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広く浅く

今後はhttps://taic02.hatenablog.jp/で更新します

南の新幹線

2010-12-12 20:09:32 | 旅行記
秋田から博多まで来て、次は熊本・鹿児島へ向けてさらに南下する。
※分かりやすくご紹介する都合上、実際の行程とは順番・方向を入れ替えた画像を使用している箇所があります。

来年3月、九州新幹線の博多-新八代間が開業すれば、青森から鹿児島までが新幹線でつながることになるが、今はまだ同区間は在来線(鹿児島本線)での移動。
その博多と熊本・八代方面の間では、多数の特急列車が運転されている。
博多駅在来線発車標
上の写真では、9時52分の次が10時10分といったように、「有明」と「リレーつばめ」が合わせて1時間に3本も運転されている。
9時52分の有明は「武蔵塚(熊本)」という聞きなれない行き先。リレーつばめは、新幹線区間であるはずの「鹿児島中央」行き。

これは有明・リレーつばめ両者の性格の違いが現れている。
「有明」は多くが博多より東に位置する小倉始発で、熊本駅から豊肥本線に入って武蔵塚・光の森といった、熊本市郊外まで行く。つまり、九州内各地間の移動をターゲットにしている。
一方、「リレーつばめ」は、山陽新幹線の博多と九州新幹線の新八代間で運転されていて、新幹線利用者がメインターゲット。新八代駅では、新幹線と同じホームに入り、乗り換えをスムーズにしている。(下の方に画像があります)そのため、「リレーつばめ」と九州新幹線「つばめ」を1本の同じ列車とみなし、行き先が「鹿児島中央」になっている。(同様に上り「つばめ」は、「新八代」でなく「博多」行きとしている)
もちろん、リレーつばめも熊本駅などにも停車するし、福岡県内ではこまめに停車するので、短距離の乗客もたくさんいた。
なお、リレーつばめは車内販売がある(一部を除く)が、有明は全列車でない。

有明
いかつい顔つきの「787系」電車。
JR九州は、ユニークで凝ったデザインの車両を導入していて、これもその1つ。「リレーつばめ」も同型車だが、車体のグレーの色合いが微妙に異なるようだ。
普通車車内
車内はモノトーンで、とても落ち着いている。シートの柄は何種類かあり、ヒョウ柄みたいなおもしろいもの。
車両中央部に荷物置場があり、車内が半分ずつに分割されているのもユニークだが、小ぢんまりとした感じで悪くない。
座席自体は普通の在来線特急並みで、座り心地はまあまあ。
荷棚は、飛行機のようなフタ付きの「ハットラック」。あまり収容力がないし、開閉が面倒だし、忘れ物しそう。見栄えはいいかもしれないが、この点はやり過ぎだと思う。

博多から熊本までは1時間強、さらに20分ほどで新八代。新幹線ができれば、博多-熊本間はわずか35分だという。
新八代駅ホーム
上記のとおり、リレーつばめは九州新幹線と同じホームに入る(同一ホーム対面乗り換え)。柵で分かりにくいが、上の写真、右の白いのが九州新幹線。
通しで指定席を予約した場合は、原則、両列車で同じ号車・席番になるそうで、乗り換えをスムーズにしている。
800系電車「つばめ」
往年の国鉄の名列車の名前を受け継いだ九州新幹線は、2004年に開業した。
毎時2本運行され、新八代-鹿児島中央間126.8キロ(実キロ。営業キロは137.6キロ)を最速35分で結ぶ。(同区間は新幹線開業前は2時間以上かかっていた)

「つばめ」もJR九州らしく、随所にユニークな趣向が散りばめられている。
 
 写真左:かつて機関車の前についていたヘッドマークのような円形のロゴ。
 写真右:ドア横には大きく毛筆で「つばめ」。これは我らが「こまち」の方が先にやってるか。
来年3月の博多開業後は、この車両が「さくら」としても使われるため、今後は「つばめ」表記を削除する計画らしい。
誤乗防止のためにはやむを得ないが、JR東日本では「こまち」と表示した車両が「やまびこ」や「なすの」(と一部の盛岡止まり「はやて」)で走ってますけどね…

車内へ。
デッキ部分
フラッシュをたいたので、色が正確でないが、ドアの内側は「古代漆」、壁は白いドット入りの「柿渋色」、さらに電話室にはつばめ模様ののれんが下がるという、和風テイスト。
客室
九州新幹線はフル規格。そして上の写真は普通車(というかグリーン車がなく普通車のみ)。
秋田・山形のようなミニ新幹線は車体幅が狭いので、通路を挟んで2人がけ座席が並ぶ(1列4人)が、フル規格では2人掛けと3人掛けが並んで、1列に5人が座るのが普通。
それなのに、九州新幹線では、1列4人のゆったりとした座席配置。

座席は西陣織。窓の日除けはサクラ材を使ったすだれ風。肘掛けやテーブルなどはサクラやクスノキの木製。(車両によって布や木材の色・柄が異なる)

この座席には、軽量化の目的もあるようだが、デラックスに見える。
座席の幅が広く、背もたれが高いので、ゆったりと掛けられるが、座り心地自体は、そんなにいいわけじゃなかった。また、前方にテーブルがなく、肘掛けの中にやや小さな扇形のものがあるだけ。
現状では乗車時間が短いのでいいのかもしれないが、この辺は考慮して設計してくれてもよかった気もする。(後から追加製造された車両は、若干仕様が変更された部分もある)
ちなみに洗面所の仕切りは縄のれん!
八代産イグサののれんとのこと。

「つばめ」は6両編成で、指定席と自由席が半々。よほどのことがない限り、自由席でも混雑することはなさそうだ。
在来線時代の鹿児島本線(現在は第三セクター化)は、海沿いの美しい車窓が楽しめたそうだが、九州新幹線は最近開業した各新幹線と同じく、区間のほとんどがトンネル。
だが、以前乗った際(僕は今回2度目の乗車)、一瞬だけ海が見える区間があったので、今回も身構えていると。
海が見えた!
新水俣駅前後だろうか。トンネルとトンネルの間で3~4度、十秒間ほど、海(八代海?)を見下ろすことができた。
海に浮かぶのは天草諸島だろうか、手前には在来線の線路やミカン畑が見える。
この辺りもいつか、じっくりと回ってみたいのだが…

以前乗った時は、車内販売がなかった(それなのになぜか客室乗務員は乗っていて、案内などをしていた)が、現在は飲み物やグッズを売っていた。
あっという間に鹿児島中央駅。
鹿児島中央駅の1つ手前が「センダイ」駅
漢字だと「川内」なのだけど、音やかな文字で見聞きすると、東北人は「仙台」を連想して、ドキッとしてしまう。

「鹿児島」駅もあるが、その隣の「鹿児島中央」駅の方が鹿児島市の中心駅で、新幹線開業前は「西鹿児島」という名だった。
新幹線ホーム南端の車止め
日本の新幹線網の南の果てがここということになる。
左に目を向けると、
正面に桜島!(みなさん「つばめ」を撮影されてますな)
いかにも鹿児島へ来たという風景。

旅行記は続きますが、その中で九州新幹線全線開業関連の話題を改めてアップするつもりです。

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新幹線の旅

2010-12-11 19:51:40 | 旅行記
今回の旅行は九州へ行きました。
交通手段は新幹線を中心にした鉄道。この記事はその新幹線の旅について。

秋田-大曲、上野-東京間は普通列車で移動し、恒例(?)の630円ほどのささやかな節約。(さらにネット予約で700円割引)
大曲駅は新型車両対応のため、大掛かりなホーム延長・改札口移設工事が行われていた。※前回のようすはこちら
現在は完全に工事が終わり、3本のホーム(3・11・12番線)すべてが7両対応になっていた模様。
既に1度、試験運転で新型「E6系」がやって来ているが、ホームに停止位置を示す看板はなく、前回の記事に示した白い棒の先端を赤く塗って、停止位置を示していたようだ。
現在は、E5系と連結して、フル規格区間での試験走行がメインなので、田沢湖・奥羽本線での試験運転は本格化していないためだろう。

大曲駅2番線にあった、新幹線乗り場を示す表示。
これは!
イラストが正面から見たE6系になっていた。
昔の丸っこい新幹線のイラストと違い、分かりにくいかも。

秋田市内は雪がなかったが、大曲~角館~田沢湖~岩手県境は
うっすらと積雪

東京からは東海道新幹線を自由席で。
混雑する「のぞみ」は乗りたくないし、長距離なのでさすがに「こだま」は勘弁したい。
というわけで「ひかり」に。自由席が5両で、まあまあゆったり。

乗った列車は、ひかり・こだまで一般的な300系でなく、普段は「のぞみ」で走っている700系電車が使われていた。
僕は700系に何度か乗っているが、今回乗った700系は今までのとは少し違った。
 先頭部(乗車したのとは別編成)と車内
どこが違うかというと、先頭部側面に「JR700」というロゴがあり、車内のシートが無地に近いような紺色。(今まで乗ったのはロゴがなく、シートは水色系の柄入り)

実はこれ、JR西日本所有の車両。
他の形式でもそうだが、東海道新幹線の車両はJR東海とJR西日本それぞれが同型車両を所有し、相互に乗り入れしているが、内装などが異なっていることがある。
ほかにも、行き先表示器、車番表示の書体、JRマークの色などが違う。車内放送前に流れる音楽も違い、JR東海車では「AMBITIOUS JAPAN!」、JR西日本車では「いい日旅立ち・西へ」。
のぞみ用700系は、JR東海所有のもの(C編成)が60本、JR西日本所有のもの(B編成)が15本あり、いちおう区別して使用されているようだ。

座席の色合いのため、車内全体が落ち着いた感じがして、いい。“JR西日本らしい”かな。
最近の東日本や東海の新幹線は、ポップというか軽い雰囲気の内装・座席で、明るくていいのだけど、こういう重厚感のあるのも悪くないと思った。

さて、特に冬の時期、東海道新幹線の車窓で楽しみなのが、富士山。
この日もいい天気で、小田原を過ぎた辺りから逆光にシルエットが浮かんでいたが、更に進むと、
三島付近?
雪を抱いた富士山の左側から夕日が差し、凹凸がくっきりと見えた。空の筋雲もきれい。
 新富士付近?
「宝永火口」が正面から山の右側に移動した辺りが車窓の富士山のクライマックスかつ終わり。

そして日が落ちて闇の中を西へ。
岐阜羽島駅停車中(ひかりは名古屋-新大阪間は各駅停車)
多くの新幹線の駅は、上りと下りのホームの間に、「通過線」というホームのない2組の線路が敷かれている。遅い列車がホームに停車している間に、通過線を「のぞみ」などが追い抜いて行くシステム。
岐阜羽島で気づいたのだが、上の写真、真ん中に写っている、上りの通過線にだけ、枕木と敷石(バラスト)の間に、網状のマットのようなものが敷かれていた。
見た限り、上りホームや下り通過線にはそれはない。

岐阜羽島駅の西側には、関ヶ原がある。雪が積もりやすく、東海道新幹線のネックとなっている区間。
関ヶ原を抜けてきた列車が、この上り線を走行することを踏まえると、このマットは雪対策ではないだろうか。
列車の床下に雪や氷が付着し、それが敷石上に落下し、石を跳ね飛ばしてしまうことがある。駅通過中にそれが起これば危険なので、石が飛ばないようにマットを敷いているのだと思う。

なお、山陽新幹線以降に建設された各新幹線は、敷石を用いず、コンクリート上に線路を敷く工法なので、この点は問題ないだろう。
(ただし、雪が落下して直接飛ぶことはあり、以前、乗っていた「こまち」のガラスにひびが入ったことがあった)

岐阜羽島を発車してすぐ、長良川を渡ると、三洋電機の太陽光発電施設「ソーラーアーク」前を通過する。(以前の記事
夜間は、ソーラーパネル上に等間隔にLEDが点灯し、形を浮かび上がらせていた。
それにしても、三洋電機はパナソニック傘下に入り、「サンヨー」ブランドもなくなると聞く。ここはどうなるのだろう。

新大阪で、博多行きの「ひかり」に乗り換え。
これも700系電車だが、のぞみ用でなくJR西日本の山陽新幹線専用の「レールスター」なので、8両編成で自由席が3両。
東海道新幹線のひかりよりも混雑していたが、岡山・福山・広島などと、短区間の利用が多かった。
徳山駅付近の周南コンビナートの夜景がなかなかきれい。四日市にも負けない、大規模なものだった。
博多駅に到着。停まっているのがレールスター
上の写真で、駅名標右隣に「博多南」という駅があることになっているが、これは車両基地への回送線を使って旅客営業を行っているもの。新幹線のフル規格だが、扱い上は「在来線の特急」という、変わった路線。

今回は、秋田から博多まで11時間半かかった!

でも、早い列車を乗り継げば、9時間ほど。乗り換え回数は1回だけ。
北東北から九州まで、鉄道で移動する人は少ないだろうけど、昔(東北新幹線開業前)は秋田から東京までだけで8時間かかっていたのを考えれば、速くなったなと思えるのは、僕だけ?
新幹線の旅も楽しいけど、さすがにちょっと疲れました…

ところで、日本が世界に誇る「シンカンセン」だが、東日本・東海・西日本・九州の各旅客鉄道会社が運行しているので、それぞれ個性・特徴があり、短時間で一気に移動すると、それがよく分かった。
上記の内装や音楽もそうだけど、例えば英語放送の言い回しが違うなど。特におもしろいというか気になったのは次の2点。
・JR西日本区間(山陽新幹線)の「ゴミの回収」
山陽新幹線では、終点や主要駅到着前に、「ご不要な物はございませんか」と車内販売の人がゴミ袋を持って車内を回る。
別に車内販売で買ったものでなくても回収してくれるみたいだが、気が引ける。駅のホームにも車内にもゴミ箱があるんだし。
(東海道新幹線に比べて)乗客が多くなく、運行が長時間におよび、かつ途中駅での乗客の入れ替わりが多いという、山陽新幹線の性格を反映したサービスなのだろう。(「こまち」ではグリーン車だとやっていたはず)

・車掌の入室時の礼
車内を巡回する車掌が、客室内に出入りする時、前方のドアのところで一礼するのは、どの新幹線でも行われている。以前見た海外の日本を紹介するテレビ番組で、「いかにも日本らしい」と紹介されていた。
(新幹線に限ったことではなく、JR東日本では在来線の特急でも、JR西日本では普通列車でさえ行う。)

でも、東海道・山陽新幹線に乗った後にJR東日本の各新幹線に乗ると、JR西日本や東海(や九州)に比べて、東日本の車掌の礼が雑に感じてしまうのだ。
九州・西日本・東海の車掌は、立ち止まって頭を下げる。車両後方から前に歩き、振り返って礼をする際も、180度体の向きを変えてから同様の動作をする。
ところが、東日本の車掌の多くは、ほとんど立ち止まらず歩きながら頭を下げている感じ。後ろから来た際は、体を120度くらいしか回転させず、回転の途中で頭を下げ、そのまま向きを変えながら頭を上げつつ歩いて行くような印象を受けてしまう車掌も少なくない。(秋田新幹線の車掌さんたちはまあまあ丁寧な印象があるが…)

感覚的には、他社の車掌の礼は「ご乗車ありがとうございます。失礼します(しました)」という気持ちが現れているように感じられる(実際には分からないけど)が、東日本のは「(「どうも」じゃなく)ども」程度の気持ちしかこもっていない、「軽い」ものに感じてしまう。
日本の作法としても正しい礼の仕方ではないだろう。こんな中途半端な礼をするくらいなら、いっそ完全にやらない方がいいとさえ思う。
安全で快適で親切な運行や案内をしてくれれば、礼なんてどうでもいいんですけどね。


ちなみに、帰りは博多から名古屋まで、「のぞみ」で一気に移動した。
乗ったのは定期のぞみの10分ほど後を続行する臨時列車ということもあり、3両の自由席も新大阪まではガラガラだった。
その車両は300系電車。初代のぞみとしてデビューしたが、現在はひかり・こだまを中心に運行され、廃車も進んでいる。でも、臨時ののぞみにはまだ使われているんだ。700系と遜色ない乗り心地だった。
300系と700系では、窓下の青いラインの配置(細い線と太い線)が逆になっている

博多駅前で一泊して、さらに南へ
コメント (4)
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かもしかとくまげら

2010-11-12 21:04:19 | 旅行記
今回は秋田-弘前間の鉄道での移動について。前回の弘前の記事はこちら
僕は通常、弘前への往復には特急でなく普通列車を利用している。
それは、特急と普通の所要時間が1時間程度しか違わず、特急の設備がよくなく、特急料金を支払う価値がないと考えていること、時期によって特急は混雑することがあり、普通列車の方がかえってゆったりできるといった理由から。

でも、今回は、行き帰りとも特急「かもしか」を利用した(帰りは一部区間のみ乗車。後述します)。
こちらこちらで取り上げたとおり、12月4日のダイヤ改正で、「かもしか」は「つがる」になり、車両も替わる(同じ形式だがリニューアルされた車両)。
この車両は、ダイヤ改正後も、臨時「つがる」や小正月行事の臨時列車に使用されることは分かっているが、それが終わった来春以降はどうなるか分からない。廃車になる可能性もある。

だから、最後の記念の意味で、乗車したのだった。
ただ、僕は「かもしか」という列車愛称には、あまり思い入れがない。むしろ、「こまち」と「かもしか」の前身である、「たざわ」の方が懐かしい。でも、車両は「たざわ」から「かもしか」へ同じ車両が引き続き使われているため、車両との惜別の思いの方が強い乗車だった。


行きは、座席指定を取った。秋田から弘前まで1810円。かもしかの指定席を取ったのは初めてかも…
秋田駅の中央改札口の上にある「発車標」は、今年1月にアップしたようにたまにおかしな表示が見られる。この「かもしか3号」は、
日本語表示
英語表示に切り替わると…
日英混在!
2行目の日本語オンリーは恒例として、1行目のかもしかがおかしい。
1月の記事の画像では、ちゃんと「LTDEXP.  KAMOSHIKA 3号」と、「号」以外は英訳されていたのに、今回は列車名が日本語のまま。うーん。
特急「かもしか」(弘前駅にて)
かもしかは3両編成で普通車指定席は3号車1両だけ。
前日に「えきねっと」でシートマップ(座席表)を見て、前後に人がいない位置を指定して予約していた。でも、乗ってみると、前後の列にお客がいた。一方、前日の段階で埋まっていた一角は空席が多くガラガラだった。直前の予約/キャンセルが多いようだ。
といっても、指定席全体で10人ちょっとくらいしかいなかっただろうか。自由席はもう少し乗車率がよかった。

指定席のお客はビジネス客と観光客半々くらい。ほぼ全員が、秋田から弘前または青森までの利用で、弘前以外の途中駅での乗車/下車は少なかった。
「かもしか」は現在は、車内販売も、飲料の自動販売機もないので注意。秋田駅のホームでは、関根屋さんが駅弁を立ち売りしていた。
「かもしか」の“トレインマーク”
国鉄時代の特急列車のトレインマークは、手描きでデザインしていたのだろうが、図案も列車名の文字も、個性的だった。
でも、「かもしか」はおそらくパソコンで作ったのだろうか、文字は活字文字をイタリックにしただけのようで、味気ない。
テレビ番組か何かで、この動物は「カモシカ」でなく「エゾシカ」でないかという話が出て、ネット上で話題になったようだが、僕はそんなことよりも、動物のイラスト自体が小さいことと、「かもしか」の文字の背景の緑色の「Eヨ」みたいな雲みたいなデザインが何を表しているのか、気になってしょうがない。
「特急かもしか 青森」
側面の行き先表示は、旧国鉄が定めていた独特の書体「すみ丸角ゴシック体」。JRになった10年後に運行を開始した「かもしか」でも、律儀に採用していた。


かもしかに使用されている車両は、1968年から1979年にかけて国鉄が製造した「485系電車」。計1500両近く製造されたそうで、電化されていればどこでも走れる性能を活かして旭川から鹿児島まで、日本各地で活躍した。
日本の鉄道史に残る“名車”と言えるが、現在では、新車に置き換えられて廃車になったり、「いなほ」「つがる」のように大幅なリニューアル工事が実施された車両も多い。

かつて、秋田の車両基地には、「たざわ」「つばさ(後のこまくさ、現在は廃止)」「いなほ(現在は新潟の担当)」用に、たくさんの485系電車が所属していた。(たぶん100両程度)
しかし、新幹線開業などにより秋田の担当列車が減ったため、多くの車両が他地域へ転属して、秋田所属の車両は減っていった。(秋田の車両は比較的新しかったので、廃車になったものは少なく、現在もリニューアルされて活躍している車両が多い)。

そんな中、現在「かもしか」に使われる、3両編成×3本の計9両だけは、(おそらく製造直後から)ずっと秋田に所属しているので、おそらく、僕自身も子どもの頃の「たざわ」などで、何度も乗った経験がある車両のはず。
また、外観の塗装が変わった程度で大規模なリニューアルを受けていないため、国鉄時代の面影を強く残している。
この時の青森側の先頭車・3号車は「クモハ485-1005」
485系の中では最後に製造された“寒冷地仕様”の1両で、昭和53(1978)年に日立製作所で元々は運転席のない中間の車両(モハ485-1080)として製造され、1986年に土崎工場(現秋田総合車両センター)でトイレ・洗面所を撤去して代わりに運転席をくっ付ける改造工事がされ(その際に現車号へ改番)て、現在に至っている。
普通車車内
床材・シート・カーテン以外はほぼ国鉄時代そのまんま。
デッキとの仕切りのドアも、交換されていはいるが、手動式のまま。観光客の奥様グループは、自動ドアだと思ったらしく、しばらく突っ立っていた。
普通車座席
窓1つに対して席2列。今となってはやや窮屈(91センチ)な座席間隔。
国鉄時代は紺色のような青いようなシートだったが、後に少し背もたれが大きいシートに代えられ、さらに現在の黒系の布地に代えられた。
シート自体は基本的には国鉄時代のままの座り心地で、若干ぶかぶかした感じがするが、嫌いじゃない。

ところで、今や特急列車の座席といえば、リクライニングシートと前方に折りたたみテーブルが付いているのが常識。
でも、かもしかは違う。
リクライニングは、「するorしない」だけで途中位置で止まらない「簡易リクライニングシート」と呼ばれるタイプ。
【2015年4月21日追記】485系など国鉄特急の初期の簡易リクライニングシートでは、倒した状態で固定できず、上体を起こすと「バタン」と正位置に勝手に戻るものだったようだ。「かもしか」の車両は485系の中で後期製造のグループであるため、当初から倒した状態で固定できるものだったようだ。

また、前の座席の背には網袋しかない。テーブルは窓際の壁に造り付けのものが、通路側に折りたたみのもの(上の写真のオレンジ矢印)が設置されているが、小さい。
通路側のテーブルを出したところ
製造当初は壁のテーブルしかなく、通路側席用のテーブルがなかったので、それではあんまりなので、座席改修時に肘掛テーブルが追加されたようだ。
壁のテーブル
485系でも、背もたれに折りたたみテーブルが後から設置された車両では、壁のものは撤去されるのが通例なので、今や貴重なアイテム。
でも、狭いし遠い。これで弁当を食べるのはきつい。国鉄時代はこれが普通だったんだよなー
窓枠(窓かまち)が広くて飲み物程度なら置けるけれど、角張っていて、居眠りしてゴツンとぶつけて痛い思いをしたものだ…

3号車いちばん前(青森側)の席
「ベビーシート」と大きく表示され、「赤ちゃんとお母さんの優先シートです」などともあり、この座席は回転しない(青森方向に固定)らしい。前の壁には、折りたたみベビーベッドが備えられている。国鉄共通の装備ではなく、秋田オリジナルの設備だと思うが、これも懐かしい。
国鉄時代、「たざわ」に設置されていた設備がまだ残っているのだ。当時は、この車両が自由席として使用されていたはず。
でも、指定席として使われている現在は、回転しないこの席に、一般客が割り当てられてしまうことはないのだろうか? 車掌権限の“調整席”扱いなのかもしれない。


帰りは、弘前から東能代まで自由席。900円(クレジットカードのポイントでもらったオレンジカードで買ったから、実質無料)。
弘前駅。「八戸」行きや「かもしか」の表示はもうすぐ見納め
自由席には20人くらいが列を作っていたが、1両半にゆったりと収まった。
自由席は2号車全部と秋田寄り先頭車1号車の一部。1号車(クロハ481)は、改造により、秋田寄り3列(=12席)がグリーン車、残り14列(かな?=56席)が普通車自由席になっている。
グリーン車も、国鉄時代そのままといった貧相なもので、乗る価値は低いようだ。
1号車車内
車内に取ってつけたようなドア付きの黒い板(こまちのに似てる)がでーんとあり、普通車とグリーン車の仕切りになっている。天井はつながっていて、照明と冷房装置がまたがっている。
ところで、天井にある出っ張りが「冷房装置」。現在の車両では天井に穴があるだけのものが多いが、485系では存在感を示している。(2号車は別のタイプ)
このクーラーは【手動】定位置です 秋田車両センター」とラベルが貼られており、要は自動運転できないということなのだろう。たしかに、寒いほど効いていたり、全然効いていなかった経験もある。車掌さんも大変だ。
冷房をよく見ると、
「Toshiba」。昔の東芝のロゴマーク!
このロゴは「東芝傘マーク」と呼ばれるらしいが、僕は子どもの頃、ひらがなの「ぬ」に見えていた。海外では、「T」を「J」と誤読されることがあったので、1969年から現在の「TOSHIBA」のロゴが使われ始めたとのこと。

さて、グリーン車を外から覗いてみると、
矢印部分
一部鉄道ファンの間では有名な話だが、なんと、家庭用エアコンが設置されているのだ!
仕切りを設けた関係で、特に狭い空間となってしまったグリーン車の環境改善のためだろうが、おもしろい。室外機はどこにあるんだろう? 屋根上かな?
ちなみに、このエアコンも東芝製でした…

さんざん車内環境の悪さを並べ立ててしまったけれど、国鉄車両らしい重厚感のある乗り心地は悪くない。流れる景色を眺めるていると、いろんな思い出が浮かぶ。
秋の夕暮れの奥羽本線を行く(長峰-碇ケ関間かな?)

東能代で「かもしか」を降りた。
特急料金節約のためでもあるけど、乗り換える列車は快速「リゾートしらかみ」。まだ楽しみは残っている。
今回、乗車券代わりに使ったきっぷは、「五能線パス」。単純に秋田-弘前を往復するだけでもモトは取れるが、通常510円かかる「リゾートしらかみ」の指定席料金が無料になるという特典もある。
東能代で30分ほど待てば「リゾートしらかみ4号」が来るので、利用しない手はない。混雑期に東能代から秋田までといった短距離の指定を取ったらヒンシュク者だが、この時期なら空いているはずだし、発車直前に発券するのだから問題ないだろう。東能代での待ち時間にみどりの窓口で発券してもらった。
※「五能線パス」は2011年3月で廃止されました。

僕はリゾートしらかみには過去2回乗ったことがある。秋田→東能代で「青池編成」に、弘前→青森で「ブナ編成」と奥羽本線内の区間だけで、肝心の五能線区間で乗ったことがないのだけど。
やって来た「リゾートしらかみ4号」は、
「くまげら編成」(秋田駅にて)
2006年登場で一番新しく、乗ったことがない編成に当たった。これで3編成全てに乗車達成!(もうすぐハイブリッド青池が出るけどね)

リゾートしらかみ4号は、五能線内で夕日が眺められ、秋田で最終の東京行き「こまち」に接続するダイヤだけど、シーズンオフのためか、ガラガラだった。それでも観光客がそれなりにいるのだから、五能線の集客力は大したもの。
それにしても、
車内
車内は「かもしか」よりも居住性は高い。
特急でないので白い枕カバーはない(黒いレザー状のものが付いている)が、ほかの設備はすべて「かもしか」以上。
前に大きなテーブルはある(さらに肘掛けに小さなテーブルと、前にペットボトルホルダーもある)し、リクライニングは途中で止まるし、座面もスライドするし、座席の境目にも肘掛けがある。おまけにワゴンの車内販売(珍しいリンゴジュースなど扱っている)もちゃんとあって、至れり尽くせり。
観光列車とはいえ快速だから、この設備に乗車券と510円で乗れるんだから素晴らしい。
座席間隔はものすごく広い(かもしかより30センチも広い120センチ!)し、窓も大きい(特に上下方向)
座り心地はやや硬めで、首都圏の普通列車グリーン車(E231系)などに似ている。

ただし、古い普通列車用ディーゼルカー(気動車)を改造した車両なので、エンジンの振動や高速走行時の揺れなどは、それなりに感じる。
車内は大々的に改装され、普通列車当時の面影は少ない
デッキとのドアも木目調の自動ドアに交換されている。その周囲が、レンガというか茶系統の石畳のような模様になっているのが珍しい。※ブナ編成も同じデザイン。

前乗ったときはなかった自動放送があり、「いなほ」などと同じメンデルスゾーンの「春の歌」のメロディに続いて、新幹線と同じ声の日本語(フジテレビの堺正幸氏)と英語のアナウンスが流れた(内容が微妙に違うので別収録かも)。「Stop after ハチローガタ(八郎潟) will be オイワァケェ(追分)」なんて言うのにちょっと感動。
東能代-秋田間では、特急は森岳と八郎潟に停まるが、リゾートしらかみは森岳は通過し、八郎潟と追分に停まる。大潟村や男鹿の宿泊客の利用を想定しているのだろうか。

途中の北金岡駅で行き違い(列車交換)のため停車。青森行きの「かもしか5号」とすれ違う。
窓の大きさの違いが衝撃的
こっちが大きすぎるのもあるが、かもしか(485系)の窓がなんと小さいことか…

真っ暗な夜なので、車窓を楽しめるわけでなく、むしろ外から丸見えだっただろうけど、快適な54分間の旅だった。
いつも弘前からの帰りは、東能代を過ぎると早く秋田に着かないかと思うものだが、もっと乗っていたいと思った。

弘前のネタは、もう少し残ってます

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四日市港ポートビル

2010-09-11 19:27:07 | 旅行記
だいぶ間が空きましたが、三重旅行記。まだ続きがあります。
旅行記の前回の記事はこちらですが、今回の内容(四日市市)に関してはこちらもご参考に。

今回訪れるまで、四日市と言えば、工業地帯・コンビナートのイメージが強かった(しかなかった)。小学校で「四大公害」として習った、四日市ぜんそくの原因でもある。
そんなこともあり、どちらかといえば四日市に対して暗いイメージを持っていたが、今までの旅行記で紹介した通り、普通の暮らしが営まれる普通の街だし、市の産業・住民の雇用の場として工業地帯は重要なものだろう。
何よりも現在では、環境に対する厳しい基準があり、昔のような空気の悪い街ではない。(風向きによっては匂いが漂うことはあったけど、気分が悪くなるようなものではない)
そして今は、工業地帯の風景を鑑賞するという観光資源としても注目されている。本当に好きな方々は、照明が点く夜間に、きれいに見えるスポットへ行くようだが、僕は「四日市港ポートビル」へ行くことにした。

JR四日市駅の裏手も工場地帯だが、そこから関西本線の北隣の「富田浜(とみだはま)」駅が最寄り。路線バスはなく、駅から1.5キロくらい歩かないといけないけれど。
四日市駅構内。重連の機関車にひかれたタンク車
四日市駅からは関西本線の貨物支線(JR貨物管轄)、石油やセメント工場への引き込み線が出ているので、常に貨物列車がいる感じ。

富田浜駅は昼間の快速は通過するので、1時間に2本運行される名古屋行きの普通列車に乗る。2両編成のワンマン電車。4.2キロ(180円)で3~4分ほど。
富田浜駅は無人駅のため、ワンマン列車ではいちばん前のドアから降りる。
僕はSuica(TOICAと相互利用)で乗ったので、車内で運転士にカードを見せて降り、駅舎内のリーダー(正式には「簡易改札機」)にタッチして精算する。
ICカードで無人駅を利用するのは初めてだったが、やっぱり便利で楽。ただ、万一、駅のリーダーが故障していたら、(対処してくれる駅員がいないから)次回利用時の処理が面倒になりそう。
富田浜駅
降りたのは僕1人だけ。乗った人はなし。(帰りは一緒に2~3人乗った)
駅舎は線路を越えた向かい側だが跨線橋はなく、いわゆる「構内踏切」を渡る。(遮断機は付いている)
駅舎には昔は窓口があったのだろうが、今はだだっ広いだけで、何もない。
ぽつんと簡易改札機が置かれていた。黄色い方が出場用、緑が入場用
それにしてもJR東海の簡易改札機、ゴミ箱に見えてしょうがない。JR東日本のは足が細くてスマートなんだけどねー
「名古屋方面のおかたは…」
駅舎内にあった、上り名古屋方面の利用者は踏切を渡るように告げる掲示。
「名古屋方面のおかた」って言い回しがおもしろい。普通は「名古屋方面ご利用のお客様は」じゃないかしら。

富田浜駅の1日の平均乗車人員は150名前後。(秋田市交通政策室の資料によれば、羽越本線下浜駅並みで、奥羽本線の上飯島や四ツ小屋よりもかなり少ない)
元は海水浴用の臨時駅として開業したようだ。駅の西側は中学校で、駅舎・出口は東側(海側)だけにある。
駅前は旧街道のような家並みが並ぶ狭い道
200メートルほど東に進むと、名四国道こと国道23号線。通行量が多く、あまり歩きたい雰囲気の道ではない。(歩道や歩行者用信号はある)
南へ進んで国道を渡ると、川のような港の一部のようなものに架かる「霞大橋」を渡る。
「霞大橋」から
中部国際空港行きの旅客船ターミナルや公園などとともに、対岸にコンビナートと目指すポートビルがある。
この辺の位置関係は、秋田市の国道7号線-港大橋-県立スケート場のそれと似ている。
四日市港ポートビル
やっと着いた~

この「四日市港ポートビル」は、1999年にできた14階建て・地上100メートル(屋上)の三重県でいちばん高いビル。12階と14階の間は20メートルの吹き抜けになっていて、「13階」はないようだ。
ビルを運営するのは、三重県と四日市市が出資した「一部事務組合」である「四日市港管理組合」。
ビル内は管理組合や港湾関係企業のオフィスのほか、12階にレストランがあり、14階が「展望展示室“うみてらす14(フォーティーン)”」になっている。この展望室から風景を見たくて来たわけだ。入場料が300円かかるが、ここからしか見られない風景が楽しめるはず。

こうして書いてみると、このビルは秋田港の「秋田ポートタワー“セリオン”」とどことなく似ている気がする。
ただし、セリオンはビルでなく「タワー」、高さは143.6メートル(展望室が100メートル)、運営は当初は秋田市出資の第3セクターで現在は市有・指定管理者に委託、展望室は無料(当初は有料)といった点は異なる。
なんやかんや言われたセリオンだが、先日から道の駅化されたし、周辺に付帯施設や店もでき、路線バスも来る。それなりにお客さんに来てほしいという意欲は感じる。

その一方、この四日市港ポートビルは…
まず、上記の通り、駅から歩くしか公共交通のアクセス手段がない。
そして周辺には何もなく、12階のレストランもやっていけるのか心配なほど。
入場が有料なのは経営上やむを得ないとしても、なんと水曜日(通年)と月曜日(12月~6月)が定休日!
しかも17時で閉まってしまう!!(土曜日と7~11月の日祝日のみ21時まで延長)

お役所らしいというか、商売っ気がないというか、今時珍しい観光施設。
四日市市が作ったと思われる、工場地帯の夜景のポスターを市内で見かけたが、四日市港ポートビル展望室から見る工場の夜景も美しいようだ。
市も出資した組織の施設なんだから、せめて19時くらいまで開けて夜景を見てもらうとかすればいいのに…
国道から近いんだから、セリオンみたいに道の駅にする(セリオンも国道に面していない)とかしてもいいかもしれないし。
よそ者がとやかく申し訳ないけど、せっかく造ったのだから、もっと積極的に活用してはいかがでしょうか。


そんなわけで、僕が行った平日の夕方近くにほかに居たお客は、父子連れ1組と視察に来たどこかの自治体関係者っぽい一団のみ。
受付の職員さんもヒマだろうに、丁寧に応対してくれたのはよかった。
1フロアまるまる展望室なので、余裕がある
天候がよければ鈴鹿山脈や名古屋まで見えるようだが、この日は霞んでいて近くしか見えなかった。
住宅の向こうには田んぼもある

コンテナヤードが広がる
こんな風景は秋田のセリオンからも見える。
でも、
コンビナート
これは四日市だけの光景だろう。

たしかに芸術的と言えそうなほど繊細な構造で美しい。晴れた日や夜景を見てみたくなった。
火を噴く煙突
聖火台みたいだけど、石油の精製をしているんだろう。
昔、教育テレビの学校放送でこの光景を見た(海側からの空撮だったと思うが)のを思い出した。


周辺の道路の路面には、
「この先海」

14階から
落っこちるクルマがいるんだろう。
セリオンのある秋田市土崎は「港町」といった風情だが、四日市はそれよりも「工業地帯」の趣の方が強い印象を受けた。

もう一工夫もふた工夫もほしい気はしたが、四日市ならではの観光地としておもしろかった。
【12日追記】ほかにも、四日市市の海沿いの工業地帯には、明治時代に造られた「潮吹き防波堤」(国指定重要文化財)、現役最古の鉄道可動橋(国指定重要文化財)、大阪万博のオーストラリア展示館を移設したものなど、ちょっとした見所が多い。
だが、点在していてアクセスが悪く、いずれも見に行かれなかった。こういう所を巡るツアーがあってもいいと思う。
コメント (9)
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三重の信号機

2010-08-20 20:28:27 | 旅行記
前回に続き、信号機の話。かつ、三重旅行記の続き(以前の記事)です。
三重県四日市市で見かけた、珍しい信号機を2つ紹介します。

●特大矢印
近鉄とJRのそれぞれの四日市駅を結ぶ「中央通り」。市道だが、とても広い道で、その中間地点、
四日市市役所前の交差点
まずは、信号機のポール(信号柱)が目立つ。
「イ」の字というか「F」の字というか…

そして、それに付いている信号機に注目。
どーん
3色の信号機の下に大きなまん丸いものが2つぶら下がっている。
うっすら見えているのでお分かりかと思うが、これは矢印信号機。
デカい!
一般的な矢印信号機は、3色の信号機と同じサイズのものが、3色の信号機本体に直接取り付けられていることが多い。
だけど、これは3色のものよりかなり大きく、独立した部品で取り付けられている。

普通の信号機のレンズ(丸い点灯する部分)は、直径30センチが主流。三重県では、一部で少し小さい直径25センチのものも使用しており、この市役所前の3色の信号機も25センチ。
(なお、我が秋田県も一部に25センチの信号機があり、旧道など狭い道でたまに見かける。LED式はすべて30センチのようだ。)

この特大矢印信号は、なんと直径45センチ!
つまり上の3色と下の矢印では、1.8倍の差があることになる。
点灯したところ
このように、一部の県では、直径45センチの信号機が存在する。
矢印だけでなく、3色の信号機にも45センチ版があり、交通量が多くて道幅が広いような見落としやすい箇所に設置されている。
ただし、元々設置数が少ない上、LED化に際して通常の30センチ版に交換されてしまう場合が多く、かなり数は少なくなっているようだ。それほど費用対効果がないということか。
たしかに目立ちますが…

●次世代信号機
街中の交差点
ここは十字路だが、車両用信号機は、普段は黄点滅/赤点滅で、歩行者が押しボタンを押した時だけ、青→黄→赤と点灯するようだ。
ここの車両用信号機、遠目には普通のLED式かと思うが、近くで見ると…
薄いっ! そして裏面がツルツル
全国的に、LED化に伴い信号機本体はやや薄くなり、視認性が向上したため日除けのフードも薄く(短く)なったため、相対的に今の信号機は「薄く」なった。
でも、この信号機はそんなもんじゃない。「薄っぺら」の「超薄型」だ。
第一、フード(ひさし)がなく、ただの板だ。そのためか、従来の信号機より下向きに角度を付けて設置されている。

5月30日の読売新聞で、石川県でこの信号機が試験設置されていることが報道されており、それによれば、
 「厚さ6センチの薄型で、赤・黄・緑のランプの上に庇がなく、積雪と強風に強い
 「小糸工業(横浜市)が製造した「フラット型LED(発光ダイオード)式車両用交通信号灯器」
 「台風の直撃が多い沖縄県では、強風で庇やレンズが破損したり、信号機の向きが変わってしまうケースが多いため、すでに台風対策として、13か所に43灯が導入されている
 「石川県警では「積雪の多い県内でも有効」と判断(して設置した)」
などとある。

各都道府県それぞれ条件や方針が異なるので、それぞれの判断だが、東北地方でも、岩手県(雫石の国道46号線らしい)や宮城県に設置されるなど、各県ともまだ試験的ながらも、徐々に数を増やしているようだ。
一見、まっ平らで弱そうだが、フードなどの余計な出っ張りをなくすことで、風や積雪への耐性を高めたということだろうか。
その結果、オモチャの信号機みたいに見えなくもないが、シンプルに徹した構造は製造コスト面でも有利だろう。
全部消灯すると、信号機には見えない
石川県では、積雪対策を狙っているようだ。重い雪がしんしんと積もるであろう北陸では、縦型信号機よりも効果が高いのかもしれない。
ただ、北陸よりは水気の少ない雪が横に吹き付ける秋田では、この薄型を設置して効果があるだろうか。
秋田では、薄型信号機のフードを一度短くしたのに再度長いものに戻したり、フード部分が点灯する信号機を試験設置していたりするように、ある程度の吹雪除けが必要な気がする。
こんな薄っぺら信号機では、全面にべったりと雪が付着し、見えなくなってしまいそうだ。

ともかく、最新の信号機技術という点では、とても興味深い。
拡大
LEDが直接見えず、表面に半透明の網みたいなのが付いているような感じ。
正面以外からも見やすくした「面拡散」タイプにも似た光り方かも。
横から
ほんとに薄い!
これはアームも新品のようだが、交わる細い道側は、従来のアームを活用し、それに取り付け金具を介して設置していたようだ。

写真で見ると、とても違和感があるが、現地で見た時は、それほどおかしく見えず、ちゃんと「信号機だ」と思えたのは不思議。
この信号機、今後普及するだろうか。
※その後、この信号機についての鹿児島県青森県の記事
※さらにその後、秋田にも設置された

※旅行記の次の記事はこちら
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三重交通

2010-08-18 20:45:18 | 旅行記
だいぶ間が空きましたが、三重旅行記はまだ終わっていません! 細々と更新していきます。(前回の旅行記はこちら

今回は三重のバスについて。
三重県内一円でバス事業を行うのが、「三重交通」(本社津市)。
愛知・和歌山・奈良各県の一部にも路線を持ち、名古屋市内にも営業所があり、名古屋市交通局のバス(名古屋市営バス)の一部を受託運行するなど広範囲。
かつては近畿日本鉄道(近鉄)、名古屋鉄道(名鉄)という大手私鉄両方の傘下にあったようだが、現在は近鉄系列。
【19日追記】かつては鉄道も運行していたが、現在は鉄道路線はない。

「三交(さんこう)」の略称で呼ばれ、静岡・愛知県内にも展開するビジネスホテル「三交イン」や旅行代理店・自動車学校・不動産業・ゴルフ場、さらに名古屋市内の東急ハンズの経営など、手広くやっている。

今回、暑くて歩きたくなかったこともあり、津市内と四日市市内で何度か“三交”のバスに乗ってみた。
津駅近く
津市内の路線バスは三重交通の一社独占のようだ。四日市市も三重交通が多かったが、一部「三岐鉄道」のバスも走っていた。なお、両都市とも、バスのほかに公共交通としては、近鉄の鉄道がある。
三重交通の路線バス(津駅前にて)
白に濃い緑のやや複雑なラインが入るデザイン。屋根上にもラインが入っている。
ちょっと古めかしい雰囲気がするが、それよりも白い部分が多くて汚れやすそう。
【2015年1月24日追記】1970年の映画「男はつらいよ フーテンの寅」(寅さんシリーズ通算3作目で、珍しく山田洋次監督でない)で、三重県四日市市近くの湯の山温泉が舞台となり、アクセス(近鉄湯の山温泉駅-温泉の路線と思われる)として三重交通の路線バス(女性車掌乗務)が登場する。その車は、これと同じ塗装だった。

地方都市で一般的な「中乗り・前降り」の「整理券方式・運賃後払い」。磁気式のバスカードがあるようだ。
こちらでも触れた通り、初乗りは200円と高めで、初乗り範囲が広い。市街地中心部が均一運賃ととらえてもいいかもしれないが、暑い日や雨の日、1キロ内外の近場の移動にちょっと乗りたいといった時、敷居が高い。100円とは言わなくとも、せめて170円くらいだと、また印象も変わりそうだが…

津や四日市では大型バスと一部中型バスが走っていたが、亀山駅には小型バス(シャープ亀山工場行きという表示だった)もいた。
車両のメーカーはいすゞ自動車製が圧倒的に多い感じ(他の3メーカーとも取引はあるとのこと)。
いすゞが多いのは、販売会社「三重いすゞ自動車」が三重交通グループであるためのようだ。そういえば、「いすゞ」は、三重県内の伊勢神宮を流れる「五十鈴川」が由来だ。
これは日野ブランド(近鉄四日市駅前にて)
上の写真の四日市のバスは日野ブランドだが、いすゞと日野の合弁会社が製造したという名目で、実際にはいすゞ製のバスに「HINO」と書いただけの「ブルーリボンⅡ」という車種。実質的にはいすゞの「エルガ」(ヘッドライトだけ違う)。
この車種を導入している会社にしてみれば、日野との付き合いも大事だが、運転や保守上、車種を統一したい意向があるだろう。

さて、上の2枚の津と四日市のバスの写真でいくつかネタを。
・新旧ロゴマーク
津のバスの方が古いが、正面に「SANCO」とロゴマークが付いている。
一方、四日市の新しいバスは「ミ」をモチーフにした社章。昔の車両はこのマークで、一時「SANCO」マークに変わったが、最近また復活しているらしい。

・LEDの違い
バスのLED式行き先表示器にはいくつかのメーカーがあり、書体や文字配置、見え方などが異なる。同じバス会社内では統一していることが多いが、三重交通は違うようだ。
津のバスは、経由地の文字が小さく、系統番号を囲む□の角が丸くなっている。
四日市のバスは、経由地の文字が大きく、系統番号は真四角。英字がない。

側面の表示器にある矢印も異なり、津のタイプはあまり見たことがないが、四日市のものは、西武バス・弘南バス・秋北バス・羽後交通なども採用している「レシップ」社製だと思われる。
三重交通では、どうも営業所毎に機器のメーカーを変えているようだ。車両を配置転換する際や、代走する際、面倒そうな気もするが、それだけ大規模な会社ということだろうか。
津の表示。かなり細かい

・笹川ジャブ
写真の四日市のバスの行き先は「笹川ジャブ」。
ボクシングなどの「ジャブ」を連想して、攻撃されそうな気がしてしまったが、四日市市内の「笹川」地区の近くにある、温泉施設「天然温泉ジャブ」のこと。
理由が分かれば納得だが、秋田市の「ザ・ブーン」(温泉・屋内プール)みたいなもんか…


ほかにもいろいろ。
●後ろの広告
津のバスの後部
現地では気付かなかったが、津市に本社のある井村屋の「あずきバー」のラッピング広告バスだった!
そして後部のLEDも文字が細かい。秋田のバスも見習ってほしい…(表示器のメーカーが異なるので難しいけど)

屋根の上に、2つの広告が設置されている。
津でも四日市でもほとんどのバスに付いていた。左右でスポンサーが異なるものと、同じものがあった。
これは左右まったく同じ(同じスポンサーでも左右で内容が異なるものもあった)
枠に広告板を差し込んで、交換できるようになっているようだ。

この屋根上広告を見て、かつての秋田市営バス(秋田市交通局)を思い出した。同じようなものがあったなー
秋田銘菓「金萬」の広告
秋田のものは横長の一枚物の金属板。板を直接、車体に溶接していたようで、差し込み式でなく、直接ペイントしたかシールを貼っていたのだろう。
出始めの頃「秋田朝日放送10月開局」という広告が出ていた記憶があるから、秋田市では1992年頃には始めていたはず。

その後、交通局の段階的縮小・民間移管に伴い、屋根上広告を設置した車両もそのまま民間会社に譲渡されたが、民間会社では使っていない。
車体と同じ色に塗りつぶしただけ(中央下にバックモニタのカメラが付いている)
撤去するのが難しいのだろうが、せっかく場所があるんだから、使えばいいのに。

●再会?
もう1つ、秋田市営バスを思い出せるものが三重交通のバスにあった。
それは車内放送の声。

バスの車内放送は、専門の制作会社があり、プロのナレーターがいる。だから、離れた土地のバス(や鉄道)でも、同じ声の放送を聞くことがある。
ただ、昔はテープにそのまま録音していたが、現在はフレーズ毎などに録音した音声をつなぎ合わせて放送する「音声合成」が使われている。秋田市営バスは最後までテープを使っていたので、その声はもう聞かれないと思っていた。

だが、秋田市営バスを担当していたナレーターのお1人が、三重交通の音声合成も担当(津・四日市とも)していた!
金融機関などの窓口の呼び出し装置(「○番のカードをお持ちのお客様、×番窓口までおいでください」)でも聞く声の方だが、久しぶりにバスの放送で活躍しているのを聞くことができ、懐かしかった。

●停車中に聞こえる…
三重交通のバスに乗っていると、どこからともなく(って天井のスピーカーからですが)音楽が聞こえてくることがあった。
歌詞はなく、聞いたことがあるような、ないようなメロディ。

何度か経験すると、「バスが停車していて、かつエンジンが停止している時」だけ音楽が鳴ることに気付いた。
つまり、アイドリングストップ中に音楽が鳴っているようだ。

アイドリングストップ機能と連動しているらしく、エンジンが止まると直ちに鳴り始め(車内放送が流れている場合は終わってから)、再始動すると直ちに鳴り止む。

調べてみると、浜松市の「遠鉄(遠州鉄道)バス」が始めた取り組みで、同社サイト(http://bus.entetsu.co.jp/work/environment/index.html)には、
「(運行中にエンジンが停止すると)お客様より「故障したのではないか!」という不安の声、「エンジン停止中の静寂に耐えられない」というご意見が多数寄せられました。また、乗務員からも旅客同士の会話がエンジン停止と同時に途切れ、車内の雰囲気がぎこちないと指摘を受けました。
そこで、
平成10年7月より、アイドリングストップ時に小鳥のさえずりを流し、現在は【音楽】を流しています。おかげさまで大変好評です。
とのこと。12月にはクリスマスソングを流すようだ。
Wikipediaによれば、名古屋市交通局や静岡のしずてつジャストラインでも導入しているとのことなので、三重交通も追随しているのだろう。
いろいろ調べたところ、上記の車内放送制作会社が関わっていて、曲目は著作権フリーの音楽素材みたいなのを使っているようだ。


たしかに、僕も初めてアイドリングストップに遭遇した時は、その静けさに驚くとともに、何ともいえない気まずい雰囲気を感じたものだった。
だけど、停車中に音楽がかかるのにもびっくりしました…
お金をかけてそんなことをするより、ラジオ(例えばコミュニティFM)やクラシックのCDなんかを、走行中も適度な音量で流したりした方が、よさそうな気もするけど。

●暑い!
ところで、アイドリングストップ装置は、シフトレバーとクラッチペダルの操作に連動して作動(エンジン停止/再始動)する。
停車すれば必ずエンジンが止まるわけではなく、クラッチペダルを踏み続ければ、エンジンが回り続ける。

我が秋田のバス会社では、その辺の判断が運転士個々に任せられているらしく、(アイドリングストップ機能搭載車なのに)まったくエンジンが止まらないこともあれば、ちょっと前がつかえて数秒停止しただけなのにエンジンを止める人もいて、逆に排出ガスが増えたり、機器(バッテリーやセルモーター?)に負担がかからないか心配になるほど。
前者はメインスイッチをOFFにしているのかもしれないし、後者はクセでこまめにクラッチから足を離してしまうのだろう。

そして、暑さが苦手な秋田人にとっては、夏場はもっとつらい。アイドリングストップ中は冷房の動作に影響があるから。
秋田のバスでは経験上、エンジン停止直後はしばらく冷風が流れるが、一定時間(メーカーで異なるようだが30秒から1分ほど)が過ぎると止まってしまう。
環境やバス会社の燃料費節減のためとはいえ、長時間停車する始発バス停や長い信号待ちでは、暑くてかなわない。


一方、三重交通では、どの運転士もほぼ同じ基準でアイドリングストップを作動させているように感じた。つまり、長めの信号待ちなど一定の停車時間になりそうな場合だけエンジンを止めるようだ。赤信号がすぐ青になりそうな時は、エンジンをかけたままだった。
なお、前出の遠鉄バスでは、「1停車が20秒以上になると乗務員が判断した場合にこの機能を使用」としている。

ただ、三重交通のいすゞのバスでは、エンジン停止後、すぐに冷房が止まっていた気がした。だから、暑くてしょうがなかった。
秋田のいすゞのバスは、風が段階的に弱まって、1分近くは持つのだけど。何か仕様や設定が違うのか?【2014年2月27日追記】同じ車両メーカーでも、冷房機器のメーカーが違うことがあり、その差かもしれない。
音楽なんかより、冷房をかけてほしかったです…

●信号よし・横断歩道よし
最後に、三重交通のバスで好感が持てたこと。
まず、始発停留所から乗ったのは1回しかなかったが、発車する際、運転士が「ご乗車ありがとうございます。担当運転士は四日市営業所の○○です。安全運転に努めますので…」といった感じで、あいさつをした。
高速バスではよく行われるようだが、市街地の一般路線バスでは珍しいと思う。

また、交差点を通過する際には「信号よし」、さらに右左折で横断歩道を横切る際は「横断歩道よし」と、声に出して確認を行っているのが、マイクを通して聞こえていた。

定められたマニュアルに従っているだけ、といえばそれまでだが、僕としては信頼感を持って乗車することができた。
秋田のバスでは、こうしたマニュアルはないようだが、この程度のことなら、秋田のバス会社にもできるはずだし、乗客の印象もよくなるのだと思うのだが。
(もちろん、秋田のバスも、横断歩道通過時は大きく首を動かして左右を確認するなど、安全には充分配慮してはいる)



ネットで見てもあまり情報がなかったので、おそらく、三重の皆さんはそれが当たり前だと思っておられるのだろうが、僕としては、アイドリングストップ中の音楽と、「信号よし」「横断歩道よし」は、かなりのカルチャーショックだった。
旅行記続編はまた後日
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小さな電車

2010-07-31 22:44:29 | 旅行記
前回に続いて、三重県四日市市内の様子、今回は鉄道のお話です。

前回まで触れたように、四日市対名古屋・近畿・伊勢方面とのアクセスにおいて、JRよりも優位な地位を占めている近鉄(近畿日本鉄道)。
四日市市内の移動においてもJRより近鉄が優勢のようだ。本線にあたる「名古屋線」には短い間隔で駅があるし、市内を走る支線が3路線ある。
その支線の1つの「湯の山線」という路線は、現在はごく普通の路線なのだが、残りの2路線が珍しい鉄道。

興味はあったのだけど、今回は乗る機会はないかなと思っていたが、市内をうろついていると、それらしき線路に行き着いた。
単線の線路をオレンジ色の電車が遠ざかっていった
1ブロック先に駅を発見し、行ってみた。線路と家並みを隔てて並行する道は旧東海道。数百メートル南を国道1号線が走っている。
赤堀(あかほり)駅
近鉄四日市駅から「内部(うつべ)線」で1駅、ちょうど1.0キロの地点にある駅。
隣の日永(ひなが)駅でもう1つの支線「八王子線」が分岐しているが、内部線に乗り入れて四日市発着のため、実質的には「内部・八王子線」として一体的に扱われているようだ。

種は分からないが、ツタの絡まった高い木が印象的な駅。
単線の線路に1本のホームがあり、それに屋根を付けただけの簡素な構造。屋根の下には、昔は窓口があったのかもしれない。
線路配置と駅の構造としては青森県弘前市の弘南鉄道大鰐線「弘高下」「聖愛中高前(旧・城南)」駅を思い出させる。
弘南鉄道と違うのは、駅の趣きとは場違いだが自動券売機がちゃんとあること。わずかなすき間にぴたりと収まっていた。四日市駅で乗り換える場合の乗車券もある程度の範囲までは購入できるようだ。さすが大手私鉄。(IC乗車券「PiTaPa」は使用できない)


近鉄の多くの路線の線路の幅は、1435ミリで新幹線と同じ「標準軌」。
だけど、この赤堀駅の線路、どう見ても1メートル50センチ近い幅があるとは思えない。JRの在来線や弘南鉄道などの「狭軌」1067ミリよりも狭そう。車両を見るとそれがよく分かる。
試運転列車がやって来て、

一瞬だけ停まって
発車していった。
小っちゃいというか細くてかわいらしい電車だ。

実はこの路線、線路の幅がわずか762ミリしかない。そのため、この「260系」という小型の電車が使われている。
電車1両は、幅2メートル10センチ、長さ15メートル程度という、大型バス並みのサイズ。路面電車よりも少し小さい。それが3両編成で走っている。(JRの一般的な在来線電車は幅3メートル弱、長さ20メートル)

1982年から1983年にかけて製造され、2004年から2008年にかけて「外部塗色を沿線の保育園、幼稚園のお子様のご意見を参考に「楽しく」「元気に」をテーマに1両毎に7色のパステルカラーに変更しています。(近鉄公式サイトより)」とのこと。
パステルカラーの電車は、沿線風景とミスマッチな感じもしなくはないが、電車の小ささと相まって、よりかわいらしく思える。


ところで、なんでこんな狭い線路規格が存在するのだろう。それは歴史をひもとくと分かる。
この路線は、1912(大正元)年に開通している。当時の国は、地方に鉄道を普及させるため、一般の鉄道より簡易な規格で、費用が安く済む「軽便(けいべん)鉄道」建設を推進していた。
その1つとして、現在のバス会社「三重交通」の前身の企業が敷いたのが、この2路線。後に経営する会社は近鉄に変わった(ただし三重交通は近鉄系列)が、レール幅は変わらずに現在まで残っているということらしい。

かつてはたくさんあった軽便鉄道も、多くが戦後のモータリゼーションなどで廃止されたり、輸送力を増やすためにレール幅が広げられたりし、現存するのはわずか。
国内で762ミリ幅で旅客営業を行っているのは、四日市の2路線のほか、同じ三重県の「三岐鉄道北勢線」、富山の「黒部峡谷鉄道」だけのようだ。(他に保存目的で運行しているものはある)
ちなみに、秋田県のJR男鹿線・田沢湖線・北上線なども、元をただせば軽便鉄道だったそうだ。
 

時が止まったかのような光景
ホーム向かい側の建物は、旧東海道沿いの建物の裏側に当たる。

静かなたたずまいの駅と裏腹に、1時間に各線片道2本ずつ(2路線上下合わせて毎時8本)運行されているから、かなり頻繁に電車が来る。
パープル
近鉄四日市行きの電車が来たので乗車。四日市までは170円(ローカル線用加算運賃が適用になる)。

ワンマン運転だが、車内で運賃収受は行わない。
そのため、無人駅でも3両すべてのドアから乗降可能で、きっぷは駅の回収箱に入れるようだ。乗る時も整理券はなく、きっぷさえ買っておけば、通常の電車と同じ乗り方。

3両編成のうち、まん中の車両は古い車両をリニューアルしたものらしく仕様が異なり、座席は窓に背を向けて座る「ロングシート」。
両端の車両は、それぞれの運転席向きに1人掛けの座席が固定されている。最後尾車両は後ろ向きに座ることになる。
狭さと座席の感じがバスみたい
ガラガラだろうと思っていたが、思ったより乗客が多くて驚いた。

一般的に、鉄道の運転席は、車内から見て左側にあるものだが、この電車は路面電車のように中央に運転席がある。
製造当時の技術では、この小型車体に冷房を設置できなかったらしく、冷房はない。窓を開けて走っていたが、真夏は辛そう。

あっという間に駅に着いたので、あまり分からなかったが、思ったよりも速度は出ていた気がする。といっても路面電車よりは速いくらいか?
近鉄四日市駅では、他の路線とは違うホームに着く。乗り換えるには、一度改札口を出ないといけない。
駅員が、折り返し発車となる電車に新聞のようなものを積み込んでいたが、新聞輸送もしているんだろうか?

のんびりトコトコ走るかわいい電車。わずかな乗車だったが、楽しかった。
まだ四日市の話がありますので、また後日。※旅行記の続きはこちら
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四日市

2010-07-30 23:38:00 | 旅行記
三重旅行記、四日市編です。前回の記事はこちら

津を後にして、三重県北部の四日市へ。
四日市市は津市よりも大きく、人口31万弱で特例市に指定されている。人口が30万人を越えているので中核市の条件を満たしているが、条件を満たして5年経つのに、未だ中核市に移行しようとしていないそうだ。

津(や三重県沿岸部の多くの町)同様、四日市も鉄道はJRと近鉄が競合している。名古屋からなら近鉄かJRで30分、津からも近鉄か伊勢鉄道(JRに乗り入れる3セク鉄道)で30分弱。
ただ、津と異なり、近鉄の四日市駅とJRの四日市駅は別の場所にある。両駅は1キロほど離れており、「近鉄四日市」駅周辺の方がにぎやからしい。それを織り込み済みで、あえて(節約のため)JRで四日市を訪れた。


(JRの)四日市駅は、貨物駅に旅客ホームがあるような感じ。すぐそばが港や工業地帯であり、貨物支線もあることから、貨物列車がいつも駐まっていて入れ替えが頻繁に行われていた。
駅構内はだだっ広くて、がらんとしている。
異様に広い通路。右が改札口。左側線路との間は駐車場
昔は賑わっていたのだろうか。駐車場部分も昔は線路だったのかもしれない。
規模は違うが、秋田市の羽越本線「羽後牛島」駅を思い出した。同駅もかつては貨物列車が発着しており、現在は建物と線路の間に余白がある。
改札前のコンコース
天井が高く、わりと広いが、こちらも無駄に広い印象。
自動改札機があるが、扉がなく、裏返してきっぷを入れられない「簡易型」と呼ばれるタイプ。駅業務はJR東海直営でなく、子会社「東海交通事業」に委託されており、窓口が閉まる時間がある。
この辺も秋田市の羽後牛島や新屋駅に似ている。
旅行会社「JR東海ツアーズ」(東日本でいう「びゅうプラザ」)がある。ほかにはキオスクがあるくらいで、あとは何もない。
ツアーズの向かい側
がらんとしているのがお分かりいただけるかと思うが、奥はシャッターが閉まっており、閉鎖されているが2階への階段がある。
Wikipediaには「駅舎の南半分には、1階部にホールがあり、2階部にはかつてレストランが営業していたが、現在はどちらも使われていない。」とあるので、その部分だろう。昔は賑やかだったのが偲ばれる。
改札内・跨線橋の掲示
左の掲示はトイレが駅の外のあることを言っているが、「玄関を出て」って表現。
言っていることは分かるが、「駅の“玄関”」って言い方するだろうか?
改札口上の表示
「toicaは、エリア内でのみご利用下さい。」とある。
JR東海のIC乗車券、トイカ(Suicaなども相互利用可)のことだが、エリア内で使えと当たり前のことを言っている気がするが…

実は、名古屋側からの関西本線のトイカエリアは、この駅が南端。
つまり、上り桑名・名古屋方面への乗車ではトイカを使えるが、下り津・亀山方面では利用できない。
その旨の注意書きのつもりなのだろうが、「名古屋方面のみご利用になれます」とかもっとはっきり書いてはどうだろうか。
僕もこの後、Suicaで入場したのだが、一瞬、戸惑ってしまった。
駅の“玄関”。上には「名古屋までJRが断然お得!」
JRの名古屋-四日市間は460円、近鉄の近鉄名古屋-近鉄四日市間は610円と、JRが150円も安いのは事実。
ただ、市街地からの距離やアクセス、列車本数を考慮するとねぇ…

やたらと横に長い駅舎。何が入っているんだろう…
そして駅前もがらんとしている。これといった店もない。

バスプールには常時5台程度の路線バスが待機していたが、便数はそれほど多くない。近鉄四日市駅行きのバス(200円)も運行されているが、10分以上待たなければいけなかったので、歩くことにした。
駅正面の「中央通り」をまっすぐ歩けばいい。
車道も歩道も中央分離帯もとにかく広い。沿道には、オフィスビルなどが多く、秋田市役所脇の「けやき通り」みたいな雰囲気。
ただし、中央分離帯に植えられているのはケヤキでなく、照葉樹(クスノキだかタブノキ?)やカナリーヤシ(フェニックス)。広いから公園みたいで分離帯も歩けそうだが、立ち入りはできない模様。
奥が四日市市役所
市役所前がほぼ中間地点。徐々に賑やかになってくる。
近鉄四日市駅到着
11階建ての近鉄百貨店がそびえていた。
近鉄四日市駅は、名古屋と伊勢・近畿方面を結ぶ名古屋線のほか、2つの支線(方面としては3つ)が出ている(後日紹介します)。
デパート2階にある改札口
JRとは違って都会的な駅。天井からぶら下がっているのは、噂の
せんとくん!
初めて見た。近畿圏へつながる近鉄ならではの装飾だ。

「火の用心」
両端に犬がいる。
調べると、四日市市消防本部のキャラクター「ラブ」とのこと。
服装が異なる「きゅうじょたいラブ」「しょうぼうたいラブ」「きゅうきゅうたいラブ」の3種類がいるが、この幕は消防隊と救助隊。
公募で決まった名称だが、由来等は不明。「Love」と見た感じ「ラブラドールレトリバー」が由来だろうか。
アメリカでは、かつて消防馬車の先導をしていたことにちなんで、ダルメシアンを消防のマスコットにすることが多いそうだが。

四日市市のマンホール
水道なのか下水道なのか目的が書いてないが、絵柄もよく分からない。
まん中の船や上のコンビナートと港湾周辺施設は、港湾・工業都市だからいいとしても、なんで下にコアラとパンダがいるの?

四日市はアメリカ・ロングビーチ市と姉妹都市、中国・天津市と友好都市、オーストラリア・シドニー港と姉妹港の提携をそれぞれ結んでいる。
中国のパンダ、オーストラリアのコアラということだろう。じゃあ、ロングビーチの分は?

近鉄駅そばのオブジェ
右側は四日市港の風景。
中は四日市の地場産業で伝統工芸の「萬古焼(ばんこやき)」。国内の土鍋のシェア過半数を占めるほか、急須やあの蚊取り線香のブタ「蚊遣豚」が萬古焼。このオブジェ自体も萬古焼だろうか。
そして左のバケモノは?
「大入道」という。昔、タヌキが入道に化けて悪さをしたのに困った四日市の人たちが、首が伸びる大入道の人形を作って、タヌキを追い払った伝説にちなんでいるようだ。
10月の諏訪神社の「四日市祭」では、1805年から受け継がれているという大入道の山車が練り歩くそうだ。

近鉄の線路を越えた西側はさらに賑やか。
市立博物館・都ホテル・ララスクエアなど
「ララスクエア四日市」というのがあった。
かつては松坂屋などだったようだが、現在は三井不動産系「ららぽーと」運営のショッピングセンター。愛知のユニーが経営する総合スーパー「アピタ」や映画館などが入る。

駅の東側に戻って
近鉄駅付近の、中央通りの裏通りは「四日市一番街」というアーケード商店街。
地元スーパーが入るなど、意外に賑わっていた。
大入道もいます
津市、そして秋田市に比べれば、四日市の中心市街地はまだ活気があると感じた。スーパーだけで2つ“も”あるし。

四日市といえば、イオン(ジャスコ)の創業地だが、そうでない(地元ローカルや名古屋の)スーパーが中心部で健闘しているようだ。
イオンはここでもやっぱり郊外に出店しているから、そっちはもっと賑わっているのだろうけど。なお、四日市市内には、食品売場に地元スーパー、それ以外の売場がジャスコと、共存しているショッピングセンターがあった。


ところで、「四日市」という地名は、「4」のつく日に市(いち)が行われたことにちなむ。
調べると今でも、市内各所で市(朝市とか定期市)が行われており、市のサイト(http://www.city.yokkaichi.mie.jp/nourin_suisan/chisan/ichi.html)に一覧が出ていた。
4にはこだわらず、毎日のようにどこかで開催されている。

訪れた日は、市役所裏で「市役所市場」が開催されているというので、行ってみた。
秋田県五城目町とか、輪島や飛騨高山の朝市あるいは高知の日曜市みたいに、ずらりと出店が並ぶのを想像していたのだが、
これだけ?!
秋田市役所裏みたいな雰囲気の四日市市役所裏の公園前の歩道に、2店だけ。野菜や花を売っていた。
7時から12時開催で、行ったのは10時前だったのだが、他のお店は売り切って店をたたんでしまったのか、それとも最初から2店だけだったのか。
かなり拍子抜けしてしまった。

お盆や正月前、収穫期などは賑やかになるのかもしれない。


四日市といえば、工業都市、そして公害の四日市ぜんそくのイメージが強かった。
実際に訪れてみると、今でも化学工業は盛んだが、萬古焼のほか郊外には田園が広がって伊勢茶産地であるなど他の産業も盛んであるなど、意外な面を知った。
四日市の話がまだあるので、続きます
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津市内

2010-07-28 22:34:31 | 旅行記
前回の続きです。
三重県の県庁所在地、津市は人口約29万人。地方自治法の「特例市」の条件(人口20万人以上)を満たしているが、指定はされていない。
あずきバーやあんまんの「井村屋製菓」、ベビースターの「おやつカンパニー」などが市内に本社を置いている。
津駅前(東口側)
津駅は、津市街地のやや北側、海(伊勢湾)まで2キロほどの場所にある。
駅周辺はホテルとオフィスビルが多く、秋田市の中央通りのような雰囲気。
駅ビル「CHUM(チャム)」に100円ショップやドラッグストアはあるが、食品スーパーは1キロ程度離れた「津サティ」ぐらいしかないみたいだ。
昔の津はどうだったのか知らないが、どこの街も、中心部では暮らしにくくなってしまったものだ。

●アスト津
駅の左(北)側に、高いビルがあった。
津駅舎(左側)と「アスト津」
旧国鉄用地を市が取得し、再開発事業として2001年にオープンした複合ビル。高さ24メートル(18階建て)で三重県内で2番目に高い建築物(1番高いのは四日市港ポートビル)とのこと。「アスト」には「明日都」という意味と、「Tsu」を逆から読んだ「UST」。
内部は居酒屋、マクドナルドなど飲食店や衣料品店などの店舗、美容室や医院が低層階に入っているが、コンビニや食品スーパーなどはない。
あとは交番、県のパスポート窓口、市の窓口と公民館、ホールなどの公共施設が5階以下に入居。駅ビルとの連絡通路もある。
6階以上は、テナントのオフィスフロアとホテル。オフィスは日本年金機構三重事務センターやJR東海三重支店のほか、各種企業の三重支店/営業所が多い。ホテルは、東海北陸に展開するビジネスホテル「グリーンズホテル」系列の「ホテルグリーンパーク津」。さらに別棟で駐車場。

ビルの形(色は違うが)やコンセプトが、秋田駅東口の「拠点センターアルヴェ」に酷似している、というかアスト津の方が3年先にできているから、逆か。
ただ、秋田杉を多用した吹き抜けのイベント広場(普段は高校生とおばちゃんの談笑の場だけど)とか、広くて明るい駅との連絡通路(津は分かりづらい場所で狭い)、申し訳程度とはいえ展望フロアがあるなど、後からできた分か、秋田の方が多少は考えて設計したかな、と感じる点はあった。

それにしても、津も秋田も、市民が毎日行くような店は入居していないし、大部分がオフィスやホテルなので一般市民には縁遠い感じがする。働く人や宿泊者がたくさんいるのもいいけれど、その街に住む人が自然に集まって賑わってこそ、真の活性化なんじゃないだろうか。

●あるはずのアレがない
さて、津市内を見物したいが、予習をあまりして来なかったので、津市内の観光マップがほしい。
一般的に、駅構内の改札口周辺か外のバス乗り場辺りに「観光案内所」があって、街の資料をくれるはず。だが、津では見つけられなかった。

あきらめて、上記、津駅とアスト津の2階を結ぶ、分かりづらい通路を歩いていると、アスト津2階に「社団法人津市観光協会」の事務所があった。空きテナント部分に入居しているようだ。通路に面してお目当てのマップやパンフレット類があり、奇しくも目的を達成できた。
僕は運が良かったが、初めて来た人はまずたどり着けない場所だ。

秋田市でも、財団法人秋田観光コンベンション協会が大町の「イーホテルショッピングモール(旧AD)」1階の空きテナントに入居しているが、それは事務所機能だけ。観光案内所は秋田駅中央改札の真っ正面にあり、夏の観光シーズンはさらにその前に特設テーブルみたいなのを出して、案内に当たっている。

今、ネットで「津 観光案内所」と検索しても、それらしいものはヒットしない。本当に津には観光案内所がないのだろうか? 県庁所在地ならば、駅前に観光案内所くらい設置してほしいものだ。

また、津市内を歩いていても、交差点などの歩道に道しるべ(「○○公園はこっち」とか)を一切見かけなかった。地図をもらっていなければ、迷子になるところだった。

少し訪れただけのよそ者が、特定の都市のことを悪く言いたくはないのだが、僕が今まで訪れた同規模の都市において、観光客に対するハード面の配慮という点では、残念ながら津は最低レベルにあると言わざるを得ない。
伊勢・鳥羽・志摩といった大観光地が県内にあり、名古屋には近すぎるので観光客は素通りしてしまうのかもしれないが、県庁所在地だし出張や学会などで訪れる人だっているのに。
ひょっとして津市は、観光客が訪れることを想定していないのだろうか?

●津新町
行動開始。
津駅から近鉄で南(名古屋と逆)へ1駅、2.3キロほどの「津新町」駅へ。運賃150円。JRも併走しているが、駅はない。
津新町駅(正面左)
乗降客は比較的多く、駅前にはマンションや商店街があるが、駅も駅前も観光客など相手にしていなさそう。
駅から1キロ圏内に市役所・城趾・中心市街地などがあるんだから、もうちょっと何とかしてはいかがでしょうか。
津市役所と津城跡
津市役所向かいの津城趾は「お城公園」となっている。
松のほかにヤシが生えている
城趾はそれほど広くなく、平坦(「平城(ひらじろ)」ってヤツですね)。石垣と復元された隅櫓がある程度。

●中心市街地
お城公園のすぐそばが、国道23号線。市街地を片側4車線の国道が走っているのが珍しい。
重厚なビル
「三重会館」といい、地元企業三重交通の本社、みずほ銀行などが入り、津中央郵便局が隣接している。
1951年にできた先代の三重会館(1999年解体)は、日本初の官民共同ビルだったという。
所在地が津市中央1番1号、前の交差点名も「三重会館前」と、津市を代表する建物のようだ。
国道を挟んで三重会館の真向かい
こちらは「津センターパレス」。
1985年から1999年まで、ダイエーが入っていた。イオン創業の地である三重では、天下のダイエーも肩身が狭かったようで(今は経営再建でイオン傘下だが、昔はイオンのライバルであり、全国展開していた)、ここが三重県内唯一の店舗だったとのこと(秋田県も秋田店しかなかったけど)。津都ホテルが隣接。
現在は地元食品スーパーなどのテナント、市役所分庁舎、中日新聞社三重総局、ホールなどになっている。
カナリーヤシ(フェニックス)並木
「三重会館前」交差点から海に向かう通りが、「フェニックス通り」。
2キロほど先の末端は「津なぎさまち」といい、中部国際空港への高速船ターミナルがある。
津なぎさまちからフェニックス通り・市街地を経て津駅方面へ、LRT(次世代路面電車)を新設しようという計画もあるらしい。
また、地元商店街、企業等の支援を受けてNPOが運行する100円循環バス「ぐるっと・つーバス」が津新町・市役所・津なぎさまち、各医療機関などを結んでいる。住民主体のコミュニティバスの先駆けのようだが、1時間に1本の運行で土日運休なので、旅行客には使いづらい。

三重会館一帯、大門や丸之内地区が中心商店街。唯一の百貨店「津松菱」や松阪牛の店もある。
丸之内付近
国道沿いの商店街の歩道は、秋田市の広小路みたいな「片屋根式アーケード」。
4車線の国道に面したアーケード商店街というのも珍しい。自転車通行区分が独立しているのは安全だ。
市内の保育所・幼稚園単位で飾り付けた七夕飾りがあり、華やかだったが、人通りはまばら。

国道から1本隔てた大門地区も商店街。
だいたて(大門と立町)アーケード
こちらは車が通れず、すっぽり覆われた「全蓋式アーケード」。
こちらも笹飾りがあったが、アーケード自体が古めかしい上、シャッターが閉まった店舗が多く、ひっそり。
ここが旧伊勢街道であり、そばにある「津観音」の門前町として栄えていたようだ。「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」と伊勢音頭に歌われたように、かつては伊勢神宮参拝客の宿場町としても賑やかだったのだろう。
一説には、名古屋名物となった「天むす」、全国区の「いちご大福」は、どちらもこの商店街の店が発祥だという。
恵日山観音寺(津観音)
津観音は浅草・大須(名古屋)と並ぶ日本三大観音。
ご本尊の観音様は、阿漕(あこぎ。前回の記事を参照)の海で漁師の網にかかったもの、という伝説があるそうだ。
写真左の五重塔は、純木造だが、2001年にできた新しいもの。

どこの地方都市でも、中心商店街は衰退が著しいことを実感させられた。

●津駅へ戻って
国道は路線バスが頻繁に走っている。多くが津駅を経由するようだ。津新町駅まで戻るのも面倒なので、三重会館前からバスで津駅前へ帰ることにした。
津の路線バスは「三重交通」の一社独占。秋田市と似たような状態だが、三重交通には好感が持てた。後日別記事にします。

国道を1.5キロほど北へ走り、左折して200メートルで津駅到着。運賃は初乗り区間の200円。
徳島市のバスように、「初乗り料金が高めな代わり、初乗り距離が長い」という制度のようだ。
秋田駅から山王十字路まで約2キロで160円だし、近鉄の津新町-津間が150円であることを考えれば、できればもうちょっと安くてもいいと思う。
津駅の下を潜る地下歩道で西口へ。(近くに歩道橋もあるようだ)

西側は店は少ないが、住宅地の中に行政機関や学校、美術館などがある。西に向かって上り坂になっており、ため池が点在する。
駅のすぐそばから三重県庁付近にあるのが、「津偕楽公園」。
偕楽公園
津幡11代藩主が造った別荘が起源だそうで、起伏に富んだ小高い丘になっていて、自然が豊か。
桜やツツジの名所だそうだが、今は周辺住民の皆さんが散歩に訪れる程度。ここも園内に道しるべがなく、迷子になりかけた…


今回は行かれなかったが、津市中心部周辺には、寺院を中心に成立した「寺内町(じないちょう)」という、中部・近畿地方特有の形態の集落が残る一身田地区、市街地から遠くない伊勢湾に面した「sea sideキャンパス」に全学部がまとまった三重大学など、興味のあるものもたくさんある。
また津市は、1人当たりのウナギ消費量が日本一で鰻屋が多かったり、学校給食が起源の揚げ餃子「津餃子」が新たな名物であるなど、食べ物も特徴的。

いつか、伊勢神宮や鳥羽などに旅行したいと思っているが、その時にはまた、津にも立ち寄ってみたい。
続きます
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津へ

2010-07-26 20:51:09 | 旅行記
遅ればせながら、三重旅行記をアップします。(気が向いたら随時アップしていくつもりです)

三重県北部~中部の桑名・四日市・津などへは、名古屋から鉄道で移動するのが一般的。路線網はこんな感じ。
青:JR、オレンジ:近鉄、緑:伊勢鉄道
多くの人は、近鉄を使うようだ。
その理由を簡単に言うと、国鉄時代からの経緯でJRの線路設備が充分でなく、列車本数の多い近鉄が好まれているから。
現在は、旧国鉄線を第3セクターに転換した「伊勢鉄道」経由のJRの列車が運行されていて、JRと近鉄で競り合っている。
【2013年1月31日追記】タモリ氏が津に行った際、近鉄がメインであることを知らずにJRの特急を利用したら、津駅で下車したのは3人だけだったという。

遠方からJRで行く場合は、乗車券を通しで計算できるから、費用面ではJR利用の方が割安。
今回はさらにケチって、伊勢鉄道を通らずに全線JRを使う、亀山経由で津まで行った。
名古屋から亀山まで関西本線の快速で1時間、紀勢本線に乗り換えて20分ほどで津に着く。
関西本線快速(帰りに撮影)
途中の桑名・四日市までは1時間に2本の快速が運行されている。1本が伊勢鉄道に乗り入れて津・松阪・鳥羽へ行く快速「みえ」。もう1本が今回乗った名無しの亀山行き。(さらに四日市止まりの各駅停車が毎時2本程度)
2両編成が基本で、ワンマン運転の場合もあり、秋田などと同じ。これが大都市名古屋駅に乗り入れているのだから、そのギャップがおもしろい。
単線区間があって、待ち合わせの停車もあるが、快調に飛ばして木曽三川を渡って三重県へ。
工業地帯の四日市を過ぎると内陸の田園地帯に入る。四日市-亀山間は各駅停車になり、1時間に1本の運行。そうして亀山到着。
亀山駅
自動改札やキヨスクはあるが、平屋の小さな駅で、駅前には昔ながらの旅館と鳥居(市内の能褒野(のぼの)神社のもの)があるくらい。
人口5万人、ロウソクや液晶の産地である亀山市の代表駅としては、思ったよりもこぢんまりしている。
「ろうそくと“世界の亀山モデル”のまちへようこそ」なんていう看板が建っていそうだが、なかった。欧米人と日本人のビジネスマンが英語で会話していたのが場違いだったが、シャープ関係者だろうか?

名古屋からの関西本線は、伊賀上野・奈良・大阪へと続くが、亀山から先はJR西日本の管轄になり、電化されていないのでディーゼルカーが走っている。
乗り換える紀勢本線は、紀伊半島を海沿いに和歌山まで行くが、こちらも非電化。
1両編成のディーゼルカー
【27日追記】↑この車両、「キハ11」形というが、JR東海が自分で1から設計したのでなく、メーカーの汎用製品に手を加えた車両のようだ。
そのため、秋田内陸縦貫鉄道、津軽鉄道、三陸鉄道など、各地の第3セクター鉄道などの車両によく似ている。

山深くはないが、林の中を抜ける。竹林があるのが暖地らしい。

徐々に家並みが出てきて、津市内へ。
近鉄と交差

「つ」
日本でいちばん短い名前の駅、「津」へ到着。駅名標のローマ字は「Tsu」だが、「Z」として、世界一短い名前の駅としてギネスに登録されているという。
両隣の駅名がちょっと変わってる
左の「いしんでん」は「一身田」。そして右の「あこぎ」は「阿漕」。「あこぎなヤツ」などの、“あこぎ”の由来になった地名。
ネットで見ると、「アコースティックギター」の略の「アコギ」をイメージする人もいたが、それはたまたま音が同じだけだ。

津駅は、JR東海・伊勢鉄道・近鉄の3社が同じ駅を共有している。ホームは区別しているが、境界に柵や改札があるわけでもない。
東口側をJR、西口側を近鉄が管理していて、各社の専用改札口みたいに見えるが、どちらの改札口も利用できる。自動改札機も各社のきっぷに対応している(近鉄のICカードも両方の改札で利用可。JRのTOICAはエリア外)。
東側の駅ビル2階にも改札口があるが、秋田駅の駅ビル口みたいな、改札機のない通路1本の改札口。
近鉄の駅名標
黒地なのが珍しい。
「つ」
近鉄の柱にある縦型の駅名標は、JRのと違って枠などがない真っ白のものに「つ」とだけ表示されているので、何かの記号みたい。
近鉄のホームから、JR側を見ると、
「JRがおトクです」
津-松阪間の定期券を宣伝している。JRが安いといっても、列車本数では近鉄の方が有利そうだが…
駅の利用者数としては圧倒的に近鉄の方が多いようで、近鉄はJRを商売敵として見ていないのか、近鉄側にはこういう広告はないようだった。
ちなみに、「つ」の真下に「津」と小さく書かれたJR東海の駅名標、遠目では「?」に見えると話題になったらしいが、上の写真だと、たしかにそうかも。

JR管理の東側改札口
こちらの方が市街地側。よくある地方駅のたたずまいだが、県庁所在地の駅としてはやや小さめか。JR管轄側だが、改札口から少し離れた場所に近鉄の券売機と券売窓口もあった(西側には近鉄のきっぷ売場しかなく、買えるJRのきっぷに制限がある)。
天井に改札口と垂直向きに近鉄の時刻表がぶら下がっている。JRでは見たことのない設置方法だから、僕は現地では存在に気付かず、「改札口に近鉄の時刻表がないとは不親切だ!」と思ってました…

なお、市役所や城趾などは、近鉄で1駅隣の「津新町」駅周辺にある。
続きます。
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御免札を見てきた

2010-07-16 20:17:33 | 旅行記
先日、三重へ行った際、途中の名古屋で見たものを。珍しく相撲の話題です。

押し切って開催してしまった感のある、大相撲名古屋場所。
名古屋を訪れた時はまだ、臨時理事会を招集してどうこうと、大相撲開催中止という前代未聞の事態になるのではないかと、ニュースになっていた頃。

さらにその数日前、担当の親方らが「複雑な心境」とか言いながら、「御免札」という大きな札を、名古屋場所会場のそばに立てていたのが報道されていた。
僕が相撲に興味がないからかもしれないが、御免札とは初めて知った。
会場の愛知県体育館があるのは、名古屋市中心部・名古屋城内とのこと。名古屋で時間があったので、話のタネに見に行ってみた。

名古屋市営地下鉄名城線の「市役所」駅、7番出口を出るとすぐ名古屋城内(交差点の斜め向かいが市役所)。
地下鉄出口から200メートルも歩かないうちに、石垣に囲まれた城跡らしい光景になり、
あっさりと発見
テレビで見た通り、高いやぐら(上で太鼓をたたくのかな)の隣(上の写真では右側)に例の御免札があった。やぐらが高いのでスケール感が伝わらないと思うが、
右側の照明(一般的な街灯サイズ)と比べると…
御免札もかなり大きい
6月23日の読売新聞によれば「縦1メートル90、横35センチ」、24日のスポニチに「高さ約4メートル」とあるのは脚も入れた高さだろう。
いちばん上の字は「蒙御免」(ごめんこうむる)
番付表にも書かれる文言で、江戸時代に幕府の許可を得て開催していた名残とのこと。

名古屋城見物なのか、僕以外にも観光客が数組いたが、その全員が、この御免札にカメラや携帯電話を向けていた。
今まではそれほど注目されなかったであろう御免札が、こんな一件で注目を浴びるとは皮肉なもの。

そんなお気楽な観光客の間を抜けて、城内から浴衣姿のお相撲さんが出てきて、御免札の前を通って外へ歩いて行った。
力士が東京から名古屋へ移動したと報道されたのはこの数日後だったので、何かの役目があって先に現地入りしていた人だろうか。

御免札のすぐ先が広くなっていて(二の丸跡)、立派な体育館があった。
愛知県体育館
建物前の一角が仕切られて、資材らしきものが積み上げられていた程度で、報道関係者などもおらず、ひっそりとしていた。

“話題の現場”を見られたので満足して(&暑いので)、地下鉄の駅へ引き返した。
さっきのお相撲さんがまだホームにいて、僕と同じ栄方面行き電車に乗っていた。



そういえば、僕が子どもの頃は、夏になると秋田市中心部でも浴衣姿の力士が歩いていたものだ。
たしか、親方婦人が秋田市出身という縁で、大鵬部屋(現・大嶽部屋)が秋田に稽古に来ていたはず。いつの間にか、それもなくなったらしく、秋田市で相撲といえば、今は地方巡業の「秋田場所」が1日だけ開催されるくらい。(今回の夏巡業は6か所だけだそうなので、それでも縁があるといえばある)

今回の一件で、地方巡業がどうなるかと思ったが、秋田県内分の北秋田市と秋田市は開催されることに決まった。でも、お客の入りはどうなんだろう?
秋田市開催分を主催する秋田テレビ(AKT、フジテレビ系列)では、6月頃までは盛んにローカルタレントを使ったCMを流していたが、この問題が大きくなると、ぴたりと放送しなくなった。【17日補足】アナウンサーのナレーションだけの地味なCMは、今日放送されていた。
でも、秋田テレビやJTB東北秋田支店前に、「チケット発売中」の広告がまだ出ているから、完売ではないのだろう。

ちなみに、青森市で行われる青森場所は、早々に(6月29日)開催中止を決定した。力士を多数輩出している青森であり、払い戻しなども手間だろうに、中止を決断した早さ・潔さには感心した。
他の会場(秋田・福島・新潟の5会場)にも波及するかと思ったが、そうはならなかった。
ちなみに、青森場所は、青森朝日放送(ABA)の主催。青森県の民放最後発の局が主催していたとは、意外だった。(同じ立場の秋田朝日放送(AAB)もプロ野球などは開催しているけど)
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梅雨の首都圏

2010-06-27 19:59:08 | 旅行記
ちょっと出掛けてきました。大した旅行記になりそうにないので、話題ごとに随時アップしていきます。

とりあえず首都圏へ。この時期の関東地方を訪れるのは初めてだと思う。梅雨真っ盛りといった天気だった。
●別所沼公園
さいたま市から東京都北区にかけて、東北本線(京浜東北線)の西側を走るJR埼京線。その「中浦和」駅で降りてすぐ。
東北本線の浦和駅からもそう遠くはなく、多くの車が行き交い、マンションなどが立ち並ぶ街中に、
突如としてこんな光景が広がる
メタセコイアなどの針葉樹に囲まれた、大きな沼。
これは「別所沼」という100万年前にできた沼。周辺は「別所沼公園」として整備されている。

なお、一部のサイト等では「県立別所沼公園」と記載されているが、それは古い情報。現在はさいたま市(の外郭団体)が管理している。
元々は個人所有だったものを浦和市(当時)が管理していたが、後に埼玉県に移管。2003年のさいたま市の政令指定都市化を記念して、再度、浦和市の後身であるさいたま市に移管されたそうだ。

見る角度によっては、どこかの山の中の湖を見ているかのようだが、後ろは車が走り、林の裏は住宅街。
対岸から

もうムクゲが咲いていた
秋田では梅雨明け以降に咲いていたと思ったが、早い。
アジサイも咲いていた
ほとりの木々の中を一周する1キロの「トリムコース」があり、走ったり歩いたりする人が昼夜を問わずいたのは、さすが都会。
他には児童公園なみたいなのがある程度だが、学校行事で訪れるなど、市民に親しまれる場所のようだ。
それにしても、関東平野のど真ん中にこんな沼があり、それが今も残っているとは知らなかった。

中浦和駅周辺の住所は、「さいたま市南区鹿手袋○丁目」という。
浦和鹿手袋郵便局
そのまま「しかてぶくろ」と読む。
由来はよく分からないようだが、おもしろい地名。
秋田では、「袋」が付く地名は、水路に関わる(水がたまる場所である等)ことが多いけれど。

●飛鳥山公園
今度は東京都北区、京浜東北線の王子駅のすぐ西側にある、「飛鳥山(あすかやま)公園」。博物館があったり、桜の名所だそうだ。ふもとを都電荒川線も走っている。
王子駅のホームから見える、ふもとの線路沿いにアジサイが咲いているのを見つけ、降りて行ってみた。
王子駅ホームから
柵の向こうの電車が走っているのが東北本線、さらに山側がいわゆる「湘南新宿ライン」(正確には田端駅へ至る東北本線の貨物線)。
さらにこの後方上空には、新幹線も走っている。(したがって新幹線の車窓から見えるかもしれない)
たくさんのJRの路線が集中する地点だが、駅があるのは京浜東北線だけ。
南口から外に出て右へ行くと、東北本線を渡る歩道橋があり、飛鳥山の山腹と直結している。
階段でふもとへ
狭い通路を覆うように、アジサイが“たわわに”咲いていて、人がすれ違うのも大変。もちろん車は通らないが、たまに自転車が通る。
数百メートルに渡りずらりとアジサイが植えられていた
青系の西洋アジサイが多いが、微妙に花の色あいが異なったり、ガクアジサイ・ヤマアジサイのようなものもあったりし、どれもたくさん花を付けていた。
首都圏のアジサイの名所といえば、神奈川県の鎌倉が思い浮かぶが、とても人が多いと聞く。飛鳥山も常に人がいたとはいえ、のんびりと鑑賞でき、気軽にアジサイを楽しめる場所だと思った。
上の京浜東北線の電車の帯は“アジサイ色”?
秋田にはあまりアジサイの名所がない(と思う)ので、いいものを見られた。

●梅雨なのに!
ワープして、東京都立川市。降っていた雨が上がり、空が明るくなってきた。
「多摩都市モノレール」に乗った。空中を進み、高いビルが多くないエリアでもあるので、眺めがいい。
山並みにちぎれ雲がかかってきれいだなと思っていると…
「柴崎体育館」駅ホームから
なんと、
富士山!
乗り合わせた他の乗客も喜んでいたが、この時期、ましてさっきまで雨が降っていた日に、こんなにくっきり富士山が見えるとは。感動。
思ったより残雪が多かった。

この数時間後、東海道新幹線で静岡県を通過したのだが、富士山は厚い雲の中だった。

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秋田人は旅先で…

2010-04-08 19:31:18 | 旅行記
慣れない旅先、あるいは転居先で、住んでいる(住んでいた)土地を連想させるものを見ると、懐かしく、うれしく思ってしまうもの。
高知のホームセンター「ブリコ」(「ブリコ」は秋田でハタハタの卵を意味する)のような期待外れもあるけれど。
先日の四国への道中、関西で見つけたものを2つご紹介。

●秋田の郷土料理?
大阪市の阿倍野区と天王寺区の境に、「阿倍野橋」とか「天王寺」と呼ばれるエリアがある。繁華街であり、鉄道路線が集まる交通の要衝でもある。
JR西日本と近鉄の駅が大きく、道路を挟んで向かい合っているが、駅名はJRが「天王寺」、近鉄が「大阪阿部野橋」と異なる。(地名や地下鉄駅名は阿“倍”野橋、近鉄の駅名は阿“部”野橋、ほかにも“あべの橋”とひらがな書きする場合もある)

その近鉄の駅構内の柱。
「きりたん」
秋田県人としては、瞬時に「ぽ」を追加して、郷土料理の「きりたんぽ」を連想し、その広告かと思った。(「ぽ」が物陰か何かに隠れているのかと思った)

※全国的にすっかりおなじみかと思うが、秋田県北部発祥のご飯をつぶしてチクワ状(?)にしたものを「きりたんぽ(切蒲英)」という。ひらがなで書くのが一般的。
 焼いて味噌を付て食べることもあるが、鍋物にすることが多い。鍋物のことは全国的には「きりたんぽ鍋」と“鍋”を付けて呼ぶ場合が多いようだが、秋田では単に「きりたんぽ」できりたんぽ自体を指すことも、鍋料理のことを指すこともある。

郷土料理の広告にしては、書体や色合いがふさわしくなさそう。(そもそも「ぽ」が抜けてるけど)
何の広告?
ちなみに右奥が改札口。この駅は自動改札機の導入がとても早く、1966年に試験設置(現在と方式が異なる)された。
拡大。「ん」の下の空間に「ぽ」を書き加えたくなる~!
近くにある「大阪キリスト教学院 大阪キリスト教短期大学」という短大の広告だった。公式サイトにも「きりたん」の略称が出ている。ということで、これも秋田人としては期待外れ。

全国的に「○×短期大学」を「○たん」と略すのは一般的。語呂がいいし、「たん」という響きがかわいらしいからかもしれない。
でもここの場合、「きり」ってキリスト教、キリスト様の「キリ」。建学の精神とか、大学の根幹にかかわる大事なものだと思うけど、略してひらがな書きしちゃっていいの?
※大学の略称については、過去の記事に秋田大学の例もありました

●神戸の秋田美人
神戸市の繁華街「三宮(さんのみや)」。そこにあるJRの駅が「三ノ宮」駅。神戸駅よりも利用者が多い。
その下りホーム
向こうの壁に、他の広告に混じって「あきたこまち」の文字が見える。
JRホーム側を向いた広告だが、設置されているのは隣接する新交通システム「神戸新交通」の敷地だと思われる。
「美人を育てる秋田米 あきたこまち」
秋田県内でもたまに見かける、「JAグループ秋田・JA全農あきた」による広告。秋田では「美人を育てる秋田米」のコピーは、たしかあきたこまち登場以前から使われていたし、市女笠(いちめがさ)のこまち娘もすっかり定着している。
これは「ブリコ」や「きりたん」とは違い、本物の秋田のものだ。

首都圏では、距離的な近さ、同じJR東日本エリアということもあって、東北や秋田のポスターなど広告類を比較的よく見かけるが、関西では少ない。
そんな中、神戸のど真ん中で、ズバリ秋田の広告を見つけたのは、うれしかった。
コメント (3)
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四国を後に

2010-04-05 20:08:37 | 旅行記
【四国旅行記13】旅行記の最初の記事はこちら、直前の記事はこちら
四国に来て4日目。「バースデイきっぷ」は有効最終日の3日目。いろんなものを見られた高知を後にし、さらに四国も後にしなければいけない。
この日は高知市から徳島市に移動して1泊し、翌日は行きと逆ルートで秋田まで一気に帰る行程。

夕方近くの「南風」で高知から瀬戸内海沿いの宇多津まで。行きと同じアンパンマン列車のグリーン車。
窓から駅前広場やはりまや通りのヤシ並木が見えた
土讃線は全線単線なので、秋田新幹線「こまち」同様、特急といえども途中で反対列車待ちがある。(列車本数がやや少ないこともあるだろうが、こまちほど待つ回数・時間が少なかった気がする)
徳島県境近く、高知県大豊町の「土佐岩原」駅で列車交換。駅と山の間を吉野川が流れている。
ソメイヨシノと思われる桜がほぼ満開だった。高知市内より早い
4月4日のニュースで高知城の桜がまだ見頃というニュースをやっていたが、花の咲く期間が長い。今年だけなのかどうか分からないが、東北の桜ほど散り急がないのか。

次は宇多津から高松まで、20分ほどだが、せっかくなので特急に乗る。
松山から来た「いしづち」
松山-岡山の「しおかぜ」と松山-高松の「いしづち」だけが、四国を走る電車の特急(他はディーゼルカー)。8000系という車両が使われており、指定席車は数年前にリニューアルされている。
松山発のしおかぜ・いしづちは、宇多津駅で切り離しを行うので、連結されていた側の車両は、
真っ平ら!
130km/h程度では、空気抵抗などほぼ関係ないからこれでもいいのだけど、通常の先頭車が新幹線みたいにとんがってカッコイイのと比べると、なんとも。もうちょっとなんとかできなかったのかね。
 
以前乗った時は、車内はごく普通の特急列車だったのだが、リニューアルされた指定席は暖色系でまとめられ、木製素材が多用されて、明るい。座り心地も快適。
デッキは床が板張りで、ドアには絵が描いてある。洗面所は、
ボウルが砥部焼(違う柄のものもあるらしい)どっかの居酒屋のトイレみたい
ガラガラだったし、久々に電車に乗ると(ディーゼルと違い)音と振動が小さいのを実感して、快適に高松へ着いた。

すぐに接続する特急「しおかぜ」で徳島まで。
行きより1両多い3両編成だったが、指定席はやはり16席だけ。海外旅行帰りのようなグループもいて、ほぼ満席(っていっても13人)。自由席の方も、高松から各地へ帰宅する人で8割方埋まっていた。

泊まるのは徳島県庁そばのホテルだったので、徳島の1つ隣、ホテル近くの「阿波富田」駅まで普通列車で行って、バースデイきっぷの使用終了。グリーン車には2回しか乗らなかったが、充分得したと思う。
阿波富田は秋田市の上飯島駅みたいな、無人駅だった。

翌朝は、おみやげを買ってから、まずは10時発の高速バスで神戸の「高速舞子」まで。乗るのは「阿波エクスプレス神戸号」のジェイアール四国バス担当便。
ライバルの徳島バスも同時発車のようだ。
 
ニンジン(徳島県とJA全農とくしま)とサツマイモ“なると金時”(JA徳島市川内支所)の広告。
秋田の農産物もこれくらい派手にPRしてもいいんじゃない?
これが乗ったバス
JRバス東北などは、国鉄バス当時とほぼ同じ青いラインの車体だが、JR四国はコーポレートカラーの水色と黄色のライン。ツバメマークがなければ、JRバスとは思えないが、明るい印象で悪くない。(国鉄時代からの青が落ち着いていて好きだけど)
そしてこのバス、2007年にフルモデルチェンジした、新しい「三菱エアロエース」だ。(行きに乗ったのは、先代に当たる「エアロバス」)初めて乗る。三菱のバスのデザインって好きだし、旅の最後が新しいバスでラッキー。
中はきれいだったが、乗った感じとしては(行きと同じ位置の席なのに)窓から景色が見やすかったほかは、特に行きのバスと違わなかった。
それにしても、一般路線用と高速用の違いがあるものの、高知で見た28年前のバス(前回記事参照)と同じメーカー製で、こんなにデザインが違うとは… 隔世の感。

徳島駅発車段階からかなり席が埋まっていたが、途中の「松茂」「高速鳴門」停留所から、それぞれ10人以上乗ってきて、ほぼ満席になった。予約なしの飛び込み客は1人だけだった。こんなに乗ってるんじゃ予約しないと断られかねない。
同発の徳島バスにも同じくらい乗っていたようだ。この日は土曜日だったけど、このくらい乗っていれば、この路線に限っては高速道路1000円の影響は軽微なのだろうか。
前の席では、偶然、知人と隣同士の席になり「あら、どちらまで?」「ちょっと神戸まで展覧会に」「私も(神戸の)三宮に…」などと話す方々がいた。多くの皆さんが気軽な格好・荷物だったし、徳島の人にとって神戸・関西は身近な存在のようだ。

僕が本格的な高速バスに乗ったのは、この旅行が初めてだったが、特にこのバスの運転士さんはよくしゃべる。自動放送もあるのに、運転しながら各停留所の到着時刻まで案内していた。
淡路島内の高速道路は順調に流れていた。犬が助手席に乗っていた軽トラや花見団子を食べながら運転していた車などを抜いて、快調に走る。
明石海峡大橋を渡って本州へ
風が強く、小さな波が立っていた。橋から見える神戸や明石の街並みは、びっしりと密集していて、淡路島や四国とは違う。やっぱり大都会だ。
路上の表示板にこの先の阪神高速が渋滞(たしか7キロ?)していると出ていた。運転士からも「渋滞を避けるため経路を変更するので、神戸市内各停留所への到着が遅れるかもしれない」と案内があった。これは高速道路1000円の悪影響か。

僕は橋のたもとの「高速舞子(舞子バスストップ)」で下車。5分ほど遅れたが、これは渋滞のためでなく、途中バス停の乗車に手間取った(前にもバスがいて)からだろう。
舞子で降りたのは僕のほか2人だけ
あとは、在来線で京都、東海道新幹線で東京、京浜東北線で大宮、秋田新幹線で秋田、というルート。秋田着は22時。(以前から当ブログをご覧の方はご承知の通り、所々在来線を使っているのは、料金節約のためです)

京都-東京は「ひかり」自由席。先発の「のぞみ」の3両だけの自由席が満席だったので心配したが、「ひかり」の5両の自由席はガラガラ。
この「ひかり」は、名古屋まで各駅・豊橋・新横浜・品川という停車パターンで、東京まで所要時間は「のぞみ」より数十分余計なだけ。皆さんどうしてそんなに「のぞみ」に乗りたがるのかね。
なお、豊橋からはほぼ満席になり、富士山は見えなかった。

東京から大宮までは、上野まで行って宇都宮(東北)線か高崎線を利用しようかと思ったが、時間があったので、京浜東北線1本で行った。50分弱かかるが、乗り換えなし&大宮が終点だから、楽。
そして、最後尾の車両に乗ったら、信じられないほどガラガラで快適だった(若干遅れが生じていて、先行列車との運転間隔が短かったためかもしれない)。追い越して行った高崎線はぎゅうぎゅう詰めだったので、乗らなくてよかった。

節約と混雑を避けるため、最速の乗り継ぎではないのに、徳島から秋田まで12時間で着いてしまうのって、早い。
四国が意外に近い、というより、徳島と関西がとても近くてアクセスが便利というのが大きい。

今回もいい旅だった。僕には大都会よりも、今回のような地方都市の気候や文化の違いを感じる旅が楽しい。またいつか四国へ行きたい。
お土産・食べ物等を後日、随時アップします。

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所変われば・高知編2

2010-04-03 21:00:37 | 旅行記
【四国旅行記12-2】
前回に続いて、まとまりに欠けますが、高知市内のいろいろな話題を紹介します。
●秋田では食べ物、高知ではホームセンター?
高知市内にあったホームセンター
近くには行かなかったが、遠目に見る限り、全国どこにでもある店舗形態。
見慣れない看板なので、地元資本の店だろうか。店舗名は…
「ホームセンターブリコ」!!
秋田では、県民魚とさえ言われるハタハタ。その卵をのことを「ブリコ」と呼ぶ(アクセントは語尾)。独特の食感を好む人が多い。
このホームセンターは、高知を地盤とする企業グループの1社による経営で、高知市内で3店舗、楽天とヤフーで通販をしている。
まさかハタハタの卵という意味ではないだろう。看板の「BRICO」から調べると、フランス語で「日曜大工、器用仕事」を意味する「bricolage(ブリコラージュ)」が由来だろう。

●地球33番地と倉庫
秋田県大潟村には、北緯40度線と東経140度線が交わる「経緯度交会点」がある。10度単位で交わるのは、国内でここだけだが、田んぼの中で車でなければ行かれない場所。

高知市には、北緯33度33分33秒、東経133度33分33秒という、3が12個並ぶ場所がある。
地球上で、緯度経度に同じ数字が12個並ぶ場所は陸上で9か所あるが、砂漠などにあるものが多く、容易にアクセスできるのはここだけとのこと。
「地球33番地」と呼ばれ、モニュメントがあるそうなので、話のタネに行ってみた。路面電車ではりまや橋から4つ目「知寄町一丁目」電停で降りて、北へ500メートルほど歩けばよく、本当にアクセスは容易。
「地球33番地通り」という大通りもあるが、1本裏通りを歩くと近い。
川沿いに出た
こちら側(南側)の白いモニュメント(左の矢印)は昭和37年に建てられたもので、本当の“33番地”は、対岸近くの川の中。そこにも新しいモニュメントがある(右の矢印)。
南岸には花に囲まれた説明板
なお、現在は、測量基準が変わり、それによればここから400メートル離れた所がさらに本当の33番地とのことだが、「地球33番地」実行委員会では、元の場所に愛着を持って変更しないそうだ。
川の中が33番地
どこかの店で「到達証明書」を発行してくれるそうだし、対岸へ行こうとも思ったが、面倒なのでやめて戻ることにした。近くにあったのは、
「藁工(わらこう)倉庫」
酒田の山居倉庫、秋田の米倉庫と雰囲気は似ているが、デザインは違う(どれも素敵だ)。今は店舗などに利用されているようだ。

●寛永通宝信号機
地球33番地通りの信号機
まずは、信号機の制御(サイクル)。矢印が3つ(←↑→)付いている。
見ていると、青信号にはならず、すべて矢印で進行を指示するようだ(裏面は通常の青のみ)。
裏面や歩行者用が青の間は、左折と直進のみが点灯(←↑)。その後、裏面と歩行者用が赤になってから右折(→)させるという、方式だった。
時差式信号と思想は同じだが、より右折を明確に区別しているようだ。対向車や横断歩行者との事故を防ぐ狙いだろうか。
矢印信号機が余計に必要になるから、秋田県ではやらなさそう。

もう1つは信号柱のてっぺんにある、何やらのオブジェ。
寛永通宝!
高知の、特にこの場所との寛永通宝のつながりが分からない。なぜ?

●新しい信号機
秋田にもある、薄型のLED式歩行者用信号機
写真で分かりにくいかもしれないが、高知では隣り合った別方向を向いた2台の信号機を、1本のアームにまとめて設置していた。
昔はどうだったのか知らないが、薄くてかさばらない薄型なら無理なく設置できるし、設置費用の節約にもなるだろうから、いいアイディア。「歩行者自転車専用」という看板は律儀に両方に付けていた。【2020年3月27日追記】このような設置方法は「双子」と通称され、徳島以外の四国各県や福島ではよく行われるようだ。これから10年ほど経って、秋田県でもこの設置方法が行われるようになった。
そして車両用、
 
従来のものより、LEDの粒がかなり大きく、丸い粒でなく見える。
メーカーの京三製作所のサイトを見ると、「面拡散型」というもので、正面以外の角度でも見やすく、夜間に正面から見た場合のまぶしさを軽減したものだそうだ。直進しやすいLEDの光を、周囲に広げる(拡散)ようにした、ということかな。
秋田ではまだ見かけないが、将来は設置されるのだろうか。

●クジラとニワトリ
高知城そば、市役所向かいの高知市消防局中消防署の
「火災調査車」
ナンバーが「119」だ(もう1台RV車みたいなのも119だった)。
隣に車がいたので見にくいけど、クジラが描かれていた

ちなみに、秋田市消防本部の高規格救急車には、イルカが描かれている。1995年に「親しみやすく、優しく、時には素早い動きを見せるイルカの様子を、救急車にたとえたもの」で、イラストは消防本部職員がデザインしたそうだ。(1995年9月10日付「広報あきた」1363号より)

忘れていたが、尾羽が長く、時には10メートルに達するニワトリ「オナガドリ」も土佐産。
市内の商店街の道案内や時計にデザインされていた。
 

●未だ現役
地方のバス会社の経営は厳しい。自治体から補助金をもらったり、大都市圏の中古車を購入できるとはいえ、特に一般路線バス用の車両は古いものが多い。
青森の弘南バスは20年前の車両でもまあまあきれいに走っているが、秋田市のバス会社では、10年ほど前の車両でも外側は錆が浮いて継ぎ接ぎ補修、車内もあまりきれいとは言えない。

ところが高知(土佐電鉄や高知県交通)では、20年以上前のバスが現役で走っているというので、見られるのではないかと密かに楽しみにしていた。
路面電車の停留所にいると…
来た!!!
路面電車も運行する土佐電鉄の子会社「土佐電ドリームサービス」所属の車両だ。ネットの情報では、三菱「K-MP518M」という形式で、なんと昭和57(1982)年製。“28年選手”だ。ナンバーは「高知22」でなく「高22」。
この形式の車両は、旧秋田市交通局にも多数在籍していたので、個人的には懐かしい。秋田市営バスが冷房車導入を始めたのと前後した時期だったので、同じ形式なのに冷房付きの車とそうでない車があり、冷房付きの車は2000年頃までは走っていたように思う。

この車両、バスに詳しくない方にはどのように映るだろうか?
現在のバスとは違う構造(モノコックボディ)なので、デザイン的には古く見えるかもしれない。

久しぶりに見た古いバスだが、予想していたよりも違和感がなかった。車体がきれいで錆などほとんどないし、白い部分は泥はね1つなく真っ白。黒煙と爆音をまき散らして走っているかとも思っていたが、そんなこともなく、流れに乗ってちゃんと走っているのには感激した。
また、こんな古いバスに、LED式行き先表示器を設置しているのもとても珍しい。それも古さを感じさせないのかもしれない。(車内にはICカードリーダーもあるはず)
路面電車と同じく、丁寧に手入れされ、大事に運行されているのだろう。
夜になっても走っていた。屋根も真っ白できれい
高知滞在中、この車を3回見た。高知市と阪神タイガースのキャンプ地・安芸市を結ぶ路線をよく走るようだ。片道35キロ、1時間半以上かかる路線だから、ラッシュ時間帯の応援要員的な車両でなく、フル稼働しているようだ。
【5日追記】上の写真を見ると、屋根上に冷房装置がないので、冷房車ではないようだ。夏の間は窓を開けて走るのか、お休みしているのか?(秋田市交通局は、このバスと同い年の1982年度購入分から冷房付き。当時の公営バスはお金持ちだったし、秋田の人は暑がりですから)【2011年8月26日訂正】冷房付きであるとのご指摘をいただきました。コメント欄をご覧ください。

30年近く経ってこの状態を保っているのだから、単なる「古いバス」ではなく、蒸気機関車やボンネットバスのような「保存車両」として扱ってもいいと思う(他県ではそうしている会社もある)。末永く走り続けてほしい。


いろんな発見があった高知や四国だったが、きっぷの有効期限もあるし、そろそろ帰らなければいけない
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