だいたい、いつ頃に「」であることを感得するのか、そんな統計がある訳も無いのだから、「あてずっぽう」ということになる。
子どもであるからして、「」とか「差別」とか、そういう概念がまだない時機である。
蛙の場合は小学校低学年の頃から「自分のムラが他所の人から忌避排除されているらしい」ということは分かっていた。
家族から言われたことではないから、友人から得た情報だったと思う。
印象に残っている言葉がある。
「お前、ムラ、丸出しやなぁ!」
しっかりした考えがあってのことではなかったろうが、小さいながらも蛙は自己の存在に自信を持っていた風で、「誰からも後ろ指差されることなど何ひとつない」、それだから自身の居住地域を隠そうなどと思ったことがなかった。
友人がどういう風にしてそういう意識を持つようになったかはさだかではないが、「外」では「隠さなければならないこと」と考えていたようだ。
友人たちの家は、いかにも貧しい、生活も苦しい状況であったから、そんな意識に囚われていたのも考えれば無理からぬことだったのかも知れない。
ツレアイに聞いた話では、親戚中が寄り集まって談話する場面で、「どこそこの誰々が結婚差別にあって厭な想いをしたようだ」ということが、それとなく、子どもの折から聞かされて育ったという。
その時代にあっては「大金持ち」ではなかったが、それなりに裕福な家庭で育っている。
テレビなどもまだ一般的に普及する前の時代で、ムラでは何台か、僅かに所持されていて、プロレスの力道山の試合中継などの時は、蛙のウチは米屋だったから、店先に出してたくさんの人が観にきていたものだ。
蛙が通学した小学校は、の子だけが通う、所謂「部落学校」で、この時期では、全国的にも珍しく、西宮とウチだけだった。
小学校時代は学校図書館の本を全部読んでしまおうかという具合だった。
同級生はそもそも勉強をしようという環境になかったようだから、勿論、首席ということになる。
蛙は「ムラのエリート」として育ったのだ。
ずっと後になって、古い成績表を見ることがあって、父親や母親もまた、尋常小学校で首席だったことが分かった。