続・蛙独言

ひとりごと

ブーさんのコメントですが...

2009-12-30 19:25:37 | 日記
ブーさんから立花町のことで、「どう思う?」って話があったので、ちょっと。

法期限前、数はそんなには多くは無かったと思うけど、「運動の停滞を克服したい」みたいな動機で「自作自演」の「落書き」なんてありました。
日共は、皆、「同盟の自作自演」みたぁに言ってたけど、どちらかと言えば、行政マンが「が終われば自分の職場が無くなってしまうのでは」といった不安からのことがあったように思います。

今度のケースは、蛙はとても悲しい気持ですね。
勿論、許すことなどできないけど、「彼」は「非常勤」というか「いつ辞めさせられるか分からない不安定な立場」だったようですから、気持は分からんではない。
でも、それやっちゃいけんでしょう。

「同盟の公式見解」ということになれば、突っ込んだ「心情」までは書けないよね。
それにしても実に残念な事件ではありました。

ということで。

ちょっと疲れてるかなぁ。

2009-12-30 17:49:47 | 日記
明日一日で、本年も終わりですねぇ。
蛙の仕事は、クリーンセンター(ゴミ焼却工場)なんで、これが31日一杯まで要勤務。
重労働じゃないけど、ちと疲れてます。

で、ブログの方も「年明け」まで「お休み」です。
以降も、ご贔屓をお願いします。

皆さんにとって、新しい年が「よいもの」となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

    蛙拝

「同盟」の現在を考える 4

2009-12-27 17:52:39 | 日記
震災からの教訓は汲めども尽きないものがあるけれど、論旨から外れることは省いておこう。
一等重要と蛙が考えることは、「同盟」の組織構造だ。
例えれば、「幕藩体制」に似ているかも知れない。
一応、「中心」はあるけれど、それぞれの「下部組織」との関係は非常に緩やかなものになっている。
「フレキシブル」と言えばカッコえぇんだけど、「アナーキー」とも言えるだろう。
「ここ」に乗じてする「不祥事」の多発は、この「組織構造」に由来していると蛙は考えている。
余程のことが無い限り「上」からの「指令」を守らないからといって「罰則」なんてものはないのだ。
この「柔構造」は「震災」のような「危機的状況」で「その力」を存分に発揮する。
皆が皆、「それ行けッ!」って具合に。
ここでは「共通する運命に定められた同胞意識」が根底にある。
それは「幻想に過ぎない」と蛙は考えるが、そのようなものとしての「共通感覚」は事実として存在している。
それは「差別者によってつくられ、それへの対抗として現出する感覚」なのだろうと蛙は思う。

次に蛙が思うことは「この国はあまりに豊かに過ぎる」ということだ。
震災当時、被災地には「余りかえる程」に「救援物資」は集中された。
その配分には相当の苦労を要したのだ。
実感として、この国の現在が「豊かなもの」という蛙の表現は誰もが疑問符をつけるに違いない。
去年の「派遣村」を見よッ!
3万人を下らない毎年の自殺者の現実を知らぬとは言わせぬッ!
それはそうだ。
それはそうに違いないが、「派遣村」に集まった人々に、或いは、「3万人を超える」という自殺者に、それを支える恒常的な「組織」はあっただろうか。
湯浅君たちの努力や、「自殺防止最前線」で頑張っておられる人々の取り組みには頭が下がるが、この「苦悩の底」にある人々が結集できる、そういう組織が無いということが決定的なのだと蛙は思う。
敢えて言おう。
この国の豊かさは中途半端なものではない。
問題は「富の配分」を徹底的して考えなおされなければならないということなのだ。
鳩山君の資産の大きさにはびっくりさせられたが、民衆の側には「闘う組織」が無いということを強調しておかなければならない。
多分、そういう仕事は、同盟の力量を超えているだろう。
ただ、「組織」というものの「危険性」に充分留意しながら、それでも「対抗する、『怒り』によって武装された組織」を民衆が持つことができなければ「未来」を引き寄せることなど不可能なのだと蛙は考える。

「同盟」の現在を考える 3

2009-12-27 12:45:24 | 日記
時をおかず、広島県連からは小森さんが若いメンバーを引き連れて長田の事務所まで、また、近畿の各府県連の書記次長・青年部長クラスの、現在、それぞれのところで運動の中心を担っている人たちが県連事務所まで「救援計画」打ち合わせということで飛んできてくれた。
「水も火も無い、何にも無い」ところでの「自己完結型」という方式での「炊き出し」を中心にする作戦がここで策定をされた。
一つひとつの場面で「全て」が円滑に実施されるように、蛙は可能な限り「現場に居合わせる」ようにした。
全体、指揮系統というものは無かったのだから、「同じ避難所」に別のグループからの「1000食の炊き出し」とバッティングするということもあったが、その際「それをどこに振るか」というような作業もこなしてきた。
ちょうど、「仮出獄」の実現ということもあったから、石川一雄さんも、この「救援活動」に参加してくれたりもした。
全国の「同盟」のたくさんの仲間と蛙は、知りあう機会になったから、よかったと思う。
誰からも褒められることはなかったけれど、この経験は蛙にとって貴重な財産になった。
当時書いた雑文に「宣言に書かれてあることが、現に今、目の前で進行している。このことは『運動の一ページ』に『金文字』で書かれるべきことだろう」というように記している。
長い分厚い「救援活動」はそれなりな成果を上げたが、同盟・神戸の悪戦苦闘にも拘らず「生活の復旧・復興」までは捗々しいものとはならなかった。
15年目を迎えるにあたっても困難は持続している。
それ程にも「」が抱える「脆弱性」は重い。

ひとつのエピソードであるが、近畿の青年たちの「支援活動打ち合わせ」の席で、「俺らの努力がキチンとムラの人に届くんやろか。俺らを差別してきた連中を助けてやるなんてのは気にいらんよなぁ」なんて話も出た。
古い活動家からも、この「救援活動」に際しては「重大で急を要するような献血が求められた折にもが応じた『血』は廃棄されたことがあったんだから今回も厭なことになりはしないか」というような発言もあった。
「救援物資」にしても「炊き出し」にしても「の人」だけに届けることはできない。
「オフレコ」の場面だから「ホンネ」の吐露なんだろう。
一つひとつの「物資」の段ボール箱には「兄弟姉妹のみなさん、負けないでっ!」というようなメッセージが貼られていたし、どの「炊き出し」の場面でも「荊冠旗」が高々と掲げられて行われている。
「同盟」の行動がどんな風に人々に届いたかは誰にも分からない。
ただ、蛙は、「自分たちの想いを届けることができた」ことだけで十分だったと思うのだ。

「同盟」の現在を考える 2

2009-12-26 18:02:38 | 日記
「解放同盟の現在を考える」ということで「震災」の話から始めたのは、実際、蛙の「活動」の「それなりな全面展開」の「最初」で「原点」みたぁだったと思ってるってこともあるし、「同盟の存在意義」が最もよく発揮された場面だったとも思うからだね。

神戸に一番にやって来たのは「朝総連」のバイク部隊だったって話も後日に聞いた。
広域暴力団「山口組」も、その「本家」が神戸にあるんだから組織的な対応も最も迅速で規模の大きいものだったんだ。
あれは19日の晩だったと思うけど、「大阪府連」からの救援隊が10トントラック数台を含む無茶苦茶な台数の車を生田川ランプに並べたことがあった。
その先頭から最後尾まで、蛙は歩きながら胸の震えがとまらなかったことを思い出す。
で、ちょうど同じその時、あの真っ黒な「街宣車」も「三宮そごう」を先頭にズラッと並んだってこともあった。
「官制の団体」などは「動き」は悪いけど、こういう「組織」の「在り様」を考えれば、内容はどうあれ、「求められるスピード」を筆頭に「事態に対応する能力」という点で、「組織」とはどんな構造で無ければならないか、おおきな教訓になるだろうと蛙は考える。
これは「後知恵」。

「和歌山県連」から一番に長田に入った部隊は、長田公民館前で「あつあつのコロッケ」2万個をあげて「被災住民」に提供したという。これも「地元」の誘導無しには円滑にはいかなかった筈だが、滝野君を中心に長田の同盟のメンバーが大きな役割を担ってくれたようだ。優れた「救援計画」も「受け入れ態勢」がなければ有効には働かない。
ここには蛙はいなかった。

「大阪府連」の救援部隊を「どこへどう配置するか」、誰も指揮する者がいなかった。
「できることがあれば何でもしよう」と思って蛙は、たまたま県連事務所に「おった」んだけど、神戸の同盟員の中心メンバーは皆「自分のところで手いっぱい」だったのだから、しょうこと無しに「その指揮」を蛙が引き受けることになる。
「受け入れ態勢」の重要性について思い知らされたから、この後、蛙は「自らすすんでその仕事を引き受けていこう」と決心する。
これはたいへんな決断だった。
何故って、「本職」には「出ず」ということになるから、「クビ」を覚悟ということだったんだから。
この時、神戸市職員で「避難所担当」として派遣された人はたくさんいたが、「辞令交付」などという「しち面倒くさい」ことはすっ飛ばして、「能力と意欲」という「配置」があった。
たぶん、蛙が「クビ」にならなかったのは、そういう「流れ」があずかって力になったからだろう。