生意気な言い方だけど、にしろ解放同盟にしろ、蛙は一度も「差別」を本質的に捉える「理論」を獲得することはなかったし、それだから「完全解放の道筋」を一度も提示できなかったと考えているのだね。
勿論、蛙にだって「できる」話ではないのだけれど、「そうなのだ」って自覚は大切だと思っている。
それでも、にしても同盟にしても「存在意義」はあったんだ。
何よりも、圧倒的な「量」である「差別者集団」(『敵手』は『全体』なんだから)に抗して、「吾等の団結だけが『それら』に抵抗していく威力(ちから)なのだ」という共通認識。
これは重要なことだったんだ。
人間、「一人ぼっち」って「感覚」ではとてもじゃないが「やってられない」よ。
「被差別・民」以外は知らないだろうけれど、「この地域」に生まれおちた「人間」は、まず最初に「訳の分からぬままに」自身が「そのように呼ばれる民」であることを「思い知らされる」のだね。
そしてそれは、「自分のムラ」だけが「特別視」されているかのように「思わされる」し、そのようであるからして、「多分、こんな感覚を抱かされたことを親・兄弟姉妹にゆうたら、きっと悲しい想いをさせるに違いない」って思うから、ずっと「胸の内、奥深く」にしまって置こうという風に反応するんだ。
長じて「解放運動」に「出会った者は幸いである」と言える。
でなければ、「鬱屈する想い」は消えることが無い。
「出会った人間」は、まず、「この問題」が「自分のムラ」だけじゃないんだ、全国に「これだけ多くの『同じ想い』を持った仲間がいるんだ」ってことに気付かされる。
69年に天理市で「全国奨学生集会」が開催されて、ここに参加した出身高校生達が「次代」の中心的な「活動家」に育っていったのだろうと蛙は考えている。
40年前になるのだから、このメンバーは、「その時の感動」を腹の底に据えて「一つの時代」を作ってきたし、「彼ら」の果たしてきた役割の評価も大いなるものであったのだけれど、蛙は、「この後の展開」に大きな「疑問符」を感じている。
「自分ひとりじゃない、大勢の仲間がいるんだ」ということは勇気にはつながるが、そこのところからの「一歩」を、今のところ、誰も「指し示してくれてはいない」のだから。
蛙にだって、よくは分かっていない。
ただ、「分かっていない」ということを「認識」することは大事なんだと思う。
本年3月の同盟の大会で、「派遣村に荊冠旗は立っていたのか」という質問をされた方がいた。
納得のいく回答はなかったが、「この時代・この局面」で同盟が「何をなすべきか」、もっと全般的な視野の中で、手探りでもいい、頑張っていくことが「楽しい」、そういう「闘い」を構築していかなければならないのだろうと蛙は思うのだね。
勿論、蛙にだって「できる」話ではないのだけれど、「そうなのだ」って自覚は大切だと思っている。
それでも、にしても同盟にしても「存在意義」はあったんだ。
何よりも、圧倒的な「量」である「差別者集団」(『敵手』は『全体』なんだから)に抗して、「吾等の団結だけが『それら』に抵抗していく威力(ちから)なのだ」という共通認識。
これは重要なことだったんだ。
人間、「一人ぼっち」って「感覚」ではとてもじゃないが「やってられない」よ。
「被差別・民」以外は知らないだろうけれど、「この地域」に生まれおちた「人間」は、まず最初に「訳の分からぬままに」自身が「そのように呼ばれる民」であることを「思い知らされる」のだね。
そしてそれは、「自分のムラ」だけが「特別視」されているかのように「思わされる」し、そのようであるからして、「多分、こんな感覚を抱かされたことを親・兄弟姉妹にゆうたら、きっと悲しい想いをさせるに違いない」って思うから、ずっと「胸の内、奥深く」にしまって置こうという風に反応するんだ。
長じて「解放運動」に「出会った者は幸いである」と言える。
でなければ、「鬱屈する想い」は消えることが無い。
「出会った人間」は、まず、「この問題」が「自分のムラ」だけじゃないんだ、全国に「これだけ多くの『同じ想い』を持った仲間がいるんだ」ってことに気付かされる。
69年に天理市で「全国奨学生集会」が開催されて、ここに参加した出身高校生達が「次代」の中心的な「活動家」に育っていったのだろうと蛙は考えている。
40年前になるのだから、このメンバーは、「その時の感動」を腹の底に据えて「一つの時代」を作ってきたし、「彼ら」の果たしてきた役割の評価も大いなるものであったのだけれど、蛙は、「この後の展開」に大きな「疑問符」を感じている。
「自分ひとりじゃない、大勢の仲間がいるんだ」ということは勇気にはつながるが、そこのところからの「一歩」を、今のところ、誰も「指し示してくれてはいない」のだから。
蛙にだって、よくは分かっていない。
ただ、「分かっていない」ということを「認識」することは大事なんだと思う。
本年3月の同盟の大会で、「派遣村に荊冠旗は立っていたのか」という質問をされた方がいた。
納得のいく回答はなかったが、「この時代・この局面」で同盟が「何をなすべきか」、もっと全般的な視野の中で、手探りでもいい、頑張っていくことが「楽しい」、そういう「闘い」を構築していかなければならないのだろうと蛙は思うのだね。