続・蛙独言

ひとりごと

消費税増税

2012-06-27 15:30:19 | 日記
消費税増税法案が衆議院で成立をしたわけだが、この後、参議院で議決をされ決定をされていくことになる。
その間に、内閣不信任案ということになるのかどうかというところが現状だろうか。
新聞やテレビでは「公正を期して」ということで市民の受け止め方の内、増税賛成派と反対派双方の意見が紹介されていたりする。
これはペテンという外ない。
積年の悪政の継続で「国の借金」がこの4月時点で1207兆円にも膨れ上がっているので、このままではデフォルト(国家破綻)は免れないとして、まずは増税から始めようという提案は多くの人々の意識にマインドコントロールのように刷り込まれているが、実際、この借金は殆ど「国債」が中心であり、その保有者は外国の人というよりは「この国」の人々なのであるから、ギリシャやEU南欧諸国のような財政破綻というようなことにはなる筈もないのだ。
また「反対派」ときたら「これ以上の負担は耐えられない」と言っている人ばかりかのように紹介されていたりする。
蛙は「いずれ消費税増税は避けられない」と考えているが、例えば一般家庭の「食材購入費」等を非課税扱いとするとか、所謂「逆進性」を緩和する工夫はいくらでもあるはずだ。

最近、ベーシックインカム(BI)について勉強しているのだが、まだよくは分かっていないけれど、「これ」が受け入れられるとすれば大方の問題は解決するだろうと思う。
コメント欄に「BI・実現を探る会」のHPアドレスを貼り付けておくので、随分分量が多いからなかなか読むのは難しいけれども、是非、ご覧いただきたい。
ようするに「こどももお年寄りも一律に一人当たり10万円~15万円を支給してしまう。後は自分で稼いでもらって・・」といったもので、最初に浮かぶ困難は「財源はどうする?」ということになるが、これは「政府紙幣」を発行して賄えばよいということらしい。
もともと「通貨」とは「交換手段」に過ぎなかったはずだが、現在「通貨」そのものが「商品」となってしまっているのはどう考えてもおかしい。
常識では「お金」は「利息」が付随するが、この「政府紙幣」は「利息」が付かない。
それだから単に「交換手段」としてのみ機能することになる。
過去の歴史で実際、一時的ではあるが、「政府紙幣」が財政を救ったことがある。
ただ、この「実現」は「資本主義」の否定形であるだろうから、相当な抵抗が予想される。

レーニンは「帝国主義論」の中で「腐朽しつつある資本主義」という表現をしていたと思うが、現在を言えば「死を目前にしてのた打ち回る資本主義」ということになるのではなかろうか。

民主・自民・公明3党合意でなりふり構わず突き進む政治状況は、この時代が「ブルジョアジー独裁」以外の何ものでもないことがますますはっきりしてきたということであり、3党が民衆の方への目線を捨て去り、金持ち階級の「太鼓持ち」になり下がってしまったということだ。
それにしても「人はどこまで腐敗することができるのか」改めて思い知らされた気がする。

明石市への請願

2012-06-25 16:11:09 | 日記
明石市とその近郊に在住する市民で構成されている「脱原発明石・たこの会」というものがあります。蛙は主だった役員をしている訳でもなく、末席に連なるだけですから、積極的な意見発表は差し控えてきましたが、この「会」から明石市に対して出されていた「二つの請願」について、これを採択すべきか否か審議をする専門委員会の傍聴をしてきました。
その顛末を書きあげておこうと思います。

ひとつ目は「学校給食の放射能測定を求める」というもので、6月20日に開催されました。
「請願」が市会事務局から朗読をされ、紹介議員である新社会党・永井議員から趣旨説明があり、その後、理事者側(教育委員会)から「国や県の方でしっかり対応をされており、給食食材提供者の方でもそれなりな対応がなされているので・・」という答弁が為され、いかにも消極的な態度でありましたが、その「国」や「県」が信頼できないことが明らかになってきているのですから、委員会所属議員の意見が注目されるところでした。
暫時休憩、所属議員は別室で協議ということになり、再開後「放射能汚染は拡大していく可能性もあり、子ども達を内部被曝から護るためには念には念をいれて・・」といった意見表明が続き、無事採択をされました。
傍聴した「たこの会」のメンバーは思わず「拍手」。
この後、本会議で決定をされていくことになりますが、どのような形になるか、監視の体制を引き継ぎ、見守っていかなければならないと思いました。

ふたつ目は「市は瓦礫の広域処理を受け入れないことを求める」というもので、本日6月25日に開催をされました。
前者と同様に「請願書」の朗読があり、紹介議員・永井氏から趣旨説明がなされました。
「瓦礫の広域処理は放射能汚染の拡散以外なにものでもないこと。国の言う『安全性』は信頼できないこと。瓦礫処理の単価はトン当たり阪神淡路大震災と較べて2倍から3倍であり、また産廃業者と受け入れを表明している自治体の首長との関係など、明らかな利権の構造があること。埋め立て処分から溶出する放射能が瀬戸内を汚染し、明石ブランドの鯛や蛸、海苔に大きな危険をおよぼすこと。」等々、「また、支援は『瓦礫受け入れ』以外、例えば「福島の子どもたちを受け入れる」保養の計画が市民グループで取り組まれているということもあるし、夏休みに限らず普段から子どもたちを受け入れていくなど『息の長い支援計画』が求められている」という風に熱く語っていただきました。
理事者側(環境局)からの答弁は「国が安全基準を定め、それに基づいてということで・・」といったようなもので、お話にならないものでした。
各委員からの発言ですが、公明党会派からは「微妙な問題であり継続審議で・・」といった発言もあり、他に共産党などお二人の委員からは「請願・賛成」の意見がありました。
許せないと思ったのは民主党で「既に本会議でも富田議員から『被災地救援』の意義が強調をされておるので、請願の趣旨は理解できるが・・」ゴニョゴニョといった話でした。
少しく討論があり、「被災地支援という視点ではどうか」とか「安全性が確認された場合はどうか」とか「大阪市長橋下氏は山形の瓦礫は安全だから受け入れると言っているが、この点はどうか」とか意見があり、それらについては永井氏からきっちり反駁がなされました。
論理的には「請願者」側が圧倒をしていましたが、これまた暫時休憩、別室協議ということになりました。
再開後、委員会は委員長1名委員6名で、4対2で「継続審議」という結果になりました。
公明党の委員からは「今、受け入れ拒否を表明することは東北の人々の希望を打ち砕くことになる」といった意見もありました。
「瓦礫処理」があたかも「震災復興の第1歩」みたような政府の宣伝が無批判に受け入れられている印象でした。
それでも「瓦礫受け入れ」を積極的に主張している民主党を「継続審議」を受け入れざるを得ないところまで追い込んだのですから、取り敢えずは半歩の前進というところでしょう。
永井さんの主張の内、蛙の方でもうひとつだけ抜けているのを追加しておけば、「廃棄物処理」は地方自治体、それも市町村の専管事項なのであり、国や県が行っていることは明らかに法に反しているということです。

ふたつとも、引き続き、見守っていかなければなりません。

スミスさんの・・

2012-06-19 21:10:14 | 日記
アイリーンスミスさんが挙げた10カ条です。

■水俣と福島に共通する10の手口■
 1、誰も責任を取らない/縦割り組織を利用する
 2、被害者や世論を混乱させ、「賛否両論」に持ち込む
 3、被害者同士を対立させる
 4、データを取らない/証拠を残さない
 5、ひたすら時間稼ぎをする
 6、被害を過小評価するような調査をする
 7、被害者を疲弊させ、あきらめさせる
 8、認定制度を作り、被害者数を絞り込む
 9、海外に情報を発信しない
10、御用学者を呼び、国際会議を開く

さすがに「水俣」を闘ってきただけに正鵠を得たものです。

原田正純さんが亡くなられました。
「熊本全研」でお話しを伺ったのでしたが、あれが最初で最後の機会になりました。
「脱原発」の闘いの行く末を心配しながらでしたろうから、残る我々の責任は重いと言わなければなりませんね。

大飯原発再稼働、なんとしても止めたいッ!

報道されない「大飯集会」

2012-06-17 21:53:55 | 日記
今日、6月17日には福井で大飯原発再稼働に抗議する集会が取り組まれた。
ネットの「サンケイニュース」では2200人の人が集結したと書かれている。
「たんぽぽ舎」からはこの集会に向けてバスツアーが呼びかけられていたし、神戸でも花時計前からのバスが用意されていて、蛙の友人も参加されている。
残念ながら、行くことはできなかった。
テレビはあまり見ないのだけれど、この集会のことが取り上げられているかと思ってあちこちチョコッとニュースを見ていたが、見つけることができなかった。
娘に言わせれば、そんなん当たり前じゃんってことになるが、オウムの高橋がつかまった経緯など詳しく報じられていたり、その他、たいしたこともない(当事者にはそうではないだろうが)と蛙には思われることばかり…
今は「大飯」の話が一番重要だと蛙は思うが、大切な話はこうやって「隠されて」いくのだろうね。
鏑矢は撃たれてしまえば、この後、引き続きに「再稼働」は目白押しということになるんだろうか。
ウーンッ!

暗闇の中で

2012-06-15 20:32:58 | 日記
昏い、これ以上ない程の暗闇の中にに迷い込んでしまったような気分なのだ。
その闇の中では一切の「光り」はないのだから自らが発光する以外、道を見極めることはできないというのに、その手立てが見つからないでいる。

なんということだろうか。
「この国」は「滅びに向かう道」をまっしぐらに突き進むばかりではないか。

フクシマも沖縄も、大飯原発再稼働も、国会も、何もかもが最悪の道程をたどるばかりだ。

ことばを失って久しい。

可能なこと、今、出来ていることは「反原発」市民運動の端っこでほんの少しの支えくらいで、ネットからの情報収集くらい。

自分にはもっと力があるはずだと考えていたのは傲慢だったのだろう。

少しづつ、少しづつに過ぎないけれど、「できること」の幅は広げていきたいと思う。