続・蛙独言

ひとりごと

「週刊朝日」のこと 3

2012-10-26 16:58:03 | 日記
同盟中央から組坂委員長名で「抗議文」が出されている。
テキストファイルで手に入れられなかったので「手入力」で以下に書きあげておこうと思う。

同盟中央はHPを持っているのだから、相手方と組織内に情報は限定されるべきでは無く、即時的に「外」に向かって、こういう情報を発信していかなければならないのではなかろうか。

蛙のブログに「抗議文」を挙げるのは「無断転載」ということになるだろうから、非難もあるだろうが、問題の性質上、敢えてしなければならないと考える。

「抗議文」は、あまり「いい文章」とは思えないし、学校の先生が生徒の作文の添削をしているような印象で蛙の趣味にはあわないが、とりあえず、内容は悪くはないだろう。

問題は、この後、どういう対応をとるかということだ。

蛙は、きちんとした「糾弾闘争」とすべきだと思う。
「糾弾」には大きな誤解があるのだから、「これが我々の『糾弾闘争』なのだ」という模範的な闘いにしていくべきだろう。

なによりも、我々は怒りをこらえることができない程なのだということを、強く、訴えていかなければならないはずだ。

ーーーーーーーーーーーー

以下、抗議文。


2,012年10月22日
株式会社 朝日出版
 代表取締役社長 神徳 英雄 様
週刊朝日
 編集長・発行人 河畠 大四 様
解放同盟中央本部
執行委員長 組坂繁之

『週刊朝日』(2012年10月26日号)掲載記事「ハシシタ奴の正体」に関する抗議文

 私たち解放同盟は、問題の根本的解決、人権が確立された社会の建設を目指して活動している団体です。私たちは橋下徹大阪市長の同和行政・人権行政を後退させる手法について断じて許されないものであると考えています。一方、私たちは、憲法に保障された表現の自由を尊重し、公人である政治家にはプライバシー権に関し、一定の制限があることも理解しています。さらにこうした問題が発生したことによって、橋下氏に対する正当な批判が抑制されたり、メディアの権力監視活動が委縮することがあってはならないと考えています。
 しかしながら、『週刊朝日』(2012年10月26日号)に掲載された「ハシシタ奴の本性」(佐野眞一+本誌取材班=今西憲之、村岡正浩)と題した記事の内容は明確に差別であり、新聞広告や電車内の広告で「救世主か衆愚の王か ハシシタ 橋下徹本人も知らない本性をあぶりだすため、血脈をたどった」とセンセーショナルに報じられた一連の記事、見出し、広告に対しては断固抗議するとともに、以下、その理由を期します。

1. まず記事の中に「日本維新の会の旗揚げパーティ会場」に参加していた人物の言葉
引用して「橋下さんの父親はあがり(被差別出身)で、それに比べて母親の方は純粋な人やと思う」と記述されています。この表現では、「母親の方は純粋な人」で「あがり(被差別出身)」は「純粋でない」と間接的に言っていることになります。橋下徹氏の実父は年齢的に見ても運動には参加しておらず事実とも異なり、運動への誹謗中傷につながります。運動に参加していた人々の多くは、「純粋」な人々であり、これらの人々への偏見を助長することにもなり。引いては今日の解放運動に参加している人々への偏見にもつながるといえます。
また、被差別出身は「純粋」ではないと言っていることになり、被差別出身者全体に対する偏見を助長することにもなります。

2. 本文記事中で「この連載で橋下の政治手法を検証するつもりはない」「私が解明したいと思っているのは、橋下徹という人間そのものである」「一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である」とした上で、「そのためには、橋下徹の両親や、橋本家のルーツについて、できるだけ詳しく調べ上げなくてはならない」とし、「橋下家家系図」なるものまで掲載されています。
 これは橋下徹氏の政策や政治手法を批判する記事ではなく、被差別出身を暴く調査をおこなうことを宣言して書かれた明確な差別記事であり、2011年に橋下徹氏が大阪市長選挙に立候補した際に掲載された一連の週刊誌報道とも一線を画する確信犯的な差別行為であると考えます。

3. 『週刊朝日』表紙見出しの「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶりだす」や本文
記事中の「本性をあぶりだすために、彼の血脈をたどる取材を始めた」など扇情的な文章のもとで、見出しや広告を含めて、「血脈」や「DNA」など、ことさらに「血統」を連想させる言葉が多用されています。そして著者である佐野眞一+取材班の橋下徹氏に対するあからさまな嫌悪感が執拗に展開された上で、記事中の「本性」のルーツ、すなわち橋下徹氏の「血」のルーツとして、父親が被差別出身であり、ヤクザ組織に入っていたことが示されています。
 記事中にある橋下徹氏の「非寛容でやっかいな性格」の根を、父親の「血」=「被差別」に強く関連づけた一連の表現は明らかに血統主義にもづく人格攻撃であり、差別です。また、これは橋下徹氏個人に対する差別行為であるだけではなく、「被差別」=「ヤクザ」=「非寛容で厄介な性格」との偏見を助長し、被差別出身者全体に対する差別を助長するものであり、決して許されるものではありません。
4. 記事中では「八尾市安中地区には被差別がある」と明記されています。差別図書『地名総鑑』を例に出すまでもなく、被差別の地名は差別につながるセンシティブ情報として極めて慎重に取り扱うべき情報です。近年、「土地差別調査事件」が大きな社会問題となるなかで、あえて地名を明記した事実は当該住民に対する重大な差別行為と言わざるを得ません。

5. 10月18日、河畠大四編集長名で「地区を特定するような表現など、不適切な記述が複数ありました。橋下徹・大阪市長をはじめ、多くのみなさまにご不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことを深くおわびします。私どもは差別を是認したり、助長したりする意図は毛頭ありませんが、不適切な記述をしたことについて、深刻に受け止めています。弊社の次号で『おわび』を掲載いたします」とのコメントが出されました。また、10月19日には、記事の連載中止を発表し、「第1回の連載記事中で地区などに関する不適切な記述が複数あり、このまま連載の継続はできないとの最終判断に至りました。橋下徹・大阪市長をはじめとした関係者の皆様に、改めて深くおわび申し上げます。不適切な記述を掲載した全責任は当編集部にあり、再発防止に努めます。本連載の中止で、読者の皆様にもご迷惑をおかけすることをおわびします」という、極めて不十分なコメントが発表されています。このような重大な記事を十分な準備にもとづき掲載された以上、相当の「覚悟」を持って臨まれたものと考えます。連載打ち切りに至る経緯や記事の意図や内容のどこに差別性・問題点があったのか、また背景・原因や社会的にどのような影響をあたえ、与える可能性があるのか、再発防止のための課題等を明確にすべきであります。

以上、今回の差別記事の被害者は橋下氏だけではなく全ての被差別出身者であることを強調し強く抗議するとともに、貴社の明確な見解を求めるものです。

         以上

「週刊朝日」のこと 2

2012-10-24 18:23:39 | 日記
小林健治さんがfacebookで「毎週金曜更新 連載 差別表現」という記事を書いておられる。
今回の内容は、蛙もまったく異議ないので、ルール違反を承知で、蛙ブログにコピペしておこうと思う。
ブログの読者でFBを使っておられない方やFBは使っているけれども小林さんの記事を読んでおられない方もおられると思うからだ。

同盟中央から「抗議文」が「週刊朝日」に出されているので、こちらも明日にでもUPしようと思っている。あまりいい文章でないと思うし、学校の先生が生徒の作文を添削する風な印象で蛙の趣味にあわないが、「なら、お前が書けよ」なんて言われても左程「文章力」を持ち合わせていないので、あまり悪口は言わない方がいいのかも知れない。
ただ、中央の「抗議文」が、相手方と同盟組織内だけに限定的されて配布されるのはよくないと思う。
「解放新聞」の次号あたりに掲載されるのかも知れないが、せっかくHPを持っているのだから、時期を失うことなく、情報は即時的に発信されてしかるべきだと思うのだが。

以下は小林さんの記事。長いけれどお読みください。

ーーーーーーーーーーーーー

 先週に引き続き、橋下徹大阪市長の被差別出身という“出自”を暴くことだけを企図した『週刊朝日』の緊急新連載「ハシシタ 奴の本性」をめぐる問題について、意見を述べたい。
 10月23日火曜日に発売された『週刊朝日』に、見開きで「おわびします」という謝罪文が、編集長・河畠大四の名で掲載されている。連載の中止は、すでに先週19日の段階で決定されており、親会社の朝日新聞社まで巻き込んだ、一連の騒動も終わりかと思っていたが、橋下氏は「週刊朝日が僕と家族を社会的に抹殺しようとしてきたので、こちらも相手を抹殺する気持ちで抗議しないとこっちがやられてしまう。今回はそういう抗議だった」とツイッター上で語り、執筆者の佐野眞一さんと朝日新聞グループと『週刊朝日』を徹底追求することを宣言し、事態の推移は混沌としてきている。
 ここで、一度、今回の事件について整理しておこう。
①前兆
 多くの人は気づいていないかもしれないが、今回、問題となった『週刊朝日』10月26日号の差別記事に先立って、まず2カ月前の同誌8月17日・24日合併号で、「橋下市長の親族が初告白『徹の女好きは実父譲りだ!』」という記事が掲載されている。執筆記者名は、「本誌 村岡正浩/今西憲之」で、今回の緊急連載の本誌取材班と同一人物。
「本誌は彼(親族A氏)への取材を通じ、橋下氏の血脈をたどった」とリードにある
 しかし、その“血脈”の中味は、実父・橋下之峯(ゆきみね)氏の暴力と女好き、ギャンブル好きが共通している、というもので、被差別という社会的属性には触れていない。
 之峯氏の墓は大阪府八尾市安中地区にある。墓名には橋下氏から3代前の曽祖父と曾祖母の名前に加え、之峯氏の名もしっかりと刻まれていた。
 私たち(村岡と今西―筆者)は、橋下家のルーツである八尾市安中を歩いた。
(『週刊朝日』8月17日・24日合併号)
 このように記されてはいるものの、そこが被差別であることについての記述はない。ではなぜ10月26日号では「橋下之峯の出身地の八尾市安中地区には被差別がある」と記述したのか。
②佐野眞一さんの登場
 社会派ノンフィクションの大家で、次々と大著をものしている佐野眞一さんが、ここで登場する。再審無罪が決まった「東電OL殺人事件」の元被告・ゴビンダさんが無罪を克ち取った背景に、佐野さんの鋭い筆による追求があったことは、誰しも認めるところだ。
 どういう経緯があったかは知らないが、『週刊朝日』編集部の二人が、“タブーに挑戦”と意気込み、佐野眞一さんの権威と橋下嫌いを利用して、8月の合併号では書く勇気がなかった、その“血脈”の本筋を書いたということだろう。いわば、大家の名と権威を予測される社会的批判から逃れるための“弾除け”として活用したということだ。
 その点では、昨年の『週刊新潮』『週刊文春』が、自称・被差別出身ライターの上原善広を免罪符的に利用していたのと同様の、さもしいトップ屋根性が透けて見える程の浅薄さである。あのとき「地区出身のライター」が書くのだから、なにを書いても許されるという錯覚が、両誌編集部にあった。同様に、今回はノンフィクションの大家を利用したということだ。
 昨年の時も強調したが、抗議する場合の視点は、文章内容の差別性であり、筆者がだれであるかは、一切関係ない。付け加えれば、執筆対象がどんな人物であるのかも、差別記事(差別表現)か、否かの判断に影響を与えない。
 ③「おわびします」を読んで
 『週刊朝日』11月2日号に掲載された「おわびします」を、少しくわしく見ていこう。
(1)「地区を特定するなど極めて不適切な記述を複数掲載してしまいました。」
 言っておかねばならないが、社会的必要性(必然性)と合理的理由があるのであれば、「地区を特定」すること、つまり被差別の地名や個人名を記述することは、別に問題ではない。問題は、たんに人を貶(おとし)めるためにのみ、“出自”を暴くところの愚かさと、傲慢さにある。言うまでもないことだが、被差別を記述する合理的理由があった上で、の地名や個人名を明らかにするさいには、社会的差別が厳存するという現実を直視し、配慮あるいは考慮することは、ジャーナリストの基本であり、礼節だろう。それが欠けてるから、橋下氏に「人権感覚のかけらもない」などと罵倒されるのである。
(2)「タイトルも適切ではありませんでした。」
 ここで言う「タイトル」とは、橋下(はしもと)を「ハシシタ」と記述したことだと思うが、なぜ適切でなかったかの記述がないところを見ると、たんに人の名前を正確に呼ばなかっただけのように考えている節がある。
 被差別出身者にとって、名前の持つ意味の大きさをまったく理解していない。「橋下」をあえて意図的に「ハシシタ」と呼ぶことの犯罪性を自覚すべきだ。国内に住む「橋下(ハシシタ)」姓の人たちに対する差別や嫌がらせが行なわれたとしたら、『週刊朝日』はどうやって責任をとるのか。「橋本」を「ハシホン」と呼ぶのとはまったく違う。社会的文脈を認識していない。
(3)「政治家・橋下氏の人物像に迫ることが狙いでした。差別を是認したり助長したりする意図はありませんでしたが、不適切な表現があり、ジャーナリズムにとって最も重視すべき人権に著しく配慮を欠くものになりました。」
 すでに前回書いたように、「血脈」=被差別出身という出自の中に橋下市長の全人格の根源がある、という視点で人物評価をすることは、当人にとって責任の持てない、つまり出自の問題という抗弁できない点を集中して叩くというのは、卑劣という以前の、攻撃する側の職業倫理の質に関わる問題だろう。
「差別を是認したり助長したりする意図はありませんでしたが、」(傍点筆者)に至っては、居直り以前に、無知である。
 理由なく相手を貶める目的のためだけに「血脈」=被差別出身という出自を暴くことが、差別を是認したり助長したりする行為になるということを、『週刊朝日』編集部が本当にわかっていなかったのか疑問だ。それでは『週刊朝日』編集部に問うが、なぜ8月17日・24日合併号では、実父・之峯氏が被差別出身者であると記述しなかったのか? それは「差別を是認したり助長したりする」可能性を、少しは配慮したからではないのか。
 重要なことは「差別を是認したり助長したりする意図はありませんでした」などという、佐野眞一氏および『週刊朝日』編集部の主観的意図が問題にされているのではなく、客観的に見て差別かどうか――という問題が追求されているのである。
「血脈」を暴くこと、それ自体が今回のケースでは差別行為に当たるということが、認識できていない。「血脈を暴くことと、人物像を描くことは全く異なる」(橋下徹氏ツイッター)ということだ。
(4)「多くの関係者を傷つける事態をまねいたことについて深く反省しています。」
 まず「多くの関係者」とはだれのことか。当然、橋下氏の家族および親戚・縁者に、まずもって、直接会って謝罪すべきだろう。
 次に、謝罪すべきなのは、全国の「橋下」姓の人々に対してだろう。しかし、「橋下」という苗字が被差別と関わりのある名前ということが、明らかにされた現在、そのことによって、起こる可能性のある社会的不利益についても、責任をとる必要がある。反省するだけではすまない。補償を考慮に入れるべきだ。
 さらに、全国の被差別出身者に対して、ということになるが、抽象的で主体性のない「お詫び」を出すより、今後、差別撤廃に向けた誌面づくりを行なうべきだ。かつて、1956年9月に「を解放せよ―日本の中の封建性」という特集を組んだ『週刊朝日』の精神を思い起こす必要があるだろう。
(5)「社として、今回の企画立案や記事作成の経緯などについて、徹底的に検証を進めます。」
 しかし、橋下徹市長がツイッターで述べているように「内部調査ではなく、第三者検証委員会でしっかりと検証して、全て公表するべき。」(橋下徹氏ツイッター)だろう。ありきたりの皮相なアリバイ的検証なら、「多くの関係者」は許さない。
 この「おわびします」を読んで感じたことは以上だが、あまりにもジャーナリズムの質の低下、つまりいかにジャーナリストの思想的劣化が著しいかがわかる。かつて、「断筆宣言」を行なった筒井康隆さんが語った「ジャーナリズムの思想的脆弱性」が、度し難いまでに、進行しているということだ。
[以下次週]





「週刊朝日」のこと  1

2012-10-24 13:40:27 | 日記
今回の「週刊朝日」・佐野眞一氏の「連載記事中止」について、色々考えさせられることが多いのだけれど、蛙が思うところを何回かに分けて書いておこうと思う。

まず橋下徹だが、彼が行った数々の暴挙、一切が許せるものではないということがある。
「大飯再稼働」に関する対応も許し難いものであった。
ただ橋下を貶めるために佐野氏は「一般にある差別意識」を利用することを敢えてしたのだ。
それは断じて許し難い行為と言わなければならない。
彼の主観的意図として「そんな想いはなかった」というのだろうが客観的には「そう言わざるを得ない」ということだ。

差別者はいつもそう言うのだ。
「私は差別しようという考えは全くありませんでした」と。
これは、その主体にあっては「問題など一度も真面目に考えたことはありません」と表明しているに過ぎない。

この記事に橋下は激怒したようだが、色々な評者の間で、「維新の会の勢いが失墜しつつある状況下で、『朝日』を攻撃することによって、再度、挽回をはかろうとしたのだろう」とか、「彼にとっては大チャンスになった」とか、もっと深か読みをして「裏で『朝日』と橋下とは『できていた』のではないか」「敵に塩を送ったのだろう」といった話まで出回っていたりする。

検討に値しない言説も数多く飛び交っているのだが、概して、真剣に解放問題に取り組んでいる人間にとっては、「不幸な事件」となったという外ない。

今のところ、同盟中央の「この問題に対する見解」は公になってはいないようだし、内部討議についても、蛙は知る立場にないのでなんとも言えないが、「新潮45」の上原善広の論稿や、「週刊文春」「週刊新潮」の差別記事への対応などを考え合わせてみても同盟にはあまり期待できないような気がしている。
真っ先に反撃を開始したのは「都連」の浦本君で、facebookでその奮闘を知ることができる。
先の稿で、彼の「公開質問状」はUPしておいた。

「週刊朝日 11/2号」の冒頭で「おわびします」と題された記事がある。
http://www.wa-dan.com/info/2012/10/post-63.php
(コメント欄からジャンプしてお読みいただきたい。)

こんなもので「謝罪」ってことになるのか、実に腹立たしい気分だが、浦本君がこの「おわび」に対して、以下のように綴っている。
蛙の想いと殆どかさなるもので、お読みいただきたいと思う。

―――――――――――――
 週刊朝日編集部は、一貫して「差別を是認したり助長したりする意図はありませんでしたが、不適切な表現」があった、そしてその不適切な表現とは「地区を特定するなど極めて不適切な記述を複数掲載」したことだと述べています。つまり「問題は、記事の本旨ではなく言葉の使い方であった」という立場です。だから今後改めるべきは「記事チェックのあり方」だという結論になるのです。
 私、浦本誉至史は、これは全く間違った解釈であると思います。問題は、「本人の意思や努力ではどうすることもできない被差別という出自を最大の問題としている点」です。つまり言葉遣いがどうのではなく、この記事の本質、本旨、記事が「最も伝えたいこと、言いたいこと」そのものが差別以外の何ものでもないと指摘し抗議しているのです。編集部の見解とそれにもとづく掲載中止という措置では、ただの言葉狩りであって表現弾圧以外の何ものでもない。週刊朝日編集部は、今後も検証を続けると言いますが、一体何の検証をするのですか? 校閲体制のチェックですか? もしそうなら、それは的外れもいいところです。
 事態をこのように非本質的にしか理解できないからこそ、今回のような差別記事を堂々と掲載する事になったのではないですか? つまり河畠大四編集長をはじめ週刊朝日編集部は、問題を全く理解していないしほとんど何の知識もない、根本的に被差別民を無視(ネグレクト、あるいはオウミッション)しているのではないですか? だとしたら、それは差別だと思います。

ーーーーーーーーーーーーー


長くなるので、「つづき」は次回ということで。

もうひとつ

2012-10-19 21:09:22 | 日記
もうひとつ、浦本さんのfacebookの記事をUPしておきます。
こんなことがあったなんて知らなかった。
「朝日」は許せないッ!
絶対に許せないッ!

――――――――――

 じっと今日まで我慢してきたけど、この際暴露します。連続大量差別はがき事件の刑事事件被害者として、遅ればせながら朝日新聞を社会的に告発したい。
 私、事件当時代表刑事告訴人として被害者側のメディアとの対応役をやってました。テレビや新聞など、多数の報道機関の取材を受け、それに協力してました。まあ、私たち被害者の側にしてみたら、メディアの協力を得るしか事件解決の方法がなかったですから、私は自分自身のためにメディアの皆さんのおっしゃることは何でも「はい」と言って、応えていたんです。
 事件も大詰めになって、犯人が逮捕された後になって、それまで一度も取材に来たことのない朝日新聞社会部から取材の申し入れがありました。勿論快く私は応じました。担当の記者さんは、「かなりまとまった記事にするので、半日くらいはつきあってください」とおっしゃって、私、他社の取材は断って、朝日新聞だけの為に半日時間をついやしました。
 取材が終わる時に、私聞いたんです。「朝日さんは、今まで取材に来られたことが一度もありませんでしたが、今回このように集中して取材されると言うのは、何か理由があるのですか?」と。
 担当の記者はこう言いました。
 「実は、私個人は、この事件を早くから注目していていたんです。最初に共同が報じたとき、正直『やられた、先を越された』とあせりました。しかし、社の上のものに、『他社に遅れを取ることなく取材を入れるべきだ。自分にやらせてくれ』と言うと、社の上層部は『この事件は自作自演の疑いがある。だから報じられない』と言って、取材を許してくれなかったんです。ところが今回、犯人が逮捕され、しかも物的証拠がぞろぞろ出てきて、『お前は何をやってたんだ、他社に抜かれやがって、すぐに取材に行ってこい』と怒鳴られたんですよ。私は、朝日新聞社という会社が許せません」と、そう言ったのです。
 自作自演、つまり被害者の私が犯人であると、朝日新聞社は社として当初断定していたと言うのです。私は、深く傷つきました。でも。今日までじっと我慢してきましたけど。

(コメント欄から)
私は今日までじっと我慢してきたんです。私はPTSDだと言われている。でもどんな障害を被うと、自分で選んだ道だから、そう思ってきた。
 でも、悔しい、悔しい、悔しい!
 福岡の自作自演事件の時も、朝日新聞西部本社の社会部記者を名乗る人物が都連に電話をかけてきて、私を名指しで電話取材を申し込んできた。
 「浦本さんは、同種事件の被害者として立花町に何度も赴き、結果的には自作自演の犯人だった人物を『皆でささえよう』と何度も訴えてますね? そのことについての浦本ご自身の責任について、どう責任を取られるつもりか聞かせてください」。「浦本さんは同種事件の被害者でしょ? なのに何で自作自演だと見破れなかったんですか? 浦本さんは非常に重い責任がありますよね、違いますか!」と問いつめられた。私は「私には責任があります。この責任から逃れるつもりはありません」と泣きました。
 悔しかった。無念だった。
 だからといって、その恨みで今朝日を攻撃しているんではないです。私が朝日に聞きたいことは、先に書いた通りです。しかし、私は一生朝日新聞社と言う会社を許すつもりはありません。これもまた事実です。

「週刊朝日」 浦本さんの公開質問状

2012-10-19 15:41:17 | 日記
浦本さんがfacebookの方で、「週刊朝日」の記事に激昂されていたので、慌てて「それ」を手に入れて読んでみた。
佐野眞一というライターだ。
「緊急連載スタート ハシシタ 救世主か衆愚の王か 橋下徹のDNAをさかのぼり 本性をあぶり出す」と表紙に大々的にぶちあげ、橋下の「顔写真」をでかでかと掲げている。

その下劣さに反吐をもよすような、酷い差別記事だ。

浦本さんがFBに「週刊朝日」に対して「公開質問状」を出されておられる。
以下にUPしておくので、御一読願いたい。

記事に関する蛙の「感想」は、浦本さんとほぼ重なるが、別稿で、もう少し書いておきたいこともあるので、それはまた次回ということにする。

―――――――――――

週刊朝日編集部 御中

公開質問状

  私は、浦本誉至史と申します。今回貴誌が連載をはじめた佐野真一氏執筆になる企画記事「ハシシタ、救世主か衆愚の王か 橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶり出す」第一回を精読し、極めて大きな衝撃を受け、深く傷つきました。貴編集部の姿勢について、重大な疑念がありますので、公開質問状をもって回答を要請します。誠実にご回答いただきたい。

 まず、私の立場を明確にします。私は兵庫県の被差別に生まれ育った被差別出身者です。また数年前に起こった「連続大量差別はがき事件」で重大な被害を受けた差別の被害者でもあります。現在は公益社団法人東京解放研究所に研究員として勤務し、また同時に解放同盟東京都連合会で執行委員も務めています。
 ただ、あらかじめ明確に申し上げますが、この公開質問状は週刊朝日の1読者である浦本誉至史個人としてお出ししているものであって、私の職場や所属する組織は一切関係ありません。

 私は、今回の連載第一回を精読し、大きな衝撃と深い傷を負いました。私はこの企画そのものが重大な差別行為であると思います。その理由は以下の通りです。
 佐野真一さんは記事の本文で、「オレの身元調査までするのか。橋下はそう言って、自分に刃向う者と見るや生来の攻撃的な本性をむき出しにするかもしれない。(中略)だが、平成の坂本龍馬を気取って、”維新八策”なるマニフェストを掲げ、この国の将来の舵取りをしようとする男に、それくらい調べられる覚悟がなければ、そもそも総理をめざそうとすること自体笑止千万である」と書き、これが出身を暴く身元調査であると言うことを十分に自覚していると明記されています。その上で、記事には家系図までつけられています。しかもこの家系図には、記事には一切出てこない橋下氏の先祖の名前まで出ています。
 そもそも、貴編集部も「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶりだす」と副題をつけてるわけですから、記事の目的が橋下徹氏が被差別出身者であることを暴くこと自体にあったことは明らかであると思います。
 佐野真一さんは、あからさまな嫌悪感をもって橋下徹氏の出自、被差別を紹介しています。

 百歩譲って「彼の生育環境が、今の問題ある彼の政治主張を作った」と言うなら、なぜ彼の今からスタートして遡る形で追っていかないのですか? なぜいきなり彼の父であり、遠い祖先まで遡る彼の血筋や家系が問題なのですか? なぜDNAなのですか?
 人は生まれながらに貴賎のあるものであって、個人の努力・能力とは全く無関係に、運命として「どうしようもない奴は、どうしようもない」と言うのが、貴誌の基本的立場なのですか? だとしたら貴誌は、反社会的存在であると断定せざるを得ません。
 佐野さんは「被差別出身という出自」をことさら中心において記事を作っていますが、ではなぜ被差別出身という出自が問題なのですか、その根拠を示していただきたい。それが偏見ではないと、どうして佐野さんは、そして貴編集部は断言できるのでしょうか? ちなみに私は被差別出身者ですが、橋本氏の政治姿勢とは全く相容れません。私の知る他の被差別出身者の中にも、橋下氏の政治姿勢を嫌悪し、全く許容できないと公言している人が非常に多数います。被差別出身者は皆、「橋下氏のようになる」わけでは当然ありません。なのになぜ貴誌は、被差別という出自が問題だと公言なさるのですか、その根拠をお示しいただきたい。

 私は、「問題をタブー視すること」を引き出すような安易な解決は望みません。私がこの記事から感じたのは、貴誌が根底的に持っていると思われる「表層主義」というか、「物事の真相に迫るという姿勢の根本的欠如」と言うか、そう言った点です。
 今回の記事でも、父や家系や血筋からはじめるのではなくて、例えば橋下氏本人のおいたち、今から順々に時代をさかのぼっていって、学生時代や高校時代の彼の姿勢、彼と母との関係とか、そしてその先に幼少時代のにおける環境や生活とか、そういうことから事実を掘り起こしていく企画であれば、私はこんなに反発はしなかったろうと思います。私が申し上げたいのは、なぜ真っ先に血なんですか! なぜまっさきに氏素性なんですか! なぜDNAなのですか! ということです。
 このような考察抜きに、「被差別という出自=犯罪性や政治的な偏向」と結びつけるのは、あまりに安易ではないですか。つまり貴誌は、私たち被差別出身者のアイデンティティを、あまりに安易に利用しているのではないですか。見解を聞かせてください。
 私は「物事の原因を遡って明らかにすることが、科学であり、合理主義だ」(アリストテレス)と信じてます。偏見や検証されない思い込みをふくんで、しかも証明課程を省略し、自分の結論に都合のいい「事実」だけを先にあげつらうのは、反科学だし反合理主義だと思います。私は、今回の記事にひどい嫌悪感を感じます。いえ、断言しますが、日本中の被差別民が一人残らずこの記事に嫌悪感を感じています。被差別という読者を切り捨てても、言論機関としては何の痛みも感じないのですか。もともと貴編集部には被差別民そのものが眼中になかったのではないですか、だとしたらそれは明らかな差別です。貴編集部の見解を聞かせてください。

 貴誌は、橋下氏と貴誌の問題だと理解しているかもしれませんが、それは全く違います。
 例えば、佐野さんは、記事の中で八尾市の被差別の地名を暴露していますけど、八尾のの出身者は、何も橋下氏だけではありません。また、家系図を掲載することで辱められた橋下氏の父方の祖先も、橋下氏自身とはあったこともない方々がいるはずです。これらの無関係の第三者に何の罪があるのか? はっきりとお教え願いたい。
 さらにこのように被差別=やくざ=ファシストと安易に結びつけられ、それによって大きな心の傷をおった私に対する説明責任はどうしてくれるのでしょうか? また、貴編集部によりその存在すら軽視され、無視された日本全国の被差別民への説明責任はどうしてくれるのでしょうか?

 貴編集部は、記事の責任は執筆者である佐野真一氏にあるということなのかもしてません。しかし、この記事はいわゆる1回もののベタ記事ではありません。連載の企画記事であり、今号では表紙を飾っている「目玉記事」です。当然編集会議の中で企画の段階から十分にたたいて、満を持して掲載したはずです。つまりは、組織として週刊朝日編集部の全員が、「これでいい。この内容が真実だ」と認識して掲載したはずです。それが単に「不適切な文言」では済まされません。明確な回答を願います。

 この企画がなぜ差別を是認したり、助長したりするものにならないのでしょうか? 私にはまさに差別を是認したり、助長したりする意図を持って編集され世に送り出された記事以外の何ものにも読めません。これは私の読み方が偏向しているからでしょうか、見解を御聞かせください。

浦本誉至史

以上