大上段に振りかぶって、「マルクスの時代」から「世界史の現段階」てなことを大雑把にでも書いておこうと思ったものだから、脳味噌が爆発してしまって更新がストップしてしまった。こういうのを「フリーズ」って言うのかも知れないね。
ただ、そういうあたりが共通の理解ってことにならないと、「もつれた糸」を解きほぐすことができないという想いはある。
これまでのところ、「解放運動」を語るに、論者の全てにおいて、そういう視点があるようにはとても思えない。
「爆発してしまった脳味噌」の「切れ切れ」を拾い集めて、「ひとりごと」らしく「脈絡のない話」を続けていこう。
「共産党宣言」は1848年であったから、既に160年以上も前に発せられている。
「ロシア革命」が1917年であったから、これもまた100年近くの時間が経過した。
1991年には「ソ連邦」が解体している。
以降、新自由主義が猖獗を極め、労働者階級は「階級」としては粉々に粉砕されてしまったかに見える。
「プレカリアート」という「ことば」が登場してきているが、イタリア語で「不安定な労働者」という意味であるらしい。
「オキュパイウォールストリート」では「1%対99%」というスローガンが挙げられた。
そういう時代の中で、蛙には、「新しい時代」の「影」さえ見ることができないでいる。
この「世界史の現段階」の中で、「解放運動」もその行く末を模索しながら進まなければならない。
ただ、「差別徹底糾弾」と「行政闘争」を「旧態依然」のままに繰り返すだけでは決して「よき日」を手繰り寄せることはできない。
ここに挙げた一つひとつの項目について、思うことは色々あるのだが、今回は「徹底糾弾」ということについて書いておこう。
「糾弾闘争は百害あって一利なし」ということを言う人がいる。
以来、闘いの一等重要なこととして「糾弾闘争」は位置づけられてきた。
その意味は、ひとつには「差別は決して許さない」ということであり、またひとつには、「差別」の前に、ただただ屈し、悔し涙を流すばかりであった「大衆」に「闘う勇気」と「人間としての誇り」を取り戻す、重大な役目を果たしてきたことである。
「一利なし」という人々にも「そのこと」は異議ないところだろう。
彼らにあっては、「今日」という時点ではということなのであろうかと思われる。
一時期、ちょうど「同対審答申・特措法」の出発時点だったと思われるが、相当激烈な糾弾闘争が展開されたことがあった。
そのような「展開」が、「同盟組織の一大拡大」に結んだということは言えるだろう。
全国津々浦々に「差別は許さない」「であることが卑下する必要は何もないのだ」ということを知らしめる大きな成果をあげたのである。
その反動もまた大きかったのかも知れない。
「糾弾」された側で、その意味を正しく受け止め、「解放運動」の側に身を移す例も少なくはなかったが、反撥もまたあった。
この経緯で日本共産党の果たした役割は記憶されなければならない。
「糾弾闘争」の意義を落としこめ、ただの「暴力行為」と言い募ることによって、運動に対する破壊工作に狂奔した。
それも、「日本のこえ憎し」という「党内事情」を持ちこんでする許し難い行為だった。
「行き過ぎた糾弾」があったとすれば、「刑事罰」を求めて告発すればよかっただけのことを、党機関紙などで大々的な攻撃を加えたのだったが、例えば、八鹿闘争の折など、その地に行ってもいない蛙にも同様の攻撃がかけられたということもあった。
それでも、圧倒的な宣伝力をもってする日本共産党の攻撃は「功を奏した」のだろう。
「糾弾闘争」と言えば、広汎に「暴力的なもの」という印象を植え付けることに成功しているようだ。
それだから、運動の内部から「百害あって一利なし」という声もあがることになったのだろう。
蛙の場合、これまでも書いてきたことだが具体的な「差別事件」への対応は「事件解決主義」の批判はあるだろうが、「被差別当事者を中心にすえて」という方針でやってきたから、大々的な糾弾闘争を自身のところでは経験をしていない。
「被差別当事者」がしっかり前をむいて勇気を持って生きていければそれでよいと考えている。
けれども、そういう活動を貫いてあるのは「差別徹底糾弾」の理念である。
蛙は「ここ」が重要と考えている。
具体的差別事件には、それに対する取り組み方が「どんなものであれ」、「徹底糾弾」の意思が貫かれていかなければならない。
「・・一利なし」という考えをされる人々は、「糾弾闘争」の「形」だけを考えていて、それが「解放の思想」として考えられていないということなのだ。
また「差別は日常茶飯のことというのは頷けない」と言う人がいる。
確かに365日24時間、直截に「差別攻撃」に晒されているとは言えないが、今回の「週刊朝日」の佐野眞一の「差別記事」を考えてみれば、この国では「血筋」や「出自」といったことがどれ程一般的・広汎に意識されているかが分かるだろう。
「人」の評価は、その人が「何を言い、何を為したか、或いは何を為さなかったか」、そういうことを基準に判断されるべきであるはずだが、実際には「いつでもどこでも『差別』は具体的な場面で鮮やかに現出してくる」ということだ。
(つづく)
ただ、そういうあたりが共通の理解ってことにならないと、「もつれた糸」を解きほぐすことができないという想いはある。
これまでのところ、「解放運動」を語るに、論者の全てにおいて、そういう視点があるようにはとても思えない。
「爆発してしまった脳味噌」の「切れ切れ」を拾い集めて、「ひとりごと」らしく「脈絡のない話」を続けていこう。
「共産党宣言」は1848年であったから、既に160年以上も前に発せられている。
「ロシア革命」が1917年であったから、これもまた100年近くの時間が経過した。
1991年には「ソ連邦」が解体している。
以降、新自由主義が猖獗を極め、労働者階級は「階級」としては粉々に粉砕されてしまったかに見える。
「プレカリアート」という「ことば」が登場してきているが、イタリア語で「不安定な労働者」という意味であるらしい。
「オキュパイウォールストリート」では「1%対99%」というスローガンが挙げられた。
そういう時代の中で、蛙には、「新しい時代」の「影」さえ見ることができないでいる。
この「世界史の現段階」の中で、「解放運動」もその行く末を模索しながら進まなければならない。
ただ、「差別徹底糾弾」と「行政闘争」を「旧態依然」のままに繰り返すだけでは決して「よき日」を手繰り寄せることはできない。
ここに挙げた一つひとつの項目について、思うことは色々あるのだが、今回は「徹底糾弾」ということについて書いておこう。
「糾弾闘争は百害あって一利なし」ということを言う人がいる。
以来、闘いの一等重要なこととして「糾弾闘争」は位置づけられてきた。
その意味は、ひとつには「差別は決して許さない」ということであり、またひとつには、「差別」の前に、ただただ屈し、悔し涙を流すばかりであった「大衆」に「闘う勇気」と「人間としての誇り」を取り戻す、重大な役目を果たしてきたことである。
「一利なし」という人々にも「そのこと」は異議ないところだろう。
彼らにあっては、「今日」という時点ではということなのであろうかと思われる。
一時期、ちょうど「同対審答申・特措法」の出発時点だったと思われるが、相当激烈な糾弾闘争が展開されたことがあった。
そのような「展開」が、「同盟組織の一大拡大」に結んだということは言えるだろう。
全国津々浦々に「差別は許さない」「であることが卑下する必要は何もないのだ」ということを知らしめる大きな成果をあげたのである。
その反動もまた大きかったのかも知れない。
「糾弾」された側で、その意味を正しく受け止め、「解放運動」の側に身を移す例も少なくはなかったが、反撥もまたあった。
この経緯で日本共産党の果たした役割は記憶されなければならない。
「糾弾闘争」の意義を落としこめ、ただの「暴力行為」と言い募ることによって、運動に対する破壊工作に狂奔した。
それも、「日本のこえ憎し」という「党内事情」を持ちこんでする許し難い行為だった。
「行き過ぎた糾弾」があったとすれば、「刑事罰」を求めて告発すればよかっただけのことを、党機関紙などで大々的な攻撃を加えたのだったが、例えば、八鹿闘争の折など、その地に行ってもいない蛙にも同様の攻撃がかけられたということもあった。
それでも、圧倒的な宣伝力をもってする日本共産党の攻撃は「功を奏した」のだろう。
「糾弾闘争」と言えば、広汎に「暴力的なもの」という印象を植え付けることに成功しているようだ。
それだから、運動の内部から「百害あって一利なし」という声もあがることになったのだろう。
蛙の場合、これまでも書いてきたことだが具体的な「差別事件」への対応は「事件解決主義」の批判はあるだろうが、「被差別当事者を中心にすえて」という方針でやってきたから、大々的な糾弾闘争を自身のところでは経験をしていない。
「被差別当事者」がしっかり前をむいて勇気を持って生きていければそれでよいと考えている。
けれども、そういう活動を貫いてあるのは「差別徹底糾弾」の理念である。
蛙は「ここ」が重要と考えている。
具体的差別事件には、それに対する取り組み方が「どんなものであれ」、「徹底糾弾」の意思が貫かれていかなければならない。
「・・一利なし」という考えをされる人々は、「糾弾闘争」の「形」だけを考えていて、それが「解放の思想」として考えられていないということなのだ。
また「差別は日常茶飯のことというのは頷けない」と言う人がいる。
確かに365日24時間、直截に「差別攻撃」に晒されているとは言えないが、今回の「週刊朝日」の佐野眞一の「差別記事」を考えてみれば、この国では「血筋」や「出自」といったことがどれ程一般的・広汎に意識されているかが分かるだろう。
「人」の評価は、その人が「何を言い、何を為したか、或いは何を為さなかったか」、そういうことを基準に判断されるべきであるはずだが、実際には「いつでもどこでも『差別』は具体的な場面で鮮やかに現出してくる」ということだ。
(つづく)