田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

ネット回顧

2017年05月10日 | PC、趣味
 懐かしい記事を読んだ。『ネットにつなぐだけで月に数万円請求されて親に怒られていた頃のこと』そうそう、昔を思い出した。書いてあること全部が懐かしかった。
 
 プロバイダを決めたものの
当時のプロバイダは乱立気味だった。幸い教育関係者に大きな割引があるプロバイダの世話になった。本格的にネットに接続する前、接続用のPC NEC-9821を購入、ワクワクしながら自宅に設置した。プロバイダから発行された接続の手引を片手に入力するものの繋がらない。何度も何度も職場からプロバイダに電話した。慣れぬカタカナをメモし、家に帰りメモを見ながら再度挑戦。これを何度も繰り返した。繋がらなかった。

 ついにお手上げ、プロバイダに自宅までご足労を願った。操作は間違っていなかった。NEC機器との相性が最悪で、通信速度が極端に遅かったようだ。一苦労の後、NECに接続して『NEC-9821の不具合を解消するドライバ』をダウンロードしてもらった。PCにありがちな『缶詰の中の缶切り』を味わった。私のネット生活が始まった。 
 
 当時はダイヤルアップ接続
プロバイダが示す電話番号にモデムを使って繋いだ。最初は外付けモデムだった。市内番号をパソコンに記憶させれば、自動でダイヤル。あの独特のダイヤル音♪ピポパ♪に続いて、奇妙な音がした。記事には『私は「ピ~ガガ~」と覚えていたが、人によっては「ピ~ヒョロ~」だったりもするようだ。どちらにしろマヌケなひびきだが、これがネットのはじまりを告げる音だった。』私にはFAX送信の音と聞こえ、胸の高鳴りにも聞こえた。

 繋がったと同時に電話料金の課金が始まる。ところが遅いのなんのって、イライラしながら必要なページを落とし、ネットを切断してからゆっくり読んだものだった。急いだ割には、役立つページが無かった。今のマンションに転居してもしばらくはダイアルアップだった。だが、PCはDOS/∨機になっていた。
 
 モデムカードで学内ネット
非常勤講師で週二回の講座。ノートパソコンのカードスロットにモデムカードを差し込み、PHSを使ってネット接続、当時はまだネットは難しいと思う生徒さんへの実演が主目的。常勤の先生は学内PCの使用が許されていたが、非常勤はダメだった。それほどの高嶺の花、大切に扱われていたのだ。でもほとんどの先生方は使えず、なにやらPCを毛嫌いする先生が多かった。
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 ADSL
友人のご主人が通信関係、ADSLを申し込む客を開拓するとボーナスが出るとかでお願いした。数千円の商品券を頂いたことも嬉しかったが、電話代金を気にしなくても良いことが嬉しかった。電話局が近いこともあり、速度は申し分なく、大きなファイルの受け渡しができた。
 
 フレッツ光
団地に光接続が可能になった。ADSLで不足は無かったが「試したい」願望が強かった。光にして10年近く過ぎた。仕事上でも不足は全くないが、このサ-ビスが終わるそうだ。そろそろ仕事も引退の時期、ネットの必要も無くなるが、オイラの悪い癖「100Gを試したい」。もう一つ上の『隼』にする。そのためにLAN配線工事をしなければならのだ。