ながながと書いてきたので、ここいらで「まとめ」をと思っているが、その前に蛇足をひとつ。
「テアトロ」という雑誌をパラパラめくっていて、「PLAY GUIDE」というページに目がとまった。
5月~6月の公演案内なのだが、そこに「マームとジプシー」という語句が書かれていた。
「それ」はどうやら劇団の名前らしい。
ネットで検索してみたところ、2007年から出発をしているようだ。
「ジプシーキング」のように古くからある楽団ならばともかく、最近に設立された劇団が「差別用語」である「ジプシー」を劇団名に選んだことは「人権感覚」の無さを指摘されても仕方あるまい。
「あらゆる差別に反対」している「全国演鑑連」が「このこと」を放置しているのはどういうことだろうか。
中西氏の抗議に対してそのように言ってはみたが、「あらゆる差別に反対する」という立場が口先だけのことに過ぎないということが分かろうというものだ。
それはともかく、「しのだづま考・応援団」の運動の進め方であるが、一番大切なことは、この問題を可能な限り広く、多くの人々に報せていくことだと蛙は思う。
第二には、「しのだづま考」の公演をなんとか、数多く実現していくことではないだろうか。
その上で、「全国演鑑連」との対応を粘り強く続けていく。
現状のままで「全国演鑑連」と強く対決していく路線は好ましいことではないと蛙は思う。
それはそのまま「生身のままで」共産党と対決していくということになるからだ。
「いや、それでも共産党と対決していけばいいのだ」という意見も多かろう。
口惜しいけれど、「応援団」側の力はまだまだ小さい。
例えば、辛淑玉さんが野中弘務氏との対談をもとに上梓した「差別と日本人」であるが、この時、共産党とその支持者から辛さんはもの凄いバッシングを受けている。
この「本」については蛙はあまり高く評価はしていない。
何故かなら、「解放同盟」をあまりに美化しすぎていることと、野中弘務を高く評価するといった誤解をうんだからだ。
確かに「問題の本質を理解する」、その一助になるという意味では、もっと読まれていいとは思うが。
「全解連」は当時、その機関紙で2ページ全面を使って口汚く罵っていたし、共産党支持者からは「辛さんを信じていたのに」などと絶縁宣言が出されたりもしたようだ。
彼女には相当堪えたと聞いている。
けれども、そのあと、彼女は彼女の道をまっすぐに歩き続け、多くの人々からの支持を集め続けてきている。
「うちのめされる度に強くなっていく」、そうでなければ「生きては行けない」、辛さんの場合はそのようであったろう。
翻って考えてみるに「応援団」の力は、まだ、あまりに弱過ぎると蛙には思える。
それが蛙の誤解ということであればいいのだが。