続・蛙独言

ひとりごと

「脱原発」

2012-01-27 08:44:11 | 日記
ずっとずっと以前から「原発はやばいよッ!」など、思っていました。
けれども、こんなにも酷いことになるとは、実際には蛙も考えていなかったのでしょうね。
高木仁三郎さんとその仲間からは「こういうことになってはいけない」という警告が発せられていたのでしたが…

「脱原発・明石たこの会」という市民団体の端っこの方に加わっていて、最近は「こちら」の取り組みに参加することが多い。
土曜日には「こども福島」の吉野さんのお話を少人数で聞く会もありました。
日曜日は共済会館で「みみをすますinひょうご~今、関西でできることを語りあう」という集会があり、120名を越える人が集まりました。
「なんとか子どもたちを護りたい」という熱い想いの詰まった集会でした。

蛙にできることをしっかり考えていかなければならないと思っています。

コメント欄に貼り付けているのは、その「集会」の記事と、ビデオです。
ビデオの方は76分もありますから、ちと暇でないと観ることは難しいですが、内容の濃いものですから、観ていただきたいですね。

同盟について 1

2012-01-18 10:47:32 | 日記
蛙はかなりの「ひねくれもの」なんでしょうね。
売れている本とか映画とか、だいたい「流行っているモノ」には、なんでもかんでもソッポを向く傾向があります。
野球だって、みんなが「巨人、巨人ッ!」ってゆうてたから、「アンチ」ってわけで、「西鉄ライオンズ」ファンだったんだ。あの「神様、稲尾様」とか「高倉・豊田・大下・中西etc」といった面々の「旧ライオンズ」。今頃なら「何、それッ?」って話かなぁ。
車だって「絶対ッ TOYOTAは買わねぇぞッ!」てなわけで、ずっと「日産」。
まぁ、この程度のことなら左程でもないでしょうが、その外にも「協調性に欠ける」とか、「ひとみしり」が強いとか、一杯いっぱい欠点はあります。
若いときなら「欠点は克服しなければ」なんてことになるでしょうが、この歳になると、性格を変えることはなかなか難しい。
「人それぞれ」ですから、ちっとも構わないと思いますがね。
「個人」ということであれば、それはそれなりに通りますが「組織」ということになると、そういう訳にはいきません。
「人」がひとつの「組織」を形成するのは或る「実現をしたい目標」に向かって小さな力を束ね、加算的な能力を超える「相乗的な力」を得たいがためなのですが、困ったことには「その組織の成員」が必ずしも「等質性」を保持しているとはアプリオリには言えないということがあります。
「労働組合」などでは、「組織の成員」の「労働条件」の改善が目標ですから、比較的、「全体の意思一致」は容易です。
「比較的」と言ったのは、現実はそう簡単ではないからですが。
我が国の場合、労組は一般的に「企業別」に組織されているわけで本来の目的から離れて、「組合活動」がその企業内での「昇進の道具」化されてきたことは「ありふれた事実」でした。
また、各級選挙での「集票マシーン」として「政党」に利用されてきた経緯も強くあったでしょう。
解放同盟という組織はどうだったでしょうか。
「目的」は「たったひとつ」。
「差別からの完全解放」。
今年は「」創立90周年の年にあたります。
永い酷薄な被差別の歴史に抗して、被差別民衆は誇るべき壮大な闘いの経験を持ってきましたが、この時初めて「全国性」を漸く獲得したのでした。
「岡崎公会堂」に全国から結集した人々は、「自分たちには必ず未来の勝利はあるのだ」という確信に胸震わせたのです。
そしてそれは今なお、同盟の中に脈々と受け継がれている。
それは間違いの無い事実です。
この時、「差別からの完全解放」は、不十分なものであったとは言え、「ひとり、『差別』からの解放は、全人類の『解放』と重ね合わされなければ意味あるものとはならないであろうし、また、実現されることもない」という意識もまた強くあったのです。
90年の歴史の中で「紆余曲折」ということがありました。
とりわけ、帝国主義戦争に取り込まれていく過程では、充分に総括はできていないのかも知れませんが、大きな傷を残したと思います。
それでも、「捲土重来」を期して「解放の旗」はその「魂(たましい)」と共に大切に保管をされてきました。
蛙が生まれたのは1945年4月、戦争の終る年でしたが、46年2月には「解放全国委員会」が京都で結成をされ、55年には「解放同盟」へと改称されています。
この「改称」は、「活動家の集合体」から脱却し「被差別一般大衆の要求を組織する集合体」への変革が目指されるという意味を持っていました。
65年「同対審新答申」・69年「特措法」獲得までの期間、活動を中心的に担った人々は、金銭的な見返りも無く、家庭を犠牲にしてまでの厳しい闘いを強いられました。
この時期の闘いを蛙は直接は知らない。二十歳から二十四歳だったのですから、縁があれば、その闘いに加わることもできたのでしょうが。
「解放・国策樹立・大行進」などが取り組まれたのですが、この闘いの中で鍛えられた若い人たちが現在の同盟の中心を担っているようです。
それでも、この時期は、「同盟」の構成員は、かなりな少数だったろうと推察されます。
69年以前と70年以降の同盟員の数量的な変化の資料を蛙は持ち合わせてはいませんが、「特措法」を境に「燎原の火のごとく」解放同盟は全国的にその力を増大させました。
以前にも言ってきたことですが、これは「バブル」というほかありません。
今から半世紀前の「の現実」を見知っている人間にとっては、この間の「変化」は、それこそ「目をみはる」ようなものでありました。
「貧しさ」というものは「相対的」なものです。
戦後、この国の全体が「貧しい」状況であったでしょうが、「朝鮮戦争」特需など、その後の歴史的展開の中で、全般的には大きく「暮らし向き」は向上したのでしたが、「」は取り残され、その「不満」は沸騰していたのです。
忘れてならないことは、この国の「戦後復興」は「朝鮮半島の血の犠牲の上に」築かれたことですね。
今だから言えることかも知れません。
「歴史の評価」は一筋縄ではいかない。
それはともかく、「特措法」時代、その「成果」については、蛙は「どんなに高く見積もっても高すぎることはない」ものだったと考えてはいます。
ただ、その「闘い」の中で、指導的な人々がその「限界」をしっかりと見極め「解放の道筋」を確かなものとして確定させていく、そういう作業は「二の次三の次」にされてきたのだと蛙は思います。

「さよなら原発1000万人署名}

2012-01-17 09:49:18 | 日記
14日の土曜日には、三宮マルイ前で山本太郎さんも来られての「さよなら原発1000万署名」の活動があったのですが、蛙は別の会議で参加できませんでした。
ムスメ夫婦と孫のあおいちゃん(1歳5ヶ月)が行ってくれています。
同盟からも何人かが参加してくれていたと聞きました。
日曜日は、明石駅頭で、「脱原発明石・たこの会」他、市職労などで同じ「署名」活動があって300筆くらい集められたようです。
三宮とは違って、人通りも相当少なかったのですから、期待以上の成果だと思います。
これには蛙も参加できたのですが、寒空のもとの2時間はちょっと堪えましたね。
2月4日には「さよなら原発兵庫県集会」が明石市民会館で予定をされていて、これの宣伝もかねての行動でした。
最近のことですが、この集会の実行委員会には同盟兵庫県連も加わっているようです。
蛙の場合、ずっと以前から「個人加盟」で「明石・たこの会」には関ってきましたから、この外にも色々な取り組みの「お手伝い」をさせてもらっています。
以前の稿にも書いたことですが、同盟は、もっと積極的に「反原発」の活動を展開すべきなのだと思います。
「被爆」の問題も勿論深刻な話ですから大いに強調されなければなりませんが、同盟としては「反差別」という「切り口」を大胆に提起すべきだと思うからです。
「ウラン鉱採掘」現場での「先住民」差別、稼動原発での下請け労働者、そもそも何故「過疎地」などというものが生まれるのか、この国の支配の構造、そこへ「迷惑施設」として「札びらきって」の「原発」の「押し付け」、等々、何から何まで徹頭徹尾、差別は貫かれています。

ネグリから考えて

2012-01-07 21:34:05 | 日記
時代は大きく変遷をしてきたのです。
1月4日付けの「朝日」で、アントニオネグリのインタビュー記事が出ていましたが、蛙も彼の「仕事」には以前から注目をしていて、ちくま学芸文庫の「<帝国>とその彼方」(上下)を読みかけてはいたのです。
まぁ、「ちと難解か」ということで、置いたままにしておりましたが。
問題意識としては「共通する」ところは多いと考えるのですが、「新しい時代」に相応しい「新しいカテゴリー」が提起されているように思います。
「<帝国>」「マルチチュード」という題で2冊の分厚い本が上梓されていて、3部作の最後「コモンウェルス」が近刊になるようです。
それらを読了後、あらためて再考はしなければなりません。
蛙の考えでは、大雑把に言って、三つの時代区分ができる。
第1は「資本主義の勃興期から発展の時代」。
マルクスは「商品」の分析から始めて「資本主義社会の成立の必然性とその<非人間性>を超克するために」時代に対応する理論を築き上げました。
ちょうどダーウィンの進化論が一世を風靡していたのでしたが、その影響も大きかったと考えられています。
「資本主義から社会主義・共産主義への直線的な発展」というような、今では「夢想」と呼ばれて致し方ない「プログラム」を提起したのです。
それを担うのは「プロレタリアート」。
「パリコンミュン」の経験は「労働者階級の勝利の道筋」を示していました。
けれども「その経験」からたくさんのことを学んだのはプロレタリアートの側ではなくブルジョアジーの側であったと言わなければなりません。
「夢」はいつの時代でも大切なものです。
マルクスの「夢」は、「大ぼら」などではなく、その当時にあっては「僅かな可能性であっても目指されるべき目標」であったろうと蛙は思います。
第2の時代。
「帝国主義戦争を内乱へ」。
レーニンはこの時代を「腐朽しつつある資本主義」「死滅に向かう資本主義」と規定しました。
チャンスはあったと蛙は思います。
残念ながら「第2インター」は「帝国主義」の側に「買収」されてしまった。
この時代ほど「革命と反革命」が直接にせめぎあった時代はなかったのです。
それでも、ブルジョアジーの側は徹底的に傷つきました。
これ以降、「反共」は彼らにとって「至上命題」になりました。
労働者階級の闘いは「ソ連邦防衛」に集約され、「自由主義陣営vs社会主義陣営」などといった馬鹿げた「歴史」が続いたのです。
基本的には両陣営の支配層の安定のために、ということであったのではないでしょうか。
それでも、全く無駄な時間だったわけではなかったでしょう。
その間、労働者階級の不断の闘いによって一定の譲歩は勝ち取られてきましたし、それだから「民主主義」もそれなりな成果を挙げてはこれたのです。
また、反植民地・民族自決権の闘いも大きな成果を挙げてきました。
「死滅しつつある資本主義」と「腐敗を極める社会主義」は「ソ連邦と社会主義陣営の崩壊」をもって「この時代」は終焉を迎えました。
第3の時代は漸く始まろうとしているのでしょう。
一旦は「アメリカ一極支配」が完成したかのように見えましたが、それは「新たな敵」を作りださなければもたない脆弱なものに過ぎなかった。
「9.11」はアメリカにとって最高のシナリオを用意したのです。
短期間、機能したかに見えたアメリカの支配も自爆してしまいます。
資本主義は既に賞味期限を過ぎてしまっている。
この「時代」はネグリの表現を借りれば「逃走する資本主義」ということになるでしょう。
様々な弥縫策が講じられてきましたが、先行きは全く不透明。
事態を楽観的にみるか悲観的にみるか、見解は分かれるところですが、蛙はかなり悲観的な気分ですね。
ネグリ氏は「オキュパイウオールストリート」や「中東革命」を「マルチチュードの現出する一形態」のように考えているようですが、蛙は「アナーキズム」を越えることはないのではないかと考えています。
いづれにしても、「資本主義に最後通告を突きつける」その「刃(やいば)」が発見されなければならないことは言うまでもないことでしょう。
蛙は花崎皋平さんが提起した「ピープルの思想」の世界大での展開に期待するのですが。

さて、時代の変化に対応できていない「解放運動」、ここいらを、もっと突っ込んで考えていきたいと思います。

新年のご挨拶

2012-01-04 09:03:36 | 日記
遅ればせながら新年のご挨拶を申し上げます。
このところの状況からいって、とても「おめでとう」を言う気にはなりませんが、蛙も取り敢えずは元気ですから、新しい歳、健康だけは保っていきたいと考えておりますし、ブログ読者の皆さんにも「体調管理」だけは御気遣いいただければなど、思います。
何と言っても「体が資本」なんでありますからね。

晦日から正月二日までは「11人家族」でしたから、それなりに幸せな日々でしたが、随分疲れもしました。
本日から「平常営業」に戻ってボチボチ活動を開始していきたいと考えているところです。

ブログの方も、更新がなかなかですが、旧年来の繰り返しになっても、も一度、「原点」に帰って、「論点整理」もしていきたいと思ったりしています。

本年もヨロシクお願いいたします。