続・蛙独言

ひとりごと

ャな展開だよね。

2010-03-24 18:01:00 | 日記
「なかなかなこっちゃないなぁ」なんて思いますね。

鳩山政権の支持率が激減なんてことで、ブル新はハシャギまくってたりしますが、「売らんかな」ってな「記事づくり」にはうんざりだよ。
「蛙ブログ」で既に言ってきたように「政権交代」などというけれども、それは「自民崩壊」に過ぎなかったわけだし民主党ゆうても「てんでんばらばら」なんだからハナッから大きな期待は無かったわけだけど、少なくとも「新自由主義」ではない「別な道の模索」ということになるか、注目はしてきたんだがなぁ。
「参院選」で民主党は「大きく後退」などと無責任な報道の垂れ流しで「でッ、君ら、どういう提案があるの?」って言やぁ「なーもありゃせん」のだからねぇ。
トホホだよ。
蛙にだって「作戦」があるわきゃ無いけど。
瑞穂ちゃんと社民党を蛙は一応、応援してるけど、何せ、ここには「力」も無いし、「人物」もいない。
もともと「国会」を通して「社会変革」が可能なのかどうか、はなはだ疑わしいわけだけど今のところ「それ以外」の「道筋」は「発見されていない」のだから、「現政権」には暫く頑張ってもらうほかないだろう。
それで、「小さいけれど確かな歩みを続けている」広範囲にわたる「市民運動」レベルから、信頼に足るような「ヒューマンネット」が構築をされ、「新しい指導部隊」が生まれてくることに期待をするほかないと思われるし、「現政権」へ「政策提言」ができる、そういう「大きな流れ」を作っていかなければならないのだろうと蛙は思う。
そういう方向で蛙も動いていきたい。

にしても、マスコミに煽られる「人々」がその「愚かさ」に気付き「もっと真剣に自身の行く末を自身が決めていく」、そういう態度を持ってもらいたいとつくづく思うよ。

「普天間」再度

2010-03-23 18:49:48 | 日記
去年の12月22日、「普天間」について書いたのでしたが、どういうことになるのか、タイムリミットも近いようですね。
基本的な認識として、先の戦争の「敗戦処理」が「沖縄を売り渡してする『国体』護持」であったのですから、「問われていること」は「ヤマトゥ」の「人民」が「ひとり沖縄を犠牲にしてきたこと」の責任を「どう取ればよいのか」ということなのだと蛙は思います。
そういう認識は、残念ながら「一般的」ではありませんが。

事態の推移は極めて困難な状況のようです。
「国会論戦」では自民党から悪辣な攻撃がなされていますが「あんたにゃ言われたかないよ」ってのが鳩山の本音でしょう。
この「困難」の一切の責任は、これまでの「自民党」の政権運営にこそあるのですから。

アメリカがどう対応するか、これが分かりません。
「現行案以外にはあり得ない」という態度を最後まで貫くのだとすれば交渉は決裂、「普天間はそのまま」ということになる。

蛙は「ここ」を出発点にすべきだと思う。

フィリピンの米軍基地撤去の経緯はよく知らないのですが、「普天間がそのまま」でいいのか、この「国」の民衆はしっかり考えなければならない。

中国・韓国・「北朝鮮」と「平和条約」「相互不可侵条約」を締結すること、取り敢えずは「自衛隊」は「専守防衛」で「当分の間」「現状兵力」を維持する。
「日米安保」は「現行」のような「米追随」でなく「対等な関係」に作り直すこと。
段階的な「米軍基地撤去」。
そういうことが目指されるべきでしょう。

「外交交渉」は「妥協点を見いだせるかどうか」ということでしょうから、アメリカが執拗に「現行案」に拘ることは無いかも知れない。
その後の「展開」は今、誰にも分からない。

「武力で平和は作れない」、それは世界を見渡せばあきらかなことでしょう。

前にも言いましたが「日米韓合同軍事演習」が挑発的に展開されているような状況こそ終わらされなければなりません。

アメリカに押し付けられたかも知れないけれど、「日本国憲法」の「平和の理念」が「世界を救うのだ」ということは、今こそ強調されてよいのではないでしょうか。

この稿、書き終って「フィリピンの米軍基地撤去」で検索してみたら、「森かずとしのワイワイ談話室」ってのがヒットして、そこいらへんを読んでみましたが、なかなか勉強になりました。
コピペしてご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/kazu3333m/e/216a12722a1d6e0ad3a010a4e41bde15

許せないッ!「朝高除外」ッ!

2010-03-20 17:59:48 | 日記
あめん坊ブログに「狭山全国活動者会議」での石川さん早智子さんの「あいさつ」がUPされていますから、コピペしてご覧ください。
http://amenbou.exblog.jp/d2010-03-19

また、最近、メッチャ腹立たしい想いをもった「高校無償化から朝鮮学校除外」については、
北川ブログ
http://blog.livedoor.jp/tsokta/archives/51378012.html
や、ストーン・リバーブログでも触れられています。

思うに、このようなあからさまな「差別」を許すようなことがあれば、他のどんな差別問題も解決することはできない。

キムジョンイル「北朝鮮」体制に批判はあっても、それとこれとは「別の問題」、この「国」に住む高校生の子どもたちにどんな罪があるというのでしょうか。

北川君が言うように、在日の人々もキチンと納税の義務を果たしているのですから、除外されるべき理由などない。
「それなれば在日は無税にせんかいッ!」って頭にきた調子で書いてます。

国会でも鳩山の「この問題」の答弁など、あいた口が塞がらないってもんでした。
これから「検討」がなされるってッ!
馬鹿にするなよッ!

「北」とは「国交が無い」などということで、「在日朝鮮人」は様々な不利益を蒙ってきましたが、これこそ「権力の側からする民衆の分裂支配の政治的配慮」に因るもの。
「戦後」を私たちはきちんと克服することができていない。
アメリカに追随してきた「過去」を清算することが目指されなければなりません。

「拉致問題」の解決は、「国交正常化」、両国間に平和な外交関係が結ばれるところから始めなければなりません。
「北」の「核疑惑」などというけれど、現在「休戦」状態に過ぎないということ、日米韓で「共同軍事演習」などが挑発的に展開されていることを考え合わせれば、一方的に「北」だけを責めることはできません。
この「国」の民衆の力で、「平和に向けて」大きく舵を切らなければならないと思います。
キムテジュンが大きな努力を払っていた時、私たちは何ができたでしょう。
「統一」への流れは、一時期、確かなものだったにもかかわらず、私たちは「為すべきこと」を為し得なかったように蛙には思えます。

3月29日には、「『高校無償化』を考える緊急兵庫県民集会」が午後7時から神戸市勤労会館で開かれる予定で、田中宏氏の講演もあるようです。
日朝友好兵庫県民の会・神戸学生センターなどと並んで同盟兵庫県連も共催している。

「朝高除外」を許さない、大きな世論を作っていきましょう。

追加

2010-03-17 20:25:05 | 日記
前稿、UPの後、少し「抜けているなぁ」と思ったところだけど、蛙は「解放運動」などやりながら、「民」とは「誰か」、そんなことも分からずに、ただやみくもに取り組んでいるって「おかしいんでないか」って話。

蛙にしてみれば「ちょっとも不思議な話でない」んで、誰であれ彼であれ「差別攻撃」を受けている人の側で、その「人」を支え、「差別など根拠もないこと」なんだということを伝え、最善の選択肢を一緒に考えていく、そういう風にやってるわけ。

蛙の場合、いつでも「糾弾闘争」ってことにはならない。
そうしようとすれば、当事者にもたいへんなエネルギーが要求されることになる。
「次善の策」は工夫次第でいくらでもあるから、ほいでもって「蛙が取り組んできたケース」って、そんなんばっかりしかないんだけど。
基準は「その人の意思」なんだ。
「糾弾闘争」ってことにするかしないか、それは「当事者」が決めること、もし「彼(彼女)」が徹底糾弾を選べば、勿論、蛙も全存在を賭けてってことになる。

「利権」などとよく言われるけれど、神戸の仲間は、前にも言ったけれど、長田の事務所なども皆で借金をして「自力」で作って来たし、それにならってウチの支部事務所も娘夫婦の協力で「自前」で用意することができた。
いつでも「困ったときには来て頂戴」、これでいいんだって蛙は思ってる。

よそのことは知らんけど、神戸の同盟は「利権」などとは一切縁は無いよ。

この「流れ」はお終いに。

2010-03-17 19:35:41 | 日記
この間、吉田向学さんと「ジゲ戦記」ブーさんのブログに応答する形で蛙の考えを書いてきましたが、少し整理をしておきましょう。
向学さんの主張ですが、
・・・・・
「日本国」1億3000万の人口の内、「その気になれば」全ての人々の旧身分を明らかにすることはできる。
この「身分制」で、「エタ」とは「」などでは決してなく「司法警察」の「役」を「誇りを持って」担った人々のことである。
そういう事実が「明治」期、「国家」によって隠蔽をされ、「史観」に染め上げられた「学者」や「解放運動家」によって、「差別」の原因・由来が曖昧なものにされてしまったところに現在の困難がある。
「解放」を展望するということは、「この事情」を全ての人が確認をするところから始めなければならない。
「」は、「奪われた」真実の「物語」を取り戻さなければならない。
・・・・・
ということのように蛙は読みました。

「論理」として首尾一貫した主張ですから、それが、圧倒的な人々に支持されるのであれば、それはそれとして「よいこと」なのかも知れない。

蛙の「考え」は違います。
・・・・・
「人間」は、その「人」がどんな背景を持っているか、家族とか資産とか学歴とか、或いは「その血筋」とか、そのようなもので評価されるべきものではない。「彼」がどのように生き、何を為し何を為さなかったか、そこのところで「値打ち」が決められなければならない。
「人」は成人してからは自身の責任において「全て」を「ひとり」で引き受けていかなければならない「存在」なのであり、その「覚悟」を持った「一人ひとり」の「支え合い」が基本に据えられなければならない。
・・・・・
そのようでありますから、まず、「物語」を必要としない。
「自由主義史観」の連中は、「歴史は物語なのであり、『日本国』の『物語』はこうなのだ」と言っています。
「物語」を頼りにする、これは「弱さ」以外の何ものでもない。
「ひとり」を基本に置けば「物語」など必要ではありません。
「私は私の信念に基づいて生きる」。
向学さんの「解放の展望」は、向学さんの「主張」に皆が納得することが目指されているわけですから、それを全面的に支持する人以外は皆、敵になる。
蛙の方からは敵視することはありませんが、論理の必然として、向学さんから見れば蛙もまた「敵」になるでしょうから、なるほど、「詐欺師」などと呼ばれたり「たわごとをのたまう」などと言われたりするのでしょう。

蛙も「解放の展望」などキチンと提起する力はありませんから大きなことは言えませんが、少なくとも「味方になってくれるかも知れない人を敵側に追いやるようなこと」はしたくはありません。

なんちゅうても、蛙は「学者」を気取りたいこともないし、「詐欺師」と呼ばれてもちっとも構うことはない、「運動家」でありたいと思っていますから、「今」「ここ」で「差別」攻撃を受けている「この人」を支え、激励し、「一緒に頑張って行こうね」って「ことば」を伝える、そういう風に歩いているわけです。

というわけで、「間にある溝は埋められそうにもない」ようですから、向学さん、「ジゲ戦記」ブーさんとの「応答」は、これを限りにしたいと思います。