続・蛙独言

ひとりごと

大晦日

2011-12-31 20:02:57 | 日記
本年は、私的にもそうだったが、全体、酷い年になった。
本日は、大晦日。
蛙にとっても、多くの人にとっても、忘れることのできない一年だったろう。

この国の壊れようはあまりに酷過ぎる。
それで、未来を指し示す明かりがあるかといえば、とてもそのようにも思えない。

昔、ラジオの宗教番組で「暗いと不平を言うよりもすすんで明かりをつけましょう」ってな台詞を聞いたことがあった。
たぶん、キリスト教の早朝の宣伝番組だったかなぁ。

それはそうなんだけど、蛙には、あまりに強い不安があり過ぎるし、自信が全然生まれてこない。

可能なことは何か、ずっと、考え続けていかなければならないのだろう。

蛙ブログも、気合いが落ちてしまっていて、覗いてくれる人には申し訳ない気がするが、次の年は「龍」だというのだから、「鯉」だって「滝登り」をすれば「龍」になるというし、蛙も「大変身」、天まで届くような活躍をしてみようかなぁ、などと思ったり...

皆さんにあっても、来る歳が「よい歳」になりますようにお祈りすると共に、「何よりも健康」、お体をいたわってくださるようお願いをいたします。

少しずつ...

2011-12-22 11:04:48 | 日記
最近、まッ、元々かもだけど、あんまり頭に来ることばかりで、新聞もテレビも見ない日が多い。「嘘っばかりじゃねぇかッ!」つうて、手にするものを投げつけんばかりになるんだもんでねぇ。
ネットで必要な情報は読めるから、時代から取り残されるってことはないだろうけれど、見といたらよかったというような番組も見逃すことの方が多い。
15日付「朝日」で、「狭山・9回目の三者協議」の報道があったのも、先にネットで知ってから新聞を見直してみたんだけれど、ウチの「版」には出ていなかったなぁ。

蛙は「解放同盟」の下っ端の役員をしてたりするから、それはそれで忙しいこともあるんだけれど、他にも色んな「市民運動グループ」の会員だったりサポーターだったりで、殊に年末は「年忘れ?会」みたいなのに出るのだけれど、これがそこそこ多い。
お酒は好きだから、飲むのはいいのだけれど、ここんとこ、随分弱くなったのか、あまり飲めなくなってきた。

この前、「脱原発・明石たこの会」の会議に出席していたけれど、「フクシマその後」の酷薄な事態の進展で、もどかしさはいや増すばかりの意見交換だったが、それでも「私たちに何ができるのか」というところで、少しずつでも「できること」から取り組みを進めていこうというような話し合いだった。

思うに、殆どの人々の側では「原発、やばいんじゃない?」ということなんだろうが、「推進者側」からの圧倒的な「世論操作」の前に「屈している」というように感じられてならない。
あきらめず、一層、声をあげていかなければならないのだろう。

年明けの「動き」をあげておこう。

1月14日 三宮センタープラザ 13:00~14:00 山本太郎他
     マルイ前 1000万署名 行動
2月4日 明石市民会館  13:30 鎌田慧 武藤類子他
2月19日  生田文化会館  14;00~16;30 今中哲二(京都大学)

(14日は先約があって蛙は参加できないが…)

蛙ンチ

2011-12-14 15:36:29 | 日記
いつまで経ってもパソコンがうまくつかえませんね。
基礎から勉強したわけでなくて、最初はマックからでしたけど、ウィンドウズに切り替えてからも「使えてしまう」ってあたりで、ごちゃごちゃやってるんです。
それで、なんか、訳も分からんままにトラぶったりした時は「お手上げ」ってことになります。
それに、もう後何年生きられるか分からん歳になってきましたから、Niftyを解約して、今は「隣の娘ンチから無線ランで回線ただ乗り」ってな具合でやってるわけ。
これって「違法」なんだろうか?

それで、無線ランがちょいちょい不調になったりして、webメールも使えなくなったり、ネット閲覧もできなくなったりする。
「ちゃんとやれよッ!」っておこられそうだけど...

画像は、手前の方が蛙ンチで奥の方が娘ンチ。
ウチの方はもう築30年を超えたから、ローンも終わってる。
あの時は、「メンテナンスフリー」ということと「地震と火事には負けない」ことを考えていました。
2×4なんだけど、震災以降、随分増えましたが、当時は珍しかったと思います。
30年住んでみて、色々不満も無いわけではないけど、「冬暖かく夏涼しい」、「いいウチ」を建てることができたなぁと思ってはいる。
当時、「木造」は「3階建」は「違法」だったんだけど、「屋根裏部屋方式」でとてつもなくでかい「隠し部屋」を作った。
てっぺんに見える「小窓」は「検査」が終わるまで「目隠し」してたんだ。
一番心配なのは、「外壁」。
あの当時、「アスベスト」の「毒性」はあまり知られていなかった。
そんなわけで、「外壁材」として「アスベストサイディング」なる「商品」があったものだから、「こりゃ、火炎放射機で長時間焼かれん限り、火を貰うことはない」などと思って、ちと高かったけど、飛びついての選択だったんだね。

さて、いつかは「解体」という日も来るだろうけど、ちと「たいへん」なことになるか知らん。

娘ンチは、たまたま隣の空き地が「売り」に出たものだから、慌てて買ったんだ。
こちらは築3年というところ。

「スープが冷めない距離」なんて言われたりするけれど、「隣」って「殆ど2世帯住宅」ってとこかなぁ。

爺さまは孫の守で、たいへん。

12月

2011-12-09 14:55:57 | 日記
本格的な冬の到来、痩せ蛙には骨身に応えるシーズン。
生命活動がぐんと落ちている。
今年も残すところ後僅か。
最高に厭な一年だったことになる。
全能全知の神ならぬ生身には、「問い」の答えを見出し得ない「難問」の数々。
或いは「神」にも分からぬのではないかとさえ思われる情況は続く。

「世界」、とりわけその「経済的展開」は如何。
蛙の考えによれば、1980年代に登場する「新自由主義」、サッチャー・レーガン、この国では中曽根から小泉が取った選択、規制緩和・民営化推進・金融緩和などなど、それ以前に抱えていた困難を一定程度・短期的に「解消」するかに見えた政策が直接の原因となって、現在の困難をもたらしたのだろう。
彼らの処方箋は、既に「死に体」となった「資本主義」のカンフル剤でしかなかったわけで、その副作用が、更に深刻な危機の深化に繋がってきたわけだ。
残念なことに、「その後」を引き受ける「機構」は無い。
世界経済の混乱は、当分、克服される見込みはない。
99%の「苦難」はなお続く。

「フクシマ」はどうか。
ひとつには、第一原子力発電所の内部は、未だに誰も知り得ない状況にある。
したがって、「放射能」は際限もなく吐き出され続ける。
東電も政府も言を左右にしながら、納得いく説明をしないばかりか、自身の無力を覆い隠すことに懸命で、人々、とりわけ子どもたちのいのちの危険をかえりみることさえしようとしない。
被災民を放置したまま、この国の民衆が「諦め」に慣れきる、そういうことを目指しているかのようだ。

我が「同盟」はどうか。
これもまた、自らの進むべき進路を明確にすることができずに、停滞から後退への道を歩むばかりに見える。
せめて「狭山」だけはなんとしても「勝利」にむすびつけなければならないが。

蛙の怒りや焦りは、とどまるところを知らない。