続・蛙独言

ひとりごと

暑いですね。

2012-07-31 10:54:04 | 日記
連日、好天が続くというところだけど、いやぁ、「猛暑日」もこれだけ続くとまいってしまうよね。
もともと「クーラー」は苦手なんで、汗だくなんだけど、蛙んちは「風通し」はいいので、なんとかなっている。
「現役時分」に腰とか膝とか、あちこち痛めたところとか、軽微な自動車事故で右足の靭帯を切った「後遺症」なんかもあって、冷え過ぎると駄目なんだ。
時々、集会とかイベントとかで出かけるけれど、基本的には「お家人間」になってしまった。
暑過ぎると「本」もなかなか読めない。
食事の後片付けと洗濯、掃除、ゴミだし、庭などの草取り、これが日課。
蛙んちの東側はちょっと大きめの公園になっていて、ケヤキとかクス、ニレ、ナンキンハゼ等など、相当な大きさの木がたくさんある。
ウチの庭にはラクウショウとかホルトの大きな木もあるし、サクランボの木も随分な高さになっているから、「緑の中に暮らす」って雰囲気なんで楽しくはあるけれど、これがまたこの時期、蝉の鳴き声がもの凄いことになる。
慣れてしまったから、左程にも思わなくなったが、それにしてもやかましい。
色々な鳥や虫たち、小動物も一杯いっぱい来るので、蛙はそれらを眺めて悦にいってる。
アゲハも何種類も来るし、こないだからタマムシが来たからとても嬉しい気分になった。
タマムシが目の前を飛んでいるのはちょっと見ることは難しいんじゃないかなぁ。
実に綺麗なんだ。

季節の移り変わりをウチの中から愉しめるから、「お家人間」になってしまうのも無理からぬと思う。
ただ、この国の「壊れ方」を思うと、ボーっとしてもいられないけれどね。

福島のこどもたち

2012-07-28 12:44:24 | 日記
昨日、27日は「大飯原発再稼働反対・関電前抗議集会」で大阪に行っていたが、ちょうどこの夜には「明石・たこキャン」の「福島の子どもたち」の保養を目指してという取り組みで、子どもたちが無事、明石に到着したと「明石・たこの会」の稲田さんからメールで報告があった。
楽しい10日間になってほしいと思う。
蛙も、出来る限りのサポートをしていくつもりだ。
今日は「明石公園で遊ぶ」という予定になっているようだから、ちょっと覗いてこよう。
29日には「昼食会」で、「明石・たこ」のメンバーで「食材持ちより」ということになっているのだが、蛙は「女性差別の塊」みたいなもんで、料理というのをしたことがない。
で、ツレアイにお願いをして「シュークリーム」を焼いてもらうことにしている。
「たこキャン」を主宰している小野さんたちにとっては去年に続けて2回目の取り組みなのだ。

福島の子どもたちが置かれている現実、日常的な「被爆」を考えると、「国策」として「疎開」などが考えられていかなければならないと蛙は思うが、去年・今年とボランタリーな「保養の取り組み」が北海道から沖縄まで行われている。
それが実際どのようなものであるか、全体を集約して、恒常的な「保養プログラム」が全国展開されればよいのだが、今のところ、その「集約」の計画は無いようだ。

なんとしても福島の子どもたちの健康が護られていくようなシステムの構築が考えられていかなければならないと、蛙は強く思う。

「脱原発・考」 4

2012-07-24 14:02:38 | 日記
「原発」についてもう少し書いておこうと思うのだけど、書き始めると「宮武外骨」ばりに「頭が爆発」してしまって一向に筆が前に進まないんだね。
それに、物理学的な知識も基礎的なことは「ある」方だと思うけれど今回の「事故」の詳細は「具体的なことはひとつも分からない」のだから仕方がないということもある。

基本的には、「冷戦構造」の中でアメリカの意向に沿う形で出発をした「原子力行政」であったわけで、石波などが正直に言っているように、「核兵器を持つ潜在的な能力の保持が抑止力として必要なのだ」ということもあったと思われる。

「電気がなければ困るでしょ」なんてのは全くの嘘っぱちなんだね。
原発が無ければ無いで電気は必要な程度には供給・維持できてたんだ。
「原発は発電中に二酸化炭素を排出することがない」なんてのも「子供だまし」な話で、成程「核分裂エネルギーで湯を沸かす」んだから、その時点ではそうかも知れないが、ウラン原鉱採掘から精製、濃縮、その輸送、原子炉建設などなど、相当な「CO2」は排出されるわけだ。

普通、企業が「設備」を持ち、それを稼働させて、製品を作るという時、いつまでもその「設備」があるわけではないから「減価償却」ということを考え合わせるけれど、電力会社の場合、「廃炉」から「更新」の費用は計算されていない。
また、事業運営で考慮される事故を想定して「保険」がかけられるのも普通だろうが、「原発」の場合、そんなものも計算に入っていない。
「原発」と他の発電方式とを比較して「安価」であるというのも、計算自体にインチキがあるんだね。

結局、企業経営者側も政治家も「アメリカの言いなり」にことをすすめておれば、金儲けはしたい放題だってことで「ここ」まで来てしまった。
「国策」だってわけだから、なんか困ったことがありゃぁ「国の責任」やし、穴埋めも「税金」なんやし、「わしゃ知らんがな」って話なんやね。

そりゃ「頭、爆発するよッ!」。
くっそたれがッ!

今日は疲れた

2012-07-20 21:25:51 | 日記
今日は朝から強烈な雷と雨ということで予定が消化できるかどうか危ぶまれたのだけれど、なんとか昼過ぎには持ち直したので、三宮まで出かけた。
考えていたのは、「脱原発」行動で神戸市役所と兵庫県庁にそれぞれ申し入れをして6時からは関電神戸支店前での「大飯再稼働抗議」集会に参加するということだった。
「脱原発・明石たこの会」の岩村さんから「行きましょうよ」というお誘いもあったからだが、来週、「関電大阪支店前行動」に参加する予定もしていたものだから、早朝来の雷雨でちょっとくじけそうな気分だったのだ。
ところがである。
三宮のホームでバッタリ神谷先生に出くわして「びっくりやねぇ。これからどちらへ?」とお聞きしたところ、「兵庫在日人権協会」プラス「兵庫在日韓国朝鮮人教育を考える会」の「神戸市総合交渉」に出られるとのこと。
そう言えば、ずっと前にこの「案内」をいただいていたような気がするが、すっかり失念をしていた。
2時前に岩村さんが到着をされたので、事情を説明して「明日の『たこ』の会には行きますよ」ということで、「総合交渉」の方にまわったのだ。
事前に「申し入れ書」を提出していて、前半は市長部局、後半は教育委員会の「回答」を聞くわけだが、今回初めて「文書回答」がなされたようで、「回答集会当日配布」だから、「大きな前進」とは言えない。
細かなことは藤川先生や小西先生がfacebookにUPしてくださるだろうから、そちらにおまかせするとして、基本的には「相当改善された部分」もありながら、懸念されることも数多くあるということだ。
今回の「外国人管理?」の全面改定が「どんな悪影響をおよぼすか」という辺りも気になるところ。
ことに「外国にルーツを持つこども」の人権が護られていく道筋がもっと丁寧に用意されていかなければならない。

予定では5時終了であったから、その後、軽く食事をして、「関電前」にまわるつもりだったのだが、教育委員会交渉の最後に「ハンユチ先生」の問題で、教委側がとんでもないウソを言ったものだから、紛糾してしまって、1時間ばかりロス。
すっかり疲れてしまって、雨も降りだしたものだから、「関電前」はパスということになってしまった。

これ、書いてても「まぶた」がさがってきて、こりゃもう駄目だわ。

「脱原発・考」 3

2012-07-19 21:07:03 | 日記
「東海村に原子の火ともる。」
1957年、蛙は小学6年だった。
細部までは覚えていないが「原子力の平和利用」で「未来はバラ色」のように言われ、蛙もまた「科学少年」であろうと決意した日でもある。(「科学者」への夢は挫折ということになったが、それはそれで良かった。)
こどもだったこともあるが、国策として「アメリカ追随」として戦後一貫して取られてきた「レール」の上を走って来ただけのことだったことや、湯川秀樹博士が「原子力政策」の拙速を批判されていたことなど知る由も無かった。
この時、「原子炉」のボタンを押した正力松太郎という人物がどんな人間であるか、後に知ることになる。
全くのペテンだったのだ。
正力はA級戦犯に問われた人物であり、推量するにこの時、アメリカに魂を売って生き延び、その後もCIAと協力をしながら「この国の進路」を「支配層の思うままに」そして民衆を地獄へ引きずり込んでいった張本人と言わなければならない。
正力は「原子力の父」とも呼ばれているのだそうだ。
関東大震災の折の「朝鮮人虐殺」の最大の責任者だったことも考え合わせておかなければならない。

「脱原発」という思想は、それだから単に「原子力発電から撤退しよう」というものではあり得ない。
「この国の支配層」の思惑を根本から否定しようという運動として現実化されなければならないものなのだ。
なりふり構わず、野田が猪突猛進するかのような政策に邁進するのは、支配層にとって、ことは「その根本」に関わっているのだという徹底的な自覚があるからなのだ。

ただ、多くの人々は「ここで変われなければいつ変わることができるか分からない」という決定的な想いをもって立ちあがってきている。

「正義は我々の側にある」
「地獄への道筋を選ぶわけにはいかない」

民衆の蜂起は必ず勝利に結び付けられなければならない。