広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

尾張大橋

2009-06-09 21:14:00 | 
「木曽三川(きそさんせん)」と呼ばれる川がある。岐阜県や愛知県西部の濃尾平野を流れる木曽川・長良川・揖斐(いび)川の3つをまとめた呼び方。鵜飼いで有名な長良川以外は、僕も含めて東北人にはなじみが薄いが、どれも“大河”と呼ぶにふさわしい河川だ。

「輪中(わじゅう)」はご存じだろうか。僕は教育テレビの小学校4年生のクラさんか5年生の「リポートにっぽん」で見たような記憶があるが、この木曽三川流域は低い土地が多く水害に悩まされ、その対策として集落全体を堤防で囲ったのが輪中。

洪水の頻発は、かつて3つの河川が下流域で渾然一体となって流れていたことも理由で、江戸と明治時代に大規模な治水工事が行われ、現在はそれぞれが明確に区分され流れている。

地理好き・大河好きとしては大いに興味をそそられる場所で、以前はこの3本が最接近して流れる場所(木曽三川公園センター)を見た。秋田市の雄物川河口付近(雄物川だって有数の大河川だ)みたいなのが3本隣り合って流れていて、とても感動した。今回は、そこから6~7キロほど下流、愛知県の海沿い最西端、弥富(やとみ)市を訪れた。
「弥富」駅
名古屋からのJR関西本線、ローカル線の名鉄尾西線が同じ駅を使い、別に徒歩数分の場所に近畿日本鉄道の「近鉄弥富」駅がある。名古屋周辺でこの3社が集結する駅は、名古屋駅と弥富駅しかない。名古屋から弥富へは運転本数や時間的に近鉄かJRを使うのが普通だが、今回はフリーきっぷ使用なので、ローカルムード満点の名鉄で。
弥富駅は地下駅以外では最も低い場所にある駅
一説には近鉄弥富の方が低いとされるが、近鉄では駅の標高を調査しておらず、不明らしい。
弥富駅は豊橋駅と同じく、JRのホームを名鉄が間借りする形。ここは名鉄の職員すらおらず、窓口業務もJRに委託している。しかもJR東海も自社の子会社に業務を委託していて自動改札もない。秋田市の羽後牛島とか新屋みたいな感じの駅だった。
駅から約200メートルで国道1号線に出るので右折
住宅地と店が混ざって、ここも秋田市新屋の旧国道7号線(秋田大橋の通り、今は県道56号)みたいな雰囲気。
駅から1キロほどで「尾張大橋東」交差点
100メートルほど先に名前が似た「尾張大橋」交差点、その先が尾張大橋。手前の交差点名「尾張大橋東」は「尾張大橋の東側(東詰)」と「『尾張大橋』交差点の東隣」の2通りの意味に取れるけど、どっちなんだろう?
橋のたもとで2つの交差点が接近しているのも、新屋の秋田大橋に似ている。
木曽川

橋を背にして振り返って
木曽川が三重県との境目なので、「愛知県」「弥富市」の看板がある。橋を渡り終えてから「尾張大橋」の看板があるようにも見えるが、これは本来信号機に付ける「交差点名」の表示。県名市名の看板と干渉しないよう、信号機から離れた下に付けたのだろう。

堤防を降りてみる。雄物川と比べて川幅はやや広いが堤防は低く、楽に降りられる。標高が低いからだろう。
約100メートル上流側に近鉄とJRのトラス橋が並ぶ
ちょうど近鉄の普通電車が来た。延々とトラスが続いている。
河原は砂地でさっきまで水があったかのようにぐちゃぐちゃ
満ち干があるのか、海みたいな匂いもするし、潮干狩り? をする人もいる。上流側の橋は東名阪高速と水道橋らしい。

さて、ここに来た目的は、国道1号線の「尾張大橋」を見て渡ること。
秋田大橋由利橋も立派な名前の立派な橋だが、これは旧国名の「尾張」を冠した橋。そして秋田大橋や由利橋と同時期の1933(昭和8)年に架けられ、秋田大橋よりも長い橋が現役ということで興味があった。
長い!
878.8メートル(先代の秋田大橋は578.4メートルなのでちょうど300メートル長い。幅は7.5メートルで同じ)

そして(2002年に塗装工事が行われたので錆が目立たないのもあるが)、美しい。
由利橋・秋田大橋など昭和初期のトラス橋はゴツゴツしていかめしかったが、この橋は、トラス橋でなく、ラインが柔らかく優しい。
この橋は、構造で分類すると「ランガートラス橋」という形式。上部の構造物は、上の方は本田橋のような「ランガー」、下3分の1ほどが三角に組んだ「トラス」構造で、2つの折衷構造。盛岡駅前の開運橋もランガートラス。
鋼材自体は時代を感じさせる太いものだが、トラスよりランガー(アーチ)部分が目立つので、優美な印象を受けるのだろう。

秋田大橋はトラスが6連だったが、こちらのランガートラスはなんと13連!(1つ1つが短いけれど)
果てしなく続いていて気が遠くなりそうだし、スケール感がおかしくなってピョンピョンを跳んで渡れそうな気がしたり、河原でしばし見とれてしまった。

川は下流らしい堂々とした流れだが、河口から9.3キロとの表示があった。雄物川では四ツ小屋の岩見川合流点が8キロ。
端っこの鋼材に銘板が。「横浜船渠株式会社製作/昭和八年三月」
横浜船渠(せんきょ)は現在は三菱重工と合併している。
「工事概要」を発見
それによれば、昭和5年3月着工・8年10月竣工、工事費156万5千円。
工事関係者として愛知県知事以下、県の土木技術職員が名を連ねる。国道なのに大臣とか国関係者の名前が一切ないのは何でだろう? 今みたいに地方分権・権限委譲の時代ではないのに。
最後に「設計者嘱託 工学士 増田 淳」とあるのは、戦前に各地に多数の橋を設計した有名な技術者(1883-1947)。コンピュータもない時代にこんな実用的なのに美しく、耐久性のあるものを作ってしまうなんて。
旧秋田大橋は資料が散逸して設計者などは不明だそうだが、こうして橋自体に当時の記録が残るのは貴重だと思う。ちなみに秋田大橋は着工から竣工まで2年、工費62万円。どちらの橋も昭和初期に2・3年でこんなに大きな橋を架けてしまうのはたいへんな大工事だったに違いない。

古い橋お約束の後付け(1963年)の自転車・歩行者道が両側にある。
上の旧建設省のままの看板は「気をつけて通行して下さい」
心配してくれるのはうれしいが、「何に」気をつければいいのでしょうか? 対岸にも同じ2枚の看板があった(警察署名だけ違った)。
左側通行だが見晴らしが良さそうな下流側を渡る
県境でも両岸に町並みが迫るためか、たまに自転車で通る人がいる。上流側歩道には県境を示す小さな黄色い看板が立っていたが、下流側にはなかったと思う。車道は通行量が多く、やや滞り気味で旧秋田大橋レベルか。

歩道の幅はやや狭めで、手すりの下の隙間から水面が見える、おっかないタイプ。もちろん車道の振動が伝わって揺れる。でも滑りにくいザラザラの加工がしてあるので、それほど恐怖感がなかった。(旧由利橋の方が怖かった)

近くで見ると由利橋や秋田大橋と同じ、リベット(鋲)で止めたゴツゴツした鋼材。

橋からの下流の眺めは壮観。風も気持ちいい。
海じゃないです。川です
写真では分からないが、河口の「ナガシマスパーランド」のジェットコースターが見えた。
三重県側
13連のアーチに続く西側1スパンはランガー(アーチ)部がなく、低いトラスだけの構造。こちらもたもとに交差点。
10分ほどで渡り終えた。秋田大橋を渡るのと気分的には変わりなかったが、歩いて三重県に入ったことになる。
交差点名は「尾張大橋西詰(にしづめ)」。
東日本ではあまり使わないが、京都など西日本では、橋のたもとを「東西南北+詰」と表現し、交差点やバス停名に使われる。
愛知と三重では信号機を管轄する警察はもちろん、国道を管理する国交省の出先機関(国道事務所)も異なるので、表現が異なったのだろう。三重県は近畿地方に含める考え方もあるから、ここが「○詰」の境界かもしれない。
ちなみに英語表記は「Owari Bridge E.」と「Owariohashi W.」と異なっていた。西詰はbridgeと書いてないから知らない外国人は「オワリオーアシ」と読みそう。
ずいぶん先(橋から100メートル位?)に「三重県」「桑名市」の看板
今は桑名市だが、2004年までは長島町だった。長島の名の通り、木曽川と長良・揖斐川に挟まれた長い島状の地域で、かつては輪中のまっただ中だったのだろう。言葉なども三重よりも尾張の文化が混ざっているなど、独特な模様。

この先国道を2キロほど進めば長島を抜けて、長良・揖斐側を一挙に渡る尾張大橋の兄弟橋「伊勢大橋」や長良川河口堰がある。翌日に訪れることにして、この日は長島駅(弥富のようにJR・近鉄が近接、JRは無人駅)から電車で戻った。

長良川河口堰の記事はこちら。伊勢大橋の記事はこちら

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