田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

親の葬儀について考える

2016年03月02日 | 宗教その他
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 今日の朝刊記事。葬儀については、生前中の婆さまとよく話しました。母(婆さま)は『潔(いさぎ)よい最後』をモットーとしていましたので、常に「質素にしてくれ」「立つ鳥跡を濁さず」と言っていました。

 私がブログを始めた理由は「親の葬儀についての備忘録」でした。それは、兄一家と宗教による溝ができてしまったからです。詳しく記している間に、膨大な備忘録になってしまいました。私自身、過去に書いたものを探すのが困難になりました。嫁子ちゃんには「ブログは遺書だよ」なんて言ってましたが、これも、今となっては無理です。そのうちに総集編を書かねば・・。
 
 妻と私は、老後の私達に二つのことを申し合わせています。一つは、葬儀は直送にして欲しい。細かなことは葬儀屋に代行してもらい、息子と娘で取り仕切れば良い。遺骨は、期日にとらわれること無く墓に納めれば良い。墓参りは気の向いた時でよい。愛犬の骨を入れても良いし、万が一、JWに傾倒した兄が納骨を望むなら、望むままで良い。次兄の息子の墓参りは放置してくれれば良い。霊は墓などに無く、無限の大きさ、無限の薄さで宙に漂うものだから・・・。
 
 第二は、難しい病になった場合、老後の資金を食い潰す恐れがあるので、延命の処置をしないで欲しい。ただし、苦痛だけは避けたいのでよろしく。願わくば婆さまのような往生がしたいものです。
 
 この二つは婆さまと話して得たものです。婆さまはニコニコして聞いてました。「わしは辛いことは耐えれるけど、お前は無理じゃな。わしも直送とやらで良いけど、本家には知らせなにゃならんしなぁ・・頼むなぁ・・」と。
 
 母を送り、思い通りにできた私達は、我が家の宗教観と、話が分かる姉がいてくれたからです。兄弟や親戚が多かったら、きっと問題山積と思います。シリーズで、私の知った葬儀の難しさを書いてみます。ご興味ある方お楽しみに。参考になれば幸いです。