続・蛙独言

ひとりごと

「狭山」

2010-05-18 18:29:39 | 日記
5月12日の「狭山中央集会」には勿論、蛙も参加していた。
集会自体は「重大な意義」を持つのかどうか蛙には分からないが、「狭山」に「想い」を賭ける多くの人々にとって、「日比谷」に結集をして互いの意思を確認し合うという点では大切な集会ではあったろうと思う。
「解放運動」が「腐ってしまわない為には〈狭山〉こそが決定的に重要な闘いなのだ」ということを一貫して主張してこられた西岡さんも元気な姿を見せておられた。
この集会は、裁判長の交代を受けて後の「三者協議」に一定の圧力を、という狙いで開かれたものだが、高検は「証拠開示」に渋々応じている。
最も重要であろうと思われる点は「不見当(見当たらない)」として逃げたけれど、「再審決定」に結べるかも知れない「証拠」が開示されたことは、半歩か一歩か、よく分からないが、取り敢えず「よかった」というところだろうか。
15日には「ドキュメンタリー宣言」・「"見えない手錠をはずして…"狭山事件、48年目の真実」がテレビで放映されたようだが、関東限定ということだったから、蛙はこれを見ていない。
いづれ、録画されたものを見る機会はあるだろう。
この番組の制作にあたられた「ディレクター 飯村和彦」さんが、「編集後記」を下記に記されている。ご一読いただきたい。
http://www.tv-asahi.co.jp/d-sengen/contents/diary/cur/index.html

「狭山」の闘いは、「権力の差別性」を問う闘いであったから、これ程にも困難を強いられたのだと蛙は思う。
日共は「単なる冤罪事件」として「権力におもねる」ような路線を主張し、かてて加えて「日本のこえ・憎し」などという党派事情を重ねながら「戦線逃亡」を図ったのだ。
こんな馬鹿げた「政党」が存在し得ることが、蛙には全く理解できない。