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秋田の北陸新幹線効果は?

2015-04-15 23:57:43 | 旅行記
先月ざっと紹介した2015年3月のダイヤ改正で、北陸新幹線が金沢まで延伸された。
マスコミや旅行業界が騒ぎ立てるように、たしかに首都圏から北陸は“近く”なった。

このように、これまでもこれからも、東京と各地を結ぶ新幹線は整備されている。東京一極集中が加速するばかり。
その裏返しで、地方対地方もしくは同一地方内での移動は、相対的にも絶対的にもしづらくなっている。新幹線開業により、都市間の在来線特急が廃止されるのはまだしも、並行在来線がJRの経営から分離されて運賃が高い第3セクター鉄道に移管され、日常の移動でさえ負担が増えるケースも少なくない。これならば、JR経営のままのミニ新幹線方式のほうがマシにも思えてしまう。


さて、今回の北陸新幹線開業を、同じ日本海側でありながら直接新幹線でつながっていない秋田からの視点で考えると、その効果や恩恵どんなものだろうか。
JR東日本の秋田エリア発北陸方面の「びゅう」旅行商品では、秋田新幹線や東北新幹線で大宮まで行って北陸新幹線に乗り換える行程のツアーやパックがすべてのようだ。
びゅうパンフレットより抜粋・合成
時間的には早そうな気はするが、いったん太平洋側まで行って日本海側へ戻る行程は料金が高そう(パックだから変えられないけど)だし、そもそも気分的にイヤだ。

かつては、東北から北陸・関西まで日本海側を走り通す特急「白鳥」、寝台特急「日本海」を使って、本数は多くないものの乗り換えなしで行き来できていたのは記憶に新しいし、国鉄時代までさかのぼれば、急行「しらゆき」(後述)、夜行急行「きたぐに」(最近まで大阪-新潟が残っていたが、かつては青森まで走っていた)などもあった。
「日本海」廃止後、北陸新幹線開業前でも、特急「いなほ」と「北越」を新潟で1度乗り換えれば、富山や金沢には行くことができた。

北陸新幹線開業により、新潟-金沢の特急「北越」が廃止。北陸本線のうち直江津以西が第3セクター鉄道「えちごトキめき鉄道」と「あいの風とやま鉄道」に寸断・移管された。
それにより、新潟から先は普通列車を延々と乗り継がなければいけないかと思ったが、そうでもなかった。
「北越」の代替として、直江津から内陸側の旧・信越本線(こちらもえちごトキめき鉄道に移管)に入る特急「しらゆき」が新設され、新潟方面から来て上越妙高駅で北陸新幹線に乗り継ぎできる
したがって、新潟と上越妙高で2度乗り換えれば、引き続き秋田から日本海伝いで富山や金沢には行くことができる。第3セクター区間はわずか(直江津-上越妙高10.4キロ。前後のJR区間は通算できる)だし、新幹線との乗継割引制度も設けられるので、費用的負担はさほどでもないかもしれない。

どうなるかと、試算してみた。
※いずれも秋田駅からの運賃・料金・所要時間。運賃料金は「乗車券+特急券等料金=合計」で表記。所要時間は時刻表でぱっと目に留まったものを中心に乗り換え待ち時間も含めて計算しているので、もっと早かったり遅かったりする可能性あり。
※料金は通常期の指定席料金。乗継割引は1度だけ適用。(企画乗車券、自由席または快速の使用や、裏ワザ的に新幹線を途中で区切って乗継割引を複数回使えば、安くなる)
※間違っているかもしれません。検討・利用の際は、各自改めて確認願います。
赤が大雑把な開業区間
●富山・金沢
金沢-富山は60キロほどしかなく、どちらも北陸新幹線上なので、条件はほぼ同一なのでまとめて。(だからこそ、マスコミが金沢ばかり取り上げるのは不公平だと思う。富山をもっと取り上げてやればいいのに…)
【日本海側ルート】
開業前 いなほ~北越 新潟乗り換え
2つの特急を乗り継いで、在来線をたどる。富山まで527.1キロ、金沢まで586.5キロ。
新潟での接続が良く、ほとんど待たずに乗り継ぎでき、富山まで7時間、金沢まで7時間30分ほど。
富山まで8420+5360=13780円、金沢まで9290+5570=14860円


開業後 いなほ~しらゆき~北陸新幹線 新潟・上越妙高乗り換え
北越もいなほと同型の新しい車両に更新されたので(時間は変わらないが)少し快適になった。
富山まで529.7キロ、金沢まで588.3キロ。直江津から内陸に入る分遠回りになりそうだが、北陸新幹線は在来線時代の北陸本線とは別に短い営業キロを設定しているので、相殺されてさほど距離は増えていない。
新潟での待ち時間が増えて(30分ほど)しまい、富山まで7時間、金沢まで7時間30分で開業前とほぼ同じ。
富山まで8450+6950=15400円、金沢まで9200+6950=16150円。値上がり幅はちょっと大きい。

※2016年3月の改正では、新潟での接続が改善(短縮)され、金沢までスムーズにつながるようになり、上記より約30分短縮された。この記事後半参照。一方で、いなほが新潟に着く直前にしらゆきが発車するものが2本ある。

【秋田新幹線・大宮乗り換え】
開業前 こまち~上越新幹線~北越急行 大宮・越後湯沢乗り換え
大宮まで出て、あとは開業前の北陸対首都圏の主要ルートだった上越新幹線・北越急行(在来線時代の「はくたか」)回り。富山まで1003.2キロ、金沢まで1062.6キロ。
なんとなく早そうな気がしていたが、意外にも所要時間は富山まで7時間30分、金沢まで8時間と日本海側ルートよりはややかかる。
富山まで12960+12220=25180円、金沢まで13610+12500=26110円

なお、こまちでなくいなほで新潟まで行って、上越新幹線~北越急行と経由する場合も時間はほぼ同じ。運賃料金は18000円程度。

開業後 こまち~北陸新幹線 大宮乗り換え
JR東日本推奨ルート。富山まで993.9キロ、金沢まで1052.5キロ。
大宮での接続があまり良くなく、1時間弱待つことが多いようだ。その結果、富山まで6時間強~7時間弱、金沢まで7時間
富山まで12640+13470=26110円、金沢まで12960+14000=26960円

北陸新幹線の開業で、東京-富山は約1時間、東京-金沢は1時間20分ほど短縮されたそうだが、秋田からでは、大宮の待ち時間で相殺されてしまった。
料金は1000円弱しか値上がりしていないから、そのまま時間短縮の恩恵を受けられれば、秋田からでも開業効果を享受できたのに。

日本海側ルートと比べて、この程度の所要時間差、乗り換えが1回多いだけで、値段が1万円も違うのだから、個人的にはこのルートはやっぱり使いたくない。


●長野
日本海側から北陸新幹線の新規開業区間を上り方向へ進めば、長野へ行くこともできる。
マスコミはもちろん、JR東日本も宣伝していないけれど、こちらはどうだろう。

18年前の長野新幹線(北陸新幹線の一部だけど)開業より以前からそうだったはず(国鉄全盛期は違ったかも)だけど、秋田-長野の移動は大宮まで出て信越本線(長野新幹線)に乗り換えるのがわりと一般的だったかもしれない。
こまち~北陸新幹線利用の秋田-大宮-長野で824.4キロ、5時間弱、11120+10540=21660円(新規開業区間は通らないので変更なし)。


しかし、距離的にいちばん近いのは、日本海側を直江津まで行って、そこから信越本線上り方向で内陸に入るルート。開業前は新潟と直江津で乗り換え。
前から乗ってみたかったのだが、開業前は、直江津-長野が各駅停車しかなく、気後れして実現できずに終わってしまった。
484.3キロ、7時間30分ほど、7880+4810=12690円だった。

開業後、上記の富山・金沢まで日本海側をたどるルートの途中の上越妙高駅まで行って、反対の上り新幹線に乗って2駅で長野。
479.2キロ、上記の新潟のほか上越妙高でも30分ほど待たされるので7時間強、7800+6200=14000円

また、このルートで上越妙高と長野の間にある駅が飯山。
従来は飯山線で長野から1時間近くかかっていたのが、新幹線によってわずか11分(上越妙高からは12分)。金沢や富山以上に、新幹線の恩恵を受けている土地ではないだろうか。
上越妙高と飯山両方に停まる列車は多くない(2時間に1本くらい?)けれど、飯山周辺の温泉旅行もいいかも。



【16日まとめ】総合的に秋田からでは開業前後で劇的な変化はなし。秋田新幹線で太平洋側(大宮)へ出ても時間はほとんど変わらず、値段が高くなるだけ。
以上、秋田からの北陸新幹線金沢開業の効果・恩恵は、やっぱりごく限られたもののようだ。
でも、接続を改善してもらったり、割引きっぷ類を充実させてもらったりすれば、また違うものになるだろう。
前から述べているように、日本海側を行く場合、冬期の悪天候による運休が不安なのでその改善もしてほしい。太平洋側の災害や長期不通に備えた迂回ルートとして、日本海側回りの交通網も日頃から充実させて維持することも必要だと思う。新幹線を作れとは言わないが、災害対策や利用しやすい列車本数の確保ぐらいは官民挙げてやるべきではないだろうか。

個人的には、東京なんかより北陸や信州のほうが魅力的な旅先。直通列車がなくても、地方から地方へ便利に移動できるようになってほしい。


●しらゆき
ところで、上で新潟-上越妙高に新設された特急「しらゆき」の名が何度か出た。「しらゆき」という列車名に聞き覚えがある方も少なくないのではないだろうか。
今回登場した「しらゆき」は、実は“3代目”。

初代と2代目も日本海側の列車名として使われ、いずれも秋田県内を走っていたのだ。
初代は国鉄時代の急行列車。
1963(昭和38)年
に金沢-秋田・青森の急行として運行開始。
全線が電化されても、キハ58系気動車(ディーゼルカー)で運転された。これは、途中で電源が3種類変わる(直流・交流50ヘルツ・60ヘルツ)のに対応できる車両がないためだったのだが、「全区間架線下を行く気動車急行」として有名だったらしい。

初代は1982(昭和57)年11月の上越新幹線開業時に特急に格上げされて、名前が消えた。
特急としては「白鳥」に編入・増発されて、福井-青森で1往復運転。しかし、1985年春に福井-新潟に短縮されて「北越」に編入。「白鳥」は大阪-青森の1往復に戻った。
したがって、この2年少しの間だけ、1~4号の号数付きの「白鳥」が存在した。

2代目は1997(平成9)年なのだが、少しさかのぼる。
秋田地区の普通列車に701系電車が本格導入された1993年。各地を結ぶ愛称付き快速列車が設定され、秋田-大館は同年に世界遺産に登録された白神山地にちなんで「しらかみ」となった。
秋田-青森で運行されていたとする情報もあるが、快速運転は秋田-大館だけで大館以北は各駅停車だったはず。

その後、1997年の秋田新幹線開業時に観光快速列車「リゾートしらかみ」が誕生。
おそらく混同を避ける意味で「しらかみ」は「しらゆき」に改称されて、2度目の登場。
しかし、JR東日本秋田支社の方針で、快速列車の減少(各駅停車化)が進み、わずかに残った快速は愛称をやめて無名の快速に。2002年に「しらゆき」は消滅した。
現在、秋田-大館には上り2本、下り1本だけ快速が残っているが、1往復はかつての急行「よねしろ」の末裔。「しらゆき」の流れを汲むと言えるのは、朝イチの大館発だけ。

ちなみに、しらかみ→しらゆきには、弘前にいた頃、秋田に帰省して夜に弘前へ帰る時によくお世話になった。
当時の停車駅は八郎潟、森岳、東能代、二ツ井、鷹ノ巣だけで、土崎も特急が停まる早口さえ通過し、所要時間は特急並みの俊足ぶり。鹿渡駅のポイントを高速(75km/h?)で通過する時の揺れがたまらなかった。
なお、大館から先は、車両運用の都合で花輪線のキハ58またはキハ52を用いた弘前行き普通列車。大館-弘前は701系より10分ほど余計に時間がかかり、一転してのんびりとした夜汽車の趣きだった。


そして、2015年、晴れて特急になって3度目の登場
雪国にふさわしい、柔らかで美しい愛称だと思う。末永く活躍してほしい。


そう言えば、「しらゆき」というカップ入りかき氷もあった。
昔は雪印が発売していて、後に雪印のアイス部門の移譲先であるロッテから発売されたそうだが、今もあるだろうか。容器は昔は円形で、ロッテでは四角かったそうだ。

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9 コメント

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しらゆき (FMEN)
2015-04-16 00:42:37
金沢秋田間が今度は金沢新幹線リレーで出世ですか。
旧しらゆきがなくなることで、たまに走っていた追分から先のキハ車って廃止なんでしょうか?
たまに701と違う車が走ってたようですが。
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こんにちは (匿名)
2015-04-16 15:37:07
個人的にはむしろ上越新幹線が秋田まで延伸してくれたらそれなりの恩恵はあると思います、といっても今更無理な話ですよね(笑)


秋田新幹線みたいにミニ新幹線あるいはフリーゲージ化の可能性はなきにしもあらずですけどね…
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コメントありがとうございます (taic02)
2015-04-16 19:57:13
>FMENさん
秋田-東能代の朝のラッシュが終わった後の上りと夜の下りですね。それはまた別の気動車でして、今も走っています。
これは、五能線用のキハ40が秋田まで来て整備を受けるための回送代わりの営業ということのようです。たまに男鹿線用の車両(青→緑の色違い)が紛れ込むこともあります。

>匿名さん
「日本列島改造論」における「羽越新幹線」ですね。
たしかに今では実現し得ないでしょうけれど、実現していれば、北陸へも東京へもずっと早く行けたことでしょう。冬の運休もなく。

ミニ新幹線化だと貨物列車の対応もありますね。となるとフリーゲージなんでしょうか。どっちにしても、酒田までなんてことになりそうな気がしますが…
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Unknown (YS)
2015-04-19 01:19:12
 八郎潟駅が最寄の者です。
 大館快速は学生のとき大好きな列車でした。秋田を出ますと八郎潟まで運転停車も含め止まらなかったので、特急にのっているような感覚もありました。昼に設定されていた青森ゆきは「青森行きワンマンカーです。大館までは快速ワンマンカーで運転いたします。停車駅は・・・、」というのを覚えています。愛称名しらかみはアナウンスしませんでした。昼とはいえ、人気があったようで、いつも混んでいました。
 この県に限りませんが、田舎での快速列車は、通過する駅の利用者が停車を呼び掛ける傾向が強いですね。快速が定着せず、地元の声に負けて普通列車になってしまうのがオチのようです。
 特急こまくさの、秋田から大曲までは特急料金不要の485系快速もありましたね。山形新幹線開業後、701系快速こまくさになりました。奥羽南線がさみしくなりました。
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快速しらゆき (taic02)
2015-04-19 19:14:11
コメントを拝見して、昼の快速の存在を思い出しました。秋田発12時前後だったでしょうか。僕も数度ですが乗ったことがあります。
701系の自動放送はあまり細かい芸当はできないようで、列車名までは言いませんね。実際には大館から弘前までもワンマン運転だったのに、大館に着くまでそのことは言えないし。
たしか、新宿発の夜行快速「ムーンライトえちご」から乗り継げる列車で、青春18きっぷシーズンには北海道へ向かう旅行者で賑わっていたかと思います。
その1本後の各駅停車青森行きは3両編成で収容力があり、比較的時間もかからなかったので、個人的にはそちらを好んでいました。

JRとしては、お客の総数が減っていて各駅停車1つでまかないたいのでしょうが、利便性向上や高速バス・自家用車と対抗するためにも、早くて快適で安い列車がもっとほしいものです。
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Unknown (YS)
2015-04-20 16:38:06
14時45分頃の秋田発青森行き50系客車。あれはもう、客車としても当時としては長距離運用で、土曜は狙ってこの列車に合わせていた記憶があります。
 今は奥羽、羽越の長距離を通す701系がありますが、18きっぷ、北東パスの人はよく乗っておられますね。私もそのうちの一人ですけど。
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50系 (taic02)
2015-04-20 21:02:08
50系時代はほとんど乗ったことがありません。冷房なし、ボックスシート、機関車牽引でまったく違った雰囲気だったのでしょう。

ところで、先月の上野東京ライン開業で沼津-前橋、熱海-黒磯などが登場したそうで、一時期は短距離化が進んでいた普通列車も、昔のようにロングランが増えつつあるような気がしています。
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Unknown (YS)
2015-04-21 19:44:50
 私など、北東パスで東京までいくとき、黒磯からの通勤快速上野行きがトリになります。秋田からどの列車も(ほとんど701系です)平均1、2時間乗ってます。最後グリーン車に逃げることも何度か考えました。
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気分次第 (taic02)
2015-04-21 21:01:41
那須塩原から上野まで普通列車で行ったことが1度だけあります。思ったほどつらくはなかったけれど、秋田からずっととなると、気が遠くなります。
その時の気分次第なのかもしれません。
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