続・蛙独言

ひとりごと

「熔解する政治」

2010-05-31 19:11:20 | 日記
どうしようもないところまで来ちゃったなぁって印象だね。
現状、「この国」の「政治」が殆ど「熔解」していくという状況だろうか。

もともと何遍もゆうてきたように何かそれなりな理念があって「政権交代」がなされたわけではなかったし「自民党支配」の「65年」が自壊しただけのことだったのだから、僅かな月数での大きな「改善」など期待すべくも無かったのだけれど、これ程までに「愚かな過程」を踏むことになるとは、蛙にも「想定外」というところだわ。

思えば、「小選挙区制導入」あたりから旧社会党が崩壊し「村山政権」などという事態になった時点で、「この状況」は「必然」の流れだったのかも知れない。
小森さんなどは「それ見たことか」などと言われるかも知れないね。

瑞穂たんや清美ちゃんは「涙ながらの記者会見」ってことだったけれど、その「涙」の意味はどういうことだったんだろうか。
「力は弱いけれど『政権与党』の側に立つことによって『何ごとか』自分たちの追い求める理想が『ひとつでもふたつでも』実現可能になったのではないか」という風に考えたのかも知れない。
「ここに至って」その「想い」を投げ出さざるを得なくなっての「悔し涙」というところだろうか。

蛙は思うけれど、そういう「思い込み」自体間違いだったんだ。

鳩山にしろ小沢にしろ前原にしろ、その他諸々、皆、もともとは「自民党」だったんだから、発想そのものが「旧態依然」とした域を抜け出ることなんて出きゃしない。
「政治は政治家がやるもの」なんて考えでいる限り、未来を切り開いていくことなんて出きゃしないんだ。

「政治は誰の為に」って言えば、何ちゅうたって「人民に奉仕する」って話にならなくっちゃねぇ。

「この国」の不幸は、我々が、一度も、「毛沢東」や「ホーチミン」「カストロ」「チェゲバラ」などのような「人民に奉仕する」ことを第一義に置くような人物を「持つことができなかった」ってことなんだと思うよ。

とうとう来た「5月末」。

2010-05-29 18:24:55 | 日記
怒っていない人は誰もいないんじゃないかしらん。
結局「辺野古」かいってッ!

ずっと以前に蛙は「鳩山のふにゃふにゃは評価に値する」と書いたんだけど、その時「考えていたこと」は「普天間を動かすことはできないだろう」「日米安保が本当に必要なものかどうかの『国民的議論』に結べればそれはそれでよいことかも知れない」ということだったし、そしたら「自主防衛派」「9条破棄・改憲」を目指す勢力と「平和主義」の側との「全面対決」ってところにもつれ込んでいくのではないかってことだったのだね。
蛙の考えは「はずれ」だったわけだけれど、「辺野古」なら旧政権の主張に「後戻り」だし、「体を張ってでも、命を賭けてでも阻止する」という民衆の怒りを踏みにじろうというのであれば、ちぃと蛙も「やれることは何か」しっかり考えていかなければならないし、行動も要求されることになる。
戦後65年の「この国」の在り様そのものが「問われている」のだけれど、「それじゃどうするねん?」って話になれば、今のところ皆目「道すじ」が見えてこない。
瑞穂たんも「馘」切られちゃったけど、こりゃ「必然」ってとこだね。
社民党は連立を離脱するべきだろう。
すんなりとはいかないかも知れないのは「下野」すれば「仕事ができない」って事情があるからだ。
「与党」に与(くみ)していれば、「国政の全体的な流れ」はともかく「微視的」な「政策課題」で「よい成果を挙げることができる」ということはある。
例えば「障害者自立支援法」を廃棄して「よりよいものに作り変える」作業など、それを「微視的」などと言えば怒られるかも知れないけれど、「野」に下ればなかなかなことになるからね。
とにかく「たいへんな状況」にはなってしまったというところだろうかしらん。
「参議院選挙」での「民主党の惨敗」が言われているけれど、そりゃ「ありそうだ」とは思うけれど、蛙には「民主党」以外に「選択肢」はあるようにも思えないし、「ウーンッ」って唸ったままだわ。

「子ども」

2010-05-28 19:19:21 | 日記
みんな、自身の子どもが「どんな風に生きていくか」、親となったからには、それなりな強い関心はあるのだろうね。
早くから「英才教育」なんてのをやらはる人もあるようだ。
蛙の場合、別に「我が子たち」が極悪人になったところで、ちょっとも構わない、それが「彼」なり「彼女」の「生き方」なんであれば、致し方ないなんて気分ではあったんだ。
「親の想い」などというものを「無理強い」しないってことだね。
それだから、小中くらいだとガッコの「成績」もあんまし良くなかったと思う。
ツレアイは蛙とは主義が違っていて、「家庭教師をつける」などと主張して、まぁ、離婚沙汰ってのもなんだから「勝手にしろよッ!」つうようなことになった。
で、二人の子どもは「世間」でいうような「いい大学」には行けなかったが、取り敢えず「大卒」ということにあいなった。
それぞれ、よい「伴侶」に恵まれて、健康で幸せに暮らしているようだから、親として「これ以上何も望むべくもない」というところだろう。
なによりも「心やさしい」人間に育ってくれたことが嬉しい。
むすこの方は関東在住で、5歳と1歳のこどもを育てながら、よく頑張ってくれている。
スカイプなどという無料のテレビ電話で週に一度くらい孫たちと話すのが蛙の愉しみになっている。
むすめの方は、幸い、蛙のウチの真隣に新居を建てて、まだ「夫婦別姓」等という制度が実現をしていないから「事実婚」ということだが、この夏には「出産予定」というところだ。
はじめ、「介護事業」を志していたようだが方向転換をして「鍼灸師」の道を選んだようだ。
既に「国家試験」も受かったから、「開業」を目指すことになるらしい。
蛙ときたら、歳のせいだろうけれど、あちこち故障も多く起こって来ていて、随分、むすめの鍼灸の世話になっている。
「恐るべし、鍼灸治療ッ!」なんて思うよ。
仲よしのTさんも、狭山集会に参加予定の前日、階段も登れないくらい足腰を痛めていたらしいが、むすめの治療で一発完治。
日比谷では、目の前で踊って見せてくれたらしい。

こんなに順調な風だと、かえって怖いよねぇ。

「ここがロドスだ。ここで飛べッ!」

2010-05-27 20:02:58 | 日記
「旧ブログ」では書いてきたことだけれど、蛙は「解放運動」には随分遅れて参加したのだったから「同盟」が「燎原の火のごとく」という勢いで「力」を拡大し「同対審答申・特措法」を獲得し「大衆的な糾弾闘争」を展開していた時期を知らないのだ。
それだから、現在の「解放運動」について「ああだこうだ」などと「ブログ」で書いたりしているけれど、幾分、自信の無いところはある。
その現場にいた人が、「その時代」の「総括」をきちんとやってくれればいいのだけれど、「全体的な視点」からの論稿は見当たらない。
西岡智さんの「荊冠の志操」が、ちと面白いか等とは思うけれど…
蛙が初めて「同盟員登録」をするのは1972年のことなのだが、その「支部」は「日本共産党の日本共産党による日本共産党の為の支部」であったから、そのとき既に「同盟主流派(日本のこえ)」対「日共」の対立は決定的なものになっていて、「解放運動とは差別を無くするための組織なんだ」と考えていた蛙には「状況が皆目分からない」ということだったのだ。
訳も分からないままに最初の5年ばかりはムラの「悪ガキ」どもを相手に「シンナーをやめさせること、きちんと仕事に就かせること」を自身の課題にして、それこそ「不眠不休」の取り組みだったのだけれど、遂に一旦「ツブレテ」しまう。
この後、神戸の同盟は「全体として」「正常化連・全解連」へ移行をしていくのだが、その中でも「中央」、西岡さんや大賀さんと繋がっていた「若い連中」は「日共」の悪辣な攻撃に抗して「本物の運動」を再建していく。
実は、この流れにも蛙は乗り遅れている。
「子育て」に専念していた、というのが「言いわけ」…..
ようやく蛙が復帰するのは1991年、ウチのムラに「支部」を再建する時だ。
例えば「八鹿」などは1974年の話だし、同盟兵庫県連内での「ゴタゴタ」、「刷新運動」などという話も事情は蛙には皆目分からないのだ。
というわけで、「同盟兵庫県連」内部では、蛙は、左程の人から「信頼」を受けてはいない。
何せ、重要な「現場」には居合わせていなかった人間なのだからだ。
けれども、「何をぬかすかッ!」ちゅうような想いはある。
現在の県連の運動には「わくわくするような魅力」などひとつも無い。
ただ、「あの時代」の惰性だけでもっているだけではないかッ!
蛙には「未来を切り拓いていくぞッ!」という信念が誰にも負けないくらい強くある。
「過去」は過ぎ去ったことだ。
「未来」が「展望」できるかどうか、ここが勝負なのだ。

「状況」と語られる「ことば」

2010-05-26 18:47:50 | 日記
「東武」の折のことだけど、「血圧が上がるようなの、よくないんじゃない?歳が歳なんだから、ちと控えなくっちゃ。」なんてマナちゃんから言われちゃったんだけど、確かに「大声の怒鳴り合い」なんてのはチットは血圧も上がったかも知れないね。
世の中、「大声出したもん勝ち」みたぁなとこ、あるわけで、そういう場面は何度もくぐり抜けてきているわけだわ。
それだから、左程心配する話じゃない。
この時も、「自身のことば」は冷静に選びながらって余裕はあった。
ちゃんと「関東弁」で怒鳴り合ってたからね。
「関西訛り」ではあったかも知れないけれど。
思うのだけれど、「状況」とか「相手」次第で、自由に「ことば」を選ぶことができる能力って大切なことなんでないか知らん。
中学までの喧嘩だと直接「暴力」ってことだったけど、以降は「口喧嘩」。
警察官を「ポリ公」なんて呼ぶのは、ちと品が無いことかも知んないけど、「連中」との「口喧嘩」では「1勝3敗」くらいかな。
あいつらは「市民」に対しての「言葉づかい」、酷く悪いよ。
まぁ、状況だろうけれど、遅い時間に蛙が「酔いざまし」にウチに歩いて帰る道すがら、「職務質問」なんてのに出くわす。それで、「人」を捕まえて「お前」呼ばわりなどするから、「誰に向かって『お前』なんてゆうとんじゃいッ!」なんて絡んだりってことになる。
分は悪いかも知んないけど、「正論」でないかしらん。

ムラの人間との口論ということになれば、これはもう「ムラことば」以外ない。

同盟の会議だと、みんな「お高くとまってる連中」だから、どれくらい「高尚なことば」で相手をやっつけることができるか、そういう能力も必要だ。
丸尾君との「喧嘩」では蛙の方が一枚も二枚も上手だったと思う。
同盟兵庫県連だと、一時期、「八鹿」で名を売った丸尾君、誰もが恐れをなしていたようだが、彼の執拗でなんでもありな「攻撃」に「お手上げ」状態だったらしい。
蛙はこの君と「活動の時期」がずれていて、おまけに「何の弱み」も持ち合わせていなかったから、なんでみんなが彼を恐れるのか、皆目、分からなかった。
だいたい、「相手をやっつけるためには最初に恐怖心を植え付けること」なんて鉄則を彼はよく心得ていたからだろうね。

ムラの人たちは、「ムラ」から外で暮らしたことが無いという程に「自由度」を持たないと蛙は思う。
ウチのムラでも、それなりに階層分化はあるわけだが上層に属する人でも、ムラの外での生活経験が無い人ほど精神的に弱かったりする。
ムラの外とは「ことば」が「ほんの少し」違うのだけれど、その「少しの違い」でダメージを強く受けてしまうのだ。
若い人たちには、どんどん「ムラの外」での経験を積んでもらわないといけないなぁなんて思う。
「状況」と「相手」で「ことば」が使い分けられる力は、喧嘩でも必要だし、日常生活でも心しなければならないことだろう。
迎合ということではなく、「自由にことばが使える」ということなのだから….
これはとても大切なことなんだと蛙は考える。