田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

『火花』読もうかな

2017年05月16日 | 日記
 NHKドラマ『火花』を見終わった。まだ原作は読んでいない。「ドラマは原作とかなり異なる」と、作者の又吉氏が言っていたと妻から聞いた。
 
 笑いのセンスが若者に追いつけないので、漫才師として成功するかどうかのストーリーはまったく理解できなかった。私は『横山やすし・西川きよし』より『ツービート』の笑いが好きだった。破天荒な相方が大成功したツービートと比べて、天才と言われたやすし師匠の晩年は、決して幸せには見えなかった。ドラマ火花の最終回、神谷の「俺、なんちゅうこと、してもうたんやろ・・」と泣くシーンが、やすし師匠のリハビリに励む姿と重なり悲しくなった。
 
 又吉氏は常々「太宰治が大好き」と言っていた。作品「人間失格を何度も読み、読んだ時代によって、受ける感動が違う」とも語っていた。
 
 私が「太宰治」を読んだのは中学生だった。「走れメロス」を教科書で読んだ。その感動を求めて「人間失格」を、繁華街の本屋で、単行本を買った。図書館で借りなかったのは、思い入れが強かったと思う。
 
 子供だった私が記憶している感想は『難しい』に尽きる。何度も読むのをあきらめた。読み終えたのが中学生だったか、高校生であったかは覚えていない。とても虚しく厭世気分とでも言うのか、メロスのように心地よいものではなかった。
 
 太宰治氏の命日が桜桃忌と言われ、若い人達が線香を手向けに集まることを不思議に思う今の私だ。当時の私は無理強いしてまでも、自分を不幸にしておきたいという、青春にありがちな、若い歪んだ心だったのであろうが、心のどこかで、破天荒を嫌い、平均の自分を求めていたと思う。
 
 先日タブレットで何気なく青空文庫を見ていて、またまた何気なく人間失格をダウンロードして読んだ。タブレット特有の黒地の白文字で読みやすかったのか、いっきに読めたが、やはり虚無感が残った。私は成長していない。