いかにも悲しい話だが、私たちが手にしている「科学技術文明」のおおよそは「戦争に勝ちぬくために」磨かれてきたものなのだ。
「世界最初の汎用コンピューター」とされるENIACは大砲の弾道計算用として開発をされたものであるし、「宇宙開発」もICBM等の技術開発が根底に置かれていたのだろう。
それらを数え上げればきりがないことになる。
20世紀初頭にアインシュタインによって「特殊相対性理論」が発表をされて後、物理学は大きな前進をみた。大層難しい話だから蛙も大雑把なところを理解しているだけだが、ここではそこで明らかにされたことの内の一つの側面である「E=mc²」の話をしておこうと思う。
広島に投下された原爆の場合、ウランは約50kgで、実際に失われた質量は0.7gだったと言われている。たった0.7gの「質量」が「エネルギー」に変換されて放出されただけで、あれだけのもの凄い惨劇をもたらしたのだ。
「原爆」にしろ「原発」にしろ、その原理は共通していて「核分裂反応」で「失われた質量」に見合う「エネルギー」を利用しているわけだ。
「原発」では、それで「湯を沸かして」タービンを回すというだけのこと、「発電」の仕組みは「火力」と変わるところはない。
「原発」の燃料はウラン235であるが、ウラン鉱石の99%はウラン238で、ウラン235は1%にも満たない。
「原発」燃料としてはウラン235の濃度を5%程度までに濃縮しなければならず、「ウラン型原爆」だと90%以上までの高濃縮が必要となる。
六ヶ所村には「濃縮工場」はあるが必要量を賄うに足るものではなく、ほぼ全量を輸入している。
「原爆」の開発過程や「原発」の事故で、これまでも多くの命が失われてきた。
「放射能」という厄介な代物のせいだ。
それ程にも「核」を取り扱うことは技術的にもたいへん困難な仕事なのだ。
ウラン235は、原子炉内で核分裂をし、放射性ヨウ素・セシウムなどを産み、また一方でウラン238をプルトニウムに変換をする。
今回の福島原発事故では大量の放射性物質が外界に撒き散らされることになった。
チェルノブイリでさえ25年経っても、その被害は継続している。
今回の事故は「それ」を上回るものだったように思われる。
この国の全ての人が被災者なのだ。
今後、注意深く対処していくことが求められているのだろうが、この国の為政者や実質的に支配の根幹を握りしめている階層には、「ひとのいのち」を護ろうという「考え方」はないように見受けられる。
彼らには莫大な蓄財があるのだから、必要となればどこにでも逃げられると考えているのだろう。
「どこにも逃げることができない我々こそが立ち上がらなければならない」、今はそういう時に違いない。
こんなことを考えていて、腹の底からの怒りがこみ上げてくる。