続・蛙独言

ひとりごと

当分の間

2011-03-29 21:19:50 | 日記
ただ今、蛙は「失語症」に陥っております。
勿論、東北関東大震災と原発事故の故であります。
怒りと哀しみと、大したこともできない苛立ちで「脳みそ」が爆発しています。
何度も「何か書かなければ」とパソコンに向かったのでしたが、更新をすることができません。
当分の間、ブログを休止し、ひたすら祈ろうと思っております。
なんとか、早く、原発事故が終息に向かいますように、被災地の人々に一刻も早く元気がもどりますように....

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。


思うことが多すぎて

2011-03-22 20:15:21 | 日記
彼岸だというのに、まだまだ寒い日は続く。
地震の被災地は「寒の戻り」に震えながら、なお一層の苦悩が増すばかりのようだ。
それはそうだろう、僅かな希望の在り処さえ見えないというのであるから…
村井君たち、被災地NGOの先遣隊は、いつものことだけれど、一番に現地に入って「何が求められているか・何ができるか」そういう情報を収集中ということであるらしい。
一報では「宮崎・新萌岳」の火山爆発の被害を受けた地域の農産物を「多くの人々に買ってもらって」そいつを地震被災地に送り届けようというプロジェクトが始動しているようだ。

思うことはあまりに多すぎる。
蛙自身は「反原発運動」に直接的に関ってはこなかったが、多くの友人たちがこれまで随分な努力を払ってきたことはよく知っている。何十年も前から「地震国たる我が国」に「原発がどれ程危険なものであるか」は言われ尽くされてきている。
そして、そのことは、はしなくもこの度の地震によって「証明」をされてしまった。
「悲憤慷慨」というところか。

「真実」が必ずしも「全人」に支持されるとは限らない。
なんとなれば「情報の根幹」を握っているのは「支配階級」の側であるからだ。
東電にしろ関電にしろそれぞれの電源会社が「原発」について、これまで「全ての情報」を開示してきたかのかどうか、蛙は知らない。
今回の話では「想定の範囲以上」などといわれるが、スマトラ沖地震など、「震度9以上の地震」とか「とんでもない津波被害」は頻発をしていたのだから、IAEAからはその「想定の範囲」自体に疑問が付され、「対地震・津波対策」の「この国の対応策の不備」が強く指摘をされてきている。
今は、言ってみても始まらない「批判」や「非難」をおいておいて、とりあえず「求められる行動」に集中をしながら、中長期的なスタンスで「為すべき課題」について、これまでの「反原発運動」の踏み越えられなかった「限界」を「どのように超えていくか」、熟慮が求められているのだろうと蛙は思う。
基本は「原発はもう止めよう」ということ、それが「全人民的な理解」として「納得される」、そういう状況を作れるかどうかということ、目指されるべきことはそういうことであるのだろう。

思うことはあまりに多すぎる。
北アフリカについても、確かにあまりに長く続いた「独裁体制」が「崩壊」していくことは「理の当然」ということはあるだろう。
けれども「今」の「流れ」が正当なものであるかどうか、蛙には「それ」が分からない。
一般的にいって、「民衆の蜂起」は蛙の支持するところではあるが、アメリカを初め欧州の帝国主義的動向がこれらの事態を主導しているのではないかという疑念は拭えない。
「一切」が明らかになるには、更なる「時間」がかかるのではなかろうか。
いづれにしろ犠牲になるのはいつも圧倒的な民衆であるということに暗澹たる想いを禁じ得ない。

黒川みどりが新しい「本」を出したので読んでみたが、とりたてて注目すべきものではなかった。
明治から現在までの「被差別」に係わる諸問題を概括整理するという点では一定評価できるかも知れないが、藤田啓一の評価など、疑問な点は多くある。
彼女に対する批判というよりは、それを「きっかけ」として、現時点での「解放運動」について、これまでの「蛙の見解」の展開を繰り返すという形で、この後、すこし「シリーズ」として何本か書いておこうと思う。

原発

2011-03-15 18:46:17 | 日記
無茶苦茶、心配な状況になってきているみたいだ。
テレビの報道は、人々をパニックに落とし込めないためにということなのだろうけれど、「大丈夫、大丈夫ッ!」を繰り返しながら、その舌の根も乾かない内に更に厳しい変化が起きていること、それも立て続けに、という具合で、背筋が寒くなる。
最悪の事態を避けるために、現場では作業員が必死の作業を続けているはずだが、その内容は知らされることがない。
東電の社員は「高みの見物」で、地元で採用された「原発の何たるか」も知らない下請けの非正規労働者が最前線に送り込まれているのではないのか。
作業員は被曝を避けるために「何分単位」で交代しなければならない筈だが、現場はどうなっているのか。
第3号炉は、プルサーマル炉でプルトニウムを含むMOX燃料が使われていることは報道されているのか。

東電の対応が、それだから政府の対応もそうだが、後手後手に回るところを見れば、事態は最悪のものになりかねないのではなかろうか。

「原子力資料情報室」のページをしっかりチェックしておこう。
http://cnic.jp/
(コメント欄にもこのアドレスを貼り付けておきますから、そこからジャンプできます。)

なんということか

2011-03-14 19:58:00 | 日記
自然の「移ろい」は「人間世界の都合」などとは無関係に流れていくようだ。
我が家のサクラは早咲きで、もうほころび始めている。
彼岸の中日には満開になっているだろう。

なんとも悲しい春になりそうだ。
東北大地震の実相は未だその全貌さえ明らかになっていない。
M9.0に修正をされた地震規模。
阪神淡路の何層倍かのものであるらしい。
今回は地震そのものよりも「津波」による被害が決定的だった。
テレビの映像で「町そのもの」が波に飲み込まれていく様子が映し出されている。
亡くなられた人々は十万人単位になるのだろうか。

あちこちで早速の「支援カンパ」の行動を見受ける。
同盟でも既に支援・救援活動の計画が提案されているようだ。

けれども蛙が思うに今回の「災害」への対応策は桁はずれなものが要求されているのではなかろうか。
思いつきで言えば、例えば十兆円規模の「復興国債」。
ただでさえ「財政」が逼迫しておるのであるから、夢物語かもしれないが、生半可な「対策」で切り抜けることなどできはしないのではなかろうか。

もうひとつ。
「原発はもうやめよう」ということも、是非「国民的コンセンサス」を取り付けていかなければならないと思う。

<南無阿弥陀仏>

2011-03-12 18:55:40 | 日記
テレビの画面には凄まじいばかりの状況が映し出され見る者の心を際限の無い奈落に落とし込んでいく。
身体(からだ)は寒々と凍えて硬直をし、涙は止まることがない。
95年の震災の折には、蛙にはまだ体力もあったから、救援・復興の場面でそれなりな頑張りも為し得たが、65にもなってしまって何も出来そうもなく、ただただ祈るばかりのように思われる。
隔絶した地点からは「地獄」を見るようだ。
あれから僅か16年の間に、幾つもの地震があった。
人間の「文明」などというものが、いかにたわいも無いものであるか、あらためて思い知らされる。
私たちが立っている「場所」は「砂上」であり、築いているものは「頼りも無い楼閣」に過ぎないのだ。
自然に対する「畏れ」を今さらながらに思う。
観測史上最大、M8.8規模で世界的にみても最大級の地震だった。
このような場面でも、何よりもまず「家族」や「知己」の消息を心配するのは「人情として」致し方ないことではあるだろう。
取り敢えず、関東在の「家族・友人」の無事は確認できている。
それで「ほっと」してしまうのもいかがなものかとも思われるが….
ところで、九段会館でも「天井の崩落」で死者もでたという話があったけれど、ちょうど一週間前には、同盟の全国大会で蛙はその場所に座っていたんだねぇ。
地震がもう一週間前だったら、蛙も鬼籍に入っていたかも知れない。
生命(いのち)など、いつどうなるか、誰にも分かりはしない。
今はただ、阿弥陀仏の名を呼んでみるほかに蛙の為すべきことは無いのかも知れない。
<南無阿弥陀仏>