続・蛙独言

ひとりごと

その十二

2013-10-25 10:49:25 | 日記
「人権」とか「問題」とかのテーマでfacebookの方の「やりとり」があって、浦本さんが以下のように書かれていたのですが、蛙の考えと同じようなので引用をします。
( )内は蛙が追加したものです。

<私は(差別問題について大切なことは)知ることだと思います。ようするに族でも、種でもなんでもいいけど、要するに具体的に知ることです。
 例えば、私は民ですけど、のルーツなんか知らないし(部落史研究者でありながら)全く関心がない。なぜかと言うと、私の中でというのは、あくまで自分が生きてきた人生であって、歴史や文化、あるいはイデオロギーじゃないからです。僕にとっては、ものすご〜く具体的な自分の体験であり、自分の人生の思い出の一つ一つなんですね。だから、それが遡ったらどうだこうだとか、そもそもルーツは何だとか、全くどうでもいい。ただ、自分がこれほど具体的に係わってきたものを、少なくとも踏みつけられたくないし、軽く無視もされたくない。なぜって、そうされたらそれは私の人生そのものの根本的な否定だから。
 人間って、一人一人違うでしょう? 同じ人生は一つとしてないですよね?
 だから、私たちは違うんだってことをもっと大切に考えなくてはいけないと思うし、全ての人生について、学ぶんだ、知るんだ、っていう気持ちをなくしたらダメなんだと思うんです。「全てのものは違う。そして、およそこの世にあることで、『知らない』と言ってすましてよいことなんかただの一つもない」というのが、私が48年間生きて来て得た最後の結論ですね。>

「差別」という言葉は仏教用語からきていて、その場合は「シャベツ」と読むようですが、その意味では「森羅万象、全て存在するものはそれ自身として輝いている独立した存在である」ということになります。
コインの裏表というような関係で「平等」というのがあって、「真理に照らしてみれば、それらは皆、同等に大切な存在なのである」ということになる。
金子みすず風にいえば「みんなちがって みんないい」って話になるのかなぁ。

蛙も浦本さんと同じく「被差別民」なわけですが、彼の場合「連続大量差別はがき事件」という本を読んでいただくとどれほど凄まじい差別攻撃がなされ、どのように解決が目指されてきたかが分かります。
一般に、それぞれの「民」にとって「差別と出会う」場面にはおおきな軽重の差がありますが、その「個人」にとっては、やりきれない程に、とても重いものなのです。
蛙の場合、今思えばたったそれだけのことで、などと思ったりもするのですが、やっぱり「死のう」と思った日がありました。
当時は「問題」についてしっかりした考えもなく、ただただ、うろたえるばかりでした。もう半世紀も前になりますが。

差別する側は、「何も知らないで皆がそう言っているから」くらいなのです。
「こんな悪いことをするのは民に違いない」などと考えて、酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)事件の少年Aやオームの麻原なども、実際には何の関係もないのにが引き合いに出されたりもしました。

結局のところ、人がお互いを尊敬しあい、お互いを大切にしていく、そういうことが当たり前なこととして生きていく態度に皆がなれば、差別問題など雲散霧消するに違いありません。

それが何故、そのようにならないか、引き続き、このブログで考えていきたいと思っています。

「のりこえネット」

2013-10-23 10:08:56 | 日記
21日 月曜日の夕方から、神戸・元町で辛淑玉さんのお話があるというので出かけた。
「在特会」などのあまりに酷い「ヘイトスピーチ」に対抗する動きは色々とあるようだが、辛さんをはじめ著名な人々の呼びかけで「のりこえネット」という団体を立ち上げ、積極的な活動を展開していくという。
「賛同人」への参加が求められてもいる。
23日の神戸新聞朝刊にも「記事」が掲載されている。
「のりこえ・・」のHPは以下の通り。
http://www.norikoenet.org/
(コメント欄に貼り付けておくので、そちらからアクセスしてください)

蛙は現況のようなレイシズムの跳梁に腹の底からの怒りで身も心も震えるばかりだが、何の対抗策も取り組めてはこなかった。
全体的な視点からの分析も不十分だったと思う。

冒頭、見るに耐えられないような「在特会」の蛮行のビデオが15分ばかり流された後、辛さんは「バイトテロ」について話し始められた。
「バイトテロ」などという言葉を蛙は知らなかったのだが、その「事実」は知っていた。
「バイトテロ」で検索してみるとどういう状況になっているか、よく分かった。
バイト先のコンビニや飲食店が廃業に追い込まれるようなたいへんなことになっている。
これらの行為をする若い人たちにとっては、単純な「悪ふざけ」なのかも知れないが、「その意味」が一時代前とは違ってきているというのだ。
以前であれば、自身の将来を危うくするような馬鹿げた「悪戯」には歯止めがかかっていたが、今の若者には未来がない。
バイトを馘になればまた次のを探せばいいという風にも考えられているようだが、ここにあるのは「決して安定的な仕事に就くことができない」し「結婚なども考えられない」という絶望感なのだ。
公務員や大企業の正規労働者などに対する「憎悪」が充満している。

時代の右傾化は、この「憎しみ」によって支えられている。

この国は「天皇制」を克服することができなかったが、それを支えにする「上からのレイシズム」とこうした「下からの、草の根レイシズム」がぴったり符合してする、最悪のシステムが完成されようとしている。

「のりこえネット」はこうした流れに抗して「風穴」を開けようとするものなのだ。

講演の前に少し時間があったので、ハンドルネーム「ヲ茶会」=Yさんと辛さんと三人でコーヒーを頂きながら少し話ができた。
Yさんは「解放同盟」や野中広務に幾分かの期待感を言われていたが、蛙は「それは誤解だよ」と言っておいた。
公式には「民族差別」に反対することはする。
差別に対してのみ、そしてそれが「身に降りかかる火の粉」である場合には何をおいても厳しく反応するが、それ以外には決して動こうとはしない。
そういう組織であり、野中などもそういう人なのだ。
現にこの集会に、蛙以外、同盟からの参加は皆無だった。

辛さんはこの「立ち上げ」以降、それまでもそうだったろうが、更にとんでもない忙しさになっているようだ。
講演は元気にこなされてはいたが、実は彼女の体はたいそう痛んでいるようで、蛙は酷く心配をしている。
「泳ぎ続けていないと死んでしまう」マグロみたいだなんて思ったりもする。

蛙の心配が杞憂であることを祈るばかりだ。

三叉神経痛

2013-10-14 11:40:13 | 日記
蛙は医者にかかるのは嫌いなので滅多には行かないのだが、「痛い」ってのには敵わないから、たまに歯医者さんに行くくらいなんだけどね。
今は「三叉神経痛」ということで「脳神経外科」に受診している。
2010年にも同じ病気で別のお医者さんにかかっていて、MRIを期間をおいて何度か撮ってもらったりしたので、この「病気」については色々と調べたりもして少しは理解をしているつもりだった。
その時、「脳を手術・切開して『原因』になっている個所を取り除きましょう」という風に言われたものだから、恐ろしくなって通院を辞めてしまった。
その後、左程ゆう程もなく症状は安定をして「痛む」ことも殆ど無くなっていた。
「医者ってぇのは、特に外科医は、自分の技術力UPのために手術をしたがるもんだ」などと思ったりしていたわけだ。
で、今回。
夜、寝ようかという段になると激しく「電撃痛」が右頬から右あご下を突き抜けて、とても眠れる状態ではなかったので、一番近い「脳神経外科」を受診したわけだ。
ここは小さな開業医だからMRIはなくてCTで写真を撮った。
3年前の画像と比較しながら、「特に肥大化はしていないようだが、念のため、大きい病院でMRIを撮ってもらいましょう」ということになっている。
「テグレトール」という薬を処方してもらっているが、確かに「痛み止め」としての効果はある。
けれど、続けていると「副作用」もあるようだ。
まず「眠い」のが一番だ。
この薬は、神経の結節部、シナプスに働きかけて、「ナトリウムチャンネル」を遮断するらしい。シナプスのところで伝達物質であるサイトカインを抑えるようだ。
で、確かに痛みはとまる。
三叉神経系だけに働いてくれればいいのだが、そうはいかない。
全てのシナプスで同様の作用があるわけで、全体の筋肉がだるかったり痛かったりするし、ふらふらしたりするので、痛みが酷い時にだけ服用するように今はしている。
MRIの画像を見ながら、説明を受けたが、自分の脳味噌を色んな角度で切ったりして見ることができるのは実に不思議な気分になる。
左側の三叉神経が脳から出ていくところはまっすぐになっていて問題はないのだが、右側は「何か」が三叉神経を押していてグニャリと曲がってしまっている。
これが原因なのだそうだ。
この「何か」だが、「類上皮のう胞」だろうと思われるが、「画像」で見る限り「違うかも知れない」と、今回の医者は言っている。
悪性の腫瘍ではないらしい。
経過観察中ということで、このまま治まってしまう可能性もあるが、しつこく痛みが続くようであれば手術ということになる。
「手術」にも色々のパターンがあるようだし、必ず治るかといえばそうでもない場合もあるというし、全身麻酔の開頭手術なんだから、リスクもある。
インターネットで色々読んでみたが、悩ましい限りではある。