続・蛙独言

ひとりごと

変人「蛙」

2010-01-30 19:04:02 | 日記
蛙の「問題認識」は根本のところで、多分、他の誰とも違っているので、なかなか「討論」は成立しないし、それだから殆ど理解も得られないのである。
例えば、蛙はこう言う。
「差別者の、あの凍りつくような強張った嘲笑を支えている〈もの〉は、実は、の側のあまりに哀し過ぎる〈弱さ〉以外なにものでもないのだ」と。
それからまた、こうも言う。
「差別者もまた〈世界〉から〈疎外〉されている自らを救う術を知らず、孤立感に苛まれている存在であり、自身が〈弱者〉と看做す〈対象〉を恣意的に選択しそれを攻撃することに拠ってのみ〈自己確認〉し得るという〈錯認〉に囚われているに過ぎないのだ」と。
「差別者」側からの陰湿な差別攻撃を我々の全てが「笑い飛ばしてしまう」くらいな偉力(ちから)を持つことができたら、どんなに素敵だろうか。
〈悲しみのどん底〉でうち震え、孤立している「差別者」を懐深く抱え込んでいくような、そんな偉力(ちから)を我々の全てが持つことができたら、どんなに素敵だろうか。
それは「夢物語」なのかもしれない。
少なくとも、「被差別民」は歴史上一度も「身分」であったことはないし、現に今も〈賤しい存在〉である筈も決してない。
ただ、「被差別」に生まれた我々は「ものごころ」もつかぬ内に、その柔らかな肌に「貶められたもの」という〈烙印〉を焼き付けられるので、それを撥ね返していく、如何にも困難な〈個人的闘い〉を強いられる。
蛙は住井すえが嫌いだから「橋のない川」を読んでいないが、その中で「は治るん?」という話が出てくるらしい。
で、浜野などは冗談めかして「わし、もう『』、治ってん」などとゆうたりする。
今のところ、この国では「被差別」に生まれた人間は、苦闘の末に〈対抗する偉力〉を自分で手に入れる他ない。
それは誰にでも〈可能性〉は開かれてはいるが、多くの人に可能かといえば、難しいという他ない。
何故かならば、第一に「問題がそのようには立てられてはいない」からであるし、それだから「公教育」の中で最悪の「自意識」が埋め込まれていくことを阻止し得ない仕組みになっているからだ。
「解放」の前途は、未だ「暗く」、その〈方策〉を我々はなお手にはしていない。
景気づけの「ことば」はある。
「夜明けの来ない夜はないッ!」
蛙としては、その「ことば」をお題目にしながら、自身の信ずる〈途〉を慎重に歩んでいくだけだ。

思うこと、多すぎて。

2010-01-26 18:34:41 | 日記
漸く、風邪の方は回復基調。
色々のことがあって、思うことも多い。
ハイチ地震でのキューバの対応なども気になるところだったから、ネットで調べられる限りは読んでみた。蛙の期待通り、或いはそれ以上の支援が取り組まれているようだ。
この国の対応も遅ればせながら決定をされてきているが、何故「自衛隊」なのか、悩ましい話だ。軍隊以外の何物でもない「自衛隊」などという誤魔化しを排して「国土保安隊」とか「国際救助隊」にすれば、などとアホな蛙は考える。
小沢に関わる話も奇妙奇天烈。週刊誌などでは「小沢逮捕間近かッ」みたいな見出しが躍る。蛙の判断では、「とても公判維持ができそうにないから逮捕とか起訴なんてことにはならない」ということになるが。
検察の考えが奈辺にあるか、読むのは難しいが、ただ、この国の支配層にとっては、このまま「民主党」と小沢の思惑通りに事態が進むことに一発蹴りを入れておく必要はあっただろうし、騙されやすい「世論」などというもの、正確には支配層の意を呈したマスコミの「世論誘導」というべきか、現況は十二分に「彼らなりの成果」をあげているということになろう。
「朝日」夕刊の「差別を越えて」は、昨日、浦本君と「東京の事情」だったが、今日は「村崎太郎・栗原美和子」が扱われていた。
山口県光市で市会議員をされていた村崎義正は太郎の父親。
蛙のように「共産党」と「全解連」から酷い目にあわされてきたものには、「全解連」の急先鋒の一人だった義正氏など、見るのも聞くのも厭な存在なんだが、よくよく考えてみれば、「共産党」と違って「全解連」の人たちは「民」であるからして、その「弱さ」を最もよく物語る存在なのだ。
義正氏は徹底して「解同」批判をされて来られたが、自分の息子には「問題」を正しく伝えることができなかったのだ。
蛙は「太郎と栗原の結婚」には初めっから厭な印象を持っていた。
栗原の小説「太郎が恋をする頃・・」が同盟の何人かの人の間で評判になっていたが、蛙は「形」にならない厭な印象の故に読むことをしなかった。
今日の記事を見て、何故、厭な印象を持ったのか、やっと自分で理解ができた。
栗原は言う。
「被差別で生まれ育ち、その伝統芸能を継承する人と結婚すれば、2人で力を合わせることで様々な差別問題に取り組めるかもしれないと思った」。
蛙が直感的に抱いた不快感は「ここ」に原因があったのだ。
人がどのように結ばれようが、それ自体、自由な事柄であるから、蛙が文句を付ける筋合いの話ではないが、「差別」に因って「破談」に至る「結婚」と「向き」こそ正反対ではあるが、蛙には「内容」として同質に思えてならないのだ。
結果、二人が「それなりな」活躍をされることは期待しないわけではないが…
ところで、この二人の「歩き方」をまだ御存命ならば義正氏はどのように見ておられるのか、また、「全解連」から移行した「全国人権連」ではどう捉えられているのだろうか。
「朝日」の記事では、太郎は「高校2年の時」解放運動をしていた父からの影響で、と書かれているが、誰が読んでも「解放同盟寄り」としか受け止められないと思う。
また、この同じ記事で、野中・辛淑玉「差別と日本人」の「売れ行き」がいいということも書かれているが、この本も「全国人権連」から非難は集中されているのだけれど。

またまた風邪だ。

2010-01-24 13:20:27 | 日記
春みたいな日が続いたと思ったら、急激な冷え込み。
その昔、蛙は風邪などひいたことがなかったんだけど、加齢による免疫力低下ということなんだろうね。
ちょっと気になる話もあるから、ブログの投稿はしなくちゃなんて考えてたのに、こりゃ、ちと「元気」が出るまでお休みだッ!

「安保50年」

2010-01-22 18:35:41 | 日記
本年はあの「60年安保」から50年、半世紀を経たことになる。
「60年安保」って「一体何なん?」という時代なのかも知れない。
蛙は中学生だったし政治の中心地から遠くあったから主要な「登場人物」ではなかったけれど、この「安保闘争の敗北」がこの国の「民主主義」の成熟を阻んできた決定的な要因だったのだと考えている。
今更そんなことを言ってみても始まらないが、この闘いを指導すべき立場にあった社会党と共産党には「人物」がいなかった。
「民主主義を希求する圧倒的な民衆の闘い」を圧殺する役割をしか果たさなかったのだ。
「裏切り」と言っていいと思う。
この時、「新左翼」と呼ばれた運動も「市民派」と自称した運動もあまりに脆弱なものに過ぎなかったのだろう。
現在にいたって、漸く「新しい政治の流れ」を迎えたように見えなくはないが、今のところ「民主主義の勝利」の兆しは見えない。
何ごとも「お上まかせ」、マスコミは「興味本位」、自覚的な「民衆の運動」は皆無と言っていい。
ドイツやフランスでは、も少し増しな政治状況のように見受けられる。
この「違い」は何なんだろうか。
蛙の焦燥感はいや増すばかりだ。
取り敢えず「小さな場所」で「小さな取り組み」を誠実に実行していく他ないけれど、この国の未来は暗いという蛙の想いは悲観的に過ぎるということなのだろうか。

「朝日」夕刊のことから

2010-01-21 18:54:27 | 日記
19日から朝日新聞夕刊で「差別を越えて」というのがシリーズで連載されている。
今日で三回目。
一発目は「武田の子守唄」、二つ目は角岡君他、三つ目は「阿波木偶箱廻し」と「太鼓集団・怒」が取り上げられている。
何回続くか知れないが、今のところ、その内容は評価してよいのではないかと蛙は考える。
ジゲ戦記のブーさんは消極的な見方のようだけれど。
蛙が考えるところだと「被差別」の現実が遍く「知られていく」ことが「差別」を無くする直接の「みち」なのだということになる。
一般に人々はただ「皆がそう言っている」からという理由だけで「差別」を再生産しつづけてきた。
「」といったって特別になーも変わった人間が住んでるわけじゃないんだってことが理解されたら一歩の前進にはなるだろうね。
も一つ大切なことは、「差別」の現実の前に「」の側が「初めっからこけてしまっている」という点だ。
蛙はバキュームに乗って「汲み取り人夫」として20年以上働いてきたけれど、この仕事も大層な差別に晒されてきたということがある。
息子が小学生だった頃の話。
仕事場は今みたいな変則勤務体系で平日水曜に何人かが休むということがあって、学校が夏休みだったから「親爺の仕事を見せておこう」と思って息子を会社に連れて行った。
「卓球台」が置いてあったりしたからこれでちょっと遊んで、息子と一緒に風呂に入ったりした。
百人からの人間が働いている事業所なんであるから、この「風呂」ってのが「そこいらの銭湯」に負けないくらい広くて立派なものなんである。
それで仕事場の仲間はなんて言ったか。
「お前、かいらしい息子を『こんな仕事の後継ぎ』にしたいんかッ!」。
仕事仲間の誰もが自身の労働を「卑下」して受け止めているのだね。
仲間を責めようとは思わない。
仲間をそのような想いに貶める「世の中」をこそ呪おう。
どんな仕事でも、それが社会に役立っているようなものであれば、頑張っている人が必ず尊敬されるような「そのような世の中」にしていくために蛙は「可能なこと」を是非やっていかなければ、そう思ったものだ。
全体、「」の人間は、「世間」に出て行った時に浴びせかけられる「差別言辞」や「行為」の前で「屈服」してしまうことが多いのだ。
それは自分が「独り」であり「力弱い者」だと思うからだ。
「独り」では無いのだということを知らせるために「同盟」が無くてはならないと思う。
蛙が中学生くらいの頃から自分に課してきたことは「何につけ、スーパーであろう」ということだったように思うけれど、これは「差別に抗するため」の無意識な反応だったのだろう。
結局、大してスーパーな「存在」には成れなかったけれど、「学問」であれ「社会生活の場面での必要知識」であれ、なんであれかんであれ、浅く広くだけど「誰にも負けない」くらいな「力」は手に入れることはできたと思う。
それだから蛙は「差別者に屈すること」は決して無いッ!