続・蛙独言

ひとりごと

「報道」について 3

2010-09-25 15:10:30 | 日記
「報道」についていうなら今回の「検察特捜部証拠改竄」についても触れておかなければならないが、司法当局の姿勢が戦前戦後を通じて何ら変わらぬものであることは強調しておかなければならないだろう。
取り敢えず「教育界」などでは先の「教育基本法改悪」までは一定の「民主主義的改革」の洗礼は受けていたのだけれど「刑法・刑事訴訟法」などは幾度かの「改正」はあったとしても殆ど「戦前」からの非民主主義的な内容を踏襲したままなのだと蛙には思われる。
「裁判員制度」とか「取り調べの可視化」などが求められてきたのはその為であろう。
一般に「犯罪」が行われたとして、その「責任」を追求する権利は「国家」にのみ許されている。「司法権力」である。「法治国家」を標榜しているわけだから厳密に「法」によってそれは規制されているはずなのだ。
けれども実際は「警察・検察」の恣意的な判断に基づいて「こしらえられたストーリー」で「調書」が作成され、「裁判所」は「それ」を基に「裁定」する具合になっている。
「調書主義」と言われている。
多くの人々は「犯罪」と関わりないところで生きているから、その内容を知ることがない。
蛙は「少年事件」に関わってその「調書」なるものを見る機会があったから、事実としてそれがどんなに「えぇ加減」なものであるかはよく「分かる」。
「狭山」について考えてきた人には「警察・検察」がどれほど「えげつないことをやるか」はしっかり理解できるはずだ。
今回の事件はそもそも「民主党対自民党」の争闘が厳しい状況下にあって「検察当局」が「反民主」の立場から「石井はじめ」を狙いうちにするためにということが発端になっている。
「障害者向け団体郵便割引制度」の不正利用に関わって「石井はじめが『口利き』をし、厚労省・村木厚子局長が『認可』したもの」という「内容」が検察官によって「でっち上げられ」ての話だ。
「不正」は確かにあった。
ただ、検察の狙いが以上のようなものであったから「FD改竄」までしてでも「勝算はある」と踏んでいたのだろう。
10年前なら「村木側」は苦境に陥っていたかも知れない。
この間うち続いた「検察」の失態が「世論」を「村木側」の勝利に結びつけたという背景があるのだろう。
ことほど左様に「警察・検察のやることに間違いはない」という意識は強くあったはずだからである。
勿論、村木さんの粘り強い抵抗や支援者の強力な支援があってのことだ。
孤立無援に「警察・検察」と対峙すれば誰でも屈服を余儀なくされる。「冤罪」の全てはそのようにして生まれた。
この問題の核心は、「司法の在り様」の総体が問われているにも拘らず「改竄」した「犯人の個人的責任」に矮小化されようとしている、その一点であるだろう。
「警察制度」「検察制度」の抜本的な改革が求められているはずだ。
それらの行動が「密室」でおこなわれる「仕組み」から、民主的な「場」に改められなければならない。「取り調べの全面可視化」は恣意的な司法の「支配」を覆す、大きな力になる筈だ。
もうひとつ、あまり知られていないことであるが、「障害者団体郵便割引制度」そのものが、この事件をきっかけにして「使い勝手の悪いもの」にされている現状がある。
詳しい「情報」は手に入っていないが、このあたりにも多くの人の注目があてられなければならないのにマスコミにはそういう「視点」が皆目ないように見受けられるのも重大な欠陥と言うべきだろう。

「報道」について 2

2010-09-25 09:24:50 | 日記
前稿の基本的な立場に変わることはないが「中国人船長釈放」の報を受けて「事態は紛糾」というところだろうか。
蛙は「日米中三国は『強盗国家』である」と考えているわけで、「民主主義」とは程遠い、「強盗どもの分捕り合戦」が展開しているだけのことということになる。
まずアメリカであるが、この「強盗」は自身の圧倒的な暴力を背景に「世界」とりわけ「東アジア」での権益を護るためにという立場を堅持している。「普天間を巡る問題」の処理に「優位に立つ」ために「日米安保体制」を強調し中国の動きを牽制するということであるだろう。
第二の「強盗国家」中国は、「国内(蛙には国内とは思えないが)」に抱える「少数民族問題」、近隣諸国との「領土問題」、「貧富の格差拡大からする『民主主義派』の『反抗』を押さえ込まなければならないこと」などといった立場から、支配層の権益擁護のために「強硬路線」を取らざるを得ない。
「反日デモ」は放置すれば必ず「反政府運動」に拡大するからだ。
第三の「強盗」である「我が国」は「対米追随」と「日中間経済摩擦」の狭隘な選択肢の中で右往左往であるが、「外交力」の「無さ」を露呈しているという外ない。
このままでは「国内右派反動勢力」の台頭を許すばかりになりかねない。
菅内閣は「検察の独断」として「釈放問題」を処理したいようだが、そんな風には展開しないだろう。この問題を巡って、与野党の論戦などという茶番に付き合わされ貴重な時間だけが消費されていくのだろうか。
しっかり考えなければならないことだが、共通しているのはそれぞれの「国」の支配層=「資本家階級」の利益だけが「考えられているだけである」ということだ。
「民衆」は置き去りにされている。
細かいことを検討すれば「長い話」になるのでブログでは省くが、民衆にとって大切なことは「民主主義」ということになる。
圧倒的な「民衆の自主的交流」を構築し「武力」を排し「領土」などという狭い発想ではない「平和的な交流の場」を拡大していく、そういう作業の行く末にしか「根本的な問題解決の道」はない。
マスコミの報道は、支配層の思惑とその混乱ぶりを示しているだけのことだということを肝に銘じておこう。

「報道」について 1

2010-09-23 20:44:37 | 日記
「大本営発表」などという表現は今の若い人々の間では「死語」になっているのかも知れない。
Wiki記事にあるように「勝敗が正反対の発表すら恒常的に行ったことから、現在では『内容を全く信用できない虚飾的な公式発表』の代名詞になっている」のだけれど、最近のマスコミ報道もそれと変わることがないように蛙には思われる。
悪質な世論誘導そのものであり事実を捻じ曲げて「排外主義」を煽るばかりではないか。
例えば「韓国哨戒艇爆破」が「北朝鮮の謀略」であるとかいう「報道」もその典型だろう。
「尖閣諸島での中国漁船船長逮捕」を巡る報道も一方的というほかない。
問題の評価は簡単なものではなかろうが、日中両国政府の思惑は説明しておいてよいだろう。
「尖閣(釣魚島)」海域の「国境線」の理解が日中間で食い違っていることがそもそもの「事件」の原因と言うことになるが、中国側は逮捕された船長の「即時無条件釈放」を主張し、わが国の側は「冷静に対応する」という表現以上には表明をおこなってはいない。
この「問題」についての我が国の支配層の考え方は、一方で「排外主義宣伝戦」に利用できるということと、また一方で「今後の日中貿易・経済関係」からする「損得勘定」という二方面の「板挟み」で「相手方の動向を見極めよう」ということであるだろう。
中国政府の側は、古くはあの「五四運動」から最近の「小泉靖国参拝」抗議までの「反日闘争」を踏まえて、一定の評価をしつつも、それが「現権力への批判」へ拡大していく懸念に怯えてもいるわけだ。
「共産党独裁」がソ連と東欧で自壊した経験から「前車の轍は踏むまい」という意識が強烈に中国支配層にはある。
今後どのような展開になるか誰も予想はつかない状況ではあるが、蛙としては、日中の「民主主義」を目指す「人民的交流」の拡大の中で、「領土問題」を含めて解決が目指されなければならないと思うし、それは「日中両国支配層」の「打倒」を通じてしか達成をされない課題であるようにも思われる。
とにもかくにも、現況の「報道」に振り回されることがないように願いたいものだ。
常に「報道」の不公正に警戒を怠ってはならない。
それは「大本営発表」とそんなに遠い話ではないのだから。

期待するものは何もないが

2010-09-20 23:17:21 | 日記
蛙の信頼する友人たちは今回の民主党代表選で「小沢」支持派が多いのだけれど、どんな気分なんだろうかね。
官僚ときちんと対決していく力があるとか、普天間でもアメリカに対して譲ることをしないのではないかなどといったあたりだろうか。
「剛腕・小沢」のその「剛腕ぶり」が見てみたかったんだろうかね。
菅の駄目さ加減は蛙にもよく理解できるし、今回の組閣の危うさなんかは「北川ブログ」にある通りだろう(コメント欄に張り付けておいた)。
いづれにしろ、何遍も言ってきたことだが、民主党に「未来を切り開く力」などありはしない。
「円高阻止」ということで相当な「円売りドル買い」を実施したけれど、蛙の考えでは「為替オプション取引」で、使われた「我々の税金」が外国人投資家に回収されていくだけのことで、事態の解決には結ぶことはないということになる。
それが分かっているから「この国の総資本」からは評価などされてはいないはずだ。
「わたしらはあなた方の利益を護ろうと思っているのですよ」というメッセージを「総資本」の側に「差し出した」のに、ということだね。
蛙も考えあぐねているところだけど「通貨そのもの」が投機の対象となる現在では「現にあるグローバルな経済危機」について、今は誰も「事態の解決策」など提示できる状況にはないのだろう。
ならば「円高」が「行き着くところまで行けばよい」ということになると蛙は思う。
「この国」の大企業が困難に直面し、雇用が守ることができないなどというのは真っ赤なウソなのだ。
「法人税引き下げ」も必要のない施策だろう。
「産業の空洞化」などというけれど、出て行きたいものには勝手に出て行ってもらえばいい。
「この国」の労働者は、アジアの労働者と連帯して徹底的な「反日本資本闘争」を支援していかなければならない。
「雇用」は、例えば「放置されてきた『里山』の保全」など「第1次産業」の分野でいくらでも創り出すことは可能であるし、むしろ現在は「労働力不足」の現状にあるのだ。
人々は、ただ「大企業」に奉仕する政治家やマスコミの「嘘」に振り回されているだけのことなのだね。
蛙には「全体を見渡す力」はないが、目先のことにとらわれず、「この国」の「総資本」の横暴をきちんと人々に伝えて行く、そういう作業を「力を合わせて」やっていかなければならないように見える。
とりあえず、「対米追随からの脱却」「安保改定」が射程に入れられなければ何ごとも始まらない。

「部落差別をこえて」

2010-09-19 09:13:21 | 日記
朝日新書は小さな本屋さんには置かれていないと思うけれど、今、読みおわった「本」はお薦めだ。
「差別をこえて」(臼井敏男 朝日新書 700円+税)
〈2010年9月30日第1刷発行〉となっていて、まだその日は来ていないのだけれど、出版ってぇのはこういう調子なんだろうね。
できたてのほやほやというところだわ。
それだから「情報」は最新のものということになる。
表紙・扉から引用しておこう。
「全国から88年、33年間にわたる同和対策事業が終わって8年。でもいまだに消えない差別のまなざし。 そこに生きる人たちは、それとどう向き合って、どんな思いでいるのか。 現在の被差別の姿と、取り巻く状況を、33人の人たちが語る。-差別の消える日のために」
蛙の友人や「よく知っている人たち」も登場する。
ここに記された「それぞれの想い」は蛙の気分とも共鳴するところが多い。
「懼れることは何もない。自身と友人を信じて、『この道』をひたすら歩き続けよう」
そう思うのだね。