続・蛙独言

ひとりごと

その七

2013-07-26 08:38:44 | 日記
「仮設社」から出ている「差別と迷信」という本がある。
蛙は相当面白いと思ったが、中尾という人だったか、「史料の扱い方が出鱈目だ」みたいな批判をされていたようだ。
比較される史料が比較対象としては「学問的」には問題があるといったような趣旨であったかと思うが、蛙には「たいした問題ではない」と思えたのだが。
そのあたりは、是非、御一読いただいて、それぞれに考えていただければよいと思う。
蛙が「この本」を読んでびっくりしたことは「丙午(ひのえうま)」についての話だ。
「丙午」にあたる年には大きく出生率が下がることは知られているが、1906年(明治39年)と1966年(昭和41年)の出生率が比較されている。
1906年の場合、出生率が下がったのは東京・京都・大阪など「大都市圏」だけであったのがそれから60年後の1966年には全国的な展開になる。
普通、文明が進めば迷妄は霧消するように考えられがちだが、実際はそうはならないのだ。
科学技術の発展が普通の人間の理解を越えて超スピードで進行する世界にあっては、人間の「内側」の「心の闇」は一層深まるばかりであるのは必然のことなのだと蛙は思う。
アメリカでも、カールセーガンも言っているが、オカルトや神秘主義が人々を大きく捉えている。
「丙午」迷信についてのwiki記事は下記の通り。コメント欄に貼り付けておくのでそこからジャンプして読んでおいていただきたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%99%E5%8D%88
記事では、そういう迷信は「薄まりつつある」と結ばれているが、何をもってそのように結論付けられるのだろうか。
次回は2026年ということになるが、是非長生きをして結果を見てみたいと思っている。
差別も同じ構造だと蛙は思う。
「丙午」産まれの女性について「誰もなに程も知らないのに勝手に作り上げられた情念が多くの人を支配している」ということだ。
被差別もまた「誰もなに程も知らないのに勝手に作り上げられた情念が多くの人を支配している」ということになる。

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。