続・蛙独言

ひとりごと

差別糾弾 3

2014-04-29 09:17:45 | ひとりごと

差別糾弾ということでは困難が大きく二つある。

ひとつには、再々言ってきた「差別―被差別の非対称性」だが、糾弾される側に「何故、弾劾されなければならないか」、なかなか理解がいかないということだ。

勿論、在特会を初め、ネットで溢れかえる言質や行為など、意図的で挑戦的なものがあるが、これらについては別稿で扱うことにする。

この困難の克服には、たいへんな忍耐と冷静沈着な対応が求められる。

蛙の経験上、差別者側が「どんな風にと向き合ってきたか」という点検が焦点になる。

大概、親など家族から言い聞かされてきたことや仲間うちの噂話を信じ込んできた場合が多い。

実際に「の人から酷い扱いを受けたことがある」ということも少ないけれど、ない話ではない。

「はこわい」といった印象を持っているわけだが、対話が成立している場合、「民全体がそのように言われなければならないのは何故か」と問われて、答えに窮してしまう。

確かにの側に「悪い人間」はいないわけではないが、全体がそうだということにはならないのだから、実際のと民の現実を知れば、自身の認識がどれ程誤ったものであるか、理解することができる。

差別者が自らを偏見から解放していく過程ということになる。

これは差別者が謙虚な対応を示す場合で、このような「糾弾の成功例」は多くある。

ただ、差別者側が初めっから逃げ腰で、言を左右にしたり、「そのようなことを言った(した)覚えはない」などと嘘をついたりということもまたよくある。

「自分はの友人とも親しく付き合っている」などという台詞もよく言われる。

この国は非常に差別意識が根強くあって、差別に限らず、大方の人は「それ」から自由ではあり得ない。

週刊朝日の橋下徹を対象にした差別記事の例からも分かることだが、「高い教養」を身につけていると考えている人程、差別意識から自由ではあり得ないのだ。

それだから差別糾弾を受けた人は、実は「人間として」恥ずかしくない地点に到達するチャンスを与えられているのだ。

ところが、そんな風に受け止める人は少ない。

誰でもそうだと思うが「自分はそんな悪人ではない」」と考えている。

親鸞は「自分程の悪人はいない」と言っているが、自身の行為や言動が、実は大きな「悪」であるかも知れないと考える「謙虚さ」さえあれば、この「差別のわな」におちいることを避けることができる。

 

ここに「りんご」がある。

何故、「それ」が「りんご」と呼ばれるかなどと考える人間は、蛙のような変人はともかく、普通はいないだろう。

「ことばは世界を恣意的に切り取る」とソシュールは言っている。

そうだ。それが「りんご」と呼ばれなければならない必然性などないのだ。

勿論、日本語を母語とする話だが、誰もがそのように言うことを「言葉を獲得していく過程」で自然に受け入れていくということだ。

「」もまた、そのようにして人々の中に「差別的な内容」をもって受け入れられていく。

断っておかなければならないが、それは何も「外」の人々に限った話ではなく、当の「」の側でも同様なのだ。

 

「差別」とはそのようなものなのである。

 

「大きな困難」の「ふたつ目」は次回。


転載

2014-04-15 13:26:30 | ひとりごと

前稿からの続きを書きかけてはいるのですが、表現が難しい話になって、考え込んでいます。

Facebookの方に以下の記事がありましたから、とりあえず、これを転載しておきます。

長い文章ですが、読んでおいていただきたいと思います。

☆☆☆☆☆

「しのだづま考」応援団メンバーさんからミニコミ紙への投稿を許可を得てアップさせていただきます。
とてもわかりやすい記事です。
ひとりでも多くの方に読んでいただきたいです。

全国演劇鑑賞会差別事件

●一人芝居『しのだづま考』
 『しのだづま』という伝承がある。『葛の葉子別れ』『狐女房』の物語としても知られている。
 舞台は現在の大阪府和泉市信太山。その昔、安部保名により命を助けられた狐が、人間の姿を借りて保名の女房となる。一人息子の童子丸を授かって7年。葛の葉は、菊の花に見とれて狐の姿に戻っているところを童子丸に見られてしまう。「恋しくば訪ね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」。この一首を残して、葛の葉は信太の森に帰っていく。
 物語は、中世の説経節を起源として、歌舞伎、浄瑠璃、講談、盆踊り等様々な芸能により今日まで伝えられてきた。中西和久氏の一人芝居『しのだづま考』(作・演出ふじたあさや氏)は、これらの芸能を再現しながらそこに込められてきた人々の思いを蘇らせようとするもので、芸術祭賞を受賞するなど高く評価されてきた。
 童子丸は成長して安倍晴明となり、母から授かった不思議な霊力により宮廷で権力を握る。伝承はここで終わるが芝居は終わらない。中西氏の姿を借りて葛の葉が現れる。「夢をな…夢を見たかったんでございますよ。…お前が帰ってこないと私は、死ぬに死ねないじゃないか」。

●「四つの女の話やろう?」
 全国演劇鑑賞会とは、かつての名を「労演」という。「労働者の文化」として受容されてきた「新劇」の鑑賞団体であり、「日本演劇の民主的発展」を掲げる団体でもある。
 1998年、演劇鑑賞会岸和田貝塚支部で、事務局長A氏をはじめ幹事十数人と中西氏との間で会合が行われた。『しのだづま考』の上演が話題になった際、A氏から「それは四つの女の話やろう?」との発言が行われた。「四つ」とは、「人間ではない四つ足のケダモノ」を意味するとされ、被差別民に対する蔑称である。中西氏は怒りをこらえ「あなた様な人に観ていただきたくてこの芝居は創ったんです」と言ったという。
 それから14年後の2012年、中西氏は再会したA氏から「自分も出身であり、母親はの活動家だった」と聞かされる。「あなたは自分のお母さんに対して四つの女というんですか」という中西氏に対して、A氏は沈黙した。
 そして間もなくA氏が出身者だというのはウソだということが判明する。
 「これはもはや自分一人の問題ではない」と覚悟を決めた中西氏は、演劇鑑賞会および公益社団法人日本劇団協議会の大会の場でこの事件を告発する。インターネット上の動画サイト「YOUTUBE」で「しのだづま考応援団」を検索すると、やりとりの録音が視聴できる。そこで中西氏は「日本演劇の民主的発展をうたっている演劇鑑賞会の理念と、その役員の言動が、どう整合性を持つのか、見解をお聞かせ願いたい」と問うている。
 録音では、その場にいたA氏が自ら手をあげ「私は確かに四つという表現を使った」と認めている。さらにA氏は「その発言が聞いていた人にどう受け止められたか気になっていた」とまで言っているのである。
 
●議論の封殺・いじめの論理
 翌年、A氏は「四つという言葉は使っていない」と前言を翻し、全国演劇鑑賞会幹事会は「中西氏の発言は鑑賞会に対する侮辱である」との声明を出すにいたる。議論を封殺するための謀議が行われたのだろう。
 A氏の差別発言、さらに2012年の中西氏の告発の場には、少なからぬ聴衆がいた。しかし彼らは固く沈黙を守った。中西氏はこれを「いじめの論理だ」という。いじめも差別も「共同体」の構成員を共犯者に仕立て上げることで成り立つ。
 告発の故か否か。2013年の丸一年間、中西氏の劇団・京楽座には、全国150余16万人を擁する各地の演劇鑑賞会はおろか、全国の文化会館や学校・文科省・文化庁関連からの公演依頼もぷつりと途絶えた。差別を告発する者への「みせしめ」でもある。
 中西氏は「こんなことがまかり通れば、私に続く出身者は泣き寝入りするしかなくなってしまいます」と訴えている。。

●「しのだづま考」を応援しよう
 2013年末、永六輔氏を団長とし、鎌田慧、辛淑玉、中山千夏、ふじたあさや、金城実、大谷昭宏ら各氏のよびかけで「しのだづま考応援団」が結成された。中西氏は「生きる希望が沸いてきた」という。「応援団」の広がりは社会の裏側で孤独な闘いを強いられている被差別者の希望であると同時に、共犯を拒否する人々の希望でもある。信太の森の奥底から聞こえてくる一千年来の葛の葉の叫びは、まだ枯れるわけにはいかないのだ。 

『しのだづま考』応援団連絡先…〒104-0045 東京都中央区築地1丁目4-8築地ホワイトビル1002 京楽座  ℡03-3545-0931 FAX03-3545-0933<BR>facebook「しのだづま考応援団」でも情報発信があります。

 


差別糾弾 2

2014-04-03 13:59:30 | ひとりごと

随分以前のこと、同盟県連の、何の集会だったか忘れてしまったが、会場から、ひとりのおじいさんが発言をされた。

「色々な集会の冒頭で『宣言』が読まれるけれども、これをやめにして貰いたい。私はこの『エタ』という言葉を聞く度に胸潰れる想いを禁じえない」と。

蛙は「もっともな発言だ」と聞きいった。

「宣言」について言えば、「大正」の時代にかくの如く格調高く「人間解放」を謳いあげたことの意義は大きく評価されなければならないし、また、多くの人々から絶賛もされている。

ただ、と蛙は思う。

「その時代には素晴らしいものであったことは間違いないが、内容的には『解放の道筋』を明らかにすることはできなかったのであるから、求められていることは『現在形』の『宣言』が我々の手で書きなおされなければならない」と。

また、各集会の冒頭の「宣言朗読」は全くの儀式になってしまっているとも。

 

先のおじいさんの発言は蛙の考えとは違うが、民にとって「ヨツ」とか「エタ」とかいう「ことば」がどれほど苛烈な意味を持つものであるか。

前稿で「あかごのやわ肌に押された烙印」と書いたが、この「ことば」に出会う時のショックは計り知れないものがあることをこの発言は物語っている。

解放同盟のリーダー達もまた、運動に出会う以前、その「ことば」に押し潰されそうな想いを持っていたことを表明している。

 

http://rensai.ningenshuppan.com/?eid=140

小林健治氏の「連載差別表現」のバックナンバーでは、「ことば」の問題について何遍となく「の立場」が説明されている。

「などの差別語が侮辱の意思をもって使用された場合は徹底糾弾ということになるが、例えば歴史研究のような場面で使用されることを糾弾するものではない」と。

 

今回の有馬氏の「四つの女の話やろう」という発言は、本人は「差別してやろう」などとは考えていなかったと言っているし、事実、意識的にそのようなものでなかっただろうが、問題は、有馬氏の「認識」が「差別そのもの」であるというところにある。

そうでなければ、「ひとり芝居 しのだづま考」という演目を評して、そのような発言になる訳がない。

中西氏から「発言」の意味を問われた際に、有馬氏は自身、「なぜそのように発言したか、自分のについての認識はどうであったか」真摯に反省をするべきであったのである。

経緯を読んでいただければ分かるように、「問題はややこしい。」とか「出身を騙る」とか「解放同盟は暴力団などと言ってみたり」とか、差別の上になお差別を上塗りするような有様だ。

経緯から分かるように中西氏は解放同盟の話などひとつも出していないのに、この流れのなかで何故「同盟=暴力団」などという発言が出てくるのか。