続・蛙独言

ひとりごと

「問い」自体の間違いについて

2010-02-28 07:05:36 | 日記
ミシェル・フーコーについては「入門書」程度の知識しか無いのだけれど、「監獄の誕生」という著作があって、「この著作ではイギリスの思想家ジェレミー・ベンサムのパノプティコンという監獄の構想が紹介されている。この建築物は円形になっており、中心部に監視塔が配置され、そこを中心に円状に独房が配置されているが、監獄に対して光が入るために囚人からは監視員が見えない一方で監視員は囚人を観察できる仕組みになっている。このような構造物において監視員は囚人に対して一方的な権力作用を効率的に働きかけることが可能である。囚人は常に監視されていることを強く意識することで規律化され、従順な身体を形成していくのである。」(wiki記事引用)
現代哲学では「身体」について大きな力点がおかれているように思う。
蛙はこの話で、「パノプティコン」の思想構造に強い印象を持ったのだけれど、それは「看守は見えないが『常に見られている』という意識」によって「囚人」の「身体が形成される」という「くだり」で、「被差別」の場合も「差別者」の具体的な姿が見えなくとも、「被差別」という「意識」が強く「民」の「身体」を拘束的に構成していくという風に考えたからだ。
蛙がずっと主張してきた「―民とは『他称語』に過ぎない」という話の「言い換え」でもある。
世に「とは何か。民とは誰か。」などという設問がなされ、明解な解答が見出されてはいないと思われるが、蛙は「そのように問うこと自体が間違っている」と考えている。
成程、その「起源」を問えば、封建制の身分制につながるところはあるのだが、それは一旦「明治」時期に解体をされ「再構成」がなされたのだ。
神戸の場合、ウチのムラだと「明治」初年では20戸程度だったし、長田の「被差別地域」でも50戸程度だった。
この「国」の人口は当時3000万くらいだったろうから現在「4倍」くらいになっているわけで、ウチのムラが100戸とか200戸、長田の「地区」で500戸くらいというなら「無い話」ではなかろうが、事実はウチで1500戸、長田で3000戸という数字になっているのだから、これはもう「封建制身分」とは縁も所縁も無い「資本主義の発展と人口の都市集中」という話なのだ。
学者の中には「どうしても血筋にこだわりたい」馬鹿がいるらしく、この人口増加が「中国・四国地方の被差別民の流入」という「ひと言」で片づける者もいないわけではない。それならば「中国・四国」辺りでの「被差別民」の顕著な減少が観測されていなければなるまいが、そのような実証的な作業はなされず、「言明」されるばかりなのだ。
どこかで読んだ話だが、京都のある「」の場合、100%、「地区構成員」が入れ替わってしまっているということもあるようだ。
かくのごとく、「とは何か。民とは誰か。」を「それ自身」社会の総体から単独に切り離して「問う」ことには何の意味も無い。
「差別されて然るべき内在的根拠は無い」ということだ。
それは「差別者」の側から「そのようなもの」としてカテゴライズされているに過ぎない。
「解放運動」は、愚かにもそのような「構造」を理解しない「多くの差別者」が現実に存在をしているのであるから、その「構造」を解体することを目標に置き、「被差別」の側を支え、勇気づけ、「差別」に抗する力強い「身体」を鍛え抜く、そのようなものとしてあるべきだと蛙は考えているのだ。

「ネット」上での発言について

2010-02-26 19:34:20 | 日記
よく分からんのじゃけど「胸を張ってふるさとを名のれるように」という表現自体、「今はでけない」みたぁな話なんだから、自身の出自を卑下している姿勢なんでないかしらん。
蛙のスタンスとしては、別に「わし、〈〉でんねん」なんて、どこでもかしこでも、わざわざゆうて回るようなことなどないってことになる。
それは状況とか場面次第だね。
ひとつには、蛙の場合、神戸では「知らぬ者など誰もいない」〈被差別〉の〈ど真ん中〉に住んでおるわけだから、「あんた、どこ住んどってん?」って聞かれたら我がムラの名をゆうだけのことで、きっちり「差別に抗して生きる」ことを選択した人間なら、抵抗もなくできる芸当だね。
その心情ということでいえば、例えば、よう分からんというのも何だけど、蛙は「岸和田のだんじり祭り」って素敵だなぁなんて思ってて、一年の稼ぎを全部「祭り」に突っ込んじゃうとか、「祭り」で「死んだってちょっとも構やしない」とかいう心意気、凄いなぁって思ってるわけで、「あんた、どこ住んどってん?」って聞かれて「わしゃ岸和田じゃがな」なんて答える気分、メッチャいいよねって思うんだよね。
蛙が馬鹿だからそんな風に思うんじゃろうけど。
問題は、「差別に抗して生きる」ってゆうような「生き方」の選択をし切れていない人の場合だわね。
「差別教育」の故に「負のイメージ」に囚われきっている場合は「我がムラ」の名を言えず口ごもることになる。
また、ムラを出て暮す人々も、この「負のイメージ」を払拭し切れていないことの方が多くて、出自を曖昧な表現で誤魔化し「誤魔化した」という意識によって自らが傷ついてしまうことがよくあるんだ。
ウン。
蛙のブログのルールでは「絶対必要」でない限り、具体的な地名は表記しないことにしてる。
自分としては「書いてもいい」んだけど、ウチのムラの人たちは「今のところ」それを望んではいないようだからだ。
ブログは、その影響がどのように及んでいくかは誰にも分からないので、これは仕方ない選択ということになる。
ブログに書いた「ことば」が、どんな風に読まれて、どんな風に「利用されて」いくか、皆目、見当もつかないからね。
膝つき合わせて、一杯やりながら、なんて場面なら、好き放題なこと言えるけど、ネット上の表現って難しいと思う。

「ふるさと」

2010-02-24 11:57:13 | 日記
丸岡忠雄の「ふるさと」と題する詩であるが、これについては吉田向学さんの〈説明〉が下記にある。
http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__fb9b.html
蛙は、吉田さんの話に全く同感するのだけれど、少なくとも40年近く前に蛙が「解放運動」に首を突っ込んだときには、向学さんの言う「史観」には毒されていない「質」を「運動」は持っていたはずだと思っている。
若しかすると蛙の思い違いということはあるかも知れないけれど。
「この時点」では「同盟」と日共の決裂は決定的であったから、それで、丸岡は日共の側であったのだから、そんな馬鹿げた「党派性」の故にする「論難」だっただけかも知れない。
この時期、「解放同盟」が最も「元気」な時だっただろうけれど、何でもかでも「そりゃ差別でねぇかッ!」って怒鳴りあげて、大概、「勝ってしまう」ような傾向があったと思う。
酷い時代だった。
岡林信康の「手紙」なども俎上にのぼせられた。
この件については蛙は納得がいかなかったが、その当時は「そんなもんかいなぁ」てな具合でやり過ごしたような記憶がある。
「手紙」は「」を「悲劇的」に叙述するだけで「解放の熱情を喚起しない」し「の側に劣等意識を植え付ける作用をするだけだ」という論拠だっただろう。
今にして蛙が思うのは、岡林は「ただ静かに淡々と差別の厳しさを表現したかった」だけなのであり、明らかに「差別に対する憤り」が底流にあるのであるから、「手紙」は単純に「差別表現」とは言えないということだ。
それは「受け取り手」の問題だと蛙は思う。
確かに「現実」は「差別社会」であるからして、「手紙」は「に対する同情」を誘うだけで「差別解消」の方向へ鼓舞するものではないというのは当たっているかも知れない。
だけど、そんなことは「表現者の責任」に帰するものではなく、「運動」の側が「しっかり受け止めて差別解消の取り組みに結んでいく」ことで済む話なのだと蛙は思う。
丸岡の「ふるさと」はちと違う。
これは「の側」から語られているのである。
「ふるさとをかくす」ことを「けもののような鋭さで」覚えたってどういうことよ。
「詩的な表現」ってことか知らんけど、わしらは人間なんじゃから「こんな言い方」はおかしかろう。まるで自分らが「差別されるのは当たり前」みたぁに聞こえるじゃない。
まッ、向学さんがきちんと書いてくれてるから先にあげたのを読んでもらった方が話は早いし、蛙の文章表現もまずいところ、あるけんね。
ただ、蛙は「なんで〈ふるさと〉をゆうたらいけんのか分かりゃせんよ。堂々と〈出身地〉をゆうて、それで〈差別〉する奴に出会うたら〈糾弾〉すりゃいいんだけじゃん」って思うんだね。
中央本部大会文書で「ふるさとを胸を張って言えるように」なんて書いてあったりするのは全く許せないと思う。
まッ、蛙には「解放同盟中央」は頽廃の極にあると考えておるのだから、至極当然な話かも知れないけれど。

前稿、コメントですが。

2010-02-24 05:18:37 | 日記
「差別と日本人」が絶版になったかどうか確認をしているわけではありませんが、状況から考えて「そうかも知れない」ということです。
この「国」は、中国とか「北朝鮮」などのような「言論の自由」に対するあからさまな「制限」がないことは事実でしょう。
けれども、突っ込んで「モノ」を考える人には、「それら」の国と違って、ずっと洗練された形での「制限」や「統制」があることが見えるはずです。
蛙のブログだって、注意深く「自己規制」をかけていますし、多くの表現者も「真綿で締め付けられるような形」での圧力を感じながら、「どこまで書けるか」、考えながらなのだと思います。
それは確かに「見えにくい」けれど、この「国」だって、「言論の自由」は保障されてはいないと蛙は思っています。
それと、もうひとつ大切な視点ですが、私たちには、テレビや新聞、雑誌、本などから、膨大な情報が届けられますが、それらの多くは「権力の側」からの「操作された情報」なのだということです。
いつも「裏側」を見ようとか、「操作」によって「隠蔽されたものは何か」ということを意識しながら、「垂れ流される情報」に接しなければならないとも蛙は思います。

「絶版」に?

2010-02-23 19:17:04 | 日記
「差別と日本人」(野中広務 辛淑玉)ですけど、「貸し出し中」なもんで、確か最後の方に丸岡の詩が全文出てたんだったかなぁなんて思って、確認のために、こないだから2,3、本屋を覗いてたんだね。
で、どこにもない。
NETでみてみたらAmazonにはあるようだけど、肝心の角川で「在庫0」になってる。
「ふーん」って思った。

この本の評価だけど、40万部売れたらしいんだが、蛙はそんなには高くは考えてはいない。
この手の本って、普通、こんなには売れないもんだ。
辛さんの「人気」は相当のものだと思うけど、最近、彼女が出された「新書」も複数あって、それらと較べてもこの「売れ行き」は「ちょっと異常」だったと思う。
蛙が考えるところ、「影の宰相」と呼ばれて、それもちっとダーティなイメージの付きまとう野中広務さんと「颯爽とした切り口」でマイノリティの側から論陣を張って来た辛淑玉さんの「取り合わせの妙」だったんだろうと思われる。

色んな事情で、野中さんの方からも「内容の変更」の要求があったり、全国人権連はその機関誌で3頁にわたって「解同より」という非難をあげていたり、角川に対して「絶版を要求する」動きもあったり、ブログでは書けないような「困難」が襲ってきたり、ということで、辛さんは相当、苦しい状況に追い込まれていたようだから、どうやら、「絶版」を選択されたようにみえる。

もう充分に「この本が果たすべき役割」は果たしたろうと蛙は思う。
それだから「絶版」を選択したとして、それを責めようとは思わない。

この「国」には「自由」が、それも、マイノリティにとって最も重要な「表現の自由」が許されてはいない。
それは蛙の責任でもあり、これを読む「あなた」の責任でもある。

丸岡の詩の話だけれど、辛さんは「これ」を評価してられたようだけど、ほいでもって最近の同盟中央の文書でも「胸を張ってふるさとが名のれるように」などとゆうたりしているようだけど、蛙が解放運動に初めて参加することになった時期、この詩は「差別の典型」みたような評価だった筈だ。

この話は次回ということにしよう。