続・蛙独言

ひとりごと

「大阪市長選」

2011-11-28 11:22:19 | 日記
蛙の友人は勿論だが、そうでなくても仲良くなれそうな人の誰でもが「橋下を選んではいけない」と思っていただろうね。
選挙期間中は、こういうことを言うのはルール違反だと思っていたから何も言わなかったけれど、蛙の家族とか仲間内では「具合は悪いが橋下が勝つのは間違いないだろう」というのが「定説」だったわけだわ。
マスコミ報道で、「投票率」が大層高いということが言われていたから、こりゃ「大差」になるんじゃないかなんて思ったりもしていた。
案の定の結果になった。
「嘘も百回も言えば本当になる」とか言うし、「この世の中、声の大きいもんが勝つんだわ」なんてこともあるよね。
「橋下は駄目ッ!」って思っても、ほいじゃから「平松氏」がええんかってゆうたら、積極的に応援しようかってな人でも無かったわけで、溜め息ばかりだわなぁ。
東京で石原が勝ち、宮崎で「そのまんま東」が勝ったりしたことがあった、そんな国なんだから、まぁ、世も末だよね。
蛙が思うに、「選挙」なんてものがどれほどインチキで「民主主義」と相いれないものであるか、今回の結果は、そういうことを明らかにしてくれたんだろうね。
それに変わるべき「方法」を私らは持ち合わせていないけれど…
選挙で勝とうと思ったら「少数者をブッタたいて多数者にオモねる」、そういう作戦が一番なんだろう。
石原は「重度障害者なんて人間と言えるんだろうか」とか「犯罪は『三国人』によってなされている」とか、無茶苦茶なことを敢えて言ってみせて勝ったんだし、橋下は主には「公務員バッシング」で勝ったんだろうね。
中身があるわけじゃない。
まるっきり「空っぽ」だ。
虚勢に過ぎないのは明らかだけれど、「張り子」であっても「虎」に「見える」、そういうことが「選挙に勝つ」、必須条件だというわけだ。
ヒトラーだってまず最初には「選挙」で指導者に選ばれたんだからねぇ。
最初期に橋下が「独裁は必要」みたいなことを言い、平松陣営が「独裁反対」みたいなことを掲げたあたりで「勝負は決まっていた」んだ。
橋下は途中から「この国で本当に独裁なんてあるわけがない。あれは『形容詞』なんであって、それくらい力強いリーダーシップが必要なんだと言いたかっただけ」と「言いわけ」をしたのだけれど、平松側は「反独裁」で通して、仕掛けられた「罠」に見事にはまってしまった。
必要だったのは「市政の具体的で説得力ある中身の提示」だったのにもかかわらず、である。
またひとつには、「政権交代」はしたけれど、結局、民主党も自民党と変わり映えしないのだということが誰の目にも明らかになってきていて、その「自民・民主」の支援を仰いだことも「大衆の離反」を招いた要因だろうとも思う。
それだから「腐りきった政党政治をぶっ壊してくれるのではないか」という期待も後を押したんだろう。
「橋下がなぜいけないか」、説得力ある説明は「どこ」からも、「大阪の人々」の間で、交わされることがなかったというわけだ。
まったく、前途多難な時代というほかないよね。

あまりに暗い

2011-11-22 14:43:22 | 日記
書いておきたいことは山ほどあるのだけれど、なかなか<ことば>にならない。

浦本君がfacebookで榊原英資「世界恐慌の足音が聞こえる」を紹介していたので、一応、読んでみたし、ユーロ危機の現状についての丁寧な解説・分析などもFBでUPされておられて、これも大いに参考になった。

まず一番に思うことは、これまでも「問題」に関わる学者や活動家の発想の狭量さについて蛙は指摘してきていて「世界史の現実の中で」考えていかなければならないということを言ってきた。
浦本君は、そういう意味では例外的な人なんだろうと思う。
彼にあっては、「現在の世界史的問題」が「を初めとするこの国のマイノリティにどんな影響をもたらすものであるか」、そこのところをはずさずに考えていこうということなのだろう。

蛙の受け止め方は、それでも幾分かは違う。


ここまで書きかけて、大上段に振りかぶってしまったので、頭が爆発してしまった。

また、おいおい、書くことにして、簡単に「考えていること」を箇条書きにあげておこうかなぁ。
1.「国民国家の時代の終わり」とか「近代資本主義の終焉」とか言うけど、そんなもの、レーニンの「帝国主義論」で既に言われてきたことだよねぇ。
「資本」ってぇのは「癌細胞」のようなもんで、「人民の血と汗と涙」を栄養源にして「シャーレ」の中では生き続けることができるんだよ。そういう意味では「不老不死」なんだと思う。内在的な論理として「自己崩壊」を含んでいない。
たった一度だけチャンスはあった。
資本がその「外部」として生み出した「プロレタリアート」の勝利のチャンスが。
ロシア革命の時代、ローザルクセンブルクとスパルクス団の敗北、ドイツ革命の流産から世界革命の放棄、「一国社会主義へ」という変節。
以降、「資本」に「死亡宣告」を突きつける「論理」も「武器」も失われて久しい。
2.過去半世紀間、「自由主義陣営vs共産主義陣営」などという時代が続いたが、それは実は「対立」とは名ばかりの相互の支配層の安定を保証する代物でしかなかった。
片方が自壊したことによって、アメリカ一極支配ということにあいなったが、「安定を保つ機構」は失われたままだったから、いづれ崩壊の時がくるはずだった。
「眼前の危機」はまだ「崩壊」には程遠い。
何故かなら、それに替わるべき「機構」は発見されていないからだ。
3. EUとユーロは、キーカレンシーとしてのドルを前提に、その枠組みの中で、アメリカと対抗しようとしただけのものだったのだから、リーマンショック以降、もろに影響を受けてしまった。そもそもユーロはドルに取って替わろうとするものでなかったのだから、これは必然だった。
アメリカの崩壊とEUの崩壊は連動する。
4. 大恐慌ということにはならないのではないか。
各国で混乱は多発するだろうが、「代替する世界」は準備されていないのだから、99%の人々の苦しみを何層倍にも増やすことによって、1%の権益は守り抜かれていくはずだ。

時代は「あまりに暗い」というほかないよね。

「さよなら原発1000万人署名」

2011-11-14 20:36:20 | 日記
昨日の日曜、1時から3時まで、駅頭で標題の署名活動に参加したが、僅かな人数で120筆くらいの成果だったようだ。
新社会の方から「のぼり」なども用意してもらったのだが、左程の人の往来も無いなかでは上々の出来だったと思う。
蛙は20筆集めたが、署名していただいた方との応対からは原発と放射能に対する不安を言われておられて、この時期ということもあるだろうけれど、関心の高さが感じられた。

30年以上も前から、事故が起こればどんなことになるか、はっきりと言われてきたし、蛙もよく知ってはいたのだ。
小出さんも、言葉を詰まらせて涙ぐむシーンを、ビデオで再々見た。 
高木さんも生きておられたら、どんなに苦悶されたことだろう。

我々には力がなかった。
すべては「金、金、金・・」で押しまくられてきたのだろう。

孫子の世代に残す未来が、こんなにも薄汚れて危険なものになってしまったことを、何遍も何遍も嘆かなければならいことが悔しくて悲しくて辛いのだ。

気が狂いそうだよ

2011-11-13 09:09:48 | 日記
このところ、あまりに忌まわしい話続きで、蛙の頭はクラクラしたままで、語るべきことばを失ったまま、全くの失語症だわなぁ。
皆目、訳の分からないままに放射能を撒き散らし続ける福島原発事故のその後もそうだし、自国の事故後の対応もこのような情況のままに「ベトナム・原発輸出」を進めてみたり、TPPをめぐる「この国」の対応の愚かさや、世界経済の混乱を前にしての無策ぶりや、もう数え上げればきりがないというところ。
そこへもってきて、大阪市長選がらみで、橋下攻撃に「週刊新潮・文春」が掲載した記事内容の悪辣さ。
「怒髪天」を通り越して、「発狂の域」までいってしまいそうだ。

「この国」はもう壊れてしまっているのだろうか。
未来を見据えて「旗を振る」ような人物も見当たらないし、政党政治も「世も末」という感じだし…

地に足を付けて、それでも「民衆とともに」という取り組みは無いわけではないが、蛙の苛立ちはおさまりそうもない。

とりあえず、本日は駅頭での「1000万署名」と情宣活動があるので、それに参加しようというところだが、気を取り直して、ブログの更新も、「ひとりごと」に過ぎないけれど、頑張っていこうかなぁと思ったりしている。

元気はあるけれど...

2011-11-03 18:04:57 | 日記
「阪神淡路大震災」の折には蛙はその渦中にあったから、ずっと極限の興奮状態で走り回っていたように思うし「これ程の災厄があってよいものか」などと思っていたりもしたような気がする。「未曾有の大災害」などとも思ったものだ。
ここにきて、「東北大震災と原発事故」そして「その後」の時間の流れの中で、蛙は全くの「茫然自失」という状態が続いている。
「悪夢を見ているだけではないのか」とさえ思う。

マイノリティの側でこれまでもずっと「取り組み」を続けてきた多くの友人は、例えば「外国籍」の人々や「『障害』者」たちの「被災状況」や「その困難」に対応するべく、早々と現地に入って、それなりな成果に結びつけながら活動を継続しているようだが、蛙は「何をしてよいのかも分からず」、ただ「日常」に流されるままでいる。
いつでも「そこ」に飛んでいけるのだろうが、行ってもクソの役にも立たないのではないかという想いは強い。

また、「現在」というところで、世界大でも「この国」というレベルでも、或いは「属している組織」という話でも、あまりに暗く悲しく厳しい「情況」を眼前にしていて、自身の力の無さを嘆いているだけであるのが、いかにも辛すぎるのだ。

蛙に「なにができるのか」、ギリギリ、そういう風に考えていかなければならないのだろう。

以下は「言ってみても仕方がない」話かもしれないが、今、思いつくところをちょっとUPしておこう。

解放同盟は、中央段階でも各都府県連でも、「3.11」以降、取り得る「対応」を素早く取って来ているようには思う。
ただ、蛙が思うに、その「質」には疑問はあるのだ。
この困難に直面する「東北」に対して、「我々は最大限の努力を尽くしている」、そいうメッセージを伝えるには十分な実績をあげてきているだろうし、今後も「そういう努力」は継続をされていくだろう。
けれども、それは「誠実な人間ならば誰でもするだろう」ような行為であって、同盟が取り組むのであれば「いかにも同盟らしい闘い」というものでなければならないはずではないか。
「反原発・脱原発」という論議も不十分なように思う。
この国の「原子力政策」もそうだが、全体、「原発」がらみの話は徹頭徹尾「反差別」の文脈で語られなければならない。
ウラン採掘の現場は、カナダでもオーストラリアでも「先住民」の土地に対する権益を踏みにじり、マイノリティの「奴隷的労働」によって支えられている。
この国の「原発」は、政策的に切り捨てられた「零細地方自治体」を「札束で買収」しながら進められてきている。

それはまさに「あからさまな差別政策」だっただろう。
なにゆえ、東京の電力需要を「東北」が支えなければならないというのか。

そしてまた、その「原発」の立地はどうだろうか。
全てについて蛙も検証してはいないが、これまでも鉄道や道路など、大きな面積を占有しなければならないインフラ整備がそうであったように、「被差別」がその「対象地域」に選ばれてきている、少なくともいくつかの原発はそうだった。
だとすれば、同盟の「東北救援・反原発」の取り組みは、もっともっと強く、「差別に抗する」、そういう内容を「軸心」に据えなければなるまい。
そして具体的な事実を明らかにし、訴えていかなければなるまい。

「我々も頑張ってますよ」ってだけでは、駄目だと蛙は思う。
「反差別」という視点であれば、全ての同盟員からの熱い支持が得られるはずなのだ。
また、同盟以外からも「さすがに同盟さんの闘い方は迫力があるし意義深いものがあるよなぁ」という風に受け止められるはずなのだ。