続・蛙独言

ひとりごと

7月の終わりに

2010-07-30 23:01:04 | 日記
7月も終わろうとするところであるが、全てが最悪の状況のように見える。
もともと「国会」などというところに幻想を持っているわけでもないが、少しは「政治の流れ」がよい方向に向かってくれたらという期待はあった。
それで、民主党がこの混乱、誰が主導権を取るのかといった馬鹿げた話になっているようだし、千葉法相なども「死刑廃止」の側に立っていた筈が変節、辻本ときたら何を血迷ったか、「社民離党」。「与党」に与して何ごとかができるなどと考えたのだろうか?
同盟にしても松岡書記長の敗北を必要以上に深刻に受け止めているようで責任論まで飛び出しているようだ。
確かに「現状打開」は難しいことではあるが、何もそんなに慌てふためくことなどはあるまい。
これまでもずっとこんな状況は続いてきたのだ。
こういう混乱の時こそじっくり腰を据えて冷静に一つひとつ「手を打っていく」ことを考えなくてはならない。
湯浅君たちの粘り強い闘いにこそ学ばなければならないし、未だ「小さな力」かも知れないが、「札幌自由学校『遊』」の20年の取り組みなどからも学ぶべきことは多い。
今のところ、「議会制民主主義」以外の道筋が具体的に見えているわけではないが、そして支配の側がしっかりと「世論操作」の軸心を握りしめている状況下では困難な道筋ではあるが、グラムシが提起していた「陣地戦」を展望する「芽」はあると蛙は思う。
仲間うちで「足の引っ張り合い」などしていてどうするというのだ。
自分を信じ、仲間を信じ、たゆまぬ努力を続けていく、それだけのことではないか。

産まれること死ぬること

2010-07-25 06:58:37 | 日記
北川君とは彼の郵便局解放研時代からの長い付き合いになる。
定年まで何年か残して鶴海で本格的に帰農、これまでの「闘い」も引き続き頑張っておられるのには頭が下がる。
彼のブログはこれまでも紹介したことがあったけれど、
http://blog.livedoor.jp/tsokta/
7月20日づけの記事には驚かされたり、考えさせられたりした。
コメント欄にURLを張り付けておいたから、本文からはコピペということになるが、そっちからは直接ジャンプできるので、読んでもらいたいと思う。
6月20日、息子さん夫婦の男児出産の話があるのだけれど、なんと自力で自宅出産だったという。
「そんな自宅出産に、本当に出産したのかどうか、法務局が調査に来るという。だから、それまで出生届は受理されず、今は無国籍だと言うのだ。なんか、こういうことのほうが面白い。」

考えてみれば、我々は「お国に認めてもらわねば」「産まれてくること」も「死ぬること」もできないのだなぁとつくづく思う。
実に、胸糞悪い話ではないか。
国家資格である「医師」「助産師」の「出生証明」が無ければ「出生届」は受理されないようだし、蛙が死んだとしても、自宅で静かに眠らせてはもらえないで、必ず「死亡診断書」のようなものがいるようで、でなければ「不審死」として警察の厄介になるらしい。

厭な世の中だ。

参院選 3

2010-07-24 09:47:09 | 日記
雨の季節が終わったと思ったら途端にこの暑さなんだから、蛙はもうバテバテだ。
酷暑の中の通勤地獄はこたえるよ。
歳も歳なんだし。
この土日は久しぶりの連休だから、それでも「松岡選挙」について、もう少し書いておこうと思う。
同盟機関紙「解放新聞7月19日号」で一面記事があるが、中央本部HPからも読むことができる。
周りの雰囲気も「残念だ」という捉え方だ。
蛙は「それ程、悲観的になる必要もないし、意気消沈なんてとんでもない。これが現実なんだ」ってところだ。
集められた「6万8千票」は誇りに思ってよい数字だと思う。

現状の「国政」の在り様や「選挙制度」なども問題があるだろう。
参議院なんて必要ないという議論もある。
国会に同盟の代表を送ることは意義あることだろうが、例えば松本竜副委員長の場合、福岡の地で「日常的」で具体的な政治活動の積み上げがあってこそ、そしてここが大切なところだけれど、同盟員以外からも大きな支持を受けて衆院に議席を持つことができている。
勿論、治一郎さんの業績も大きくものをいっているだろう。
それに比較すれば「参院比例区」で「松岡」という「名前」で票を投じてくれる人は同盟員以外では皆無と言ってよいのではなかろうか。
三百万民というけれど、ウチのムラの人で「松岡とおる」を見知っている人など、同盟員を除けば一人としていない。
かてて加えて、もともと「」は圧倒的に自民の力が強いのだし、創価学会の影響力も相当なのだ。共産党だって無視できない票を持っている。
冗談だろうと思うが「みんなの党から出てたら高位当選だったよね」っていう人もいる。
国民新党のトップは40万票とりながら落選しているが、公明・共産、それに「みんなの党」当選者は3万票から4万票というところだった。
それぞれ「党」の総獲得票数から割り出された数字だから文句は言えないかも知れないが、「参院比例区」は「その時吹いている風」で結果がおおいに左右されるのだ。

松岡氏の「不徳のいたすところ」などという弁は、こういう場合の常套句なんだろうが、個人的な「欠点」の故の結果なんかではない。
それに第一、彼とは個人的な付合いがあるわけではなく公式な場面での講演や演説しか知らないのは蛙ばかりではないだろうから「不徳云々」という話じゃないだろう。
「捲土重来」とか「この経験を次回に生かして」という話も蛙は支持できない。
どんなに頑張っても7万から10万までしか票は出せないのだから、「その時」にどんな「風」が吹いているかってことになる。
こんな闘い方はもうやめてよいと蛙は思う。
また、「解放の議席」を失ったことが「反人権派を勢いづかせ、同盟に対する逆風が強まる」かのように言うのもおかしな話だ。
自分たちの力をもっと信じてよいはずだし、「平和と人権」を共に闘う多くの信頼できる友人たちがいるのだということを忘れてはいけない。

蛙は「同盟はもっとスリムになってよいし、少数派運動の工夫をもっと強め、どんな戦線でも常に最先端に立って生き生きと活動する、そういうスタイルを獲得しなければならない」と常々思っているのだ。

参院選 2

2010-07-14 09:52:35 | 日記
「アナーキズム」という「ことば」には「暗い暴力的な恐怖政治」のイメージが貼り付けられてきたと思うけれど、それは支配者側からする「マインドコントーロール」の故であって、本来、「政治そのもの」を「否定する」ラジカルな思想なのであるから、そのようなイメージは形容矛盾ということに他ならない。
ジョンレノンの「イマジン」はあまり意識されることは無いが、明らかな「アナーキズム讃歌」であったのだから、支配の側からは必ず「暗殺されなければならない」存在だったのである。
「この国」は「立憲君主国」であり「議会制民主主義」という形態である。
マルクス主義では「民主主義とは最も洗練された支配の在り様である」ということになるが、初め、「その後」の「政治形態」の「在り様」について、マルクス・エンゲルスは具体的な提起を為し得なかった。
また、「アナーキズム」に対しては徹底的な反対の立場にあった。
パリの労働者蜂起については時期尚早として否定的であったけれど、「パリコンミュン」の一定の勝利という事態を受けて、その「政治原則」は「ブルジョア民主主義にとって代わる『遂に発見された』目指されるべき政治形態である」として断固支持の側に立った。
ボルシェビキのロシア革命を率いたレーニンの「プロレタリア民主主義=プロレタリアート独裁」で、この「パリコンミュンの政治原則」が貫かれていれば、歴史はもっと違った様相になったろう。
実際には「権力は腐敗する」という鉄則通りの展開になった。
そして今に至るまで、「進むべき道」は見出されていない。
「夢(イマジン)」は「夢」にしか過ぎないのであって、それを実現すべき「方途」が「発見」されない限り、空しく潰えるほかない。
それでも、蛙は「夢見る夢男」でいつづける。

今回の参院選では「民主党惨敗、勝ったのは自民と『みんなの党』だけ」という風に巷間では言われている。
蛙に言わせれば「勝者など誰もいない」、「選挙」という「茶番劇の幕が閉じられただけのこと」ということになろう。
小泉以来の「新自由主義」の化けの皮が剥がれて「他に選択肢が無かった」ばかりに実現をした「政権交代」ではあったが、多くの人が期待をしたような展開にはならず、「裏切られた」というような心情が支配的であったようだ。
どの「政党」にも現状を打開する「理念」というものがない。
躍進をした「みんな・・」だって、何か確たる政治理念を提起しているわけではなく、ただ、「消費税をゆう前にやることがあるだろう」というキャッチコピーで、民主の敵失に乗じただけのこと。
「勝者」はいなかったが「敗者」はいる。
それは「我々自身」だ。
人々は「政治は政治家におまかせ」の域を一歩も抜け出ることができないでいる。
今のところ、当分の混乱は避けようがないだろうが、その「混乱」の中から、「新しい民主主義の在り様」は生み出されるかも知れない。
蛙にできることがあれば「なんでも取り組んでいこう」、今は、たいそう苦しい気分ではあるが、少しづつでも、前向きにあるいていこうと思う。

参院選 1

2010-07-13 09:55:35 | 日記
恐竜の時代は1億6000万年間も続いたが、それに較べて我が人類の「歴史」はあまりに短いままに、転げ落ちるようにその「終わりの時」を迎えようとしているのではないかなどとフッと思うことがある。
今、世界と「この国」は、未来を展望する力を失っている。
何はともあれ、参議院選挙は終わった。
あまり力が入るところではないが、今回の話について「思うところ」を何本かに分けて書いておこうと思う。

解放同盟は、中央本部書記長・松岡とおるの二期連続当選を目指していたのだけれど、獲得票数は全国同盟員数を下回る6万8千票、落選ということになった。
蛙も「それなり」な頑張り方はしたのだけれど、支部が出した票数はたかがしれたものだった。
雨が降っていたということもあったし、第一、参議院選挙などというものが「生活感」からあまりに遠いということもあったのかも知れない。
先の「政権交代」選挙について、蛙は「民主党が選ばれたというよりも、自民党政治にNOが突きつけられただけのこと」ということを言ってきたのだが、この10カ月ばかり、鳩山から菅への交代とその内容は目を覆うばかりの惨憺たるものであったから「民主党の惨敗」は必然だったろう。
「ブルータス、お前もかッ!」という話だ。
この「参議院選」が1年前にあったとしたら、「民主に吹いていた風」があったのだから松岡も再選を果たしていたろう。
この状況でも「比例区獲得票数」の全体では民主党は一応「第1党」だった。

「敵を知り己を知らば百戦危うからず」というけれど、蛙は「その時吹いている風」で当落が決まるような選挙に同盟が「候補」を立てて戦うのはいかがなものかという疑問は思う。
成程、同盟員一人ひとりが必ず「三票」を獲得すれば「20万」になるのだから「勝算はあった」というかも知れない。
蛙は「それは酷い思い違いではないか」と考える。

同盟の代表を必ず国会に送らなければならないという考え方にも同意できない。
「少数派の闘いはどんなものでなければならないか」ということは稿を改めてということにしよう。

次回は、「全般的な評価」というところを考えてみたい。