそう。もう少し時間があれば、じっくり見たい町だった。
上社のほうにも行ってみたい。諏訪湖1周とか、(チョーさんの階段よりも)高い位置から諏訪湖を見下ろしてみるのも良さそう。いつかまた。→2022年に再訪

旅行記はこの翌日へ続きます

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探検諏訪のまち

2016-07-11 23:05:20 | 旅行記
信州旅行記。上諏訪周辺について。
前回の記事で少々触れたように、中央本線の駅名で岡谷-下諏訪-上諏訪にかけてが、諏訪湖の沿岸。自治体名では岡谷市、下諏訪町、諏訪市。上諏訪は諏訪市にある。
「諏訪地域」という長野県のエリアの分け方では、もう少し広範囲の6つの市町村を指す。

諏訪で連想するのは、諏訪湖、諏訪湖で厳冬期に起きる「御神渡り」、今年あった諏訪大社の「御柱祭」、セイコーエプソンなど精密機械工業辺りだろうか。
諏訪大社は、上社と下社それぞれ2つのお宮があるので、4か所に分散。下社は2つとも下諏訪町内にあるが、上社は諏訪市と隣の茅野市に1つずつある。
あと、「がんばらない」でおなじみの鎌田實氏が名誉院長を務める「諏訪中央病院」もこの辺りにあるのだと予想していたら、茅野市に所在。茅野市、諏訪市、原村の3自治体で運営する病院だそう。
人口は、下諏訪町が2万人、茅野、諏訪、岡谷各市がいずれも5万人前後(茅野がわずかに多い)。


個人的には、諏訪といえば「たんけんぼくのまち」、「かりん」、そして諏訪愛宕神社。
「たんけんぼくのまち」は、1984年から1992年3月まで放送された、NHK教育テレビの小学3年生向け社会科の学校放送。
「チョーさん」が地域のお店の住み込み店員となって修業しながら、その土地への理解を深めていく内容で、チョーさんのキャラクターと当時の学校放送としては斬新なバラエティ色が濃い内容で、視聴した世代には伝説的な存在である。
チョーさんは、実在するお店(今は少なくなった、八百屋さんと魚屋さんと雑貨屋さんを一体化して、配達もしてくれるような個人商店)で働いている設定で、1~2年ごとに土地が変わった。
6か所が舞台となったが、最初の1984~1985年度が諏訪市、5か所目の1990年度が岡谷市だった。他の土地も含めて、いずれも関東周辺が選ばれているのは、東京から打ち合わせやロケに行きやすかったからだろうか。
僕が学校で見ていたのは、諏訪市版。番組内では「上諏訪」と呼ばれていたはず。僕が諏訪という土地を知ったのは、この番組でだった。


「かりん」は、1993年度後半に放送された、NHK連続テレビ小説。
朝ドラ50作目(だからといって別段記念作とかではなさそう)で、松原敏春作。主演は細川直美。ほかに榎木孝明、石坂浩二、つみきみほ、筒井道隆など。
戦後間もない、諏訪の味噌蔵を舞台にしたドラマだけど、内容はあまり覚えていない。

タイトルにもなった「かりん」は、地元に多い果樹のこと。これについては、大学で「信州ではマルメロのことをカリンと呼ぶ。ドラマの映像ではちゃんとマルメロが使われており、実態に即している」という話を聞いた

インパクトがあったのは、主題歌。当時の朝ドラとしては珍しく歌付き。(歌詞のある新作曲が使われたのは、2作前の「ひらり」のドリカムの「晴れたらいいね」に次いで2作目だろうか)
井上陽水の「カナディアン アコーデオン」(作詞 井上陽水、作曲 筒美京平)。
歌詞に「森のあいだを曲線の道が」「深いブルーに沈み込んだ湖」といったフレーズがあり、それをドラマの舞台の諏訪にある湖=諏訪湖と結びつけてしまっていた。

また、ちょうど放送時に、高校の地理で、日本列島を2つに分ける「フォッサマグナ(※)」が諏訪湖を通ることを習った。※正確には糸魚川静岡構造線と中央構造線。
このこともあって、訪れたことのない諏訪湖(たんけんぼくのまちでも映ったはずだけど、記憶になく)は、山深いところにひっそりとたたずむ湖なのだと、思いこんでいた。
その後、地図を見たり、「あずさ」で通りかかったり、テレビやネットで見て、そうでもなさそうなことは分かったけど。


そして、諏訪愛宕神社は、秋田市中央部にある神社である。(この記事後半)
名前の通り、全国に2万5千社あるという諏訪神社の1つ。
大きな神社ではないが、地域の神様として大切にされ、「保戸野すわ町」という町名にもなっていて、多少なりとも親しみがある。
諏訪大社の存在は、子どもの頃は知らなかったはずだけど、いつの間にか、その総本社がある諏訪にも親近感を持つようになった。


そんなわけで、諏訪にはいつか訪れたいと思っていた。
駅の近くに、ビジネスホテルなど低料金で泊まれる温泉がある上諏訪を宿泊地に選んだのだった。
※下諏訪にも温泉があるが、上諏訪ほど大規模ではなく、泉質も異なる。
※以下、紹介は時系列ではありません。

前回も紹介した、上諏訪駅前。

諏訪湖と反対側にある駅出口と国道20号線をはさんで向かい合う、大きな建物が解体中。

1979年にできた商業施設・公共施設「スワプラザ」。かつては隣に温泉がある百貨店もあったそうで、その跡とともに再開発で新しいものができる計画らしい。
現状では、上諏訪駅周辺には大きな商業施設はない。岡谷や茅野にあった百貨店もなくなったそうで、郊外型でないもので残るのは下諏訪のイオン(イオン諏訪店。1977年にジャスコとして開店)くらいなんだろうか。
2022年10月の再訪時の状況・スワプラザ跡には新しく「アーク諏訪」が2019年にできていた。また、下諏訪町のイオン諏訪店は2018年で閉店・解体。跡地に再建する話はあるが、動きはないとのこと。反対隣の茅野市との境には、2018年にイオン諏訪ステーションパーク店(元はダイエー系・グルメシティ諏訪インター店だった建物だそう)がオープンしている。】


上諏訪は正面出口反対側が、温泉街と諏訪湖。
臨時改札口はあるそうだが、通常は改札を出て、歩行者用跨線橋で線路を渡る。
道は一直線ではないけれど、駅を背にして温泉宿が点在する道を300メートルほど進めば、諏訪湖畔。
こんな建物も(外観を見ただけ)
昭和3年にできた「千人風呂」などがある重要文化財の温泉施設「片倉館」。

湖岸の道路は交通量が多い。信号機のない横断歩道もあったけど、横断するのはちょっと怖い。信号機は「押しボタン式歩車分離」のものもあり、一見普通の交差点だけど、ボタンを押さないと永久に横断できないので注意。(長野県はこの方式が多かった)
これが念願の、
諏訪湖!
駅近くの湖畔は「諏訪湖畔公園」として整備されている。1986年にセイコーエプソン創立25周年記念事業として、諏訪市へ寄贈されたもので、黒川紀章監修。

湖全体がぐるりと見渡せ、なかなかいい眺め。
ただ、平地の湖という感じだし、対岸まで町並みが囲んでいる。「カナディアンアコーデオン」を信じていたら、裏切られたと思ってしまいそう。

ただし、この土地自体の標高は、スマホのGPSによれば810メートル前後もあるので、「平地」ともまた違うのかもしれない。(ちなみに駅の標高は松本600メートル弱、長野700メートル弱)
秋田や青森の田沢湖、十和田湖と比較すると、水面の標高は諏訪湖のほうがずっと高い。湖の大きさや深さでは、諏訪湖が小さい。

ちょっと移動して、同じ公園内。

この中央部へズームすると、
対岸が岡谷~下諏訪の町。奥にわずかに北アルプス
下諏訪辺りから見ると、諏訪湖の向こうに富士山が見えるそうだ。
今回は時間がなくてこの程度の諏訪湖畔。ほかに湖畔には間欠泉(人工)や別の入浴施設などもある。全面凍結して御神渡りができたところなど、いつか見てみたい。


最近まで知らなかったけれど、上諏訪は城下町。
駅から(線路の諏訪湖側を南方向へ)1キロほどのところに「高島城」があり、本丸が整備されて天守が復元されていた。ちょっとだけ訪問。
城跡周辺は、一直線ではない狭い道路で、迷いそうになった。
元々は諏訪湖に突き出た水城だったそうだが、江戸時代から干拓されて、今は湖畔までは700メートルほど。
逆光ですが堀と石垣。右が天守。ずっと右方が諏訪湖
上の写真は、北東角・諏訪市役所そばの「高島城」交差点。
この場所が、1984年の「たんけんぼくのまち」第1回に映っていた(DVDで視聴。僕がリアルタイムで見たのは翌1985年度なので、そのシーンはなかったはず)。
道に迷ったチョーさんが、この辺りをうろついていた。四角い信号機が映っていたのがこの交差点のはず。テレビよりも狭く感じた。

現在は茶色いLED信号機が付いているが、「高島城」の地点名表示板は、当時のものを使い回しているみたい。

昔は諏訪湖とつながっていたであろうお堀も、今はコンパクト
ところで、1971年の小柳ルミ子のデビュー曲「わたしの城下町(作詞 安井かずみ、作曲 平尾昌晃)」のモチーフになった城下町が、この高島城跡の諏訪だそう。(近年、テレビで知った)
平尾昌晃が岡谷の病院に入院していた時に着想を得たのだとか。(詞じゃなくて曲のイメージがということなのかな【2020年3月21日追記・歌詞では京都をイメージしているとのこと。】)
そう思ってお城の周りを歩くと、なんとなく納得できたような気がした。


冒頭の上諏訪駅前の写真で分かるように、諏訪湖と反対側は山になっていて、駅・国道の東側の住宅街は高い所にある。
駅から国道を北へ250メートルほど進み、薬局の角の小路を右折して100メートル強進むと、
上へ行く階段
下が湯の脇2丁目、上が同1丁目のようだ。
この階段も「たんけんぼくのまち」第1回の舞台。上諏訪駅を降りたチョーさんが道に迷い、高いところから見渡すことで、町の全貌を把握する重要な(?)場所なのである。(その後再び高島城で迷うのだけど)
 
高いところから見渡すのは、(当時も今も?)小3社会のお約束らしい。そういえば、僕たちも校舎3階から眺めたな。

2009年にチョーさんが25年ぶりに上諏訪を訪れた特番(DVD収録)でも、改めてこの階段を訪れていた。
横長で鮮明なハイビジョン映像、さらに今はストリートビューもあって、現地は容易に特定できた(脇の旅館が決め手)。1984年当時とは、階段の手すりが違っている。

階段のてっぺん近くの脇に、わずかに平坦な場所があって、公園風になっていた。「馬頭観音境内」という表示があり、お堂があった。
チョーさんも、ここから眺めたはず。
正面には温泉街
真正面は旅館などの建物にさえぎられて、500メートル先のはずの諏訪湖は見えない。
右(北)方向は湖面が見える

左方向も建物
左方向4キロほど先、豊田地区(中央道諏訪湖SAの手前)というところに、チョーさんが住みこんでいたおじさんのお店があったのだが、見えない。2009年に再訪したチョーさんは「(25年前より)建物が増えた」と言っていた。
豊田地区へのアクセスなどについて2022年の記事


諏訪市内の路線バスは、自治体が民間バス会社に委託運行するコミュニティバスがメイン。
路線網は比較的充実していて、運賃は150円均一なので、諏訪湖周辺、諏訪大社等への観光にも使えるのだけど、路線が複雑でもあり、よそ者には分かりづらい。(自治体ホームページに路線図や時刻表は掲載されている)
バス停には「スワンバス」と「かりんちゃんバス」
「かりんちゃんバス」は諏訪市単独のコミュニティバス、「スワンバス」は岡谷市、下諏訪町、諏訪市の湖岸3自治体で運行する湖畔を1周するコミュニティバス(観光バスではなく、1周1時間50分かかる)。
岡谷と下諏訪も、それぞれ単独のコミュニティバスを運行している。

時間の制約で、上諏訪はこんなところでした。諏訪大社の上社も割愛。下社へ行ったので、続きます
コメント (2)
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諏訪周辺のJR

2016-07-03 20:33:30 | 旅行記
信州旅行記。※前回の記事
長野から松本、塩尻から中央本線に入って上諏訪へ。
ここで諏訪周辺のJRについて。特急「スーパーあずさ」「あずさ」が通る、塩尻から上り方面の中央本線の駅は、 塩尻-みどり湖-岡谷-下諏訪-上諏訪-茅野(ちの) の順。岡谷から上諏訪にかけては、諏訪湖に沿って走る。
特急は、みどり湖は全列車通過、上諏訪と茅野は全列車停車。他の駅は一部列車が停車。みどり湖を除く各駅に停まるものもある。
略図
塩尻~岡谷間は、西側を大回りする別ルート「辰野支線」もあり、普通列車だけが走っている。元々はこちらが本線で、1983年に「塩嶺トンネル(5994メートル)」を抜けるみどり湖経由の新ルートができたため、支線となってしまった。塩尻~岡谷は、みどり湖回りでは約12キロ、辰野回りでは約28キロ。
辰野駅からはJR東海・飯田線が出ていて、飯田線と中央本線(主に岡谷方面)を直通する列車もある。
そんな少々複雑な位置関係のため、慣れない者がここらで普通列車を利用する時は、少々戸惑ってしまう。


(時間が飛びますが)上諏訪に泊まった翌朝、松本へ普通列車で戻ることにした。
駅へ行くと、「松本行き」の直前に「豊橋行き」がある。
戸惑ったが、落ち着いて路線図を見ると「辰野経由・飯田線直通 豊橋行き」。2つ先の岡谷駅までは松本行きと同じ線路を走る。
とりあえず、ホームへ出ることにした。ホームにいたのは、
JR東日本の駅にJR東海の車両
見慣れた緑色ラインの駅名標の下には、オレンジ色ラインのJR東海313系電車。
313系は先頭部だけは白いから、登場時は当時流行していた色白美容家に見立てて「(鈴木)その子」あるいは「(志村けんの)バカ殿」と鉄道愛好家の一部には呼ばれたものだ。
JR東海エリアでは広く導入されている車両で、個人的には、首都圏から東海道本線を西へ進み、熱海でこの電車を見ると、「JR東海エリアへ、そして静岡へ来たんだな」と実感させられる。
熱海以外のJR東日本エリアでその電車を見ることになるとは、不思議な気持ち。

車両正面の行き先は「豊橋」だけだったが、ホームの発車標は「飯田線直通」と枠で囲んで表示していた。

313系は外観は同じでも、投入地域・路線の特性に応じて車内の座席配置はさまざま。この時のは3両編成で、2人掛けの転換クロスシート。ドアボタン式半自動ドアなど、寒冷地の装備がある。
行き先表示が白色LEDだったりして新しそうだけど、製造からもう10年近く経つ。

この区間で使われるJR東日本の普通列車は、国鉄時代からの211系(近年、秋田総合車両センターなどで小改造したもの)で、窓を背にするロングシートが多い(一部ボックスシート)。
一方、313系の乗り心地はとても良く、しかもこれはクロスシートだから快適。車内は混んでいないことだし、岡谷まで313系で先行することにした。

JR東日本の車掌が乗務。
313系では、車外のスピーカーから乗車を促すチャイムを鳴らすことができる。静岡近辺ではホームの発車メロディー代わりによく聞くことができる音で、それもJR東海エリアへ来たことと313系を象徴させるものだった。
この車両にも搭載されているのだろうけれど、1回も聞くことができなかった。JR東日本では鳴らさない/鳴らせない決まりなのか、JR東海への対抗心として鳴らしたくないのか。

滑らかに進む313系に乗って、上諏訪から岡谷までは10分ちょっと。あっという間に到着。
列車にとってはまだまだ序の口で豊橋到着は7時間後。飯田線は駅が多いのだ。
岡谷駅にて
後から来た211系に乗り換えて、塩尻へ向かった。塩嶺トンネルはどこか丹那トンネルに似ていた。
仲が悪いと言われるJR東日本とJR東海。長野地区では、それなりにうまくやっているみたい。なのかな?


ところで、この辺りのJR東日本中央本線では、「一部の駅に限って」Suicaなどの電子マネーで乗車できる。
首都圏のSuicaエリアを「点」で拡大する形で、2014年(この記事で少々取り上げた)から実施。
対応駅が特急停車駅や観光地に限られている(=首都圏からの利用客が多い駅)ほか、定期券は従来通りなので、地元の人たちにはさほど普及しているわけではなさそう。
上諏訪駅近距離自動券売機
上諏訪駅の券売機の間に、小さい掲示が出ていた。
「こちらの駅ではIC乗車券をご利用いただけます」
上の表記載の各駅相互、それに各駅と韮崎から先の首都圏Suicaエリア各駅で利用できる。

上の地図式運賃表左には、
「ICカードご利用時の運賃対応表」
IC乗車券の運賃は、1円刻みで設定されていて、10円刻みの紙のきっぷとは運賃が異なることがある(どちらが安いかは区間次第)。地図には紙のきっぷの運賃しか出ていないので、ICならいくらになるかを示す対応表。
1940円以上は地図には出ていないのだが、対応表には書いてある。


上諏訪駅といえば、1番線に…
車両は211系
改札口とは別に、のれんがかかっていて、その奥は、
足湯
駅前がすぐ上諏訪温泉なので、そのお湯を引いている。元々は全身がつかれる風呂だったのを、2002年に足湯に改装。部活帰りの高校生みたいな人たちが浸かっていた。

上諏訪駅は、諏訪湖・温泉街と反対側、国道20号に面して駅舎がある。
駅舎の向こう側が諏訪湖
その南側・上の写真奥の自由通路の下にこんなものがあった。
「JR東日本上諏訪駅カルチャー教室」
日程も表示されていて、書道、パッチワークキルト、いけばなが、のべ週4日開催されている模様。
看板以外は目立たずひっそりとしたたたずまいだし、そもそも扉付きフェンスで仕切られていて、中へ入ることはできない。
JR東日本社員や関係者向けの教室ってことでしょうか。※2022年10月時点でも変わらず存在していた
上諏訪には、昔は機関区があり、2013年まで松本運輸区上諏訪支区として存続していたとのこと。

諏訪について続きます

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信州特急料金回数券と姥捨

2016-06-30 00:31:21 | 旅行記
信州旅行記。※前回の記事
長野市を後に、今日の宿泊地・上諏訪へ。上諏訪は中央本線沿いだから、まずは松本へ向かう。

長野市と松本市は、JRでは62.7キロの距離。高速バスは、1時間に1本、所要時間1時間半、通常運賃1100円(往復割引等あり)。
今回は、秋田から通しの乗車券が使えるから、運賃はJRのほうが割安。普通列車だと、毎時ほぼ1本で所要時間は1時間10分。特急は、長野-名古屋を結ぶ特急「(ワイドビュー)しなの」が毎時1本、所要時間約50分。自由席特急料金は1180円。
昔、松本から長野まで、しなのの自由席に乗ったことがあったが、自由席は混雑していた。しなのは自由席は常に2両だけだそうで、1180円も払って座れなければもったいない。

普通列車にしようかなと思いつつ、「おトクなきっぷ」を調べると、いいものがあった。【このきっぷは2019年春で名称・効力が変更されました。以下は変更以前の内容です
信州特急料金回数券」である。
長野県内JR東日本エリアの特急運行区間
長野-松本のみならず、長野県内のJR東日本エリアのすべての特急の自由席に利用できる回数券。
しかも、松本駅や塩尻駅で「しなの」と「あずさ」を乗り継ぐ場合は、通常なら特急券を分けて買わないといけないが、この回数券なら1回分の券で通しで利用できる。ただし、北陸(長野)新幹線、「しなの」のJR東海区間は利用できない。
乗車券は別途必要だが、特急の乗車券として有効な他のフリーきっぷ等でも可(青春18きっぷ等特急乗車券として使えないものは不可)。
4枚つづり・1か月有効で2040円。利用条件・価格等は利用の都度、各自ご確認願います。

したがって、正規料金1180円の長野-松本なら、2回使うだけでモトが取れてしまうのだ。
さらに、「しなの」に限り、自由席の車両だけでなく、普通車指定席の空席に座ることも可能! ※信州特急料金回数券のみの特例で、普通の自由席特急券ではダメ。

これって、かなりお得じゃありません?!
これの秋田県版「秋田特急料金回数券」があってもいいのでは? 「こまち」も利用できるようにして。秋田支社さん、いかがでしょう。

長野駅の指定席券売機で購入。在来線側にも新幹線側にもあった。
長野エリアはおトクなきっぷが多く出ているせいか、画面がやや複雑。階層が深くて、「おトクなきっぷ」を選んだ後、2ページ目の画面で「松本・塩尻方面」とかいう方面を選んで、その中にやっと「信州特急料金回数券」があった。

秋田駅なら、指定席券売機の周りにみどりの窓口と同じ乗車券袋が置いてあるものだけど、長野駅にはひとつもなかった。この点は秋田支社のほうが親切。
ビューカードでは、利用可能額の中に、「指定商品利用可能額」というのが別に設定されている。Suicaチャージや料金回数券がそこに含まれるので、信州特急料金回数券も該当した。換金目的で大量購入されるのを防止するためなんだろうけど、個人的には別段困ることはない。

定期券サイズの本券4枚のほか、横長の表紙とアンケート付き。

券面の区間は「富士見~南小谷または松本~長野の1駅 → 富士見~南小谷または松本~長野の1駅」と表示。
ちょっと面食らったが、要は長野県内東日本エリアなら、どの駅でも乗れて、どの駅でも降りられるという意味。
急行にも乗れるんだ。走っていればの話だけど。


名古屋行き「しなの」は、大部分が長野駅を毎時00分発。
乗ることにした16号は例外で、14時04分発。途中停車駅は他と同じ篠ノ井駅1つだけで、松本までの所要時間は48分と少し短い。わずかながら俊足の列車。今年3月までは名古屋から先、東海道本線に乗り入れて大阪まで行っていたダイヤだった。

しなのは、JR東海の383系電車。1994年から走る、カーブを高速で通過できる「振り子式」車両。
「ワイドビュー」の愛称を象徴するパノラマタイプの先頭グリーン車、JR東海らしいステンレスボディにオレンジ色のラインが、東日本エリアでは異彩を放つ。

しなのは基本的に6両編成。増結して8両や10両で走る場合もある。
毎日なのかは分からないが、16号は10両のことが多いそうで、この時も堂々の10両編成。
逆光ですが編成の長さをご覧ください
しかも、グリーン車が1号車と7号車の2両も付いている。
編成どうしの中間連結部
でも、自由席はやっぱり2両だけ。座りきれるかは分からないけれど、けっこうな人が乗り込んでいた。
それを尻目に指定席へ。(グリーン車を除いて)6両もあるからかえって迷ってしまうけれど、どの車両もだいぶ空いている。5人くらいしか座っていない、特に空いた車両に目星を付ける。

全席指定の秋田新幹線「こまち」で、特定特急券で乗った場合、先に座っていると後から指定券を持った人が来て、面倒(席移動の手間のほか、互いに少々気まずかったり/申し訳なかったり、相手が物分りの悪い人だったり…)。
今回も同じ不安があるので、発車ぎりぎりに着席。
途中停車駅は小さな駅1つだけだから、そこからこの席に人が来る確率は低い。
国鉄時代の381系を踏襲したトレインマーク
最近のJR東日本の特急とは、どこか違う乗り心地と座り心地。振り子式のせいもあるかもしれないが、振り子式車両特有の車両が大きく傾く感覚はない。悪くはない。(所々くたびれた設備もあったけど)
カーブで前方に先頭車が見えるのは、長編成列車ならでは
車掌は、東日本区間最後の塩尻まで、長野総合運輸区の人が2名乗務。「総合運輸区」という名称からして、北陸新幹線のほうも担当するのだろうか。
車内販売は、JR東海区間も含めて全区間なし。ちなみに北陸新幹線でも「あさま」ではなくなって、長野にはNREの支店もないそうだ(松本にはある)。

14時12分に篠ノ井駅着・発。信越本線から篠ノ井線に入る。
発車後、車掌から「日本三大車窓」である「姨捨(駅名の読みは、おばすて)」の案内がある。長野市がある盆地・善光寺平を見渡せ、棚田や夜景も眺められる場所。14時22分頃通過するとのこと。
姨捨駅は、本線から分岐した位置にあり、普通列車はスイッチバックをする。特急は本線を一気に通過。
車窓を楽しめるのは、上り列車では左側。東向きだから、朝は逆光になりそう。

以前通った時は、上記の通り混んでいて反対側の通路側の席で、よく見られなかった。
今回は、空いた車内から眺められ、通過時刻まで教えてくれたので、万全の体制。近くの席に1人で乗っていた、欧米系外国人男性を初め、他のお客も左側を注目。
左に大きくカーブすると、視界が開けた。

すると、車掌が現れた。もしや…
「乗車券・特急券を拝見します」
って、このタイミングで車内検札!【30日追記】指定券発券状況が分かる端末は使用しておらず、全員に検札を実施。

車内検札が大事な仕事なのは分かるけど、このくらいの乗車状況なら、姥捨通過まで待ってくれてもいいのでは…
しかも、来たのは、たぶんさっき案内放送を入れてくれた車掌さん。気が利いた放送をしてくれると好感を持ったけれど、ルーティン(←悪い意味で)で放送しただけだったのね…

秋田発の乗車券+信州特急料金回数券の組み合わせにスタンプを入れてもらい、あわてて窓を見る。
手前に棚田。奥が長野市街

手前は千曲川(新潟県における信濃川)
姥捨駅は今走っている線路の下にあるので、その位置は分かりにくい。普通電車の姿が見えたが、そこか。
減速せずに通っただけだったが、数分間は角度を変えながら風景を楽しめた。
今度は右へカーブして向きを変えて、姥捨の車窓は終わった。
※姥捨駅で長時間停車したり、夜景を鑑賞できたりする観光列車もあるので、じっくり楽しむこともできる。

帰りに乗った下りしなのでは、車窓の案内放送はなかった。
帰りに撮影
高架は北陸新幹線か。この付近では、千曲川の両岸で篠ノ井線とほぼ並行している。


右車窓に北アルプスの山並みが徐々に大きくなり、松本に到着。
このまま上諏訪へ向かうので、信州特急料金回数券の恩恵を受けるべく「あずさ」に乗り継ぐ。次の塩尻駅(ここが篠ノ井線の終点)でもいいけれど、松本のほうが無難と判断。
松本駅の発車標。右の「両数」欄には「試験中」というラベルが貼ってあった
松本駅改札内通路の発車標を見て、忘れていたことを思い出した。
「しなの」は「L(エル)特急」だった!
L特急は、国鉄が1972年に定めた、特急列車の一部を指す愛称。本数が多く、運行時刻が統一されて自由席がある特急のことで、「L」と列車の横顔をモチーフにしたマークも作られた。
後にL特急とそうでない特急の区別があいまいになってきて、2002年にJR東日本が(他社からの乗り入れ列車を除いて)L特急の呼称を廃止したのを皮切りに、他社も追随。今はJR北海道とJR東海だけで使われている。

今回は「しなの」の放送でも、車両の表示でも、L特急の案内はなかった。JR東海自身が、積極的に使わなくなっているのか、乗り入れ先のJR東日本への遠慮なのか。
383系側面の行き先表示
反対に松本駅では、JR東海に気を使ったのか、律儀にマークを出しているのがおもしろい。(長野駅は見なかったけどどうなんだろう?)
 英語でも表示

あずさは自由席にしか座れないが、自由席は3両。松本発車時点では余裕で座れた。
塩尻、岡谷、下諏訪とこまめに停車して、松本から30分弱。右に諏訪湖が近づけば、上諏訪到着。続きます

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長野市のスーパー

2016-06-26 21:33:07 | 旅行記
信州旅行記(前回の記事)。長野市街地のスーパーなどのお店について。
百貨店は、長野駅善光寺口を出て右、長野大通り側に「ながの東急百貨店」。
長野電鉄で長野駅から4~5駅目周辺に、かつてジャスコ(1975~2007年)があり、2014年にイオンタウン長野三輪(核店舗はザ・ビッグ)として営業再開。今はイオンリテール(旧ジャスコ・サティ)の店舗はないようだ。


前回取り上げたように、長野駅から長野電鉄で2駅の権堂駅の上、長野大通り沿いに、長野電鉄所有のビルのテナントとして、イトーヨーカドー長野店(1978年開店)が入る。
ちょっと狭いけど平均的なヨーカドーといった感じ。名産である杏のお菓子など、手頃なおみやげがけっこう揃っていた。

イトーヨーカドー長野店は、県外他店舗よりも、看板が目立つ気がした。
前回掲載の権堂駅出口の写真にも、建物と独立した縦位置の「Ito Yokado」が設置されていた。外壁には、

下の正方形の鳥マークの看板は、他店舗でも見かける。上の縦長の鳥マークの2色の看板は、あまり見かけないはず。

屋上の看板は、他店舗より2回りくらい大きそう。今はやや控えめに「7&i」マークが入っていたが、以前は大きな鳥がいたのかも。
長電権堂ビル。ここから見るとヨーカドー色が薄い
上の写真では、右が長野大通り、後方が長野駅、左が善光寺表参道(中央通り)。

イトーヨーカドーから表参道までは、400メートルほどのアーケード商店街。「権堂商店街」「権堂アーケード」などと呼ばれる。

1995年に架け替えられた高いアーケードの両側に店が並ぶ。裏には夜の飲食店などがあり、繁華街・歓楽街渾然一体となった感じ。長野随一の繁華街で2002年時点で1日2万5000人が通行していたとのこと。
観光客よりは地元向けの商店街か。昔よりは寂れているのかもしれないけれど、最近の地方都市の商店街としては活気があるほうでしょう。
【2023年5月21日追記・イトーヨーカドー長野店は2020年6月で閉店。跡には地元企業「綿半」が入った。単なるテナント入れ替えや完全建て替えではなく、ヨーカドー時代の5階建てのビルを2階建てに減築して改装したとのこと。建物名は「長電権堂ビル」から「権堂ウエストプラザ」になり、核テナントが「綿半スーパーセンター権堂店」。】


ダイエー秋田店に思い入れがある者として気になるのが、他の地方都市でかつてのダイエーがどうなっているか。
これが元・ダイエー長野店
長野駅から表参道を700メートルほど、長野電鉄では長野と権堂の間の市役所前駅から400メートル弱の「新田町」交差点に、建物が残っていた。8階建てで大きく、やや古めかしい趣き。

「長野センタービル」というビルにダイエー長野店が1976年開店し、2000年に閉店。(ダイエーとしては長野市郊外のオリンピックプレスセンターの跡に移転した形だったが、それも2005年に撤退。)
建物を長野市が取得し、2003年に「もんぜんぷら座」としてオープン。

「株式会社まちづくり長野」という第3セクターが運営し、行政機関、市民活動や学習スペース、NTTソルコのオフィスが入っている。
今知ったけど、上のほうのフロアにも、自由に立ち入れる部分があるようだ。そこから市街地を展望できるかな、と思ったけど、こういう建物って窓がとても少ないから、無理かな?

1階は「トマト食品館」という食品スーパー。これも同じ3セクによる直営らしい。
なめたけやジュースなどを作る「ナガノトマト」とは無関係でしょうね。あちらは松本市の企業。
スーパーには入ってみた。充分な品揃えで、市街地に住む人のニーズに応えているようだ。ただし、旅行客としては、信州ならでは長野市ならではの品揃えがもっとあってもいい。地元スーパーが選んだ地元商品を買えたら楽しいのに。この点では、イトーヨーカドー長野店のほうが上手だと思った。


長野の地元スーパーとしては「デリシア」というのが幅を利かせているらしい。アルピコ交通グループの企業。
店舗ブランドは複数あり、企業名は今春、アップルランドからデリシアに変更。
松本近隣のイトーヨーカドーの食品売り場を担当している(いた)店もあり、イトーヨーカドーとは良好な関係らしく、全店でnanaco決済ができる。ヨーカドーにとっては競合他社であるスーパーで使えるとは珍しい。

その1つ、長野市内の「マツヤ」へ入ってみた。
すると、パンやまんじゅうなんかが置いてある辺りに、平べったくて丸いあんドーナツがあった。
秋田県北秋田市の山口製菓店の「アンドーナツ」だ。
秋田ではスーパーでわりと売られている。まさか信州まで来ているとは信じられず、そっくりな別物かと思ったが、まぎれもなく本物。
わりと広範囲に流通しているようだ。


最後に、こんなスーパーも。
長野駅善光寺口を出て左。ホテルメトロポリタン長野の横から線路沿いの小さな道を信越本線上り方面へ進む。
秋田駅のメトロポリタン秋田から北側、あるいは弘前駅のホテルナクアシティ弘前から南側のような雰囲気の場所。典型的な地方都市の大きな駅の線路沿いの裏道ってことか。
駅から400メートルの辺りに、
このスーパー
平屋の平べったい建物で分かりにくいけれど、
「生鮮市場JC長野中央店」
JR東日本長野支社の子会社「しなのエンタープライズ株式会社」、2011年からは合併により「株式会社ステーションビルMIDORI」が「生鮮事業」として運営するスーパー。国鉄共済組合物資部という、職員の購買部的なものが発展した形らしい。
現在はこの長野中央店1店舗だけだが、2015年2月22日までは北長野駅前に「北長野店」があったそうで、同店は1994年10月7日に開店している。(同駅は2015年春の北陸新幹線開業時に3セク化されてJR東日本のものではなくなったので、それが関係するのだろうか)

ここで「生鮮市場」と「JC」の名称について。個人的にはどちらも興味をそそられる。
まず「JC」。これはJR東日本の駅を昔利用していた人には分かるでしょう。
駅のコンビニエンスストア「NEWDAYS」の前身の1つが、「JC」だった。1988年から出店していて、2001年にNEWDAYS化。

首都圏以外では、各支社(の子会社)がフランチャイズとしてJCを展開していた所もあった。
秋田支社ではジェイアールアトリスが運営していた秋田駅中央改札口向かいの現在のNEWDAYS秋田ぽぽろーど店や、大館駅などがそうで、たしか「JCエニーズ」という店舗名だった。
長野支社でもそうだったようだが、どういうわけかスーパーにも「JC」の名を使い、それが今まで残っていることになる。Wikipediaによれば、現在はここが最後に残った(すなわち唯一の)「JC」とのこと。


そして「生鮮市場」。これは秋田市の一部の人には身近。
秋田には「秋田生鮮市場」というスーパーがあり、運営するのはJR東日本の地域子会社。かつては上記JCもやっていた秋田支社の「株式会社ジェイアールアトリス」、2015年6月の同社解散後は、仙台に本社がある「JR東日本東北総合サービス株式会社」の秋田支店。

かつては、秋田市内に2店舗の秋田生鮮市場があった。
土崎駅・秋田総合車両センター(旧・土崎工場)近くの土崎店は、2012年6月頃にJRの手を離れて「生鮮いちばん」なる店に。
今は、2000年11月頃にオープンした、秋田市中央部の住宅地にある「保戸野(ほどの)店」だけが営業を続けている。
土崎店は、おそらく購買部の発展形。保戸野店は、JRの社宅跡地に建てられ、線路も他のJR関連施設も隣接していない。
秋田生鮮市場保戸野店。手前の大判焼きの小屋は現在はなし
全国的には、「生鮮市場」という名の店はいくつか存在する。札幌には、JR北海道系列の「JR生鮮市場」があるそうだ。だけど、JR東日本が関わる生鮮市場は、秋田の保戸野店が唯一かと思っていた。それが、長野にも1つあったとは!


秋田生鮮市場保戸野店を時折利用している者としては、興味を持って生鮮市場JC長野中央店へ。
まず、駐車場の奥にある店の建物の形状や位置関係が、保戸野店とそっくり。左手前にクリーニング店があって、右側にトイレがあるところまで。

建物は、保戸野店よりは新しそうで、通路は少し広い。
でも、店内の売り場レイアウトが、保戸野店と極めて酷似している。偶然ではなく、同じノウハウで設計されたと思うしかないほど。
入口から直進して反時計回りに1周したところにレジがあり、逆回りもできることはできるが、基本的には客を1方向に回らせようとする構造。
外周は青果→鮮魚→肉・冷凍食品→日配品~惣菜という配置も同じで、日配品の麺類と乳製品の位置関係までも同じ。パン売り場が通路に対して右か左かが違うくらいしか違いはなく、迷わず買い物できてしまう。
保戸野店なら地元「おっぺる青木堂」のパンが置いてある場所に、JC長野中央店では「おやき」があったのは、さすが信州。

看板の「生鮮市場」の筆文字を比較。
長野
秋田
秋田は1文字ずつ色が違い、長野は全部赤。秋田のほうが横棒右側のかすれが激しく、長野のほうは細かい部分が(コピーを重ねたみたいに)つぶれている。しかし、「鮮」の魚へんの「田」の右下が開いていたり、「市」の横棒に穴があったり、酷似。元は同じ文字だったと考えられる。
北海道の生鮮市場もよく似た文字で、熊本にあるおそらくJRと関係のない「生鮮市場」も似ているようだ。生鮮市場ブランドのライセンスみたいなのがあるんだろうか??
レシートの上部。長野のほうは小さくて省略気味
品質や値段などはあまり見ていないし、優劣をつけるつもりもないけれど、唯一、秋田の保戸野店のほうが明らかに優っていることがあった。
Suica決済の対応!
保戸野店では2012年から、2つのレジだけではあるが、Suicaでの支払いができるようになった。登録したSuicaなら「Suicaポイント」もつく。
JC長野中央店は、現金払いのみのようだった。首都圏からも、新幹線駅からも近いのに、使えないとは意外。(長野市周辺では、秋田同様在来線の乗車にIC乗車券は使えない。一方、松本周辺では駅を限定して使用可。)


長野市についてはこんなところ。信号機については、後でまとめて
次は松本方面へ向かう
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長野市の乗り物

2016-06-17 00:24:35 | 旅行記
信州旅行記(前回の記事)。今回は長野市の乗り物について。ほとんど乗ることはできなかったのですが。

これまでの少ない訪問経験から、長野県の公共交通事業者といえば、アルピコグループと長野電鉄の二大勢力の印象。
アルピコグループは、白さが際立つボディに「Highland Express」などと書かれた高速バスを新宿辺りでも見かける。鉄道事業を松本でやっているのでそちらメインのようだが、長野市周辺でも路線バスが「川中島バス」として走っている。現在は、川中島バスは愛称で、事業者名は「アルピコ交通(長野支社)」らしい。

長野電鉄は通称「ながでん」。長野市内を地下で抜ける須坂・湯田中までの鉄道路線があって、立派な特急列車も運行している。
バスは「長電バス」として分社。シンプルに「NAGADEN」と書かれた銀色の貸切バスを、竿燈まつりやJリーグの試合時に秋田市で見かけたことがある。

その長野電鉄と関係する人物が、総理大臣も務めた羽田孜(はたつとむ)。長野電鉄創業者の娘の息子(=孜氏の祖父が創業者)という関係だそう。
羽田孜氏は、政界入りする前に小田急電鉄で10年間勤務していた。長野電鉄では、特急用車両に小田急ロマンスカーの中古を入れていたことがあったのは、その縁だろうか。最近は、JR東日本の中古に変わったけれど。
その小田急にいた時、我らが秋田中央交通の渡辺社長も小田急で修行していて(わずか1年【27日訂正】2年)、同職していたとのこと。


さて、以前から気になっていたけれど乗ったことがなかった長野電鉄の鉄道に、長野駅から2駅目の権堂駅3駅目の善光寺下駅【26日訂正・勘違いでした】まで、わずかながら乗ってみた。
長野駅から初乗り運賃170円の範囲である3駅目の善光寺下駅までは、1981年に地下化された。
自動改札はなく、ICカードも使えない(バスでは使える)。どこか昭和の地下鉄駅のような雰囲気。
左は元小田急ロマンスカーの1000系「ゆけむり」


乗った普通列車は、おでこの広いステンレス電車(骨組みはステンレスでなく鋼製)。片側3扉、3両編成、ワンマン運転。2両編成のものもあるようだ。
営団地下鉄(現・東京メトロ)日比谷線3000系を譲り受けた、3500系。他に東急の中古も使われている。

ドアの窓がほぼ正方形の小さいものだったり、内装が濃い黄色塗装だったりして、時代を感じるというか古くさい気がした。
1961~1971年製造だそうで、弘南鉄道などで使われる東急7000形よりは製造開始が少し先。その差を踏まえても、7000形のほうが先進的かな。

乗ったのは夕方で車内は立ち客が多く、かつ短時間の乗車で余裕がなく、あんまり感想がない初乗車でした。
別に撮影した権堂駅出入口
長野電鉄の地下区間は、長野大通りという大きな道路の下を進む。その途中の権堂駅はオフィス街、商店街がある街中。善光寺表参道からは数百メートルしか離れていないが、門前町の色は薄い。
駅を出てすぐイトーヨーカドー長野店(1978年開店)があるが、その建物は、
「長電権堂ビル」
大通りの向かい側に長野電鉄の本社もある。


以下、乗らなかったバス。
イメージでは、長野市内は川中島バスより長電バスのほうが多そうな気がしていたけれど、駅前のバス乗り場の割り振りなどを見ると、どうやら川中島バスのほうが優勢。7対3くらい???

長野市には、すべての路線バスで共通で使えるIC乗車券「KURURU(くるる)」がある。郊外のコミュニティバスや乗合タクシーでも利用でき、高齢者が低額(定額ではない)で乗るための専用カードもある。ただし、長野電鉄の鉄道では使えないし、Suicaなどとの相互利用もできない。

行かなかったが、長野バスターミナルというのが、長野駅から数百メートルのところにあるのだそう。
第3セクターが運営していて両事業者とも乗り入れるが、ほとんどの路線が長野駅前にも乗り入れている。

長電バスの中型路線バス
ヘッドライトが2灯×2でいすゞエルガミオかと思いきや、「HINO」とあるので共通車種のレインボー2の初期タイプ。2007年製、ワンステップ。
クリーム色とエンジ色のシンプルな塗装。国鉄の特急列車や飯山線の観光列車「おいこっと(後日紹介)」と同じような色使い。

ドアガラスに「自動扉」と表示がある。
昭和最末期頃までは表示が義務付けられていたが、現在は表示しなくてもいい。全国的に今なおこだわって表示を続ける事業者がいくつかあるが、長電もそのようだ。

長電バスの車両は日野と三菱が多いそうだ。ちなみに、(三菱ふそうでなく)三菱自動車の地元ディーラーは、ながでんグループの企業。
以上、長電は秋田中央交通よりは“小田急色”が薄く思われた。

川中島バスの大型バス
このいすゞLVキュービックは、国際興業の中古とのこと。
こちらは4メーカーとも導入しているそうだ。昔は日野が多かったような気がする。

路線バスでは車体に「Highland Shuttle」表記。普通は黒いヘッドライトの枠まで白く塗るのは、昔の日野製でも同じだった。(最近は黒枠もあるらしい)
行き先表示に注目。
「すみません回送中です Sorry Out of Service」
ここ10年くらいだろうか。全国で散発的にこんなふうに「回送時に謝る」バス会社が存在する。八戸の南部バス辺りが早くから導入。
待っている客に対しての、せめてもの気持ちということのようだ。
川中島バスでは、LED式行き先表示器導入当初から、季節に応じて回送時に「merry Xmas」「謹賀新年」と遊び心のある表示(しかもサンタクロースの帽子の絵や毛筆書体などの凝ったデザイン)を出して楽しませてくれている。※他社ではこんな使い方も

秋田の某社ではやってない。「バス停名称変更を告知しなくてすみません」とか、他にもっと謝るべきことがありそうですが… それ以前に、輝度がおかしかったり、ドット欠けが発生している表示器を修理してほしい。


長電のバス停
路上のバス停を撮影したつもりだったが、「長野駅9番のりば」とある。
駅敷地内の乗り場は機能的かつ安全に配置されていた一方で、そこだけでは乗り場が収まらず、路上に分散設置していることになる。各地で見られるけど、不慣れな人には分かりにくい。

そのバス停の車道側に、こんな表示が。
「アイドリングストップ スイッチ確認!」「千石入口まで一分運転」
位置と内容からして、運転士向けのようだ。
「千石入口」はこの次のバス停らしく、通過時刻を厳守させようとしているのだろうか。


前回取り上げた通り、長野駅と善光寺の間は、歩くこともできる距離だが、150円の路線バスが頻発している。
一般路線バスも多いが、駅とお寺を往復する専用シャトルバスもある。1999年から川中島バスが運行している「びんずる号」。名称の由来は善光寺に祀られる「おびんずるさん」。
赤、緑、紫、茶4色の専用車両がある。
赤。日野レインボーのワンステップ
このデザインの意図は何なんだろう。どちらかといえば洋風な印象もするような…


長野市でも、中心市街地循環バスが運行されている。長電、川中島両社に運行委託。
2000年に運行が開始され「ぐるりん号」と命名。「子どもでも覚えられる愛称で、循環=「ぐるっと回る」イメージからつけられました。」そうだ。ICカード「KURURU」に似た命名だが、ぐるりん号のほうが先。意識したネーミングだろうか。
その後、郊外部でも「地域名+ぐるりん号」が運行されている。

中心市街地のぐるりん号は、150円均一。善光寺への行き来にも利用できる。
単純な環状ではなく、長野駅→(長野大通り)→善光寺→(表参道)→長野駅→(表参道)→善光寺→(県庁通り)→長野駅という、「B」の字のような経路で、片方向のみ。8時台から19時台まで15分間隔で運行。
ぐるりん号
すべて専用塗装の小型バス日野ポンチョで運行されていた。水色ベースで善光寺、桜、北アルプス、リンゴなどがデザインされる。ミラーの裏にも葉っぱとリンゴが描かれる。
運転士は女性が多いようだ。
こんな車も
「電動ぐるりん号」とあり、EVバス。
「ひととまちにやさしい電動バス」
車体デザインは共通のようだが、正面のハトが差し込みプラグのコードに留まっている。
この13-50の仕様は不明だが、ぐるりん号では、2011年から2014年まで早稲田大学が開発した、線を接続しなくても充電できる非接触充電式バスの実証運行を行っていたそうだ。
13-50も非接触式充電だとすれば、プラグがなくても充電できてしまう。

我が秋田市でも、水色の車体で「ぐるる」という、ぐるりん号にどこか似た市街地循環バスが走っているが、運行開始はずっと後(長野のカードKURURUよりも、命名は後)だし、本数なども及ばない。
しかも、秋田県はEVバス(非接触式も視野に入れてはいたようだが、今のところ有線充電)を営業運行するとか言いながら、開店休業状態(客を乗せずに走ってはいる)。

長野県庁のある側には、信州大学教育学部(善光寺のすぐ横)などもあり、また違った街の風景が広がっていそう。ぐるりん号に乗って少しのぞいてみれば良かった…

旅行記は続きます。次は長野市のスーパーについて。※松本市のバスについてはこちらで少々。

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長野駅と善光寺

2016-06-08 00:26:25 | 旅行記
長野駅へ到着
今日の宿泊地は松本の先の上諏訪なので、まだ移動しなければならない。でも時間に余裕があるので、長野市内を見ておく。
長野市は人口38万人弱、言うまでもなく善光寺の門前町。

長野駅舎は、以前はお寺風の建物で、1997年の長野新幹線開業時に建て替えられ、2015年の北陸新幹線金沢開業時に駅ビル側だけさらに新しくなっている。
僕は長野県を過去4回訪れていて、うち2回は長野市に立ち寄っている。
最初は、碓氷峠越えの在来線「あさま」で来た24年前。次は10年ほど前の正月。つまり、訪れる度に駅舎が変わっていることになる。

長野駅舎の全体的な構造は、北西側の「善光寺口」と南東側の東口をつなぐ自由通路に面して改札口がある、橋上駅舎。
構造は秋田駅に通ずる点が多い。同じ鉄道会社が、ほぼ同じ時期に、ほぼ同じ規模の都市(長野はフル規格でオリンピック前だったけど)に建てた駅だからだろう。
ちなみに長野駅の在来線側改札内には、大きい待合室内とホームに立ち食いそば屋、通路とホームに小型NEWDAYSがあり、秋田駅よりずっと充実。
ただし、駅弁は古くからの業者が2007年に撤退、今は別業者が入っているそうだけど、目立たないようで意識しなかった。

長野駅のほうが自由通路の幅が少し広く、新幹線と在来線の改札口が離れているなど違いはあるが、自由通路の途中に段差があったり、東側に新幹線、西側に駅ビルなど、秋田駅を思い出させる。自由通路西側も行き止まりなのは、ぽぽろーどができる前の秋田駅と同じ。
長野駅新幹線改札口前。奥が善光寺口
新幹線側は天井が低め。
天窓から光が降り注ぐ。この点も秋田駅にちょっと似ているが、長野駅のほうが窓面積は広い。
東口側
開放的な造り。雪があまり積もらないから影響はないのだろうけど、寒くないかな。

在来線側は天井が高く、全面が天窓で明るい。
在来線改札(左)前から新幹線・東口方向を見る
自由通路の段差は、秋田駅では、西側の駅ビル前に数段分あるが、長野駅は新幹線と在来線の間にあり、もっと段数が多い。
高いほうから。突き当りが善光寺口、右が在来線改札
長野駅、秋田駅とも東側のほうが高くなっている。今さらだけど、どちらの駅も段差がないように設計できなかったものか…


では、新しくなった善光寺口。
高い木製構造物(2階の自由通路端から撮影)
2階よりも高い、落ち着いた色合いの木の柱とルーバー状のひさし。路面に格子状の影を落とす。

「長野の門」「長野の歴史と伝統を現代的に」表現した、大庇と12本の列柱。長さ140メートル、高さ18メートル。「門前回廊」の愛称が公募で付けられた。
柱は中身は金属、庇の上にはガラスの屋根がある。駅前広場などとともに長野市が16億円(庇と柱のみの額)で整備、市内産の杉間伐材約1万本を使用とのこと。
なかなかいい雰囲気


さて、久しぶりの長野駅前。
駅前の眺め
以前どんなだったか、あまり記憶はない。
ビルの谷間の正面奥に低い山が見えるのは、そういえば前にも見た。「大黒山」とのこと。
その右上のビルのてっぺん「長野朝日放送(と朝日新聞)」の広告も、24年前に見たかもしれない。当時、秋田朝日放送開局直後で、「全国どこでも○○朝日放送なんだな」と思ったのを思い出した。(デザインは変わっているだろうし、ビル自体もしくは掲出位置は変わっているかもしれない)
そういえば、一世を風靡したフリーアナウンサーの斎藤陽子さんは、元長野朝日放送の局アナだった。

バス乗り場は、大きな円形で横断の必要がない安全で余裕のある構造。
私鉄の長野電鉄の駅は、ちょっと離れた地下。長野の乗り物については、後日また。


24年前は、善光寺へ参詣した。
10年前も、善光寺へ向かってはみたものの、初詣客のものすごい行列(正月なんだから当たり前)に恐れをなして、脇のお寺を参拝してお茶を濁してしまっていた。
今回も、行くべきだろうと、まずは善光寺へ。

駅のコインロッカーに荷物を預ける。
長野駅も、後日利用した松本駅も、いちばん小さいコインロッカーは400円。秋田駅とか(サミット開催地で報道された)伊勢志摩近辺も300円。信州はコインロッカー相場が高いのだろうか…

善光寺は、駅から2キロほど。
150円の各種路線バスが頻発しているし、長野電鉄(善光寺下駅下車。4分170円)でも行ける。
※本堂までは、バス停から300メートル、善光寺下駅から800メートルほど歩く。

過去2回は、いずれも徒歩。
駅を出てすぐに右折すれば、あとは「中央通り」という表参道を一直線。久々の門前町を体感するべく、今回も歩いた。
距離でいえば、秋田駅から山王十字路辺りまでと同じ。さらに長野のほうは若干の上り坂なのに、楽しい町並みで苦にならない。

ゴールデンウイーク明けの平日のせいか、人は多くない。
たまたま車も写っていない。車道部分も石畳

「善光寺」交差点。バス停はこの近く
交差点の奥にあるのが「仁王門」。ここに来るのは3度目なわけだけど、前に確実にここに来たのを思い出した。
仁王門をくぐると土産物屋などが立ち並ぶ「仲見世通り」。
仲見世通り。奥が山門

境内の様子は省略するけど1つだけ。
僕はしなかったけれど、本堂の奥を有料で「内覧」できる。
本堂の脇の券売機でチケットを購入する方式で、しかもタッチパネル式(食券の券売機の流用?)。本堂に券売機があって、それをお年寄りが一生懸命操作しているのが、なんとも場違いに見えてしまった。

善光寺仁王門
仁王門の右には、火の見櫓。色が赤くないのは、景観への配慮か。
「長野市消防団 長野第二分団」の垂れ幕。鐘が下がっていて、現役のようだ。

帰りもぶらぶらと歩いて駅へ戻った。
最終日には長野市に宿泊したのだけど、結局は善光寺以外は観光地らしいものを見ないで終わってしまった。過去2回も同じ。次はもっといろいろ見てみたい。
長野市の小ネタなど続きます
この後、2023年訪問時の善光寺や長野市街
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しらゆき~上越妙高

2016-06-06 00:05:21 | 旅行記
長岡を後に信州へ。
繰り返しになるが、今回の行きは、日本海側を直江津(なおえつ)まで進んで内陸へ入る、秋田-長野方面の最短ルート。
このルートで新潟・長岡から先は、昨年春の北陸新幹線金沢開業前までは、信越本線1本(乗り換えは必要)だったが、新幹線開業後は、直江津から先の並行在来線が第3セクター化されている。
今回のルート(Googleマップに加筆)
今回は、信越本線(地図中の赤)~えちごトキめき鉄道 妙高はねうまライン(緑)で上越妙高へ。乗り換えて2駅だけ北陸新幹線(青)に乗車して長野へ向かう。

新潟-上越妙高方面を結ぶ、JR-トキめき鉄道直通の特急が1日5往復運行されている。
かつては、直江津から北陸本線に入って金沢まで行っていた「北越」があったが、代わりに直江津から内陸へ入るようになった形。
その名は「しらゆき」。
以前触れた(この記事後半)ように、かつては青森-福井の急行列車、後に秋田-大館の快速列車に使われた名前で、この3代目にして特急に成り上がったことになる。3代とも日本海側の列車であり、雪国にふさわしい名称で、親しみを覚える。

乗車したのは、上り最初の2号。
新潟を7時37分に出て、長岡は8時27分着。上越新幹線なら20分ちょっとで着く区間だから、やっぱり新幹線は速い。
特急「しらゆき」ヘッドマークは空白
しらゆきの車両は、E653系電車。
「いなほ」と同型だが、塗装が違い、短い4両編成で普通車のみ。

「フレッシュひたち」だった頃のE653系は、7両1組の「基本編成」と4両1組の「付属編成」があり(設備は同じ)、それらを組み合わせて運行していた。
新潟転属後は、元基本編成はグリーン車を作っていなほ用(一部、付属編成を組み替えて入れた車もあるとのこと)、元付属編成はしらゆき用と、完全に分離されている。

しらゆきの塗装は、白地に青と赤のライン。
いなほと比べると控えめなデザインで、E2系新幹線(元あさま・現上越新幹線)と似ている。
白は「しらゆき」からの連想、青は日本海と空、赤は夕日をモチーフにしているということらしい。
それだけでなく、1988~1997年に金沢-長岡で「北越」の速達版として運転されていた特急「かがやき」用の485系電車の塗装(米原-金沢の「きらめき」も同じ車両)とほぼ同じ。赤と青の色味が違うようだが、このことも念頭に置いた塗装だろう。

このしらゆきは「新井(あらい)」駅行き。
5往復中3往復は、新幹線駅である上越市の上越妙高駅発着だが、2往復は2駅先の妙高市の新井駅まで行っている。よそ者にはピンと来ない行き先で分かりにくい。
E653系やE751系の側面のLED表示は、独特。日本語の列車名がカギカッコに入っていたり、英字の行き先の頭文字の書体が独特だったりして。
 「Akita」の「A」もこれ

「北越」当時、自由席でこの区間に乗った時は、新潟県内での利用がとても多かった。
「しらゆき」は自由席・指定席2両ずつで、北越時代より減っている。しかも途中駅からの乗車だから、指定席を取っておいた。
新潟駅の線路配置の関係上、「いなほ」とは逆向きになるため、海側の窓際は「D」席。

長岡からは、自由席、指定席ともけっこう乗車。
乗り込んでみると、指定席には既にそこそこ乗車しており、1~2列につき1組座っているような状態になった。自由席の様子は知らないけれど、指定を取っておくのが無難かもしれない。
上越妙高で北陸新幹線に乗り継ぐと、しらゆきのJR区間の特急料金が半額になる乗継割引が適用されるから、指定席料金もさほど負担ではないし。※えきねっとでは、JRとトキめき鉄道の上越妙高駅が別の駅として登録されているが、それでも適用される。


車内は、座席の布地以外はいなほ用と同一。
こんな柄
こちらは赤系統で市松模様というか柄違いの正方形がパッチワーク状に並ぶもの。
JRの発表では、温かみを表現し、北陸新幹線の座席と近いデザインにすることで連続性を持たせている意図があるという。
いなほの布地は、小千谷縮をモチーフにしているとのことだったが、こちらではそのような表記はなさそう。むしろこっちのほうがそれっぽい気がしなくもない(本当の小千谷縮を知らないので、雰囲気として)。小千谷市は長岡の隣だから、いなほよりはしらゆきのほうが近い(沿線ではない)し。

いなほ同様チケットホルダーも設けられているが、車掌は端末でチェックしていて、(少なくとも指定席では)用なし。


この区間は、何度か乗っている。高校の修学旅行の「白鳥」、電車寝台急行「きたぐに」、「北越」などで。印象としては海沿いの区間が続き車窓は楽しめるものの、少々冗長なイメージもあった。
ところが今回は、長岡から直江津までは55分。停車駅は柏崎と柿崎だけ。以前は金沢から新潟などもっと長距離で乗っていたので、まとめて長くとらえてしまっていたようだ。

長岡を出て20分ほどの柏崎からは海沿い。
天気は回復傾向

ハマナスの花が咲き始めていた
海に近い駅として有名な青海川(おうみがわ)を通過。中越地震被災後の工事のせいか、構造物があって車窓からはそれほど眺めがいいわけでもない。

風景は別として、乗り心地・座り心地は「いなほ」と違うわけもなく、車内販売もなく、淡々と移動した感じで、あっけなく直江津到着。
ここまで3駅では、指定席から降りた人はほとんどいなかった。県内の移動は自由席なんでしょう。

直江津からは、えちごトキめき鉄道に入る。残り上越妙高まで15分、終点の新井まで20分ほどだが、運転士・車掌とも、同社社員に交替。
途中、高田に停車。
直江津と高田は元は別の町で、現在は合併して上越市。かつては、土崎と秋田みたいな港町と城下町の関係だったのだろう。
高田は、桜やハスが見事だそう。車窓からは城下町っぽい趣きの町並みもちらりと見えた。いつか訪れたい。

すぐに上越妙高到着。乗客はほぼ全員が下車。
終点じゃないので、もたもたしていると降り損ねそう。時刻表上の停車時間は1分未満。
 えちごトキめき鉄道の駅名標
上越妙高駅は、新幹線開業前は「脇野田」という小さな駅(無人ではなかった)だった。

駅の位置は新幹線開業時に少し動いたらしく、見かけは新しくできた駅同然。
在来線ホームは、1面2線の構造や広さ(狭さ)が新青森駅によく似ている。
在来線ホーム橋上駅舎から南方向

西口駅前。ここも消雪のサビで路面が盛大に茶色い
在来線は西側にある。駅は東西に出入り口があるが、東口側のほうが古くからの住宅地らしく、西口側は開発途中。奥に田園と山が広がる。

最近の新幹線駅は、3セク並行在来線と新幹線の連絡改札口がなく、いったん外へ出ないといけない構造のところがある。
上越妙高もそうだった。
自由通路。左奥から右へ入ると新幹線。右手前が在来線
※下がっている旗は、モグラと新幹線をくっつけた「上越妙高駅お出迎えキャラクター『ウェルモ』」。

自動改札がない改札口から自由通路へ出て、右方向がすぐ新幹線改札口(少し奥まっている)。移動距離は大したことはないが、だからこそ連絡改札があってもいいのに。仮にも乗継割引が適用される連絡特急「しらゆき」があるのに。

接続する新幹線との待ち時間もあまり考慮されていない。
しらゆき2号からは、下り金沢方面が19分、上り長野・東京方面に至っては46分もある。
しらゆきから乗り継ぐ客の大部分は、下り方面の利用のようだ、すぐに新幹線改札へぞろぞろと入っていった。(上り方面は、僕のような長野へ行く人しか乗り換えないだろう。高崎や東京なら上越新幹線に乗ればいいのだから)
それだけ、新潟対北陸の移動の需要があることになる。「北越」時代よりは少し早く移動できるのだろうが、乗り換えの手間と費用はかかる。利用するみなさんは、新幹線開業をどうとらえているだろうか。

まだ新しい上越妙高駅を少しだけ拝見。
自由通路新幹線側の東口は、突き当りが吹き抜けの高い丸天井。
1階から
越後杉を使用したエントランスホール「もてなしドーム」。
1階と2階を結ぶエスカレーターは、途中に踊り場があって、乗り換えないといけない。
東口駅舎。奥の出っ張ったところがもてなしドーム。外観はさほど…
「馬上謙信公像」があった。
上記の通り、こちらのほうが古くからの町のようだけど、多くの新しい新幹線駅同様、目立った商業施設などはない。

自由通路の西口側は、妙高の山並みが望めるガラス張りだけど、この日は見えず。
西口側。在来線と新幹線が上下に並行
【2018年11月17日追記】その後、2018年11月に西口駅前に天然温泉の日帰り入浴施設「釜ぶたの湯」がオープンした。420円と手頃で22時半まで営業するなど、旅行者も何かと使えそう。

自由通路沿いには、「SAKURAプラザ」という観光案内、待合、軽飲食、土産物販売の場所があり、直江津駅の業者の駅弁も販売。
新幹線改札前には、コンビニNEWDAYSも。


新幹線改札内は、シンプルな造り。
北陸新幹線には新潟県内に駅が2つある。もう1つは糸魚川駅でJR西日本管轄。JR東日本新潟支社にとっては、飛び地のように上越妙高を管轄している。
ホームは全面が屋根で覆われ、ホームドアがある。白系統が多用されて明るいけれど、やはりシンプル。発車標は改札内外とも、3色LEDでフルカラーではない。

ホームは4本あって、内側2本は通過線として機能。
「かがやき」が高速で通過(接近予告放送あり)

長野新幹線には乗ったことがあったが、金沢開業区間を乗るのは初めて。E7/W7系に乗るのも初めて。
同じ車両で、JR東日本所有がE7系、西日本所有がW7系。
北海道新幹線のE5/H5系と同じ関係だが、あちらは帯の色が違うので区別しやすい。こっちはどこで見分ければいいのか分からず、短い停車時間と乗車時間だったので形式表示を見るのも面倒で、結局乗ったのがどっちか分からずじまいだった。
【2017年7月9日追記】コメント欄の通り、E7系とW7系では、車内放送のチャイムの曲が異なるそうだ。この時は上越新幹線や従来の長野新幹線と同じ曲だったので、E7系だったことになる。

12両編成で自由席は4両。予想通り、自由席はガラガラ。
E7/W7系車内
座席は落ち着いた赤系統。たしかに「しらゆき」と似ている。
通路が赤茶色系なのが、これまでの新幹線にはないかも。天井の吹き出し口や凹凸が目立たず、ほぼフラットなのも珍しく、すっきりしていていい。

枕が上下する座席はE5系に似ている。座り心地も似ているが、E5系よりはホールド感があってぺらぺらしていない気がして、悪くないと思う。
E5系では窓際の壁だけだったコンセントが、中央と通路側席にも設置(前の座席下)されたり、肩の把手(とって)部分に席番号の点字が打たれるなど、細かな点が改善されている。

運転士と車掌は、長野まではJR西日本が担当するそうだ。
自動放送は東日本各新幹線と同じ。チャイムは上越・長野新幹線と同じ、日本語は堺さん。

【6日追記】座席前の網袋に入る車内誌は、従来からのJR東日本の「トランヴェール」に加えて、西日本の「西Navi北陸」と2冊。西Naviのほうが前で、トランヴェールは隠れている。なお、北海道新幹線では、コストや手間からJR北海道の車内誌設置は見送ったそうで、対照的。

上越妙高から長野までは、わずか23分。
地図を見るとけっこうな距離。盛岡-八戸-新青森などでも感じたけれど、やっぱり新幹線は速い。
途中、飯山に停車。在来線では、信越本線ではなく飯山線の駅で、長野からは50分ほどかかる。飯山線については、帰り道にて。
新しい新幹線開業区間だからトンネルが多いものの、思ったよりは地上区間もある。田園や山々の緑が映える。

落ち着く間もなく、長野到着。
すぐ発車かとあわてて降りてしまったが、12分も停車。
後からくる「かがやき」を先に通す、つまり以前の東北新幹線仙台駅と同様の緩急接続が取られていた。


長野県を訪れるのは、おそらく5回目で、実に9年ぶり。
以前は、いずれも太平洋側からのアクセスだった(かつては特急料金込みのフリーきっぷがあったから、それを利用したことが多かった)。日本海側から長野入りすることになるとは、予想しなかった。
次回以降、やっと長野県の旅行記が続きます
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長岡駅周辺3・東側

2016-05-29 00:11:27 | 旅行記
薄曇りで暑からず寒からず、歩くにはちょうどいい朝の長岡駅周辺。※前回の記事
駅裏に当たる東口側に、手際よく回れそうな気になるものがいくつかあったので、足を伸ばしてみた。

駅からすぐのホテルニューオータニのすぐ先に、川?
両岸に桜並木
川幅にしては、大量の水がぎりぎりの高さまで流れているなと思ったら、人工の用水路だった。17世紀に作られ、20キロの長さがある「福島江(ふくしまえ)」。
桜並木は、市民に親しまれる名所とのこと。

その対岸に、事前にGoogleストリートビューを見て気になっていたものがあった。
学校
長岡市立阪之上小学校。新しそうな校舎が建つ、適度に開放的な敷地。
2002年竣工の校舎本体は箱型だが、円形校舎かのような体育館らしき部分もある。
「米百俵の学校」という垂れ幕
2001年に小泉総理が取り上げて広く知られた「米百俵」。
明治初期、困窮していた長岡藩だったが、贈られた100俵の米を換金して学校を建て、目先ではなく将来ために役立てたというエピソード。
その時に建てられた学校の流れを汲むのが、阪之上小学校なのだった。

公式ホームページによれば、阪之上小には、開学記念日、開校記念日、創立記念日の3つが別々の日に設定されている。
明治2年に「国漢学校」の仮学校ができたのが開学、明治3年に国漢学校が新築開校(これに米百俵が使われた)したのが開校、明治7年に国漢学校の校舎を使って公立学校ができたのが創立だそう。
創立にしても今年で143周年となる。
校内には資料館があって、事前申し込みすれば見学可能。


小学校の隣に、「長岡市阪之上コミュニティセンター」があった。秋田市の各地域コミセンと同機能。
駐車場も茶色い
新しくはなさそうな建物で、その前に木が植えられている。
ヤシの仲間のシュロが3本。しかも、
花が咲いている!
花は初めて見たかも。
雪国には似つかわしくないけれど、今旅行中に他のどこかでも花が咲いているのを見た。シュロは耐寒性がそれなりにあるそうだ(Wikipediaには自生は九州まで、栽培では東北までとある)。
秋田でも地植えされているのは見たことがあるような気はするけれど、ほとんど見ないから、それだけ秋田が北ということか。


最後。長岡駅東口から東方向を見た時、気になったものがあった。(前回の写真にも写っています)
アップで
広い道路の向こうに栗の実のような大きな建物。
カマボコ状屋根の古いタイプの体育館っぽい。
単なるカマボコではなく頂部がとがっているし、錆びているのか茶色く汚れていて、いかにも栗。

汚れ具合は、一定レベルの維持管理が行われるであろう公立学校の体育館にしてはひどい。だから、もう使われていない体育館なのか、私立学校とか民間の体育館なのか、体育館じゃなく工場か何かなのかなどと予想。

ところが、スマホの地図で確認すると新潟県立長岡高等学校らしい。
駅から600メートルほど。所在地はその名も「学校町」。
狭い公道が体育館の裏(東側=駅から見た反対面)を通っており、間近に体育館を見ることができた。
かなり茶色い…
大きい体育館。全体的には、昔ながらの体育館で懐かしい姿ではあるが、茶色い汚れと頂部のとんがりが目に付いてしまう。
横から屋根をアップ
途中でカマボコのカーブの角度が変化しているのが分かる。そこがとんがりの始まりか。

帰ってから調べると、この体育館は1963(昭和38)年3月築。鉄骨造3階建て、延べ床面積2553平方メートル。耐震改修済み。(以上、新潟県ホームページhttp://www.pref.niigata.lg.jp/HTML_Article/943/48/prefeachbuild.pdfより)

現在は「大体育館」と呼ばれているらしく、たしかに隣に小体育館っぽいのがあった。(1984年築)
大体育館の耐震補強工事は2014~2015年頃に行われ、内部はそれなりにきれいなようだ。
なお、校舎各棟は1970年前後に竣工。

以上から、これで現役の体育館であり、かつ当分は使い続けるつもりらしい。
耐震工事を行ってはいるものの、外部には手がつけられていないのだと思われる。補強材が外観では分からないのが珍しい(弘前大学第1体育館は明らかなつっかえ棒で補強されている)。


ところで、以前取り上げたように、積雪地では屋根からの落雪が危険。特にカマボコ屋根の体育館は、形状のせいか一気にどどっと落ちることがある。
秋田市立学校では、1961年頃の保戸野小が、最初の鉄骨造の体育館(当時は他に秋田大学にしかなかったとか)で、これがカマボコ屋根。1970年頃にはカマボコから逆V形の切妻屋根に変わっている。1990年以降は、落雪しない平らな陸屋根に切り替わり、古いものも改築されてカマボコ屋根の体育館はなくなっている(切妻屋根は残る)。
秋田市よりも雪が多く積もる長岡では、体育館の落雪はさらに問題だろう。

長岡高の体育館は、ごく初期の大型体育館ということになる。
当時の建築技術ではカマボコ屋根にせざるを得ず、対策として、てっぺんをとがらせて急角度にすることで、頂部に積もった雪を迅速に落とす意図なんだろうか。


それにしても、金属製ではない壁面が、どうすればこんなにサビサビになるんだ?
秋田の体育館では見たことがない状態で、前回アップした消雪パイプによる道路面の錆みたいな感じ…
あれ? 上の屋根のアップ写真に再度注目。
屋根のてっぺんに、棒のような管のようなものが渡されている。よく見ると、その管と体育館内がパイプらしきものでつながっている。
ひょっとしたら、ここから水を流すことで屋根の積雪を防ぐ(=落雪をなくす)仕組みがあって、そのせいで路面と同様に壁が錆びてしまったのかも。
同校ホームページの「年譜」を見ると、2001年に「大体育館屋根融雪設備工事」が行われている。これのこと?

そうだとすれば、たしかに雪は積もらないだろうけど、水を屋根まで上げるのが大変そうだし、ずっと雨が降っているようなものでうるさくないだろうか。体育館周りの屋外も土砂降り状態で通行に支障が生じそう。
極端に冷えこめばツララができてかえって危ないかもしれないし、管理をおろそかにすると屋内に雨漏り(雨じゃないけど)するかもしれない。スマートな方法ではない気がする。

以下、よそ者の勝手な意見です。
古い建物を大切に使い続けることは、悪いことではない。特に行政機関では。それに、見栄えだけにこだわるべきではないし、建物としては安全なのは分かる。
だけどこれじゃあ、知らない人にはあまりいい印象をもたらさない状態だ。地域を代表し次世代を担う人が通う県立学校という施設、かつ駅からも見えて(新幹線ホームからも見えるそうだ)街の風景をかたちづくる1つの建物なのだから。
駅の反対側には、あんなすてきなアオーレ長岡という建物があるのに、反対側がこれでは…

まったく放置されているわけでもないようだ。
2014年度の同校の「学校自己評価表(報告)(http://www.nagaoka-h.nein.ed.jp/contents/information/hyouka_H26kekka.pdf)」には、「学校評議員の質問・意見など」の1つに「校舎の老朽化が目立つ。特に大体育館の外側・屋根の汚れが遠くからも認識できる。体育館の汚れの対応を早く行うことを望む。」というのがあった。

また、2015年2学期始業式の学校長の「訓話(http://www.nagaoka-h.nein.ed.jp/contents/kotyokowa/h27_2gakki_shigyoshiki_kouwa.pdf)」では、「大体育館屋根の消雪パイプが一部不具合があり、また壁面や屋根の汚れが大きくなっています。まだ工期は明確でありませんが、大体育館の消雪パイプ修繕と屋根・壁面の塗装を同時に行うことになりました。9月から12月に掛けて、大体育館全体に足場を掛けて、改修工事を行うことになりますので、承知しておいてください。」と言及されている。
ただし、その後、年度を越えても実施されていないことになる。

体育館の裏には、
薪?
薪ストーブでも使ってるの?


長岡高校は、1872年を創立としているが、さらに「国漢学校」までさかのぼることができる。
つまり、阪之上小学校と起源は同じで、「米百俵」でできた学校だった。

体育館の反対側にある正門は、国の登録有形文化財。
帰りに通ると、赤れんがのさほど大きくはない門柱。個人的には大体育館のほうが見応えがありました。


ちなみに、列車の車窓から見つけた、長岡市立川口中学校の体育館も、栗形カマボコ屋根だった。(川口町だった1976年開校時の建築?)
散水設備はないらしく、屋根・壁ともきれいな状態。


前回述べたように、長岡駅東側は、地方都市の駅裏によくある、お店よりも住宅が多い一帯。しかし、歴史ある学校や比較的古そうな民家もあって、秋田駅東口側よりは古くから宅地化されていたのだろう。かつては越後交通の鉄道路線(栃尾線。1975年までに段階的に廃止)が通っていて、長岡高校近くにも駅があったそうだ。

長岡市は、中心部には大きな観光地はなさそうだけど、ほんのわずかな滞在でも、歴史や人々の暮らしが感じられる興味深い街だった。
長岡を後にして、いよいよ信州へ向かう
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長岡駅周辺2

2016-05-26 00:17:31 | 旅行記
長岡駅周辺の続き。
長岡駅周辺には、コンビニが意外に少なかった。
大手口側はアオーレのセブン、その北のセーブオン程度。
駅2階の改札口脇にNEWDAYSがあって(改札外。こしあんの笹だんごが購入できる!)、あとは駅裏側(東口)のデイリーヤマザキくらいのようだ。
東口のデイリーヤマザキは、自由通路の階段下・バス乗り場前で、駅敷地内と呼べる良い場所にあった。JR東日本新潟支社エリア管内では、中規模駅にNEWDAYSではなくデイリーを出店させていたこともあったから、つながりがあり、その縁だろうか。(秋田支社でも、秋田市のJR購買部跡がデイリーになった

百貨店などの大型商業施設も、思ったより少ない。
かつては大手口側駅近くの中心市街地に、長崎屋、ダックシティイチムラ(ビブレ系。現在東北にある「さくら野」と関係があったらしい)があったものの、いずれも1990年代後半に閉店。東口のダイエーも閉店。
現在は、大手口の真向かいにあるイトーヨーカドーだけになってしまったようだ。どこも地方都市は似たような現状で、大型店に限れば秋田市といい勝負といったところか。(中小店舗は見ていないので分かりません)
なお、イオン長岡店は、信濃川を渡って駅から3キロ弱。反対の東口側500メートルちょっとに24時間営業の地元スーパー「原信」。

【26日追記】後述の通り、ダイエーは1985年、ヨーカドーは1988年オープン。いずれも昭和50年代にできた秋田市より遅い時期で、上越新幹線開業後ということになる。東日本の地方部ではダイエーよりヨーカドーのほうが先に店舗展開していた傾向があり、秋田市でもヨーカドーのほうが先に開店しているが、長岡ではダイエーのほうが先なのがおもしろい。

ヨーカドーは行きに泊まった時は開店後/前だったから、帰り道で立ち寄ってみた。
1988年オープンの7階建て。屋上には「7i」マーク、ところどころ鳥のマークもあり、見た目は典型的な昭和にできた地方の駅前のヨーカドー。

大手スカイデッキとは別に広い地下横断歩道があり、それで駅舎側と地下食品売り場が直結していた。
地下道から入れば、すぐ食品売り場。ドア周りも典型的なヨーカドー
でも、ちょっと違う。
横書きの文字が「Ito Yokado Marudai」「イトーヨーカドー 丸大」とある。したがって正確には、イトーヨーカドー長岡店ではなく、「イトーヨーカドー丸大 長岡店」である。

新潟県内のイトーヨーカドー4店舗のうち3店舗は、長岡に本社(長岡店と同じビル内?)がある、「株式会社丸大」が運営している。(秋田のスーパー「マルダイ」とは無関係ですよ)
丸大は、元々は地元百貨店だったそうだが、徐々にヨーカドーとの関係が強まり総合スーパーも展開し、2008年にはイトーヨーカ堂の完全子会社になっているとのこと。
【6月4日追記】秋田でいうところの「ほんきん西武」のようなものか。地元百貨店「本金」と西友(西武でなく)の合弁。現在は企業・店舗名はなくなって西武本体に吸収されて、西武秋田店になってしまったけれど。

イトーヨーカドー丸大長岡店は、セブン銀行ATMはあるし、地下食品売り場は若干狭いものの店内の雰囲気はイトーヨーカドー直営店そのもの。
弘前店やかつての秋田店では、BGMとして頻繁にかかっていた「一週間」や「サザエさん」(定例打ち合わせや商品整理の合図だそう)が聞こえなかったのは、たまたまか。
食品売り場に、笹だんご用の餅粉や真空パックの笹の葉が売られていたり、地元商品としておかき・あられなど米菓類がいろいろ並んでいた(安くておいしくて軽いのでおみやげに最適だけど、選択を間違うと全国どこでも売っているせんべいだったりするので注意)のは、長岡ならでは。

レシート(過去の関連記事)も直営店のものとほぼ同一。書体も丸ゴシック体だから、新しいレジなんだろう。
違うのは、上のロゴマークと、最下段(直営店では、ドラッグストア「セブン美のガーデン」の注意書きがある位置)にどういう意味なのか「株式会社イトーヨーカ堂」と印字があること。
【6月26日画像追加】
レシート上部

nanacoチャージ機のレシート
チャージ機のレシートは、直営店では「イトーヨーカ堂○○店」と表記される。店舗名は「イトーヨーカ“ドー”」だけど、運営企業名としては「イトーヨーカ“堂”」だから間違いではないでしょう。
長岡店のチャージ機のレシートは「イトーヨーカ堂丸大長岡店」。この場合は、厳密にはおかしい。運営企業は「丸大」であり、ブランド名は「イトーヨーカドー(丸大)」でどこにも「堂」はないのだから。


バス乗り場。
長岡といえば、田中家の越後交通のお膝元。(本社が長岡市)
大手口側と東口側両方に「バスターミナル」と称するバス乗り場があり、両方に案内所もある。(この点は秋田駅とだいだい同じか)
大手口側
バース(列)で区切られ、それぞれが雪対策であろう屋根と壁で覆われている。乗客は平面(地上)でのバース間横断可能。秋田駅西口と造りは同じ。
ただ、こちらのほうが覆いがしっかりしているし、バス通行部分・乗客通路部分とも幅が広くて見通しがよく余裕があって安全そう。秋田駅西口はきゅうくつだ。

東口へ。
長岡駅東口
反対側の駅舎は、色合いが少し違う程度で、大手口と似ている。
駅舎中央に立ちはだかるのは、JR東日本系のビジネスホテル「ホテルメッツ長岡」。るるぶトラベルによれば1999年築。
その右下にデイリーヤマザキがちょっと見えている。
手前がバス乗り場。大手口側よりは小規模か。
その右に白い建物があり、その軒先も1列分のバス乗り場。その建物は、
越後交通ビル
その名の通り、越後交通所有。「E・PLAZA」の愛称がある。6階建て?
ここにかつてはダイエー長岡店が入っていた(1985~2005年)そうだ。

ご多分にもれず、ダイエー撤退後は紆余曲折あったようだ。
市役所の移転先候補にもなったもののかなわず、結局、越後交通のオフィス(本社は別にある)といくつかのテナントが入っている。一時期は県内の食品スーパーも入っていたようだが撤退。
地階はボウリング場、6階がコナミスポーツクラブ、ほかは宮脇書店、ダイソー、衣料品店「サンキ」、地元家具店「ヤマシタ」など。

駅舎2階から東方向を眺める。
この左手にバス乗り場と越後交通ビル
多くの地方都市同様、駅近くでも商業施設よりも民家が多く立ち並び、そう遠くない所でそれが果てて山が迫る「駅裏」の風情。広い道路がまっすぐ伸びている点など、秋田駅東口に似ている。
写真左手前の茶色い建物は、ホテルニューオータニ長岡。直営ではないが、ちゃんとしたニューオータニ系列。


ところで、長岡の道路や駅ロータリーなどの路面は「茶色い」。
前回と今回の記事の長岡の写真でもそれが分かるかと思う。
駅東側の小さな道も茶色い
錆を撒き散らしたような感じ。道路中央に穴があり、その部分がいちばん高く路肩に向かって傾斜している。
そう。水を流すことで雪を融かす「消雪パイプ」だ。
広い車道ばかりでなく、上の写真のような狭い道や、広い道の歩道部分に設置されているところもあった。

消雪パイプは新潟や北陸方面に多い印象がある。
秋田県内では横手など内陸南部で見かけ、青森市にもあるようだが、秋田市や青森県弘前市では見ない。(私有地ではたまにあるけど)
北のほうでは、寒さでパイプ自体もしくは融けた雪が凍結する恐れがあるから。ほかにも、流す水の確保や、秋田市程度の積雪量では車道には不要(歩道や車道の坂には、パイプや電線を埋めたロードヒーティング・融雪装置を設置)ということもあるだろう。

調べてみると、消雪パイプを発明したのは長岡の人だそう。なんと柿の種メーカーの創業者。
そして、初期に設置された装置では、パイプが鋼製のため、このような錆が発生するとのこと。
消雪パイプ発祥地だけに、古いパイプが多く設置され、路面が茶色くなってしまっているのだった。

現在は、錆びないパイプが使われているほか、反対に中央部を低くして路肩から水を流す方式もあるそうだ。


時間に余裕があり、歩くにはいい天候。気になるものもあるので、駅の東方面へ少々行ってみた。
まだ続きます。(次が最後)
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長岡駅周辺1

2016-05-23 19:39:57 | 旅行記
秋田から信州へ。「いなほ」で新潟、新幹線に乗り換えて長岡で途中下車して、駅前のホテルに1泊。
今まで新潟県内を歩いたことはほとんどなく、乗り換えの合間に新潟駅から萬代橋辺りへ行った程度。長岡駅の外へ出るのも、新潟県内に宿泊するのも初めて。
といっても、翌朝すぐにまた列車に乗るわけで、早朝の長岡駅周辺だけしか見なかったけれど。
※帰り道でも、長岡で1時間弱、途中下車したので、その時の撮影写真も混ざっています。

長岡には、「わりと大きな街で雪が多く積もる」という漠然としたイメージがあった。
長岡市は人口27万人、新潟県第2の都市で特例市。そんな街の規模を裏付けているのか、長岡に着いた新幹線からは、新潟から乗った人たちが大量に下車した。
長岡駅西側の「大手口」側が中心市街地。
長岡は城下町。駅所在地の町名はその名も「城内町」。駅を含む市街地一帯が城跡なのだが、地名のほかには、往時をしのばせる遺構などはないようだ。
大手口側駅舎
上越新幹線開業に先駆けて1980年にできた現駅舎は、いかにも「国鉄の新幹線駅」のデザイン。
大手口側駅舎の全貌を見るのは難しい。
通路に隠れてしまう
駅に直結したガラス張りの壁と屋根付きの歩行者用通路が、縦横に張り巡らされているため。これは、2011年末にできたペデストリアンデッキ。【24日追記】愛称は「大手スカイデッキ」。

ペデストリアンデッキといえば仙台駅前のを連想する。秋田駅の「ぽぽろーど」もある。
長岡のはそれらより幅が狭いが、屋根付きという点では秋田と同じ。歩く人が多い時間帯はきゅうくつそうで心配だけど、屋根は雪国では必須。

ペデストリアンデッキから下りると、アーケードが伸びる。
新しそうな高いアーケードもあれば、
昔懐かしいアーケードも
秋田市の広小路は、維持の問題でアーケードを撤去してしまったけれど、やはり雪国ではアーケードはありがたい。

ペデストリアンデッキ内部
ペデストリアンデッキの中には、バスケットボールの装飾が。
「basketball city nagaoka」
プロバスケットボール「BJリーグ」のチーム「新潟アルビレックスBB」の本拠地である(新潟市とともに?)ことにちなむそうだ。

ペデストリアンデッキの1本が、建物の2階【24日訂正】3階へとつながっていた。
「シティホールプラザ アオーレ長岡」
上の看板は「アオーレバード」というロゴマーク。

予備知識がなかったが、「アオーレ長岡」が公共施設っぽいのは分かった。なかなかシャレたデザイン。朝7時の時点で開いていて、テーブル付き椅子に座って朝食を食べる人や、談笑する高校生がいた。
北側の1階がアオーレの正面。
正面。「マエニワ(前庭)」と呼ばれる空間
アオーレ長岡は、2012年にできた複合交流施設。4階建ての長岡市役所の本庁舎・議場や、新潟アルビレックスのホームアリーナ(【24日追記】イベント会場等としても利用可能)が入る。以前は、公会堂や厚生会館(体育館)などがあった場所で、その建て替えと市役所を移転を同時に行ったことになる。
奥に屋根付きの広場「ナカドマ(中土間)」(南側から撮影。奥がマエニワ)

2階からナカドマを見下ろす

アリーナをのぞかせてもらう

新庁舎ができたばかりで、プロバスケチームがあるという点では、秋田市と比較してしまう。人口もおおむね同じ。
こちらはアリーナといっしょとはいえ、ずいぶん豪華でおカネがかかっていそうに思った。帰ってから調べてみると、総事業費は約120億円。
ところが、秋田市役所はアリーナ機能なしで130億円超。それじゃあ、アオーレのほうがずいぶん安上がりかも。
長岡は東日本大震災で建設費が高騰する前の工事だったことがあるのかもしれないし、秋田市は県庁所在地・中核市なので庁舎の機能が多くなってしまうかもしれないから、一概には言えないけれど。

しかも秋田市では、バスケのホームアリーナをどうするか県と市がごちゃごちゃやっているとか。
日赤跡地(なかいち)でも、ニューシティー跡地でも、アルヴェでも、山王の現庁舎位置でもいいから、アオーレ長岡みたいなのを造っていれば、効率的で効果的なものができていたかもしれない…


そして、アオーレの設計者は、あの「隈研吾建築都市設計事務所」だった。今度、秋田県鹿角の道の駅を設計するそうで、先日の秋田魁新報の隈氏のインタビューでアオーレのことが少し出ていた。
よそ者がぱっと見た限りでは、開放的で明るくて好感が持てる建物だった。冬の雪や寒さには対応できているのか、経年で凹凸部分などがどうなるか、ちょっと気になるけど。

ちなみに、セブン-イレブンやモスバーガーがテナントとして入っていて、駐車場はこの地下や民間を含めて近隣に所在。
長岡駅周辺の光景は、もう1回2回続きます。次の記事はこちら

【31日追記】写真にちらりと写っているが、ナカドマには300インチの大型ビジョンがあり、映像が流れている。
この辺の雰囲気が、秋田市「エリアなかいち」の「なかいち広場」の「デジタル大壁画」に通じる。秋田も300インチ画面。ただし屋根はない。
道路に面したマエニワには「にぎわい広場」が相当しそう。アオーレとなかいちのオープンはほぼ同時期。
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E653系いなほの旅

2016-05-18 18:36:28 | 旅行記
秋田から信州への旅。(前回の記事
鉄道でのルートは、日本海側周りで新潟県西部の直江津から内陸に入るか、大宮へ出て新幹線を乗り継ぐかの2つが考えられる。
北陸新幹線金沢開業時にシミュレーションしたように、所要時間が2時間ほど早く、列車本数も多い大宮乗り換えのほうが、現状では主流だろう。

しかし、距離は日本海側周りのほうが大幅に短く、運賃・料金は少なくとも片道7000円ほど安い。
わざわざ太平洋側へ出るのもシャクだし、いろいろな列車に乗れるので、今回はこちらを利用。秋田(羽越本線・白新線)新潟(上越新幹線)長岡(信越本線)直江津(えちごトキめき鉄道 妙高はねうまライン)上越妙高(北陸新幹線)長野というルート。(帰りはまた別なので後日)
こんなルートの乗車券は、利用者は多くなさそうだし、途中で第3セクター路線(えちごトキめき鉄道)を挟むことになる。窓口に依頼したならば、さんざん悩んで手間取ったあげく、間違われたりする危険があるところだけど、経由地を適切に入力・選択(※)すれば「えきねっと」で予約可能。えきねっとの乗車券発券システムは、なかなか優秀。
※経由地指定時は、直江津や上越妙高はJRと3セクが別の駅として登録されていて、プルダウンメニューで選択する。ここを間違えると新幹線か3セクかを誤ることになるので、注意。

このルートでの秋田-長野は、新潟と上越妙高の最低2回の乗り換えで到達可能。
ただし、新潟駅での接続が悪い(意地悪と言っていい)ものもあり、秋田発いなほ到着の9分前に上越妙高行き特急が出てしまったりする。その場合は、上越新幹線で長岡まで先回りすれば、追いつける。(乗り継ぎ割引が適用されるので、料金はさほど違わない)
今回は、秋田を最終の「いなほ14号」で発ち長岡で1泊し、翌朝に長野を目指すことにした。


以前から触れているように、特急「いなほ」の車両は、2013年から2014年にかけて新しくなった
国鉄時代からの「485系」電車から、20年ほど前に製造されて常磐線「フレッシュひたち」で使われていた「E653系」電車に替わった。

2013年10月に、引退間近の485系に乗って以来のいなほ。
せめて短区間だけでも新しい車両に乗りたいと思い、何度か予定を立てたこともあったのだけど、悪天候、急な予定変更等々さまざまな事情によりかなわずにいて、念願の初乗車。
ただし、E653系にはフレッシュひたち時代に1度乗ったことがあるのですが…
E653系いなほ(帰りに新潟駅にて)
いなほ投入に当たり、寒冷地向け改造、従来なかったグリーン車が豪華な仕様で新設され、さらに車体塗装は大きく変わった。

新塗装はJR東日本ホームページによれば「日本海に沈む夕日に輝く波とあかね空をゆるやかな曲線で表現している。」そうで、クリーム色~オレンジ色基調。パッケージの色使いが似ていることから「フルーツ牛乳」と呼ぶ鉄道愛好家もいる。
当初は、デザインが奇抜というか風景に似合わないのではと思ったけれど、柔らかい色づかいのせいか慣れると悪くない。

今春からは、車両両端正面の、従来は空白だった部分(ひたち時代は文字で表示)に、絵入りヘッドマーク的なものが入るようになった。
「INAHO(夕日と稲穂のイラスト)いなほ」のデザイン。悪くはないけれど、縦方向が狭いところにつめこみ過ぎに感じる。イラストは、稲穂よりも夕日のほうが目立ってしまうのも気になる。
「いなほ」の文字は、個人的には嫌いなPOP書体(おそらく「HG創英角ポップ体」。一度、裁判の判決表示に使われていたのを見たことがあり、我が目を疑った)だけど、「いなほ」の3文字に限っては、意外に合っている気がしなくもない。485系のヘッドマークの文字(国鉄のデザイナー作だろう)を丸くしたような、どこか似た雰囲気さえする。
行きに乗った車両の前側マーク
元から見やすくはないマークだが、車両によっては、とても見づらいものも。よく見ると、
結露している
元々10センチくらい奥まった所にマークが入っていて、さらに前のガラスが水滴で曇っていたのだった。

行きに乗ったのは、「U-102」編成。7本中この1編成だけは、沿線の8つのキャラクターたちが車体にラッピンされ、にぎやか。
3号車「庄内地方 山伏の庄ちゃん」
キャラクターは新潟県が5つ、山形県が2つ、秋田県はスギッチだけ。JR東日本新潟支社管轄のせいか、新潟に偏っているような…
スギッチは、秋田側の先頭車・グリーン車の1号車。反対の先頭7号車は、
新潟県の「トッキッキ」と「レルヒさん」

普通車の車内
車内は、新車のにおいとは少し違う、独特のにおいがした。加賀谷書店の今はなき本店(秋田駅前)のリニューアル後に、長期間漂っていた、建材か接着剤のにおいを弱くしたような?

座席の布地は、いなほ転用に当たって更新されていた。
濃淡・大小さまざまなひし形が散らばる、青系統の生地。フレッシュひたち時代も青色(背もたれ中央は黒)だったので、あまりイメージは変わっていないのかもしれない。
JR東日本ホームページには「新潟を代表する「小千谷ちぢみ」をモチーフとした腰掛にデザインを一新」とある。
枕カバーは黄色。フレッシュひたち時代もそうだったし、かつてのE3系こまち(特に座席が青系だった元自由席)を連想する。
座席の枠は以前のままらしく、傷が目立つものもあった。

前テーブル、網袋付き、座面スライド機能あり。PETボトルホルダーなし。「つがる」で使われているE751系電車とほぼ同じ装備。
背もたれの肩の部分に、立っている人がつかまる“把手(とって)”がないのも同じ。いなほ用E653系の場合、この部分(背もたれの外側角)が布地のものと、皮風の黒い素材になっているものと2タイプがあった(帰ってから写真を見て気づいた)。皮風なのは申し訳程度の把手代用だろうか。
分かりにくいけど、背もたれの角が黒い
あと、各背もたれのテーブルの上に黄色い「チケットホルダー」がある。ここにきっぷを挿しておけば、車掌が検札に来ても寝たまま対応してもらえるもの。名鉄やJR北海道の車両ではよく見られるものだが、JR東日本では珍しい。通勤客の利用が多いフレッシュひたちならではの装備だったのだろう。【24日訂正】フレッシュひたち時代はチケットホルダーがなかったようで、いなほ転用時に取り付けられたことになる。
いなほでは、必要ないのでは?(検札しなくても車掌の端末でチェック可能なのかな? 行きは検札があったけど)「お降りの際は、荷棚、帽子掛け、チケットホルダーなどのお忘れ物にご注意ください」と、車掌さんの呼びかけが1つ増えていた。

ネット上で、この車両のテーブルが軽すぎて、ちょっと体を動かしただけでテーブルが持ち上がってしまい、載せていたものが落下してしまったという声を見ていた。たしかにそうかも。弁当などを置く時は要注意。
一方、テーブルを収納する時のストッパーは、きつく、はめるのに力が要ると感じた。

通路の扉は、全面ガラスのほぼ全面素通し。「E653系」を意味する「series E653」の文字が入っている。デッキのある側とない側(すぐ連結部)とで開き方と文字の配置が異なる。(上の写真は連結側)
デッキ側のドア。この車両は背もたれ角が黒くない
このガラスドアにより、客席とデッキが互いに丸見え。
フレッシュひたちでは、通勤利用で出入りが激しかったり、立ち客がいたりするので、スムーズな車内移動を促すためだろうか。でも、これではトイレに入るのも客席から見えてしまい、女性など恥ずかしいと感じる人がいる。なお、グリーン車のドアはガラスがなく中が見えないもの(だったはず)。
座席からの視点
E653系の車内を眺めていると、かつての「こまち」E3系を思い出された。
(再掲)E3系車内
白っぽい内装、天井付近のアーチ状のアクセント、荷棚の一部が水玉模様の透明であることなど。製造時期がほぼ同時期だけに、共通点が多い。(E751系では、また少し違う)


個人的には、「つがる」のE751系は、座席の座り心地も、車両としての乗り心地もともに良く、気に入っている。
それとほぼ同じ思想で設計され、ほぼ同じ条件の線路を走るE653系「いなほ」はどうかと期待していた。(E653系のほうが2年ほど先)
結論としては、悪くはなく、485系時代よりは良くなったけれど、E751系とは少し違う感じ。
座席のホールド感がやや弱く、車両としてはゆらゆら(通路を歩きにくい)・ガタガタという揺れがやや大きい気がした。

485系では車内の照明が消えていた、村上駅付近での電源切り替え。
E653系では、蓄電池があるので照明は消えない。だから行きでは気づかないで終わってしまった。
帰りは、空調が止まったことで気がついた。通路ドア上の文字情報装置、流れていた自動放送は途切れることなく継続。※ところが2018年頃になると、485系同様、デッドセクション通過中に照明が消える場合もあるようになった。

自動放送といえば、元フジテレビの堺さんによる駅名のアクセント。
「つがる」では、「二ツ井」「大館」といった地名の読み方がとても自然で、地元の者としては感心していた。
いなほでは、「象潟(きさかた)」は、違和感がある平板なアクセントだった。もしかしたら「酒田」と聞き間違えられないために、あえてそう読んでいるのかなと思ったりもした。


車内販売。
だいぶ前から最近まで、秋田まで来るいなほでは全区間で車内販売があったものの、酒田止まりの列車では一切なかった。
ところが、E653系になった2014年春から、酒田止まりでも車内販売が行われるようになり、今は定期いなほ全列車で車内販売があるとのこと。
全国的に車内販売が縮小傾向の中、喜ばしいことだけど、採算が取れるのか心配でもある。

網袋に観光案内を兼ねた車内販売メニューが入っていた。
A4判
メニューのいくつかには「*」印が付いていて、それは「いなほ7・8号では取り扱っておりません。」とある。

どうも、いなほ7・8号はNREの秋田営業所【6月4日訂正・以下「営業所」は正しくは「列車営業支店」】担当、それ以外が新潟営業所の担当で、それによって品揃えが異なるようだ。
「雪室コーヒー」「雪国ドーナツ」「エチゴビール」「柿の種」など、新潟らしい商品がいろいろあるけれど、ほとんどが「*」。秋田担当列車では、ご当地商品は笹だんごくらいしかなさそう。ビールや柿の種は日持ちするし、秋田営業所でも扱えばいいのに…


夕方の上りいなほに乗るのは初めて。
天気が良ければ夕日を眺められるけれど、あいにくの雨。ついでに窓がとても汚かった!
秋田・山形県境辺り
帰りも夕方の7号(この列車は何度か乗っている)。まあまあいい天気だったけど、夕日は雲の中。
 行き帰りで同じ場所(秋田県由利本荘市岩城の二古信号場付近)

鳥海山と田植えが進む田んぼの水鏡(県境近くの山形県遊佐付近)

自由席は不明だけど指定席の利用状況。
14号は、酒田以北でも、2時間ぶりかつ最終の東京接続列車なのに、思っていたよりだいぶ少なかった。
7号は、鶴岡・酒田までは、いつものようなそれなりの客。僕の乗っていた車両は、酒田までで全員降りてしまい、秋田まで貸し切りだった。(いなほは国鉄時代からこんな傾向がある)【26日追記】堂々の7両編成のわりには、寂しい。
ちなみに、7号のグリーン車は、秋田駅で少なくとも1グループ3人が降りていた。新潟-秋田の普通車指定席とグリーン車の差額は2830円(通常期・乗継割引適用)。ものすごくゆったりした車内と座席なので、他の列車のグリーン車よりはアドバンテージがあるのだけど、貧乏性にはとても乗れない…普通車で充分です。

車両が替わっても、いなほの魅力は、
車窓に広がる日本海
【24日追記】グリーン車・普通車とも、海側の窓際はA席。(485系時代は、車両によって向きが逆転しており、揃っていなかった)

続きます

※その後、2018年の乗車記。ほぼ変化なし。

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元こまちの現美新幹線

2016-05-16 00:20:50 | 旅行記
2年前の2014年春をもって、秋田新幹線「こまち」での運行を終えた、秋田新幹線初代車両「E3系」電車。
26本(26編成)あったうち、初期製造の17本は廃車。
残りの9本は、他の列車に転用されている。改造・組み替えられて山形新幹線「つばさ」用になったもの(一部車両は廃車)、白とピンクの塗装のまま「こまち」の文字が消されて東北新幹線「やまびこ」用で走り続けるものなど、その後はさまざま。
やまびこ用は、現在も秋田車両センター所属になっていて、たまに秋田へ来ている(最近は5月12日にR21編成が来たとか。これは2014年の模様)。

その9本中、大きく改造されたものが2本。
「R18」編成は、足湯付きの観光車両「とれいゆ」になり、山形新幹線で臨時列車として運行中。

そして「R19」編成は、現代美術を乗車しながら鑑賞できる「現美新幹線」に改造され、今年4月29日から上越新幹線で運行開始。車体外観には蜷川実花によるデザインが施された。長岡の花火をモチーフにしているため、夜空の黒ベースの塗装で、「黒い新幹線」で「世界最速の芸術鑑賞」として注目されている。
鉄道趣味的には、ミニ新幹線車両であるE3系が、ミニ区間とつながっていない上越新幹線で運行されることが珍しい(営業運行は初?)。
【16日追記】現美新幹線への改造当初は、秋田車両センター所属のままだったが、現在は新潟新幹線車両センターへ転属しているようだ。

運行区間は、新潟県内完結の越後湯沢-新潟。
土日祝日に、他の列車と同じ「とき」の列車名で、各駅停車で1日3往復運転されている。
現在はパック商品と指定席(満席時は立席特急券を発売)での利用のみ。7月からは自由席も設定。


さて、この週末、長岡駅へ行きました。
乗る新幹線とほぼ同時刻に、反対ホームに現美新幹線が停車することになっていたので、見られるのを楽しみにしていた。
長岡の新幹線ホームは、ホームなしの通過線2本を間に挟んで上下ホームが向かい合う構造で、しかも柱が林立。まして昼間の屋根があるところに黒い新幹線だから、向かい側のホームから写真を撮影するのは条件が悪すぎるけど。
足もとには乗車位置表示も
号車番号は「こまち」時代のまま、11~16号車。
案内では「全席指定6両編成」と表示されるものの、列車名は他と同じ「とき○○○号」で、現美新幹線であることを知らずに指定券を取ってしまう人がいそう。

登場!
写真左側・こちらのホームに、上からオレンジ色のひし形がぶら下がっているのが、停止位置を示す運転士向け標識。「秋」というのが現美新幹線用だろう。「(元)秋田新幹線」の「秋」を示しているはず、「現」とか「美」よりも分かりやすいのかな。(かつて秋田新幹線だった頃に、試運転やイベント展示の回送などで来た時から使われているものかもしれないけど)
これが現美新幹線だ!
両側の先頭部分は黒というか青っぽい濃いグレー。側面は、1両ごとに違う色とりどり。
ドアの下に、おなじみの折りたたみステップが
ミニ新幹線車両がフル規格区間の駅に停車する時の必須アイテム、すき間をつなぐ折りたたみ式ステップは、元の色のまま残っている。
屋根上のパンタグラフのアームも、こまち時代のままのピンク色のようだ。編成番号も「R19」のまま。
窓がない車両も【19日追記】イラストではどの車両にも窓がないように見えるものもあるので、窓がある車両もけっこうあるとも言える。




そもそも外側だけしか見ていないし、こちらが乗る新幹線の入線が迫っていて余裕なかったのもあるし、若干遠いこともあるけれど、なんだかよく分からなかった。
白かったこまち時代を知る者としては、こんな姿になって、いろんな意味でいろんな心境。
この姿で秋田へ“里帰り”したらおもしろいそう。(目立たなくて踏切で危ない?!)
2019年に乗車できた


ついでに、普通の新幹線。
オール2階建て新幹線「Max」2代目で、現在は上越新幹線専用となった「E4系」。
かつては、上が白、下が紺色で間に黄色い帯が入る塗装だった。
(再掲)
いつの間にか変わっていた。2014年から変更が始まったそうで、今回は旧塗装のものは見なかった。
帯の色がピンクに
帯色が変わっただけだけど、それなりに印象が違う。以前は引き締まったイメージだったのが、やわらかくなった。
「Max」ロゴもトキのイラスト入りに
ピンク色は「朱鷺色(ときいろ)」ということで、2012年に廃車となった初代Max「E1系」の末期のデザインを復刻したもの。


E653系に替わってから初めて「いなほ」に乗り、信州へ行ってきました。旅行記をおいおいアップします。→こちらから
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日本海殺人ルート

2016-03-30 00:32:30 | 旅行記
鉄道推理小説(トラベルミステリー)およびそれを原作にしたドラマといえば西村京太郎。
余談だけど、3月21日放送の「情報ライブミヤネ屋」で、寝台特急カシオペア運行終了を取り上げたニュースの後、宮根氏のおしゃべりで「西村さんが生きてはったら…」と殺されかけた。(後に訂正・お詫びあり)

その代表作が「十津川警部シリーズ」。複数のテレビ局・出演者によって、ドラマ化されている。
有名なのは、渡瀬恒彦主演のTBS版と高橋英樹主演のテレ朝土曜ワイド劇場。

僕は原作は読んだことがなく、ドラマはTBS版を数作品見たことがある程度だった。
少し前、CSやケーブルテレビの「テレ朝チャンネル2」で、昔のテレ朝版を放送していたのを、たまたま見た。1988年4月2日放送の「日本海殺人ルート」(原作も同名)。先日取り上げた特急「白鳥」が舞台。

主演は英樹さんではなく三橋達也。1999年まで十津川役を演じ、2004年に亡くなったそうだが、存じ上げなかった。【30日追記】大変失礼ですが、渡瀬さんや英樹さんにの十津川警部と比べると、ずんぐりむっくりでイメージが違う…
相棒の亀井刑事(TBS版では伊東四朗)は、昨年亡くなった愛川欽也。英樹版でも続投したが、現在は高田純次に交代。
ほかに、今もテレ朝とTBS両方に出ている山村紅葉、一瞬、さまぁ~ずの大竹さんかと思ってしまった(←【30日補足】本作ではさほど感じなかった。別作品ではそっくり)森本レオなどが出演。

ものすごく大雑把なストーリー。
青森発の上り「白鳥」車内で殺人事件。容疑者には、その白鳥が京都駅に到着する1分前に同駅を出発する近鉄ビスタカーに乗って奈良へ行ったアリバイが…
といった感じ。

結論を言ってしまいますが、犯人は、殺害後、白鳥を新潟で降りて上越新幹線で東京へ出て、東海道新幹線で京都へ先回りしていたという、王道の時刻表トリック。(実際にはもうちょっと細々とありますが)


若干気になったのが、キンキンさんだけが、ビスタカーのことをずっと「ビスターカー」と呼んでいたこと。「vista car」だから「ビスタ“ー”カー」はおかしい。撮影現場で誰か指摘してやってよ。

それと、現在の旅番組などでも同様だけど、走行シーンで映る車両が、場面によってまちまちなこと。【31日補足】「同じ日の同じ便の車両」のはずなのに、場面によって外観がかなり異なる車両の映像が映るという意味です。
本作では、先頭車がボンネット型、ボンネットがない平らなもの(300番台か1000番台)、平らで屋根上ライトが2灯のもの(元北海道仕様の1500番台)が入れ替わり立ち替わり登場。【30日追記】オープニングのサブタイトルが映る場面では、平らで割れ目(貫通路)がある200番台も映る。少数派だったのか他のシーンでは登場しない。
さらに、遠景や一瞬で通過するシーンでは、少し短い列車もたまに映った。トンネルから出たシーンを静止させてみると、水色系統であるはずのヘッドマークが黄緑色。って「いなほ」でしょ!
鉄道車両に関心がある者としては気になってしょうがないけれど、ボンネットとそうでないのは、見た目がかなり違う。鉄道を知らない多くの視聴者でも「ん?」と思うのではないでしょうか…
(再掲)平らな485系先頭車
当時は、JR東日本の新潟所属の9両編成が使用されていた。製造時のままの国鉄色塗装で、車内も青色の座席など、原型のまま。【30日追記したのをさらに訂正】上記のように、先頭車はボンネット型と平らなのが混ざって運用されていた。ただし、少なくとも塗装変更後は、ボンネットの有無で車内の座席数が異なるので混乱を避けるため、指定席である青森寄りの先頭車1号車は常に平ら。自由席の9号車は両タイプが混ざっていた。したがって、塗装変更後は、両端ともボンネット型の編成はなかったはず。ドラマでは、上り列車なのにボンネット型が先頭のシーンがあるが、塗装変更前は、指定席側にもボンネット型が入ることがあったかもしれないし、あるいは下り列車を撮影した映像だったのかもしれない。←勘違いしていたので削除。青森から新潟までは自由席の9号車が先頭だから、ボンネットでも平らでも両方あり得た。それに、背景の日本海との位置関係から、下り列車の映像を使い回すのは難しい。

おそらくこの直後から、最近まで「いなほ」「北越」用などで残っていた白に青とエメラルドグリーンのラインが入る「上沼垂色」に塗り替えられ、車内もリニューアルが施されていく。
白鳥用は、1997年にJR西日本の京都の車両に変更され、再び国鉄色(主にボンネット型)が廃止時まで充当されることとなる。
(再掲)西日本所属だったボンネット型(新潟のものも見かけはほぼ同じ)

放送直前の1988年3月13日に青函トンネルが開通しているが、作中では開通直前・青函連絡船廃止間際の設定。亀井刑事は青森出身だそうで、消えゆく連絡船を懐かしむシーンがあった。
ほかに、青森で急行列車と思われる14系座席車、鶴岡で50系客車、上野止まりの東北上越新幹線200系、山手線の205系、0系ひかりなど、懐かしい列車の姿が見られた。
自分でも見たり乗ったりしたものばかりだが、昭和の最末期かつJR発足の1年後は、まだそんな鉄道の風景だったのかと、再認識。

それと、昼間の走行シーンでは、列車が前照灯(ヘッドライト)を点けずに走行していた。当時は、在来線では夜や悪天候など見通しが悪い時以外は、消していたのだ。
JR化と前後して常時点灯するようになったと記憶していたが、JRになってしばらくしてからだったことになる。
なお、現在でも一部私鉄では、昼は消灯している。

ホームの駅名標は、東海道新幹線は現在と同じオレンジ色ラインの入ったJR東海仕様なのに対し、JR東日本は在来線・新幹線とも、ほぼ国鉄時代のままだった。【30日追記】新幹線ホームの自動放送も、現在とは違う、開業時からの声・内容。
公衆電話は、テレホンカード対応の緑色電話の隣に、硬貨専用の黄色電話があった。
そんな時代だった。


ドラマによれば、当時の上り白鳥のダイヤは次の通り。※発/着の区別が不明だったり、明確に示されず推測したものがあります。
青森4時50分発→秋田3番線→鶴岡9時15分頃→新潟11時10分着→金沢15時03分→京都17時31分着→大阪18時01分着(13時間11分)
※京都では、先回りしたひかり17時01分着、ビスタカー17時30分発。

このルートを、現在のダイヤでたどってみると…
普通 青森5時45分→弘前6時25分
快速 弘前6時29分→秋田8時40分
いなほ8号 秋田9時15分→新潟12時57分
しらゆき6号 新潟13時04分→上越妙高15時04分
はくたか565号 上越妙高15時12分→金沢16時16分
サンダーバード38号 金沢16時55分→(京都19時08分)大阪19時39分
6本を乗り継いで計13時間54分。
秋田と金沢での待ち時間が長く、乗っている時間では白鳥時代とさほど違わない。

ちなみに、26日の改正前では、青森→秋田が「つがる2号」1本で青森5時43分→秋田8時22分。いなほはほぼ同じ時刻なので、秋田での待ち時間が約1時間。
しらゆきとはくたかが、新潟13時38分→上越妙高15時37分、上越妙高15時45分→金沢16時48分というダイヤで、新潟での待ち時間が長かった。(秋田から金沢へ行くには、今改正でちょっと時間短縮されたことになる)
青森5時43分→大阪19時37分と最初と最後は2分ずれただけで、同じく13時間54分だった。

ドラマのように、新潟で上越新幹線で東京へ出て東海道新幹線に乗れば、京都には18時前には到着する。
ちなみに、秋田で秋田新幹線に乗り換えて、東京で東海道新幹線に乗ると、京都は15時半着。
さらに、秋田新幹線を大宮で下りて、北陸新幹線に乗り換えれば、上越妙高や金沢で、再び上記ルートに戻ることも可能。
かなり余裕のあるアリバイ工作ができそう。
上越妙高から北陸新幹線で東京へ出るのだと、さすがに間に合わない。


乗り換えなしで東北と関西を結んでいた「白鳥」には、それなりの需要はあったはずだが、やはり時間はかかるから、当時でも青森から関西まで乗る人はさほどいなかったようだ。
ドラマでも、乗車前日に「飛行機で行くのか」と尋ねられた被害者は、「日本海を眺めながら、京都までのんびりと列車の旅をしてみるわ」と話していた。
5回も乗り換える今では、「のんびり」とは言えないかもしれないし、割高になるだろうし、相当な物好きじゃないと利用しないでしょう。犯人にしてもタイミングがつかめなかったり、乗り換えを間違えてアリバイ工作に失敗したりして(?)、物語が(“殺人ルート”が)成立しないでしょうね。

テレ朝・三橋版では1985年に「特急“白鳥”十四時間」という別の白鳥が舞台の作品が作られているが、TBS版ではどちらも取り上げられていない。今となっては、もう映像化することは不可能。

【2018年2月1日追記】テレビ朝日の高橋・高田版で2014年7月に「寝台特急カシオペア&スーパーひたち連続殺人」というのが放送されていて、これは「日本海殺人ルート」のリメイク作品だそう。見ていないので分からないが、舞台を東日本太平洋側~北海道に置き換えたということか。
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湯瀬から盛岡まで

2016-03-01 23:08:46 | 旅行記
湯瀬に一泊して翌朝。
下を米代川が流れる。昨日は吹雪で見えなかった奥の山並みも姿を現す
前日の強風は収まった。
内陸の鹿角は、朝はマイナス10度前後まで冷えることもあるのをテレビのアメダスで見て覚悟していたが、この日はマイナス4度くらい。出発時はもっと上がっていて、秋田市と変わらない。

列車時刻の都合上、チェックアウトタイムギリギリまで粘って、(ホテルの車での送りをお断りして)ぶらぶら歩いて湯瀬温泉駅へ。
ホテルの前が湯瀬渓谷の遊歩道の入口。雪で入れないだろうなと予想していたが、案の定、20センチほど積もっていて、足跡すらない。
左の緑色の橋が花輪線
対岸に、小さい滝のようなものが複数あるのが見えたので、雪をかき分けて川岸の柵まで行く。
水がきれい

流れている滝が1つ、残りは凍結している
凍っているのは滝じゃなく、ただのつらら?

ホテルの前に架かる駅方向へつながる橋は、歩行者用と車両用で分かれているが、歩行者用はやはり雪がもっさり。
歩行者の橋に「長者橋」との銘板があった。「だんぶり長者」伝説にちなむのだろう。※「だんぶり」は方言でトンボのこと。詳細は各自調べてください。

道標には、遊歩道終点まで4.5キロ、1つ大館寄りの八幡平駅まで5.0キロなどとある。
「菅江真澄の道」の標柱もあった。「ふる郷をおもい出湯の山ちかく わきて物うき棹鹿の声」。
200年ほど前の紀行家・菅江真澄(すがえますみ)は、秋田県内やその周辺を歩いて記録を残している。秋田市内にはよく標柱があり、周辺市町村でも見かけるが、湯瀬にも来ていたのか。ほんとうにくまなく歩いた人であり、湯瀬は当時から温泉として知られていたことになる。
「棹鹿」とは「さ雄鹿」、シカのことらしい。この辺にはニホンジカはいない(いなかった)はずだし、ニホンカモシカは鳴かない。何の声を聞いたのだろう。【7月2日訂正】秋田県全般の話だが、かつては秋田にもニホンジカが生息していたとのこと。明治以降の狩猟で絶滅していたのだった。

湯瀬ホテルの対岸、橋のたもとの公共浴場「湯瀬ふれあいセンター」の脇に、
火の見櫓
秋田市内では、放置状態同然のものや、撤去された火の見櫓が多く、目にする機会はほとんどなくなってしまった。
ここのは、色あせてはいるものの、てっぺんに半鐘が付いているから現役だろうか。
だけど、谷底に位置するここに設置しても、あまり見通しは利かなそう。

前回、駅から湯瀬ホテル・湯瀬渓谷入口までの道順の説明で、踏切が2つ登場した。
駅寄りの踏切は、
「湯瀬踏切」
妥当な名称。好摩駅から59キロ976メートルの地点とある。(好摩-湯瀬温泉駅の営業キロは59.9キロ)

大館寄りのほう。
こちらは60キロ204メートル地点
表示板は古めかしい手書き文字。柵の色が、黄色と黒でなく、赤と白。最近は視認性が高いとして赤白の踏切がある。ここは、柵の裏面などは黄色かったので、塗り替えたのだろうか。
その名は、「湯坂踏切道」?

踏切の名所って、「○○踏切」と最後に「踏切」が付くのが普通。これは途中に「踏切」が入って最後に「道」。どういう意味?
後方にある非常時の連絡先を記した看板には「湯坂踏切」とある。湯坂踏切道は古い名? 書き間違い?
箱を満載した古そうなトラック。運転者は短足

※2017年11月に再訪したが、火の見櫓も踏切も変わりなかった。その他追加事項はこの記事にて。

鹿角市のマンホールのフタは比内鶏

1日7往復しかない湯瀬温泉駅では、湯瀬温泉の宿で朝食後に移動する場合、ダイヤの選択肢は限られる。(高速バスなら毎時1本ですが)
下り大館方面は、6時48分、8時44分、11時21分だから、8時44分の一択でしょう。
上り盛岡方面も、5時50分、7時44分、10時26分。8時前では早過ぎるから、10時が無難。
そんなわけで、10時26分発。

委託駅員さんに見送られて、列車に乗り込む。
乗る客は我々だけだったが、高齢者を中心に5人くらい降りたのには驚いた。
何かの用事で湯瀬に来たのか、湯瀬の人が朝いちばんで鹿角に行って用足しして帰ってきたのか。そういえば、駅前には昨日来た時にはいなかった、客待ちタクシーがいた。1台だけだけど。
本数が少なくても、地域の足として利用されているようだ。

鹿角方面から乗って県境を越えようとするお客は思ったより多い。4人掛けボックスはどれも先客がいて(1人で1ボックス独占を含む)、今回も2人掛けへ。3時間ぶりの列車だから、わずかこのくらいとも言えるか…

湯瀬温泉駅を発車して3分ほどで、あっさりと岩手県に入った。
林の中をせせらぎと並んで進む車窓がしばらく続く。「高原の車窓」らしくて好き。

岩手県に入っているが、見えている川はまだ、日本海へ注ぐ米代川水系らしい。
岩手県に入って2つ目の田山駅を過ぎて、横間駅手前のトンネルの中が分水嶺(の下)のようだ。
「よこはま」じゃなく「よこま(横間)」駅
ホーロー看板の駅名板が健在の駅が多かった。

引き続き、雪の高原地帯を走る。ところどころ集落があり、学校のグラウンドにクロスカントリースキー用のコースが作ってあったりする。
東北自動車道では安代(あしろ)と呼ばれる、荒屋新町駅。
ここからは険しい勾配が続く。赤坂田-安比高原-松尾八幡平の間で、およその標高(マピオンより)が400-500-300メートルと変わる。
「龍ヶ森(安比高原の旧駅名)」と呼ばれ、かつては蒸気機関車が3重連や前後に付いてあえぎながら走ったという。
男鹿線・五能線でおなじみのキハ40系気動車が花輪線に導入されなかったのは、キハ40の非力なエンジンでは龍ヶ森に対応できなかったからだという話も聞いた。(秋田県側では、臨時や代走で入線実績あり)

キハ40(換装前)の倍のエンジン出力を誇るキハ110系も、少々苦しそうにエンジンをうならせて龍ヶ森を走行。でも、50km/hくらいは出ていたのではないだろうか。

やがて、徐々に高度が下がり、平地が広がっていく。天気が良ければ岩手山も見えるだろうか。
こういう景色の変化のしかたが、同じ秋田・岩手県境である田沢湖線の風景とどこか似ているが、花輪線のほうがややのんびりした感じか。
雪が少なくなり、建物が増える
お客も少しずつ増えて、だいたい席が埋まった。
湯瀬温泉から1時間20分。好摩駅に到着。元東北本線である第3セクターのIGRいわて銀河鉄道に入る。乗務員の交代はなし。

花輪線区間では、線路の制約から85km/hが最高速度。(GPSの計測によれば、ごく一部区間で85キロ弱出ていた)
IGR区間は線路状態が良いので、キハ110系の性能いっぱいの100km/hで走行できる。今回は、直前を貨物列車が遅れて走行していたので、やや控えめだったようだ。
【2017年11月23日追記】2017年11月に同じダイヤに再乗。この時は本来の走行だったと思われるが、思った(期待した)よりも静かな走りだった。ぐんぐん加速して、後は滑るように走る感じ。

再びうっすらと雪が積もるようになり、少々吹雪く。
石川啄木の生誕地・渋民村(現・盛岡市)の渋民駅には、
啄木顔はめパネルがぽつんと
ただし、渋民駅の開業は戦後で、石川啄木の頃は好摩が最寄り駅だったとのこと。

厨川(くりやがわ)駅の広告看板。
「らいおん動物病院」
「スズメからライオンまで」だって!
【2017年11月23日追記】2017年11月に反対側の車窓を見たところ、ホーム上にも同じ内容の少し小さい広告が出ていた。

盛岡駅にのIGRホームに到着。1階北側のIGR専用改札口(自動改札なし)からしか出られない。
久々に都会の風景。盛岡市街地もうっすらと積雪

多少、続きます

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